龍の声

龍の声は、天の声

「選挙の神様”が挑んだ史上最大の作戦②」

2019-07-31 05:39:19 | 日本

◎「やっぱり足りない。日程表出せ!」
 
二十数年後に「参院の天皇」と呼ばれることになる村上正邦(81)も、角栄の忠告に背いた一人だ。

「キミ、1万5000票足りないよ!」

全国区の新人候補だった村上は山東と並んで座り、そう説教を受けた。それでも、宗教団体・生長の家の票をもう一人の候補者と折半し、当選ラインとされた55万票は取れると高を括っていた。一方の角栄は「投票率が上がるから当選できない」と踏んでいた。

「やっぱり足りない。日程表出せ!」

公示後も、角栄は各地遊説中の村上を探し当て、電話をかけ続けた。

「ところで、福岡にはいつ入る?」

それは、福岡出身の村上に九州電力の支援をつけようという意味だった。

だが、自民党内で田中派と対立する福田派に属していた村上は派閥の体面を気にし、折角の申し出を断った。

最終的に山東は120万票を獲得し、全国区(改選議席54)の5位で当選、山口はギリギリの46位。村上は2万票ほど足りず、落選した。

全て、角栄の言った通りとなった。

精度の高い情報こそが「選挙の神様」の力の源泉だったが、それはインテリジェンスの賜物でもあった。

かつて、党本部7階には畳の間があった。選挙が近くなると、そこで他言無用の謀議が繰り広げられたという。

「各候補にABCでランクを付ける作業を少人数でこっそりと行うのです」

その頃、幹事長室に詰めていた元党職員の奥島貞雄(78)はそう明かす。

あるベテラン党職員が全国を歩き、候補者の人脈や組織、評判を調べ上げ、当落予想を弾き出す。その極秘資料は幹部向けに数部だけ複製された。

その党職員は、兼田喜夫という。兼田は歴代総裁の中でも角栄には特に入れ込んだ。戦時中、満州で「田中二等兵」の素質を見込んだ中隊長が、彼だったのだ。戦後、2人の立場は逆転したが、無礼講で酒を飲む関係は続く。

40年前から党の専属カメラマンを務める岡崎勝久(70)は証言する。

「兼田さんはあの参院選中も遊説先にひょっこりと現れて、角さんの袖を無造作に掴んで、聴衆に混じる戦友の元まで連れて行く姿を何度も見ました。中隊長と二等兵の関係、そのまんまでしたよ」


◎新兵器はヘリコプター
 
角栄は「上官」の後方支援を受ける一方、自ら編み出したスタイルで結党20年来の慣習を壊した。

当時の発表によると、公示前の5月11日から7月6日までの約2か月、4万キロを移動し、46都道府県、147か所で演説した。昨夏の参院選で安倍晋三が回ったのが2万キロ、36都道府県だから、いかに並外れた作戦だったか想像が付くだろう。

新幹線は東京~岡山のみ、高速道路は東名と名神しか開通しておらず、北海道と四国は本州とつながっていない時代である。飛行機の場合は、特別機をチャーターしていた。空港から会場までは交通規制を敷かねばならない。

そのため、佐藤栄作時代までの総裁遊説は1日1か所1回が限界だった。

その壁を打ち破った「新兵器」は、山東の応援にも登場したヘリである。

計画を立てたら、警官の動員も少なくて済み、2年前の衆院選よりも4倍も多くの演説がこなせるではないか。

「それと、ヘリを使ってまで勝たせたい候補なんだというメッセージにもなる。リーダーの必死な姿を見せれば、候補者も支援者も自分の能力をギリギリまで引っ張り出そうとする。そういう田中イズムを全国展開して流れを作ろうとしたのです」(前出の中村)

さらに、角栄たちが選んだのは、並みのヘリではない。一度に大人数を運べる大型の双発機「バートル」だった。民生用の同型機は日本に3機しかない中でなんとか2機所有する岐阜の業者を探し当てたのだ。

党本部から打診を受けた、業者側の担当者である長久栄夫(72)は語る。

「当時は発電所の建設ラッシュで、送電鉄塔用の巨大な資材を運ぶのに大忙しでしたので、急に2機欲しいと言われて困ったなあという印象でしたね」

前代未聞の試みが始まった。殺風景なキャビンに絨毯を敷き、航空機用の座席を取り付けた。25人乗りの豪華サルーンに化けた2機は、総理用と番記者用に分けて飛ばすことにした。

1日の利用で会社員の平均年収を超えるため、野党は槍玉に上げた。

「それでも総理が行くと決めたら、当時は誰も逆らえませんよ」

と、党に作られた総裁遊説班の副班長だった森英二(73)は述懐する。

「田中さんは、飛行中は常に下を眺めていました」











「選挙の神様”が挑んだ史上最大の作戦①」

2019-07-30 05:15:54 | 日本

常井 健一さんが「選挙の神様”が挑んだ史上最大の作戦」について掲載している。
以下、要約し記す。



令和元年の夏、3年に1度の参議院通常選挙が行われる。国政政党の党首たちは17日間にわたる期間中、全国各地をくまなく行脚し、それぞれが目指す「国のかたち」を国民に直接訴える。

第一次安倍政権が突然に倒れた2007年のように、結果次第では政権の致命傷になりかねないのも参院選特有の怖さだ。空前絶後の人気を誇った田中角栄も首相時代の45年前、夏に行われた参院選をきっかけに退陣に追い込まれた。

「選挙の神様」として語り継がれる宰相は、なぜ派手に転んでしまったのか――。

当時、角栄は政権与党が持つあらゆる資源を総動員させて反転攻勢を仕掛けたが、ことごとく裏目に出てしまった。満身創痍で挑んだその全国行脚の足跡を40年後に丹念にたどった、

「選挙の神様」は、なぜ総力戦で敗れたのか
 
今からちょうど40年前の1974年初夏、田中角栄は総理就任から2年の節目を前に、参院選(6月14日公示、7月7日投開票)に臨んでいた。


◎「来るなと言われても私は行く!」

そう叫びながら全国を回り、2年前に後退した衆院選時よりも4倍多い、150万人の聴衆を集めたという。

自民党は参院過半数維持のため、改選議席130のうち63が必要だった。ところが、投票率は史上最高の73%、結果は62に終わり、与野党逆転が現実味を帯びた。党内では三木武夫や福田赳夫は閣外に出て角栄批判を大展開。田中内閣の命脈は尽きた。

