龍の声

龍の声は、天の声

「美しい日本の蘇りは、美しい日本語から始まる」

2020-02-29 15:55:44 | 日本

菅家一比古さんから言霊の華(ことたまのはな)566号が届いた。
以下、要約し記す。


人は何故暴走するのか。粗暴な人は、きっと心に鳴り響いているメロディが荒れているのです。いつも乱暴な言葉や音楽に接していれば、当然心のメロディは乱れ、対人関係や対社会関係は不協和音をもたらし、闘争や戦争を引き起こすことでしょう。

鎮魂は「作法」や「型」、「行」によってもたらされますが、最も大切なのは日頃の言葉遣いが大きく影響します。それは言葉の鎮魂作用です。言葉は言霊(ことたま)となり、その人を支配し人生を支配します。

人間性(人格)、雰囲氣(オーラ)、パワーエネルギー(積極性、発展性、創造性等々)や、感受性、品性、霊性と言ったもの全てが言霊、音霊がつくり上げたものです。中でも「祈り」は素晴らしい鎮魂作用をもたらします。例えば神前、仏前、慰霊碑、教会等で祈る時など、人は心素直になり、汚い言葉は使わない筈。それは魂から発せられるからでしょう。

魂から発せられる言葉は感謝であり謙虚であり、悪口や罵詈雑言(ばりぞうごん)、不平不満などありません。即ちそれは「光」そのもの。よく祈る人は、光で身を纏(まと)われているに違いありません。道理で運が強いはずです。

祈りのある人生と、祈りのない人生とでは天地の差があり、祈りの深い人は導かれる体質の持ち主でしょう。祈りとは「生命(いのち)を宣(の)べる」という意味であり、その生命とは霊魂(みたま)のことです。

人は神の分霊魂(わけみたま)であり、それは完全、円満、無限なるものであり、それを宣べることこそが祈りというものです。だから不足、不満、不完全を掴んで祈ったのでは、その祈りは決して天には届きません。波調(長)、即ち周波数が合わないからです。安心して祈る。信じ切って祈る。感謝して祈る。これは祈りの鉄則です。

さて、大和言葉の話に少し触れたいと思います。「大和」とは大きな和のことであり、大和言葉とはそこから発せられた日本の源流から来る純粋母語です。だから甚だ法廷闘争や演説、ディベートには向いていません。

母音(ア・オ・ウ・エ・イ)中心で構成された大和言葉は、母言葉であり、高い浄化力と癒しの力を持っているのです。それは即ち鎮魂の力です。人々が深い感謝と慈愛と懐かしさを抱いた時出てくるのが大和言葉。それは光を帯びています。

現在(いま)日本の多くの家庭から光が消え失せているのです。だから悲惨な事件が後を絶ちませんし、鎮魂されず、眼が虚(うつ)ろで、粗野、粗暴な人々が増え続けているのです。


健やか、しなやか、穏やか、晴れやか、たをやか、広やか、まろやか、 匂いやか、細やか、ゆるやか、澄みやか等々、これは「やか」が付いた大和言葉。そして、大らか、高らか、朗らか、なだらか、清らか等々。これは接尾語に「らか」が付いた大和言葉。全て良いことに使われているのです。

言葉はその国の魂を象徴していて、文化、精神、伝統を作り上げ、人づくりに直結しています。日本人の心の中にいま、どのような音色が流れているのでしょう。そしてあなたはいま、心の中でどのような音色を奏で続けているのでしょう。

日本の再生は美しい日本の言葉から始まります。












「パレンバン、空の神兵空挺降下作戦は、救国の歴史回復の起点」

2020-02-28 17:43:24 | 日本

西村真悟さんが、「パレンバン、空の神兵空挺降下作戦は、救国の歴史回復の起点」を掲載している。
以下、要約し記す。


78年前の昭和17年2月14日 09:00、

マレー半島南部のジョホールバル州クルアン飛行場を、落下傘降下兵三百三十九名が搭乗した輸送機、投下する物流箱及び武器弾薬を搭載した輸送機そして、護衛の隼戦闘機、合計八十八機が、南を目指して飛び立った。
機内の落下傘降下兵らは、離陸二十分後、眼下に、山下奉文中将が指揮する第二十五軍の総攻撃を受けて、軍港の燃料タンク爆発炎上による断末魔の黒煙を数条挙げてのたうち回る
陥落一日前のイギリスのアジア支配の牙城シンガポールを見ながらさらに南下し、11:26、
オランダ軍の対空砲火が火を噴くスマトラ島パレンバン周辺のジャングルに、0.5秒間隔で落下傘降下した(戦死三十九名)。
そして同日深夜、落下傘兵の挺身隊は、パレンバン飛行場、ロイヤルダッチシェル製油所、スタンダード製油所を制圧した。

当時の我が国の石油消費量は年間500万トン、石油備蓄量は770万トン。
従って、このパレンバンの製油所を確保することによって、我が国は、以後、三年半にわたる大東亜戦争を継続することが可能となり、我が国が掲げた、人種差別撤廃、欧米の植民地支配打破という戦争目的を完遂し、人類の文明史に大転換をもたらした。
この転換が無ければ、アメリカに黒人大統領は誕生せず、イギリス王室に黒人の血は入らなかった。
この文明史的転換をもたらした者は、我が帝国陸軍の三百三十九名の落下傘降下挺進隊員であった。
この作戦に参加した挺進第二連隊第四中隊の小隊長奥本 實中尉は、手記を、息子の奥本康大氏に遺した。
息子は父の死後、その手記を次の通り出版した。
是非、読まれたい。

「なぜ大東亜戦争は起きたのか インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録 空の神兵と呼ばれた男たち」
高山正之、奥本 實 共著、ハート出版  平成28年12月23日第一刷

そこには出撃前の隊員の様子と、任務達成後の隊員の状況が次の通り記されている。
(出撃前)
「総ての挺身隊員は、士気高く、ファイトに炎え切っている。
誰人も『われこそ落下傘挺進の先陣を承らん』と血気に溢れていて、残置などを命じたならば、それを恥じて自爆しかねない。
それを心配して、各幹部は、各自の弾薬、手榴弾などの実弾を決行前夜の遅くまで手渡さなかったほどである。」
(任務達成後)
「戦死した戦友の勇敢な働きを思い浮かべて不覚にも泣き出す兵。
ずっと前進していた部隊が、一旦停止すると、必ず感傷が襲うのである。」

私は、この奥本實中尉の手記ほど、我が国の武士、将兵の内面と実相を的確に伝えるものはないと感じる。
死ぬことを全く恐れない将兵が、戦いが済めば、戦死した戦友を思って泣く。
これ、山岡鉄舟が言う、「もののあはれ」を知る武士道そのものの姿である。
その奥本 實中尉は、出撃前に日の丸に次のように大書して部下に伝えた。
「本日ノ給養ハ靖國ニ於テス」
つまり、戦死して靖國に行ってからゆっくり休んで飯を食べようと告げたのだ。
まことに天晴れな武人の指示ではないか。

さて、
斯くの如き人類史に卓越した転換をもたらした剽悍決死のパレンバン落下傘挺進作戦の記念すべき日である二月十四日は、いつのまにか、「バレンタインデー」となって「パレンバン」は忘れられていた。
そこで、奥本康大氏は、この日を、「パレンバンデー」として歴史(記憶)を取り戻さねばならないと思い決し、先の、お父上である奥本 實中尉の手記出版の後、「空の神兵顕彰会」を結成し、二月十四日を「パレンバンデー」として東京で集会を開催されてきた。
昨日二月十四日、東京の憲政記念館で「空の神兵顕彰会」主催の「パレンバンデー」行事、「大東亜戦争は聖戦だった!」が開催されたので参加した。

