龍の声

龍の声は、天の声

「東海道新幹線放火事件、プロのテロリストはこう動く」

2015-07-31 07:18:01 | 日本

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」を要約し記す。

 

東海道新幹線の放火事件で、警察は今日(※7月3日)、当時の詳しい状況を調べるため、火事があった新幹線の車両の現場検証を行う。

この事件は、神奈川県小田原市を走っていた東海道新幹線の車内で東京都杉並区の林崎春生(はやしざき・はるお)容疑者(71歳)がガソリンをかぶって自ら火をつけて死亡したほか、52歳の女性が巻き添えで死亡し、26人がケガをしたものである。警察は林崎容疑者について、殺人と現住建造物放火の疑いで調べている。

消防によりますと、新幹線の車両の1号車は前方の天井パネルが数メートルにわたってはがれ落ち、周囲が真っ黒になるなど激しく焼けていました。一方、警察によると、林崎容疑者が事件前日の先月29日、自宅近くのセルフ式のガソリンスタンドでガソリンおよそ7リットルを購入していたということである。

それと同時に、今回はプロのテロリストによる仕業ではないということです。プロの自爆テロリストだったら何を考えるか。同じ道具でも被害を飛躍的に拡大させることが可能である。

プロのテロリストが仮に7リットルのガソリンを持っていたとすると、それを車両のなかに撒いて少し時間を置く。完全に気化させるのを待つ。それと同時に長距離トンネルに入るところを狙う。しかも、時刻表を調べて対向の新幹線が来るタイミングで火をつける。そうすると車両は爆発して脱輪する可能性がある。反対側の線路にかかることになれば、対向車両と正面衝突することになって、しかもトンネル内火災ですから消防車が入れない。窒息者が出てくる。こういうことがテロリストには可能である。

そうなると深刻である。特に伊勢志摩サミット、東京のオリンピック・パラリンピックを控えたところで、これはすごく深刻な問題である。

新幹線の利便性とのバランスのなかでしか対策はとれない。要するに、五十何年に1回の事件だから。確率的に0.00000何%ぐらいの話である。そこのところに航空機並みの検査を新幹線に導入するといっても、あまり費用対効果で意味がない。それどころか、新幹線で検査が厳しくなったら、テロリストは在来線でテロをやることを考える。そこも警備するとなると、これは非現実的になってしまう。

そうすると何が重要かというと、二つ重要なことがあって、ひとつはテロの場合は政治目的があるから政府の広報や教育がすごく重要になるが、テロリストがどんな要求をしてもそれに応じないこと。たとえば、中東において日本は完全に手を引けとか、人道支援をやめろとかいう要求を掲げてテロをやると思うが、それに応じてしまうと、また次のテロを誘発する。

二番目は、職人芸の世界の話になるが、「巡回」です。JR東海では、私の推定だが、今は何でもコンピュータで管理されているにもかかわらず乗客全員の検札をしているというのは、検札することによって荷物や挙動不審者をチェックしているのだと思う。挙動不審者だと思った際の初動対応が非常に重要になってくる。

新幹線は車両ごとに消火器が備えられている。今回、運転士がケガをしながらも消火をした。これは日常的にかなり訓練をしていないと、動転して対応できない。かつて韓国で大きな地下鉄放火事件があったが、明らかにその教訓を踏まえて、JRは訓練をしている。それが被害を防いでいるという側面が大きいということも今回の事件で感じた。

ここで考えなければならないのは、非現実的な警備案を出してもそれは長期間維持できないということ。だから、現実的な方法を考えること。

国際的な協力も得るべきである。たとえば、フランスは英仏地下トンネルの問題があるから、その辺りの警備の実績がある。あれはベルギーからスタートしているので、ベルギーもそうとうテロに対するノウハウを持っている。スペインではかつてテロによる列車事故があったし、イスラエルは常にテロの脅威にさらされている。こういった国の専門家から、どういう警備をしているかということをきちんと聞いて、テロがないと同時に利便性を担保するという連立方程式を解くことを考えてほしい。

そして専門家に任せるべきである。われら一般の人の感情からすると、このひとつの事件にものすごく大きなプリズムが当たるから、検査を徹底して、全部の在来線でやってくれと言いかねないが、それでは駅が機能しなくなる。そういうことは非現実的である。非現実的なことは、仮に導入したとしても長続きしない。そうすると、逆にその隙を衝かれて、大きなテロが起きる。

テロ対策の問題と今回の事件は直接は関係ない。だけど、今回の事件はテロリストに対して、こういうような脆弱性があるんだということを可視化させてしまった。そこにいちばんの問題があると思う。その前提のもとにどういう対処をするかということは、やはり専門家の本当に重要な仕事になってくる。













「苦しい時」

2015-07-30 08:04:09 | 日本

松本守正さんのブログ「苦しい時」について記す。



いつも苦しい時「今、ここで頑張れ。今、ここでがんばるんだ」そう言い聞かせてきた。

考え方を+プラスに変えて、腹をくくって取り組む。

色んな状況、悪状況いっぱいある。今ここで頑張るんだ。

しっかり現実を見て自分に言い聞かせる。その連続である。

事を成す時、時には無理なことを押し通すのも必要。無理かもしれないけれど、そこが頑張り所。

人間の能力は訓練で向上する。ちょっと失敗しても立ち上がらなきゃ!頑張らなきゃ!

いつもありがとう












「性格」

2015-07-30 08:02:56 | 日本

松本守正さんのブログ「性格」について記す。



「人間はその人の性格に見合った事柄に遭遇する」
[芥川龍之介]


性格を形どっている要素

1.感情の持ち方
声のトーン高くする
身ぶり、手振り
明るい人

2.考え方
常に前向きに
目に見えないものを大切に出来る人

3.反応の仕方
外見ぐらいは明るめの服をきる
「何か前と変わったわ」と言われるとOK

4.態度
体の姿勢を正しく
マナーを正しく

5.行動の仕方
早い身のこなしかたをする人
気配り、心配りができる人


嫌なことが多い人は、性格を変えよう。

良い性格の人は、良いことが起こる。








「自信を養うための5つの公式2」

2015-07-29 06:24:16 | 日本

松本守正さんのブログ「自信を養うための5つの公式5」について記す。


「私は、利己的な目標は立てない。
それでも、多くの人々の支えによって成功出来るのだ。
だから、まず人の為に尽くそう。
思いやりを身に付け、憎しみやねたみ、そしてわがままや皮肉をやめる。
人を苦しめて、成功は出来ない。」

周りの人を苦しめない。
周りの人に尽くす。

感謝の心を忘れずに!!

自信を養う5ヶ条を書いた。

是非習慣化して欲しい。












「自信を養うための5つの公式1」

2015-07-29 06:23:01 | 日本

松本守正さんのブログ「自信を養うための5つの公式4」について記す。



「私は、人生目標(叶えたい夢)を紙に書き出した。
あとは一歩一歩、前進するだけだ。」

目標(叶えたい夢)を紙に書かなきゃ駄目。

夜寝る前に、目標(叶えたい夢)を三回紙に書く。
それを最低でも三週間は続ける。

今日からすぐにでも始められる簡単なやり方である。

私達は食べる為に生きているのではない。

夢を実現する為に生きている。










「一触即発の南シナ海“日中開戦”」

2015-07-20 11:22:26 | 日本

世良光弘さんが言う。「一触即発の南シナ海“日中開戦”自衛隊はすでにその時に備えている!」と。以下、要約し記す。


与野党の口汚い罵(ののし)り合いと化した安保法制の国会審議で、なぜかスルーされているのが南シナ海の危機である。

しかし、安倍政権が安保法案の適用例として挙げているのは、「中東・ホルムズ海峡での機雷掃海」や「朝鮮半島有事における邦人の乗った米艦の防護」であり、南シナ海の危機については言及が少ない。

