天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

体操競技の魅力~「第4密度」的精神?

2015-10-31 15:55:27 | スポーツ
今、体操の世界選手権(英国・グラスゴー)が開催中ですね。

今日の未明からは男子個人総合が行われ、どうしても中継が
観たくなった私は、仮眠をとり、夜中の3時に目覚ましで飛
び起き……

テレビにかじりついていました。

内村航平選手の演技が、どうしても観たくて。(6連覇達成
おめでとうございます。)

彼の体操はもう……美しいとしか言いようがないですね。

何というか、体の芯に太い一本の線が通っている感じなの
ですが、それでいて、足の先まで神経が行き届いているよう
な繊細さもあって……思わず見惚れてしまいます。

それはテレビで観ているファンだけではなく、一緒に試合に
出場している選手たちにとっても、目標としたい演技なので
しょうね。

演技後、内村選手とタッチや握手を交わす外国の選手たちの
姿がありました。

内村選手だけでなく、他の選手のすばらしい演技に対しても、
選手同士で、国を超えて、拍手や握手、タッチで称え合う場面
が見られました。

ただしこれは、特別なことではなく、体操の競技会の中継を
観るたびに、よく見かける光景なのですが……

これって、スポーツの世界では、なかなかないことじゃあり
ませんか?

スポーツは、勝ち負けのある世界。

その中にあって、勝負を超えて、相手の演技を称え、祝福
する精神。

共に栄えることを目指し、その成果を共に喜ぶ精神。

これはもしかして、第4密度的な、アセンションした地球に
も調和するかもしれない。

そんなことまで、思いを馳せてしまいました。

半分徹夜をしてでも観たかったのは、きっと、体操という
スポーツにそんな魅力があったからなのでしょう。

選手のみなさん、すばらしいパフォーマンスを、ありがとう!
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羽生結弦選手の「新しい課題」

2014-11-30 23:43:59 | スポーツ
フィギュアスケート・ファンにとって、今週末は心躍る日々
でしたね。

グランプリシリーズの中継が生で観られる、年に一度の
機会ですから。

今大会は、三週間前の中国杯で負傷した羽生結弦選手
が出場できるかどうか、そして、どんな演技を見せてくれ
るのか、注目していたファンも多かったでしょう。

おそらく、多くの人が予想した通り、彼はNHK杯に出場
しました。

その結果、残念ながらSP・フリーともにジャンプのミスが
出て、表彰台を逃してしまいましたね。

中国杯の本番前の練習中に他の選手と激突した影響は、
まだ身体に痛みとして残っていたのでは……?

でも、試合後のインタビューで、彼はそれをしきりに打ち消
していました。

たとえ不利な条件がさまざまあっても、言い訳をしない。

それが羽生選手の強さであると言えるかもしれませんが…


今回、彼に与えられた課題は、ある意味で、クリアするこ
とが非常に難しいものかもしれない、という気がします。

というのは……

彼は高みを求める志向が人一倍強い分、失敗した自分を
責め、否定するエネルギーを発してしまうだろう、そう思わ
れるからです。

そういう自分を否定せず、そうでありながら、甘やかしも
せず、ただ、中心と一つになること。

そのためのバランス感覚が、求められているのです。

羽生くんはきっと、新しい課題を与えてもらった、そう思っ
て感謝しているでしょう。

グランプリ・ファイナルで、また新境地にたどり着いた彼の
姿を見せてもらうのが、今から楽しみです。
コメント (2)
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2014 W杯ブラジル大会をふりかえって

2014-07-21 00:50:53 | スポーツ
実に、長いながいブランクが発生してしまいました。
(このブログ史上最長です、たぶん。)

その主原因はただ、教師の仕事の量が増えて、どうにも
ならなかった、というだけのことでしたが……

いつも見に来てくださる方を、がっかりさせてしまったかも。

ごめんなさい!

