龍の声

龍の声は、天の声

「春ウコンと秋ウコンの違い」

2016-03-31 08:46:23 | 日本

精油成分豊富な春ウコン、クルクミン豊富な秋ウコン
お酒を飲まれる方、また日々の健康生活に長く根強いウコン。
ウコンは、以前まで沖縄以外ではあまり知られていない植物だった。

今でこそ名の通ったウコンだが、世界には実に様々な種類があり、中国では約20種類、インドネシアでも20~30種類ほど見つかっていると言われている。

その中で、主に用いられていたウコンは2種類です。

それは、春に咲く「”春ウコン」 と、 秋に咲く「”秋ウコン」がある。”


◎春ウコンは

春ウコンは、精油成分、ミネラルが豊富である。

4月から5月にピンク色の花を咲かせ、その正式名称を「キョウオウ」という。

漢字で書くと「姜黄」

これは、そのまま口に入れると、舌が強い苦味と辛さがある為、食用には不向きなので主に健康食品などに使われていて、その検証結果等が多く報告されていると言われる。

実際に使われるのは根茎部分で、外側が白っぽく、切ると、切り口は黄色をしている。

秋ウコンに比べてクルクミンの量は少ないが、ターメロン・シネオール・アズレン・カンファーなどの100種類以上の精油成分が豊富に含まれ、また、カルシウム・カリウム・鉄・マグネシウム・リンなどのミネラルが豊富である。

■精油成分とは?
植物の葉や茎、根等に含まれる成分で、様々な働きを持つと言われる。
この精油成分が動脈硬化予防やコレステロールの分解、またガンの抑制になるとも言われている。
これは秋ウコンにはない働きである。

食物繊維も春ウコンには豊富に含まれている。
現在も、春ウコンに関する研究はさらに進められている。

春ウコンは紀元はじめ頃にはすでに利用されていたようだが、近年、その働きはさらに注目を集めている。


◎秋ウコンは、

秋ウコンは、クルクミンが豊富である。
7月から8月に花を咲かせ、正式名称は「ウコン(鬱金)」。

健康維持に役立つとされるクルクミンが豊富に含まれているが、クルクミン含有は春ウコンの約10倍以上となっている。

お酒を飲まれる方には「秋ウコン」、ということも言われるが、それはこのクルクミンが豊富だからである。

ただ秋ウコンは、健康な方が飲まれる分には良いが、体の機能をよりよく働かせる作用があるので、体の悪い方が飲まれると、逆に負担をかけてしまうので、飲まれない方が良いと思う。
医者様とよくご相談されたほうがよい。

■クルクミン(Curcumin)とは?
カレーなどに使用される香辛料ターメリックに含まれる黄色色素で、ポリフェノールに分類される。
サビつきを防ぐということもでも知られている。
日本では「お酒を飲むときに」ということだけで広く知られているが、日本を含むアジアや、またアメリカ等でもクルクミンに関する研究がすすめられている。

食用(カレー粉やたくあんなどの着色料の原料)として使われるほか、鮮やかな黄色を持つことから天然の食用色素としても利用され、また布や紙を染色するためにも利用されてきた。
根茎は外見上、春ウコンとほとんど変わらないが、中身は濃いダイダイ色で、苦味もほとんどない。

クルクミンは脂溶性なので水で摂取しても溶けにくく、そのまま摂取してもあまり体内に吸収されず排出されるので、お腹にご飯が入っている状態(食後または飲食中)にお召しあがりいただくと良い。

ちなみに、カレー約5杯分にクルクミン30㎎程が含まれるといわれる。
1日に摂取しても良いと言われるクルクミンの量だが、国連の食糧農業機関(FAO)及び世界保健機関(WHO)の合同会議により、体重1㎏に対して、0mg~3mgを推奨している。
例えば体重60kgの人の場合、1日の上限目安摂取量は180mgが限度ということである。ただ、一度にまとめて摂られても意味はない。
一度に身体が摂取できる成分の量には限りがあるので、例えば一回に180mgを摂っても全て摂取できるものではなく、過剰な分は体外へ排出されてしまう。
よって1日数回に分けて摂られるほうが、クルクミンをしっかり摂取できる。


◎春ウコンと秋ウコンに含まれる成分の割合

春ウコン、秋ウコンは成分含有量の違いから、働きも変わってくる。

クルクミンや精油成分はともに、様々な働きがあると言われている。


◎春ウコン
 ・クルクミン   0.3%
 ・精油成分    6.0%
 ・ミネラル成分  6.0%
・その他(タンニン、食物繊維など)


◎秋ウコン
 ・クルクミン   3.6%
・精油成分    1.0%
 ・ミネラル成分  0.8%







「ハンドケアの方法」

2016-03-31 08:45:33 | 日本

1。両手の指をしっかり組み、脳が意識するようにする。
2。各々の手の甲をマサージする(感謝の言葉を言いながら)
3。各々の両指を外側にねじる。
4。片方の指先で、もう一方の指の爪の生え際のツボをはさむようにして横と縦をしっかり押さえる。
5。片方の手の掌に、もう一方の手をグーにして包み込む。そしてグルグル回す。
6。親指と人差し指の間(万年ツボ)をしっかりと押さえる。
7。両の手の甲をマッサージ(感謝の言葉を出して)する。


<効用>
・ボケ防止
・若返り法










「クスリを一切使わない風邪の治し方」

2016-03-30 07:24:48 | 日本

◎治療のポイント

1。過食をやめる。過食していると、胃腸は疲れ、消化力が低下し、体の抵抗性が衰え、カゼをひきやすくなる。
2。玄米採食に切り替える。玄米を主食にし、野菜・海藻・小魚介類を副食とする。
3。腸内の有用細菌の増殖をはかる。みそ、納豆など、本物の発酵食品を積極的にとる。
4。ストレス解消を上手に。抗ストレス食品を活用する。


◎薬効食品と自然療法

<ニンニク>
ニンニクとゴボウをすりおろしたものに、みそを加え、熱湯を注いで飲んで寝る。
蒸焼ニンニクを毎夕食時に食べるのもよい。

<ニンジン>
ニンジン、ゴボウ、ニラ、ジャガイモ、キャベツで、スープを作り、熱々を食べて寝る。

<ショウガ>
すりおろしたショウガを温めたお酒に混ぜて飲む。

<レンコン>
すりおろし汁を飲む。

<黒豆>
黒豆とヨモギを煎じて飲む。

<オオバコ茶>
お茶かわりに煎服。

<玄米食の副食>
レンコン、ギンナン、シュンギク、ネギ、ダイコンおろし、ショウガを積極的に。








「女の部屋は一度ノックすべきである。」三島由紀夫の言葉

2016-03-29 23:43:45 | 日本

デイリー新潮編集部が「女の部屋は一度ノックすべきである。」三島由紀夫の言葉を掲載している。
以下、要約し記す。



11月25日は、三島由紀夫の命日である。

人によって三島のイメージは様々だろう。学生時代に課題図書として読んだ『金閣寺』の著者、という人もいれば、あまりにも有名な自決を想起する人もいるだろうし、また演劇好きならば『黒蜥蜴』など今なお上演され続けている戯曲の作者と捉えているかもしれない。

