龍の声

龍の声は、天の声

「国酒・日本酒 ②」

2012-05-31 07:10:35 | 日本


ここまでの時代で、まだ現れなかった重要な日本酒づくりの工程がある。
「一麹、二もと、三造り」でつくった酒を熟成させるための「火入れ」という工程だ。

腐敗防止に必要だった「酒ニサセ」
日本酒は、貯蔵により熟成させると、新酒のときとは違った奥深い風味が出てくると言われてきた。ただし、日本酒は、麹菌や乳酸菌などの菌を多く使う酒だ。極めて腐敗を起こしやすい。
そこで、つくった日本酒を貯蔵するとき、まず火入れを行なうことが多い。ほどほどの熱を加えて摂氏60度や65度の温度で殺菌をする。特に夏の間の日本酒の腐敗を防ぐのである。
この火入れという作業は、いつから行われていたのだろうか。鍵を握る記述が見られるのは『多聞院日記』だ。奈良の興福寺の学侶たちが遺した日記で、記述は戦国時代の1478(文明10)年から、江戸時代前期の1618(元和4)年に至る。

1568(永禄11)年の日記には、夏につくる酒の醸造過程が書かれている。注目すべきは次の表現だ。

「六月二三日 酒ニサセ樽へ入了」

ここでの「ニサセ」とは「煮させ」のこと。つまり、酒を加熱していたのだと考えられる。
人びとはこの時代に、さまざまな細菌が日本酒を腐敗させるといった知識を持っていたわけではない。だが、それでも、日本酒に熱を加えると貯蔵・熟成のときも長持ちするといった経験的な知を得ていたのだろう。
この火入れという経験的な知は、『多聞院日記』から300年後の明治時代初期、外国人に驚きの眼差しで受け止められた。東京帝国大学(現在の東京 大学)に“お雇い外国人”として招かれた英国の化学者ロバート・ウィリアム・アトキンソンは、『日本醸酒編』という著書のなかで、「(日本人 は)300年前にいったん酒液を熱して幾と耐うべからざるに至らしめ、もってこれを予防するの法を発見」していたのだと記している。


火入れ酒と生酒の比較今昔

『多聞院日記』に戻ると、夏につくる酒を腐敗させないため火入れをする一方で、冬につくる酒に「ニサセ」の記録は見られない。熱を加えない日本酒は、いまで言う「生酒」に近かったのだろう。むしろ火を起こすという工程の大変さを考えると、火入れは、夏につくる酒に対する特別な工程だったと考えられる。
日記には、夏に火入れしてつくる「火煎酒(ひいりざけ)」という酒と、冬に火入れせずにつくる「諸白(もろはく)」という酒を比べたくだりも見られる。

「ヒセンヨリモロハクノ事申上間、(中略)三升カヘニ、一斗五升コナカラ取ニ遣ス。代米四斗七合済セ了ル」

この日記を『酒造りの歴史』という著書の中で紹介した日本史学者の柚木学は、「火煎酒よりは諸白がほしいと希望して、酒一升を米三升の割で取り換えることを申入れたものであろう」と解釈している。
酒の価値とは、味だけではない。だが、夏の火煎酒より、冬の諸白に価値を置いたのは、諸白の方が品質が上回っていたからだろう。
その後、日本酒づくりは冬場に行うものという習慣が定着していった。そして、冬場の酒でも腐敗を防ぐため火入れを行うようになっていった。

そして現代。冷蔵技術が発展したため、日本酒を火入れせず低温貯蔵するという方法も利用されるようになった。つまり、生酒であっても、腐敗させずに長らく熟成させることができるようになったのだ。<了>




「国酒・日本酒 ①」

2012-05-30 08:02:15 | 日本



わが輩の先祖はお酒の神様である。
そこで今回は、国酒である日本酒について学ぶ。
以下、2回記す。



国を代表する酒のことを「国酒」という。
日本の国酒といえば日本酒だ。主食の米や「国菌」とよばれる麹(こうじ)菌などを使ってつくる。
30年以上前、大平正芳内閣の頃、「日本酒を国酒に」とする政府の働きかけがあった。最近でも、国家戦略大臣が日本酒を国酒に位置づける方針を示したという。
政府が方針を示すよりはるか昔から、実際、日本酒は日本の国酒であり続けた。主原料は米や麹菌。これらを使って醸造する。主食は米、気候は多湿。そうした風土がもたらした産物が日本酒だ。


日本酒がどのようにつくられてきたか、その歴史を追っていく。
古代日本の様子を知る手がかりとなる中国の『魏志倭人伝』。ここにも日本人が「酒を嗜む」ことや、喪に際して「歌舞飲酒」することが記されている。日本人は、昔から酒を飲んでいたようだ。ただし、どのような酒をどのようにつくり飲んでいたかは、後世の文書を頼らなければならない。
飯、米麹、水を原料にして発酵させる。このような日本酒のつくり方に相通じる方法が綴られているのが、奈良時代初期に編まれた『播磨国風土記』だ。次のようなくだりがある。

「大神の御粮(かて)、枯れてかび生えき。即ち酒を醸さしめて庭酒(にわき)に献りて宴しき」

ここでの「粮」はおそらく米のこと。この粮に「かび」が生えてきた。そこで酒を醸して、神に供える「庭酒」として献じたのである。ここでの「かび」は、麹菌と考えてよいだろう。麹菌は、米の澱粉を糖に変えるという、酒造りにおいて重要な働きを持つ。
日本酒の起源をめぐっては、かびによるものの他に、「口嚼酒(くちかみのさけ)」という酒が始まりだったという説がある。口のなかで生米を嚼んでは吐き出し、唾液によって米を発酵させて酒にするというものだ。発酵を利用して酒などをつくることを「醸造」というが、この言葉に使われる「醸(かも)す」は「嚼む」から来ていると言われている。