7月末にはほぼ今期の仕事が終わる予定。

来月はもう少し更新間隔を短くできるかな、と思います。


ところで、FIFA W杯が終わって、すでに一週間が経とうと
していますね。

私はとても熱心なサッカーファンとは言えないのですが、
W杯の試合は楽しみで、2002年の日韓大会以降は時間の
ゆるす範囲でTV観戦してきました。

4年に一度の大会を観てどんなことを感じたか、あるいは
その時の自分の関心はどこにあったか…そんなことをこの
ブログにも一度書いています。
(「4年に一度の里程標」2010年6月20日付)

さて、今回のブラジル大会。ザックジャパンの試合だけは
全部ライブで観たいと思っていましたが…

先回も書いたように、百三歳の祖母が亡くなり、ギリシャ
戦は何とその葬儀の控え室で途切れ途切れに観るという
ことになってしまいました。

今回、ザックジャパンの奮闘むなしく、グループリーグを
突破できなかったのは、一日本人としては「がっかり」と
しか言いようがないけれど……

実力の半分も、出せていない。
条件がととのえば、もっとやれたのでは。

そう感じ、残念でしかたありませんでした。

ただ、そう思うのも、人間の視点で観ているからなのでし
ょうね。

今回の三試合のいずれも、観戦中に何かこう、「勝てる!」
という期待感、高揚感のようなものが湧いてこなかった気
がします。

あるいは今回、日本代表に宇宙が与えた課題は、「敗北」
を通してしか得られない経験だったのかもしれません。

こんなことを言うと、お前はほんとうに日本を応援してる
のかと叱られてしまいそうですが……

(もちろん応援はしたいし、していますよ。それはうそでは
ないけれど、でもね……)

宇宙は、自らの欲することしか引き起さないし、その理由
は人智をはるかに超えたところにある。

そう受け止める以外にないのです。

これからの4年間、ザックジャパンの卒業生たちの軌跡を
追っていくことで、その理由のほんのひとかけらでもつか
めるかもしれません。

そのことに関わるかどうかわからないけれど、私には一
つ気になることがあります。

それは、本田圭祐選手のこと。

大会中、彼のコンディションが思わしくないとの声がいろ
いろなところから発せられていたようです。

それが果たして当たっているのか、私にはわかりません。

でも、もしそう言わざるを得ない状況が実際にあったと
したら、その原因はどこにあるのでしょう。

もちろん、いくつもの要因が絡んでいると考えなければ
なりませんが、私がその一つと推測しているものがあり
ます。

それは……

「アスパルテーム」摂取による身体的ダメージです。

バセドウ病に罹患しているという説が果たして本当かど
うかわかりませんが、もし本当なら、「アスパルテーム」
の影響がないかどうか、調べるべきでしょう。

本田選手は某ミントタブレットのCMに出ていますが、
この製品には「アスパルテーム」が使用されていますか
ら。

もちろんこの件は、私個人の推測に過ぎません。

素人が何を言うか、という批判もあろうと思います。
それももっともです。

憶測でものを言うのはいいことではありませんからね。

本田さん、私のとんだ見当ちがいだったら、おゆるしを。

ただ、もし「アスパルテーム」なんかに邪魔されている
としたら、本当にもったいないことだと思ったのです。

そうでないことを祈ります。

なお、「アスパルテーム」に関しては、当ブログの次の
記事に情報があります。

「甘い毒」~人工甘味料「アスパルテーム」(2013年6月15日付)
脱アスパルテーム一年経過(2014年5月2日付)


その他に、今大会を通して感じたことと言えば……

中南米の国々の人たちの熱狂ぶりには圧倒されまし
たね。

勝っても、負けても、胸の内の感情をすべて出しつくし
てしまうところは、日本人にはとても真似できないなと。

ああして、すべての感情を抑えつけることなく出して
しまうというのは、大切なことなのだと思います。

そうしないと、解放されない感情が、自分の中にどん
どん溜まってしまいますから。

ただ、解放のしかたはできるだけ安全な、ひとに迷惑
をかけない方法をとりたいものですね。


最後に、ブラジルの人々に感謝の言葉を捧げたいと
思います。

おそらく本来は、W杯ではなく国の医療、福祉などの
分野にもっと予算を使うべきだったのでしょう。

そういう意味で、今回の大会開催には激しい反対運
動も起きていましたよね。

それでも、大会は予定通り開かれ、世界中のサッカー
ファンを喜ばせたのです。

本来、その喜びを別の形で享受すべきだった人々が
いた……そのことを、誰もが忘れてはいけないでしょう。

Obrigada Brasil!

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浅田真央選手の「聖なる計画」

2014-02-24 22:21:18 | スポーツ
ソチ五輪女子フィギュアの浅田真央選手のフリー演技、
ごらんになりましたか?