ところが、ここ最近も南シナ海では頻繁(ひんぱん)に問題が起こっている。

5月20日、米軍の対潜哨戒機(たいせんしょうかいき)「P-8ポセイドン」が南沙諸島付近の公海上を飛行中、「こちら中国海軍、出ていけ」と、無線で8回も退去警告を受けた。

6月23日には米ワシントンで米中戦略経済対話が開かれたが、南シナ海問題について両国は平行線。30日には中国側が「埋め立て工事は完了したが、軍事目的を含めた施設の建設を続ける」と発表しており、事態は好転するどころか、さらに緊迫感を増したといっていい。

こんな状況を考慮すれば、安保法制で“対中国”を意識するのは当然の流れのはず。それなのに、国会答弁では中国の「ち」の字も出てこない。その理由について、ある防衛省関係者はこう説明する。

「安倍首相が『中国の海洋進出を集団的自衛権で阻止する』とでも言おうものなら、中国を大いに刺激してしまう。ただでさえ今年は戦後70年で、中国は“安倍談話”を攻撃材料にしようと手ぐすねを引いているのに、そこにさらなるカードを与えるわけにはいかないという判断である。

一方、野党の側にもこの話題を持ち出さない理由がある。現実に迫った南シナ海の危機について議論を展開すると、『安保法案は必要』という声が広がってしまうかもしれない。それよりも違憲だ、徴兵制だ、と感情に訴える話のほうが“引き”が強いわけである」

要するに、与党も野党も「本当のことは言わないほうが都合がいい」のである。そんな中、実はすでに日本の自衛隊は南シナ海に首を突っ込んでいる。

6月23、24日に行なわれたフィリピン軍との共同訓練で、南沙諸島と目と鼻の先にあるフィリピンのパラワン島から海上自衛隊の哨戒機「P-3C」が飛び立ち、周辺海域で哨戒任務を行なった。表向きは「遭難船の捜索・救難」の訓練とされているが、中国側は即座に不快感を表明した。

アメリカの強い要請もあり、近い将来、海自はフィリピンなど沿岸諸国との協力を深め、南シナ海で常時パトロールなどの任務を行なう可能性が高い。軍事評論家の古是三春(ふるぜみつはる)氏はこう警告する。

「中国は、南沙諸島の人工島に戦闘機や大型の哨戒機も発着できる飛行場を建設中で、対空機関砲や中射程の地対空ミサイルの配置も急ピッチで進むでしょう。当然、これはあくまでもパワーゲームの一環で、基本的に軍事衝突は避けたいというのが中国も含めた関係各国の共通認識。ただ、問題は中国人民解放軍の“現場”が、いつも政府の意図どおりに動くとは限らない。

官僚主義的な中国では党、軍、政府機構の指揮系統がバラバラで判断基準も不透明です。特に、軍は現地部隊の裁量による判断の幅が大きく、不測の事態が発生しやすい。埋め立て工事や軍事施設の建設を進める建設兵団、警備に当たる辺防部隊などの現場部隊が日米の哨戒機に対する“なんらかの命令”が下されないことにイラ立っている可能性は高く、先日の米機への警告も政府主導ではなく現場の独断と考えたほうがいいかもしれない」

そうした現場の暴走が引き金となり、局地的な「開戦」という最悪の事態に発展することも考えられる。その時、犠牲になるのは自衛隊だ。そのリスクも含め、いい加減、真正面から議論するしかない時期にきているのだが…。















「米国人も唖然とした、嘘つき大国・中国の実態②」

2015-07-20 11:20:39 | 日本

◎他人のものを「我がもの」にする

タウンゼントが勤務地で悩まされた例を見よう。福清(福建省福州)で米国のミッションスクールが持っていた空地を中国人学校に乗っ取られた話である。

中国人学校の偉い人たちが、「お宅は空地をお使いなられていないご様子ですので、当方に貸してもらえないでしょうか。必要となったら無条件で何時でもお返しします」と頼んできた。ミッションスクールの校長は同意したが、これが災難の始まりとなる。

中国側は空地を校庭として使うため、周りに塀を建て始めた。これは中国では「所有権を主張する」ことにつながるので、校長は心配して直ちに抗議する。しかし、何の効果もなく塀は一日一日高くなっていく。

地元の警察に頼んでも何もしてくれない。米国の慈善団体から大きな利益を得ている地域の住民も排外的である。抗議をよそに塀は完成して堂々と所有権を主張する。現地解決は不可能となり、福州の米国領事館に持ち込まれる。

領事館からは「規定に従って、公明正大な調査を望む」旨の要望書が何度も提出されるが、塀は手つかずである。ついに米国政府に連絡して、福建政府へ強硬な要望書が提出される。

同時期は中米の抗日戦への協力とも重なって話は友好裏に進み、責任者から「塀は直ちに撤去する」旨の通達が来る。しかし、塀は一向に撤去されない。「いつ撤去するのか」問い合わせると、「即刻」との返事であるが、事態の進展はない。

こうして領事館は福建政府に、より強硬な要望書を何度も出す。すると、今度は「塀はすでに撤去され、完全復元済み」の書簡が来る。そこで、現場に出向いてみると、「全くの手つかず」。その旨連絡すると、また同じく「撤去済み。現場でご確認願いたし」と手紙が来る。「それなら」と出かけるが何の変化もない。

業を煮やして福建政府に強硬に詰め寄る。そこでようやく責任者は誤りを認め、空地の写真を添えて「復元完了」を通知してきた。この間に不動産譲渡証明書を何枚も添付した文書を何十枚も提出させられたという。

写真には「確かに」空地が写っていた。急ぎ駆けつけた校長は、ここで腰を抜かすほど驚く。その写真は塀に穴を開け、そこから中を撮ったもので、塀は厳然として存在していたからである。

約90年前に行われたことが、現在は国家レベルで南シナ海や東シナ海に再現されている。一寸した工事あるいはガス田の試掘からスタートして、他に目を奪われたり、言い訳で翻弄されている中に月日が経ち、工事がどんどん進み、やがて完成して乗っ取られる図式が展開されているようである。


◎トラブル・メーカーの中国

タウンゼントは、米国で見る中国関連本が「感傷的でお涙頂戴式の本があふれている」と見ていたので、本当の中国と中国人に関心を持って赴任する。そして感得したのが、中国人は少しも国際法を尊重しないし、トラブルメーカーということであった。

彼が勤務した当時の領事は疲労困憊し、病気を理由に福州を去る。前任者も数年の激務に疲れ、政府の対中政策に無力感を感じ辞職していた。タウンゼントは「優秀でありながら、中国人に振り回され、半狂乱になった人の例は枚挙に暇がない」と書く。本人も福州から帰米して3年そこそこで外交官を辞職する。

「世界の人口の五分の一を占める中国人の頑固さを和らげようとした人は多い。(中略)しかし、中国人の誰もが舶来の高級服を着て高級外車に乗れる時代になったとしても、ずる賢く言い逃れをし、頑固で嘘をつく性格が変わるとは思えない」と述べる。

観察眼の素晴らしさは、人民服から背広に着替えた今日を見通していたかのようである。

布教活動している米国人が襲われ、中国人を無償で教育しているミッションスクールが、そのミッションスクールで教わっている生徒の火付けや手引きによって焼失した例などを示しながら、「中国人は次から次へと試練を与えてくれるものだ。焼き討ちぐらいで済むならまだよい。何百人も殺されている」とも書く。そうした状況は、今日に至っても続いている。

1927年から28年に、国民党は反クリスチャンの行動指示を出している。これにより中国領土にいた8000人にのぼる宣教師のうち、5000人が日本へ退去する。

ところが、支援が打ち切られるのを恐れる宣教師はこうした実態を報告していない。それどころか、「下賜休暇中の宣教師がスライドを上映しながら『大躍進する布教活動』という嘘をばら撒いている。大方(の米国人)は演技とも知らずコロッと騙されているのである」と書いている。