「選挙の神様」と呼ばれ、空前絶後の人気を誇った角栄が、なぜ総理のクビを賭けた総力戦で敗れたのか。

これは、いまだに答えが出ていない戦後屈指のミステリーなのである。

角栄の評伝は枚挙に暇がないが、大半が「五当三落(5億円集めた候補は当選、3億円では落選)」という言葉を用いて異常な金権選挙と記すのみだ。

あれほど角栄の表と裏が露わになった出来事はないと、あの蒸し暑い梅雨の選挙戦を知る党関係者は口を揃えるが、手掛りとなる資料は手元に残していない。

「田中さんは特異なキャラクターであったが故に誤解が複雑に被せられていて、未だに実体が伝わっていません」

 衆院議員の中村喜四郎(65)は言う。

76年、衆院旧茨城三区から27歳で初当選した中村は、田中派のプリンスとして頭角を現し、宇野宗佑内閣で戦後生まれ初の入閣を果たした。

ところが、94年、ゼネコン汚職事件に絡む斡旋収賄罪で逮捕。上告棄却後、2003年に失職・収監。だが、服役中を除けば、初当選から今まで実に12戦無敗なのである。

その類まれなるしぶとさは、ロッキード事件で逮捕後もトップの得票で5戦全勝した角栄を髣髴とさせる。


◎「とにかく『基本』を訴える人でした」
 
事件発覚から20年も報道機関の取材を避けてきた中村が、話を続ける。

「現在進行形の政治家である間は過去を語りたくなかった。罠にかかった、ああされた、こうされた、と言い訳ばかりを聞かされてはみんなうんざりするでしょう。田中さんも同じで、一切弁解しなかった。だから有権者は最後まで応援したし、亡くなって20年経った今でも根強い人気がある」

中村は大学卒業後、田中事務所の門を叩く。そして40年前の敗北劇を傍で見ながら、ある鉄則を学び取った。

「『選挙の神様』だとリアルに感じたことはありませんが、とにかく『基本』を訴える人でした。あまりに単純なこと、学ぶまでもないことを気が遠くなるほど丁寧に続ける。それを聞き流した人は政治的に恵まれぬまま終わり、盗み取ろうとした人は選挙に勝ち抜いて、表舞台に生き残りましたよ」


◎「選挙はタイミングだ」
74年6月6日朝、党本部の一室。角栄は全候補者に総計6億5000万円の公認料を手渡す前、訓示を垂れた。

「選挙がスタートする時には票読みを教えます。私は25年もやってきた選挙の商売人だ。誤差は2%しかない」

この決起大会に集められた95人中、現在も永田町に生き残るのはただ一人、参院議員の山東昭子(72)だ。

選挙の1年前、衆院二回生の渡部恒三(82)は、一度だけ食事したことのある山東に声をかけた。幹事長の橋本登美三郎からこう迫られたからだ。

「総理が今回の全国区は『女』だと言うんだ。女を探すなら、渡部君しかいない。そう、みんなが言っている」

人気投票に似た全国区では、前回、キャスターの田英夫(社会)が1位、歌手の安西愛子(自民)が2位だった。組織力で革新勢力の後塵を拝する自民党は、浮動票の受け皿を求め、今回も有名人を担ごうとした。渡部は、その目玉候補として若き知性派女優の山東に照準を定めたというわけだ。

数日後、山東は角栄と向き合った。

「どうだ、政治をやってみないか?」
「政治学すら学んだことありません」
「どの道だって最初からプロはいないよ。しかし、選挙はタイミングだ」

山東は出馬を決断したが、「選挙の商売人」の角栄は知名度だけで勝てるほど選挙は甘くないと知悉していた。

だが、山東は芸能活動を続けた。

NHKアナウンサーの宮田輝や女優の山口淑子も出馬すると聞いていたが、かたや紅白歌合戦の司会を射止め、こなた「3時のあなた」の司会を続けているではないか――。

後日、山東は角栄に呼び出された。

「君の演説は女優が喋っているようにしか聞こえないぞ。早く引退して候補者として、国民に語りかけなさい」

 その話を信じ、山東は引退した。

中村の言う通り、角栄は自らの流儀に従う人間には支援を惜しまない。陣営に副幹事長の竹下登や渡部を指南役として送り込み、角栄の署名入りで彼女を宣伝する葉書の束も用意した。

さらに、彼女のお披露目も設けた。

経済界の人と金を注いだ
パタパタパタパタ……。

選挙戦序盤、茨城県日立市に2機のヘリコプターが轟音と共に現れた。

野球場の客席を埋める5000人が一斉に見上げると、アナウンスが響く。

「ただいま総理が到着しましたー」

角栄は街宣車の上で山東を隣に立たせ、あのダミ声でがなり立てた。

「戦時中、働き口がなく、海外へも飛び出した。しかし、戦後30年、働きたい者は職にありつけ、月給も上がったじゃないですか!」「社会、共産は公害などを出す工場を潰せと言うが、働く所がなくなったらどうする!」

白い手袋で握り拳を作り、激しい手振りと同時に足を勢いよく踏む。街宣車は縦に揺れ、聴衆は圧倒される。

1時間以上の独演会が終了すると同時に万歳三唱が巻き起こる。その中を角栄は得意満面で退場していく。

しかし、舞台裏の角栄は恐ろしく冷静に票読みを周囲に説くのだった。

「集まった人の3分の1は我が党の支持、あとの3分の1は浮動票、残りは、まあ、反対票でしょうな」

実は、聴衆の大半は電機大手・日立製作所の社員であった。なぜなら、社を上げて山東を応援していたからだ。

当時、狂乱物価の影響などで内閣支持率は低迷。そこで角栄は奇策に打って出た。幹事長名で2000社に支援を要請し、角栄のコネで就職した企業人で作る「誠心会」もフル回転させた。そして、組織が脆弱な候補者に、経済界の人と金を注ぐ戦略を実行していく。