私はSPに続いてLIVE中継を観たのですが、演技が終
わった瞬間、これはすごいものを見てしまった、と思い
ました。

これまで自分が見てきた浅田選手の演技の中でも、間
違いなく最高峰と呼べるものでした。

そんな演技を、五輪という大舞台でやってのけてしまう
なんて……すごいとしか言いようがありません。

こういうものを見ると、私としてはどうしてもそれが、かの
「大いなる源」の意志が起こした「一大事」だったのだと
思えてしまうのです。

(もちろん、どんな出来事も、「大いなる源」がタッチして
いないものはないはずですが、たまさか、こうしたいわゆ
る「一大事」が起こるわけですね。)

こういう「一大事」を起こすには、いくつもの厳しい条件
がクリアされなければなりません。

まず、3アクセルを含む「8トリプル」(6種類、8つの3回転
ジャンプ)を跳べるポテンシャルを持つ、浅田真央という
選手の存在。

そして、その彼女が、バンクーバー五輪のフリーでジャン
プのミスをして、次の五輪こそはという高いモチベーショ
ンを持って、練習を積んでいたこと。

いよいよ今回の五輪が始まって、まず最初に団体のSP
演技で満足のいく演技ができなかったこと。(ロシアの
リプニツカヤ選手の演技の後の出番で、大声援が響く
中での演技でした。)

その後、個人のSPで、ジャンプのミスが重なり、まさかの
16位。フリーは4つのグループのうちの第2グループと
いう、早い順番で滑ることになります。

という具合に経緯を追ってくると、浅田選手がフリーであ
の奇跡的な演技をするために必要な条件が、SPまでに
すべて整えられていた、そんなふうに私には感じられま
した。

なぜ第2グループで滑る必要があったのか。

それは、会場の「気」が安定した、乱れのない状態でな
ければならなかったからです。

第4、即ち最終グループは、実質的にメダル争いの場
となるため、観客の声援はもとより、その場に関わる
あらゆる存在の発するエネルギーが入り乱れ、演技を
する選手の集中力を奪ってしまいます。

その困難を克服してこそメダル獲得となるわけですが、
浅田選手が一番望んでいたのは、メダルではなかった
と思われます。

もちろん、わかりやすい目標として、金メダルを目指し
てはいたでしょう。

でも、本当に心の底から望んでいたのは、「自分にでき
る最高の滑り」を五輪ですること、だったはず。

それをするためには、最終グループというのはあまりに
「気」の乱れがあり過ぎる場だったのだと思います。
(これは、いい、悪いという尺度で言っているのではあり
ません。時にはそういう場が必要な場合もあるのです。)

こうして、浅田選手が熱望する「最高の滑り」をするため
にまたとない「場」が整えられ、その中で彼女は人生最
高の演技をやってのけたのです。

最終順位は6位。メダルは逃しました。

フリーの得点だけを見ると、全体の3位で、もしSPのジャ
ンプに大きなミスさえなければ、金メダル争いに加わって
いたと思われます。

でも、例えば、もし上位の選手たちの誰もがミスをおかし、
浅田選手自身にもミスが出て、会心の演技とはいかない
ながらも金メダルを獲得したとしましょう。

そういう状況でとった金メダルと、今回のフリーのような
最高の演技と、どちらがより自分に満足できるかといえ
ば、おそらく後者だと思います。

(金メダルは歴史に名前が残るし、喜びを他の人と共有
しやすいということもあるけれど。)


ここからは、「妄想」と言われてしまうかもしれませんが、
私はこんなふうに想像するのです。

浅田選手が今回の五輪のフリーで「人生最高の演技」を
するということは、「大いなる源」の意志によって、彼女が
今世生まれてくる前から決められていたことだった。

フィギュアスケートを始めたことから、バンクーバー五輪
での銀メダルを含め、今まで経験してきたことは、すべて
ソチ五輪のフリー演技のための布石だった。

つまり、彼女の「聖なる計画」を遂行するために、周到に
準備されたことだったのです。(もちろん彼女自身は記憶
にないことでしょうけれど。)

だから、あのSPのジャンプミスも、その壮大な計画という
ジグソーパズルを完成させるための、欠かせない一つの
ピースだったのではないでしょうか。

おそらく私たちの誰もが、それぞれの「聖なる計画」を携
えてこの世にやって来るはず。

その意味では、浅田選手が特別というわけではありませ
ん。

ただ、彼女の今回のフリー演技は、私たちがそんなプラン
を持って生まれてきている可能性を、こんなにも強いイン
パクトを持って想起させてくれた、そんなひとこまだった
のです。

