また、サッカーのワールドカップのときがやって来ました。
先回のドイツ大会からもう4年経つんですね。
あの頃の自分の状態、今でもよく覚えています。
あれはちょうど、ジオパシック・ストレスから抜け出すきっかけをつかみかけ
ていた頃でした。(ジオパシック・ストレスについては、当ブログのジオパシ
ック・ストレスのカテゴリーをご覧くださいね。)
サッカーに直接関係ない話でごめんなさい。(最近、何でもスピリチュアル
な方面へ持っていこうとしてしまう傾向がありまして…。)
でも、自分にとっては人生での一大変革の時期だったので、忘れることが
できないのです。
ジオパシック・ストレスのせいだと思われる体調不良をどうにか解消できる
手立てはないかと考えた末、その頃たまたま入院していた母のベッドで
試しに寝てみたのです。
ベッドサイドのテレビでワールドカップの試合を観戦しながら。
そうしたら……
翌朝、なんとなく体が軽く感じて……すうっと楽になるのがわかったので
す!
これは、もしかしたら、と思いました。
ジオパシック・ストレスの原因は、自分の今まで寝ていたベッドのある場
所にあるのではないか、と。
つまり、場所のエネルギーが体調不良を引き起こすことがあるのだという
ことです。
この気づきが一つのきっかけになって、目に見えないエネルギー、さらに
はスピリチュアルな世界へと視野が広がっていき……
天使の存在を意識するようにもなりました。
そんな変化のプロセスの記憶が、ちょうどワールドカップドイツ大会の、あ
のイタリア優勝の歓喜の瞬間(フランスとのPK戦でしたね)と重なって甦
ってくるのです。
さらに4年さかのぼった、2002年の日韓共同開催のワールドカップのとき
は、ちょうど韓国で日本語教師をしていましたが……
あの頃はまだ自分の魂の「聖なる目的」なんてこと、頭のどこにもありま
せんでしたっけ。
さて、今度の南アフリカ大会は、その「聖なる目的」に意識を向けた状態
で迎える、初めてのワールドカップといえるでしょう。
それがどうした、と言われてしまうかもしれませんが……
ワールドカップのような、4年に一度しかないイベントの記憶というのは、
自分の生きてきた軌跡を思い起こすためのマイルストーン(里程標)の
ような役割をしてくれることがあるものですね。
ちなみに、今度の大会は私にとって、「国家」という境界、分離を卒業す
るための、ごく初歩段階のレッスンになりそうです。
グループリーグの日本対カメルーン、オランダ戦をテレビ観戦する前、
「日本が勝ちますように」ではなく、
「両チームとも、大けがや退場者なく、全ての選手が実力を発揮した、
いい試合になりますように」と祈ってみました。
結果として、大けがや退場の選手は出ず、かなりいいゲームになった
ことは本当にうれしいことでした。
オランダ戦に日本は勝つことができなかったけれど、見終わった後に
すがすがしさの残る、いい試合だったと思います。
勝敗を度外視して見るなら、それはもうスポーツではない、と言われて
しまうでしょうね。
ただ、競技として競い合うことと、「大いなる源からの分離」は別のこと
であってもいい、そう思うのです。
つまり、競い合いをする意味は、国と国とに分かれてお互いを切り離し
合うことではなく、お互いを高め合うことにある、そう信じたいのです。
ドイツ大会以後の4年という月日は、私にとって、そんなふうに考えら
れるようになるまでのプロセスになりました。
次の2014年のワールドカップのときには、どんなことを考えているの
かな。
皆目わからないけれど……とっても楽しみです。
先回のドイツ大会からもう4年経つんですね。
あの頃の自分の状態、今でもよく覚えています。
あれはちょうど、ジオパシック・ストレスから抜け出すきっかけをつかみかけ
ていた頃でした。(ジオパシック・ストレスについては、当ブログのジオパシ
ック・ストレスのカテゴリーをご覧くださいね。)
サッカーに直接関係ない話でごめんなさい。(最近、何でもスピリチュアル
な方面へ持っていこうとしてしまう傾向がありまして…。)
でも、自分にとっては人生での一大変革の時期だったので、忘れることが
できないのです。
ジオパシック・ストレスのせいだと思われる体調不良をどうにか解消できる
手立てはないかと考えた末、その頃たまたま入院していた母のベッドで
試しに寝てみたのです。
ベッドサイドのテレビでワールドカップの試合を観戦しながら。
そうしたら……
翌朝、なんとなく体が軽く感じて……すうっと楽になるのがわかったので
す!
これは、もしかしたら、と思いました。
ジオパシック・ストレスの原因は、自分の今まで寝ていたベッドのある場
所にあるのではないか、と。
つまり、場所のエネルギーが体調不良を引き起こすことがあるのだという
ことです。
この気づきが一つのきっかけになって、目に見えないエネルギー、さらに
はスピリチュアルな世界へと視野が広がっていき……
天使の存在を意識するようにもなりました。
そんな変化のプロセスの記憶が、ちょうどワールドカップドイツ大会の、あ
のイタリア優勝の歓喜の瞬間(フランスとのPK戦でしたね)と重なって甦
ってくるのです。
さらに4年さかのぼった、2002年の日韓共同開催のワールドカップのとき
は、ちょうど韓国で日本語教師をしていましたが……
あの頃はまだ自分の魂の「聖なる目的」なんてこと、頭のどこにもありま
せんでしたっけ。
さて、今度の南アフリカ大会は、その「聖なる目的」に意識を向けた状態
で迎える、初めてのワールドカップといえるでしょう。
それがどうした、と言われてしまうかもしれませんが……
ワールドカップのような、4年に一度しかないイベントの記憶というのは、
自分の生きてきた軌跡を思い起こすためのマイルストーン(里程標)の
ような役割をしてくれることがあるものですね。
ちなみに、今度の大会は私にとって、「国家」という境界、分離を卒業す
るための、ごく初歩段階のレッスンになりそうです。
グループリーグの日本対カメルーン、オランダ戦をテレビ観戦する前、
「日本が勝ちますように」ではなく、
「両チームとも、大けがや退場者なく、全ての選手が実力を発揮した、
いい試合になりますように」と祈ってみました。
結果として、大けがや退場の選手は出ず、かなりいいゲームになった
ことは本当にうれしいことでした。
オランダ戦に日本は勝つことができなかったけれど、見終わった後に
すがすがしさの残る、いい試合だったと思います。
勝敗を度外視して見るなら、それはもうスポーツではない、と言われて
しまうでしょうね。
ただ、競技として競い合うことと、「大いなる源からの分離」は別のこと
であってもいい、そう思うのです。
つまり、競い合いをする意味は、国と国とに分かれてお互いを切り離し
合うことではなく、お互いを高め合うことにある、そう信じたいのです。
ドイツ大会以後の4年という月日は、私にとって、そんなふうに考えら
れるようになるまでのプロセスになりました。
次の2014年のワールドカップのときには、どんなことを考えているの
かな。
皆目わからないけれど……とっても楽しみです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます