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龍の声

龍の声は、天の声

「砕氷船理論とは」

2020-07-25 07:18:53 | 日本

砕氷船理論(さいひょうせんりろん)とは、ヨシフ・スターリンが実行したと一部の論者が主張している戦略。第二次世界大戦におけるドイツと日本の侵略を「砕氷船」として利用し、その対象となって疲弊した地域を共産主義陣営に取り込む戦略のこと。転じて、他者の行動をてこにして自分の利益を図る戦略を「砕氷船理論」と呼ぶこともある。

近年では、在野の歴史研究家杉本幹夫が「興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料」(国会図書館所蔵)中の怪文書をもとに第七回コミンテルン大会でスターリンが次のような演説を行ったと主張している。
ドイツと日本を暴走させよ!しかし、その矛先を祖国ロシアに向けさせてはならぬ。ドイツの矛先はフランスと英国へ、日本の矛先は蒋介石の中国へ向けさせよ。そして戦力の消耗したドイツと日本の前に、最終的に米国を参戦させて立ちはだからせよ。日、独の敗北は必至である。そこで、ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域、つまり、日独砕氷船が割って歩いた後と、疲弊した日・独両国をそっくり共産主義陣営にいただくのだ。
ただし、これまでのところ、実際にこのような演説があったという、確実な史料に基づいた確認はされていない。

◎経過

砕氷船理論が実在したと主張する論者によれば、以下のような具体的な歴史的事実にその直接間接の影響があったという。
1929年、世界恐慌によって資本主義の限界と共産主義の台頭を見た当時の人々は、しだいに国家社会主義やファシズム・ナチズムに魅せられていく。これらの下地をもとに砕氷船理論は実行されていった。

中国では、西安事件以後は国共合作の方向が形成され、「中国共産党の劉少奇により起された盧溝橋事件による日中の緊張した時期において、ソビエトのスパイであった張治中は第二次上海事変によって上海の日本軍に対して正当な理由のない攻撃を行うことで日中戦争の開始を企てた。
日本では、尾崎秀実が砕氷船理論の実行者であるとされている。尾崎は同僚や関係者はおろか妻子にも話さず、秘密裏に行動を進めていった。具体的には国内の動きを逐一スターリンに報告し、ソ連と動きをあわせるためにひそかに活動を行っていた。また、近衛文麿のブレーンとして、日中戦争早期講和および、国民党との講和に反対する論陣を張った。1937年(昭和12年)『中央公論』9月号で「南京政府論」を発表し、蒋介石の国民政府にこだわるべきでないと主張し、翌1938年(昭和13年)1月16日の「爾後國民政府ヲ對手トセズ」とする第一次近衛声明に影響を与えた。同年『改造』5月号で「長期抗戦の行方」を発表し、『中央公論』6月号で「長期戦下の諸問題」を発表した。近衛内閣は尾崎の主張にそう形で、中国国民党政府との和平交渉を打切り、日中戦争の拡大と泥沼化、そして日米戦争へつながる政策をとることとなった。
アメリカ合衆国では、ソビエトのスパイであったハリー・ホワイトが、ルーズベルト政権下で財務次官補としてハル・ノートの草案作成に携わり、それは日本に日米開戦を決意させた。
















「砕氷船の力学」

2020-07-23 10:46:25 | 日本

砕氷は当研究室が(山口助教授が)氷海工学のうちはじめにテーマとした分野である。 海氷を割って進む砕氷船にとって重要なことはまず船首形状であり、それによって氷の割り易さあるいは氷中抵抗が異なってくる。 さらに船首部分で割れて後方に流される氷が船体と干渉したり抵抗になったりしないように、船底や船側の形状も重要になる。 また、氷海を航行するといっても普通の海水の中を進む場合も多いので、通常船舶としてあまりに効率の悪い船体にすることもできない。

その上、後方に流れてきた氷がプロペラに噛むかもしれないという、一般の海では考えられないようなシビアな状況も考えねばならない。 氷がプロペラに噛むと、アイストルクと呼ぶ大きなトルクが軸系に働き、場合によってはプロペラのブレードを損壊することもある。 それを防止するには、なるべくプロペラ周りに氷が流れてこないようにするか、何らかの方法でプロペラを保護しなければならない。

以上のように、砕氷船の建造を計画するには、通常の船舶以上に考えることが多い。 そのような船舶を設計するには、船体による氷の割れ方のメカニズムを詳細に知ることが必要であり、そのために材料力学的な計算などによって氷中性能の定量化や最適船型の開発が試みられている。 また、海氷の浮かんだ海水は複雑な挙動を示すので、水面に氷を張ることのできる水槽(氷海水槽)における模型船を使った実験や、実際の砕氷船で氷海に乗り入れる実船実験も多く行われる。 北極海航路開発プロジェクト(INSROP)の中でも、実船の性能評価や、形状の異なる船首模型を使った氷海水槽実験など、この分野について様々な研究がなされた。

海上保安庁の砕氷巡視船「そうや」を使って、オホーツク海で行なわれた、薄い氷の船首部砕氷パターンの実船観測では、 船首から割れが前方に伝わった後、円周状の割れが発生している。 船が速くなると、円周状割れの間隔が狭くなっているのが、良く分かる。 この様なことは、これまでの砕氷理論に考慮されていない。 現在、流体力,氷の慣性力、氷板中の割れの伝播などの、動的な影響を考慮した計算プログラムを開発中である。











「選挙民の声を拾う」

2020-07-22 08:12:58 | 日本

・激変の時代において、候補者精神というものは、既存のものではダメだという精神をもつこと。

<3点セットの重要性>

①有権者
・有権者は何に対して、大きな不満を抱いているのか?
・それを明確にし、「ああ、私のことだ!」と有権者が叫びたくなる程、候補者はその表現方法を磨くこと。

有権者に、「ああ、私のことだ!」と叫んでもらう。


②政策案
・候補者でなく有権者に自ら何を望んでいるのかを書いてもらったり言ってもらうこと。
・そのことをいろんな比喩をつかい、最もストレートに、人間の心に響くように訴える。
・候補者は、その有権者が望んでいる「結果・アウトップット・状況」を有権者の言葉で表現する。

有権者に、「ああ、それだ!それが欲しい!」と叫んでもらう。


③候補者
・不満を抱く有権者のために、その政策案を導入してくれる候補者であること。
・有権者のためにその結果を提供し、出してくれる「政策・サービス」を簡単に紹介する。

有権者に、「ああ、それです。お願いします!」と叫んでもらう。


<まとめ>
・①②③の順番が重要である。
・常にこの3点セットを有権者に定義すること。
・相手いてのニーズにあわせる。
・しかし、ほとんどの候補者は自身の宣伝ばかりやっている。そこが違う。
・結局、どういう人たちのために戦い、どういう政策を導入しようとしているのかでないと、有権者には響かない。
・3点セットのすべてをA4チラシ1枚くらいで表現する。
・話す時間は端的にわかりやすく、15分位。






成熟した日本と改革精神」

2020-07-21 07:07:56 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


成熟した人とは、物事を静思熟考し、極端を避け、全体を見る人のことを言うのだと思います。
人間関係も調和とバランスを取り、皆の和を如何にもたらすかを心懸けられる人だと言えるでしょう。

しかし如何に成熟した人といえども緊急事態の時、思い切った判断、決断、実行ができなければ組織共同体、国家そのものを危うい状態に晒すのです。

幕末の日本がそうでした。いかに幕府と朝廷が協力し合い、国難を乗り越えるか、公武合体論が台頭し、一時国の主流となったのですが、
それでは外国の覇権勢力には対応できないと倒幕、開国へと世の中の流れが大きく変わったのです。

成熟した社会体制を保ちながら、国家の一大事に思い切った決断を迫られた時、
国家、国民が如何に痛みに耐えられるか、それが問われるのです。

今回の中国発武漢ウイルス禍において緊急事態宣言が発せられた折、多くの業界、業態がそれに応じ自粛を受け容れました。

なんの強制力もないにも関わらずそれができたと言うことは、日本人が古来から持つ、共同体精神の「他人を思いやる心」が普通に備わり、生きている証拠だと思えてなりません。

我利我欲、他人に迷惑をかけることは恥ずかしいことだと、誰もが普通に心の中に生きている思いでしょう。

日本の生活習慣、食事習慣が感染拡大に歯止めをかけたと言いますが、他人を思いやる心こそが感染拡大に歯止めをかけたに違いありません。
長い歴史と伝統に基づいた日本の共同体精神はご先祖が築いてくれた宝です。

しかし欧米は全く違います。
グローバリズムを最高の価値としてEUが誕生しましたが、今回の武漢ウイルスで見事にその欠陥が露呈しました。
EU相互間の経済体制はおろか、医療支援体制も何ら機能せず、各国が大混乱に陥り、喘いでいるのです。

真の共同体精神は、「他者の為に生きる」のでなくてはなりません。
「他人(ひと)が喜ばなければ自分も喜べない。他人が幸せでなければ決して自分も幸せではない」それが日本の其々(それぞれ)の世界、組織に暗黙の内に生きており、いざ緊急事態の時、行動となって発揮されるのです。

しかしそれは残念ながら、現代では世界には通用しないのです。日本の良心的配慮、忖度、和の外交は、悉(ことごと)く裏目に出てしまい、侮(あなど)られる結果に終わります。
世界情勢はいま、悪役たちが表舞台を張っています。

トランプ、プーチン、習近平、金正恩、文在寅、等々。
平気で嘘を付く人々が日本を取り巻いているから困ります。
「毒には毒を持って制する」が有効であるのなら、暫くはトランプ大統領にも頑張ってもらうしかないでしょう。

その中でいつも苦渋の政治判断を強いられるのが安倍首相です。悪役たちの間に挟まれて泳ぎ渡る高度な政治的発言、行為、戦略を迫られているからです。
安倍首相が賢明だったのは、トランプ大統領から絶大なる信頼を克ち取ったことにあります。

これによってロシアも中国も韓国、北朝鮮も、インド、中東、ヨーロッパも、日本に一目置くことになるのです。
ギリギリの中でギリギリの選択をしているのが安倍首相だとしたのなら、安倍さんは高度な成熟した人物であり、政治家と言えるのかも知れません。
ちょっと褒め過ぎかな。














「今世界が注目しているベーシックインカムとは?」

2020-07-20 08:22:03 | 日本

Leverage-LABOブログより ご参考に


初めて「ベーシックインカム」という言葉を聞く人は「お金がタダでもらえる社会?」「はぁ?」と思われたか方もいるかもしれませんね。しかし今世界で「一定の金額を国民皆平等に政府が給付する」という議論が真剣に行われつつあるのです。

なぜ、そのような議論が行われているんか?その背景や理由、行うことによるメリット、デメリット、又今後個人としてどのように行動するべきか。編集部なりの見解を示していきたいと思います。

「金持ちの資産に課税せよ!」トマ・ピケティ氏が警告したように、人間が生み出し、近代までの発展を支えてきた資本主義。しかし今後、経済成長しても富は富裕層に集まり、労働者に回ってこない格差社会時代が、既に到来しています。

AIの発展も著しい中、世界的に注目を集めているのが「ベーシックインカム」です。AI時代に生き残れる人材となる為にも、鍵となる「ベーシックインカム」のメリット・デメリットなどを理解しておきましょう。

 
◎ベーシックインカムとは?


ベーシックインカムとは、簡単に言うと、政府が全ての国民に一律で現金を給付し、国民の生活を最低限保障する仕組みのことです。

現行の日本の社会保障制度では、失業した場合の失業保険や65歳以上の年金など、何らかの条件によって補助的に現金が給付されるものはありますが、年齢や性別などに関係なく、全ての人が平等に給付を受けられる制度はありません。

ベーシックインカムが導入されれば、今の生活スタイルは大きく変わることを意味します。

ベーシックインカムのメリットは、生活の為に働く必要がなくなる為、ブラック企業がなくなり、自分のやりたいことに集中できる社会を育めることがあげられます。また、自由な時間が増え、テクノロジーのさらなる進化をもたらせるというシナリオです。

反対にデメリットは、旧社会主義の失敗のように働く意欲がなくなり、働かない人が増える可能性が示唆されています。また、財源の捻出の為に社会保障などの仕組みを根本的に変える必要があることや、経済競争力がなくなる懸念も指摘されています。

しかしこれらは、考え方や取り組み方次第で解消できる可能性もあるのです。
AI時代が予想をはるかに超える速度で浸透している背景に「ベーシックインカ」の必要性が見えて来ます。


◎AIがほとんどの仕事を代替する社会の到来


10年後の社会では、既存の仕事の6割以上をAIが代替すると予測されています。これは決して夢物語でなく、確実に実現するだろう現実的な未来です。全く新しい未来がすぐそこまで迫っている今、今後求められるスキルは大きく変わってくると言えます。

前回ブログで今これからのキャリア戦略を考える為の提言をしております。ご参考に。
【「セルフブランディング」で自分の価値を高める方法!これからのキャリア戦略を考えよう】

だた作業するだけの受動的な仕事は、AIが代替する為、人間が行う必要はなくなります。今後人間は、AIが苦手な柔らかな発想やコミュニケーションを活かすこと、臨機応変な問題解決能力や統率力を発揮して新しいことを生み出す力が必然的に求められます。例えば医師の仕事なら、手術はAIが行いますが、患者のカウンセリングや心のケアは人間が行うという未来予想図が描けますね。

AIの発達は、人類にとってこれまでにない画期的な未来をもたらすことは確実です。だからこそ、その変化を待つのではなく、変わることを前提に進化することが求められます。


◎ベーシックインカムはAI時代の希望となる?

社会保障制度を現状維持することは、ほぼ不可能と言われていますね。国の借金が増大し、国民一人が負担する税の負担は誰もが認める事実です。私たちが第二の人生を歩もうとした場合、年金など存在するのでしょうか?実に怪しい未来です・・・。

FBの創始者として有名なマーク・ザッカーバーグ氏も「ベーシックインカム」の導入を提唱し下記のように語りました。

(ベーシックインカムが導入されれば)
「新しいことに挑戦する意欲が高まる。生活の為に働く必要がなくなる」
By マーク・ザッカーバーグ

AI時代は、誰も経験したことがないまったく新しい社会です。ベーシックインカムによって最低限の生活が保障されれば、考える時間、余裕が生まれる。時間的価値により、人間はAIに代替されない創造的な仕事に専念し、自分のやりたいことを思う存分行うことができるというメッセージです。

性善説に基づいた意見ですが、非常に面白く、個人的には画期的な政策と前向きに捉えています。自分次第でどうにでもなる社会。リクスをおかして失敗してもやり直しがきく。そんな挑戦が許される社会。いいじゃないですか!

