龍の声

龍の声は、天の声

「減塩にスプレー調味料」

2015-04-29 11:10:30 | 日本

薄味を基調とする京料理に古くから使われてきた液状の塩「水塩(みずしお)」が近年、スプレー式のボトルに入って売られている。少量でも満遍なく吹き付けられるため、健康意識の高まりを受け、スプレーしょうゆのように減塩につながると好評である。塩こうじ、塩レモンと塩味の調味料のブームが続く中、スプレー塩の利用が広がるか注目される。

水塩に昆布などのうまみを加えたスプレー調味料「昆布の水塩」を販売する大阪・心斎橋筋の昆布海産物製造販売の老舗、松前屋によると、水塩はしょうゆが普及する以前に調味料のように用いられ、室町時代後期の長享3(1489)年の料理書「四条流包丁書」に、海水を煮詰めて作る調理法がみられる。

昆布をメーンにシイタケやかつお節などのうまみを利用し、少ない塩分でもおいしく食べられる。スプレーボトルを採用したことで、むらなく味付けできる。用途は卓上しょうゆの代わりやおにぎりの手塩、ドレッシング、肉・魚の下ごしらえなど。中華や洋食にも合い、料理の仕上げに使える。
 塩分濃度が15%の商品の場合、1回のプッシュの塩分量が0.03グラムなので塩分量をプッシュ回数で簡単に調整できる。家族の健康状態に合わせて調整でき、塩分を控えたい人にお勧めである。

減塩ニーズが強まる背景には、高齢化の進展に伴う健康意識の高まりと、生活習慣病の脳卒中や心筋梗塞につながりかねない高血圧の予防への関心がある。日本人の食塩摂取量は1日約11グラムと世界的にも多く、減塩が国民的な課題ともなっている。

ただ、今のところ塩こうじや塩レモンのブームには及ばない。使い方が分かりづらく、なかなか定着しなかった。

ステーキにソルトとガーリック、ペッパーをプッシュしたり、サラダにソルト、バルサミコ酢、バジルなどを組み合わせたりすることで、自分好みに調整して楽しめる。












「知覚動考」

2015-04-29 11:09:44 | 日本

松本守正さんが「知覚動考」について述べている。



「知覚動考」「知覚考動」というフレーズがある。

知って覚える。
ここまでは同じ。

「知覚考動」というのはふつうよく考えてから行動すること。と解釈されているようだが、私に言わせれば考えてその結果動けなくなる。という意味だと思う。

「知覚動考」は知って覚えてまず動いてみる。
考えるのはそれから・・・ということ。

多くの人は考えすぎ。
考えすぎて動けなくなる。
「まずはちょっとやってみるか!」という精神になろう。

最初に動いてみなければ自分の行こうとしている道がどんな状況かわからない。
まず藪を突っついてみる。それで蛇が出てきたら、それを避ける方法を考えればいい。

まずやってみること。
考えすぎる人の心理は失敗したくないと思う。それでは壁など乗り越えようがないし、乗り越えたという実績がないから自信がつかない。

自信がないからなおさら動けなくなるそれで止まってしまうのが知覚考動。

それでは未来は切り開いていけない。

最初から自信のある人なんていない。

まず動く。壁にぶつかる。それを乗り越える。
そこで初めて自信がつく。

だから自信の大きさは、どれだけ自分が動いてどれだけの壁を乗り越えてきたかという、実践と実績の大きさのこと。
それがその人の実力になり知恵になる。

結局は行動するパワーのある人、自分の夢を実現させることに執念を燃やす人、失敗を恐れずに行動できる人、つまり「知覚動考」 の人間が成功するのである。










「心を耕す読書」

2015-04-29 11:09:02 | 日本

菅家一比古さんから、「心を耕す読書」のブログが送られてきた。
以下、要約し記す。



以前、電車の中で多くの人々が何某(なにがし)かの本を読んでいる風景があってた。外国人が日本を訪れ、その光景に驚嘆していたほどである。

しかし、その光景は一変した。本を読んでいる人は稀(まれ)で、多くの場合が今や携帯やスマホである。ある時、目の前に座っていた人々全員がそうであった。

現在(いま)、若者世代がスマホに講じる時間はどの位だろうか。その時間、家族との関り合いはできず、読書や勉強、思索、内省、反省も中断している。 即ち「心を耕す」時間が無い。

昔、『書を捨て町に出よう』という文学作品があり、映画化されたのを記憶している。その当時、若者たちが勉強に明け暮れ、人との関り合いが希薄になって、現実から遠のいたのだと思う。そういう時代もあった。

しかし未だ人を思いやる心は濃厚だった。社会問題にも敏感だった。多分、読書の力の影響である。どんなに劣悪な生活環境に置かれても、読書だけはその環境から解き放ってくれ、自らを新しい違う世界へと誘(いざな)ってくれる。

子どもの頃、読書で悲しみ、嘆き、夜、家族に知られないように布団を被ってよく泣いていた。時には血沸き、肉踊るような読書もあった。現在(いま)、若者世代はどこで、どのように人の悲しみや痛みに心を寄せ涙する「心の田畑」を耕す時間ができるのか。