一方で、「何となく難しそう」と敬遠している若い世代もいることだろう。
そんな「三島ビギナー」にもとっつきやすい本が、憂国忌を前に発売された『三島由紀夫の言葉 人間の性(さが)』(佐藤秀明・編)。三島研究の第一人者が、その作品やインタビューでの発言などから至極の言葉309を厳選した名言集である。
今回はその中から、「男と女」に関するものをご紹介しよう。

「私自身の経験に即して言うのですが、性や愛に関する事柄は、結局百万巻の書物によるよりも、一人の人間から学ぶことが多いのです。われわれの異性に関する知識は異性のことを書いたたくさんの書物や映画よりも、たった一人の異性から学ぶことが多いのです。ことに青年にとって、異性を学ぶということは、人生を学ぶということと同じことを意味しております」

「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです」

「女の部屋は一度ノックすべきである。しかし二度ノックすべきじゃない。そうするくらいなら、むしろノックせずに、いきなりドアをあけたほうが上策なのである」
「恋愛にとって、最強で最後の武器は『若さ』だと昔から決まっています。
ともすると、恋愛というものは『若さ』と『バカさ』をあわせもった年齢の特技で、『若さ』も『バカさ』も失った時に、恋愛の資格を失うのかもしれませんわ」
「思春期には、字引をめくっていても、性に関係した言葉は、ギラリと目を射ったものだ。今ではそんなことはないから、字引を読むたのしみも失ったのかもしれない。言葉はただの言葉、空々漠々たるものである」

戦後70年の今年は、三島が亡くなってから45年目にあたる。食わず嫌いの人も、恐ろしく鋭利な言葉の数々に触れてみてはいかがだろうか。

「平和な時代が続くと青年の意見は無視されるようになる」三島由紀夫の言葉



デイリー新潮編集部が「平和な時代が続くと青年の意見は無視されるようになる」三島由紀夫の言葉を掲載している。
以下、要約し記す。



三島由紀夫というと、その最期から「自決した何となく軍人っぽい怖い作家」といったイメージを持つ人もいるかもしれない。しかし、当然のことながら三島の思想はそんな簡単に片づけられるようなものではない。

「胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識されるはずのものではなく、まして食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、カジ屋はちゃんとカジ屋の仕事に専念していられるのである。現在、政治は民衆の胃痛になり、民衆の皮膚はアレルギーの症状を示し、異常に敏感なその皮膚は、何事もまず皮膚で感受しようとする。こういう状態こそ政治的危機である」

「日本はふしぎに近代史を見ても、青年の意見がおそれられるのは動乱の時代であり、しばらく平和な時代が続くと青年の意見は無視されるようになる。近代史において、青年の意見がそのまま国の根幹をゆるがし、かつ国の形成に役立ったのは、明治維新をおいてほかにはない」

「もともと戦争が美化されたのは、それを醜いと知っていても、戦争が必要だったから、美化せざるをえなかった点もあるでしょう。今では戦争は必要でないから、美化されるおそれがないかといえば、ろうそくの必要がなくなっても、われわれはろうそくの光りでディナーをとることを好むのです」

「すべての戦争は自衛の戦争の形態をとり、帝国主義戦争、領土侵略戦争、植民地戦争という外観はできるだけ避けられるようになった。自衛の戦争という観念自体に、『やむを得ず』という観念が含まれる。『いやいやながら』という考えが含まれる。いやいやながらという気持ちは複雑であって、その気の進まなさには、一面好奇心や欲望が隠されている。われわれは気の進まない行動をするときに、どこまでほんとうに気が進まないのか疑問なのである」

「あの戦争についての書物は沢山書かれているが、証人は次第に減り、しかも特異な体験だけが耳目に触れるから、今の若い人たちは戦時中の生活について、暗い固定観念の虜(とりこ)になりがちである。そこにも平凡な人間の生活があり、平凡な悲喜哀歓があり、日常性があり、静けさがあり、夢さえあったということは忘れられがちである。たとえば私がクラヴサンの音色を、戦争中の演奏会におけるほど美しく聴いたことは、後にも先にもないのである」












「南支那海での振る舞いを侵略と呼ばない媚中報道の罪」

2016-03-29 23:42:57 | 日本

永山英樹さん(台湾研究フォーラム会長)が「南支那海での振る舞いを侵略と呼ばない媚中報道の罪」と題して掲載している。
以下、要約きす。



ニュースに関する読者の疑問に記者が応える毎日新聞の「なるほドリ」欄。十二月二十一日のテーマは「南シナ海問題 日本どうするの?」。

中国は南シナ海のほぼ全体の領有権を主張しており、南沙(英語名・スプラトリー)諸島で岩礁を一方的に埋め立てて「人工島」建設を進めました。これに対し、米国は10月、イージス駆逐艦を人工島の12カイリ(約22キロ)内に派遣しました。中国が人工島の「領海」だと主張できる12カイリ以内にあえて派遣することで、中国の主張を受け入れず、埋め立てを認めない姿勢を示しました。「航行の自由」作戦と呼び、当面継続する方針である。

Q:記者はまず、このように南支那海での米中対立の状況を紹介した上で、「日本はどうするの?」との読者の質問に対し、次のように説明する。

A:安倍晋三首相は11月のオバマ米大統領との会談で作戦支持を明言し、南シナ海での自衛隊の活動について「情勢が日本の安全保障環境に与える影響を注視しつつ検討する」と伝えた。

Q:「自衛隊を南シナ海に派遣するの?」との問いに対しては、

A:具体的な計画はない。米軍側からは継続的に海域をパトロールする警戒監視活動への参加を期待されているが、現状ではそちらに部隊を割く余裕はない。沖縄県・尖閣諸島がある東シナ海の監視や、アフリカ・ソマリア沖に海賊対処として艦船などを派遣しているからである。また南シナ海は遠く離れており、給油ができる拠点がなければ十分な活動はできず、防衛省幹部も「現実的ではない」と否定的。ただ、首相は将来的な活動の可能性までは否定しておらず、政権の判断次第といえる。