こんな時代だからこそ、変化をピンチとするか?チャンスとするか?自らが未来を予見し、真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか?まさに個人がつながりの中で活躍する時代が今であり、これからますますそのニーズは高まります。


◎まとめ

ベーシックインカムはオランダのユトレヒトという都市で世界に先駆け、試験的に導入されています。AI化の進化が目覚ましい現在、どのような結果になるのか、メリット、デメリットはどのように実生活に現れるのか?今後の動きに注目です。

時代の流れをいち早く掴み、次なる行動、それによって身につくスキルや経験は「リスク」などではなく「財産」です。「着眼点」さえ間違わなければほど、新たな未来が見えてきます。















「日本共同体の底力」

2020-07-19 16:53:24 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華が届いた。
以下、要約し記す。


この度の武漢ウイルスで様々なことが明らかになり、日本及び世界に大きなテーマが投げかけられました。行き過ぎたグローバリズムから自国中心、または自国優先へと大きく世界は舵を切り始めたようです。

EU中心主義のリーダー国フランスは、この危機で最も困窮を強いられた国でした。医療関係のほとんどを中国依存であったことが原因で、適切な対応ができません。フランスばかりでなく、EU諸国は皆中国依存が強かったのです。EUの共同体機能の脆さは見ごとに露呈してしまったのです。英国はEUのメリットの無さに一早く氣づき脱退しました。

元々ヨーロッパ諸国はアメリカを含め中国に好意的でした。その理由は第一次世界大戦も、第二次世界大戦も敵国ではなかったこと。第二次世界大戦では連合国軍側として、共に日本と戦ったことが主な要因でしょう。

ヨーロッパも相当中国を嫌っているだろうと、多くの日本人がそう思っていたかも知れませんが、実は武漢ウイルス禍が起きるまではドイツを始め親中でした。今回の件で中国頼りのサプライチェーンの現実の恐さを知ることにより、大きく変化を遂げて行くことでしょう。

共同体精神は「他者の為に生きる」「他者と分かち合う」が中心でなければ成り立たないもの。日本共同体とEU共同体はそもそもその根底にあるものが違います。日本は共同体の絆を深めるため地域、地域によって「祭祀」を行って来ました。神、仏、自然、ご先祖を共に祀ることにより縦との繋がりを通し、横との連帯を深めて来た伝統があったのです。

鎮守の神様の月次祭、春秋の例大祭に於ける氏子たちの結束。青森のねぶた祭、秋田の竿燈(かんとう)祭、仙台七夕祭は東北の三大祭です。これらは豊作祈願、厄除け、先祖の鎮魂、禊祓(みそぎはらひ)から始まったものです。七夕は元々お盆行事であったのが明治に入り新暦に変わったため、鎮魂供養の意味が薄らいでしまいました。

京都の大文字焼き、祇園祭は疫病祓いの為にもあります。日本全国で行われる夥しい数々の祭礼、そして花火大会。共同体の中心にあるものこそ祭祀だったのです。それは「祈り、舞い、唄い」で、縄文来の日本の伝統、精神でした。日本は見事濃厚接触文化そのもの。それがこの度の新型ウイルス禍により全て中止になるとは。

禊祓い、魔除け、厄除け、豊穣、先祖供養のためにある祭祀が中止になるのは歴史始まって以来のことです。これをどう受け留めるべきなのか。神と自然と人とご先祖と触れ合う喜びは、産霊(ムスヒ=結び)のエネルギーとなって生成発展をもたらして来ました。しかしそれができなくなったと云うことは「事は重大」です。

新型ウイルスは天からのメッセージで、天の使いとして出現したのです。触れ合う喜び、助け合う大切さ、睦み合い、分かち合い、支え合いの日本共同体の伝統精神の有り難さ、美しさに氣づかせ、取り戻すために。












「高杉晋作の漢詩に見る③」

2020-07-18 07:52:24 | 日本

◎同年3月、萩の野山獄に投ぜられた高杉晋作は、80余日の獄中、1日一編の割合で詩をつくっている。4月11日の詩は、武士道的死生観をこえた吉田松陰の教え「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」と重なって読める。

生を偸(ぬす)むも死を決するも時宜に任す
世人の是非を論ずるをうれえず
かつて先師のわれに寄するの語あり
頭をめぐらして追思すれば涙むなしく垂る

命を惜しむも死を決するも時代の要請にまかせ、世の人が是非を論ずることなど気にするな。かつて先師はそう諭(さと)された。思い起こせばいまはただ涙あるのみ。

そのほか、野山獄中でつくった詩二編。

国のために産を破るも家また軽ろし
世上の狂生と喚ぶを辞せず
友人になお義を忘れざるあり
昨日門頭に我が名を呼ぶ

国家のために家はつぶれてしまっても、家は軽いものである。世間の人が狂生とよぼうが、それもかまわない。旧知の人のなかに情誼(ぎ)をもっている人がいて、昨日獄門へ来てわたしの安否をたずねてくれた。

天下滔滔(とうとう)として諂臣(こんしん)多し
直言誰か敢えてわが身を擲(なげう)たん
書をひらき看(み)て朱明のことにいたれば
また幽囚易を読むの人あり

世の中には君主にへつらう家来が多い。直言して君主に逆らって身を捨てるものはきわめて少ない。歴史を読んで明のことになると、明の世にも讒(ざん)言のために牢屋に入れられて易書を読んでいた人があった。


◎元治元(1864)年、禁門の変で長州藩が敗退すると、幕府の征長軍が出発、4カ国連合艦隊は下関に迫り、藩政は幕府に屈服する俗論派に握られた。その10月に詠んだ詩から一編。高杉25歳、同月5日には長男の梅之進が生まれたばかりであった。

内憂外患わが洲に迫る
まさにこれ邦家存亡の秋(とき)
まさに回天回運の策を立てんとす
親を捨て子を捨つるまた何ぞ悲しまん

国内は乱れ外敵は来るという、日本の国家存亡のときである。いままさに天下の形勢を一変させる策を立てるときで、親を捨て子を捨てることがあってもなんで悲しもうか。

◎10月25日、高杉は捕吏をかろうじてのがれて萩を脱出した。そのときに詠んだ詩。

親を捨て国を去って天涯に向かう
必竟(ひっきょう)この心世は知るなし
古(いにしえ)より人間棺に蓋(ふた)して定まる
あに口舌をもって嘲譏(ちょうき)を防がんや

親を捨て故国を去って逃れゆく、この心世にだれ一人知るものはない。昔から、人間は棺に蓋(ふた)をして値打ちが決まるというではないか。あざけりやそしりになんのいい開きをしよう。


◎同年12月15日、高杉晋作は俗論派の占拠した藩政府軍をうち倒そうと、長府功山寺でわずか80人余で決起した。この直後、高杉は白石正一郎の末弟・大庭伝七にあてて手紙を書いたが、その最後につぎの詩がある。萩の藩政府から追討を受けることは覚悟のうえで、あえて主君の城に弓を引く、高杉のなみなみならぬ決意が読みとれる。

国を売り君を囚(とら)え至らざるなし
生を捨て義を取るはこれこの辰(あした)
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作(な)らんと欲す

国を売り主君をとらえて俗論派は暴虐をきわめている。命を捨てて義をつくすのはまさにこのときである。文天祥(南宋の忠臣)の高節と鄭成功(清に抗した明の謀臣)の策略と、2人に学んで1人でなさねばならぬのだ。