いまの世相、若者たちの心が崩れて行っているように思えてならない。「さあスマホを捨て本を読み家族と居よう」と、言いたくなるのである。










「喧嘩片成敗」

2015-04-29 11:08:20 | 日本

「喧嘩片成敗」大人の喧嘩は「先に110番したほうが勝つ」理由について述べる。


自分は殴り合いの喧嘩とは無縁だと考えている人は多いだろう。しかし刑事弁護に詳しい長谷川裕雅弁護士によると、「大人の喧嘩の多くは、喧嘩しそうにない普通の方が当事者になっている」という。

多い事例の一つは、タクシー運転手とのトラブル。酒に酔った乗客が運転手と喧嘩になるパターンである。酔ってタクシー内で寝込んでしまった場合、「目的地で運転手に揺り動かされた瞬間、防衛本能で思わず手を出してしまうことがある。この場合にタクシー運転手が警察に通報すると、飲酒している乗客が圧倒的に不利になる」
酔ってタクシーに乗り、目が覚めたら警察官に囲まれていたということのないように、お酒の飲み方には十分に気をつけたい。

交通トラブルにも要注意である。車外に出ると、何もしなくても、相手が「突き飛ばされた」と言い出したりする恐れもある。相手が医師の診断書を取れば、何もしていなくても、傷害の容疑者とされてしまう可能性もある。このようなトラブルに慣れている“プロ”も存在する。挑発されても車外には出ずに、車内から携帯電話で警察に通報したほうが安全だろう。

このように、ストレス社会では、些細な火種に端を発し喧嘩に発展することも多い。たかが小競り合いでも、暴力は立派な犯罪である。相手に暴力をふるうと暴行罪(刑法208条)。相手に怪我を負わせたら傷害罪(刑法204条)で、15年以下の懲役または50万円以下の罰金という法定刑が待ち構えている。

「手を出したのはお互いさまだから大丈夫」と油断していると危ない。「喧嘩両成敗」は中世日本の法原則の一つだったが、現代の法律においては、大人の喧嘩に両成敗という考え方は存在しない。

「お互いに手を出したなら、理論上は2人とも加害者であると同時に被害者である。ところが警察は、そのように判断しない。どちらか一方が加害者、もう一方が被害者というわかりやすい構図に当てはめて事件を片づけようとするので、実態はお互いさまでも、どちらか一方だけが加害者にされることもある」

相手も手を出したのだから正当防衛だ、という抗弁も通用しない。正当防衛は、急迫不正の侵害に対して自分や他人の権利を守るためにやむをえず行う行為をいう(刑法36条)。最初に向こうから暴力をふるわれたら正当防衛が成り立ちそうだが、「相手に怪我を負わせた時点では怪我を負わせたほうが優位だったとみなされ、切羽詰まった状況ではなかった、すなわち急迫性はなかったと判断される可能性が高い」では、実際には何によって加害者/被害者が決まるのか。鍵を握るのは110番通報だ。「警察は、通報した側が被害者であるという予断を持って現場に駆けつける。そのためどちらかが血を流して倒れているといった明白なケースでないかぎり、そのまま通報者を被害者、通報しなかった人を加害者とみなして事件の処理に入る。どっちもどっちの場合は結局、先に通報したほうが圧倒的に有利になる傾向がある」逆に相手に先に通報されると厄介である。現場で警察官に「こちらが被害者だ」と主張しても、なかなか聞き入れてもらえないこともある。被害届を出すことは可能だが、受理を渋られたり、相手への報復目的で制度を悪用していると受け取られて不利に働いたりする可能性もある。加害者のレッテルを一度貼られると、後から覆すのはなかなか困難である。身を守るためには、先にこちらが通報するしかない。

「もし先に相手に通報されたら、すぐに弁護士に連絡することも一つの方法。うまくいけば、こちらから被害届を出すなどして、被害者、加害者の構図をくつがえせることもある」







「チャンスの神様」

2015-04-29 11:07:34 | 日本

松本守正さんのブログ「チャンスの神様」についてを紹介する。

どんな仕事も考え方、取り組み方、心構えで結果が違ってくる。
考え方とはーどういう判断を下していくか。
取り組み方とはーどういう風にこの仕事を捉えていくか。
心構えとはーどういう風に受け止めていったか。
正しい判断、正しい捉え方、正しい受け止め方をしていかなければ、違う結果がでる。

せっかくチャンスと出会っても、チャンスを生かすことが出来ない。
やはり並の人生を送る人というのは、

・チャンスに気付かない。
・チャンスを捉える事ができない。
・チャンスを捉える事ができても生かす事が出来ない。

ここで成功する人生と並みの人生とに別れてく。

人生の中で誰もにチャンスは3回訪れると言われる。

チャンスはチャンスの顔をしていない。
そしてチャンスの神様は前髪しかないのでしっかりつかんでもらいたい。
あとはそのチャンスを生かして欲しい。

「もうだめだ」と思うのも自分。
「よし頑張るぞ!」と思うのも自分。


挑戦とはそんな自分の心と戦うこと。

「よし頑張ろう」と思う日々の連続が夢の実現へと一歩一歩近づいていく。

さぁ!今日もがんばろうー!