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「仕組まれた失敗」

2014-02-20 16:59:04 | スポーツ
連日ソチ五輪のテレビ中継を観ていると、ここぞという
重大な局面で、痛恨のミスが出るシーンをたびたび目撃
します。

選手にとっては、四年に一度のオリンピックのために、
例えばメダルを目指して注いできたエネルギーが行き場
を失う、残酷な瞬間かもしれません。

人間の視点で観てしまうと、そんな選手たちの胸中を思
うことが、本当に辛くてなりません。

ただそれは、あくまで人間としての視点で観てのこと。

宇宙の、即ち私たちの本質である「大いなる源」の視点
で観れば、「金メダル獲得の歓喜」も「痛恨のミスによる
予選敗退」も、価値は同じです。

「大いなる源」の欲することは、ありとあらゆる経験を通
して、自分自身の本質を知ること。

だから、成功を手にした者にも、失敗をおかした者にも
もちろん、宇宙の「愛」は等しく注がれるのです。


さらに言うと、ある「失敗」が、その人にとって必須の、
予め起こることが決められている、そういう特別な意味
を持つ「失敗」もある。

そう感じたことがあります。

例えば、私自身のことを振り返ってみると、大学受験で
第一志望の4年制私大に合格できず、第二志望の短大
に行き、卒業後は7年間、会社勤め(洋書を扱う書店の
事務の仕事)をしたのですが……

当時の自分としては、大学で4年間勉強したいという
気持ちが強く、短大へ行くのは正直残念な気持ちがあ
りました。

でも、今から考えると、あの時の私には、4年間大学
にいるよりも、むしろ早く社会に出て、社会人としての
自分を確立させることのほうが必要だったのだと思
います(何せ、大のつく「あまちゃん」でしたから)。

その後、結婚・離婚を経験し、日本語教師を目指そう
と一念発起、第一志望だった大学への編入を果たす
ことになるのですが……

日本語教師の職に就いた今も、大学からストレート
に教職というコースを歩むよりも、一般社会を見ること
ができたことは、得がたい経験になったのではと思っ
ています。

もともと短大の2年間だけでは物足りず、もう少し勉
強したかったので、編入後はもう楽しくて楽しくて…
…現役で合格して入るより、ずっと熱を入れて勉強
できたのではないか、とも思うのです。

まあ、そもそも実力不足で不合格になったのだろうと
言われてしまうと、何とも言いようがないのですが…


短大に入ってすぐの頃、私が行きたかった大学のある
新入生の人が、私が受かった短大に落ちたという話を
聞いて、実力以外の、何かこう、「見えない力」という
ものも働いているのかなあ、なんて思ったことを覚え
ています。

そうそう、こんなこともありましたっけ。

非常勤の日本語教師として働き始めた頃、ある時、大
学の指導教官へ個人的な内容のメールを送る際、うっ
かりして、同じ科の関係者のアドレスが何十人分も連
なっている宛先へ送信してしまったのです!

これは大失敗ですよね。

でも、幸い、誰に読まれても特に差し障りのある内容
ではなかったし、おまけに、予想外のことが起こりまし
た。

それは……

この失敗がきっかけになって、新しく非常勤として働
く職場を紹介してもらえたのです。

紹介してくれた人は、同じ科出身の「つぼつぼさん」。
(「つぼつぼさん」については、以前にもブログに書い
ています。2009年2月2日、2010年3月28日、2010年
11月6日、 2013年2月12 日付の記事をご覧ください。)

彼女は当時すでにその職場で教師をしていて、私が
誤って送ってしまったメールを見て、連絡をくれたの
です。

とんだ失敗をやらかしたはずが、なんと新しい仕事へ
の道が開けるとは……

「こんな有難い失敗もあるんだなあ……。」

そう思ったものです。

こんな、私の卑近な例と、五輪のメダルを目指すアス
リートの失敗とを並べて論じるのはおこがましいよう
ですが、私たちがおかすさまざまな失敗の中にはきっ
と、「大いなる源」の意志によって「仕組まれた失敗」
というのがあるに違いないと、私は感じています。

だから……

今回、ソチ五輪中継で目撃したアスリートたちの「失
敗」が、今後どんな展開をみせるのか、しっかりこの
目で見ていきたいと思うのでした。

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上村愛子選手の「今、ここ」

2014-02-13 00:18:19 | スポーツ
職場の学校の期末試験が終わり、閻魔帳の作成とソチ
五輪のテレビ観戦で、完全に夜更かし組に定着の今日
この頃です。