私は、次の通り話した。
(1)現在の我が国を取り巻く内外の厳しい情勢のなかで、歴史の回復こそ死活的に重要である。
何故なら過去(歴史)は過ぎ去った日付けのところにあるのではなく、我々と共にあるからだ。即ち、我々は過去(歴史)であるからだ。
それ故、過去(歴史)を失った我々は痴呆症と同じで国家を維持できない。
しかるに現在、戦前と戦後は断絶させられている。
従って、戦前と戦後の連続性の回復こそ歴史の回復であり急務なのだ。

では、戦前と戦後の断絶とは何か?
それは、子が父の歴史を知らないということだ。
(2)そこで、奥本 實そして奥本康大親子の為してきたことを見よう。
父はパレンバン落下傘降下挺進作戦を戦い、子が父のパレンバンの戦いを現在に甦らせてきた。
これは、まさに歴史の回復であり、日本回復への道を拓く奥本父子二代の偉業である。
(3)その上で、さらにもう一つ、何故、子が父の歴史を知らなくなったのか、その元凶は何かを考えよう。
その元凶は、GHQの日本占領統治方針そのものである。

GHQは、日本を二度と再び強くならないようにするために、「日本は悪い戦争をした悪い国で、その元凶は日本軍国主義者と帝国陸海軍であり、この軍国主義者と帝国陸海軍によって日本国民は戦争の惨禍を与えられた」 と思い込ませる宣伝・洗脳活動を実施したうえで、その宣伝・洗脳効果を未来永劫固定させる為に「日本国憲法」(マッカーサー憲法)を制定した。
このマッカーサー憲法によれば、戦前の日本は人類普遍の原則に反する国だから
戦前の「憲法及び法令詔勅は排除する」 とあり(前文)、さらに陸海空軍その他の戦力を保持せず、交戦権を認められないとある(9条)。
従って、現在の歴史を剥奪され 国を守る意思と力を失った日本が出来上がったのだ。
このままでは我が国は滅びる(中共に付け入られる)。
(4)では、どうすればいいのか。
それは単純にして簡単だ。
無効なものを無効と言い切れば良いだけのことではないか。
即ち、「日本国憲法(マッカーサー憲法)」は無効だ。
この宣言が救国の一手である!
この最期の一手で、国家と民族を守るためのあらゆる決断を実践することができる。
 
最後に、GHQが書き残した明白な無効の証拠条文を紹介しよう。
それは、二十一条と三十九条だ。
二十一条は表現の自由の次に「検閲の禁止」を定め、三十九条は「事後法の禁止」を定めている。
もし、「日本国憲法(マッカーサー憲法)」が、日本の憲法なら、これが施行された昭和二十二年五月三日を期して、直ちにGHQが行っていた検閲は廃止され、マッカーサーが行っていた東京裁判(極東国際軍事裁判)は停止されたはずだ。
しかし、検閲は続行され、東京裁判は翌二十三年十一月、事後法で有罪判決が出され十二月二十三日、その判決により東条英機以下七人は、絞首によって殺害されている。
 これこそ、東条英機等七名が命をかけて我らに示している「日本国憲法(マッカーサー憲)」無効の 明白な証(あかし)ではないか。






新型コロナウイルス対策

2020-02-27 20:12:59 | 日本

・鼻水の出ない乾いた咳は、コロナウイルスの症状ですから医師の診断を!
・コロナウイルスは、大きくセルの直径が、500nmありますから普通のマスク。で防げます‼️
・咳や、くしゃみをする人からは5mほど離れてください!
・コロナウイルスは、金属や、衣類に付着すると12時間は活性化状態で生存します‼️
・コロナウイルスは、洗濯すると死滅します‼️
・コロナウイルスに、感染しますと、喉が4日ほど渇きます。
・気管に侵入しますと、6日ほどで肺炎を引き起こします!
・高熱と、喘息のような呼吸困難を引き起こします!すぐに病院に、駆け込んでください!このとき電話で、コロナウイルスのようです!と、申し込みますと病院は素早く対応してくれます!
・外出時は、マスク、メガネ、手袋をすれば完璧です‼また外出時には、のどぬ~るなどの喉の殺菌スプレーを携帯して咳をする人に出会い違和感がありましたら使用してください!携帯用アルコールタオルの携帯も忘れずに‼️
・外出時は、目や、鼻、口を擦ったりしないでアルコールタオルで軽く拭く程度にしてください‼️
・帰宅したら、殺菌スプレーか、重曹スプレーを全身にしてください!
・次に、手洗いとうがいをして、温かい緑茶かコーヒーを飲んでください!
・室温は、26度以上にしてください‼️
・コロナウイルスは、感染すると肺の奥深くに寄生します!
・感染者の免疫力が低下すると再びアバレだします!
・一度、感染すると寄生してしまいますから免疫力を上げて対処するしか方法は、ありません!


・ウイルスの特徴は、プラスイオンの多い環境で活性化し、マイナスイオンの多い環境では電気的に中性化して死滅する事です。電磁波を発する電子機器の使用頻度を減らし、時々マイナスイオンの多い自然の木々の中で過ごすとよいでしょう。豚インフルエンザが流行った時に、シャープのマイナスイオン発生器が大ヒットしましたが、部屋の中を加湿すれば、同じ効果が得られます。ヤカンや鍋から発する水蒸気にマイナスイオンが大量に含まれるからです。料理も煮物や蒸し物を増やすと体内にマイナスイオンが入り酸化還元力が高まって免疫力が上がります。
・発酵食品全般もマイナスイオン(マイナスエレクトロン)が豊富に含まれるので、味噌汁や漬物、納豆、甘酒、塩麹といった食べ物を増やすことがで、ウイルスへの抵抗力が増します。
・ウイルスが好きな食べ物が白砂糖と卵、乳製品、お肉です。ウイルスを培養するワクチン工場では、それらの食べ物を用いて培養しています。
・市販のケーキやアイスクリーム、チョコレート、菓子パン、焼肉といった食べ物は、感染症が収束するまでは、あまり食べない方がよいでしょう。
・ウイルスの嫌いな食べ物は塩気と酸です。クエン酸などの強力な酸と塩気を合わせ持つ梅干しに敵うウイルスはいません。
・梅干は世界最強の、しかも副作用のない抗生物質だといえます。梅干を漬ける時に滲み出てくる梅酢も強力な殺菌剤になります。
・スプレー容器に梅酢を入れ、2、3倍に薄めて持ち歩き、定期的に口の中に噴霧しています。マスク以上の効果が期待できます。
・20種類以上のアミノ酸と塩気のある醤油にも同じ効果があります。また、三年番茶のカテキンにも抗ウイルス作用があることが分かっています。
・マクロビオティックの手当て法の梅干醤油番茶は、感染症の予防役としては、最強のものなので、毎朝飲むようにしてください。
・アメリカのウィスコンシン大学の研究で、いつも前向きで明るい人は感染症にかかりにくいと報告されています。
・恐怖と不安のネガティブな波動がウイルスを引き寄せるので、日々前向きな暮らしをお勧めします


「ウイルス対策(免疫力アップ)」

<食べ物>
①青野菜、青汁
②納豆、豆腐類など発酵食品
③クコの実
④大根おろし
⑤キューイ
⑥梅干し
⑦らっきょ
⑧かぼちゃ

<身体>
①足裏マッサージ
②頭を指先でたたく
③朝日を浴びる
④森林浴
⑤笑うこと















「吉川英治の三国志の英雄の名言に学ぶ⑤」

2020-02-25 23:43:48 | 日本

「三国志(吉川英治)より 曹操孟徳の名言」


「……失敗するにきまっている。さあ、その先は、どんなふうに風雲が旋るか」

「乱世の姦雄だと。結構だ」

「如かず国のため、賊を刺し殺して、祖先の恩を報ずるべしと董卓の命を狙ったが、天運いまだ我に非ず。こうして捕われの身となってしまった。なんぞ今さら、悔いることがあろうか」