「ハッピーエイジング」

2015-04-29 11:06:51 | 日本

松本守正さんのブログ「ハッピーエイジング」について紹介する。


誰もが素敵に年を重ねていきたいと思っている。
特に女性はそうかもしれない。
暦の年齢は誰にも止めれないですが肉体的・精神的年齢で見た目年齢は随分違ってくる。

精神的若さを保つ6つの条件は

1.生きがいをもつ
2.何事にも情熱をもつ
3.ユーモアを忘れない
4.ストレス解消法をもつ
5.若い人達と一緒にいる
6.オシャレをする

一生は25億秒!
秒に直すとなんだかとても短い。
「女性の品格」という本がベストセラーになったが、品格を落とすのは簡単である。
でも品格を身に付けるのは難しい。
「50代になっても、60代になっても、70代になっても、いくつになっても、謙虚さと品格を忘れない女性は少女のようにチャーミング。
私にとってはチャーミング=色気のある女性なんです。」
とは元タカラジェンヌの真矢みきさんの名言である。
年齢を重ねるごとに経験や豊かなこと、楽しいことがどんどん増えていくから、アンチエイジング改めハッピーエイジングでいきましよう。











「喜ばれる老人になる十か条」

2015-04-29 11:06:12 | 日本

1。服装や身なりをきちんとする。
2。よい趣味をもち、新しい知識を学ぶ。
3。おしゃべり、おせっかい、悪口をやめる。
4。子供が成長したら早く独立させる。
5。自分の信仰・信条を押し付けない。
6。自分本位に考えずに、他人のことを想う。
7。孫の教育は、その親にまかせる。
8。心から語りあえる友をもつ。
9。若い人とつきあい、時代に遅れないようにする。
10。仕事を頼まれたら手伝ってあげる。










「運勢」

2015-04-29 11:05:34 | 日本

松本守正さんが「運勢」について話している。



運勢とは、運の勢いと書く。
運は与えられる物ではなく、自分でつかみとるもの。

では、どうやってつかめば良いのか。
心と思いでつかんでいくのである。
世の中にはチャンスは沢山転がっている。
ただそれに気付くか気づかないかが問題だ。
運も同じで自分はついていると思っていると、運は必ずついてくる。
勢いとは、行動と数である。
鉄砲水の如く、水の勢いと数である。
竜巻は気圧の変化と風力の数による。
大変な事が起こる。
大変とは、大きく変わるという意味である。

勢いは奇跡を起こす。
貴方の人生に奇跡をおこそう!













「独り人でいてもの寂しくない男たれ」

2015-04-29 11:04:52 | 日本

栗澤順一 は言う。
「独り人でいてもの寂しくない男たれ」と!

飲酒歴が長い私は、大の宴席好き。大勢で賑やかに、また仲のいい友人とサシでじっくりと、頻繁に盃を重ねている。そんな私もいまだに苦手なのが、酒場での一人飲み。他のお客さんに「一人で飲んでいて寂しい人だな。」と思われているようで、周りの目が気になる。また、店内の喧騒の中、一人で佇む自分を寂しく感じてしまう。その結果どうにも落ち着かず、自然と飲むスピードが速くなってしまい、早々に退散してしまう羽目になる。

だが、寂しさを受け止めるということは、自分と向き合うこと。そうすることで、内面を豊かにすることができる。そのために実は一人でいる「孤独」の時間がとても大切である。

一人でいる。寂しいという感情を肯定的に捉える。寂しさが成功のためのエネルギーを生み出す。

よく考えると不思議なものである。「嬉しい」「楽しい」「悲しい」・・・。感情を表す言葉形はたくさんあるが、普段、誰かに「寂しい」と伝えることはあまりない。相手にネガティブなイメージを与えてしまうので、使うのを避けてしまうのかも知れない。

諸事情で会社に足を運べず、引きこもりになったとしても、悲観することはない。

寂しくても、一人でいても恥ずかしがることなんかない。









「女傑 中島成子女史とは」

2015-04-29 07:38:27 | 日本

朽木寒三著『馬賊と女将軍―中島成子大陸戦記』の中には、以下の事が記されている。

中島成子女史は栃木県に生まれ、ナイチンゲールの赤十字精神に心を打たれて看護婦を志し、満州に渡る。

やがて富裕な満州人・韓景堂と結婚し、子をもうける。しかし、当時の中国では一般的だった「正妻と妾が一つ屋根の下で同居する」という生活様式が、純真一途な成子には納得できなかった。

あるとき中国人の妻かつを、日本人ということで、中国人農民の陳情を関東軍につなげ、問題を解決してしまった。軍は成子の立場とパーソナリティーに注目し、中国人の懐柔役として、成子を軍の嘱託とした。

以後、おそらく成子は、日本人と中国人の軋轢を押さえ、無駄な戦いで相応の貴い命が失われることが、少しでも減るようとの「赤十字的博愛精神」から、中国人馬賊らの帰順工作に従事していくのである。

「日本の大陸侵略は絶対悪」という歴史観からすれば、成子は絶対悪の手先となって、中国人をたぶらかしたにすぎない、ということになろう。

しかし、ただ「たぶらかす」人間を、何千、何万という、”人を信じることを知らない”中国人が、どうして信じ、帰順の働きかけに応ずるだろうか。成子は帰順した中国人に仕事を与え、生活の糧を得られるようにする、今のハローワークのようなミッションに献身した。

日本人と中国人、戦争のただなか、日本人は中国人を虫けらのように扱い、中国人は日本人を蛇蝎の如く嫌う。しかし成子は両者を隔てなく愛そうとした。成子には韓との間に生まれた子がいた。子供はただの中国人でも、ただの日本人でもない。