女子モーグル決勝での上村愛子選手の滑り、素晴らし
かったですね。

本人のコメントからも、自分のしたいことがすべてでき
た、達成感いっぱいの気持ちが伝わってきました。

何しろ、滑り終わって、得点を見る前にもう、感動して
泣けてきたというのですから。

順位は4位で、メダル獲得はならなかったけれど……

もうメダルにこだわる必要なんてない、そう言いたくな
るほどでした。

ライバルと競ってトップスリーに入る……それを目指
すからこそ自分のベストが出せるということもあるけ
れど……

人と比べることそのものに、意味があるのではないで
しょう。

それに、メダルを取れば、確かに歴史に名前は残るか
もしれないけれど……

そのことによって感じる満足感は、人からの評価に寄
りかかっているもの。

そこには、「今、ここ」を感じているあなたはいない。

メダルを取ろうと取るまいと、「今、ここ」で完全に充足
する、そんな境地に、今回の上村選手はあったのだと
思います。

もちろん、宇宙的には、金メダルも、そして、スタート前
の負傷による痛恨のリタイヤもすべて、等しく価値を持
つのですけれど。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 


今日の写真も、わが家の裏庭です。

先週末、久しぶりに雪景色になったので撮ってみました。
(先回〔2月4日付〕の写真と同じ所から撮影。)

今日あたりは、もうほとんど融けてしまいましたけれどね。

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敦賀信人選手のキラメキ

2013-12-16 21:43:33 | スポーツ
この冬は、ソチ五輪がありますね。

ウインター・スポーツは何一つできない私、ロージー
ですが、観るのは大好き。

昨夜も、カーリング女子の五輪世界最終予選をテレビ
観戦しました。

日本代表の北海道銀行チームは1位決定戦で中国に
敗れたものの、2位決定戦で見事、ノルウェーに勝利
して、ソチオリンピック出場を決めましたね。

北海道銀行の小笠原選手と船山選手は、すでに二回、
五輪に出場していますが、二人とも結婚、出産を経て
カムバックし、三度目のオリンピック出場を勝ち取りま
した。

私は彼女たちの二度目のオリンピック、トリノ五輪でそ
の活躍を初めて観たのですが、その晴れの舞台で強
豪のカナダを破った感動的な場面が印象に残っていま
す。

オリンピックの試合というのは、人生でそう何度もない
檜舞台といっていいでしょうね。

そこで本来の力を発揮して勝つということは、スポーツ
選手の多くが、ぜひとも経験したいことに違いない。

あの、トリノのカナダ戦のときの彼女たちの歓喜の表
情を見て、そんな思いを強くしたものです。

確かに、あの時の彼女たちは、文句なしに輝いていま
したっけ。


でも私には、あの彼女たちにもましてキラメキを放ち続
けている、ある人物の強烈な記憶があります。

それは、長野五輪男子カーリング・日本チームのスキッ
プ(司令塔)、敦賀信人(つるが まこと)さん。
(ちょうど、昨夜の女子の試合の解説もなさっていました
ね。)

長野五輪当時は弱冠20歳だった彼は、準々決勝をか
けてアメリカと対戦。

4対4で迎えた最終エンドに会心のショットを決めながら、
その直後、相手にスーパーショットを返され、わずか3セ
ンチの差で破れたのですが……

あのときの彼の表情は、16年を経た今もなお、私の中
に、決して忘れることのできない映像として残っています。

その表情を言葉で表現することはとてもできない、と思
えるほどの、一瞬に凝縮された感情がすさまじく胸に迫
ってくる、そんな光景でした。

思えば私は、あの試合をテレビで観てさえいなかったの
です。

ただ、ニュースで、その映像をたまたま観ただけだった
のですが、そのたった一瞬によって、「敦賀信人」の名
は、私の胸に刻まれることになりました。

あのときの彼は、檜舞台での惜敗という、失意の一つ
のかたちを、全身全霊で表現してみせたのです。

それをキラメキと呼ぶことを、彼自身は許さないかもし
れません。

でも……

「すべてなるものの源」は必ずや、彼を祝福するでしょ
う。

勝利の歓喜にむせぶ者と等しく、かけがえのない存在
として。


<追記>
敦賀さんの率いた長野五輪の男子カーリング日本代表
は、五位という素晴らしい成績でした。今回はことさら負
け試合のことを強調して書いてしまったけれど、総合的に
言えば、敦賀さんたちのチームの活躍は称賛に値します。
今回、日本男子カーリングチームはソチ五輪への出場が
叶いませんでしたが、この次はぜひピョンチャンで、敦賀
さんたちのような活躍がみられますように。
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大輔くんの「変化」~NHK杯フィギュアの演技を観て