中国人は「表では『正義、公平、協力』を叫び、裏では実に見事に共謀、妨害、暗殺、掠奪を働いている」し、「無知な大衆の指導のために戦う指導者がいない。実情は全く逆で、戦っているのは無知な大衆の方である。(だから)今の政権が消えた方が幸せになれる」とも結論づけている。
 近年の中国からは「正義、公平、協力」は聞こえてこないが、小平は「養光韜晦」(能ある鷹は爪を隠す、実力が付くまで隠忍自重する)を語り、大国への準備に専念した。最近の指導者はことあるごとに「平和的台頭」と「大国」を唱え続けている。

その裏で、南シナ海や東シナ海の掠奪を意図していたことが、今や明々白々になってきた。他方で、中国国内では思想統制が強まり、国家主席の暗殺も何回となく発覚したと伝えられている。「今の政権が消えた方が幸せになれる」と、現代中国の人民も思っているのかもしれない。


◎おわりに

タウンゼントの中国における経験談を題材に、現在にタイム・スリップさせながら検討してきた。

帰米後のタウンゼントは、大学講師の傍ら、著述と講演活動に専念する。その活動を通して中国の本当の姿を米国人に知らせ、満州事変後、米国の対日世論が悪化する中で、本当の米国の極東政策はいかにあるべきかを説く。
結果的には中国に味方するルーズベルト政権を批判することになり、日本の真珠湾攻撃後、治安妨害容疑や反米活動などの理由で1年間牢獄につながれることになる。

ポルトガルはマカオを香港より20年も早く返還しようとした。そうされては立場がなくなる英国が香港返還の時期まで伸ばすようにクレームをつけたが、中国は何一つ抵抗しなかった。

ところが、香港返還が実現した以降の中国のやり方は、どうであろうか。
50年間は一国両制を遵守するとした英中合意を反故にし、英国の議会調査団の香港入りも拒否した。他方で、香港住民の民主化要求に対しても、どんどん介入し圧力を強めている。

そこには「力」しか信奉しない中国の姿が浮かび上がってくる。力しか信奉しない国には、国際法の遵守も話し合いも通じない。

日本は独自に力をつけながら、同盟の深化で抑止力を増大し、国際社会と
世界の有力なメディアを味方に付ける努力が不可欠である。


<了>












「米国人も唖然とした、嘘つき大国・中国の実態①」

2015-07-20 11:19:20 | 日本

森清勇さんの論文 「米国人も唖然とした、嘘つき大国・中国の実態」を2回にわたり要約し記す。



ここ数年の中国の言動を見ただけでも、中国が「嘘つき大国」であるということを日本人は身に染みて感じてきた。それにもかかわらず、ことを荒げないように日本は努めてきたのではないだろうか。

中国は5年の歴史を通じ、嘘で人民を統治してきた国家である。現王朝を正当化するために、前王朝の歴史は現王朝が(歪めて)書き正史としてきた。従って、中国の本当の歴史は正史にはなく、稗史と呼ばれる方にあると言われる。

古来、中国の言動は嘘塗れであり、日本の善意などが通ずるはずもなかった。端的な一例は、3.3兆円にのぼる日本のODA(政府開発援助)が中国の近代化を促進したが、中国からは日本糾弾しか聞こえてこない。
近年の事象と出鱈目な言い分

我々の身近に起きた事象を見ても、中国の主張が矛盾に満ちたものであることが分かる。しかし、一向に謝罪などしないし、逆に報復などの行為で圧力さえかけてくるのが中国流である。

最大の関心事である尖閣諸島の領有問題については、くどくどと述べる必要はない。1910年頃の写真では尖閣諸島の住民が日章旗を高々と掲揚している。

もっと明白な事実は、福建省の漁民31人が強風で遭難し尖閣諸島の和洋島に漂着したおり、石垣村の人たちが熱心な救助活動で彼らを祖国へ生還させたことに対して、「駐長崎領事馮冕(フウ・ベン)」が「中華民國九年五月二十日」の日付で、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記した感謝状を出している。1920年のことである。

その後、日本人が引き上げ、敗戦で米軍に占領されるが、登記簿上は日本人の所有になっている。こうした現実を力で押し切ろうとしてきたのが中国である。

小平の改革開放で経済が発展し、石油資源が必要になってくると見るや、海洋法を定めて勝手に自国領に編入する。2010年9月には尖閣諸島沖で違法操業していた中国漁船が、取り締まりを実施した海上保安庁の巡視船に体当たりする追突事案が発生した。

中国では自国の海域内で中国漁船が操業していたところ、進路に日本の巡視船が突然現れ接触した。漁船は魚釣島海域を離れたが、巡視船が追いかけてきて逮捕したというような報道ぶりであったという。その後は、報復とも思われる民間社員の捕縛などで圧力をかけてきた。

同時に、領海侵犯を頻繁にするようになり、横暴にたまりかねた石原慎太郎・元都知事が都で購入する動きを示すと、ことを穏便に解決したいとする民主党政権が国有化を決定した。

こうした日本の動きに対し、中国は漁民などが行き来したことなどを理由に「古来、中国の領土であった」と、平然と主張する状況である。
このほかにも、関心を呼んだ毒餃子問題や危機一髪のレーダー照射問題などがあった。

2007年12月から2008年1月の間に、中国・天洋食品の冷凍餃子を食べた千葉、兵庫両県の計10人が下痢などの中毒症状を訴えた。中国での生産過程で毒が混入された疑いがあるという日本の主張に対し、中国は言いがかりと逆に日本を責め立てた(2年後に同会社の元臨時工員を逮捕し、6年後の2014年に無期懲役の判決を出す)。

2013年1月には東シナ海で、中国人民解放軍の海軍艦艇が海上自衛艦の護衛艦に射撃管制用レーダーを照射した。一歩間違えば、交戦に発展しかねない危険極まりない行為である。

日本側は中国の否定を予測して、公表に当っては詳細なデーターを分析・検証し、事実関係を十分に固めたうえで6日後に公表した。

中国側はレーダー使用を認めたが、射撃管制用ではなく監視用レーダーであったと主張した。その後、中国軍の複数の幹部は射撃用レーダーであったことを認めているが、中国国防部(国防省)は依然として否定しているといわれる。


◎「盗み」を「施し」に転換する

主人が出かけた後、忘れ物を思い出して帰ると、中国人手伝いが貯蔵庫から盗みをやっている現場を見つける。手伝いは咄嗟に貯蔵庫が空に近いので補給しているところでしたと言う。

白々しいウソであるが中国人の常套手段で、恥じ入るとか反道徳的などの意識は全くない。こうした話は聞き飽きるほどある。

今でも中国指導部や政府が堂々と、国家を挙げてやっていることである。当初に挙げた尖閣諸島問題をはじめ、例示に暇がない。こうした逆転の発想というか、相手に罪をなすりつけてなんとも思わないやり方に、日本は致されるだけ致されてきた。

清朝末期の混沌としていた支那が秩序を取り戻すべく、日本人は惜しげもなく支援した。多くの留学生や亡命者も受け入れた。なかでも孫文や蒋介石に日本人は期待した。あまりの入れ込みで身上をつぶした人もいる。しかし、2人とも日本を裏切る。

なかでも、今なお歴史問題として騒がれる南京大虐殺は、蒋介石に端を発している。

日本人の戦争と異なり、中国式戦争では住民を楯にし、中国兵が戦場の住民を虐殺し、また糧食を挑発して餓死させることがしばしば起きている。南京戦でも、中国はあえて住民地区を楯として選んだりした。

新聞記者や大学教師を経て30歳で米国務省に入ったラルフ・タウンゼントは、1931年に上海副領事として中国に赴任する。翌32年、上海事変(第1次)に遭遇、その後福建省副領事となる。

タウンゼントは「兵隊の死者はごく少ない。ほとんどは戦場となった地域の住民である。しかもほとんどが餓死である。米粒一つ残らず『友軍』に奪われるからである」(『暗黒大陸 中国の真実』)と述べる。