両者の血、両者の文化、両者の伝統を受け継いだ「中日人」なのだ。そのような子供を持った成子の母性愛は、中国人だけ、日本人だけを大切に扱いえなかった。

成子は、帰順工作に出かけるとき「丸腰」だったという。信頼(丸腰)していかなければ、信頼(帰順→武装解除)してもらえない、という信念からだった。

様々な工作を成功させ、成子は女ながら、日本軍において少将格の扱いを受けるようになる。日本のための最後の仕事が、なんと、延安を拠点にする毛沢東率いる中国共産党との終戦工作だったという。

実際に、成子は毛沢東に会うため延安に向かい、途中、共産党軍につかまるものの、自らのミッションを話し、工作は進展の方向性にあった。

結局、日本軍のある軍人の裏切りと日本の終戦によって工作自体は失敗に終わる。

その後、国民党軍につかまり、戦犯として中国内で拘留・裁判を受け、結局12年間を中国の獄中ですごすことになった。成子は非を認めれば罪一等減ずる、といった誘いを受けながら、自分は何ら悪いことはしていない、と自らの罪を認めなかった。

それは実に本音であったのだと思う。成子はすべて、自らの良心、あるいは本心の声に従って、工作に従事したのだと思う。たとえ成子を利用した者達の魂胆が、良からぬものであったとしても。

成子は、見方によっては、とんでもない脳天気な人間である。しかし日本人には(日本人に限らないのかもしれないが)、時に、このような政治に係わりながらも、全く非政治的な純粋な人格が現れる。いうまでもない、西郷隆盛である。そのような存在が現れ、歴史の表舞台で活躍しうる。奇跡と言って良いほどである。















「堀川辰吉郎とは、」

2015-04-28 07:49:22 | 日本

いまや、歴史の流れから消されてしまった政治結社の玄洋社に所属し、北京政府からも台湾政府からも国父と呼ばれる孫文を支援したのが玄洋社だが、その孫文の側近にいた人物が堀川辰吉郎になる。

幕末から明治、大正、昭和の政治史を読みこなしている人ならば、歴史の裏側にこういう人物がいたのかと驚くばかりと思う。
元の鳩山首相の祖母になる鳩山薫子が本書に登場するが、その鳩山薫子の父親も玄洋社の社員であった。

付け加えれば、天風哲学といわれる中村天風も玄洋社員として満洲の大地を駆け回っており、少林寺拳法の創始者である宗道臣も玄洋社の頭山満、内田良平の世話になり軍事探偵として満洲にいた。

では、堀川辰吉郎とは一体如何なる人物なのか?
堀川 辰吉郎(ほりかわ たつきちろう、1884年? - 1966年12月19日)は大アジア主義者。明治天皇と女官の千種任子(ちくさ ことこ)の間に出来た隠し子とも噂された怪人物である。井上馨と京都の芸者の間にできた息子ともいわれ、戸籍上は井上馨の兄・重倉の五男。

京都堀川(旧皇居の所在地)の生まれと自称。戸籍上は1891年生まれとされるが、当人は1884年生まれと自称しており、1879年に大正天皇と1分違いで生まれたとの言い伝えもある。

生後まもなく福岡の堀川家に預けられ、頭山満や井上馨の庇護を受けて育つ。校長への暴行や動物虐待、さらにはヤクザを相手取っての放火事件など腕白が過ぎて福岡じゅうの小学校をたらい回しにされ、やがて学習院中等科に入れられたが、ここでも女学生の前での公然猥褻事件や皇族への暴行傷害事件など問題行動を繰り返して放校処分を受けた。

折あたかも、頭山を頼って日本に亡命していた孫文が帰国の途につこうとしていた際であった。堀川は日本の学校にいられなくなったため、頭山の依頼で孫文に托されて中国に渡ることとなった。1899年のことである。以後、1912年まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。このとき孫文が周囲に対して堀川を「日本の若宮」と紹介し、「日本が我らに若宮を托したことは、わが革命軍に対する日本の賛意の証」と主張して政治宣伝に利用したことが、堀川をして明治天皇の落胤とする風説の根拠の一つとなっている。

その後、奉天の世界紅卍字会の会長に推され、日本の軍閥と争いつつ日中平和に貢献。帰国後、1935年、大木遠吉や鈴木三郎(関東都督府外事総長・久邇宮御用掛。鈴木貫太郎三男)のあとを受けて大日本国粋会第3代総裁に就任。反軍閥運動のため東條内閣と対立し、ふたたび中国に渡った。

終戦と共に帰国。国粋会総裁という経歴が災いして戦犯容疑でGHQに逮捕されたが、無罪放免となった。
戦後は世界連邦運動を推進。1951年のサンフランシスコ講和条約会議に際しては舞台裏の根回しに奔走。

世界各国に48人の妻と88人の子を持つと自称していた。[要出典]正妻は九州の炭鉱王貝島太助の娘。女婿には新日本製鉄会長永野重雄の長男らがいる。カーレーサー浮谷東次郎は堀川の外孫の一人である。国際政治研究家・ジャーナリストの中丸薫は自らを堀川の娘で“明治天皇の孫”だと称している。