飯、麹、水を混ぜて10日、神への酒づくり

「一麹、二もと、三造り」
これは、日本酒づくりにおける作業の重要度を順に表した、古くからの表現だ。この「一、二、三」は、日本酒づくりの工程順にもなっている。

まず、「麹」。米を精米、洗米してから蒸し、これに麹菌の胞子を振りかける。
2日間、麹菌は、澱粉を分解して糖に変える物質、つまり酵素をつくり続ける。

次に、「もと」。「酒母」とも呼ばれる、日本酒の母体をつくる工程だ。
蒸米、麹、水の他に、酵母と乳酸を混ぜる。

そして、「造り」。この工程では、酒母に、さらに蒸米と水を入れて、酵母で発酵させる。これにより、粕を含んだ醪(もろみ)がつくられる。醪を圧搾すると、透き通った黄金の新酒が出来上がる。

平安時代の律令制度を編纂した法文集『延喜式』にも、酒をつくって神をまつる「新嘗会祭(しんじょうえ)」の際に使われる酒のつくり方が詳しく書かれてある。
斎場に、酒を醸す器としての甕(かめ)が並べられた酒殿、「春稲仕女(つきしねのしにょ)」と呼ばれる女が米をつく臼殿、そして麹がつくられる麹殿といった建物を配置する。飯、麹、水を甕のなかで混ぜて10日ほどおき、酒をつくった。主原料などを考えると、現代の日本酒づくりに相通じる作業が平安時代には行われていたようだ。『延喜式』には他にも、様々な酒のつくり方が記載されている。



「花伝書とは、②」

2012-05-29 08:06:22 | 日本



〔3〕世阿弥の生涯

世阿弥(ぜあみ、世阿彌陀佛、正平18年/貞治2年(1363年)? - 嘉吉3年8月8日(1443年9月1日)?)は、日本の室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。 父の観阿弥(觀阿彌陀佛)とともに猿楽(申楽とも。現在の能)を大成し、多くの書を残す。観阿弥、世阿弥の能は観世流として現代に受け継がれている。

世阿弥の生涯は、世阿弥が生まれたとき父である観阿弥は31歳で、大和猿楽の有力な役者であった。観阿弥がひきいる一座は興福寺の庇護を受けていたが京都へ進出し、醍醐寺の7日間興行などで名をとどろかせた。世阿弥は幼少のころから父の一座に出演していた。

1374年または1375年、観阿弥が今熊野で催した猿楽(申楽)能に12歳の世阿弥が出演したとき、室町将軍足利義満の目にとまった。以後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになった。1378年の祇園会では将軍義満の桟敷に世阿弥が近侍し、公家の批判をあびている。1384年に観阿弥が没して世阿弥は観世太夫を継ぐ。
当時の貴族・武家社会には、幽玄を尊ぶ気風があった。世阿弥は観客である彼らの好みに合わせ、言葉、所作、歌舞、物語に幽玄美を漂わせる能の形式「夢幻能」を大成させていったと考えられる。一般に猿楽者の教養は低いものだったが、世阿弥は将軍や貴族の保護を受け、教養を身に付けていた。特に摂政二条良基には連歌を習い、これは後々世阿弥の書く能や能芸論に影響を及ぼしている。
義満の死後、将軍が足利義持の代になっても、世阿弥はさらに猿楽を深化させていった。

だが義持は猿楽よりも田楽好みであったため、義満のころほどは恩恵を受けられなくなる。義持が没し足利義教の代になると弾圧が加えられるようになる。1422年、観世大夫の座を長男の観世元雅に譲り、自身は出家した。しかし将軍足利義教は、元雅の従兄弟にあたる観世三郎元重(音阿弥)を重用。仙洞御所への出入り禁止(1429年)、醍醐清滝宮の楽頭職罷免(1430年)など、世阿弥・元雅親子は地位と興行地盤を着実に奪われていった。

1432年、長男の観世元雅は伊勢安濃津にて客死してしまう。失意の中、世阿弥も1434年に佐渡国に流刑される。1436年(永享8年)には『金島書』を著す。
補巌寺は、大和の国衆十市遠康が至徳元年(1384年)結崎出身の了堂真覚を鹿児島より呼び戻し開祖とし、開基された奈良県磯城郡田原本町味間にある大和最古の禅刹(曹洞宗)である。世阿弥は、ここで2代竹窓智厳に師事し、能の世界に禅の影響を色濃く受け、世阿弥参学の地といわれている。また、世阿弥夫妻は一休宗純の尽力により罪を解かれて当寺に帰依し、至翁禅門・寿椿禅尼と呼ばれ、田地を一段ずつ寄進している。能帳には至翁禅門8月8日の記述が残っており、世阿弥の供養が営まれていたことが判明したことから世阿弥終焉の地であるといわれる。毎年8月8日の世阿弥の命日には多くの人が参詣し、法要が営まれている。境内の一角には「世阿弥参学之地」の顕彰碑が建立されている。後に帰洛したとも伝えられるが大徳寺に分骨されたのではないかといわれている。「観世小次郎画像賛」によれば嘉吉三年(1443年)に没したことになっている。




「花伝書とは、①」

2012-05-28 06:49:22 | 日本

花伝書(かでんしょ)について2回にわたり学ぶ。


〔1〕時分の花、まことの花

花伝書では、観客に感動を与える力を「花」として表現している。少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は心の工夫公案から生まれると説く。

現代風に言えば、今まで大活躍していたピッチャーが肩を壊したり、サッカー選手が足の骨を複雑骨折したり、相撲取りが引退したりして、要は今までの第一線栄光の場からリタイヤせざるを得なくなった。今までは時分の花だったが、これからがまことの花、本当の己が人生の花になるのだ。精進努力せよ!と言うことである。


〔2〕花伝書とは、

花伝書は室町時代末期に編纂された能楽伝書であり全八巻ある。
内容は、巻一に能の起源や式三番に関する伝を記し、巻二以下は位取り・調子・謡・型・囃子・装束などに関する実技的な理論や知識を集成する。
編者としては世阿弥の他、観世音阿弥、今春禅竹、宝生連阿弥、金剛宗説の名が奥書などで挙げられているが、いずれも仮託である。製板本では各巻の著者を世阿弥(ぜあみ)としており、その名を伝説化させることとなった。
中世後期から近世初期にかけての演能技法を知るための資料として高い価値を持っている。