<了>















「高杉晋作の漢詩に見る②」

2020-07-17 06:17:44 | 日本

◎帰国した高杉晋作は、時流に便乗し功名心からいたずらに「攘夷」を叫ぶやからを批判。藩主にたいして「防長割拠」「富国強兵」を訴えるがいれられず、脱藩亡命して外から衝撃を与えようとする。脱藩亡命は謀叛と同じくらい重い罪であるが、それをあえて踏みこえて行動に出た。23歳。

官禄吾に於いて塵土より軽し
笑って官禄を抛(なげう)ち東へ向かって行く
他の世上勤王の士を見れば
半ばこれ功をむさぼり半ばは名を利す

自分にとって官禄は塵や土よりも軽い。だからそれをなげうって東に向かっていくのである。それもこれも勤王のため、日本の国のためであるが、世間を見わたすに勤王の志士と自称するやから、功をむさぼり利益や名声を博するためにする人人ばかりで、真の勤王の志士は少ない。


◎元治元(1864)年1月、24歳のとき高杉晋作は、京都出兵にはやる長州藩の方向に異議をとなえ、軍隊を率いる来島又兵衛が説得に応じないので、「拙者は御割拠も真の御割拠が得意なり。進発も真の進発が得意なり。ウハの割拠は不得意なり。ウハの進発は聞くも腹が立つなり」といって、無断で久坂らのいる大阪・京都方面に止めに行ったために投獄される。そのとき、来島又兵衛のもとにおいていった詩。

自ら不忠不孝の人と作(な)り
国政をして維新たらしめんと欲す
他の俗吏の凡心老いたるを笑う
時好習来臣(じんしん)と称す

みずからあえて不忠不孝をおかしても、国政を一新しようとするのだ。心が朽ち果てた俗吏どもが、時流に媚(こ)びて忠臣と自称するのは笑止千万。












「高杉晋作の漢詩に見る①」

2020-07-16 07:59:49 | 日本

「高杉晋作の漢詩に見る」について学ぶ。


高杉晋作は約370の漢詩、また俳句その他を残しているが、そのなかから読みとれるのは、かれが「君(藩主)への忠」「親への孝」という古い封建的な思想とたたかい、それを乗りこえて日本民族の独立を守り、また屈辱的な外交をおこなう幕府を倒して、歴史を発展させるために犠牲を恐れずたたかう立場へと飛躍していることである。

◎嘉永4(1851)年、高杉晋作は12歳で藩校・明倫館に入学した。つぎの詩は、藩校は道具立てばかりはととのっているが内容がなく腐敗していることを批判した、高杉10代のころの詩である。

<自ら笑う>

百年一夢の如し
何をもってか歓娯を得ん
自ら笑う平生(へいぜい)の拙(せつ)
区区として腐儒を学ぶ

人生は長くても100年には過ぎない、その100年も一夢のごとくに過ぎ去るのである。その夢のような一生はどうしたら喜び楽しんで暮らせるか。それなのにとりとめもなく腐れ儒者の真似をしてなにもすることがない。それをあざ笑う日日のおろかなことよ。


◎周囲の反対を押しきって国事犯・吉田松陰の開く松下村塾にひそかにかよいはじめた高杉晋作は、安政6(1859)年5月、19歳のとき、品川弥二郎に洋学修行のため外遊をあっせんしてくれるよう頼んだ。その手紙の追伸としてそえた詩と歌。

<拙吟を録してもって思父、 品兄の一粲(いっさん)を搏(う)つ>

事業いまだ成らずして年月流る
梅松叢裏の一榛荊(しんけい)
満腔の悲憤熱腸裂く
むなしく親朋に向って寸誠を訴う

翼あらば千里の外も飛びめぐり  万(よろず)の国を見しとしぞおもふ

つまらぬ詩を書いて品川兄(弥二郎)のお笑い草に歳月は流れるがいまだに事はならない。梅や松の繁るなかの雑木も、あふれでる悲憤は熱く腸を裂く。真情をわずかに友にもらすのみ。
もし私に翼があるなら遠く海外に雄飛し、諸国を見聞してみたいと思うことしきりだ。


◎万延元(1860)年、江戸の伝馬獄に囚われた松陰と別れ、萩に帰国した後に詠んだ詩。高杉晋作21歳。高杉が萩につくまえに、松陰は処刑されていた。

われまた藩屏(ぺい)一介の臣
満胸の豪気いずれの時にか伸びん
課書読み了って草堂静かなり
笑殺す世間名利(みょうり)の人

わたしも一介の藩臣にすぎないが、胸にみなぎる壮志をいつ伸ばすことができようか。日課の書を読み終わってわが家は静か、功名や利欲のみを求める者をあざ笑って退ける。


◎高杉晋作は文久2(1862)年の5月6日から7月5日までの2カ月、幕使随員として清朝の上海を視察した。22歳のときであった。高杉は上海に行って、上海が英・仏などの植民地同然になっていること、それと同じ状態を日本に現出させてはならないことを痛感して帰国した。

その上海で、清の軍隊が太鼓をたたき、旧式の中国銃を使って練兵をしているのを見て詠んだ詩。

鎗銃空に轟いて暁月(ぎょうげつ)明なり
鼓声まず報じて台城に道(みちび)く
自ら皇国に許す刀鋒(とうほう)の鋭
五大洲中独り行くべし

銃声とどろく空に有明の月は明るく、清兵は鼓を打って台場を進んでいく。わが皇国は鋭い刀(すぐれた近代兵器)を振りかざして、五大州中を1人闊(かっ)歩すべきだ。











「山川健次郎とは、」について学ぶ。(歴史街道)

2020-07-15 07:29:48 | 日本

昭和6年(1931)6月26日、東京帝国大学初代総長・山川健次郎が没しました。会津藩士で家老山川大蔵(浩)の弟、山川捨松の兄にあたります。
嘉永7年、健次郎は会津藩士・山川尚江の3男に生まれました。万延元年(1860)、7歳の時に父が没し、家督は9歳年上の兄・大蔵(浩)が継ぎます。 慶応4年(1868)8月、新政府軍は会津若松城下へと迫りました。

数え年15歳の健次郎は、白虎隊に属していました。 16歳、17歳の少年で構成される白虎隊ですが、この時期、15歳まで含めていたのです。 しかし、満14歳の少年に重い鉄砲を担いで戦うことは体力的に無理があると判断され、ほどなく15歳の少年たちは除隊となります。従って、8月23日の新政府軍の城下侵攻に伴い、山川家が会津若松城に入った折には、健次郎は家族とともにありました。籠城戦中、山川家の女性たちも奮闘します。山川大蔵の妻・登勢子は落ちてきた砲弾を濡れ布団をかぶせて不発にしようとしますが間に合わず、破裂した砲弾の破片を受けて命を落としました。