2013-11-10 17:41:00 | スポーツ
おととい、昨日と、フィギュアスケートのNHK杯を
テレビで観ました。

見どころはいろいろあったけれど、一番心に残っ
たのが、高橋大輔選手のSP(ショートプログラム)。

SPとしては世界歴代2位の高得点という、演技の
出来としても完璧といっていい内容だったのです
が……

演技開始の前、氷上に立ったときの彼の表情に、
思わず引きつけられました。

ジャンプミスの相次いだ三週間前の大会(スケー
ト・アメリカ)の時のそれとは、まるで違っていたの
です。

きりりと引き締まって、りんとした香気を漂わせて
いて、滑る前から、「これはすごいことになりそう」
という予感までしたほど。

そして、演技が始まった瞬間、力強く、痺れるよう
な、それでいてあたたかく包まれるような波動が、
身体に満ちていくのを感じました。

ついに彼は、「本気」になったのです。

もちろん、シーズンの初めから、ソチ五輪に向か
って精力を傾けてきたには違いないのですが……

スケート・アメリカの時点では、まだ、ハートがどこ
か冷めていたのかもしれません。

試合後の、モロゾフコーチからの厳しい言葉が、
そのハートに火を着けたのでしょうか。

おそらく彼は、その瞬間に、変わったのです。

もちろん、私たちはどんな一瞬も変化をしていて、
毎瞬毎瞬違う自分に生まれ変わっているとも言
えるのですが……

高橋選手はその瞬間、変わろう、そう決意し、意
図したのです。

それも、強いつよい気持ちで。

その変化のありさまが、あまりにもあざやかで、
感動的でさえもありました。

まさにそれは、彼のSPのテーマである「希望」を
抱かせてくれるものでした。

私、ロージーも今回、彼のこの演技のおかげで、
「希望」を持つことを思い出させてもらった一人
です。

実は、最近の健康診断の結果、以前からあった
貧血がかなり悪化していることがわかりました。

ヘモグロビンの値が標準の半分ほどしかない状
態になっていたのです。

治療をしても、このままずっと治らないのでは…
…そんな思いが日々募っている、そんなとき、あ
の演技を目にする機会に恵まれたのでした。

私も大輔くんのように、一瞬で変わることができ
る、今はそう信じてみたい、そんな気持ちになっ
ています。

その夜、毎晩一枚ずつ引いているギャラクティッ
ク・ルーツ・カードは、

3 変化(アンドロメダ・パラレル)でした。

さすが、宇宙はすべてお見通し、でしたね。

(ギャラクティック・ルーツ・カードについては「オ
ーラソーマとカード」のカテゴリーに関連記事が
あるので、よろしかったらご覧くださいね。)

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あっぱれ!明子さん

2012-11-23 22:13:30 | スポーツ
さっき、テレビで、フィギュアスケートのNHK杯を見ました。

女子シングル(ショートプログラム)は、浅田真央さんが
トップに立ちましたね。

真央ちゃんの演技も、完成度が高くて、とってもキュート
でよかったけれど……

私としては、その後に滑った鈴木明子さんの演技を見て
いて、うれしい驚きがありました。

何と、これまで彼女が公式戦で見せたことのない、新ワザ
をやってのけたのです!

私の記憶が正しければ、鈴木さんはこれまで、ビールマ
ンポジション(脚を背後から伸ばして、頭上に高く持ち上
げる姿勢)でのスピンは、やっていなかったと思います。

でも、今日のショートプログラムで、まさにそれをやって
のけてしまったではありませんか!

それを見た瞬間、思わずうなりましたね。

両手で脚を保持するビールマンスピンではなく、片手で持
つかたちでしたが、脚はちゃんと背後に高々と上がってい
ました。

すごい!