◎堀川の一言

・月も星もすべて、グーツと飲み込むような、宇宙を飲み込むほどの心を持たねば、組織のトップにはなれない。

・私の所に来る人は全部紹介してあげるが、良い人ばっかりではないよ。自分でよく判断しなさい。












「選挙のぶっちゃけ実態TOP10」

2015-04-27 06:01:26 | 日本

選挙戦の面白い分析が載っていた。
以下、要約し紹介する。


「休みなく働いているので(投票に)行く時間がない」という意見も見られるように、「投票以前」にも問題がありそうである。 

4年に一度の統一地方選挙の“後半戦”が4月26日に投開票される。総務省によれば、12日に行われた“前半戦”では、10道県知事選で過去最低の投票率(平均47.14%)を記録したという。特に20~30代は投票率が低いといわれるが、実際「選挙」といわれてもピンとこない人は多いだろう。投票した人も「真剣に政策を比較して選んだか?」と問われれば「YES」と答えられる人は少ないはず。是非はともかく、それが庶民レベルで感じる「選挙の実態」だ。そこで20~30代の社会人200人(男女各100人)に、選挙に際しての「“こんなことじゃ良くない”と思いつつも、ありがちな実態」について調査してみた。


◎選挙にまつわる“ぶっちゃけ実態”TOP10

1位 政策の中身を見ても、まったくピンとこない 187pt
2位 候補者の顔と名前もほとんど知らない 178pt
3位 候補者の政策をどこで確認したらいいかわからない 124pt
4位 選挙カーなどで候補者の名前を連呼されると、かえって投票したくなくなる 110pt
5位 ここしばらく投票には行っていない 108pt
6位 街頭演説を最後まで聞いたことは一度もない 105pt
7位 前回の選挙で投票した人の名前はもはや思い出せない 79pt
8位 実は「顔」や勘(直感)で投票する候補者を選んでいる 69pt
8位 有名な人(名前を聞いたことがある人)に投票しがち 69pt
10位 天気が悪いと、投票に行くのをやめる 58pt

有権者の“醒めた目”が浮き彫りに。4位の「選挙カーで名前を連呼」に対する評価が象徴する通り、「熱心なのは候補者だけ」もしくは「候補者が熱を入れるほど、有権者はひいてしまう」様子も見て取れる。以下、それぞれの項目に寄せられた“有権者の声”を紹介する。


【1位 政策の中身を見ても、まったくピンとこない】

「難しい言葉で長々と話すから頭に入ってこない」(31歳・男性)
「耳触りのよいことしかいわない」(37歳・男性)
「実現しないことを言っているだけだから」(30歳・女性)
「どうせ当選したら事前に言ってた事は忘れたような政策するんだろうし、はっきり明言しないし、よくわからん」(35歳・男性)
「少子高齢化対策、待機児童の問題、環境問題、原発問題などみんな同じようなことしか言わないので政策自体に関心があまり持てないことが多いから」(30歳・男性)


【2位 候補者の顔と名前もほとんど知らない】

「正直、区議などになると一人も知らない」(32歳・男性)
「興味がない。誰も期待できない」(36歳・女性)
「どの人も同じようなことをいうので、政党で選んでいるから、候補者の顔まではわからないことが多い」(30歳・男性)
「居住地区と日中の勤務先の地区が違うため、選挙カーや選挙人に会うことがなく、朝早く夜遅いと掲示板も見ることができないため」(32歳・女性)


【3位 候補者の政策をどこで確認したらいいかわからない】

「演説会の予定がわからない」(32歳・女性)
「メディアが注目の候補者しか取り上げていない」(32歳・女性)
「立候補者の政策をじっくり聞いたり読んだり、質問する場がない」(39歳・男性)
「どこで政見放送をやっているかなど色々知らないことが多いため」(25歳・女性)
「街頭演説やビラで確認しているので趣旨はわかるが、日頃の活動との整合性を確認するすべがあまりないから」(36歳・女性)


【4位 選挙カーなどで候補者の名前を連呼されると、かえって投票したくなくなる】

「立候補者が何をしたいのか?を聞きたいのに、名前だけを連呼されたら投票したくなくなる」(33歳・女性)
「具体的な政策を話しているのを聞いたことがないのでいい加減だと思う」(39歳・女性)
「煩いだけで騒音でしかなく、本当に迷惑だから」(36歳・男性)
「しつこさを感じて、気分が悪くなるから」(25歳・女性)


【5位 ここしばらく投票には行っていない】

「仕事の休みがないから選挙前投票はできないし、当日の仕事も20時までに終わらないから」(30歳・女性)
「政治家の不祥事が多すぎて、真面目に投票に行く気にならない」(32歳・女性)
「転勤で現在の土地にいるため、投票に対する意識が少ない」(23歳・女性)
「誰に入れたらよいかわからないから」(29歳・女性)
「誰が当選しても、結局市民の生活が大きく変化することがないため」(29歳・男性)

ちなみに、もっとも多かったコメントは「興味がない」。それ以外も、政治不信をひしひしと感じるコメントばかり。

ただ、「自分の1票があってもなくても、世の中はなにも変わらない」という感覚は、「(良くならないことへの)諦め」である一方、「(悪くならないことへの)安心・油断」でもある。そう思ってしまう僕らは、不幸なのか幸せなのか…。












「本当はプリン体ゼロではやっていけない人の体②」

2015-04-26 08:04:27 | 日本

◎焼鳥1日5本でプリン体摂取制限の目安超え

痛風の発症や再発を予防するための具体的な方法について、「高尿酸血症・痛風の治療ガイドライン」には、生活指導として、「総エネルギーの制限」が言われている。つまり、食べ過ぎないようにせよということである。

1日に摂る適正なエネルギーの目安として、「標準体重×25~30kcal」というものがある。標準体重は「身長(メートル)の2乗×22」で求められる。例えば、身長170センチの方の標準体重は、1.7×1.7×22=63.58キログラム。これに25~30kcalをかけた「1590~1907kcal」が、適正なエネルギーの目安となる。