第四、神儀に云う
「申楽、神代の初まりといふは、天照大神、天の岩戸にこもりたまひし時、天下とこやみになりしに、八百万の神達、天香具山に集まり、大神の御心をとらんとて、神楽を奏し、細男をはじめたまふ。なかにも、天鈿女のみこすすみい出たまひて、榊の枝に幣をつけて、声をあげ、火処焼踏みとどろかし、神がかりとす、うたひ舞ひかなでたまふ。その御声、ひそかに聞こえければ、大神、岩戸をすこし開きたまふ。国土また明白たり。神達の御面、白かりけり。その時の御遊び、申楽の初めと云々。くはしくは、口伝にあるべし。」として、古事記の神代の天岩戸隠れの時の天鈿女(あめのうずめ)を祖としている。


さらに花伝書のなかで観阿弥は言う。
どう見ても見飽きのしない役者が「強い」のであり、どう見ても美しい役者が「幽玄」であると。一時的な美しさを手に入れたり、競演で若手が名人と言われる役者を負かしてしまうこともあるが、「上手」と「まことの花」は違うと言っている。観阿弥は、「上手な役者は目が利かない観客の気に入ることはむつかしい。逆に下手な役者は、目の利く観客には問題にされない」と言っている。しかし、道を極めた役者で、芸を発揮する技巧を兼ね備えている者であれば、目の利かない観客にも「おもしろい」と思わせることができるはずだという内容を書いていた。観阿弥は、奥義を極めた役者は、たとえ老木になっても、花だけは枯らさずに咲かせ続けると言う。「世の中は一切みな因果の関係であり、「因果の花をさとること、これが極意であろう」と言っている。

己を知り、芸を極めて、そして、それを観客に「おもしろい」と思わせるための技を身につけて、はじめて、「まことの花」を咲かせることができるのかもしれない。その極意は、言葉では説明できないが、人間の心の根っこの部分に訴えかけるような「因果の花」を悟ることなのかもしれない。



「マハティール元首相、日本の政治にもの申す ③」

2012-05-27 06:58:09 | 日本


⑦円高は明らかに悪です。品質の高い日本製品を安く供給してくれれば、貧乏な国の国民でも買うことができる。しかし、円が高くなれば価格も高くなって買うことができなくなります。
円高は日本にとっても良くないが、日本製品を買いたい発展途上国にとっても悪いことなのです。
さらにもう1つ。現在、日本は中国とも競争をしなければならなくなっています。その中国は元を安く抑えている。問題は対米国だけではなくなっているのです。
中国と競争するということはつまり、中国の低コストと戦うということです。日本企業はコストを下げる努力を惜しみませんが、通貨が必要以上に高いとコスト削減は極めて難しくなります。
いまの日本は真剣に円高是正を考えるべきでしょう。そのうえで、国も企業も生産性の向上に取り組む。そうすれば、日本の競争力は上がって国が豊かになるはずです。
ともかく、円をゆっくりと下げていくような方針、政策が必要でしょうね。

とにかく、日本は米国の顔色ばかりうかがっていては豊かになれません。もっと日本自身のことを考えないと。
米国は輸出競争力をつけたいので、日本に圧力をかけるでしょう。それに応えてばかりいたら円はますます上がり、日本製品の国際競争力はどんどん失われていきます。
欧米諸国は自分たちが貧乏になったことを理解していない


⑧東南アジアへの投資は、それはもうウエルカムです。東南アジアはまだまだ外国からの直接投資を必要としていますから。
しかし、日本にとっては日本からお金が逃げ出しているという認識は必要ですよ。中国が嫌だから東南アジアに移るのはいい。でも日本の労働者にとっては良くないのは同じことです。
日本の立場に立って考えるとき、日本はドイツをもっとモデルにすべきだと思います。ドイツはご存知の通り、誰にでも作れるようなローエンドの製品で競争しようとはしません。
例えば自動車でも、ハイエンドの製品に特化している。しかし、日本は相変わらずマスマーケットを追い続けています。日本にはせっかく高い技術がありながら、高い利益をもたらしてくれる市場ではないところで勝負し続けている。
日本はもっと研究開発投資に積極的になるべきです。自動車だけの分野ではありません。機械、自動車、エレクトロニクス、日本がさらに強くなれる分野はいくらでもあり、その可能性は極めて大きい。
中国との競争という意味でも、真正面から中国のコストに挑戦しても全く意味がありません。ドイツのように中国の作れない製品に特化していくことだと思います。
ドイツは危機的な経済環境にある欧州にあって、ほぼ唯一、成長し豊かさを謳歌している。それは、高性能・高品質で高い利益率の製品に特化しているからです。
日本にも非常に高い技術力があります。しかし、それらをもっと高める努力が足りないと思います。


⑨私が首相であった時代には、原発の導入は全く考えませんでした。それは、原子力に対する知識が未熟だからです。マレーシアが未熟というのではなく、人類という意味でです。
原子力エネルギーを取り出す技術は確かにかなり確立されました。しかし、一度放射能を出し始めた物質から放射能を取り除く技術は全くできていない。
つまり、原発から必ず出る核のゴミをどう処理していいのか分かっていない。埋めることさえできない。技術がまだ未熟なんです。世界中で核のゴミの問題を解決できた国は1つもありません。
確かに、原子力発電はコストが安いのかもしれない。しかし、ゴミの問題が全く解決できていない段階で原発を導入するわけにはいきません。
多少コストが高くてもほかのエネルギーを使うべきなのです。化石燃料に頼らない自然エネルギーの利用方法が世界中で開発されています。そちらに期待すべきだと思います。
とりわけ日本には十分な水力がありますよね。冬の間に山に積もった雪が解けて川に流れ込み、一年中、豊かな水資源に恵まれている。しかし、日本はこの水資源を十分に活用しているとはどうも思えない。
水力発電はイニシャルコストは高いかもしれないが、発電コストという意味では非常に安いし、メインテナンスも楽です。原発の事故を起こしたいま、こうした自然エネルギーの利用を真剣に考えるべきではありませんか。
もちろん、風力とか太陽光発電とかも日本の技術力をもってすれば能力を上げてコストを大幅に下げることも可能でしょう。