Q:「安全保障関連法が成立して自衛隊の活動が拡大したんじゃないの?」との質問には、

A:具体的な計画はない。米軍側からは継続的に海域をパトロールする警戒監視活動への参加を期待されているが、現状ではそちらに部隊を割く余裕はない。沖縄県・尖閣諸島がある東シナ海の監視や、アフリカ・ソマリア沖に海賊対処として艦船などを派遣しているからである。また南シナ海は遠く離れており、給油ができる拠点がなければ十分な活動はできず、防衛省幹部も「現実的ではない」と否定的である。ただ、首相は将来的な活動の可能性までは否定しておらず、政権の判断次第といえる。


このような説明に、「日本までがプレゼンスをします必要はあるのか」「米中対立問題に日本まで関与する必要はない」「すべては安倍政権の『判断次第』。安倍さえいなければ」といった声が、読者の間から聞こえてきそうだ。安全保障関連法への反対の声がそうだったように。


◎国民を平和ボケさせるメディア

そうした一国平和主義者達の特徴は、中国の脅威を見て見ぬ振りをすること。そうすれば日本は安泰でいられると思い込んでいる(思い込みたがっている)ようだが、そもそもそうした思潮を作り上げた元凶の一つが、中国の寛大な(中国に迎合した)毎日新聞を含むマスメディアである。

これらが拡大一方の中国の脅威の深刻さを明確に伝えていないため、国民はいつまで経っても平和ボケから覚醒できないでいるのだ。

南シナ海・スプラトリー(中国名・南沙)諸島のファイアリークロス(中国名・永暑)礁を埋め立てて建設した飛行場で、着陸した中国の航空機の前で記念写真に納まる関係者ら=1月6日

では中国の脅威の「深刻さ」をいかに報じればいいのか。実はこれは簡単なことである。

たとえば今回の「なるほドリ」は「中国は南シナ海のほぼ全体の領有権を主張しており」とは伝えているが、それに加えて「領有権の主張」は虚偽であることを国際法の観点(歴史的経緯も含め)から解説すればいい。

そして「岩礁を一方的に埋め立てて『人工島』建設を進めました」との説明で終わるのでなく、それがアジア全体の平和を脅かす危険で不法な領土拡張、侵略の動きだと指摘すればいいのである。

そのようにすれば読者は、より問題の深刻さを理解することができることだろう。

中国の島の接収の不当性を指摘しなければ意味なし

もっとも毎日新聞は、実はそうしたことをまったくやっていないわけではない。

十一月二十五日に掲載のコラム「木語」は次のように書き、中国が南支那海の島々の領有宣言を行ったのは戦後のことであると伝えている。

中国が「南沙」の実測地図を作ったのは戦後、1947年以後だ。蒋介石政権が日本軍の占領していたパラセル(中国名・西沙)諸島や、日本領「新南群島」(スプラトリーの日本名)に軍艦を派遣して接収した。初めてこの地の島々を測量して南沙と命名した。主要な島には軍艦の名前から「太平島」「中業島」など中国名をつけた。このころ、南シナ海全域に「十一段線」(後に九段線)という線引きをして領有宣言した。
これであれば、中国側の「南海諸島(パラセル、スプラトリー諸島など)は古来中国領土であり、先祖が残したものであり、いかなる者であれ中国の主権や関連権益を犯そうとしても中国人民は承諾しない」(習近平主席)といった類の主張に対する反論にはなりに得る。

しかし、それでもまだ不十分なのだ。戦後の中国による「接収」が領有権の根拠たり得ないことを書かなければ、何の意味もないのである。
中国はもちろん「接収」は合法だと主張する。たとえば王毅外交部長は次のように説明する。

「中国はカイロ宣言、ポツダム宣言を根拠に、日本に不法に占領された南沙、西沙諸島を回収した」

要するに日本は「中国から盗取した領土を返還すべし」と謳うカイロ宣言の履行をポツダム宣言の受諾を通じて誓約したことで、これらの島々は中国領土に復帰したと、いう国際法上の主張である。

中国は台湾についても全く同じ主張をしているわけだが、しかしいずれも捏造宣伝だ。

事実を言えば日本は、スプラトリー諸島にしても台湾にしても、中国へは「返還」(割譲)していないのだ。実際には一九五二年に発効のサンフランシスコ講和条約に基づいてそれらを放棄しただけであり、その後の新たな帰属先は確定されなかったのである。

マスメディアは、この事実を明確にすればいいのである。ただそれだけで中国の「主張」は完全な作り話であることが実証されよう。

しかし、日本のメディアはそれができないのである。

なぜなら中国は、台湾とともに南支那海もまた「核心的利益」だと位置付け、それら問題に各国が容喙することを断じて許さない構えだ。そのような中国の怒りを恐れる日本メディアは、従来台湾に対してそうだったように、南支那海の島々についても「中国の領土ではない」と明言できないのだろう。

日本の過去の戦争については、自衛戦争という側面を無視して「侵略」と断罪したがるメディアだが、中国が現実に行っている領土拡張の動きに対しては、以上のような理由で「侵略」と報じないのだから有害極まりない。









「南シナ海にも積極的に関与せよ」

2016-03-28 08:49:04 | 日本

井上和彦(ジャーナリスト)さんが「南シナ海にも積極的に関与せよ」と題して掲載している。
以下、要約し記す。



地対空ミサイルをはじめ戦闘機を配備するなど、中国は西沙(パラセル)諸島の軍事拠点化を進め、南シナ海は一触即発の度を高めている。

昨年11月、フィリピンでオバマ米大統領と会談した安倍晋三首相は、アメリカによる「航行の自由作戦」に対して支持を表明し、自衛隊の南シナ海への派遣について「日本の安全保障に与える影響を注視しつつ検討する」とした。


◎「存立危機事態」への誤解

日本は石油の83%、天然ガスの30%を政情不安定な中東に依存しており、これら化石燃料は1万2千キロもの長大な海上交通路(シーレーン)を通って運ばれてくる。

シーレーンは国民生活と日本経済の生命線である。しかし昨年の安保法制をめぐる議論では、ペルシャ湾にあるホルムズ海峡の機雷除去に対して、日本から遥(はる)かに離れた場所にあり、集団的自衛権行使の前提となる「存立危機事態」に該当しない、などと反対の声が上がった。

さらに南シナ海への自衛隊派遣についても、自民党有力議員からでさえ、南沙(スプラトリー)諸島で何が起ころうが日本には直接には関係がない、といった発言が飛び出す始末だ。

安全保障は“日本からの距離”で判断すべきではないことは言うまでもない。また東シナ海さえ平和であれば全てよしとする思考は、あまりにも短絡である。

シーレーンの問題を東海道新幹線にたとえてみる。新大阪-京都間で強風のために新幹線が止まれば、当然その影響で品川-東京間のダイヤも乱れる。新横浜-品川間で列車故障になれば、間近な東京駅にもたどり着けない。

