菅家一比古さんから言霊の華(ことたまのはな)566号が届いた。
以下、要約し記す。
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人は何故暴走するのか。粗暴な人は、きっと心に鳴り響いているメロディが荒れているのです。いつも乱暴な言葉や音楽に接していれば、当然心のメロディは乱れ、対人関係や対社会関係は不協和音をもたらし、闘争や戦争を引き起こすことでしょう。
鎮魂は「作法」や「型」、「行」によってもたらされますが、最も大切なのは日頃の言葉遣いが大きく影響します。それは言葉の鎮魂作用です。言葉は言霊(ことたま)となり、その人を支配し人生を支配します。
人間性(人格)、雰囲氣(オーラ)、パワーエネルギー(積極性、発展性、創造性等々)や、感受性、品性、霊性と言ったもの全てが言霊、音霊がつくり上げたものです。中でも「祈り」は素晴らしい鎮魂作用をもたらします。例えば神前、仏前、慰霊碑、教会等で祈る時など、人は心素直になり、汚い言葉は使わない筈。それは魂から発せられるからでしょう。
魂から発せられる言葉は感謝であり謙虚であり、悪口や罵詈雑言(ばりぞうごん)、不平不満などありません。即ちそれは「光」そのもの。よく祈る人は、光で身を纏(まと)われているに違いありません。道理で運が強いはずです。
祈りのある人生と、祈りのない人生とでは天地の差があり、祈りの深い人は導かれる体質の持ち主でしょう。祈りとは「生命(いのち)を宣(の)べる」という意味であり、その生命とは霊魂(みたま)のことです。
人は神の分霊魂(わけみたま)であり、それは完全、円満、無限なるものであり、それを宣べることこそが祈りというものです。だから不足、不満、不完全を掴んで祈ったのでは、その祈りは決して天には届きません。波調(長)、即ち周波数が合わないからです。安心して祈る。信じ切って祈る。感謝して祈る。これは祈りの鉄則です。
さて、大和言葉の話に少し触れたいと思います。「大和」とは大きな和のことであり、大和言葉とはそこから発せられた日本の源流から来る純粋母語です。だから甚だ法廷闘争や演説、ディベートには向いていません。
母音(ア・オ・ウ・エ・イ)中心で構成された大和言葉は、母言葉であり、高い浄化力と癒しの力を持っているのです。それは即ち鎮魂の力です。人々が深い感謝と慈愛と懐かしさを抱いた時出てくるのが大和言葉。それは光を帯びています。
現在(いま)日本の多くの家庭から光が消え失せているのです。だから悲惨な事件が後を絶ちませんし、鎮魂されず、眼が虚(うつ)ろで、粗野、粗暴な人々が増え続けているのです。
健やか、しなやか、穏やか、晴れやか、たをやか、広やか、まろやか、 匂いやか、細やか、ゆるやか、澄みやか等々、これは「やか」が付いた大和言葉。そして、大らか、高らか、朗らか、なだらか、清らか等々。これは接尾語に「らか」が付いた大和言葉。全て良いことに使われているのです。
言葉はその国の魂を象徴していて、文化、精神、伝統を作り上げ、人づくりに直結しています。日本人の心の中にいま、どのような音色が流れているのでしょう。そしてあなたはいま、心の中でどのような音色を奏で続けているのでしょう。
日本の再生は美しい日本の言葉から始まります。