日本は中国と違うんです。中国は少なくとも日本よりずっと広い。日本に原発は本当に必要なのでしょうか。
日本は豊かな自然環境が大切な売り物の国ではありませんか。そして日本は小さな島国です。国民が肩を寄せ合うように暮らしている。
そうしたなかで、福島のような事故が再び起きたら放射性物質で完全に汚染されてしまい、日本国民はそのなかで暮らさなければならなくなります。放射能は10年、20年でなくなってくれるものではありません。

<了>




「マハティール元首相、日本の政治にもの申す ②」

2012-05-26 06:49:27 | 日本



④官僚というのは極めて影響力が大きくてある意味とても厄介な存在です。それに比べて政治家の力は弱い。この点ははっきりと認識しておかなければなりません。
官僚は政治家がそのポジションに長くとどまらないことをよく知っています。せいぜい3年だと。これに対して官僚はそこにいつまでもそこにいます。半永久的に。
ですから、官僚はよく分かっているんですね。政治家の意見は重要でなくなってくる一方で、自分たちの発言力や影響力が増していくことが。そして次第に政治家の言うことを聞かなくなる。
しかし、同じ首相が5年以上続くようになると話は全く違ってきます。政治家の政策が尊重されて実行されるようになる。小泉純一郎元首相が良い例でしょう。
彼のやろうとしたことは明確だったし、国民も小泉さんの日本をどう変えようかという方針や政策をしっかり理解することができた。万が一悪い点があったとしても、大きな方針の中でそれらは修正されて実行されてきました。
国民のサポートがあったから小泉さんは政策をやり遂げることができたのです。世の中に最高の政策がもしあったとしても、国民がサポートしなければ間違いなく失敗します。


⑤税金の問題については、とても慎重に検討する必要があります。一面だけ見て判断してはいけません。経済のあらゆるセクターに対してどのような影響を与えるのかを見極めなければなりません。
消費税を上げれば安定した税収が得られる半面、国民の消費は確実に落ちてしまいます。消費増税は国内総生産(GDP)にとって間違いなく悪影響を及ぼします。一時は確実に税金を集められても、経済を冷やしてしまっては国家の将来にとっては有益とは言えません。
別の道は、消費税を下げるか、あるいは増税はしないという考え方です。消費税という名目で集められる税収は小さいかもしれません。しかし、国民が消費を増やすことで国家にとっては増税よりも税収を上げられるのです。
私の見る限り、日本にはまだ消費できる余地がたくさんある。それなのに、GDPの大切な要素であるこの部分の税金を上げれば、間違いなく消費は落ち込み、日本のGDPは減少してしまうでしょう。
日本の場合は、消費を刺激しながらムダな政府支出を抑える仕組みを考える必要があると思います。ただし、一方で、日本の将来のために政府支出も増やす必要もあります。政府支出はGDPの大切な要素の1つですから。
政府支出の中でインフラの整備はとりわけ重要です。これは新しい産業を育て、ヒト、モノ、カネの流れを加速させます。政府支出の効果だけでなく、そうした副次的な効果によってGDPの増加に大きく貢献するのです。


⑥以前、日本は「日本株式会社」と呼ばれていたでしょう。国と企業が密接に連携して産業を育てていった。日本はいつからそうした連携ができなくなってしまったのですか。
もっと協力して新しいイノベーションを起こすべきです。
民間企業は国家の一翼を担う重要な存在です。そうである以上、国が企業をバックアップすることは決して悪いことではない。
マレーシアには「マレーシア株式会社」というものがあって、かつての日本のように国と民間企業が一緒に発展できるように協力し合っている。何か悪いことがありますか。
韓国だってやっているでしょう。なぜ日本ができないのでしょうか。米国の圧力と言われるかもしれない。しかし、その米国だって民間企業を山のように支援している。
米国の金融機関がつぶれました。そのとき米国の政府は大変な額の援助をしていますよね。産業を育成するために国が民間企業を支援するより、こっちの方がずっと悪いでしょう。
日本はいつまで米国の価値観を受け入れるつもりなのですか。そろそろ目を覚ますべきではないでしょうか。
プラザ合意で円は大幅に切り上げられました。その結果、順調な成長を続けていた日本経済は一気に不況になってしまったのはご承知の通りです。
当事、問題は米国にあったはずです。なのに日本は円を切り上げて米国を助けることに同意しました。あのとき米国に自分の通貨を切り下げさせるべきだったのです。日本が通貨を切り上げる必要はなかった。
日本は米国とばかり貿易をしているのではありません。世界中の国々と貿易をしている。円を大幅に切り上げたことで、米国以外の国でも日本製品は売れなくなってしまいました。
私からすると、日本は米国を富ますことに熱心に見えます。そろそろそんな考えは捨てて、日本自身を富ますことを考えるべきではないでしょうか。
そして優れた日本製品が買いたくても買えなくなった国もあるということを日本は知るべきです。円を切り上げたことでそうした国の豊かささえ犠牲にしたことになるんです。




「マハティール元首相、日本の政治にもの申す ①」

2012-05-25 08:31:40 | 日本



マレーシアのマハティール元首相(1925年7月10日生87歳)に、川嶋 諭さんが
「もしマハティールさんが日本の首相だったらどんな政策を取られるか?」とインタビューをした。
その結論は、「消費増税と原発再稼働をやめ研究開発投資を!」であった。
以下、3回にわたり、マハティール元首相の発言を要旨を記す。



①少し時計の針を後ろに戻してみてください。第2次世界大戦後、焼け野原となった日本は、非常に強い意志を持って日本を一から作り変えました。これは外から見ていると奇跡的なことでした。ものすごいパワーを感じました。
今の日本に足りないのは恐らく、あの時のような強い意志だと思います。
リーダーにだけ足りないのではありません。日本国民一人ひとりに、日本を良くしたい、経済をさらに発展させて豊かになりたい、日本をもっと強い国にしたいという意志が薄れてきているのではないでしょうか。
経済で言えば、日本はもっと国内消費を増やすことができるはずです。そうすれば景気が良くなりもっと高い成長が期待できる。そうなれば国民はもっと豊かな生活を求めて前向きに投資や消費をするようになる。
日本のリーダーはそこを刺激してやるべきです。私だったらそうします。
ただ最近の日本を見ていて残念なのは首相が2年以内に交代してしまうことです。1つの施策をしっかり根づかせるにはそれなりの時間がかかります。1年や2年で交代して、また別の方針を打ち出していたら、何もできません。時間が足りなすぎます。
私は22年間も首相の座にいましたから、マレーシアのことをじっくり考える時間があった。1つのことをやり切ろうと思ったら最低でも3~4年はかかります。それだけの時間を国民は首相に与えてあげるべきでしょう。
そのうえで歴史に何も残せないような施策しかできないなら、辞めさせればいい。しかし、日本のメディアときたら、次の首相候補が決まって、正式に首相に就任する前に、もう激しい非難を始めている。