総エネルギー制限とは、メタボリック症候群などの生活習慣病の対策と似ている。
痛風でも食事療法のメインは、適正なエネルギー摂取なのである。

その次にあるのが、プリン体の多く含まれる食品を摂りすぎないようにすること。
とはいえ、プリン体含量の多い肉や魚は、栄養分として必須のタンパク質も多く含まれているから、通常の量は食べなければならない。そこで、プリン体含量の多い食品を“食べすぎない”という意識が大切になる。1日400ミリグラムを超えないようにする。

特に肉類ではレバー、魚介類では白子などにプリン体が多く含まれる。レバーを中心に焼鳥を5本食べたら、400ミリグラムに達してしまうので、注意が必要である。

プリン体の他、果糖の摂りすぎも尿酸値を上げるから、摂りすぎないように注意が必要である。具体的にはグレープジュースなどの甘い飲み物である。

逆に、痛風の発症を抑えるのに効果的な食べものもある。乳製品が痛風の発症リスクを下げることが報告されている。

また、以前言われていたアルカリ性食品はよい。ひじき、こんぶ、わかめなどは尿を中性に近づける。
けれども、食事はバランスよく、1日30品目を目指すことがより大事である。例えば、たとえ外食でも、品目の多い定食などで、野菜も多く摂るとよい。


◎アルコールの影響3分の1、プリン体の影響3分の2

アルコールなどの飲み物については、アルコール飲料中のプリン体含量は、例えばビールが100ミリリットル中5ミリグラム前後。これは、食べものにあるような「100グラ200ミリグラム」などの含量よりはかなり少ない。にもかかわらず、「ビールは痛風の主要因」などと言われているが、これは、アルコール飲料のプリン体含量は多くない。蒸留酒にはほとんどプリン体は含まれていない。けれども、アルコール自体もまた尿酸値を上昇させるのである。アルコールを摂取すると、体内のATP(アデノシン三リン酸)が代謝・分解される。ATPはプリン体の一種で、代謝量が多いと、プリン体の最終代謝産物である尿酸が多くつくられることになる。

また、大量にお酒を飲むと、つくられた乳酸が尿酸の排泄を阻害して、これもまた痛風の原因になる。

米国の疫学調査で、ビールなどのアルコール飲料を飲まない人と、毎日ある一定量を飲む人で、尿酸値の変化のちがいを調べたデータがある。例えば、1日に平均ビール1缶(350ミリリットル)を飲む人は、まったく飲まない人に比べて、血清中の尿酸値が1ミリグラム/デシリットル高いという結果が報告されている。

こと男性の尿酸値の中央値は6.0ミリグラム/デシリットルほどで、7ミリグラム/デシリットルを超えると高尿酸血症と診断されることからすると、1缶飲むだけでも影響は大きいといえる。

「プリン体ゼロ」や「プリン体カット」を謳うお酒があるが、効果の程はどうなのか?
一般的に、ビールが痛風をもたらす場合、アルコールの影響が3分の1、プリン体の影響が3分の2とされている。また、発泡酒のほうがビールよりはプリン体含量は少なく、「プリン体ゼロ」の商品はさらに少ないとは言える。

赤ワインはポリフェノールの働きでグラス1杯分ぐらいなら尿酸値を下げる効果も見られる。少しはお酒を飲むほうがよいという話もあるが、プリン体やアルコールの摂りすぎに気をつけることはよいことである。

他に飲みもの関連で痛風との関係で、十分に水を飲むのは、痛風の予防にはよいことである。体の中で水が多く回り、尿酸が溶けやすくなる。


◎激しい運動は逆効果

高血圧や糖尿病などの生活習慣病対策では、よく食事制限とともに運動が奨められる。痛風対策に運動はどうか?

「ガイドライン」では、週3回くらいの軽い運動を続けることが推奨されている。適度な運動をすると、エネルギー放出のため、体内のプリン体の一種のATPがほどよく使われる。

「運動をする」と考えると敷居が高くなるかもしれないが、通勤、仕事、家事などで積極的に体を動かす「身体活動」の量を増やすことを心がければよい。

つい痛風につながりやすい食事をしてしまった場合、すごく運動をすればリスクを相殺することはできるのか?

そうはいかない。激しい運動をすると、かえって尿酸値を上げてしまうから。ATPが過剰に分解されて、それが尿酸の量を増やすことにつながる。

もし、痛風につながるような食事をしてしまったら、水を多めに飲んで、無理しない程度の運動をして、翌日は前日のような食事は避けるといったことが大切になる。

とかく忙しいビジネスマンは生活も乱れがちである。どのようなことが重要になのか?