会津藩が降伏する直前のこと。会津藩士たちは全員が殺されることを覚悟し、最も優秀な若者2人を逃がして、何とか会津人の血を後世に伝えようと考えました。そこで選ばれたのが、藩校日新館で秀才を謳われた山川健次郎と小川亮だったのです。2人は秋月悌次郎と親交のあった長州藩士・奥平謙輔が、書生として預かります。会津藩憎しで凝り固まる長州人の中にも、こうした人物がいたことは注目に値するでしょう。
やがて小川は明治陸軍に入って大佐にまで昇進、しかし若くして亡くなりました。一方、健次郎は明治4年(1871)、国費留学生として18歳でアメリカに留学、エール大学に学びます。健次郎は英語力をつけるため、わざと日本人が1人もいない田舎町に住んで、死に物狂いで勉強をしました。苦しかった籠城戦や、白虎隊として死んだ仲間たちの顔を思い浮かべては、歯を食いしばって奮起したと自ら記しています。健次郎は西洋文明を育てた科学に感銘を受け、大学では物理学を専攻しました。そして大学を最短の4年半で卒業し、物理学の学位を得ます。
帰国後、明治9年(1876)に東京開成学校(翌年、東京帝国大学に改編)の教授補に就任。明治12年(1879)、26歳にして日本人としては初めての物理学教授となりました。 明治21年(1888)、35歳の時に、東京帝国大学初の理学博士号を授与されます。そして明治34年(1901)、48歳で東京帝国大学総長に就任しました。一方、健次郎は兄の浩とともに、会津藩を賊徒扱いする歪んだ史観を打破しようと、『京都守護職始末』を執筆。 浩の死後の明治34年、これをもって会津松平家の困窮を救うための手許金を、宮中から下賜されることになりました。

健次郎は明治の世にあって、社会を正しく導く見識を持った人という意味で、「星座の人」と呼ばれ、多くの人から尊敬を受けたといいます。 しかし、明治37年(1904)、日露戦争が始まると、東京帝大総長でありながら陸軍に押しかけ、「一兵卒でいいから、自分を従軍させろ」と談判して、陸軍の人事担当者を困惑させています。白虎隊以来の、会津人としての国難に赴く血の熱さは常に持っていたのでしょう。
その後、健次郎は九州帝大、京都帝大の総長を務め、大正2年(1913)、再び東京帝大総長に復職しています。また健次郎は乃木希典の清廉潔白な生き方に尊敬の念を抱いていました。乃木もまた、健次郎の人物を認め、昭和天皇の皇太子時代の学問所委員に、健次郎を推薦した後に、殉死しています。

健次郎は生涯、質素な家で暮らし続けました。壁に架かるのは保科正之の「会津藩家訓」と、恩人である奥平謙輔の書のみであったといいます。
昭和3年(1928)、昭和天皇の皇弟・秩父宮の妃殿下として、松平恒雄の娘・節子(成婚後に勢津子と改名)が入輿されます。皇室に会津の血が迎え入れられたわけで、会津の人々からすれば会津戦争から60年経って、ようやく訪れた慶事でした。この成婚のために、東奔西走したのも健次郎でした。成婚した年の秋、健次郎は京都の黒谷で催された京都会津会の秋季例会に、松平恒雄、松平保男、林権助、柴五郎、新島八重らとともに参加しています。

それから3年後の昭和6年(1931)、健次郎没。享年76。 学問の世界で明治の世に大きく貢献した健次郎ですが、その生き方は、節を曲げることなく汚名を払拭するまで戦い抜いた、会津武士そのものであったといえるでしょう。










「仏説父母恩重難報経②」

2020-07-14 07:35:17 | 日本

◎求道者の報恩

孝養を行うということは、出家、在家を問わない。もし外に出て季節にあった美味な果物などを得たならば、持ち帰って父母に差し上げるのだ。父と母はそれを見て喜び、すぐに食べるのは忍びず、まずこれを三宝にめぐらせて感謝し、あるいは施しをするならば、すなわち無上に正しい道を求めようとする心(菩提心)がおきてくるだろう。
父と母に病があれば、その床の辺りを離れず、親しく自ら看護すべきである。親の病の癒えることを願い、常に恩に報いる心をもって、少しの間も忘れてはならない。

ただしそれだけでは十分ではなく、もし親が頑迷であり、道理にくらく、三宝を奉じようとせず、思いやりの心がなくて人を傷つけ、不義を行って物を盗み、礼儀なくして色欲にすさみ、信用なく人をあざむき、智にくらくして酒にふけっているならば、子はまさに厳しく諌(いさ)めて、そのような行いから覚め悟らせるべきである。もしそれでもなお、改めることが出来なければ、泣いて涙をもって自分の飲食を断て。そうすれば、かたくなな親であっても、子が死ぬことを恐れて恩愛の情にひかされて、強く耐え忍ぶ心を起こして道に向かうだろう。
もし親が気持ちを入れかえれば、一家全員が恵みの恩を受け、十方の神仏善男善女にこの親に対して敬愛の心を持たない人はなく、どんな悪い存在もこの親をどうすることもできないだろう。
ここにおいて父と母は現世においては安らかに穏やかに過ごし、後の世には善きところに生まれ、仏を見、法を聞いて長く苦しみを巡る輪から抜け出ることが出来るだろう。

このようにして初めて父と母の恩に報ゆる者となるのである。
さらに、父母のために贅沢な暮らしを用意すれば良いわけではない。もしまだ仏、法、僧の三つの宝を信じてもらえなかったならば、なおいまだ不幸と言わねばならない。思いやりの心があって施しを行い、礼儀正しく身を保ち、柔和な心で恥を忍び、努めて徳にすすみ、常に心を静かに落ち着け、学問に志を励ますものであっても、仏道を歩まなければ、ともすれば、誘惑に負け、堕落してしまうのである。
よって、出家者は独身で、その志を清潔にして、唯だ仏道に務めよ。よく考慮して、孝養の軽重緩急を知らなければならない。
およそこのようなことが、父母の恩に報ずることである。

◎結び

上記の説法後、アーナンダは、涙ながらに教えの名前を問う。
その問いに答えて釈尊は『父母恩重経』となづけ、一度でも読誦すれば、乳哺の恩に報じたことになると言い、また、もし、一心にこの経を念じつづけ、他の人にもこの経を念じさせれば、まさに、この人はよく父母の恩に報じたことになり、一生の間につくった十悪の罪、五逆の罪、無間地獄に堕ちる重罪も全て消滅して、無上道(最高のさとりの境地)を得ることができると言う。
この時、梵天、帝釈天、諸天、人民、ここに集まった全ての者が、この説法を聞いて、ことごとく菩提心をおこし、五体を地に投じて、涙を雨の如く流して、喜んだ。

◎経題について

大蔵経に収録されている本経の名称は『佛說父母恩重難報經 姚秦三藏法師鳩摩羅什奉詔譯』である。但し、関連書籍に挙げる主な参考文献に含まれる経題を見ても判るように、国内で流布しているのは「父母恩重経」である。










「仏説父母恩重難報経①」

2020-07-13 08:12:21 | 日本

「仏説父母恩重難報経」について学ぶ。


仏説父母恩重難報経(ぶっせつ ぶも おんじゅう なんほう きょう 佛說父母恩重難報經、一般に『父母恩重経』または『父母恩重難報経』ともいう)とは、ひたすらに父母の恩に報いるべきという、儒教的な人倫の教えを説く偽経である。

◎流布

この経の初見は、経録の「武周録」(『大周刊定衆経目録』)である。また、智昇は丁蘭や郭巨らの孝子の故事を引用した本があったことを記録している(「開元録」)。一方、円仁の「請来目録」によれば、西明寺の体清という僧に『父母恩重経疏』の著書があったことが知られる。敦煌文献中にも数種のテキストが見られ、講経文や讃文もある。日本には奈良時代請来とされるものが、正倉院の聖語蔵中の経典として収蔵されており、古くから日本にも伝わっていたことが知られる。