「我をして、天下の人に反かしむるとも、天下の人をして、我に反かしむるを休めよ、だ」

「大きな仕事を手軽にやってのけるのが、大事を成す秘訣ですよ」

「アア我誤てり。かりそめにも、将たる者は、死を軽んずべきではない。もしゆうべから暁の間に、自害していたら、この部下たちをどんなに悲しませたろう」

「戦にも、負けてみるがいい。敗れて初めて覚り得るものがある」

「貴様は我が張子房である」「ウーム、古の悪来にも劣らない男だ」

「これだこれだ。そちはまさに当世の樊噲だ。樊噲の化身を見るようだ」


(荀彧、典韋、許褚を臣下に得た時)

「今、不覚にも自分は、みずから法令を出して、その法を犯してしまった。すでに、統率者自身、統率をやぶったのだ。何をもって、人を律し、人を正し、人を服させよう」

「もうすこしだ! この山を越えると、梅の林がある。疾く参って梅林の木陰に憩い、思うさま梅の実をとれ。梅の実をたたき落して喰え」

「もうよせ。そうこの身の美点ばかり聞かせると、予も袁紹になるおそれがある」

「君と、予とだ。今、天下の英雄たり得るものは大言ではないが、予と足下の二人しかあるまい」


(現代の英雄について劉備と話した時)

「今のは一場の戯れだよ。月日は呼べどかえらず、過失は追うも旧に戻らず。もう君臣の仲で愚痴はやめにしよう」

「予は戦うであろう! 議事は終わりとする。はや出陣の準備につけ!」

「関羽がもし約束を詐るような人物ならば、なんで予がこれほど寛大な条件を容れよう。またそんな人間ならば、逃げ去ってもおしくはない」

「政治こそ、人間の仕事のうちで、最高な理想を行いうる大事業だ」

「いや待て。われこそ無情いが、やはり関羽は真の大丈夫である。来ること明白、去ることも明白。まことに天下の義士らしい進退だ。其方どもも、良い手本にせよ」

「案じるな。許攸が味方へとびこんできたのは、実に天が曹操に大事を成さしめ給うものだ。もし狐疑逡巡して、この妙機をとり逃がしたりなどしたら、天は曹操の暗愚を見捨てるであろう」

「袁紹の勢いが隆々としていたひと頃には、この曹操でさえ、如何にせんかと、惑ったものだ。いわんや他人をや」

「郭嘉の計にたがわず、故人の遺書の通りになった。彼も地下で満足したろう」

「予は、荊州を得たことを、さして喜ばんが、いま足下を得たことを衷心からよろこぶ」


(蒯越を臣下に加えた時)

「ああ楽しいかな、男児の業。眸は四遠の地景をほしいままにし、胸には天空の月影を汲む。俯して杯をとれば、滾々と湧くところの吟醸あり。起って剣を放てば、すなわち呉の死命を制す」

「あわれ、矢石の中で、死ぬものならば、まだ死にがいがあるものを。死生自ら命ありだ。なんの怨むことやある。ふたたび哭く者は立ちどころに斬るぞ」

「大丈夫は信義をもって重しとなす。この人生にもし信なく義もなく美というものもなかったら、実に人間とは浅ましいものではあるまいか」

「夢に故人を見たのだ。遼東の遠征に陣没した郭嘉が、もし今日生きていたらと思い出したのだ。予も愚痴をいう年齢になったかと思うと、それも悲しい。諸将よ、笑ってくれ」

「余りむずかしくばかり考え込むものじゃないな。わしはちと重大と思い過ぎて思案が過っておったよ。人間日々大小万事、ここにいつも打開があるな」

「ひとを笑うほどな計策のある者は、大いにここで薀蓄を語れ。予も聞くであろう」

「戦機は勘だ。また天来の声だ。常道ではいえない」

「人間というものは、案外、分かりきっていることに分別を迷うものだ」

「予はただ周の文王たればよし」


(帝位にのぼることは頑なに拒否する理由)

「日々千金を費やすとも、天命ならば一日の寿も購うことはできまい。況んや、英雄が死に臨んで、道士に祓をさせたなどと聞えては、世のもの笑いであろう」



<了>










「三国志の英雄の名言に学ぶ④」

2020-02-24 10:33:36 | 日本

「張飛はどんな人物だったの?」

正史においての張飛は、確かに短気で粗暴ではありますが、一方で感情のままに行動するばかりではなく、相手を計略に嵌めて、知力を駆使して捕縛するという離れ技もやってのけます。
一番有名なのは、漢中攻略戦で張郃(ちょうこう)を破った時でしょう。


◎漢中攻略戦での張飛の戦略

張郃は宕渠・蒙頭・蕩石に軍を進めて巴蜀の住民を奪い漢中へ移住させようとして、張飛と激突しますが、張飛は張郃と50日間にわたって、睨みあいを続けた後、精鋭1万騎を率いて、山の狭い間道に張郃を誘いこみます。張郃は軍勢が多かったので、細長い山道で軍を展開できず、張飛の軍勢に補給線を分断されて、軍が壊滅し、自身は数十名の部下と共に逃げのびます。


◎入蜀後の張飛は戦は負けなし

また、張飛は、それ以前の劉備(りゅうび)の入蜀の時にも一度も敗北せず、連戦連勝しており、劉備はその功績を諸葛亮(しょかつりょう)法正(ほうせい)関羽(かんう)と同等であると認め金五百斤・銀千斤・五千万両・綿千匹の褒賞を与えた上に張飛を巴西太守に任じました。 上の記述を見ると、筋肉バカの張飛のイメージが壊れてしまいますが、では、どうして張飛はおバカキャラになってしまったのでしょう?
◎何で張飛はお馬鹿キャラにで描かれてるの?
やはり、それは、三国志演義成立以前の、民間伝承に関係があります。実は張飛は、民間に人気がある武将だったのです。中国には、張飛を笑い話のオチに使ったような話があります。例えば、孔明の庵で、張飛がとんちんかんな蒟蒻問答を行って孔明を感心させてしまったり・・艶笑話では、楊貴妃の骸を丁重に葬った男が恩返しに来た、楊貴妃と一晩を共にしたのを羨ましがった隣の男が、必死に野ざらしの骸を探して見つけた骨を丁重に埋葬したら、夜に張飛がやってきて、拙者の尻を貸そうと言ってきたりします。 このようなバカで短気で、大酒飲みの張飛のイメージは、長い年月で完全にキャラ立ちしてしまい、今更、三国志演義で「実は張飛は知将でした」とキャラを変えてしまっても、もう大衆には違和感しか残らなかったのです。


◎大衆に読まれる目的で描かれた三国志演義

三国志演義は大衆に読まれる事を目的に発展したので、作品の中には、昔ながらの酒で失敗する張飛と、計略を用いて敵将を打ち破る、本来の張飛が同居してしまったのです。 しかし、そんな二つの張飛のイメージも、部下に対して愛情がなく、厳しい罰を与える悪い癖は共通していて、最期もそのせいで寝首をかかれて死んでしまうのです。


◎張飛は行政官としても優秀だった?