②完璧なリーダーなど世界中のどこを探してもいません。あらゆるリーダーは良い点も持っているし悪い点もある。大切なのはそのリーダーがどのようなプログラムを考えているかです。
そのプログラムが、日本経済を再生して発展させようというのであるならば、首相に対して、どのようにすれば日本経済が良くなるか具体的な政策を立てて実行する時間的な余裕を持たせてあげるべきです。
もし、首相が日本経済を弱めるような政策しか持っていないならば、それは話になりませんが、仮にも首相になろうとする人なら、そんなことはないはずです。
繰り返しますが、世界中に完璧なリーダーなどいないのです。日本の国民は自分たちが選んだリーダーの悪い点をあげつらうのではなくて、良い点を実行できるだけの時間をぜひ持たせてあげるべきです。


③日本の政治を見ていて思うのは、派閥による政治が昔も今も続いているということです。そこはほとんど変わっていない。
派閥の中から国のリーダーを選ぶような仕組みだと、派閥の利益を最優先し、ほかの派閥より強い力を持った人がリーダーに選ばれます。このリーダーは、何はともあれ派閥の利益を最優先します。それが国の利益と一致していればいいのですが、必ずしもそうではない。
いまの日本を見ていると完全にこの派閥政治の罠にはまってしまっています。日本はそろそろこの仕組みと決別する時期に来ているのではありませんか。
そのためには、国民の声が直接リーダーに届く制度に変えることを検討してもいいのではないですか。国民が日本をどうしたいのかをはっきりと示し、そのうえで政治家の意見を聞いて、この人はと思う人に首相になってもらう。



金環日食




「猛烈な勢いで交代しつつある今の日本」

2012-05-24 09:03:04 | 日本


わが輩の同志、藤原直哉さんがいいレポートを発表した。
以下、要約する。



経済恐慌や動乱、戦争、激しい天変地異などは歴史を止めるのではなくて世の中の変化を加速させる働きをします。
ですから今現在、この厳しい状況の中でも前向きに進歩、進化していることが最も重要で、そういうところは巨大な変化があったときに一気に前に押し出され、古い時代にとらわれているところは一気に衰退から消滅に向かうのです。世界を見てくるとこれからしばらくの間は、どこでも20世紀の体制の解体で政治経済および生活が大混乱になり、リーマンショック以前の経済優先のグローバリゼーションの時代とは全く違う時代になると思います。
本物の戦国時代です。
政府がほとんど頼りにならない時代が来ています。


大きな歴史の流れを見た時、19世紀は国王の時代、すなわち国王という一人の人間が動かす時代だったのが、20世紀は民主主義の時代、すなわち選挙で選ばれた代表が動かす時代になり、今やそのシステムが世界中どこでもまともに機能しなくなって、21世紀は実は民衆が動かす時代になるのではないかと思うのです。

ここで民衆と大衆を混同してはなりません。21世紀は決して大衆の時代ではありません。大衆というのは国王や政治家に依存して言いたいことを言い、やりたいことをやる人々のことで、為政者のパンとサーカスに踊る人々です。こういう人々をいくら集めて
も世の中が固まるということはあり得ません。
民衆というのは見識、実力が秀でていて世の中の模範、オピニオンリーダーになる人たちのことで、年齢性別業界立場を問わずあらゆるところにいます。

たとえば昨年の大震災では政治や行政が何かしてくれるのを待っていた人は本当にひどい目に遭いましたが、これは連中に頼れないということを即座に悟って自分のネットワークで四方八方に支援を頼んだ人たちはかなり早い段階から食糧、燃料その他の支援を受けることができました。まさにそれが民衆の力であり、今や放射能問題でも民衆が各地で独自に線量測定をすることが増えていますが、昨年の大災害は民主主義の時代から民衆主義の時代に、日本が切り替わった瞬間だったと言っても決して過言ではないと思います。そうすると今後政治も役所も多くの大企業も時代の変化に対してなす術もなく退いていくなかで、あらゆる場所から民衆が立ちあがってきて、やがて民衆がヨコに手をつなぎ始める時が来て、新しい日本が生まれていくのではないでしょうか。要するに世の中というのは常に見識と実力のある人が率いていくのです。


恐らく21世紀の本当の格差は今持っているおカネや権力の差ではなくて、この民衆としての実力の格差が何年、何十年という時間の間に作りだす幸福度の格差であり、それは人の価値観に根差すことですからそう簡単にカネやモノや権力で代替できるものではなく、人は本当に生涯を通じてあらゆる面で学び続けていく時代になっていると思います。それは既に世間全体に先行して日本の企業社会で日々激しく起きていることであり、すばらしい経営、すばらしい人を目指す人たちの力と働きは大災害や経済や政治の混乱があればある程、クローズアップされてきています。やはり今の時代に一番自由度が高いのが経営の世界。そこでは既に未来の日本を先取りしたことが本格的に日々進展しているのです。


健康と持続可能性を考えて、戦略的に低エネルギーで、偉大なる共生を考えて仕事をすることは、そういう組織や人にとってはごく当たり前の日常のことなのです。これは必ずこれから先の日本全体を覆っていくと思います。それは今までの時代の破壊が激しければ激しいほど急速かつ広範になっていくと思います。皆さんも決して未来への突破口の場所をまちがわないでいてほしいと思います。決して20世紀までの常識で出口を探してはいけませんし、ほとんどの場合、未来の種は足元にあって、足元で既に小さく未来が開けているのです。ですからその小さい未来を発見して勉強して真似してみることが、最も効果的なことなのです。


20世紀の人達と21世紀の人達が猛烈な勢いで交代しつつあるのが今の日本なのです。


確かに今の日本で電力不足が起き、円高で輸出が止まり、政府が破綻すれば我々は大変です。しかしでは今の生活を守るために今の矛盾をいつまでも先送りできるかと言えば、それはできません。ということは我々はここで古い秩序から一度離れて、新しい秩序を作り直さなければなりません。それが乱世という時代なのです。そして乱世は次の新しい秩序を作った人が収束させます。その新しい秩序は上述のような既に足元に広がっている21世紀らしい民衆の動きがそのひな型であり、これが国全体を覆った時に新しい秩序、新しい時代が来たとみんな実感することになるわけです。


20世紀の日本文明はやはり欧米からの摂取とその消化の時代だったと思いますが、21世紀は特にこれと言って外国から入ってきそうな文明があるわけでもなさそうですから、欧米からの文明の摂取以前に蓄えられてきた日本の文明と、外国から入ってきた文明を上手に融合させて、新しい21世紀の日本文明を温故知新に創造する、そういう時代だと思います。そしてそれは世界が求める健康で持続可能な世の中とまさに一致する方向性であり、21世紀は本当に日本の時代になるのではないでしょうか。


欧米も哲学はわかっていますが、実際に健康で持続可能な世の中を創るための遺伝子は、日本が一番歴史的に蓄えていると思うのです。我々、日本の民衆はこれから本当にますます活躍していかなければならないのです。





「財務省はなぜ巨大な力を持っているのか?」

2012-05-23 08:36:16 | 日本


中央省庁のなかでも、特に大きな“力”を持っていると言われているのが財務省だ。
元財務官僚等が、その理由を説明する。
以下、要約する。



財務省は予算を作るので、新人の頃から政治家との接触が多くなります。そうすると得意な政治家というのができてきて、おのずとこの人にはこの官僚を、というのが決まってきます。政治家の側も、『こんな資料が欲しい』と頼むのに、頼みやすい人ができてきて、それで関係が強くなる。自然に担当のようになるのです。

財務省の官僚が若い頃から政治家と接触している端的な例が“質問取り”です。国会の前日に、それぞれの省庁の担当者が議員のところに行き、あらかじめどういう質問をするのかを聞くのが“質問取り”。自分の役所の大臣に対する質問なので絶対に間違えられません。そのため、ほかの役所はベテランが担当しますが、財務省だけは1年目の新人が取りにいく伝統がありました。これは政治に慣れるための教育のひとつです。一方で、新人なのでやはり間違えてしまいますよね。でも財務省の幹部はまったく平気なのです。読めば間違っているとわかるし、そうしたら質問する政治家に直接電話をして確認することができるんです。要は携帯で連絡を取り合える。それくらい財務省の幹部は政治家とのコネクションがあるのです。

さらに財務省の力は、政治家だけでなく経済界や国際金融機関にも及んでいるという。

例えば、昔は通産省(現・経産省)に近かった経団連は、今や財務省にべったりです。経済官庁といえば“大蔵・通産”といわれたものですが、経産省が地盤沈下したせいでそうなったのです。

IMF(国際通貨基金)や世界銀行が『日本の財政は危機的だ』と言ってるという報道があります。例えばIMFに4人いる副専務理事のうちひとりは日本の指定席で、財務省出身者がなります。その副専務理事の下には理事というポストがありますが、このうちのひとりも財務省出身者。その理事室にいる数人は財務省から出向しています。日本の記者はそこへ行って日本語で取材をしている。だからそういう報道になるのです。

国の予算を預かる行政機関のため、政治、経済、国際のあらゆる面で強い力を持つ財務省。だが、そうなったのには、政治家の無能にも一因があります。

ポイントは、財務省の主張はまともな政策論でもあるということです。役所も政治家も、独自の主張はあって当然。問題は財務省の根回しを受ける側に主張がないことです。特に政治家はいろいろな話を聞いて自分で判断をすべきなのに、財務省の主張だけを聞く。政治家の無能や怠慢の責任は重いと思います。

消費税増税に一直線の野田首相がいい例ということか。さらに、財務省に歯向かうと、国税庁が税務調査に入る“制裁”があるというウワサまで伝わっているが?

国税庁は財務省と別組織ですが、国税庁の幹部はほとんどが財務省のキャリアです。あうんの呼吸でそこに税務調査をされたら……。もちろん証拠はないし、一種の都市伝説です。でも、それぐらい財務省には力があるということなんです。




「社会保障制度の充実が少子化を招いた ②」

2012-05-22 08:03:48 | 日本


〔2〕あるべき改革の姿とは

政府は「社会保障・税一体改革大綱」を今年2月に閣議決定し、3月には2014年4月から8%、さらに2015年10月から10%に引き上げる消費税増税法案を閣議決定した。

しかし、現行の社会保障制度の存続、さらに言えば財政を含めた受益負担構造を温存したままでの消費税率の引き上げは、現在の高齢既得権世代の逃げ切りを許すだけの結果となってしまう可能性が非常に高い。

実際、社会保障・税一体改革大綱にある消費増税の使途を見ると、子ども・子育てに0.7兆円程度、医療介護年金等に2兆円程度と高齢者向けの支出額の方が3倍近くも大きい高齢者優遇である。そもそも消費増税の負担に関しても人生の先行きが長い若い世代ほどより多くを負担することとなるため、野田総理が連呼した「将来世代に負担を残さない」というフレーズは、社会保障制度の崩壊しつつある現実を覆い隠すための論点のすり替えに過ぎない。

本来あるべき改革の姿は、具体的には、

(1)寿命の伸長に応じた年金支給開始年齢の引上げを実施する。
(2)公的年金を基礎部分のみに簡素化し、国が営む合理性がない報酬比例部分は民営化もしくは民間保険会社が提供する年金で代替する。
(3)世代内の所得再分配機能の強化により世代間の所得移転を極力少なくする、ことで現役世代の社会保障負担を軽減した上で、
(4)消費税率の引き上げにより出産・育児の社会化を図る。