『大正新修大蔵経』には、巻16の「経集部3」に後漢安息国の安世高訳『佛説父母恩難報經』が収録されているが、現在流通している『父母恩重経』と比較すると、それは極めて短いテキストである。この安世高訳の初出は道宣の『大唐内典録』である。また、鳩摩羅什訳『佛説父母恩重難報經』とされるテキストもあり、こちらは、流通しているテキストとほぼ同じであるが、安世高訳本と同様、後世の仮託と考えられる。このように、本経が記録上に現われるのは、全て唐代の事であり、現在のところ、六朝代の記録には見ることが出来ない。
しかし、中国では宋代の大足石刻中に、父母恩重経の変相図を表現した造像が残っている。また、日本でも江戸時代に父母恩重経の内容を分かりやすく解説した対俗教化のための書物が盛んに出版されており、日中にかかわらず広く受容され、仏教の一般への教化啓蒙の一翼を担っていたことが知られる。その後、近代の文献学の発展とともに、その成立史的な面からも儒教色を濃厚に帯びた内容的な面からも、中国撰述の偽経であると認められるようになった。

◎道教の『父母恩重経』

母親による託児出産と乳哺養育の恩を詳述し、孝養の実践を説くことで知られる『父母恩重経』は、仏教と道教それぞれに類似した内容の経典が存在する。『道蔵』には三種類の『父母恩重経』が収められている。
  ・『太上老君説報父母恩重経』 最も古く、八世紀初期までに成立していたとみられる
  ・『玄天上帝説報父母恩重経』 報恩の思想的意義を説くもの、明代前後に成立
  ・『太一真一報父母恩重経』 孝行の方法や設斎(斎戒を修めること)・誦経などを具体的に説く、 明代前後に成立

◎概要

親の大恩を次のように十種に分けて具体的に教え、その恩に報いるために仏法の実践を促す。
  1.懐胎守護の恩
  2.臨生受苦の恩
  3.生子忘憂の恩
  4.乳哺養育の恩
  5.廻乾就湿の恩
  6.洗灌不浄の恩
  7.嚥苦吐甘の恩
  8.為造悪業の恩
  9.遠行憶念の恩
  10.究竟憐愍の恩

本文は一般的な経の形式をとり、仏陀がラージャグリハの近く、“鷲の峰”と呼ばれる山中(霊鷲山)にいたときに多くの出家、在家の仏弟子たちに下記のように語ったとする。
父には慈しみの恩あり、母には悲(あわ)れみの恩がある。人がこの世に生まれるのは、前世の業を原因として、父と母の縁によるのである。気を父の胤にうけ、肉体を母の胎内にあずけるのである。この因縁をもつゆえに、悲母の子を思う心は世間に比べるものはなく、その恩は未だこの世に生まれぬ先にも及んでいるのである。
わけて説明するなら、以下の十種の恩徳があるのである。
◎懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
始めて子を体内に受けてから十ヶ月の間、苦悩の休む時がないために、他の何もほしがる心も生まれず、ただ一心に安産ができることを思うのみである。

◎臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩
出産時には、陣痛による苦しみは耐え難いものである。父も心配から身や心がおののき恐れ、祖父母や親族の人々も皆心を痛めて母と子の身を案ずるのである。

◎生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
出産後は、父母の喜びは限りない。それまでの苦しみを忘れ、母は、子が声をあげて泣き出したときに、自分もはじめて生まれてきたような喜びに染まるのである。

◎乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
花のような顔色だった母親が、子供に乳をやり、育てる中で数年間で憔悴しきってしまう。

◎廻乾就湿(かいかんじつしつ)の恩
水のような霜の夜も、氷のような雪の暁にも、乾いた所に子を寝かせ、湿った所に自ら寝る。

◎洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
子がふところや衣服に尿するも、自らの手にて洗いすすぎ、臭穢をいとわない。

◎嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
親は不味いものを食べ、美味しいものは子に食べさせる。

◎為造悪業(いぞうあくごう)の恩
子供のためには、止むを得ず、悪業をし、悪しきところに落ちるのも甘んじる。

◎遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
子供が遠くへ行ったら、帰ってくるまで四六時中心配する。

◎究竟憐愍(くつきょうれんみん)の恩
自分が生きている間は、この苦しみを一身に引き受けようとし、死後も、子を護りたいと願う。


これらの父母の恩の重いことは、天に極まりがないようなものである。
ところが、すでに成長して他家の女性と結婚すれば、自分たちの部屋で妻とともに語り楽しみ、次第に父母をうとんじて遠ざかる。
敢えて頼み事をすれば、『老いぼれていつまでも生きているよりは、早く死んだほうがよいだろう』と怒って罵る。
父母はこれを聞いて、怨み、惑い、悲しみのあまり『ああ、お前は誰に養われただろう、私がいなかったら誰に育てられただろう、それなのに今となってはこのような目にあわねばならない。お前を生んだけれど、いっそお前など無かったほうがよかった』と叫ぶのである。
もし子にして父母にこのような言葉を発させたならば、神仏の力にすがることもできず、子はその言葉とともに地獄、餓鬼、畜生の中へ堕ちるのである。

以上の内容を讃(うた)を交えて語らせる。つづけて、アーナンダに求道者の父母への報恩について問わせ、以下のように答えさせる。










「生きる意味とは?について学ぶ」

2020-07-12 07:13:49 | 日本

5万部のベストセラー『生きる意味109』を書いた、長南瑞生です。
これまで色々なことで生きる意味に悩んで来られたと思いますが、生きる意味には答えがあります。

人は、色々なきっかけで生きる意味に悩むようになります。
苦しいことがなくても、日々に希望がもてず、死なないから生きている、という状況で、漠然と生きる意味に悩む場合もあります。
しかし、生きる意味が分からなければ、苦労した割に、意味のない人生になってしまい、最後に人生を振り返ったときに、「意味のない人生だった」と後悔することになってしまいます。
人生には制限時間があり、「光陰矢の如し」と言われるように、あっという間に過ぎて行きます。
一刻も早く生きる意味が分かるように、この記事を熟読するようにしてください。

◎生きる意味とは?

まず「生きる意味」とは、「人間に生まれた意味」ということです。
何のために人間に生まれてきたのか。

多くの人が生きる意味が分からない。
私たちは、何のために生まれて来たのかという、人生全体の生きる意味を知りたいのですが、
世の中には「生きる意味がない」と言っている人がたくさんあります。
例えば、ただ自然発生的に生まれてきただけで、生きる意味は特にないといいます。
「死にたくないから生きているだけ」という人もいれば、「人はいつか死ぬのだから無意味」
という人もあります。
たまに「生きること自体に意味がある」という人がありますので、「だからどんな意味があるの?」と聞きますと、その肝心の生きる意味は分かりません。
これは単に、頭が悪いとか、勉強不足で分からないというのではありません。
相当の知識人でも分からないのです。

◎知識人にも生きる意味は分からない

例えば人類発生から250万年の歴史を書いて、全世界200万部のベストセラーとなり、NHKクローズアップ現代でも特集された『サピエンス全史』でも、「人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで相変わらず不満に見える」とあります。
僧侶でさえも、「残念ながら生きる意味は存在しません。ただ生きて行くだけです」とか「生きる意味を考えるよりも、生きることに感謝して生きて行くほうがずっといいと思う」という人ばかりです。
では、仏教を説かれたお釈迦さまは、生きる意味を教えられていないのでしょうか。
仏教では、生きる意味をこのように教えられています。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
これは、多くの仏教の本の最初に載っている大変有名な仏教の言葉です。
最初の「人身」とは人間のことです。
「人身受け難し今已に受く」とは、「生まれがたい人間に生まれることができてよかった」という喜びの言葉です。
よくぞ人間に生まれたものぞという生命の大歓喜です。
人生の目的を果たすと、このように、「人間に生まれてよかった」という大満足の身になれるのです。
それは、色あせることのない喜びです。

◎人間に生まれた目的とは?

