ここまでの時代で、まだ現れなかった重要な日本酒づくりの工程がある。
「一麹、二もと、三造り」でつくった酒を熟成させるための「火入れ」という工程だ。
腐敗防止に必要だった「酒ニサセ」
日本酒は、貯蔵により熟成させると、新酒のときとは違った奥深い風味が出てくると言われてきた。ただし、日本酒は、麹菌や乳酸菌などの菌を多く使う酒だ。極めて腐敗を起こしやすい。
そこで、つくった日本酒を貯蔵するとき、まず火入れを行なうことが多い。ほどほどの熱を加えて摂氏60度や65度の温度で殺菌をする。特に夏の間の日本酒の腐敗を防ぐのである。
この火入れという作業は、いつから行われていたのだろうか。鍵を握る記述が見られるのは『多聞院日記』だ。奈良の興福寺の学侶たちが遺した日記で、記述は戦国時代の1478(文明10)年から、江戸時代前期の1618(元和4)年に至る。
1568(永禄11)年の日記には、夏につくる酒の醸造過程が書かれている。注目すべきは次の表現だ。
「六月二三日 酒ニサセ樽へ入了」
ここでの「ニサセ」とは「煮させ」のこと。つまり、酒を加熱していたのだと考えられる。
人びとはこの時代に、さまざまな細菌が日本酒を腐敗させるといった知識を持っていたわけではない。だが、それでも、日本酒に熱を加えると貯蔵・熟成のときも長持ちするといった経験的な知を得ていたのだろう。
この火入れという経験的な知は、『多聞院日記』から300年後の明治時代初期、外国人に驚きの眼差しで受け止められた。東京帝国大学(現在の東京 大学)に“お雇い外国人”として招かれた英国の化学者ロバート・ウィリアム・アトキンソンは、『日本醸酒編』という著書のなかで、「(日本人 は)300年前にいったん酒液を熱して幾と耐うべからざるに至らしめ、もってこれを予防するの法を発見」していたのだと記している。
火入れ酒と生酒の比較今昔
『多聞院日記』に戻ると、夏につくる酒を腐敗させないため火入れをする一方で、冬につくる酒に「ニサセ」の記録は見られない。熱を加えない日本酒は、いまで言う「生酒」に近かったのだろう。むしろ火を起こすという工程の大変さを考えると、火入れは、夏につくる酒に対する特別な工程だったと考えられる。
日記には、夏に火入れしてつくる「火煎酒(ひいりざけ)」という酒と、冬に火入れせずにつくる「諸白(もろはく)」という酒を比べたくだりも見られる。
「ヒセンヨリモロハクノ事申上間、(中略)三升カヘニ、一斗五升コナカラ取ニ遣ス。代米四斗七合済セ了ル」
この日記を『酒造りの歴史』という著書の中で紹介した日本史学者の柚木学は、「火煎酒よりは諸白がほしいと希望して、酒一升を米三升の割で取り換えることを申入れたものであろう」と解釈している。
酒の価値とは、味だけではない。だが、夏の火煎酒より、冬の諸白に価値を置いたのは、諸白の方が品質が上回っていたからだろう。
その後、日本酒づくりは冬場に行うものという習慣が定着していった。そして、冬場の酒でも腐敗を防ぐため火入れを行うようになっていった。
そして現代。冷蔵技術が発展したため、日本酒を火入れせず低温貯蔵するという方法も利用されるようになった。つまり、生酒であっても、腐敗させずに長らく熟成させることができるようになったのだ。<了>