実は張飛は知将だったばかりではなく、行政官僚としても優秀だったかも知れません。その理由は、漢中王になった劉備は張飛を右将軍、仮節とし、さらに西暦221年に張飛を車騎将軍、西郷侯に封じていますが、同時に司隸校尉(しれいこうい)を兼務させているのです。この司隸校尉は、朝廷内の大臣を皇族を含めて監視する役割に加え、帝都である成都周辺の治安維持を任される重要なポストでした。今で言えば警視総監みたいなものでしょうか?張飛が警視総監、余程人がいないんだろうか?と思ってしまいますが、時は西暦221年で関羽を除けば主だった蜀の将軍は健在です。幾ら張飛が外戚とはいえ脳味噌筋肉の馬鹿に帝都の治安を任せはしないでしょう。張飛は司隸校尉以前にも、巴蜀の防衛の要である漢中太守に成るのが当然だと周囲に思われていました。この時は、劉備が魏延を抜擢した事で流れましたが、太守を任して問題ないと思われる程に張飛の手腕は信頼されたのです。
















「吉川英治の三国志の英雄の名言に学ぶ③」

2020-02-23 09:35:59 | 日本

「三国志(吉川英治)より 関羽雲長の名言」


「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬すら持たないが、三名でも、ここで義盟を結べば、即座に一つの軍である」

「黄巾の賊はなお討つに易し。廟堂の鼠臣はついにおうも難し、か」

「小人の小人ぶりに、いちいち腹を立てていたひには、とても大事はなせぬぞ。天下、小人で満ちいる時だ」

「世に理のなき妖術などあろうか。武夫たるものが、幻妖の術に怖れて、木の根にすがり、大地を這い、戦意を失うとは、何たるざまぞ」

「すすめや者ども、関羽の行く所には妖気も避けよう」

「こんな不法は蹴とばすべきです。先頃からそれがしもつらつらと思うに、枳棘叢中鸞鳳の栖む所に非ず、と昔からいいます」

「棘や枳のようなトゲの木の中には良い鳳は自然栖んでない、というのです」

「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操のもとに晏如と留まっておるものではござらん」

「千里万里もおろか、お暇も告げず、直ちに、故主のもとへ立ち帰り申すであろう」

「いや、丞相。この髯が、鴉になって故主の屍を探しに飛んで行きましょう」

「これはかつて、劉皇叔から拝領した恩衣です。どんなにボロになっても、朝夕、これを着、これを脱ぐたび、皇叔と親しく会うようで、うれしい気もちを覚えます」
「こういう千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあいだに飛んで行けますからそれを独り祝福しているのです」


(曹操より赤兎馬を贈られた時)

「決して、広言ではない証拠をいますぐお見せしましょう。軍中に戯言なしです」

「自分には、玄徳という実在のお人があるから、古人の交わりも、うらやむに足りません。死なば死もともに。生きなば生をともに。管仲、鮑叔ごとき類とひとつに語れませぬ」

「そのときは、肉体を捨て、魂魄と化して、故主のもとにまかり帰るであろう」

「見るが如し。貴公もまた、関羽のために、血の餞別にやってきたか」

「武人一歩を踏む。なんでまた一歩をかえしましょうや。舌をうごかすのさえ、一言金鉄の如しというではありませんか」

「人生の快、ここに尽くる」

「他日、天下に理想を展べる日もあらんことを想えば、百難何かあらんです」

「あわれや、主従の情。……どうしてこの者どもを討つに忍びよう」


(曹操の逃走経路に待ち伏せし生殺与奪を握るが)

「あら無残。早々、馬を乗り代えて、快く勝負を決せられよ」

「なぜかって、犬ころの子に、虎の娘を誰がやるかっ」

「人間五十に達すれば、吉夢もなし、凶夢もなし。ただ清節と死所にたいして、いささか煩悩を余すのみ」

「死をだに顧みぬ大丈夫が、医師の手に弄られるぐらいなことで愕きはせぬ。よいように療治してくれ」

「今日、過って呉の計に墜ち、たとえ一命を失うとも、九泉の下、なお桃園の誓いあり、九天の上、なお関羽の霊はある。汝ら呉の逆賊どもを亡ぼさずにおくべきか」












「吉川英治の三国志の英雄の名言に学ぶ②」

2020-02-19 21:55:21 | 日本

「三国志(吉川英治)より 諸葛亮孔明の名言」


「管仲、楽毅、いま何処にありや! 自分をおいてはない。不敏といえども、それに比するものは自分以外の誰がいよう」
「北に拠った曹操は、すなわち天の時を得たものであり、南の孫権は、地の利を占めているといえよう。将軍はよろしく人の和をもって、それに鼎足の象をとり、もって、天下三分の大気運を興すべきである」
(有名な「天下三分の計」の一節)

「何かのご縁でしょう。将軍は私にめぐり会うべく諸州をさまよい、私は将軍のお招きを辱のうすべく日まで、田野の盧にかくれて陽の目を待っていたのかも知れません」

「剣印ここにあるを、見ぬか。命にそむく者は斬るぞっ。軍紀をみだす者も同じである!」

「然るときは、わたくし自身、一帆の風にまかせて、呉国へ下り、三寸の不爛の舌をふるって、孫権と曹操を戦わせ、しかも江夏の味方は、そのいずれにも拠らず、一方のやぶれるのを見てから、遠大にしてなお万全な大計の道をおとりになるようにして見せます」

「これ、大計というもので、いたずらに晴の場所で雄弁を誇り、局地的な勝敗をとって功を論じ、社稷百年の計を、坐議立談するが如き軽輩な人では、よく解することはできますまい」

「曹操が百万の勢も孔明からいわしめれば、群がる蟻のようなものです。わが一指をさせば、こなごなに分裂し、わが片手を動かさば、大江の水も逆巻いて、立ちどころに彼が百船も呑み去るであろう」

「鳥獣すら殺手をのばせば、未然に感得して逃げるではありませんか。まして万物の霊長たるものが、至上の生命に対して、なんで無感覚におられましょうや」

「敵を謀るにはよろしく敵の智能の度を測るをもって先とす」

「人です。すべては人にあります。領地を拡大されるごとに、さらにそれを要としましょう」

「一国に二人の主なし。そんな婦人の仁にとらわれてはいけません」

「民が峻厳を求めるとき、為政者が甘言をなすほど愚なる政治はない。仁政と思うは間違いである」

「老将黄忠、ただ簡単に許しては駄目なのです。ああして言葉をもって励まして、初めて責任も一層強く感じ、相手の認識も新たにすると申すものです」

「平時にこういう備えを黙々としてきた者の功を戦時にも忘れてはならない」

「何の、彼ごとき者を生擒るのは嚢の中から物を取りだすも同じことではないか」

「巣なき鳥、家なき人間が、どう生きてゆくか。いわんや、王風にそむいたところで、どれほどの力があろう。振舞えるかぎり振舞うてみよ」

「社稷の為には、多少の功はあろうが、自分は必ず寿命を損ずるであろう。いかにとはいえ、かくまで、殺戮をなしては」

「しかし、戦いというものは、あくまで『人』そのものであって、『兵器』そのものが主ではない」

「初めて、孔明の心が透った。否、王風万里、余すものなくなった。予もうれしく思う」

「心を以て心を読む。さして難しい理由はない。総じて、敵がわれを謀らんとするときは、わが計略は行いやすい。十中八、九はかならずかかるものだ」

「思うに、一人の姜維にすら勝つことができない人間に、何で魏を破ることができようぞ」

「自分が隆中の草蘆を出てからというもの、久しい間、つねに天下の賢才を心のうちでさがしていた。それはいささか悟り得た我が兵法のすべてを、誰かに伝えておきたいと思う希いの上からであった」

「駙馬の如きは、一羽の雁に過ぎない。姜維を得たのは、鳳凰を得たようなものだ。千兵は得易く、一将は得難し。いま雁を追っている暇はない」
「四門を開けよ。開け放て。門々には、水を打ち、篝を明々と焚き、貴人を迎えるごとく清掃せよ」