ちなみに、タウンゼントが挙げている例を見ると、1931年5月の江西省と湖南省における(国民党)対共産党戦に関する楊将軍の報告では、江西省の戦死は18万6000人であるが、難民の死者210万人、焼失家屋10万棟であり、湖南省では戦死者7万2000人に対し、焼失家屋12万棟となっている。

また、湖北省知事が行った1932年11月の湖北省における共産党の掠奪報告では、死者35万人、家を失った難民350万人、焼失家屋9万8000棟となっている。

近代国家の戦争では、戦場での将兵の戦いで勝敗が決まり、死傷者はほとんどが軍人である。しかし、中国での戦いはおよそ近代戦とは言い難く、兵士が住民を直接間接に巻き込み殺戮することなど、何とも思っていなかった。

江沢民以下の歴代主席が言挙げする30万人の大虐殺や3000万人の犠牲者というのは、日本軍の手によるというよりも中国兵士が自国民を犠牲にする国民性を離れて考えられないことを示唆している。














「水筒派は注意!スポーツ飲料は入れてはいけない?」

2015-07-20 11:17:13 | 日本

水分補給が欠かせない時期になった。外へ遊びに行く子に、水筒を持たせる親も少なくないだろう。水やお茶など様々な飲料を持ち運べ、とても便利だが、なかには水筒に入れると危険な飲料があることをご存じだろうか?


◎金属製の水筒と酸性の強い飲料は要注意

ひと口に水筒といっても、様々な種類がある。そのなかでも、人気が高いものといえば、保温機能の優れたステンレス製の水筒。頑丈で壊れにくく、子に持たすにはピッタリ。だが、ステンレスやアルミなど金属製の水筒は、使い方によっては、容器の金属成分が飲料のなかに溶け出し、中毒症状を引き起こしてしまう恐れがあるという。

東京都福祉保健局によると、金属製の水筒は、飲料と金属が直接接触しないようにするための加工がなされており、通常であれば、短時間で溶け出す金属はごく微量とのこと。しかし、水筒の内側にキズがついている場合、酸性の強い飲料を入れると、高濃度の金属成分が溶け出す可能性があるという。

実際、朝水筒にスポーツ飲料を入れた児童6人が、昼過ぎにスポーツ飲料を飲んだことにより苦味を感じ、頭痛やめまい、吐き気などの症状を訴えたという報告も寄せられているという。その際利用された水筒は、一見すると破損しているようには見えないほど軽微なキズだったとか。このことから同局では、水筒は古いものを使い続けず、定期的に新しいものに交換することを推奨している。


◎水筒に入れないほうが良い酸性の強い飲料ってなに?

スポーツ飲料と金属製の水筒の組み合わせは、要注意ということはわかったが、そもそも酸性の強い飲料には、どんなものがあるのだろうか? パッと思いつくものでは、オレンジやグレープフルーツなどの果汁飲料が挙げられるが、実は他にもスポーツ飲料や炭酸飲料、乳酸菌飲料も酸性の強い飲料なのだ。飲料に含まれる酸性の物質には、炭酸、乳酸、ビタミンC、クエン酸などがあり、これらを含む飲料は注意が必要。

これからの季節、水筒の出番はますます多くなる。金属製の水筒や酸性の強い飲料を扱う際は、長時間入れっぱなしにしない、内側のキズを確認するなど、十分に気をつけよう!








「多数決って本当に民主的?」

2015-07-20 11:17:13 | 日本

そもそも「民意」は選び方次第で変わる。

例えば有権者21人がA、B、Cの政策のどれかに投票するとする。結果はA8票、B7票、C6票。多数決ならAが集団を代表する意見になる。

だが、Aに投票しなかった全員が「Aだけは嫌だ」と考えていたとする。Aの否定派が13人と過半数なのに、採用されるのはAだ。全員から2番目に支持されても、1票にもならない。だから多数決で勝つためには、万人に配慮してはいけない。






「石原慎太郎・戦後70年の回顧」

2015-07-20 11:16:28 | 日本

石原慎太郎(作家)「石原慎太郎・戦後70年の回顧」について、要約し記す。



◎慙愧の念に堪えず

あの戦争から早くももう70年が経とうとしている。私は戦争にはわずかに遅れてきた少年だったせいで、終戦近く、米軍機による爆撃や機銃掃射に遭いはしたものの死なずに済んだ。それでも戦争に関する記憶はいろいろある。敗戦間際に紺碧の空に仰いだ敵機B-29が追撃の日本の戦闘機や高射砲の届かぬ高空を初めて目にする鮮やかな飛行機雲を引きながら去っていく姿。そして海鳴りに似た遠い九十九里浜への敵艦の艦砲射撃の音。空襲で燃え上がる横浜や東京の夜空を染める炎の色。
 
爾来、日本人として敗戦の屈辱を噛み締めながら、日本が自らの運命は自ら決せられる国として再起する日を信じて今日まで歩んできた。時には自らの人生そのものを懸けて国の舵取りに挑み、歴史の交差点に立ち会ってもきた。今齢八十を超え、私の人生という航海も終わりに近づきつつある。

私の青春は、あの亡き高見順がとくに作家とその時代の幸せな関わりについて「時代といっしょに寝る」と語ったように、何の恩寵によってか私自身の戦後の人生は戦後の日本の新しい歴史と重なっていた。その時代は、戦に敗れた後から今日にいたる戦後の日本社会の、いわば青春とも呼ばれるべき時代に他ならなかった。消費文明の到来とその後の高度成長に重なり、個人と社会の青春が重なり合うことの幸せに関して、私が味わったものに過ぎたるものはなかったとも言える。

人間の、人間としての興味や可能性はその多様性にあるものだと私は思う。『太陽の季節』という作品をもって世の中に出た私は、その後文学と政治という対極的な方法を併せて自らの人生とし、それら二つの方法における思考と実践を私なりの努力で行ってきたつもりだ。この二つは私の内部においてある時は反撥し合い、またある時は対極的であるが故にかえって背中合わせに近い密着でそれぞれの思考と実践を規制し合い、その相互作用による多様性によって私はさまざま人生の瞬間を味わい、この国の幾つかの岐路、歴史の十字路に立ち会うことが出来た。

政治との関わりについて言えば、昭和43年に参議院議員に当選して国政に参画し、その後衆議院に移って閣僚も経験し、代議士として25年の永年勤続の表彰を受けてある決心を踏まえて国政を去り、4年の空白をおいて東京都知事に当選し、13年半その職をつとめたが、今、「戦後70年」という時間に自らの人生を重ねてみると、私なりに懸命にこの日本について考え、真の独立国家としての再起を訴えてきたつもりだが結果として日本をどう支えも出来ず、どう救いも出来ずに立ち至ってしまったと慙愧の念に堪えない。


◎過剰な個人主義、水平的な価値観

司馬遼太郎は、死の直前の頃、「日本は国としての峠を過ぎて、これからあるのは静かな停滞だけだ」などと言っていた。そして、「衰退期に向かっているという証拠に、日本文明の構成者が少しものを考えなさすぎるように思う」とも。

私は、「ものを考えなさすぎる」というよりも、我々の精神や意識、あるいは情操の中から、何かとても大切なものがぼろぼろ欠け落ちて消えていくような気がしてならない。

数年前、たまたまナショナル・ジオグラフィックチャンネルで、年老いて死んだ象に仲間の象たちがそれぞれ別れを告げる映像を目にしたものだが、象には確かな死の意識があるようで、それぞれが倒れている象の周囲を巡り、仔象までが物言いたげに鼻で死骸を触っていた。近くの茂みから枝や草の塊を引き抜いてきて死骸にかぶせたり、周囲に置いたりすることもあるという。たとえ朽ちて地に還るとしても、彼らはきちんと死んだ仲間の弔いをするのだ。

