「谷口雅春先生の根本教義」
※以下の文章は、いつでも目に入る所に掲示しておき、迷いそうになった時には必ず読み、本来の生き方に自己を修正する。
宇宙全体が一つの調和した全体として本能的に動いている。
この世はすべて調和している。
山の紅葉の如く、個々においてはすべて異なった状況にあるが、全体として調和している。
発熱もよい、痛みもよい、蚊に刺されるのもよい。盲人は、その目が盲目になることがその人の本当の救いになっている。そうかと言って我われは故意に盲目になる必要はない。盲目になって救われる人は大自然が彼を盲目にしてくれる。盲人は盲人で救われており、眼あきは眼あきで救われている。蚊に刺されるのもよいが、そうかと言って故意に竹藪の中に裸で入って血を吸わせる必要もない。蚊を払う動きも、蚊を払う動きとして、それ自身で調和したものである。強いて何をせねばならないかということはない。
何がおきてきても、各人にとって救いとならないことは一つも起きない。つまずく人は、つまずくことによって悟り、苦しむ人は苦しむことによって救われ、悩んでいる人はその悩んでいることは光明を拝する一過程になっている。皆、神の子であって救われないものはない。あらゆる苦しみも結局その人が神の子である実相を悟るための余財であるが、それには回り道と近道とがある。近道とは真理を悟ること。回り道とは迷うことであって、近道を行くほど苦しみは少なくてすむ。
現象の中に実相あり。
実相を直視し祈る時に
実相の顕現としての現象が顕われる。
そこに浄土が現前し、
地上に天国が建設せられる。
自分が多勢いを救うという「力み(りきみ)」があるから、いろいろ煩悩が起こる。
神が救うのだということがわかれば、神の力が自分を押し流して社会へ出してくれる時には、社会に出て社会を救う。
身体にも、意識にも、ストレスを止めないこと。
こころをそこに置かないこと!
ただ喜びのみ、完全さのみに気を集中すること。
※以下の文章は、いつでも目に入る所に掲示しておき、迷いそうになった時には必ず読み、本来の生き方に自己を修正する。
宇宙全体が一つの調和した全体として本能的に動いている。
この世はすべて調和している。
山の紅葉の如く、個々においてはすべて異なった状況にあるが、全体として調和している。
発熱もよい、痛みもよい、蚊に刺されるのもよい。盲人は、その目が盲目になることがその人の本当の救いになっている。そうかと言って我われは故意に盲目になる必要はない。盲目になって救われる人は大自然が彼を盲目にしてくれる。盲人は盲人で救われており、眼あきは眼あきで救われている。蚊に刺されるのもよいが、そうかと言って故意に竹藪の中に裸で入って血を吸わせる必要もない。蚊を払う動きも、蚊を払う動きとして、それ自身で調和したものである。強いて何をせねばならないかということはない。
何がおきてきても、各人にとって救いとならないことは一つも起きない。つまずく人は、つまずくことによって悟り、苦しむ人は苦しむことによって救われ、悩んでいる人はその悩んでいることは光明を拝する一過程になっている。皆、神の子であって救われないものはない。あらゆる苦しみも結局その人が神の子である実相を悟るための余財であるが、それには回り道と近道とがある。近道とは真理を悟ること。回り道とは迷うことであって、近道を行くほど苦しみは少なくてすむ。
現象の中に実相あり。
実相を直視し祈る時に
実相の顕現としての現象が顕われる。
そこに浄土が現前し、
地上に天国が建設せられる。
自分が多勢いを救うという「力み(りきみ)」があるから、いろいろ煩悩が起こる。
神が救うのだということがわかれば、神の力が自分を押し流して社会へ出してくれる時には、社会に出て社会を救う。
身体にも、意識にも、ストレスを止めないこと。
こころをそこに置かないこと!
ただ喜びのみ、完全さのみに気を集中すること。