前出の宮田にはトヨタ、元全日本女子バレー監督の大松博文には東芝や出光など、山東には日立の他、コカ・コーラ、ヤクルトが全面支援した。

一方、公示直前まで芸能活動を続けた山口には大企業を付けなかった。














「これは静かなる有事だ…2045年のヤバ過ぎる日本の未来」

2019-07-29 17:59:48 | 日本

井戸まさえさんが「これから日本が直面する「無子超高齢化」の厳しすぎる現実」について掲載している。
以下、要約し記す。



◎東京は3人に1人が高齢者に

令和の日本は、これまで世界が経験したことのない極めて深刻な人口減少・少子高齢化に見舞われる。日本全体で人口が2000万人減ったその時、思いもかけないニッポンの姿が浮かび上がる。発売中の『週刊現代』では、その変わりゆく姿について特集している。


◎人口増の東京も老人ばかりに

歴史を辿れば、日本は過去、3度の人口減少・停滞期に見舞われている。1度目は縄文時代後期、2度目は平安時代後期、3度目は江戸中期。いま、令和の日本が直面しているのは、4度目の人口減少期だ。

ただし、過去の人口減少と今回のそれには大きな違いがある。これまでの人口減少が気候変動による「一時的なもの」だったのに対して、今回のそれは、日本が消滅しかねないレベルの急速かつ「終わりの見えない減少」ということだ―。

〈人口自然減 初の40万人超え〉
〈'18年に生まれた子供の数は91万人で過去最少〉
6月7日、厚生労働省が発表した'18年の人口動態統計には、少子高齢化と人口減少が深刻なレベルで進行していることを示す数字が並んだ。
「想定されていたこととはいえ、最悪のコースをたどっています。政府はこれまで少子化対策や地方創生という名目で数兆円を使ってきましたが、成果が上がらなかったと認めるべきでしょう」

こう話すのは公益財団法人・日本国際交流センター執行理事で『限界国家』などの著書がある毛受敏浩氏だ。

「いま日本で起こっている人口減少の深刻さは、砂時計に例えるとわかりやすい。地方で人口が減り始めて、大変なことが起こっていると認識している反面、『まだ大丈夫だろう』と安心している。

しかし、砂時計は、最後のほうになるとあっという間に砂が流れ落ちてしまいます。このまま人口減少が進めば、まるで砂時計のように一挙に地方都市が消滅しかねないのです」
 
日本で進行する人口減少・少子高齢化を「静かなる有事」と名付け、『未来の年表』シリーズなどを通じて警鐘を鳴らしているのは、ジャーナリストの河合雅司氏だ。河合氏もまた、日本人は人口減少にもっと危機感を抱くべきだ、と指摘する。

「日本が少子高齢化・人口減少社会に突入したことは、誰もが知る『常識』になりました。しかし自分の住む地域や、近隣の大都市がどのように変貌するのかをわかっている人は少ないはず。
そこで、'45年の日本の現実を、地図にして示しました。それが『未来の地図帳』です」

『未来の地図帳』を開きながら、日本の哀しき未来図を見ていこう。


◎3人に1人が65歳以上

現在のペースで人口減少が進むと、'45年の日本の人口は、1億人程度にまで縮むと予測されている。30年近くで約2000万人以上の日本人が消えてしまうわけだ。
主要な都道府県別で減少幅を見ていくと、

北海道538万人→400万人(138万人減)
宮城233万人→180万人(53万人減)
千葉622万人→546万人(76万人減)
神奈川912万人→831万人(81万人減)
静岡370万人→294万人(76万人減)
愛知748万人→689万人(59万人減)
京都261万人→213万人(48万人減)
兵庫553万人→453万人(100万人減)
広島284万人→242万人(42万人減)
福岡510万人→455万人(55万人減)
鹿児島164万人→120万人(44万人減)

と、軒並み数十万人単位で人口減少が進む。
そんななか、唯一「人口が増える」と予測されるのが、首都・東京だ。'45年には現在の約1351万人から、1360万人に人口が微増するとみられている。
 
ただし、人口が減らないからといって、その未来は決して明るくない。河合氏が解説する。
「全国で人口減少が進む中で、東京には仕事と都会的な生活を求めて、全国各地から若者たちが吸い寄せられるように集まってくるでしょう。しかし、二つの要因から、それを上回るスピードで高齢化が進むのです。

一つは、現在東京に住む団塊世代の高齢化が急速に進むため。たとえば練馬区と足立区では、'25年に65歳以上の区内の人口割合が25%を、75歳以上の割合が15%を超えます。
もうひとつは、地方で一人暮らしを続けてきた高齢者が、東京圏に住む子供や孫を頼って大幅に移住してきます。元気なうちに、子供たちのいるところに引っ越そうと東京に集まってくるのです。

この二つの理由から、東京の65歳以上の人口は今後増え続け、都内の高齢者人口は'15年の約300万人から、'40年には約400万人に膨らみます。つまり、都民の約3人に1人が65歳以上の高齢者になるのです」





◎税負担は1・67倍に

高齢者急増都市・東京では、一体何が起こるのか。明治大学政治経済学部の加藤久和教授が言う。

「いまの東京も多摩ニュータウンなどを中心に高齢化が進んでいますが、東京全体が『多摩ニュータウン化』していくことになります。具体的な問題として、医療と介護施設が圧倒的に不足することになるでしょう」

若者中心の街づくりで発展してきた東京には、高齢者を受け入れる医療機関や介護施設が少なく、'17年時点でも人口10万人当たりの病院の数、介護施設の数が全国平均を下回っている(前者は全国平均が6・56に対して東京は4・75。後者は全国平均13・22に対して東京は10・92)。

病院も介護施設も1年や2年で急増するものではない。そんななかで高齢者が急増すれば―。厚労省の試算では、'25年度時点で東京の介護職員の数が3万5000人不足することになるという。
 
また「高齢化が一気に進む東京では、働き手の住民税負担が重くなる」と指摘するのは、政策研究大学院大学の松谷明彦名誉教授だ。

「高齢者を支えるための十分な福祉政策を各自治体が維持しようとすれば、増税するしかありません。'15年に東京で働いている人の税負担を1とした場合、いまの行政サービスの水準を維持するために必要な負担率は、'45年に1・67にまで膨らみます。島根県では1・36なので、東京のほうが島根などの地方よりも税負担は大きくなるのです」