今の日本を思う時、私は全国で相次いで発覚し、なお続いている高齢者の失踪やその所在や生死が確認出来ないという実態を想起しないわけにいかない。私の都知事時代、足立区の民家で戸籍上111歳だった老人がミイラ化した遺体で見つかった事件が発端だったが、これは老人の孫が、受給資格がないのを知りながら老人の妻の遺族年金を不正受給し続けるために生存を偽装したというのが事の真相だった。親の弔いもせず、遺体を放置したまま年金だけを受け取り続けたという事実は、人間にとって決定的に大切な何かが取り返しのつかないところまで壊れ、喪われてしまったということの証しに他ならない気がする。人間としての垂直な情念、倫理観や価値の基軸が損なわれ継承されずに消滅しつつあるのではなかろうか。

昭和62年に亡くした弟について書いた本がミリオンセラーになった時、大層な反響に面映ゆい思いをしたが、なぜそれほどまでに読まれたのかを考えてみると、その大きな理由の一つは、私たち兄弟の人生の中に、昔の日本ならば当たり前だったことが、当節ではいかにも強い印象で映る、血の繋がった兄弟という関わりの意味や価値が改めて感じられたせいではなかったろうか。つまり今日の日本社会での親子兄弟といった「家族」というものの変質に、多くの人々が強い不安と不満を持っているせいではなかったろうかと思う。

象ですら親しい仲間の死を弔うのに、今の日本人には親の死すらも他人事に過ぎないのだろうか。親の死を利用して不正に金を得ても心が痛まない。自分は肉親先祖と繋がってここに在るという感覚が希薄となり、その繋がりの中で自分は生かされているという実感が戦後の多くの日本人から失われてしまった。死者に居場所を与えず、今生きている者だけの権利が無条件に尊ばれるという過剰な個人主義、水平的な価値観に覆われた社会となりはてたのではなかろうか。

垂直の情念や倫理観への慮り、畏れの念を失うことが人間にとっていかに致命的なことか。それをなくしてしまえば、残るものは際限のないエゴイズムと物欲だけでしかあるまいに。


◎こんな日本のために父祖は命を捧げたのか

戦後70年を経た日本は、物欲第一の時代を迎えてしまったようだ。振り返ってみると、戦後この方日本が享受してきた平和は世界の中で未曾有のものだったとも言える。国家を只ならぬ緊張に哂す事態に遭遇することなく、アメリカに隷属することでの「平和の代償」を意識することもなく半世紀あまりを過ごせたのは人間の歴史の中でも稀有なことではあるまいか。

しかし、「平和の毒」というものは明らかにある。私は最近の日本の様相を眺めると、この言葉を是とせざるを得ない。政治が何を行うかは所詮、国民が何を望み欲しているかによって決まってくる。ならば今、大方の日本人が何を最も求め欲しているかといえば、端的にいって物欲を満たすこと、煎じつめれば、「金」でしかあるまいに。それも当面の生活を満たすための小金でしかない。

「大欲は無欲に似たり」というが、国民が抱いているものは日本という祖国の再起のための大欲には程遠く、政治は「国家」不在で小金に迎合する低俗な資質しか持ち合わせていない。逆立ちしてもあり得ないような高福祉低負担の虚構の存続を国民は望み、それを補填するためのいかなる増税にも反対を唱える。いかなる政党も選挙の度にそれに媚びへつらって従うしかない。「民意」なるものが物欲第一に向かうならば、それでは国家がもたないと説き伏せる指導者がいて然るべきだろうが、そもそも今の日本人にそうした指導者を望む意志があるのかも疑わしい。

こんな日本をもたらすために、私たちの父祖はたった一つしかない命をあの戦争に数多く捧げたものだったのではあるまいに。
ある戦争未亡人のつくった歌

平成24年10月。私が任期途中で都知事を辞し、国政復帰という挙に出た一番強い所以を改めて明かせば、それ以前に靖国神社で聞いた90歳になる戦争未亡人のつくった歌に強い共感を覚えたことにあった。

彼女は歌っていた。
『かくまでも 醜き国に なりたれば 捧げし人の ただに惜しまる』と。

この方は20歳前後で結婚され子供ももうけた。しかし、御主人がすぐ戦死し、その子供も恐らく父親の顔を見ていはしまい。戦後は亡夫の両親の面倒を見、やがては子供も結婚し孫も出来、曾孫も出来たかも知れない。その人が90を超えた今この日本を眺めてこの歌をつくられた。私の家内の父親も、家内が母親のお腹にいる間に戦死している。家内の母親は早世してしまったが、もし今も生きていたならきっと同じ感慨を抱いたに違いないと思う。

こうした日本の醜い姿を外国が眺めて軽蔑し、強い侮りとなって日本に対し理不尽な言動を仕掛けることを我々はもはや何とも思わなくなってしまっている。かつては領土を不法に奪われ、今また領土を侵犯されようとしてい、近い過去には多くの同胞が拉致されてある者は殺されある者は還ることも出来ずに行方も知れずに放置され、それらの相手国はいずれも核兵器を保有し我々への恫喝を続けている。こうした情けない祖国の実態を眺め、この戦争未亡人があの戦のために死んだ御主人を、自分の青春を想起しながらただに惜しむという心情を吐露されたのは、私には、むべなるかなという気がしてならない。


◎喪われしアイデンティティ

一体なぜ日本人はこんなになってしまったのだろうか。それを考えると、結局私自身の人生、精神史を辿ることにもなる。

かつてある雑誌編集者が、今の日本人を「世代」という規尺で識別すれば、あの敗戦を屈辱と感じている者と、しからざる者たちとの違いと言っていたが、いかにも重く正しい気がする。客観的にあの戦争の歴史的な意味を考えることと、その敗戦を口惜しく思うこととは決して矛盾などしはしない。少なくとも私はあの戦に敗れたことが口惜しかったし、その後に目にした諸々の呆気ないほどの変節を疎ましい、というより未だに許せぬものと思っている。

この今になればなるほど、あの敗戦という民族としての処女体験が日本に与えた影響の深刻さに改めて気づかされる。そして戦勝によって日本に新規にやって来た、それまでの天皇にも勝る絶対的統治者のアメリカが、ともかく2発の原爆投下まで闘い通した、ヨーロッパ近代文明の繁栄下ではいかにも異形異端の存在だった有色人種の手になる唯一の近代国家日本を、ドイツなどに対するのとはまったく違う思い込みで徹底的な解体を施した過程で、我々は精神構造だけにとどまらずその下意識までをも改竄されてしまったのだと思う。

私の畏友江藤淳がその著書『閉された言語空間』で戦後占領期についての研究で明らかにしたように、たとえばそれはあの戦争を当時の日本人がそうと認識した「大東亜戦争」ではなく、戦勝国アメリカの「太平洋戦争」として上書きされたことに端的に現れている。敗戦とその後の連合軍による占領政策が日本人にどのような影響を与えたかについては徹底的な検証が必要だが、未だにそれは聢とはなされていない。

日本が再び強力な軍事国家として蘇生することを何よりも恐れたアメリカのオブセッション(強迫観念)は、戦後70年を迎えた今も彼らの潜在意識にある。かつて彼らのそうした懸念というより恐怖がつくりだした日本国憲法がいかなるものであるかを日本人はそろそろ悟らねばなるまいに。国家としての自分の運命を他国の手に預けて顧みぬということ、つまり自分自身への責任の放棄をこそ最高の理想として謳った国家の最高規範が暗示し、象徴するものは何か。それは突き詰めれば、いかなる無責任、非責任、変節も許されるのだという日本国民全体の暗黙の合意だった。それが我々の下意識に拭いがたく存在し、それどころかそれが表層の意識として、露骨に現れてきたのが今日の平成という時代なのではなかろうか。