新大阪-京都間を「ペルシャ湾」、新横浜-品川間を「南シナ海」、品川-東京間を「東シナ海」と見立てれば、シーレーンのどこで問題が生じても、中東からの石油は日本に届かないことがおわかりいただけよう。

つまりシーレーン上に発生するいかなる武力衝突も、実質的に日本の存立危機事態となるのだ。


◎新編された「第9航空団」

中国の力による強引な現状変更が進む南シナ海は、周辺各国の領有権主張がぶつかり合うため、武力衝突の危険性は高く、場合によっては日本が存立危機に陥る。

東シナ海も同様に危機が高まっている。領空へ接近する外国軍機へのスクランブル発進回数は急増しており、平成27年度第3四半期までに567回、そのうち、中国機に対するものは66%を占めている。平成23年度から4年間で中国機への発進回数は約3倍に増えているのだ。

こうした事態に対応すべく1月31日、航空自衛隊那覇基地の南西航空混成団隷下に「第9航空団」が新しく編成された。これまでの1個飛行隊(F15戦闘機20機体制)から、2個飛行隊(同40機体制)に増強されたのである。これによって抑止力は格段に向上し、領空侵犯の対応にあたるパイロットの任務の負担も軽減された。

士気もすこぶる高い。「全ては国民の生命財産を守るため」「南西域の空の守りは任せてください」-団司令の川波清明空将補をはじめ、隊員の表情は実に頼もしく、彼らの発する忠恕(ちゅうじょ)にあふれた言葉と決意には胸打たれるものがある。

ところがそんな空自の増強に対しても、懸念の声が上がっているのだ。現在、沖合に第2滑走路が建設中だが、那覇空港の滑走路はわずか1本。民間旅客機がひっきりなしに離着陸する合間を縫って、空自機が舞い上がってゆく。

地元紙は自衛隊機の増強によって那覇空港が一層混雑し、民間機の離着陸への影響を危惧する。

しかし、それこそ本末転倒ではないか。那覇空港が過密化する原因は中国の挑発行為にある。非難すべき相手は中国にあるのだ。


◎島嶼防衛は喫緊の課題

鹿児島南端から、日本最西端の与那国島までの島嶼(とうしょ)部は1300キロほど、ほぼ本州と同じ長さだ。しかし、沖縄本島には空自第9航空団の他にはP3C哨戒機を有する海自第5航空群はあるものの、護衛艦は1隻も配備されていない。陸自も総員2100人の第15旅団のみで、戦車部隊も野戦特科(砲兵)もない。

そんな南西方面の抑止力を高めるため、目下、防衛省は島嶼防衛を「喫緊の課題」として取り組んでいる。

この3月末には与那国島に150人規模の陸自の沿岸監視部隊が配置される。これまで無防備だった奄美諸島や、5万人の人口を抱える石垣島や宮古島への自衛隊配備も必要だ。

武装海警船による領海侵入で、いまや東シナ海の危険度は南シナ海と変わりがなくなっている。

もとより、東シナ海も南シナ海も、中国の軍事戦略目標ラインである第一列島線の内側にあり、そこには安全が保障される境界線など存在しない。だからこそわが国は、東シナ海のみならず南シナ海に対する積極的関与が必要なのである。南西方面の防衛力強化を急がなければならない。








「韓国が不法占拠の竹島にリン鉱石試掘権、設定示す公文書 日本占有の根拠」

2016-03-28 08:48:15 | 日本

韓国が不法占拠を続ける竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、戦前に政府が同島周辺でリン鉱石の試掘権を設定していたことを示す公文書が、同県竹島資料室の調査で見つかった。竹島でのリン鉱石採掘については、聞き取り調査などで知られていたが、それを裏付ける資料が確認されたのは初めて。

見つかった資料は、竹島周辺でのリン鉱石の試掘を認めた「試掘原簿」と、試掘の申請者が出願の際に添付した「鉱区図」。経済産業省中国経済産業局が所蔵しており、前身の旧商工省大阪鉱山監督局から移管されたとみられる。

試掘原簿には、昭和14年6月、鳥取県に住む申請者2人に対し、竹島の島内と周辺海面の8万3800坪(27万平方メートル)でリン鉱石試掘権を政府が設定・登録したこと、戦後には別の人物に試掘権が移り、24年2月に期間満了を迎えて登録が抹消されたことなどが記されている。

また、鉱区図によると、9年6月の出願段階では20万坪(66万平方メートル)分の試掘が申請されたが、最終的には13年8月、8万3800坪(27万平方メートル)分に申請を変更して、試掘権が認められた。

これまでの調査で、当時、竹島周辺で盛んだったアシカ猟の従事者が「リン鉱石採掘は猟に支障が出る」として反対していたことが分かっている。

今回見つかった資料からは、政府がアシカ猟に配慮して海岸線付近などアシカの生息区域を除外し、試掘権を認めた状況がみてとれる。

竹島問題に詳しい下條正男・拓殖大国際学部教授(日本史)の話「韓国が竹島を不法占拠する1952(昭和27)年以前に、韓国側が竹島に国家主権を行使した証拠は一切見つかっていない。今回の資料は、竹島問題が国際司法裁判所に付託された場合、日本が当時、竹島を占有していた実態を示す有力な根拠となる」