という政策とその実施手順が考えられる。

社会保障制度が現状のまま今後も維持されるとすれば、保険料負担が企業にも勤労世代にも重くのしかかる。つまり、企業は高くつく国内雇用を削減したり賃金を減らしたりするなどして対応するため、若者世代の低所得化が一層進むだろう。そうなれば、未婚化傾向が今後も続くし、日本の場合、既婚夫婦が子どもを持つことを勘案すれば、少子化の流れはより強化されて続くことになるだろう。

それは結局、高齢者の多くが生活の拠り所としている社会保障制度を危機に陥れるものであり、多くの高齢者を路頭に迷わせることにつながる。こうした悲惨な事態を未然に防ぐには、逆説的であるが、現行の高齢者優遇をやめて財源を見出し、若い世代への分配を厚くするほかない。

ただし、高齢既得権者の利益を削減する政策の実行は、後期高齢者医療制度の混乱からも明らかなように、高齢者の政治的パワー、いわゆる「シルバー民主主義」の高まりを考えると、多くの困難に直面するのは間違いない。


       
<了>




「社会保障制度の充実が少子化を招いた ①」

2012-05-21 08:14:57 | 日本


総合研究開発機構主任研究員の島澤 諭さんが「社会保障制度の充実が少子化を招いた」と題して書籍を出した。内容が凄くいいので要約したものを、2回にわたり記す。



社会保障の起源は古く1601年にイギリスで制定された救貧法にまで遡ることができる。そして、直接的に現在の社会保障制度の礎となったのは、ドイツ帝国宰相のビスマルクによる1883年の疾病保険設立を端緒とする一連の政策によってである。


〔1〕では、そもそも、なぜ社会保障制度が必要なのであろうか。

理由は様々あるが、その一つに、個人のリスク回避行動を挙げることができる。すなわち、個人で生活する場合、病気や高齢、その他の理由で働けなくなり収入が途絶し、さらに貯えが底を突くとたちまち生活が立ち行かなくなってしまうため、われわれは一定の大きさの集団を形成することで対処しようとする。その最小単位が夫婦であり、夫にとっての妻、妻にとっての夫がリスクの備えになるし、さらに、親にとっての子、子にとっての親などもリスクへの備えとして機能する。最近特に若者の間で流行しているシェアハウスも一種の共同体とみなせるかもしれない。

実際、わが国に本格的な社会保障制度が確立する前の戦前においては、自然増加率が10%を超える子沢山社会であったし、多世代同居も一般的であった。また、家族という単位でもなお対処しきれないリスクに関しては、地域共同体が同じ役割を果たすし、地域共同体より上位の存在は国である。つまり、国が営む社会保障制度は個人の直面するリスクを社会化する機能を持つものとして理解できる。

かつては個人や家族で背負わなければならなかったリスクを社会全体でシェアすることで、肉体的、精神的、経済的な負担の軽減を図ることが可能になるのだ。

そうであれば、公的な社会保障制度の充実は必然的に少子化をもたらすこととなる。なぜなら、社会保障制度が充実すれば、ライフサイクルにおいて直面する様々なリスクを国家が引き受けてくれるため、あえて結婚する必要がなくなるし、コストがかかる子どもも不要になるからである。ある保険会社の調査によれば、子育てに要する費用は養育費、教育費合わせて3000万円程度とのことだ。

もちろん、子どもはリスク軽減のためだけに持つものではないが、少なくともそれを目的とした子ども需要は減少するので、高齢期等のリスク対応型の社会保障制度が拡充されるにつれて、出産・育児に対する政策対応が充実しない限り、やはり少子化が進行することとなる。

少子化が進行すると、賦課方式によるネズミ講的な年金制度は、受益世代が増加する一方、負担世代が減少することとなるので財政的に厳しくなるし、より若い世代ほど条件が不利になるため、制度への信頼感が揺らぎ、最終的には存続すら危うくなってしまう。要するに、社会保障制度は自らの存在が自らの存立基盤を破壊してしまうという何とも厄介な性質である「自己破壊性」(小塩隆士『効率と公平を問う』日本評論社2012年)を持っており、図1はその存在を示唆している。

ところで、後に続く世代により大きな負担をツケ回すと言えば、わが国の財政状況もまた同じである。結局、これまで社会保障や財政においては、少ない収入で多額の支出を賄い、その差額を勤労世代の負担や公債発行することで制度を無理やり維持してきた。

こうしたやり方は、繰延された負担を負わされる勤労世代や将来世代が順調に増えている局面においては問題が露呈することもなかった。しかし、少子化が進行することでそうした「負担先送り型ビジネスモデル」の矛盾が白日の下に晒されたのである。



「リーダーに求められるもの」

2012-05-20 08:06:03 | 日本


川又和敏さんのメールが転送されて、わが輩のもとに届いた。
なかなか良いので記す。



いま首相を問う?
 
石原慎太郎東京都知事は「リーダーに求められるのは、結局、感性、情念、歴史観だ。
歴史観がないと、そこから理念も派生してこない。
理念がないと言葉も出てこない。言葉がないから国民の心を打てないし、国民に説明もできない」と言う。

真理は常に簡単明瞭。
このような簡明にして芯の通った言説を述べられる政治家が今の日本にいるか?
彼が一流の政治家たる所以である。
 
誤った歴史を教えている日本の現状を見ると、国を救うリーダーは出てこないことになる。
アメリカの占領政策の深慮遠謀に改めて驚く。
同時に戦後67年、未だに自らの洗脳に気づかず、覚醒しない日本人とは一体何なのかと、これまた足摺りするような焦燥感に駆られる。

野田に次ぐ首相候補が、小沢では?さりとて谷垣、石原ジュニア、石破、等にに歴史観や国家理念は果たしてあるのや否や。





わが輩も言う。

時代を切り拓く、本格的なリーダーとは、
国家観(歴史観)をしっかりと持っていなければ、時代を切り拓くことができない。
故に、日本国家の国体(国柄)を学び、把握、体得していなければならない。
何故なら、これからの時代を切り拓く国家レベルの最高意思判断と最高政策方針は、すべてのここに基づいて、なされなければならないからである。