本当の自分とは?
「この身」とは、人間に生まれた自分自身のことです。
自分が生きる意味を知るには、その生きている自分とは何かをよく知らなければなりません。
私たちは、自分というものは生まれてから死ぬまでのことだと思っていますが、本当はそうではありません。
生まれる前、果てしない遠い過去から、死んだ後、未来永遠に続いていく、永遠の生命があります。
生まれる前を「前生」
生まれてから死ぬまでを「今生」
死んだ後を「来生」といいます。
そして、生まれ変わり、死に変わり、果てしなく苦しみ迷いの旅を続けています。
生まれ変わりといっても、人間だけではありません。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷いの世界、「六道」を生まれ変わり死に変わりします。
それは、あたかも車の車輪が同じ所をぐるぐるぐるぐる回るように、果てしなく生死を繰り返すので、「六道輪廻」といわれます。
その果てしなく苦しみ迷いの旅を続ける永遠の生命が、本当の私であり、「この身」なのです。
人間に生まれたときしかできないこと「この身今生に向かって度せずんば」の「今生」とは、人間に生まれている今のことです。
「度する」とは、この迷いの輪廻を離れることです。
「この身今生に向って度せずんば、さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん」とは、もし人間に生まれている今、この迷いの解決ができなかったならば、いつできるというのだろう。
危ないところを救われた、ということです。
なぜかといいますと、この迷いを離れる方法は、仏教にしか教えられていないのですが、仏教を聞けるのは、6つの迷いの世界の中でも、人間界だけだからです。

地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の4つの世界では、苦しみにせめられて仏教が聞けず、天上界では、楽におぼれて仏教が聞けません。
ですから唯一仏教を聞ける人間に生まれた目的は、仏教の教えを聞いて、この永遠の迷いの解決し、未来永遠の幸福になることだと教えられています。
人間に生まれた目的のことです。

◎チャンスはいくらでもある?

人間に生まれることは何億年に一度もない、有り難いことなのです。
その何億年に一度もない、生まれがたい人間に生まれたときしか果たせない、迷いの解決をすることが、人間に生まれた意味なのです。
ですから
生まれがたい人間に生まれ、聞き難い仏法を聞いた今、果てしない迷いを解決して、永遠の幸福にならなければ、いつ解決するというのか。
永遠のチャンスは今しかない。
何とかあなたも、生きている今、この人間に生まれた目的を果たして、決して後悔のないようにしなさいよ、ということです。















「香港を殺す国家安全法、明らかになった非道な全文②」

2020-07-11 08:25:56 | 日本

◎ないがしろにされた一国二制度

この法律に基づいて逮捕された被疑者への捜査、扱いも非常に厳しい。
「行政長官の承認を得て、国家安全に対する犯罪の実行に関与していると合理的に疑われる者の通信の傍受および秘密の監視を行う」とある。盗聴、秘密監視となんでもあり、だ。

また、裁判内容が国家機密に関わる場合は、裁判は公にされず、メディアも入れない秘密裁判となる。
第5章では、中央政府が香港に設立する国家安全維持公署(国安公署)の機能などが詳しく説明されているが、はっきりと「国家安全犯罪を法に基づき処理すること」と規定し、香港の要請と中央政府の承認を得て管轄権を行使することもできるとある。つまり中国当局が香港内で執法行為を堂々と行えるのであり、一国二制度の完全な否定である。また、中聯弁や解放軍香港駐留部隊と連携をとり共同で任務にあたる、ともいう。
さらに第56条には、中国の最高人民検察院が関連する検察機関を指定して検察権を行使し、最高人民法院が関連する裁判省を指定して司法権を行使する、とある。その場合、中国国内の刑事起訴法を適用することになる。つまり、被疑者を中国に送致して、中国の法律で中国の検察と司法が裁く、ということだ。

また国安公署の持つ権限は相当大きく、国安公署の車両や人員は香港の法執行官の捜査、取り調べ、押収を受けない、とある。国安公署は事実上のアンタッチャブルなのだ。情報機関として特務的な任務も負っているということなのか。あるいは香港の司法の枠外でよほどの非人道を行うつもり、ということなのか。
一応、被疑者に弁護人を指名する権利があることや一事不再理の原則など、もっともらしく言い添えられてはいるが、一読して、これを法といえるのか、と愕然とした。

◎民主派政治団体の活動は不可能

国安法の施行により、香港では政治運動はもはや壊滅だろう。
香港国安法の施行前に、香港民主派政治団体「デモシスト」の事務局長の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や、「蘋果日報」を発行するメディア集団ネクスト・メディアの創始者、黎智英(ジミー・ライ)が国安法施行と同時に逮捕されるという情報が一部で流れていた。7月1日夜の段階では無事のようだが、その懸念は完全にはぬぐえていない。

黄之鋒は自分が逮捕されることでデモシストの他のメンバーや支援者に影響が及ぶことを懸念してか、デモシストからの離脱を6月30日に表明した。同じくデモシストメンバーで社会運動家の周庭(アグネス・チョウ)やデモシストの初代主席で元立法議員でもあった羅冠聰(ネイサン・ロー)、デモシスト常務委員の敖卓軒も、同日相次ぎ前後してデモシストからの離脱を表明。主要メンバーの抜けたデモシストは解散を宣言した。デモシストは香港人による香港自決権を主張する穏当な政治団体で、秋の立法会選挙でも出馬が期待されていた。
デモシストだけでなく、同法の施行によって、この法律に批判的であったり、中国共産党の香港支配強化に批判的な主張の候補は立法会選挙への出馬資格がなくなり、またすでに公職についていたり公務員であっても、同法に批判的な言動により職を失う人が出てくるだろう。

◎香港国安法が広げていく世界の亀裂」

人民日報などは、香港国安法の導入によりデモがなくなり香港が平和で安定すると喜ぶ市民や財界人の声を取り上げている。米ニューヨーク・タイムズも「一部の財界人、銀行家が、国安法施行によってビジネスハブとしての香港の地位を高めるという北京の見方を支持している」と報じている。

実際、中国企業の香港回帰の動きが目立っている。例えば中国のEコマース大手の京東は6月18日に香港取引所に上場し、およそ300億香港ドル(約4200億円)を調達した。また、すでに米ナスダックに上場しているゲーム大手の網易(ネットイース)は6月10日、香港取引所で210億香港ドル(2900億円)の株式を公開した。他にも昨年11月ごろから、香港のテナントに中国企業が続々と入ったり、中国企業による香港経済テコ入れの動きが顕著だ。米中新冷戦構造の中で欧米市場に居づらくなった中国企業が香港に集中しそうな動きは確かにある。
だが実態は、中国版スターバックスと呼ばれ、一時飛ぶ鳥を落とす勢いのラッキンコーヒー(瑞幸珈琲)の不正会計が暴かれ、ナスダック上場廃止となった事件などもあり、欧米市場で中国企業への信用が著しく低下し始めるなか、在外中国企業が中国(香港)に回帰しようとしていると捉える方が適切だろう。経済のブロック化の動きが加速している、ということでもある。
これが香港の地位を高めることになる、と考えるのは中国だけだろう。香港の地位は、異なる価値観で動く経済をつなぐ役割を担えていたから輝いていたのだ。