「夢を形にする」

2016-03-26 10:06:15 | 日本

松本守正さんのブログ「夢を形にする」について記す。



何といっても夢を形にする原動力は「わくわく、ドキドキ」する感動である。

「成功できれば楽しく嬉しくなるのではなく、楽しく嬉しがってるから成功がもたらせる"という言葉がある。

では常にわくわく、ドキドキする自分になるにはどうしたらいいか。

だった一言で表すと、
「やる気」の気を高めつづけれるか。
やる気が時々では駄目。
やる気の連続でないと。

みんな、日々の出来事、状況、甘え、怠けぐせという習慣に揺さぶられてきている。

どうすればやる気を高め続けれだろうか。

「やる気の三原則」

1.自分自身の目標が明確になっていること。

100メートル走でもゴール(目標設定)がないと全力で走れない。
目標がしっかりないと、フラフラしてゴールにたどり着かない。

自分の気がフラフラするのはまだまだ目標設定が明確にできていない証拠です。
常日頃自分が出来ているか! これが最大のポイントである。

2.進歩の度合いがわかること。

物事に失敗するからこそ、クソっ!とやる気になる。
また失敗を反省し次は頑張る。

そんな風に目標に向かう課程の中で成長していく度合いがわかった時、小さな成功体験が自信になり、最強のやる気になる。

3.誉められ、認められること。

逆に言うと、人はどういう時にやる気を失うかと言うと、「存在感」がなくなった時。

リーダーシップのとれる人は「誉め上手」である。

誉め上手を心がけて、人とつきあうことで人間関係を円滑にしていくことができる。

人間大人になると誉められることが少なくなるので、誉められるとまた、誉められたくなるのが人の心理である。

何事も楽しんでチャレンジしていこう!!
成功者の5条件

1.明るく
2.元気
3.遊び好き
4.欲が深く
5.いい加減
これは約束や時間にルーズになるということではなく、
「くよくよするな!なんとかなるさ!」

人生の勝利者になる為に、今もこれからもわくわくドキドキしていきこう。











「素敵に自分らしく」

2016-03-26 10:05:29 | 日本

松本守正さんのブログ「素敵に自分らしく」について記す。



素敵な人と出会ったら、その人がどんな日常生活を過ごしているのかその人の暮らしぶりが気になったりする。

どんな音楽を聴いているのか。
本棚にどんな書物が並んでいるのか。
選んだカーテンの好みとか、飾られてる花の種類から入れてる花器はどういったものなのか。
壁に掛けてある絵画。
じゅうたんの色。

僕にはその人の精神性や知性が伝わってくる気がする。

「なぜその人はこれを選らんだのだろう?」

と考えてその人を理解することは可能。

ファッションと同じように「家」「インテリア」も自分自身を映す鏡である。

自分の目で見て、自分の感性と価値観で選んだものを身の回りに置くことが「自分らしい」ということである。

「自分らしい部屋」は生きる楽しさや創造性の源になる。

お気に入りのドレスやシャツを選ぶようにチョイスしたインテリアの部屋は自分の姿そのものである。











「運を良くする5ヶ条」

2016-03-26 10:04:41 | 日本

松本守正のブログ「運を良くする5ヶ条」について記す。



運を良くする為には、ひとことでいうと、
「自分は運がいい!」と口癖にするということです。
どんな状況においても「運がいい!」と徹底して思い込むのが基本である。

では 運を良くする5ヶ条
1.ついている人と付き合う。

磁力のある人と付き合うこと。

2.笑顔を忘れずいつも瞳を輝かす。

苦しくとも笑顔気力は目に出る。

3.胸をはれ!姿勢を正しく

いつもいい背中が運を呼ぶ。
自信のある人→風格にでる。

自信のない人→下向き。猫背。

4.今やるべきことをする。
今やるべきことに集中する。
その連続が運を良くしていく。

5.自分に自信をもつ。

自信とは自らを信じる事。
私はやれる!できる!口癖にする。

僕は「どうしてそんなに強運なんですか?」ってよく聞かれる。

「運がいい」ことが続いていくと、
「あの人は強運の持ち主だ」と言われるようになる。











「好印象のエッセンス」

2016-03-26 10:03:19 | 日本

松本守正さんのブログ「好印象のエッセンス」について記す。



人間関係は人が主役。

人は第一印象で80% 好きか嫌いかが決まる。

ちょっと素敵な自分になるエッセンを紹介する。

☆好印象に思われる方法

☆服そう 髪型 髪の色。

☆時間に正確。

☆きちんと挨拶をする。


◇謙虚であると思われる方法

◇私が…俺が…という言葉を使わない。

◇「そうですか 私も以前そうだったんですよ」 又は「私もそう思っていた」とその人の意見に同調する。


●熱心で前向きと思われる方法

●人の話をよく聞き、前向きな質問をする。

●姿勢が良い。


*自信に溢れて活気のある人と思われる方法

*相手の目を見て話をする。

*一緒にいて楽しい♪

わくわくしましよう。











「迷い・不安・怖れ

2016-03-26 10:02:35 | 日本

松本守正さんのブログ「迷い・不安・怖れ」について記す。



こての失敗は迷いや不安や怖れから生じる

では迷いや不安、怖れははどうしたら取り除けるのか?

1.何かひとつでいいから信じ切る。信じ切る心が大切である。

商品、リーダー、仲間、会社。

2.考えすぎない。

いい加減でちょうどいい。(いい湯加減・いい塩加減)

時間(暇)があると人間はついつい考えてしまう。

3.今やらなければならないことを、紙に書き出し全力を!!!


何となくやりたいと心のどこかで思っても実践していないことがある。
それは迷いや不安、怖れがあるからである。

自分の中にある不安や怖れの為に迷い、その結果、一歩を踏み出せなかったり、諦めてしまったことがいっぱいある。

何かに挑戦したり、何かを始めようとしても、躊躇してやめてしまうのは、人の目を気にしたり、批判されること、失敗することが怖いからである。

そんな風に自分の行動や考えていることが、怖れの為に制限されてしまう。

自分の中にある迷い・不安・怖れを取り除こう。











「女性の更年期」

2016-03-26 10:01:00 | 日本

松本守正さんのブログ「女性の更年期」について記す。



<更年期にならない方法>

身なりを「キラキラ・ジャラジャラ」

光り物を身に付ける。

日頃からアクセサリーをジャラジャラつけて、華やかにすると更年期やうつ病になりにくいのだそうである。

キーワードはキ「ラキラ・チャラチャラ…」

更年期は女性にとっては第2の人生のスタートである。

誰もが通らなければいけない道なんだから、どうせなら楽しく通ったほうがいい。

そうすればその後に、また新たな楽しみがいっぱい待っているはずである。

暦の年齢は変えることは出来ないが精神的年齢、体力的年齢、それに伴う見た目年齢は、その人の心の持ち方在り方で大きく変わる。

いつまでも夢を追いかけ生き生きしている女性、そして年齢に関係なく少女のように可愛いらしい女性は何歳になっても魅力的だと思う。













「説得力ある憲法改正に関する2つの投書」

2016-03-25 08:58:30 | 日本

筆坂秀世 さんが、参院選では憲法改正も争点に、野党は正面から論議せよ!について掲載している。
以下、要約し記す。



3月13日、14日の朝日新聞と産経新聞に、憲法改正に関する2つの興味深い投書が掲載されていた。

13日付の朝日新聞に掲載されていたのは愛知県の83歳の男性からの投稿で、「法治国家なら憲法改正は必要」というタイトルだった。
「安倍晋三首相が憲法改正について『私の在任中に成し遂げたい』と述べるなど積極的な発言を続けている。参院選の争点になりそうだ。自民党の党是である憲法改正の大きな目的は9条を変えることだ。9条改正に私は賛成する」とある。

憲法改正に賛成する投書が朝日新聞に掲載されたことは大きな驚きである。しかも、なぜ賛成なのか、実に説得力をもって展開されているのだ。


◎本来は相容れない現憲法と自衛隊・日米安保

「9条2項に『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』とある。自衛隊は事実上の陸海空軍を擁する軍隊であり、日米安保条約も日米の軍事同盟だから違憲の疑いは濃厚だ」と指摘する。