(有名な「空城の計」の一節)
「生兵法。まさに汝のためにあることばだ。今は何をかいおう」

「ゆるせ、罪は、予の不明にあるものを」

(有名な「泣いて馬謖を斬る」の一節)

「そもそも、智謀ばかりでは戦に勝てない。また、先頃の大戦では、蜀は魏よりも兵力は多かったが、負けてしまった。量るに、智でもなく数でもない」

「うごく敵は計り易いが、全くうごかぬ敵には施す手がない」

「きょうの不平と、その憂き目と思い較べて、いずれがよいと欲しているか」

「口舌を以ていたずらに民を叱るな。むしろ良風を興して風に倣わせよ」

「──悠久。あくまで悠久。人命何ぞ仮すことの短き。理想何ぞ余りに多き」








「吉川英治の三国志の英雄の名言に学ぶ①

2020-02-17 08:53:58 | 日本

吉川英治の三国志英雄の名言について掲載されていたので、これを学ぶ


「三国志(吉川英治)より 劉備玄徳の名言」


「一剣の勇では、百人の賊を斬ることもむずかしい。百人の賊を斬っても、天下は救われはしないのだ。」

「風に耳、水にも眼、大事は路傍では語れません。けれど自分は何をつつもう、漢の中山靖王劉勝の後胤で、景帝の玄孫にあたるものです」

「なにをか好んで、沓を作り蓆を織って、黄荒の末季を心なしに見ておりましょうや」

「皇室を重んじ、秩序をみだす賊子を討ち、民の安寧を護らんとは、われわれの初めからの鉄則である。官の士風や軍紀をつかさどる者に、面白からぬ人物があるからというて、官軍そのものが潰滅するのを、拱手傍観していてもよいものではない」

「県の土民は、みな貧しい者ばかりだ。しかも一定の税は徴収して、中央に送らなければならぬ。その上、なんで巡察の勅使や、大勢の随員に、彼らの満足するような賄賂を贈る余裕があろう」

「そうだ。……いいことをいってくれた。我れ栖む所を誤てり」

「自分はあなたを扶けに来た者です。若い力はあっても、老台のような徳望はまだありません。徳のうすい者を太守に仰ぐのは、人民の不幸です。乱の基です」

「通じる通じないは人さまざまで是非もない。わたしはただわしの真心に奉じるのみだ」

「われら兄弟三名は、各々がみな至らない所のある人間だ。その欠点や不足をお互いに補い合ってこそ始めて真の手足であり、一体の兄弟といえるのではないか」

「身を屈して、分を守り、天の時を待つ。蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである」

「だからわしも、努めて菜園に肥桶を担ったり、雷鳴に耳をふさいだり、箸を取落したりして見せている次第だ」



(曹操に危険視されないための演技)

「何でこれに尽きよう。これからである」

「いや、それは捨て身だ。軽々しく死ぬときではない」

「的盧的盧。汝、今日われに祟りをなすか、またわれを救うや。性あらば助けよ!」

「人生の長い歳月のうちでも、賢に会う一日は最大の吉日とかいう。今日は何という幸いな日だろう」

「たとい、玄徳が、この一事のため、亡ぶ日を招くとも、そんな不義なことは断じてできぬ」

「彼のいうところは、彼らの中の真理であって、万民俗習の真理ではない。この地上の全面を占めるものは億兆の民衆で、隠士高士のごときは何人と数えられるほどしかおるまい」

「そういう少数の中だけでもてあそぶ真理なら、どんな理想でも唱えていられよう」

(学者・崔州平と出会い治乱の真理を聞いた時)

「お午睡中か。では、そのままにしておいて下さい。お眼ざめになるまでしばしお待ちしよう」

(三度目の訪問でやっと孔明が在宅していたが昼寝中と伝えられた時)

「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません」

「恩をうけた人の危ういのを見て、それを自分の歓びにはできない。譲られるにしても、恩人の不幸は不幸。自分にはあきらかな幸い。玄徳には忍びきれぬ」

「わしが、孔明を得たことは、魚が水を得たようなものだ」

(有名な「水魚の交わり」の一節)

「いかなる禍いにあおうと、忘恩の徒と誹られるよりはましである」

「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって本とすという。いま玄徳は国を亡ったが、その本はなお我にありといえる」

「民と共に死ぬるなら死ぬばかりである」

(曹操軍に攻められ逃げる劉備だが慕う窮民たちが着いて来ているため)

「趙雲とわしとは、艱難を共にして来た仲である。彼の志操は清きこと雪の如く、その血は鉄血のような武人だ」

「わしは信じる。なんで彼が富貴に眼をくらまされて、その志操と名を捨てよう!」

「思うに、趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために、危うく戦死させるところであった」

「一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得がたい」

「いや、あの時は、天下のために、乱を醸すまいと思い、また曹操の人物を惜しんで止めたのだが、もし天が正しきを助けるものなら、いつか一度は自分の志もつらぬく時節がくるだろう」

「わしと、関羽とは、むかし桃園に義を結んで、生死を倶にせんと誓ってある。いわば関羽の死はわしの死を意味する」

「無礼なり、魏延、劉邦、ここは鴻門の会ではない。われら宗親の会同に、なんたる殺伐を演ずるか」

「中庸。それは予の生活の信条でもある」

「朕のねがいはこれしきの事にとどまらん。呉を討ち、魏を平げ、天下ひとつの楽土を現じ、光武の中興に倣わんとするものである」

「丞相よ。人将に死なんとするやその言よしという。朕の言葉に、いたずらに謙譲であってはならぬぞ」

「すでに命せまるを覚ゆ。一々汝らに言を付嘱するを得ない。それみな一致して社稷を扶け、おのおの保愛せよ」










「韓国軍のベトナム大虐殺の資料を公開せよ」

2020-02-15 09:28:04 | 日本

「韓国軍のベトナム大虐殺の資料を公開せよ」と題し掲載している。
以下、参考に!



2020年2月2日、韓国・YTNによると、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺事件をめぐり、韓国の裁判所が国家情報院に対し関連文献の公開を命じる判決を下した。記事は「韓国政府が責任を回避している中、今回の判決により埋もれていた真実が明かされるか注目される」と伝えている。

記事によると、1968年2月にベトナム中部のフォンニィ・フォンニャット村で韓国軍が行った「民間人74人虐殺事件」の生存者らは昨年4月に訪韓し、韓国大統領府に真相究明を求める請願を提出した。これに対し大統領府は、回答期限が大幅に過ぎた後に「韓国軍による民間人虐殺に関する内容は確認されていない」とだけ回答していた。

これを受け、韓国の弁護士団体・民主社会のための弁護士会は国家情報院に対し、当時参戦した韓国兵3人を中央情報部が尋問した調書を公開するよう求める訴訟を起こした。訴訟は原告勝訴の判決が出たものの、国家情報院は「個人情報の保護」を理由に調書の公開を拒否。このため、弁護士会は情報非公開処分の取り消しを求めて再び訴訟を起こし、今回、裁判所が韓国兵の生年月日を除く関連文献を公開するよう命じる判決を言い渡したという。

これに、韓国のネットユーザーからは「過ちを犯したなら謝罪し補償しよう。日本のようになりたくない」「謝罪しないなら日本に謝罪を強要しないで」「政権が変わるたびに大統領がベトナムを訪れ謝罪し、被害者が名乗り出たら個別に補償してあげるべき」「しっかり調査して、事実でないなら汚名を晴らす努力をするべきだし、事実なら謝罪するべき。事実なのに謝罪しないなら、韓国はもう日本を責められない」など謝罪を呼び掛ける声が上がっている。