日本人はあの敗戦によって本来のアイデンティティを喪い、代わりに何を得たというのか。アイデンティティの自覚は価値の問題につながる。一体日本人は歴史的に何を大切と感じ、何を守ろうとしてきたか。それを顧みないままグローバリゼーションなどという、その実はアメリカナイゼーションに過ぎない渦に抗うことなくのみ込まれてしまうとすれば、それは一個の日本人としての自己存在を喪失することに他ならず、そしてその時、そこに存在するのは我々のマスターとしてのアメリカ人なのかといえば、所詮は帰属不明なエイリアンに他なるまい。

その意味からも、敗戦の日から70年が経とうとしている今も、私はあの突然の敗戦の後、大人たちがいかに周章狼狽したかの記憶を拭い去れずにいる。物事の価値というものがこんなに敢え無く、守ろうという意志の萎えたままひっくり返ってしまっていいのかという感慨ばかりを味わわされた。フラッシュバックを繋ぎ合わせるようなものになろうが、少年期の記憶からそれを辿ってみる。











「性都東莞の大摘発で露呈した中国人の本音」

2015-07-20 11:15:40 | 日本

富坂 聰さん(拓殖大学教授)が「性都東莞の大摘発で露呈した中国人の本音」
について、要約し記す。



中国広東省書記・胡春華の号令のもと、東莞市のあちこちで待機していた6525人の警官が一斉に動き出した。そして、あらかじめ内偵しておいた12の風俗店になだれ込んだ。警官のあとには、大きなテレビカメラを抱えた記者たちが続く。

2014年2月9日の午後3時。いまも“東莞の36時間”と中国で語り草となっている史上最大規模の大捕り物の幕開けだった。

同じ日の夕方7時、黄江鎮にある有名な五つ星ホテル「太子酒店」を警察が取り囲んだ。このホテルで行なわれていた売春行為が問題になったとテレビのキャスターが興奮気味に伝え、その後ろでは私服警察に手を引かれ顔を隠した組織の関係者が映っていた。男女10人ほどのグループで、そのまま警察車両に押し込まれていった。

この摘発の様子は、全国の番組で生々しい映像とともに放送された。
東莞市の実態を知らなかった多くの中国人は、このニュースを見て初めてこの街が“性都”と呼ばれる大歓楽街になっていて、それを狙い撃ちしに当局が鉄槌を振り下ろしたことを知ったのだった。

中国で売春など違法な風俗店が取り締まられることを“掃黄”という。“掃黄”は、これまでも大きな会議が開催される前や国際的なイベントで外国から人びとが集まるタイミングで行なわれてきた。
だが、東莞市という地方都市を対象にした“掃黄”が全国ニュースで扱われるようなケースはけっして多くはなかった。この動きに政治のにおいを感じ取った中国人は少なくなかったはずだ。

そして翌10日になると摘発の全容が明らかになった。午後5時56分に広州市政府新聞弁公室の運営するミニブログ上で発表されたのは、「手入れの対象となった施設は計1948カ所。捜査対象となって身柄拘束された人数は162人」という報告だった。
動員した警察の数も異常なら、一日でこれだけの施設と人数が対象になるというのも前代未聞だ。

だが、時間が経つにつれて明らかになっていったのは、この“掃黄”は東莞市だけを対象にしたものではなかったということだ。広東省だけでもホテルやカラオケ、ナイトクラブ、サウナなどの娯楽施設が約18000カ所にも上り、その結果、売春に関わったとして計920人が逮捕されたという。

さらに、この摘発の波は上海を経て哈爾浜まで北上していったのである。
今回、警察が売春撲滅に強い執念を燃やしていたことは、従来ならばけっしてしなかった逃亡した関係者の指名手配にも踏み切ったことでわかる。東莞市の手入れで異変を察知して逃亡したのは51人。店の経営者がほとんどだが、彼らに対しメディアを通じて徹底的に追い詰める」とコメントする警察の姿勢は、逃亡した面々の罪の軽さから比較して不思議な印象を与えていた。


◎唐突な摘発の裏には政治の動きがある。

人びとの予感は、すぐに現象となって裏付けられることとなった。

東莞市で党員の規律を取り締まる規律検査委員会、市の監察局、検察院の反腐敗局、反涜局、そして公安局規律検査委員会という五つの組織から成るチームが結成され、今回の東莞市の売春問題で裏の利益を得ていた党幹部や売春あっせん組織の“保護傘(後ろ盾)”となっていた有力者たちへの本格的な追及が始まったからだ。
同時に、あのお堅い『人民日報』(党中央機関紙)がわざわざ「(東莞摘発の)是か非を問う」と題する社説を掲載したのである。党中央機関紙が「是」か「非」を問うというのは、すなわち「態度を鮮明にせよ」と呼びかけているのだ。つまり、どっちに付くか旗幟鮮明にせよと迫っているのだ。裏では大きな衝突が起きていることも予測させた。

結果、2月14日には広東省党委員会常務委員会が、東莞の問題に対する責任を追及するためとして厳小康・東莞市副市長兼公安局局長を法律に則って審査し、罷免する決定を下したと発表した。最初の大物の失脚である。罷免の理由として常務委員会は、「(厳は在職期間中に)職責を正確に履行することなく、東莞市に性風俗の乱れをもたらし、内外に対する東莞のイメージを著しく悪化させた」と発表した。

このほか広東省は、「領導幹部の“黄(ポルノ)、賭、毒(麻薬)”に関する職務怠慢に対する暫定規定」に従い、盧偉・東莞市党委員会副書記兼副局長、黎志輝・東莞市中堂鎮党委員会書記を免職にしたほか、中堂鎮、黄江鎮、虎門鎮などのそれぞれ公安系統の幹部らを一斉に免職としたのである。

このあと、北京の人気都市報には、摘発対象となった問題ホテルと処分された地元公安幹部とが癒着していた決定的証拠として、贈り物リストなるものの存在が明らかにされ、豪華な贈り物の内容までが詳細に紹介されたのだった。

これまで寛容な目で見逃されてきた社会の“緩み”が、ある日突然厳しい取り締まりの対象にされ、容赦のない捜査のターゲットにされた挙げ句、その次の段階として権力者への責任追及が始まり、地元の権力をわが物顔で振るっていた人物が堀のなかに落ちていく……。

この日、東莞で起きたことは全国で繰り返されていたことの縮図でもあった。習近平が総書記就任以来行なってきたいわゆる「反腐敗キャンペーン」であり、「贅沢禁止令」である。

党の規律を整えるという意味で使われる中国語の「整風」は、徹底してやれば必ず経済発展とのあいだにゼロサムの関係に陥っていく。じつは、そのことが最も顕著に表れたのも東莞でのことだった。


◎習近平は「毛沢東の再来」か

“性都”と呼ばれた東莞では、性風俗産業は地元経済にとって大きな貢献のある産業であった。メディアの報道のなかにも、東莞の風俗産業が稼ぎ出す付加価値は東莞市全体のGDPのおよそ15%にも匹敵するとの説を唱え、その経済効果を約500億人民元(約9800億円)と見積もるところもあった。

それに加え、東莞という街には性風俗で働く女性たちとのあいだにウインウインの関係ができていたと語る者も少なくない。

「じつは東莞の商業施設の経営者たちは大いに喜んでいたんだ。というのも彼女たちの消費は街の景況をはっきり左右するほどだったからね。街のネイルサロンや高級ブティック、宝石店、美容室、スパ、高級中華レストラン、マッサージ店なんかは、ほとんど
彼女たちの消費を当てにして回っていた世界なんだよ。

さらに、彼女たちが直接のお客さんじゃなくても、彼女たちに引き寄せられて中国全土から集まってくる観光客などの消費も大きい。ホテルはもちろんのこと、高級レストランにとってはありがたい存在なんだよ。つまり、口には出せないけれど、公安の一斉摘発に対しては、『なんて余計なことをやってくれるんだ』って不満に思っている者はこの街には少なくないんだ」(東莞でかつてKTV〈カラオケが併設された連れ出し店〉を経営していた男性)