その通りである。自衛隊を合憲としてきた内閣法制局の理屈とは、基本的に次のようなものである。日本には、主権国家として、自然権としての自衛権がある。したがって自衛のための最小限の実力組織を保持することは憲法上許される、というものだ。


◎説得力ある憲法改正に関する2つの投書

しかし、普通に考えれば、自衛のための最小限の組織であろうとなかろうと、軍隊は軍隊である。小さな軍事力だから軍隊ではない、などという理屈は世界に通用しない。そんなことを言えば、自衛隊より小さい軍事力しか持たない国は世界にはいくらでもある。だが、その国では堂々と軍隊として位置付けられている。自衛隊も国際的には明確に軍隊と位置付けられている。当然のことだ。

また、日米安保条約が軍事同盟であることも、言うまでもない。同条約に基づき我が国には、多くの米軍が駐留している。日本は、敗戦によってアメリカを中心とした連合軍に占領され、サンフランシスコ平和条約調印後も日米安保条約によって、そのまま米軍が駐留してきた。

日米安保条約が調印されたときには、警察予備隊はあったが自衛隊はまだ存在しなかった。アメリカに日本を防衛してもらうということであり、まだ軍事同盟とは言えないものだった。その後、自衛隊が創設されるが、一方で戦力を放棄した憲法を持ちながら、他方では巨大な米軍の軍事力と核兵器による「核の傘」によって、日本の防衛が図られてきた。投書が指摘するように、日米安保条約と現憲法は本来相容れないものなのである。
憲法9条も立憲主義もとっくに壊れている

その上で投書は、「しかし、一部を除き与野党とも自衛隊解散や日米安保条約破棄を主張しないのは、日本が戦後70年もの間、平和であり続けた要因に、自衛隊と日米安保条約の存在があったことを多くの日本人が認識しているからだ」と指摘し、次のように結論づける。

「憲法の条文と実態が明らかに相反していて、現状を維持するのであれば憲法を改正しなければ法治国家とは言えない。与野党ともなるべく早く憲法改正へ動くべきである」

最近、野党勢力がやたらと立憲主義という言葉が振りかざすことに強い異論を持ってきた。この矛盾を度々、指摘してもきた。護憲派の人々は、この投書の指摘をなんと思うのだろうか。安保法制を「戦争法」と呼び、憲法9条は壊すなと主張する人々は、自衛隊や日米安保条約が憲法と相容れない存在であることに、いつまで見て見ぬふりをするのだろうか。憲法9条は、とっくに壊れている。立憲主義もとっくに壊れているではないか。

立憲主義を守れと言うのなら、選択肢は2つしかない。投書が指摘するように9条の改正を行うか、それとも即時に自衛隊を解体し、日米安保条約を破棄する道に進むかである。このどちらも行わないというのなら、そのような政党や運動に立憲主義を語る資格は毛頭ない。


◎リアルな現実を見つめる若者の目

一方、3月14日付の産経新聞には、16歳の高校生の「憲法改正し国を守る備えを」と題する投書が掲載されていた。

共産党の志位委員長は、中国の南シナ海での国際法を無視した領土拡張と軍事基地化や北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射や核実験などについて、「リアルな脅威ではない」と語った。普通は独裁国家というだけでも脅威と見なすものである。いくら中国共産党と親密な関係を築いているとしても、無法行為にきっぱりと立ち向かわないようでは、日本の政党としての存在意義が問われるというものだ。

これに対して、この高校生の投書は次のように指摘する。
「憲法で武力による威嚇や行使の放棄を掲げて平和が守れるなら、日本以外の国々もそうしているだろう」

「『9条』だけで国が守れるなら、中国の艦船が領海に侵入することはないし、ロシアの戦闘機が領空を侵犯することもないはずだ。先月7日、北朝鮮がミサイルを発射したが、『9条』を掲げていても止めることはできなかった」

「それでも憲法で平和を守れると本気で考えている人は、紛争が続く中東地域へ行き、『9条』の精神を説いて回ってみればよい。現実を知れば、平和や戦争放棄を唱えるだけでは、国を守れるはずがないと気づくはずだ」

志位委員長よりも、はるかにリアルに現実を見ていると言うべきだろう。
野党は憲法改正論議を避けるな

民主党の岡田代表は、安倍政権のもとでは憲法論議はしないという趣旨の発言をしている。しかし、参院選では否応なしに憲法改正が争点の1つになるであろう。

そもそも「立憲主義を守れ」というのが野党の主張である。にもかかわらず憲法改正論議に正面から立ち向かわないというのであれば、それは逃げでしかない。

朝日の投書が指摘していることは、戦後体制の欺瞞ということである。戦後70年、この戦後体制の欺瞞を正すときが来ているということだ。志位氏のように、「安倍政権になって自民党はウルトラ右翼=極右政党化しました。かつての自民党がもっていた保守政党としてのある種の寛容さ、多様性、ゆとりを失い、灰色のモノクロ政党=単色政党になってしまいました」(2016年1月4日党旗開きでのあいさつ)などと悪罵で決めつけるのではなく、堂々の論戦を行うべきである。

また共産党は、恥をかかないためにも、憲法についての同党の態度の変遷を少なくとも地方議員や国会議員には、よく教えておくことだ。

例えば、現憲法が制定される際、政党として唯一反対したのが共産党であったこと。反対の理由は天皇条項と9条であったこと。さらに共産党が目指す民主連合政府では、憲法違反の自衛隊は解消し、その後、憲法9条を改正して自前の軍事力を持つことを方針にしてきたこと。つまり、疑いもなく改憲を目指す政党であったことなどについてである。

こんなことも知らずに「9条は世界の宝」などと気楽に言っているから、東京都議会で大恥をかくことになったのだ。

2月25日の東京都議会本会議で自民党の古賀俊昭議員が、共産党が現憲法制定時に9条に反対したことを取り上げ、その際の野坂参三衆議院議員の発言を紹介した時だった。共産党の都議が議長席に詰め寄り、猛烈な抗議を行った。私もその模様をVTRで見たが、古賀議員が紹介した野坂発言は会議録に基づく正確なもので、何ひとつ問題がないものだった。確かに「護憲政党のごとくを装っている」という発言もあったが、これもことさら問題にすることではない。もともと9条に反対し、改憲を目指してきたのだから。また将来、絶対に憲法を変えないとは言っていない。

おそらく抗議に行った議員は、野坂氏の発言など知らなかったのだと思う。もしかすれば共産党が反対したことも知らなかった可能性がある。いまの党員は、共産党が憲法9条を作ったくらいに思っているからだ。