一方で、「民間人に扮したベトナム兵がいつどこから攻撃してくるか分からない、民間人と敵の区別が難しい戦争だった」「当時の韓国軍は米国の指示に従っていただけ。謝罪は米国に求めたら?」「先進国は植民地時代に犯した罪について謝罪し、全て補償しているか?」など疑問を示す声も上がっている。(翻訳・編集/堂本)










「法華三部経のあらましと要点④」

2020-02-13 21:03:12 | 日本

仏性を拝むという一つの行だけで人間の不幸のおおもとは、「肉体だけが自分である」とおもいこんでいることです。この肉体へのとらわれがあるかぎり、なによりも自分の肉体を維持し、満足させることを第一に考え、ほかの人のことなど二の次になりますから、つい奪いあいや足のひっぱりあいなどの争いが起おこり、したがって不安・悩み・苦しみなどの絶えることがないのです。
ですから、人間を根底から救い、人類社会をほんとうに平和にするには、どうしてもこの根本のとらわれをうち破り、「人間の本質は仏性である」という真実にめざめさせなければならないのです。

〈すべての人の仏性を認め、それを拝む〉ことから出発し、それから〈真実の教えである法華経を説いて、大衆の仏性を顕現する〉ことへとすすまなければならないのです。
そういう積極的な努力をしてこそ、自分も悟りを深めることができますし、世の中なかもほんとうによくなるのです。


すこしやってみて、おもわしい結果があらわれないからといって、すぐあきらめてしまったり、現実の世界のあまりのひどさに失望して、さじを投げてしまったりしたのでは、自分も、世の中も、ついに救われることはないでしょう。
人間の仏性は不生不滅なのですから、「なんども生き変わり死に変わりしながら、あくまでもこの偉大な仕事をしつづけるのだ」という、不動の決意をもたなければならないのです。


尊いのは法華経の教えそのものであり、〈教えの実践〉なのです。

※勇猛精進

人を仏法にみちびくには、それを説いてあげるのもむろんたいせつなことですが、身をもってする実証が第一の決め手となります。とくに、家族や職場の人をみちびくには、これを欠いてはならないのです。どんなに法を説いてみても、本人の行ないが感心したものでなければ、だれもなっとくしないばかりか、かえって仏法を軽蔑したり、疑ったりすることになりかねません。


四法成就とは、
第一に、自分は諸仏に護念されているのだという絶対の信念をもつこと。
第二に、日常生活に善行を積んで、徳を育てるように努力すること。
第三に、正しい教えを奉ずる人びとの仲間にはいること。
第四に、世の人みんなといっしょに救われるのが真の救いであることを知り、みずからおおくの人びとを救う心をもつこと」

※諸法実相




<了>










「法華三部経のあらましと要点③」

2020-02-11 18:08:02 | 日本

〈よいできごとも、わるいできごとも、すべて悟りを深める因として受けとり、それに感謝する〉という徹底したご精神は、われわれが深く学ばなければならない。


「この世のすべての現象は、因と縁によって 生じた仮りのあらわれにすぎない。その因と縁がなくなれば現象もなくなり、ちがった因と縁とが和合すれば、かならずそれにふさわしい現象があらわれる」。


恋慕渇仰(れんぼかつごう)の思いとは、大切な人が亡くなった時、廻りの者や身内の者は、こころ細くなり、失った大指導者を恋い慕う感情が猛烈に起こってきます。のどの渇いた人が水を求めるような切実さで、仏を求める心が湧いてくるのです。そういう痛切な思いが生ずれば、人間はかならず本心にたちかえります。目が覚めるのです。
とにかくほんとうに自分を救ってくれるものを、のどが渇いた人が水を求めるように求め、恋いあこがれる思いがあってこそ、その人の心は清められ、救われるのです。宗教が、哲学や道徳の教えとちがうところは、その一点にある。この〈かくれた心〉までも清めなければ、人間は救われないのですが、それをしてくれるのが宗教であり、信仰なのであります。


空気でも、太陽でも、水でも、ふだんはほとんどその存在を忘れています。
ほとけさまは不生不滅であり、一瞬たりともわれわれのそばから離れられることはないのです。いや、〈そば〉ということばもほんとうは正確ではなくて、仏さまはつねにわれわれの内にも外にも満ち満ちておられるのです。われわれは仏さまと一体なのです。

※わが内に神が、今ここに神が!


われわれは無始無終・不生不滅の久遠実成の本仏に生かされているのだという、信仰の根本さえつかむことができれば、その信仰をますます深めていく力も、それを他へおしひろめていく 力も、ともに無限に湧いてくることを教えられている。


死ぬ間際に一生をふりかえってみると、それらがみんな〈我執〉に踊らされ、影を追ってあくせくしたにすぎないことがわかり、いいしれぬ空虚感をおぼえるにちがいありません。ところが、形のうえではそれと似たような苦しみや悲しみや喜びのくりかえしの一生でも、その人生をつらぬく〈信仰〉という一本のつよい背骨があったならば、そして、形のうえでは浮きつ沈みつしながらもつねに仏の境地へ一歩一歩上ってゆきつつあるのだという〈確信〉があったならば、どんな苦しい生涯でも、楽しく生きていくことができ、楽しく死んでいくことができましょう。


真の信仰をもちえたものは、つねに一歩ずつでも仏の境地へ近づいていくという自覚がありますから、どんな長い旅路でも、けっして飽きることがないのです。いつも希望に満ち、充実した生きかたができるわけです。これこそ、真の信仰者のみが得られる大功徳というべきでありましょう。
しかも、真の信仰者の努力というものは、ただ自分だけが 仏の境地にたっすることを目的とするものではなく、できるだけおおくの人を道連れにしてあげたいという努力をともなっているのですから、真の信仰者がふえればふえるほど、人類全体が向上してゆき、この世界が理想の寂光土に近づいていくのです。


「正信仰をもち、身に行なえば、現実にこういうふうに向上していくのだ」と説かれてある経典を、つねに読誦すれば、ゆるもうとする信仰心が、そのたびにひきしまってくるのです。


仏さまの寿命が不生不滅であれば、それと一体であるわれわれの仏性も不生不滅である。ただ、われわれの仏性はいろいろと迷いの雲にとざされているために、仏さまとはちがった存在と考えられるだけのことである。


仏の無量寿を聞いて、頭のうえで理解するだけでなく、「ああ、ありがたい」という歓喜の念を起こすことです。これが信仰というものです。


教えに随喜する、すなわち 心から「ありがたい」とおもうその感激と歓喜こそが、信仰にとって欠くことのできない、大きな根本要素である。















「法華三部経のあらましと要点②」

2020-02-09 19:16:57 | 日本

ふつうの世間においても、偉大なものにたいして素直な感動をおぼえる人こそ大成することは、おおくの実例がそれを示しています。感動や感激がなく、実利一点張りでものごとにたちむかう人は、こぢんまりした成功や、小さく安定した地位を得ることはあっても、いわゆる大物になることはできません。歴史にのこるような仕事をすることはできません。ましてや信仰生活においてをやです。仏の教えは、偉大なるもののなかでも、もっとも偉大なるものです。その仏の教えを聞いて素直に感動し、素直に信ずるようならば、その人とはかならず無限に高められる要因をもつ人です。


〈一念随喜〉を育てるものはなにか……それは供養と修行です。
供養というのは、仏さまとその教えにたいする感謝のまごころをささげ、礼拝その他の行によってそのまごころをあらわすことです。

修行とは、どんなことをすればよいのか……。
第一に、教えを受持していく決意を念々に新たにすること(受持)
第二に、教えをくりかえして学ぶこと(読)
第三に、それを誦んじることができるほど心に植えつけること(誦)
第四に、ひとのために解説してあげること(解説)
第五に、その教えが世にひろまるように、あらゆる努力をすること(書写)