痛風対策のみならず、健康寿命を伸ばすことにも共通するが、食事は腹八分目でいろんな食材を少なくとも1日1食は、2人以上で30分以上の時間をかけて、きちんとした食事を摂りたいものである。そして、飲酒は適量にということ。



<了>











「本当はプリン体ゼロではやっていけない人の体①」

2015-04-25 06:36:47 | 日本

誤解だらけのプリン体と痛風について、漆原次郎さんがまとめている。
以下、要約し2回にわたり記す。



「火箸を突き刺して、ぐりぐりと掻き回したよう」
「五寸釘が2本、クロスするように足首に刺さっているよう」
「心臓が動いて血液が送り出される度に痛い」

痛風がどのくらい痛いのかを、人々はこのように表現する。これだけ凄まじいと、“怖いもの感じたさ”に一度だけ経験してみたいと思う人もいるかもしれない。だが、痛風に一度なってしまったら完治は難しいと言われる。やっぱりできるならば、そんな激痛とは無縁の一生を送りたいところだ。すでに痛風になっている人も、できるならば発作を上手に避けながら生活を送りたいと願っていることだろう。

そんな痛風をめぐって話題になるのが「プリン体」だ。一般的に、プリン体含有量の多い食べものや飲みものをとると、痛風のリスクが高まるとされている。そこで、近年は「プリン体ゼロ」を謳った発泡酒も売られている。


◎プリン体は本来、体になくてはならぬ物質

痛風の原因としてよく「プリン体」という物質の名前を聞く。プリン体とはどのような物質なのか?

プリン骨格という構造をもっている物質のことをプリン体と呼ぶ。「プリン骨格」は、5個の原子が環になった五員環と、6個の原子が環になった六員環が組み合わさったような構造をしている。

本来、プリン体は私たちの体にとって必要な物質なのである。例えば、体の設計図とも言われるDNA(デオキシリボ核酸)や、体内のエネルギーの貯蔵、供給、運搬に関わるATP(アデノシン三リン酸)といった物質は体に欠かせないが、これらもプリン体の一種なのである。体の中でもプリン体は作られている。

体で作られる他に、食事でも我々はプリン体を摂取している。水だけ飲んでいても何日かは生きていけるが、なにか食べないとやせ細っていく。健康に生きるためには、外から食べものを摂らなければならない。食べものにもプリン体が含まれているので、体の外からもプリン体を得ていることになる。


◎男性の尿酸値は通常でも病気の基準値すれすれ

体に欠かせないプリン体がどのように痛風をもたらすのか?
体のプリン体は、代謝という体内の化学変化によって構造を変えていき、別の呼び名の物質になる。その経路を代謝経路という。

人の体で、プリン体の代謝経路の最後に作られるものが「尿酸」という物質で、これもプリン体の一種である。尿酸は、プリン体の最終代謝産物である。

尿酸にも、本来は抗酸化作用があって、活性酸素などのストレス物質から人の体を守る役割をもっている。小動物の寿命が短いのは、小動物では最終代謝産物が尿酸ではないからではないかとも言われている。

尿酸は通常、血液の中では溶けているが、溶けきれずに飽和すると結晶になる。尿酸はもともと溶けにくい物質です。100ミリリットル(1デシリットル)の水溶液中(pH7.4、37℃)で尿酸が6.8ミリグラムより多くなると、尿酸が溶けきれず飽和して結晶になる。砂糖では100ミリリットルに200グラム溶けるが、尿酸はそのわずか30000分の1。耳かき1杯分くらいしか溶けない。

そして、溶けずに結晶になると針状の形になる。これが痛みのもととなる。たいていは足の親指の付け根の関節から痛み始める。


◎なぜ足の親指?なぜ男性ばかり?

どうして、足の親指の付け根が痛むのか?
足の親指あたりは体の末端で冷えるから、体温が低い分、結晶化しやすいといったことが言われている。それに、関節の中ではさほど尿酸が流れて入れ替わったりしないので、尿酸値の濃度が高くなったら高いまま、結晶になってしまう。

では、どのくらいで尿酸は飽和して結晶になってしまうものか?
血液中や関節内にはタンパク質があるため若干、溶けやすくはなっている。「高尿酸血症・痛風の治療ガイドライン」では、尿酸値が7.0ミリグラム/デシリットルを超えると高尿酸血症、つまり痛風をもたらす病気と診断している。尿酸値は、血液の液体成分中に尿酸がどれだけあるかを示した値である。

痛風の9割以上の発症が男性と言われが、どうして男性のほうが女性より発症率が高いのか?
それは、男性のほうが、もともとの尿酸値が女性より高いため、痛風になるリスクも高いのである。東京周辺の働く成人での尿酸値の中央値は、男性で6.0ミリグラム/デシリットル、女性で4.0~4.5ミリグラム/デシリットルと報告されている。女性については、女性ホルモンが尿酸を排泄してくれるため、もともとの尿酸値は低めになっている。
もともとの尿酸値の違いがいちばん大きく、男性では、ふだんの状態が飽和に近い濃度になっているわけである。


◎かつて帝王病、いまや国民病

痛風の要因として、食生活はどのくらいの重要性をもっているか?
食生活は確かに重要で、痛風発作が再発する直前の2日間に肉や魚などプリン体を多く含む食品をたくさん食べた患者さんは少なく食べた患者さんと比べて発作のリスクが約5倍であることが報告されている。

食生活も含めて、痛風にもっと重要に関係しているのが、腎臓の状態である。尿酸の多くは腎臓から尿として排泄されるものだが、腎臓が悪くてうまく排泄されないと、単なる食生活の原因よりもはるかに痛風を発症させやすくなる。

また尿酸は、尿の他に腸管から便として排泄される。尿での排泄にくらべて量は半分ぐらいでさほど多くはないが。

高尿酸血症や痛風の患者は、年を追うごとに増えていると聞く。これからすると、飽食や栄養過多の時代と呼ばれる現代の食生活も関係しているように思える。

昔から痛風という病気はあったのですか?
西洋では紀元前から知られている病気だった。古代ギリシャの医師であるヒポクラテス(紀元前460頃~紀元前375頃)が著作の中で痛風について述べている。