当局がこうした生産力を否定してまで「整風」を選んだ一つの理由は、そもそも性風俗で遊ぶという贅沢は、中国の経済発展のなかで利益の恩恵から見放された膨大な人口の農民や出稼ぎ労働者たちにとって、触れることもできない世界で、文句は出ないと考えたからだった。

事実、これまで習近平が全国で行なってきた「反腐敗キャンペーン」では、高級酒や高級たばこ、そして高級レストランといったすべてが壊滅的な打撃を受けた。高額商品を扱う店の多くが閉店に追い込まれたが、ネットのなかでこの現実に対して不満が噴出することはなかった。

習近平支持の圧倒的な声に支えられ、政権は安定し、習近平は党内で圧倒的な地位を築くことに成功した。習近平を「毛沢東の再来」と称える声も少なくない。

習近平が胡錦濤から中国の経営を引き継いだとき、この国は社会不安を抱え爆発寸前であった。3人以上が集まって起こす暴動や抗議活動などの群体事件は年間20万件から30万件にも達するとされ、温家宝は「文化大革命が再び起きる可能性がある」とその危機感を語り、胡錦濤は、「もし改革を進められなければ亡党亡国(党も国も滅びる)」と警告した。

習近平も同じように危機感を前政権から引き継いだのである。
胡錦濤から習近平に指導者が交代した党大会では、指導部の警戒が高まった結果か、その異常なまでに神経質な警備の様子が話題となった。

天安門広場に近づくタクシーは、窓を開けられないように回転式のハンドルが取り外された。また、この時期に子どものためにラジコンのヘリコプターを買おうとした男性が、身分証を出さないかぎり売らないと店主から断られたことがニュースにもなった。

中国指導部が何かを極度に恐れていたことは間違いない。
では、その恐れは何に対してだったのだろうか。それはいうまでもなく不満をもった国民である。

中国の抱える問題をごく単純化していうのであれば、それは自らが経済発展のなかでつくりだした格差問題を解消する機会もないまま、高速の経済発展の時期を過ぎてしまったことだろう。


◎意図的な労働者の賃金抑制

中国の30年続いた経済発展を支えた主役は安価で良質な労働力であった。そして労働力を沿海部の都市に提供してきたのが、農村である。
東莞は、まさにこうした農村からの出稼ぎ労働者が最も多く流れ込んだ代表的な都市の一つだ。

香港や台湾の投資家が目を付けて投資し、最初は労働集約型の典型的な産業から、次々に高付加価値の産業の誘致を成功させて、2段、3段ロケットのように上昇を続けてきた。

製造業に訪れたこの発展の波に乗ることのできた中国人――工場経営者など――は、この時期に大きな富を手にしたとされる。

そして産業の高付加価値化が進むにつれ、都市周辺に不動産を有していた中国人都市戸籍の恵まれた一部の人びとは、不動産の含み益で大きな資産を得ることになった。彼らのアドバンテージは、都会に不動産をもつことができたという幸運だけである。
 こうした人びとの大きな特徴の一つに、フローは小さいのにストックが異常に高いというものがある。ちなみに、いま日本に来て「爆買い」する中国人の多くはまさに彼らのような富裕層であるともいえるだろう。

一方、外国からの資本呼び込みで圧倒的な貢献をした農村からの出稼ぎ労働者は、この時期に最も苦しい労働を強いられたにもかかわらず、それ相応の所得を得ることはできなかった。

これは地方政府と沿海部都市の政府が結託してそうしたことが原因である。
沿海部の都市は労働者の賃金が安いという外国企業を呼び込む強みを失いたくないため労働者の賃金を抑制し、意図的に熟練工をつくらない対策を採ったといわれている。すなわち、数年間で必ず新人と入れ替えるやり方である。

これは労働力の供給側にとっても「よりたくさんの人に出稼ぎの機会を与える」という説明が立ち、便利であったのだ。

一見すればウインウインのようなこのやり方は、結果としてさまざまな問題を残すことになってしまった。

たとえば、単純労働とはいえつねに素人しかいない労働現場では私語が絶えず、工場での事故で指や手を失う労働者が広東省だけで年間3万人も出ていたと報じたメディアもあったのである。

さらに深刻なことは、経済発展が一つの段階を終え、中国が低速成長の時代を迎えたとき、最も経済発展に貢献した労働者が蓄えから見放されていたという状況に直面してしまったことだ。

これは労働者が主役との建前を掲げた社会主義国では、致命的な問題となっても不思議ではない。


◎「本当の悪を暴いてくれ!」

こうした事態に習近平は、総書記就任から間もなく指導部を大きく左に傾けることで対応しようと試みた。

それが「整風」であり、官僚主義との戦いであり、具体的には「反腐敗キャンペーン」であり「贅沢禁止令」であったのだ。

トラもハエも叩く。

そんなスローガンを掲げて始まったキャンペーンは看板どおりに元最高指導部メンバーの周永康を血祭りに上げて、人びとの度肝を抜いた。

これをたんなる権力闘争として説明できないのは、これまで習近平は、毎日約500人の官僚に対して何らかの処分を下し続けていることを見てもわかる。

これに大衆が熱狂している証拠として、多くの事件の入り口が、「挙報(密告)」であることが指摘されている。中規委と監察部によると2013年の1年間に寄せられた情報提供件数は延べ195万件に達し、事件に絡んで処分された党員は18万2038人だったというのだ。つまり習近平の試みは概ね大衆の支持を得ていることになる。

しかし、このミニチュア版として行なわれた東莞の摘発は、意外にも不評であった。
「そんな弱い者いじめをする暇があるなら、本当の悪を暴いてくれ!」「もっとほかにやることがあるだろう」、こんな指摘がネット上に溢れたのである。

こうした現象を見ても、いまのところ習近平に期待を寄せ、一枚岩に見える大衆も、少し指導部がハンドルを誤れば強い言葉で攻撃を始める可能性を秘めていることがわかるのだ。

10年の任期の4分の1を終えた習近平は、中国を激変させたという意味では大きな成果を認められている。だが、この3倍の時間を中国のトップとして経営していくためには、左傾化という政治の痛み止めだけではなく、それぞれの国民の懐を本気で温めなくてはならない。それを、低成長時代を迎えた中国ができるのか、本格的な正念場となるのはこれからだろう。













「アドラー心理学③」

2015-07-20 11:14:58 | 日本

◎過剰に警戒する人

他者を過剰に警戒する人がいる。これは、本人の中の「人生のシナリオ」(アドラー心理学では「ライフスタイル」と呼んでいます)の中に、「他者は危険だ」「警戒すべきだ」という信念=思い込みが入っているせいである。他者のせいではないが、本人は、自分のせいだということがなかなか理解できない人が多いようである。中には、いったん仲良くなった後に、変に相手をジャッジして、極度に警戒感を出すようになる人もいる。
これも本人のプログラム(ライフスタイル)なのだが、どちらも相手にしない方がいいと思う。本人の問題であって、あなたの問題ではないからである。
まあ、その人が本気で人生のシナリオ(ライフスタイル)を変えたいならば、自分の警戒感を刺激されないカウンセラーなど見つけて、シナリオを変えるだろう。自分だけで、自分のシナリオを変えることは原理的に不可能である。なぜなら、変えようとするときに既存のライフスタイルを使って考え、変えようとするから、必ず変えないようにする。ライフスタイルの中に、あらゆる受け止め方・考え方が内蔵されているのである。

ライフスタイルを変える時、必ず他者の助けが必要である。
アドラー心理学において、カウンセラーは、ライフスタイルの改変を求めてきた人のみを相手にする。求めてこない人を助けようとすると共依存になる。


◎精神的に不健康な人

精神的に不健康な人は、「相手が自分にとって役に立つか?役に立たないか?」で、人を判断しようとする。精神的に健康な人は、「どうすれば仲良くできるか、相手のために自分に何ができるか?」を考える。このものさしは、自分をより精神的に健康にしていく方向性として使うことが出来る。誰かのお役にたつことだけを考えて、行動していけば、集まってきた仲間たちの中の精神的に健康な人が、あなたを助けてくれる。自然とあなたの役に立ってくれる。人や物事を、自分にとって役に立つかどうか?という目で見たり、判断したり、選別したりする必要性はない。