さすれば、そのリーダーの発言や動向には「強烈で、優しいオーラーが輝く」
国民は、その「強烈で、優しいオーラーが輝く」姿を観て、期待し、感動し、感激する。
そして、内部よりフツフツとたぎるエネルギーがあふれ出てくる。
これを国民こぞって共有し、一丸となって国家目標実現にむけ尽き進む。

たとえ、これからの自立ある国創りの道のりが、どんなに厳しい道のりであっても。
これが日本民族のエネルギーの源である。
これが生命体である日本国の歴史と伝統文化の継承力の凄さである。


故に、私たちは、より一層、日本国家の国体(国柄)を深く学び、把握し、体得するよう精進しよう。



日本武士道

2012-05-20 08:04:07 | 日本
 

志操鉄の如く又華の如し

剛毅難に臨んで乱麻を断つ

一視同仁幼弱を憐れみ

清廉潔白精華を発す

危を視て命を預け

敢えて悔ゆるなし

義により功を成せども

苟も誇らず

士道は元来神武の業

颯爽たる英気天涯に輝く



「2015年の日本を考えるアンケート」結果

2012-05-19 08:34:01 | 日本


〔1〕アンケート結果のまとめ

①政治家の無為無策
野党・自民党にも、この人になら国政を託せると、国民からの信頼を集められる政治家は見当たらない。

②霞が関の官僚機構
・役人の怠慢あるいは、サボタージュや利権争い。
・問題の中心はすべて役人にあるはず、責任についても政治家に転嫁する狡猾さ。
・官僚の利権分捕り合戦。
・官僚による隠蔽。
・官僚の自己保身と経団連の利益追求。
・震災からの復興を妨げている最大の要因は何か?に対する自由回答での、官僚=役人に向けての罵詈雑言はかなりの数に上った。

③閉塞感を打破するために日本に一番欠けているものは?
・32%  国民1人1人の危機意識
・24%  政策のために働く政治家
・16%  「公」の意識を持った公務員
・16%  強いリーダー
・12%  民間企業の活力



〔2〕日本の将来に対する見通し

①日本の国力はさらに低下し、中国・ロシア・韓国もそれぞれに問題は抱えているものの日本の地盤沈下が加速する。

②領土問題については、他国からの攻勢を受けつつも、日本が反撃に出ることはない。

③そうした情勢の中、ナショナリズムの台頭をめぐって、左右両陣営の対立が続き、日本国民は政治に対していっそう無関心になってゆく。

④少子化については、場当たり的な対策が採られていくのみで、家庭において女性ばかりが家事・育児・介護を負担させられるという男女の関係が改善されることはない。

⑤橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」は、国政に進出するものの、既成政党や官僚組織の壁に阻まれて、橋下氏が掲げる道州制をはじめとする抜本的な改革は成し遂げられずに終わる。 



「陽だまりの樹」

2012-05-18 07:07:35 | 日本


「陽だまりの樹」(ひだまりのき)は、江戸末期から維新明治にかけての物語りであり、手塚治虫による日本の長編漫画作品である。ただ今、ドラマとしてNHKBSで日曜にやっている。
観られるといい。

さて、「陽だまりの樹」とは、虫食いだらけの枯れかけた樹と言う意味である。
将に今の日本の状況によく似ている。徳川幕府末期 = 永田町政治と霞ヶ関官僚 = 清朝末期の紫禁城内、同じである。

だが、この中には、今の日本の動きとこれからの時代の変化の指針が隠されているような気がする。
この物語を熟視して、これからの新しい国創り、自立ある国創りにくけて、何らかの手がかりをつかもう。


「陽だまりの樹」あらすじ

「陽だまりの樹」は、水戸学の弁証家である藤田東湖が劇中で主人公の伊武谷万二郎へ語る当時の日本の姿である。19世紀後半、欧米が市場を求めてアジアへ進出した世界状況で、日本の安全保障を確保するには天皇の権威を背景に江戸幕府を中心とする体制再編により国体強化が必要であるとした東湖だが、幕府の内部は慣習に囚われた門閥で占められて倒れかけているとして、これを「陽だまりの樹」と呼ぶ。

閉塞状況を打開するものは青年の行動力以外にないと謳いあげた東湖のアジテーションは憂国世代の心を大きく揺さぶる。関東小藩の下級藩士であった伊武谷万二郎の胸にも熱い思いが刻まれる。無骨で真面目な万二郎は退屈なお勤めに疑問も抱かず、登城のマラソンもいつも一番という、平時の武士として見本のような男であった。一方、もう一人の主人公である蘭方医の手塚良庵は医師の家に生まれて大坂適塾で医師の門をくぐったエリートだが、江戸に戻っても放蕩ぶりが父の良仙に厳しく戒められるほどの遊び人。江戸っ子らしく間口は広いが封建的で権力闘争に終始する医学界には批判的であり、また人間らしく生きたいとする夢想家のノンポリとして時代を眺めている。対照的な万二郎と良庵だがなぜかウマが合う。

万二郎はアメリカ総領事タウンゼント・ハリスへ幕府側からの護衛として派遣され、友人となる通訳ヘンリー・ヒュースケンと出会う。一方良庵は幕府の西洋医学への寛容化から提案された種痘所開設に良仙と共に尽力することになるのだが、西洋医学を嫌う御典医達に様々な嫌がらせを受ける。やがて軍制改革により農兵隊の隊長となった万二郎は幕府への忠誠だけでなく、自分が本当に守りたいと思う人々との出会いにより銃を取り戊辰戦争の戦場の煙の中へ消えていく。

万次郎と情熱を傾けて語り合った西郷隆盛は彼が去った後で流れに逆らっても何にもならないと呟くが、傍観者だったはずの良庵は噛み付いてみせる。時代に合わせるだけが生き方ではないと。良庵自身も患者を守るために、自分の意志を抑えて運命を甘受して官軍の軍医となるが、明治に入り今度は政府に逆らって自滅の道を選ぶ西郷を討つための西南戦争に従軍する。無常な人生を回顧する良庵だが、病にかかりあっけなくこの世を去る。

作者の手塚治虫が良庵は自分の曽祖父であったという言葉で物語が閉じられる。