痛風はかつて「帝王病」とも呼ばれていた。西洋の帝王のような身分の人が、よくこの病気になっていたからである。例えば、紀元前に大帝国を建設したアレキサンダー大王(紀元前356~紀元前323)や神聖ローマ皇帝カール5世(1500~1558)、またフランス国王ルイ14世(1638~1715)などはみな痛風だった。それに、芸術家のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)、詩人のゲーテ(1749~1832)、博物学者のダーウィン(1809~1882)なども痛風になっていた。

一方、日本はというと、明治時代になるまでは痛風という病気はなかった。その後も、戦前はほとんど知られず、増え出したのは戦後である。

飽食の時代、もはや帝王や裕福な著名人だけがかかる病気ではなくなったわけである。











「米中合同の演出だった南京大虐殺と中国侵略②」

2015-04-24 07:36:58 | 日本

◎自虐史観で反論できなかった日本

日本の敗戦後、GHQは占領政策遂行のため、検閲項目を設けて、日本人の洗脳に務めたことは江藤淳著『閉ざされた言語空間』や西尾幹二氏による一連の『GHQの焚書図書開封』などによって、詳しく知られるようになってきた。

ヘレン・ミアーズはGHQの一員として日本における占領行政に携わる。ポツダム宣言で言論の自由などを要求しながら、GHQが全く反対のことを行っていることに失望、帰国して『アメリカの鏡 日本』を上梓する。しかし、占領期間中の翻訳をマッカーサーが禁止し、日本人の目に触れることはなかった。

こうして、戦後の日本人はGHQが作り出した「太平洋戦争史」や東京裁判史観でしか考えることができなくなり、シナ事変を含む大東亜戦争についても正しい理解をすることができなかった。そうした中で創作されたのが「南京大虐殺」である。

上記4人を通して米国を見ても、蒋介石やその夫人宋美齢、夫人の兄・宋子文などの対米工作によって、米国がいかに親中反日路線に傾いていたかが汲み取れる。
『マオ』や『ヴェノナ』などで明らかになってきたように、ルーズベルト政権には共産主義者が多数入り込んでいて、対日姿勢は硬化の方向にあった。

だからこそ、マクマリーやタウンゼント、あるいはウイリアムズらが大陸で展開されているシナ事変や、共産主義に対する日本の努力を進言しても、聞く耳を塞がれていたと言っていいだろう。

マクマリーは「日本を抹殺することが可能であるにしても、祝福すべきことにはならない。ソ連邦が競争者として立ち現れるだけであろう」(要旨)と、冷戦の到来を的確に予測していた。

タウンゼントは「日本は極東における共産主義に対する保塁であり、もし日本が勇敢に共産主義に反対していなければ、ロシアは満洲とシナ本部の接壌地を支配していた」という認識を示していた。

また、ウイリアムズは「我々は日本に関するものよりも、中国に関して見聞きするものを疑いなく事実として認識する傾向がある。実際問題として、この国(注、米国)には中国のプロパガンダが氾濫している。そして日本を弁護するものをほとんど見ない」と指摘していた。

彼らは米国の偽善に敢然と闘った言論戦士であった。結果は彼らが危惧した通りになり、冷戦時代を迎えた。経済で破綻したソ連は自壊したけれども、その遺伝子を組み替えて受け継いだ中国が台頭してきた。


◎おわりに

「通州で無辜の日本人たちを虐殺した正にその中国兵たちが、捕虜になったときは日本軍によって給養され、『罪を憎んで人を憎まず』のサムライ精神によって、『もうああいうことをしてはいけない。さあ行け』と説かれていた。(中略)世界はこれらの非道行為を知らない。日本人は宣伝が下手である」と、ウイリアムズは嘆く。

また、上海戦では日本の指揮官は市民に近い所から戦闘地域を移動するように要請するが、自国民と外国を巻き込みたい蒋介石は、むしろ住民や家屋を遮蔽物にして生贄にしたと告発する。その一方で、中国の宣伝係は外国特派員たちに日本軍の残虐を打電させ、「プリンターインクで戦っていた」ともいう。

南京戦では宣伝が組織的かつ巧妙に行われる。しかし、ウイリアムズが虐殺についてさえ語らないところからは、攻略戦には特段の問題はないとみていたのであろう。

ともあれ、大陸における日本軍の駐留は合法的であった。発砲事件や中国兵による虐殺事件などが起きても、不拡大方針を有していた日本は停戦協定を結んだ。しかし、その都度、中国側が破り、ついにシナ事変は大東亜戦争へと拡大していく。

日本を侵略国家と判定した東京裁判の仕かけ人であったマッカーサーは、帰国後の上院軍事外交合同委員会で翻意し、「日本が戦争に突入したのはセキュリティのためだった」と証言し、自衛戦争であったことを確認した。

南京事件時の中国や米国における宣教師や関連した人物たちの言動、大虐殺の証拠として出回ったニセ写真、事件の渦中にも発行されていた日刊紙や鋭い感覚で実情を把握してきた外交官やジャーナリストが「大虐殺」を語らない事実は、「捏造された南京大虐殺」を教えている。

「大虐殺」は「宣伝戦」の見事な成果であったのだ。中国は尖閣の領有権について、遠大な計画で宣伝戦に出ている。今こそ、透徹した先見性で、「気がつけば敗者」となることだけは避けなければならない。



<了>