◎嫉妬

嫉妬は厄介である。なぜかと言うと、嫉妬は、誰かを自分の思い通りに動かそうとする感情だからである。嫉妬をしてしまうのは、癖なので、なかなか直しにくいが、直すことが出来る。意識して直した方がいい。

アドラーはこう言っている。
「私たちが皆持っているわずかな羨望は、有益に使いさえすれば大目に見ても良い。しかし、嫉妬はずっと厄介で危険だ。なぜならば、嫉妬は有害であり、強くて深 い劣等感にもとづいているからだ。嫉妬は他者を自分の思い通りに操作しようとして使われるからだ。」(アルフレッド・アドラー、個人心理学講義)
他者へのわずかな羨望と言うのは、「なんか、うらやましいなあ。」という軽い感覚のことである。「わずかな羨望」は有益に使いさえすればOKだと、アドラーは言う。「皆持っている」とも言っている。どうしても、わずかには羨望してしまう。みんなが持っている感情なのだから、「うらやましいなあ」というのは、有益に、つまり自分の成長とか建設的な行動に使えばいい。

自分の成長と言うのは、子どもっぽい感情を使う癖を直して、理性的な論理的な穏やかなコミュニケーションを使うようになっていくことである。建設的な行動というのは、自分のためや他人のためになる行動のことである。しかし、嫉妬は、他者の課題への強烈な執着から生まれる。他者への執着は、いかなる時も破壊的な結果を生む。なぜならば、嫉妬は嫉妬心を使って他者を自分の思い通りに支配しようとするからである。この癖は、修正する努力をした方がいいと思う。

嫉妬という感情を使うことをやめて、理性的に言語によるコミュニケーションを練習する。自分の望むことを、言葉に出してお願いをする。そして、望みをかなえてくれたら、ありがとう。断られたら、あっさりあきらめる。というか、あきらめる練習をする。相手には、断る権利があるのだから。



<了>











「アドラー心理学②」

2015-07-20 11:14:11 | 日本

◎アドラー心理学の理論

アドラー心理学の理論的な枠組みは、次の5つを基本前提として受け入れていることによって成立している。

・個人の主体性
アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、全体としての個人が、心身を使って、目的に向かって、行動している、ととらえる。アドラー心理学では、個人の創造力、創造性を評価していて、それが個人の変化、変容を可能にする根拠となっているので、主体性というより創造性の方が適切である。

・目的論
全体としての個人は、生物学的には、個体保存と種族保存、社会学的には、所属、心理学的には、その人らしい所属、という目標のために行動する。

・全体論
アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。それらは、ちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものであって、アクセルとブレーキは互いに矛盾し合っているのではなく、自動車を安全に走行させるという目的のために協力しているのと同じように、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっているのである。

・社会統合論
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。

・仮想論
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。
これは哲学における認知論の問題である。ただし、「認知」という用語の使い方については、基礎心理学(臨床治療を直接の目的としない研究)の20世紀後半以降の主流派であるところの認知心理学における「認知」とは大きく異なることに注意が必要である。


◎アドラー心理学の技法

アドラー心理学の治療、または、カウンセリングは、上記の理論に基づいて、後述する来談者の共同体感覚を育成することが目的である。アドラー心理学においては、治療、または、カウンセリングの技法は、上記の理論に基づいて、来談者の共同体感覚の育成を目的として、適宜適切な技法が選択されるので、治療、または、カウンセリングの技法その部分だけを取り出すと、認知主義、認知行動主義、短期療法などの諸派の治療技法と同様に見られることがある。しかしながら、後に、認知主義、認知行動主義、短期療法などに分類される様々な治療技法に関して、既に、アドラー自身が用いていた技法も多い。

アドラー心理学に基づいた治療、または、カウンセリングでは、アドラー心理学の理論に基づいて、来談者の共同体感覚を育成する目的で、様々な技法が用いられる。そのような治療中、または、カウンセリング中に、治療者、または、カウンセラーが、常に、意識しているのは、来談者のライフスタイルについてである。


◎ライフスタイル分析

ライフスタイルは、アドラー心理学の重要な鍵概念のひとつである。ライフスタイルとは、その人が、自分自身をどのような相対的マイナスの状態にあると考えていて、それを補償するために、どのようなプラスの状態を目指していて、それを達成するためにどのような手段を用いているか、というその人の人生の運動全体のことである。これは、アドラー心理学の人間理解の根本であるから、来談者のライフスタイルを分析するライフスタイル分析は、アドラー心理学独自の技法である。ライフスタイル分析は、治療、または、カウンセリングの必要に応じて行われる。


◎3つのライフタスク

アドラー心理学では、人間の問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。したがって、アドラー心理学の治療、または、カウンセリングにおいては、来談者が抱えている問題は、対人関係上の問題であり、来談者が自らの資源(Resource)や使える力(Personal Strength)をうまく工夫すれば解決できるライフタスクであると考えている。アドラー心理学では、ライフタスクについて、来談者にとっての親疎の関係から次の3つに区別している。

・仕事のタスク
永続しない人間関係。

・交友のタスク
永続するが、運命をともにしない人間関係。

・愛のタスク
永続し、運命をともにする人間関係。もともとアドラーが述べていたのは、人類の存続に関する課題でもあり、男女の愛情関係が中心であったが、その後の進展で家族の問題も含まれるようになっている。

人間の問題について、このように恣意的に3つに分類することは、臨床上極めて有効で、アドラー心理学独自のことである。

もう長い間、わたしは次のように確信している。それは、人生のすべての問題は、3つの主要な課題に分類することが出来る。すなわち、交友の課題、仕事の課題、愛の課題である。


◎アドラー心理学の思想

アドラー心理学の治療、または、カウンセリングでは、来談者がよいと思うことを実行できるように援助すればそれでいいというふうには考えない。それは、アドラー心理学が共同体感覚という価値を持っているからである。


◎共同体感覚

共同体感覚について、まったく初めての人に説明することは難しい。それは、ちょうど、実際に、自転車もなく、また、自転車に乗ったこともない人に、自転車に乗るということについて説明するようなことだからである。

共同体感覚が発達している人は、自分の利益のためだけに行動するのではなく、自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する。なぜなら、人間は社会という網の目の中に組み込まれているからである。それに対して、共同体感覚が未熟な人は、自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、自分の利益だけしか目に入らないようにする。仮に、極端に自分の利益のことだけにしか関心がない人がいるとしたら、その人は自分の利益になる場合にだけ、他人と協力する/他人を利用しようとするだろうと想像される。そうすると、他人が自分を必要とする場合というのは、他人がその人自身の利益になる場合にだけということになり、安心して所属することが難しくなるだろう。このようにして、共同体感覚の未熟な人は、所属に問題を抱えやすく、不幸な人生を送ることになりやすいことになる。

共同体感覚について、アドラーは、「共同体感覚は、生まれつき備わった潜在的な可能性で、意識して育成されなければならない」と述べている。それは、ちょうど自転車に乗れるようになる練習と同じことである。自転車に乗れるようになるためには、実際に、自転車に乗って練習しなければならない。最初は、うまく乗れずに転んだりして失敗を繰り返すだろう。しかし、そのようにして練習をしていくうちに、特別に意識することなく自転車に乗れるようになるだろう。同様に、共同体感覚を成長させるということは、共同体感覚とは何だろうと机上で考えることではなく、自分の行動ひとつひとつについて、「こうすることは、自分の利益ばかりでなく、相手のためにもなるだろうか。」「こうすることは、自分と相手の利益になるが、それはもっと大きな共同体にとってはどうだろうか。」と、より大きな共同体のためになる方向を選択することである。