すべてのものごとが〈空〉であるということは、この世に何も存在しない、無であるということではありません。因と縁の和合によってたしかに存在しているのです。ただ永遠不変で固定したものはなにもないということです。ですから、よい現象を望むならば、よい因となりよい縁となればいいのです。


すべてのものごとは、本来固定した差別のない、平等で大調和しているものなのです。つまり現象に善も悪もないのです。しかし凡夫にはそうは見えずに、差別でものを見て、不善の心を起こして苦しみを味わうのです。つまり、差別でものを見て、苦しんでいるのは凡夫のまちがいであって、本来すべてのものごとすべての存在は、差別もなく、平等で大調和したものなのです。別のことばでいえば、すべてのものは、あるべくしてあるのです。


禅定にはいったかのように動かないものには、われわれの人生を変える力がありません。それを説く人があり、それが人間の心のなかへ動きだしてきたとき、はじめて人間世界の救いとなるのです。だからこそ、究極の真理そのものである多宝如来が、その真理を説いてそれに動きをあたえるはたらきをなさったお釈迦さまを、ほめたたえられるのです。ということはつまり、〈究極の真理は、それが説かれ、おおくの人に理解され、活用されることを望んでいる〉。


虚空にのぼってこそ到達しうる境地です。
その悟りにたっしたら、こんどはまた現実にたちもどって、その悟りをこの世で実践にうつし、またおおくの人びとにおよぼしていかなければ、人類全体の救いは実現せず、したがって自分個人の救いも完成されません。


人間の本質は仏性である〉という大事実が明らかにされました。とすれば、当然 「自分の本質は仏性である」と悟るのが、ほんとうの人間として完成する第一の道であり、最高の道であることになる。

※人間は神の子である。











「法華三部経のあらましと要点①」(抜粋)

2020-02-07 21:58:50 | 日本

「法華三部経のあらましと要点」のHPを是非参照し、学んで欲しい。
以下、感じたところを抜粋する。


◎法華三部経とは、無量義経・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩経。


性・相・空・寂、すなわち、〈この世のあらゆるものごとのありようは一切が 平等で、つねに大きな調和を保っている〉ということです。われわれが肉眼で見る現象は、大きいとか小いさいとか、生ずるとか滅するとか、止まっているとか動ごいているとか、さまざまな差別や変化があるように見えますが、その根本においては、ちょうど虚空というものがどこをとってもおなじであるように、ただ一つの真理(法)にもとづくものであることを見極わめねばならないのです」


諸法実相といえば、たんに〈ほんとうの相〉というぐらいの意味に解いされていますが、諸法実相などという場合の〈実相〉というのは、もっと深遠な意味であることを記憶しておかなければなりません。


一切の人びとに最高無上の悟り(仏の智慧)を求める心を起こさせるためです。また、この教えはどこに住みつくのかといいますと、人びとが菩薩行を行なう、その実践の中にこそ住するのであります」


菩提心を起こさせる〈無量義〉の教えは、その菩提心を起こすことを目的としている。実践 してこそ、この教えの生命は発現する。


物質・肉体などにすっかりとらわれて、精神の自由自在を失しなっているから苦しいのです。


仏さまの教えは最終的にはただひとつ〈仏になる道〉しかない。


苦労しながらものごとを創造していくことこそ人生の意義であることを悟り、その苦労を楽しむ 境地にまで、心が高まっていく。こうして、人生の旅人であるわれわれひとりびとりが、自分の性格に応じ、才能に応じ、職業に応じて、〈自分をも、他人をも、世の中全体をも、しあわせにするものごと〉をたえず創造していけば、それらの創造のはたらきは、かならず大きなところで一種の調和をつくりだすものです。そのような創造と調和の状態こそが、人類究極の理想のすがた(この上ない宝もの)なのです。


「われわれは、ほんとうはすでに救くわれているのだ。われわれの本質は、久遠の本仏と一体の、自由自在な仏性なのだ。その事実を知らないために、苦の人生をさまよっているのだ。だから、救われるのは、なにもむずかしいことではない。自分の本質が仏性であること、つまり、はじめから救われているのだということを真に自覚しさえすればそれでいいのだ」という教えがのべられている。

※人間は本来「神の子」、そのままで完全円満である。









「導かれる体質、呼(喚)ばれる体質」

2020-02-05 21:36:58 | 日本

菅家一比古さんから「導かれる体質、呼(喚)ばれる体質」と題して掲載されていた。
以下、要約し記す。



鎌倉初期に現われ、日本の霊性史上に輝く「道元禅師」の言葉に「自己が自己する」があります。この言葉について暫(しばら)く理解できないでいた私でした。しかし現在(いま)から25年ほど前、奈良県桜井市にある三輪山で一週間「行(ぎょう)」をしていた時のことです。

早朝六時から夜まで、大物主神(おおものぬしのかみ)様の荒魂を祭祀する狭井(さい)神社での祝詞(のりと)奏上から始まり、天鳥船(あまのとりふね)、磐笛(いわぶえ)奏上、お山登拝、禊、摂社、末社参拝を毎日繰り返していたのです。

お山登拝は午前と午後の2回、禊はあちこちのお滝場で何度でもという有り様で、まるで何モノかに取り憑かれたかのようでした。身体はヘトヘト、クタクタ、放心状態です。

ところが不思議なことが起き始めたのです。何日目か経ったあたりから、私の身体が私の意思(志)などに因らないで、独りでに勝手に動いて行くのです。

私の中の何モノかが私を動かしている。我ならぬ我が。「あ、道元の言う『自己が自己する』とはこのことだったのだ」と氣づかされ、神道の場合、「神が神する」だと私は咄嗟(とっさ)に解釈したのです。

迷ったり悩んだりする間もない、考えたり、判断したり、分析したりする間もない。おまけに身体はクタクタで、体力に依存したりすることもできない。この時、「我ならぬ我」が目覚め、活躍し始めるのです。

「我ならぬ我」とは一体何か。それが内なる神、即ち霊魂(みたま)です。霊魂は全てを知っている。霊魂が活躍できないのは人間知や、計らいが強いから。その為に祈りや禊を通して主人公である霊魂が活躍する場づくりや環境づくりをするのです。

導かれやすい体質、もたらされやすい体質こそ、成功(幸)者の必須の条件でしょう。

一流の事業家、芸術家、学者は努力×時間×Xの方程式を持っています。この「X」とは何か。それは直感であり、運であります。その中には閃き、ときめき、氣づき、反省、内省、出会いと云ったもの等が含まれるのです。

「我ならぬ我」「神が神する」は「呼(喚)ばれる」体質にも通じていくのです。魂が魂を呼ぶ。














「将に国難。。ボーツとしているわけには、いかんぜよ!」

2020-02-04 17:30:07 | 日本

◎私の友人よりのメール

ブラックマンデー。リーマンショック。
今回はコロナショックが考えられます 武漢から帰った600名の内20名が感染 率で3.3%です 武漢の人口1200万人これに3.3%を掛けると 約40万人の感染者が居ると思います 未だに10.000人と言って居ますが 嘘です このまま 行くと 1カ月後には リーマンショックの10倍の世界恐慌が発生します これを頭の中に入れて 色々と判断して下さいね 相手は中国世界の大手メーカーは 生産ストップになり 回顧や倒産や内乱発生日本はどうなるやら
地震や津波や台風は まだまだ 小さい事。



◎松田学さんのコラム 

「新型コロナウィルスと憲法改正~衆議院の解散が今年の春と予想される理由」


米中新冷戦による分断に加え、世界のデカップリングの要因がまた一つ…。こちらの分断はヒトの移動の阻止とか隔離ですが…。国会で始まった予算委員会では、先週は質疑の大半がまたもや桜やスキャンダルでしたが、そんなことをしている場合ではない!