あまりにうるさくて舛添知事が答弁できないくらいの猛抗議だったそうだが、当日、共産党都議団幹事長名で出された都議会自民党幹事長宛の申し入れ分は、「自民党の古賀俊昭議員が、本日の都議会本会議の場を利用して、わが党に対し『護憲政党のごとく装っている』などと、事実に反する誹謗中傷をしたことは許されず、議会を冒とくするものです。謝罪と議事録の削除を求めます」というものだった。「出直して来い」と自民党が言ったかどうかは知らないが、無知ほど怖いものはない。











「杉原千畝だけではない、ユダヤ人を救った日本人」

2016-03-25 08:57:18 | 日本

もっと焦点を当てていい、日本人の人道支援について、掲載した文章があった。
以下、要約し記す。



安倍晋三首相がリトアニアのロレータ・グロウジニエネ国会議長と3月2日に首相官邸で会談した記事があった。その中で首相は第2次世界大戦中にナチスに迫害されたユダヤ人にビザを発給し、命を救った駐リトアニア領事代理の杉原千畝氏に触れ、「多くの日本人が杉原氏を通じてリトアニアに関心を持っている」と述べたという。

会談相手がリトアニアの国会議長であったので、話が杉原氏に及んだのは理解できる。

ただ、アドルフ・ヒトラーのナチに迫害されていたもっと多くのユダヤ人を救出した日本人がほかにもいて、イスラエルで最も権威ある顕彰を受けていた軍人たちがいたことを知っておくことは、歴史の中の日本および日本人を考える上で大切なことであり、また今後の難民対処等にも資するものではないかと思料する。


◎人道・人権を重んじる日本

日本は人権を重んじる国だと言われる。テロの犯人を開放する間違った処置をした首相もいたが、下記のようないくつかの事象や植民地経営などを見ると、人道主義というのは「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」であろう。

1854年、日露和親条約締結交渉のために伊豆下田に碇泊していたロシア使節エフィム・プチャーチン提督乗艦のディアナ号は、安政大地震による津波で大破し、修理に回航する途中で沈没する。酷寒の海に投げ出された約500人の乗組員は沿岸漁民たちの尽力で全員救出される。

その後、日本は船を建造し、彼らをロシアまで送り返す。こうした行為がロシア側に感銘を与え、ロシアは返礼に艦載砲を寄贈する。その1門は現在も靖国神社の境内に展示されている。

1872年には横浜に入港したペルー船マリア・ルース号から1人の中国人が逃亡してきた。船はマカオからペルーに向かう途中に修理のために寄港したもので、人身売買で奴隷として扱われた苦力231人が乗船していた。

日本側は船内に閉じ込められていた全員を保護すると同時に、船の出港を禁止して船長を訴追する。ペルーは日本の措置は国際法に違反するとして対立したが、副島種臣外務卿は一歩も引かず、人身売買は人道に反すると主張。その後の裁判で日本の主張が認められ、奴隷は本国に送還された。

1890年、オスマン・トルコ帝国から答礼に来日したフリゲート艦エルトゥールル号は、明治天皇に拝謁する責務を果たし帰国の途に就く。老朽艦でもあった艦は台風に進路を阻まれ、和歌山県沖で座礁沈没する。

近隣の村々から駆けつけた人々は異国で息絶える乗組員たちの無念さを思って悲しみながらも、溺れて助けを待っているかもしれない乗員を救うため嵐の海に飛び込んでいった。

しかし、パシャ提督以下587人が犠牲になる。救助された負傷者69人を自分たちの体で温め、乏しい食料品をかき集め煮炊きして回復に努めた。
イラン・イラク戦争中、イランが外国人に24時間以内の退去通告を出したが、日本政府は邦人救出の手段を見つけることができない。時間切れ2時間前に、トルコが自国民救出に派遣していた航空機を差し回し、日本人を救出してくれたことは記憶に新しい。

エルトゥールル号以来の友情があったればこそであった。
こうした過去の諸々の行為が、国際連盟規約に「人種差別撤廃条項を挿入すべし」という日本の主張につながっていった。しかし、議長を務めていた米国のウッドロウ・ウイルソン大統領は多数決(17対11)で議案が可決されそうになると、従来の慣例を破って全会一致の採決を提案し否決する。

バラク・オバマ氏が黒人大統領として登場したとき、90年ぶりに日本の意志が叶ったと一部で報道された原点はここにある。

人道に関して一段と明確なのは第2次世界大戦後の日独における裁判である。ドイツはニュルンベルグ裁判で、大戦前から戦争中にかけてドイツや占領地に在住するユダヤ人を迫害・虐殺した「人道に対する罪」を問われた。

ユダヤ人虐殺は偶々戦時中に起きたが、国際法で言う戦争犯罪ではなく、ユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)のもとで行われた戦慄すべき民族抹殺である。日本はこのような恐ろしい犯罪は起こしていない。


◎日本の占領地経営
スペインの中南米征服や、英国の北米および豪州進出は原住民虐殺・絶滅と文明破壊であったと言っても過言ではない。その後の西欧列強による植民地経営も領土の拡大と資源獲得で自国を富裕化し、国益を増大することであった。

そのため植民地の人々の人権を無視して酷使し、富を略奪するのが一般的であった。もちろん植民地の人々は奴隷や奴隷同然と見なされていたから教育を施し、衛生環境を改善し、インフラ整備することは眼中になかった。

他方、日本は日清・日露戦争の結果、台湾や満州の一部、朝鮮、さらには南洋諸国を植民地などにしたが、日本の対応は西欧列強が行った植民地経営とは全く異なるものであった。

日本は植民地を自国の延長のように考え、西欧列強のような人種差別や人権抑圧をしないばかりか、「内鮮一体」と言われたように、植民地との一体化や、その伝統・文化を尊重する施政を行った。
 西欧列強が行った植民地経営と差別化する意味では、別の呼び方がふさわしいかもしれない。

児玉源太郎総督の下で民政長官として台湾に赴任した後藤新平は、「生物学的植民地経営論」を主張したことで知られる。台湾の現地に生来行われてきた慣行・制度を究めて、日本の制度や組織を台湾に適応するように工夫しながら植民地経営をやるべきであるとの謂いである。

後藤は、次いで満鉄の初代総裁に就任すると「文装的武備論」を開発の哲学にする。これは、文治で産業振興を図り、鉄道・道路・病院・学校などを完備して多数の移民を定住させれば、戦時は有効に機能し外敵は容易に侵入できないというものである。満州の発展に魅かれて、人口は年間100万人づつ増加したと言われる。