持病に苦しみながらも病院で診てもらうことができない親と、それを介護しながら、重い税金に苦しむ人であふれる街。それが日本の首都の未来なのだ。

発売中の『週刊現代』ではこのほかにも、「日本人がどんどん減って大阪が外国人だらけになる」「横浜から若い男だけが消えていく」「もう二度と子どもが生まれない村の出現」など、ニッポンの未来について大特集している。









「これから日本が直面する「無子超高齢化」の厳しすぎる現実」

2019-07-05 06:02:44 | 日本

「老後2000万円」問題を考える

井戸まさえさんが「これから日本が直面する「無子超高齢化」の厳しすぎる現実」について掲載している。
以下、要約し記す。



◎老後2000万円必要」発言の余波

老後の金融資産が約2000万円必要とする試算を盛り込んだ金融庁の報告書に対し、諮問をした麻生太郎金融相が「正式な報告書として受け取らない」と発言、さらには森山国会対策委員長が「この報告書はもうなくなっている」と火消しをしようとしたが、逆に問題が拡大している。
菅官房長官は「公的年金は将来にわたり持続可能な制度を構築しており、年金こそが老後の生活設計の柱だ」と年金制度に問題はないと強調するも、騒動を止めることはできていない。
なぜか。当然ながら「年金」はすべての国民の関心事で、老後の生活基盤そのものだからだ。
 
ただ、今回指摘されるまでもなく、公的年金制度は制度的問題を抱え、幾ばくかの貯蓄等が必要だということは、程度の差こそあれ、これまでも誰でもが感じていることだっただろう。
しかし、今回、金融庁という公的機関から現実に「2000万円」という数字が発信されたことで、ぼんやりと思い描いていた不安が、老後に備えている層も含めてリアルな数字として迫ってきたからこその「炎上」である。

その発火点は麻生財務大臣が「オレが産まれた頃の平均寿命は幾つだったか、知ってるか?」といつもの上から目線の口調でいい「47歳です」と得意げに答えた時だ。
麻生大臣が産まれたのは戦時中の1940年だ。戦死者がいる中での数字を持ってくるとは。それで国民を納得させようとする姑息さ、そして納得するだろうと思っている不遜さ。「詭弁」を使って、ごまかそうとしていることを敏感に感じ取ったのである。


◎長寿化と金融商品

さて、麻生大臣が指摘する平均寿命は終戦直後こそ50歳だったが、その3年後の1948年には男性55.60(女性59.40)歳、1951年には60.8(64.90)歳となり、1971年に70.17(75.58)と70歳台に突入、直近は2018年の81.09(87.26)となっている。長寿化はすでに70年代から予想されていたことなのだ。

それを示すのは新たな金融商品の登場だ。老後生活資金準備へのニーズが増大したことで、「医療保障」だけでなく老後を生きるための「生活保障」が求められるようになる。そして、1979年以降、保険会社各社は相次いで「個人年金保険」を発売し始めたのだ。


1984年には個人年金保険料控除制度が創設され、税制面での優遇措置もあって「養老保険」「終身保険」「個人年金保険」といった貯蓄性商品が積極的に売られていく。

それらに加入した人たちは公的年金だけでは老後望む水準の生活を過ごせるかどうか、また平均寿命が延びる中、自分たちの老後がいつまで続くかも不安だからこそ、貯蓄や投資を行ったのである。

ことほど左様に歴史的経過を見ても麻生大臣が言うように「いきなり100って言われて」というのは不見識である。少なくとも、30〜40年前から国民は「長生きする金銭的リスク」に関しての認識していたのだ。

ただ、公的年金だけでは老後は保障されないとわかりながらも、さすがに「最低限の暮らし」ぐらいは確保できるだろう等、どこかで「国のやることだから、最後は大丈夫」と思う、いや思わせて欲しいとの願望も含めた気持ちが、逆に自民党政権の継続を選ばせてきたのかもしれない。
 

◎1.57ショックと「老後破産」

「私、二十七歳、フリーライター。またしても保険なんかに加入してしまった。しかも年金保険という最もみっともないと思っていた種類の保険に入ってしまったのだ」
今の話ではない。ちょうど30年前に話題を集めた「結婚しないかもしれない症候群」(谷村志穂著・主婦の友社)の一節だ。

昭和が終わり、平成が始まった1989年に合計特殊出生率が1.57となる。迷信による「産み控え」があった丙午の1.58を下回ったことは衝撃をもって受け止められた。

子どもがいなくなり、少子化が進めば社会保障、特に年金は立ち行かなくのではないか。「少子」と「高齢化」の因果による「老後破綻」が初めてリアルに意識された時かもしれない。
そこで注目を集めたのが「結婚するかもしれない」けど「しないかも」、「子供も生まないかも」と、それまでの社会の結婚圧力から解き放たれた若い女性たちの存在だった。

それから30年が経つが、驚いたのは同著が「年金保険」について言及していることだ。
谷村氏は「ほんの取材のつもり」で電話をしたら、仕事場にセールスレディがやってきて30分後には「年金保険」の契約書に判子を押していたことを臨場感あふれる文章で綴る。当時の保険会社の勧誘の言葉はこう、だ。

「国民年金はですね、現在の段階で一人あたり月々六万円程度しか支給されないんです。これが将来に二十年後になりますと、おそらく二万円程度になります。お小づかいにもなりませんね。
(中略)
年金なんて一昔前は四十歳代になって初めて考える方が多かったんですけど、最近は違います。この七月からは加入開始年齢が二十歳まで下がったんですが、加入者がいるんですよ、これが。二十歳から年金に入ってしまうかたが実に多いんですから」(同著・原文ママ)
 
谷村氏が入った年金保険の毎月の保険料は、月々1万6千円だという。20歳から60歳まで払うと年金保険料は総額で768万円である。

一方で60歳から10年間、一年300万円ということは全額3000万円となる。768万円払って、3000万円の戻り。

物価スライドを反映しない民間の年金保険はリスクも高いと言われるが、こうなると運用等も含めて、一体公的年金はどうなのかと、不信・不満が募るだろう。

ちなみに1989年当時の国民年金の額は月々7700円(現在は1万6410円)。民間保険料とは約2倍の差があるし、国民年金や厚生年金は世代間の相互扶助だとわかっていても、この差を見ると「納め損」的感覚をもってしまうのもわかる。
現在56歳前後となったこの世代。当時個人年金に加入していたならばあと4年もすると受け取りの時期がやってくる。

悠々自適かと思いきや、周囲に聞くと勢いで加入したものの高騰する教育費等を理由に途中で保険を解約したり、貸付ですでに出金したりしているケースも少なくない。
バブルの頃には「一時払い養老保険」等で貯蓄運用を行なっていた学生も多かったことを考えると、30年前はそこまでリアルでなかった「老後破綻」の危機を煽りながら年金がらみの「財テク」金融商品が開発され、売り込まれてのかもしれない。

そして、結果的にその未来予想は「少子高齢化」を超えて「無子超高齢化」として的中しつつあるのだ。


◎「無子高齢化」の恐怖

先日発表された昨年の出生数は91万人、合計特殊出生率(1人の女性が産む子どもの数)は1.42、死亡した人の数から生まれた子どもの数を差し引いた減少幅は11年連続で過去最大となったと発表された。

このニュースは新聞各紙の一面に掲載されたものの、特段の反響もなく、ある意味少子化が「当たり前」の事実として受け止められていることを示している。
 
日本の人口は一年で40万人減少している。規模で例えるなら長崎市、高松市、柏市といった規模の行政区が丸ごとなくなっている、ということだ。
毎年500校もの小中高校が廃校になっており、すでに「出生児数がゼロ」が一年半に渡った京都府笠置町のような自治体も出現している。

たとえば今すぐに合計特殊出生率が人口置き換え水準の2.07になったとしても、そもそも出産可能年齢の女性の人口が減っているから、日本の人口減少は50年以上止まることはない。
現在100歳以上の高齢者は約7万人だ。2040年には高齢者一人に対して20〜64歳の現役は1.4人しかいない。1970年には8.5人、75年には7.7人だった。
ちなみに1975年と2040年の人口規模はほぼ同じ。だが社会の構造は大きく違う。何が起こるかは、推して知るべし、である。

働き手が少ないから、出前や24時間営業等を含めて今まで当たり前に受けていたサービスは今後、続々と不可能になっていくだろう。家族同士の扶助も難しくなってくる。

そうした中で社会保障などのセーフティネットの存在は、ますます大きくなっていくのは自明だ。そしてそれは「多くの他人」との連携で成立するものであるが、通常その姿を感じることはない。
両者の間には「政府」「国」があり、代替して国民同士の世代間扶助の仕組みを作っている(はず)だからだ。

それが「政治」の役割だが、麻生氏をはじめとしたアクターとしての政治家は、語れば語るほど結果的には「国民に対して見せたくない真実がある」ということを示してしまう。
最も隠したいのは、「支える他人」が消えていっていることだ。
公的年金制度の行き詰まりは、主として自民党が推進してきた少子化対策大失敗の歴史の責任であることが、老後の痛みとして国民に自覚されることを避けたいのである。
 
「年金こそが老後の生活設計の柱だ」と言いながらも、その支え手を人為的に消し去ってきた責任は誰一人取らないまま、「『老後破産』のリスクの回避のために2000万円を作りましょう!その際には税制面で一定の優遇措置がある「つみたてNISA」と「iDeco」がオススメです!」と言われても、そりゃないよね、それならまずは公的年金をどうにかしてくれ、と言うのが国民の本音だろう。

加えて、2000万円問題が出てからの政治家の発言の右往左往は、そもそも公的年金の制度設計の過程にも疑念を持たせるに十分なものになった。
今回のドタバタのように、行き当たりばったりで都合のいい数字は使うが、それ以外は「なかったこと」にしてしまっているのではないか。

このところの公文書管理やデータ改ざん問題他で抱いた不信もあり、国民の老後を守るどころか、意図的に破綻がわかっていてもそのまま突き進んでいるのではないか、との印象を与えるにも十分なものとなった。
「2000万円」という具体的な数字が語る未来はそれがリアルだからこそ、彼らの不実をあらわにしたとも言える。
この「炎上」は公的年金制度の設計・管理者たちが適当であるのかを国民に問う、崖っぷち、最後の機会かもしれない











「投票率低下は当然、日本の選挙は規制が多すぎる」

2019-07-04 06:29:32 | 日本

筆坂秀世さんが「投票率低下は当然、日本の選挙は規制が多すぎる」と題して掲載している。
以下、要約し記す。



間もなく参院選が公示になる。各政党や候補者は必死の戦いを行っていくことになる。だが重要な国政選挙が始まるという雰囲気がまったくない。これは私だけではなく、多くの人がそう感じているのではないだろうか。

なぜ選挙の雰囲気がないのか、いくつかの理由があると考えられる。


◎あまりにも選挙の規制が多すぎる

日本の公職選挙法は、世界各国と比較しても規制が極端に多い。あまりの規制の多さに選挙のプロでも分からなくなっているほどだ。

本来、選挙活動というのは、有権者がより多くの情報を得ることができるように、可能な限り規制を少なくすべきなのだ。だが今の日本の公職選挙法のもとでは、ポスターの掲示板でも見ない限り、誰が立候補しているのかさえ分からない。

選挙期間中に候補者の宣伝カーと出会うこともほとんどない。今年(2019年)の4月に統一地方選挙が行われた。私はほぼ毎日、1時間弱の散歩をしている。それでも数十人が立候補していた市議選で選挙期間中に見かけた候補者は3人だけである。数人が立候補していた県議選では、ついにただの1人も見かけることはなかった。

選挙の雰囲気がまったくないのである。意識的にこのようにされてきたのが、公選法改正の歴史である。これではよほど関心を持っている人でない限り、選挙が行われているということすら自覚できないだろう。投票率が年々下がってきているのも当然である。
 
数十年前は、選挙になれば候補者カーだけではなく、政党の宣伝カーも走り回り、ビラも大量に配布された。ほぼ半世紀前、私が若い頃(当時は、大阪府下にある三和銀行池田支店に勤務していた)は、出勤前に梅田駅駅頭で大量のビラ配りをしたものである。こうして否応なしに選挙の雰囲気が醸成されていったものだ。

今はこういうことはすべて禁止されている。かつては参院選の投票率は60~70%台であった。だが1992年の参院選以降、50%台に落ち込んでいる。95年の選挙などは、44.52%であった。大事な国政選挙に半分の有権者しか投票に行かないというのは、民主主義の根幹に関わる問題である。


◎事前運動が禁止されている日本

主要先進国で国政選挙の際に事前運動や戸別訪問が禁止されているのは日本しかない。アメリカ、イギリス、ドイツ、カナダでは、そもそも選挙期間の規定がない。選挙期間がないのだから、事前運動などという概念がそもそも存在しない。「今日から選挙」という公示日も存在しないということだ。

日本人から見れば、奇異に思えるかもしれないが、むしろこの方が普通なのである。そもそも政党や候補者は、日常的に活動しなければならない。その積み重ねが選挙の結果として現れる。日常的な政治活動と選挙活動は、本来一体ものなのだから選挙期間がないというのは、実に合理的なのだ。

戸別訪問も買収の温床になるというので、日本では禁止されている。これも日本だけの規制だ。候補者が有権者と話し合い、要望を聞き、政策や公約を伝えるというのは、候補者がどういう人物なのかを知る上でも貴重な機会である。

日本の多くの有権者は、いろいろな候補者に投票しているが、直接候補者と話し合った人は少ないだろう。後援会にでも入らない限り、そういう機会はほとんどないからだ。

それにしても国民を侮った規制である。国民が簡単に買収されるという発想がそこにはある。だが国民は簡単には買収されない。もしそういう候補者がいたとすれば、必ず告発されることになるだろう。


◎選挙になったら名前を隠さなければならない

昔は、選挙になれば各政党が機関誌の号外を発行し、そこに候補者の名前や政策を自由に書くことができた。ところが今は、選挙になると各候補者のビラに候補者の名前を書いてはいけないことになっている。候補者の名前を知ってもらうために発行するビラに、候補者の名前を書いてはいけないのだ。これほど馬鹿げた規制はない。こんな規制は日本だけである。

インターネットでの選挙運動も、アメリカ、イギリス、ドイツでは普通に行われているが、日本だけは厳しく規制されている。今の時代、インターネットは最大の情報伝達手段である。国民の選挙への関心を高めようとするなら、この手段を使わないということはあり得ない。

馬鹿馬鹿しい規制は、まだまだある。当選後、有権者にお礼を言うことも禁止されている。「当選御礼」などという張り紙を出してはいけないのだ。事務所を訪問してきた人に、湯飲みでお茶を出すことは認められているが、缶に入ったものは駄目だそうだ。

こんな些末な規制を知っている人は、ほとんどいない。選挙への国民の関心を遠ざけようとしているとしか思えないのだ。


◎信頼されていない政党と政治家

シンクタンク「言論NPO」が昨年(2018年)行った世論調査によると、政党を「あまり信頼していない」「まったく信頼していない」を合わせると71.2%になっている。前年の調査では、64.1%だったので約7%も増加している。国会に対しての同様の調査では、「あまり信頼していない」「まったく信頼していない」が合せて67.4%となっており、ここでも前年より約7%増加している。要するに、政党も国会議員も信頼されていないということだ。

すべてに否定的なわけではない。司法、警察、自衛隊などは、6割以上が信頼できると回答している。

「民主主義は望ましい政治形態なのか」という設問に対する回答を、同シンクタンクでは、次のように分析している。

「日本人の47.1%と半数近くが、民主主義はどんな他の政治形態よりも『好ましい』と答え、依然として日本では、民主主義に対する信頼は厚い。しかし、『一部で非民主的な形態が存在しても構わない』や『どんな政治形態でも構わない』が2割程度存在し、これに『わからない』と加えると、民主主義に対して確信を持つことができていない人が半数を超えている」

これは恐らく今の安倍一強体制、あるいは一強多弱の政党状況も反映しているのであろう。


◎野党はもっと大人になるべき

先の国会での、最後の最後になっての野党による内閣不信任案の提出には呆れた。この不信任案の提出の狙いは何だったのか。野党が提出を決断したのは、衆院の解散がないということがほぼ確実視されてからである。解散が怖かったということだ。

参院選の野党共闘でも、すったもんだしているところに、衆参ダブル選挙になれば、野党の足並みがもつれてしまう。それだけは避けたかったということだろう。

 誰にでも分かるこの見え透いた不信任案の提出に何の意味があったのか。何もない。ただただ野党の弱さを露呈しただけのことだった。

通常国会の会期末には不信任案を提出するというようなスケジュール闘争は即刻卒業すべきである。できもしない大言壮語も不要である。

今度の参院選で安倍晋三首相は、憲法問題をはっきりとした争点として打ち出している。インターネット中継動画サイト「ニコニコ動画」での党首討論会で、首相は、憲法改正について「国民的議論を深めるのは私たちの責任だ。未来に向かって前に進んでいくのか、全く進まないのかを問うのが参院選だ」と語った。

トランプ米大統領が日米安保条約は、「不公正だ」とか、「破棄だ」とか語っているが、この問題は憲法とも大きく関わっている。いずれも冷戦の産物だったという側面をもっている。日米安保などは、そのものだ。だが冷戦は終結している。このもとでこれからの日本の安全保障をどうするのかは、避けて通れない課題である。そういう問題意識を持って、野党には安倍内閣に対峙してもらいたい。









「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造②」

2019-07-03 06:15:19 | 日本

◎来日前の多額の借金
 
二つめの要因は、実習生が来日前に作っている多額の借金だ。

実習生を集める送り出し機関の中には、日本への渡航に必要な費用として100万円を超える金額を要求するところもある。多くの実習生候補はこの渡航前費用を支払うことができないため、多額の借金をしている。さらに、保証金や違約金の契約を結び、家族などを保証人に入れさせられるケースも存在する。

なぜ実習生側は多額の借金という大きなリスクを取るのか。それは、日本で働けばその借金を返済してもなお元が取れるほどの給料をもらえるという話を信じているからだ。しかし、その話が真実であるためには二つの条件が必要である。

一つは賃金が事前の約束通りに支払われるという条件、そしてもう一つは実習先で借金返済に必要な期間は働き続けられるという条件である。これら二つの条件のうちいずれかの条件が崩れると、実習生は窮地に追い込まれる。

一つは賃金が約束より低い場合。約束が守られなくても借金が減るわけではないため、契約賃金以下、時には最低賃金以下の低賃金で働き続けることを余儀なくされる。どんなに過酷な労働環境でも、あるいは職場で暴力やセクハラが横行していても、最初の借金がなくなるわけではないので帰国という選択肢を選ぶことができなくなってしまう。