武漢で極秘の細菌兵器開発に関わっている疑いのある研究所からウィルスが漏れたとの記事が、トランプが朝起きて読む新聞とされるワシントンタイムズに掲載されたそうです。まさか、禁止されているはずの生物化学兵器…!その事の真偽は別として、今般の新型コロナウィルスが未曽有のパンデミックになる可能性が高いのは事実のようです。


●今回のウィルスがなぜ脅威なのか

疫病の世界的流行が起きるのは、ウィルスの保持者が動きながらまき散らすからであり、今回のウィルスのように致死率が数%と低い場合です。特に、新型コロナは子どもが感染しても発症せず、元気に動き回って親や祖父母、高齢者に感染、男性の高齢者がとりわけ危険とのこと。武漢からの帰国第一便には検査拒否者が出て、うち一人が子どもでした。

患者は一日53%ずつ増えており、計算では2月20日には1.4億人になるという数字もあるそうです。それは指数関数的に増え、ピークは4~5月頃…、東京五輪は中止?との噂も…。こうなると、公衆衛生や医療を超えた国家危機管理の問題です。さすがの「おもてなし」の国の日本も、中国人の入国制限に踏み切りましたが、観光、経済どころでないでしょう。危機管理は、のちに過剰と言われても、悲観的想定で行うべきものです。

それにしても中国は困った国だと内心、感じている人は多いでしょう。生物兵器ではないとしても、確かに、危ないウィルスを扱う研究所が武漢にあり、そこから漏れた可能性があるようです。その研究所は安全管理上の問題がかねてから指摘されていたとのこと。

そうなると、自然発生したウィルスよりも強く、当初の見込みが過小評価に。
感染症で大事な初動対応を遅らせたとの見方も…。WHOの緊急事態宣言が遅れたのは中国への配慮…?確かに、テドロス事務局長の母国エチオピアは中国の勢力が押し寄せている国です。

李克強首相の対策チームが武漢を訪れましたが、チームには公衆衛生の専門家が一人もおらず、中央宣伝部のプロパガンダの専門家ばかりとのこと。これは習近平の保身…?さすがの共産党も事態に対応し切れておらず、流言飛語を抑える情報工作では…?いずれにしても、今春の習近平の国賓来日をやめる理由ができたとの声が、日本側で出ています。

経済産業研究所上席研究員の藤和彦氏は松田政策研究所チャンネルで、1人1万円で感染の有無を判定できる検査キッドを、国費投入をいとわずに大量配布する対策が必要だとしています。今回のコロナの問題は無症状感染者の蔓延であり、症状もインフルエンザと似ていて、医療現場で見分けがつかないこと。
瞬時で検査できる体制の構築が重要です。


●問われる危機管理能力の構築

誰が感染者か、自分がそうなのか、それが分からないことが、社会不安や差別の原因になります。やはり国がもっと前面に出るべきでしょう。水際対策や手洗い、マスクの励行だけでは、国民を不安に追い込むだけかもしれません。日本は公衆衛生の水準が高く、医療の世界に入れば強い国です。その前の社会のところでどうするかが課題。周囲を海に囲まれた日本は疫病の経験があまりなく、パンデミックには不感症だと言われます。医療の前の総合的な危機管理こそが問われています。

今回の事態で痛感されたのは、やはり、国家緊急事態が発令できない日本の根源的な弱さだと思います。近年、地震や津波、洪水で国民の危機意識は高まっていますが、今回のことで、多くの国の憲法に規定されている緊急事態条項の必要性、すなわち憲法改正を多くの国民が考えるようになったのではないでしょうか。政府はなんとか、指定感染症の政令の施行を通常のプロセスを超えて早めましたが、大災害時の対応を振り返っても、日本政府の危機対応は何事も後手後手。それで失われてきた命も多かった…。

緊急事態条項で国民の権利を裁量的に制約できる強権を総理大臣に与えるのは危険だ、それぞれの関係法令で危機対応を整備すれば良いとの意見もあります。
しかし、近年、私たちが繰り返し学んだのは、「想定外」の事態が実際に起こり得ること。予め法令に規定できないような想定外の緊急事態において、国民の命を守るため超法規的な措置を採るからこそ、国家が存在する意味があり、為政者に問われる重い責任があるというものです。

災害では逃げなければならないのに逃げない、感染症では検査を忌避する…、不都合な事態を認識しようとしない人間の心性である「正常性バイアス」の克服は、公共の福祉のために、個人のエゴをときには抑える装置を必要としているといえるでしょう。


●改憲論議の行方が政局を決める

さて、憲法改正といえば、安倍総理はいよいよ、これに待ったなしで取り組むそうです。安倍総理が改憲について国民に訴えたい内容を著書「ここがおかしい日本国憲法!」にまとめた田村重信氏(元自民党政務調査会審議役)によれば、かつての小泉郵政解散と同じことが起こる…。今国会で3月末に予算が成立し、いよいよ憲法審査会で議論を進めようとしたときに、相変わらず野党が議論に乗らないようなら、国民に問うてみよう…!

あの時のまさかの郵政解散と同じストーリーです。当時、郵政民営化への賛否よりも、解散に踏み切った小泉総理の断固たる姿勢そのものに国民は共鳴し、自民党が圧勝しました。確かに安倍総理は勝負師。これまでの衆院解散もサプライズ解散でした。今回も圧倒的な勝利で一気に在任中の改憲を成し遂げる…。
改憲を実現しなければ後世に汚名を遺しかねないはずの安倍総理が総裁四選を否定するのも、このシナリオがあるからか…。

しかし、国民民主と立憲民主の合流もままならない野党は、このままの総選挙突入では、小沢一郎氏が言うように、まさに消滅でしょう。生き残りたいなら、早期の解散を避けるべく、今国会での憲法論議に乗るしかない。いずれにしても、改憲は実現します。

ただ、心配なのは、今回の新型コロナウィルスによる危機の拡大で、選挙どころではなくなること。もう一つ、経済も心配です。原油価格をみると、不安定な中東情勢と産油国の協調減産にも関わらず、コロナ騒ぎによる中国経済のストップ状態により、油価は逆に下がっています。これで中東全体で石油収入が減少し、サウジなどで経済危機が起こる可能性なきにしもあらず。そうでなくても世界経済は過剰債務のハイレバレッジ状態。何をきっかけにリーマンショ
ック以上の経済危機が起こるか…。今度は「コロナショック」?

そもそも日本の危機とは何かを考えると、それは危機認識が欠如していることではないでしょうか。田村重信氏の著書の最後にある「野鴨の哲学」は、戦後の恵まれた環境のなかで満足し切って脱皮せず、衰退の道を歩もうとしている日本の危機的な現状を見事に突いています。改憲についても、日本の改憲はすでにドイツから遅れること70年。日本国憲法が世界最古の現行憲法となっているのは、日本が課題解決のできない国であることを示す恥ずかしい事態。進化論によれば、環境変化に適応して自ら変化できない種は滅びる…。

憲法改正は日本全体の「脱皮」を促す象徴になるものなのかもしれません。

以上、新型コロナウィルスに関する記述については、藤和彦氏との対談でご確
認ください。こちらです↓
http://y.bmd.jp/bm/p/aa/fw.php?d=70&i=matsuda_seisaku&c=1957&n=4481

憲法改正については、こちらの田村重信氏との対談をご参照ください↓
http://y.bmd.jp/bm/p/aa/fw.php?d=70&i=matsuda_seisaku&c=1958&n=4481