米国はすでに香港に対する優遇政策を撤廃し、香港への防衛装備品輸出の終了などを表明している。また香港の自治破壊に加担した中国高官、香港高官に対する制裁も打ち出している。さらには、国際的な決済ネットワークである国際銀行間通信協会(SWIFT)から中国と香港の金融機関を排除するといった金融制裁措置に踏み切るのではないか、という見方も出てきた。
世界情勢の流れとしては、おそらく金融、経済、貿易の枠組みが米中を中心に引き裂かれていく動きは止められそうにもない。香港国安法は、中国にありながら法治と自由を謳歌していた香港を扼殺(やくさつ)したその力のままに、世界の亀裂をめりめりと広げていくことになるのではないだろうか。

7月1日、私は1日中、香港の死を思って、世界の分断を思って、沈鬱だった。だが、日本はまだ言論の自由も政治活動の自由も維持している。この自由をどのように行使していくか、その自由な言論や行動で日本や国際社会を少しでも良い方に導くことができるか、これを機会によく考えてみたい。

<了>











「香港を殺す国家安全法、明らかになった非道な全文①」

2020-07-10 05:58:33 | 日本

福島香織さん(ジャーナリスト)が、「香港を殺す国家安全法、明らかになった非道な全文」について投稿している。
以下、要約し記す。

香港国家安全維持法」(香港国安法)が6月30日に行われた中国全人代常務委員会で可決され、その日の午後11時をもって施行された。施行されるまでこの法律の全文は公開されなかった。しかも公開された法律全文が中国語のみで、英語のものはない。香港で施行される法律で英文がないものは初めてだろう。全文は施行と同時に中国の国営通信社、新華社が公開。内容は聞きしに勝る悪法であり、総則と全体は矛盾しており、外国にいる外国人や組織にまで適用するという。もはや法律の体をなしていない。

◎香港独立と書かれた旗の所持で逮捕

そして施行後1日もたたないうちに、この法律に基づいて最初の逮捕者が出た。7月1日のデモの参加者が「香港独立」と書かれた旗を所持していた、という理由で逮捕されたのだった。

7月1日は香港が英国統治下から中国に“返還”された記念日であり、この日に合わせて例年、民主化を求める万単位の大規模デモがある。だが今年(2020年)は新型コロナ肺炎の予防を理由にデモは許可されておらず、また香港国安法の施行日1日目ということから、デモ参加の呼びかけは行われなかった。だが、午後2時になると銅鑼湾あたりに数百人、数千人規模の市民が自然に集まり、比較的静かにデモ行進した。「香港独立」や祖国中国との統一を阻むようなスローガンは香港国安法違反になるので、「私たちは本当に香港がめちゃくちゃ好きなんだ」という穏当なメッセージの横断幕を掲げて行進。まるで故人の死を悼み悲しむような、悲痛な、香港の葬式のようにも見えた。
だが、そんな風に横断幕も香港国安法に配慮しているにもかかわらず、香港警察4000人以上が鎮圧に投入され、デモ開始からわずか数時間のうちに70人以上が逮捕された。最終的に300人以上が逮捕され、少なくとも9人が国安法違反で逮捕されたという。うち最初の1人は、カバンの中に「香港独立」の旗を隠し持っていた、というのが逮捕理由だという。
警察が掲げる警告旗にも新たにパープルフラッグができた。それはデモ隊に向かって「使用している旗や横断幕、シュプレヒコールに国家分裂、政権転覆の意図があり、国安法の犯罪を構成するものとして逮捕・起訴される可能性がある」と告げるフラッグだ。

◎外国人による人権問題批判も取り締まり対象に?

国安法には、「香港の言論、報道、出版の自由、結社、集会、デモの自由を含む権利と自由の享受を保障する」とあるが、同時に「自由を求める自由」を禁じる法律でもあった。
法律の中身を簡単に紹介しよう。
国安法で裁かれる犯罪は4種類。「国家分裂」「国家政権転覆」「テロ行為」「外国または域外勢力との結託による国家安全危害」(の組織、計画、実施、参与、ほう助、出資など)である。いずれも主犯や重大な罪については最高無期懲役から10年以上の懲役。軽くても3年以下の懲役か刑事拘留、管制とよばれる、青少年に対する感化院入りやボランティアや社会労働を通じての更生が行われる。
「国家分裂」に関しては、「香港および中国その他の地域」も範疇に入っているので、香港と中国の分離を主張する言動だけでなく、ウイグル、チベット、台湾の独立や中国との分離に関する言動も「武力を使用する、あるいは使用すると恫喝する、しないにかかわらず」犯罪とみなされるという。つまり香港では、ウイグル、チベット、台湾の問題についても自由な議論は封じ込められる。
「テロ行為」は、まさに勇武派デモが行っている「政治的思想を実現するため」の暴力行為全般を含めているので、勇武派デモ隊をテロ組織として鎮圧する口実になる。
 日本人として気になるのは、「外国勢力との結託による国家安全危害」が何を指すのだろう、ということだ。
第29条では、「外国、外国の機関、組織、その人員のために国家の秘密または国家の安全に関する情報を盗み、探り、買収されて違法に提供すること、外国もしくは外国の機関、団体もしくは個人にその行為を依頼した者、外国もしくは外国の機関、組織、その人員と共謀してその行為を行うこと、外国もしくは外国の機関、組織、人員から直接もしくは間接に指示、コントロール、資金その他の援助を受けて、以下の行為を行うことは、犯罪である」と規定し、具体的に以下の5つの例を挙げている。

(1)中国に対して戦争をし、武力もしくは武力の威嚇によって中国の主権、統一及び領土の完全性に重大な危害を及ぼすこと。
(2)香港政府または中央政府による法律や政策の策定・実施を著しく妨害し、重大な結果をもたらすおそれのあるもの。
(3)香港の選挙を操作し、混乱させ、潜在的に重大な結果をもたらすこと。
(4)香港または中国に対する制裁、封鎖その他の敵対的行為。
(5)様々な不法な手段を用いて、香港の住民の間で中央人民政府または香港政府に対する憎悪を募らせ、重大な結果をもたらす行為。

今回の法施行を批判して中国や香港に制裁をかけようとしている米国などは、まさにこの条文が示す「外国」の敵対勢力だろう。日本も、米国と足並みをそろえて制裁に動けばその範疇に入るかもしれない。
いやな感じがするのは(5)で、「香港の住民に中国や香港政府への憎悪を募らせる」言動というのは、中国の人権問題や非人道、不条理を、外国のNGOや人権団体とともに批判することも含めようとすれば含められるのではないか、ということだ。
さらにいやらしいのは、減刑規定で、自白や自首以外に、「他人の犯罪行為を暴いて検証に協力し、事件の捜査の重要な手がかりを提供する場合」と密告奨励を含めていることだ。

またこの法律の適用範囲は非常に広く、第38条「香港特別行政区の永住者の資格を有しない者が、香港特別行政区の外で香港特別行政区に対してこの法律に基づく罪を犯した場合に適用される」とある。つまり外国人が外国で、香港住民に中国や香港政府への憎悪を募らせる言動をした場合もこの法律が適用されうる、ということになる。しかも適用場所は、香港に登録されている飛行機、船舶上にも及ぶ。