「文装的武備論」は馬賊や匪賊が割拠する大陸の状況を加味した開拓論であるが、経営の基底に「異文化社会の価値観に添うような組織、制度を編み出すことが肝腎である」(渡辺利夫著『アジアを救った近代日本史講義』)という点では「生物学的植民地経営論」と同一理念とみてよい。

現に台湾や南洋諸国は今でも親近感を持ち合わせ、指導的立場の人々からは「日本精神」という言葉さえ聞かれる。

ただ、満州を取り込んだ共産主義中国と李朝500年の遺伝子を色濃く残す朝鮮は、近代化をもたらした日本的経営を否定するどころか、搾取や虐殺をした日本という歴史の捏造を平然と行っている。

ただ結果論であるが、米英仏蘭などが植民地統治した東南アジア諸国やアフリカ、中近東、南米などでは1980年代でも経済発展が遅れ、自由民主主義も根づかなかった。そうした中で台湾や韓国が抜け出たことは、日本統治の成果の一端を示しているようである。


◎賞賛に値する杉原の功績

アウシュヴィッツはナチスの呼称で、ポーランド施政下の今日はオシフィエンチムと呼ばれている。ポーランド南部に位置するが、第2次世界大戦の引き金を引いたドイツから見れば、欧州に散在するユダヤ人のほぼ中央に位置する便利な場所であったということのようである。

このアウシュヴィッツを2014年に訪ねた。今では規模を縮小して世界遺産にも登録された観光名所になっている。スケールは縮小されたが、政治犯の収容棟やガス室、虐殺された人たちの髪で編んだ絨毯、靴、義足などなどを積み上げた展示室などがある。中には赤や黒の小さな靴やサンダルなども沢山あり、正視するのが憚られる。

建屋と建屋の間に臨時の慰霊場があった。慰霊の方法は異なるが、日本から持参した線香と水を手向けて、犠牲になった無辜の人たちを弔った。
 すぐ隣には各地からユダヤ人を運んできた列車の引き込み線が今も残るビルケナウ収容所がある。広大な敷地は鉄条網で囲まれており、中央をまっすぐに伸びた線路がはるかかなたで消える様は、この世の終わりのようにも見え不気味さを感じさせる。

こうした運命に晒されたかもしれなかった6000人のユダヤ人に、日本政府の命令に逆らってビザを発給し、そのために外務省を解雇された、と言われる杉原千畝の功績は賞賛に値する。イスラエルのホロコースト記念館は、杉原氏を「諸国民の中の正義の人」として顕彰している。


◎ドイツの抗議を蹴ってユダヤ人を救出した軍人

外交官ではウラジオストク領事代理の根井三郎もビザを持たずにウラジオストックに到着したユダヤ難民に日本通過ビザを発給している。もっと多くのユダヤ難民を救助したのが軍人たちである。

ハルビン特務機関長であった樋口季一郎少将と大連特務機関長であった安江仙弘(のりひろ)大佐は日頃から現地のユダヤ人社会と交流があった。そのユダヤ人が困っているのを助けることは満州国建国の精神である「五族協和」の理念に叶うことでもあると理解していた。

2人が救出したユダヤ人は約2万に上るとされ、樋口少将と安江大佐の名が「ゴールデン・ブック」に記載されている。ゴールデン・ブックは「ユダヤ民族に貢献した人々や、ユダヤ人を救済した人々を顕彰する最も権威あるもので、ユダヤ人にとって名を記載されることは最大の名誉」(馬渕著)である。

樋口はハルビンでの極東ユダヤ人大会の開催を許可し、来賓としてユダヤ人の祖国建設に理解を示す祝辞を述べて、参加したユダヤ人に多大の感銘を与えたと言われる。

経緯を簡単に記すと、1938年3月、ナチス・ドイツの迫害を逃れてシベリア鉄道経由で満州国境まで来たユダヤ難民はドイツ旅券を保持していたが、ソ満国境のソ連側オトポール駅に留め置かれる。零下数十度の厳寒の中、寒さと飢えで生命の保証がないまま、野宿生活を余儀なくされていた。

ソ連が入国を認めないので、満州への入国を希望する。日本と友好関係にあったドイツは抗議してくるが、関東軍参謀長の東条英機中将は「日本はドイツの属国ではないし、ことは人道問題である」として、樋口少将に満州国との交渉を許可する。

少将は満州国外交部と協議のうえでユダヤ人の受け入れを決定し、満州里駅で満州通過ビザを発給する(一連の事象は「オトポール事件」と呼ばれる)。

満州里からハルピンなどの主要都市への移動には、松岡洋右満鉄総裁が特別救援列車を手配する便宜などを図る。満州に入国したユダヤ人は、満州に定住したり、上海へ移住したり、日本経由で南米に渡ったりして生き延びた。

通過ビザで一時日本に滞在したユダヤ人に対して、日本は官民挙げて親切に対応したと言われる。ユダヤ人コミュニティがあった神戸には多くのユダヤ人難民が一時期を過ごすが、行政当局はあらゆる便宜を図り、神戸の住民は差し入れなどして歓迎している。ポーランドに帰国したユダヤ人とは今も交流が続いていると仄聞する。

上記の話とは異なるが、犬塚惟重(これしげ)大佐は上海の日本疎開地にユダヤ難民を収容する施設や学校、病院を作り、約3万人のユダヤ人を保護し、さらに、リトアニアから350人のユダヤ人を救出して米国へ送り届ける外交交渉をしている。

大佐もゴールデン・ブックに記載される予定であったが、「(天皇陛下のご慈悲に従って働いているだけで)記名されるべきは陛下であられる」として固辞したと言われる(「産経新聞」2011年7月9日付)。
おわりに

オトポール事件を契機に、我が国は総出でユダヤ難民の救出にあたった。日本政府はこの時、ユダヤ人迫害は日本が主張してきた人種平等に悖(もと)るもので、他国人と同様、公平に取り扱うべきであるとする「ユダヤ人対策要綱」を決定(1938年12月)している。杉原氏の行為も、この要綱に基づいて取られたものであった。

この要綱は1919年のベルサイユ講和会議で日本が提案した人種差別撤廃の精神を受け継いだものであることは言うまでもない。

ちなみに、イスラエルで最も権威あるゴールデン・ブックに記名されている樋口少将について、自由社の『新しい歴史教科書』(平成23年5月発行)が、杉原氏と共にコラムで記載しているが、他は寡聞にして知らない。
 今日でも中東から欧州への難民や、中国、北朝鮮での人権弾圧、米国やアフリカにおける人種問題などが日々報道されている。人種差別や人権弾圧は過去の問題でも、また遠い国の問題でもなく、今明日の日本と日本人にも大いにかかわる問題でもあろう。

先人たちの対処に学ぶところは多いはずであり、参考にすべきであろう。