ビールマンスピンというのは、かなりの柔軟性が要求さ
れる技ですから、トップスケーターの中にも、やらない選
手がいます。

柔軟性というのは、生まれつきの体質も関係するでしょう
から、まだ成長期の年齢ならともかく、大人になりきった
身体でビールマンスピンを新たに習得するのは、きっと
かなり難しいことなのではないかと推測します。

そんな大人の、27歳の鈴木さんが、それを見事にやって
みせるとは……

感動しましたねえ。

思えば去年のNHK杯での彼女は、3回転+3回転のジャ
ンプを試合で初めて決めてみせたのでした。

私の中の、「年齢」という名の限界意識をゆさぶるスケー
ター、鈴木明子。

彼女の進化に、目が離せません。


*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * 


今日の写真は、わが家の庭のドウダンツツジです。

撮影したのは、今日の午後。

本当にきれいに色づいた、いいタイミングで撮ることが
できました。

こうして皆さんに見ていただけて、幸せです。
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4年に一度の里程標

2010-06-20 21:10:07 | スポーツ
また、サッカーのワールドカップのときがやって来ました。

先回のドイツ大会からもう4年経つんですね。

あの頃の自分の状態、今でもよく覚えています。


あれはちょうど、ジオパシック・ストレスから抜け出すきっかけをつかみかけ
ていた頃でした。(ジオパシック・ストレスについては、当ブログのジオパシ
ック・ストレスのカテゴリーをご覧くださいね。)

サッカーに直接関係ない話でごめんなさい。(最近、何でもスピリチュアル
な方面へ持っていこうとしてしまう傾向がありまして…。)

でも、自分にとっては人生での一大変革の時期だったので、忘れることが
できないのです。

ジオパシック・ストレスのせいだと思われる体調不良をどうにか解消できる
手立てはないかと考えた末、その頃たまたま入院していた母のベッドで
試しに寝てみたのです。

ベッドサイドのテレビでワールドカップの試合を観戦しながら。

そうしたら……

翌朝、なんとなく体が軽く感じて……すうっと楽になるのがわかったので
す!

これは、もしかしたら、と思いました。

ジオパシック・ストレスの原因は、自分の今まで寝ていたベッドのある場
所にあるのではないか、と。

つまり、場所のエネルギーが体調不良を引き起こすことがあるのだという
ことです。

この気づきが一つのきっかけになって、目に見えないエネルギー、さらに
はスピリチュアルな世界へと視野が広がっていき……

天使の存在を意識するようにもなりました。

そんな変化のプロセスの記憶が、ちょうどワールドカップドイツ大会の、あ
のイタリア優勝の歓喜の瞬間(フランスとのPK戦でしたね)と重なって甦
ってくるのです。

さらに4年さかのぼった、2002年の日韓共同開催のワールドカップのとき
は、ちょうど韓国で日本語教師をしていましたが……

あの頃はまだ自分の魂の「聖なる目的」なんてこと、頭のどこにもありま
せんでしたっけ。


さて、今度の南アフリカ大会は、その「聖なる目的」に意識を向けた状態
で迎える、初めてのワールドカップといえるでしょう。

それがどうした、と言われてしまうかもしれませんが……

ワールドカップのような、4年に一度しかないイベントの記憶というのは、
自分の生きてきた軌跡を思い起こすためのマイルストーン(里程標)の
ような役割をしてくれることがあるものですね。

ちなみに、今度の大会は私にとって、「国家」という境界、分離を卒業す
るための、ごく初歩段階のレッスンになりそうです。

グループリーグの日本対カメルーン、オランダ戦をテレビ観戦する前、

「日本が勝ちますように」ではなく、

「両チームとも、大けがや退場者なく、全ての選手が実力を発揮した、
いい試合になりますように」と祈ってみました。

結果として、大けがや退場の選手は出ず、かなりいいゲームになった
ことは本当にうれしいことでした。

オランダ戦に日本は勝つことができなかったけれど、見終わった後に
すがすがしさの残る、いい試合だったと思います。

勝敗を度外視して見るなら、それはもうスポーツではない、と言われて
しまうでしょうね。

ただ、競技として競い合うことと、「大いなる源からの分離」は別のこと
であってもいい、そう思うのです。

つまり、競い合いをする意味は、国と国とに分かれてお互いを切り離し
合うことではなく、お互いを高め合うことにある、そう信じたいのです。


ドイツ大会以後の4年という月日は、私にとって、そんなふうに考えら
れるようになるまでのプロセスになりました。

次の2014年のワールドカップのときには、どんなことを考えているの
かな。

皆目わからないけれど……とっても楽しみです。
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