もう一つは「強制帰国」の恐怖で脅される場合である。強制帰国とは、実習期間の途中に、本人の意思にかかわりなく、実習先(含む監理団体)側の理屈で無理やり帰国させることである。強制帰国の恐怖によって、借金の返済前には帰国できない実習生が、実習先の言いなりにならざるを得ないという構造がある。

来日前に作ってしまった大きな借金のせいで、多くの実習生は「進むも地獄、退くも地獄」の状況に追い込まれてしまうのだ。


◎転職の不自由と孤立
 
三つめの要因は、実習生には職場移動の自由が与えられてこなかったということである。職場移動の自由が制限されているということは、運悪く悪質な企業に当たってしまった場合に対抗手段が著しく限定されるということを意味する。

通常の労働者には悪質な事業者や相性の悪い職場を去って別の職場を探すための自由があるが、実習生にはその自由がない。たまたま割り当てられた企業に残るか、帰国するかという選択になり、それ以外の選択肢がない。

もし渡航前の借金が残っている場合には、帰国という選択肢も実質的に奪われることになり、実習先が悪質でも従属せざるを得ない状況に陥ってしまう。

2017年の技能実習法によって「外国人技能実習機構(OTIT)」が創設された。現在ではこの機構が実習生からの相談に対応し、転籍先の調整も含む支援を実施することとなっている。しかしまだ始まったばかりの制度であり、どこまで実効性をもった仕組みになっているかは未知数の部分が大きい。

四つめの要因は、実習生が様々な意味で孤立していることだ。まず、実習生の中には日本語がそこまでできない状態で来日する者も少なくない。

また、基本的な労働法や労働基準監督署、労働組合の存在など、日本で労働者としての権利を行使するために必要な制度や組織についての知識も持っていない場合が多いだろう。

さらに悪いことに、実習生の孤立状況をより深化させるために、実習先が実習生のパスポートを強制的に預かったり、来日前に「実習先に文句を言わない」などの誓約書にサインをさせていたりするケースまである。

実習生には悪質な企業を去る自由がないだけでなく、実習先に残ったまま異議を申し立てる力までもが奪われている場合もあるのだ。


◎現実を直視すること

技能実習制度をめぐってなぜこれほどまで法令違反が横行しているのか。そして、なぜ実習生の多くは労基署などを通じて異議を申し立てないのか。そこにはここまで見てきたいくつもの構造的な理由が関わっている。

現在の制度では、ある実習生が日本で事前の期待通りの経験をできるかどうかは運次第、たまたま良い企業に当たるかどうか次第という状況になっている。送り出し機関や監理団体、実習先企業が悪質であったら万事休すだ。

日本で稼ぎたい、技術を学びたい、その思いが多額の借金、何重もの中間搾取、強制帰国の脅しや社会的な孤立状態への追い込みによって裏切られていく。

それは、一つひとつのブラック企業の問題であるだけでなく、それ以上に技能実習制度という制度そのものの成り立ちから構造的に発生している問題だ。

その現実を、今真摯に見つめ直す必要がある。

技能実習は多種多様な産業で利用され、気づいていようがいまいが、私たちの生活はすでにこうした構造を前提に成り立っている。しかも技能実習(約30万人)は日本の移民政策が抱える数多くの問題の一部に過ぎない。在日外国人はいつの間にか300万人に迫る。

幸いにも日本は民主主義国家だ。制度や政策に問題があると多くの人が思えば変えることもできる。いずれにせよ、一歩目は常に現実を知ること、直視することからだ。





「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造①」

2019-07-02 06:43:44 | 日本

望月優大さんが「法令違反が7割超、ブラック企業を次々に生み出す技能実習制度の構造」
について掲載している。
以下、要約し記す。



政府は今年4月に「特定技能」という在留資格を新設し、外国人労働者の受け入れを一層加速している。しかし、そのことに気を取られて忘れてならないのは、様々な問題を抱えた「技能実習」という制度がそのまま残っているという現実だ。


◎「日本は移民が少ない」という誤ったイメージが定着している理由

4月以降も、例えば岐阜の婦人服製造業者の社長が実習生を時給405円で働かせていた疑いで逮捕(労基法違反)されるなど、一部の実習生を取り巻く労働環境の劣悪さや人権侵害の状況は変わっていない。

つい先日放送されたNHK「ノーナレ 画面の向こうから」でも、実習先から逃げ出さざるを得なかったベトナム人の若い女性たちの苦境が取り上げられ、今も大きな話題となっている。

なぜ技能実習生の人権侵害は一向に止まらないのか? 実は実習先企業のなんと7割以上で労働基準関係法令違反が認められているという実態がある(厚労省調査)。もはや一つひとつのブラック企業の問題として捉えるだけでは不十分だ。人権侵害が止まらないより根本的な理由、つまり制度や政策のあり方そのものを理解する必要がある。

そこで、この記事では、新刊『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)の第4章「技能実習生はなぜ「失踪」するのか」から、技能実習制度の現状と構造的な問題を整理したパートを特別公開する。読めば、技能実習生が晒されているリスクとその背景にある構図を理解してもらえるはずだ。


◎技能実習生の増加と多様化
 
技能実習制度については、劣悪な労働環境や様々な人権侵害に関してこれまでも数多くの指摘がなされてきた。近年では、実習生の数が一気に増加する中で、実習先から「失踪」する実習生も増えている。

技能実習とはどんな制度なのか。なぜ日本はこの問題だらけの制度を外国人労働者政策の一つの基軸としてきたのか。技能実習制度の説明に入る前に、直近の実習生の状況について整理しておきたい。

まず、技能実習生の数は伸び続けている。特に2015年ごろからここ数年の伸び幅が大きく、2011年には14.2万人だったそれが、2018年6月末には28.6万人にまで急増している。

出身国別に見ると、1位のベトナムが13.4万人。そのあとに中国(7.5万人)、フィリピン(2.9万人)、インドネシア(2.3万人)、タイ(0.9万人)と続く。ベトナムだけで全体の46.9%を占め、2位の中国と合わせると全体の約4分の3(73.2%)を占める。上位5ヵ国で全体の94.4%だ。

つまり、技能実習生に関わる問題とは、そのほとんどがベトナムと中国を中心とするアジア諸国出身者との間での問題であるということができるだろう。

出身国別の特徴で押さえておきたいのは、2011年時点では全体の75.8%を一国で占めていた中国の割合が2017年には28.3%にまで急減していることだ。この変化は、中国人実習生の実数自体が減少していることに加え、ベトナムやフィリピンなど、その他の国からの実習生の数が増加していることにも起因している。

1993年の制度創設以来、常に技能実習生の大きな割合を占めてきたのが中国出身者だった。しかし、中国自身の経済成長もあり、中国からの流入はすでに減少を始めている。そして、その穴を埋めるように、ベトナムなど中国より貧しいその他のアジア諸国からの流入が増加しているのだ。


◎技能実習の建前と現実
 
技能実習制度の本質にあるのも「建前」と「現実」の乖離である。まずは建前の方から確認しよう。2017年11月に施行された技能実習法(外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律)の第一条は技能実習の目的をこう定義している。

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(……)人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識(以下「技能等」という。)の移転による国際協力を推進することを目的とする。
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ここに明確に示されている通り、技能実習制度の建前は先進国たる日本から発展途上国への技能等の移転による国際協力だ。ODAの位置付けに近い。派遣された日本の職場でのOJT教育を通じて身につけた技能を持ち帰り、自国の発展に活かしてもらうということである。表向きは、日本は与える側であって与えられる側ではない。

だがその建前とは裏腹に、技能実習制度は表向きは受け入れを認めていない低賃金の出稼ぎ労働者たちをサイドドアから受け入れるための方便として機能してきた。地方にある工場や、日本人労働者を採用しづらい重労働かつ低賃金の職場にとって、この制度は労働者を継続的に獲得して事業を維持していくために必要不可欠なシステムとなってきた。

実習生が特に多いのは、食品製造、機械・金属、建設、農業、繊維・衣服などの第一次及び第二次産業である。かつては繊維・衣服が非常に多かったが、最近は食品製造や建設、農業などの分野での伸びが著しい。

だが、問題は国際貢献という建前と非熟練労働者の受け入れという現実との間に大きな乖離があるということばかりではない。より大きな問題は、その乖離が実習生に対して様々な具体的被害を引き起こしてきたということにある。


◎法令違反とその不可視化

技能実習制度に常につきまとってきたのが劣悪な労働環境だ。長時間労働、最低賃金違反、残業代の不払い、安全や衛生に関する基準を下回る職場環境、暴力やパワハラ、セクハラなどである。

2017年に厚労省が労働基準監督署を通じて全国約6000の事業場を対象に行った監督指導では、なんとその7割以上で労働基準関係法令違反が認められた。7割以上というのは圧倒的な数字である。何のために法律があるのかと考え込んでしまうほど高い割合だ。

違反の内容は、労働時間に関する違反が最多の26.2%、以下、安全基準、割増賃金の支払いや就業規則に関する違反、労働条件の明示や賃金の支払いそのものに関する違反などが続く。

しかし、こうした外部からの調査がなければ現場の法令違反が明るみに出ることはほとんどない。同じ厚労省の調査によれば、2017年に技能実習生から労基署に対して法令違反の是正を求めてなされた申告はわずか89件に留まった。

厚労省が監督指導した約6000の事業場も含め、実習生を活用している企業はおよそ4万8000社にのぼる。そして、実習生自体は2017年時点で25万人以上も存在していたのだ。

にもかかわらず、実習生から労基署に対してなされた申告は1年間でわずか89件しかなかったわけである。本来なら届くべき声の多くが届かず、不可視の状況に置かれていることが容易に想像されるだろう。

 こうした数字を見ると、否が応でも二つの疑問が頭をもたげてくる。一つめは、なぜこんなに多くの法令違反が横行しているのかという疑問。もう一つは、70%以上もの企業で法令違反があるにもかかわらず、なぜほとんどの技能実習生は労基署に対して助けを求めることができないのかという疑問である。

法令違反の横行とその社会的な不可視化には、技能実習の制度そのものに埋め込まれたいくつもの構造的な要因が絡まり合っている。このあと順に見ていきたい。


◎ブローカーの介在
 
一つめの要因は、実習生の募集やマッチングに介在する国内外の民間ブローカーの存在だ。

技能実習生の受け入れ方には大きく分けて二つのタイプが存在する。一定規模以上の企業が実習生を直接雇用する「企業単独型」と、中小零細企業が組合や商工会などを通じて間接的に実習生を受け入れる「団体監理型」だ。実は実習生全体の96.6%が後者の団体監理型によって受け入れられている(2017年末時点)。

外国人労働者の問題と聞くと日本の大企業が外国人をこき使っているようなイメージを持つ方も多いかもしれないが、少なくとも技能実習制度に限ってみれば、紛れもなく中小零細企業に労働力を送り込むための制度として機能している。そして、そのことが、この制度が多くの問題を構造的に発生させてきたこととも深く関わっている。

実習生と実習先とのマッチングは、送り出し国と日本の双方に存在する民間のブローカーが介在して行われている。

一般論として労働者のマッチングは公的な機関(ハローワークなど)が無料で行うこともありえるし、民間の事業者が有料で行うこともありえるが、実習生については後者のパターンが取られている。しかも、団体監理型では最低でも二つの民間事業者が挟まっている。それが、送り出し国側の「送り出し機関」と受け入れる日本側の「監理団体」である。

送り出し機関や監理団体という言葉だけ見るとよくわからないと思うが、両者ともにその本質は民間の人材事業者である。実習生(候補)に対する日本語教育や職業上の研修、日本での生活面でのサポートなど、通常の人材ビジネスよりも対応範囲は広いものの、あくまでコアにあるのは人材の募集とマッチングだ。

実習先となる中小企業にとって、外国で暮らす労働者や外国の人材会社を自力で開拓することは簡単ではない。政府が間に挟まって紹介をしてくれればいいのだが、現状はそういう仕組みになっていない。結果として、民間の人材事業者に頼って手数料を払わざるを得ないため、実習生本人に支払う賃金を削り込むことになる。

労働者と受け入れ企業との間に挟まる中間事業者が多ければ多いほど、企業が実習生に支払うことができる給与は少なくなってしまう。当然のことだ。この点が、技能実習生が日本人の低賃金労働者よりさらに深刻な低賃金状態に陥りやすい一つめの制度的な要因となっている。