Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

木曽路⑤ 「馬籠宿」(5)

2012年08月22日 17時02分58秒 | 国内旅行記

馬籠宿の坂道の合間で。両脇は深い谷。この中山道は山の背にあるような。

ここが宿場の終点。一番高いところです。
最近は中山道を歩く人が殆どいなくなったと愚息の義理の父上が嘆いておりました。
因みに彼は山男。中央・南・北アルプスは殆ど登りつくしたらしい。いざとなったら
ボクをしょって中山道を歩いてくれるかしら(笑)

てな訳で、近頃の馬籠宿巡りはこの地点でバスを降りて、そのまま下り道を散策。
麓にたどり着くとそこにはバスが待っているという寸法。きゃは、これでは全くの
一方通行。土産物屋さんもとてもやっていけないんじゃないかしら。
ボクのように早朝から坂を上ったり下りたりなんて観光客はホントに少なくなった
ようです。まぁ、ボクも写真撮影のことがあるので、行ったり来たりしているような
もので、カメラを持たねばそのままかも知れません。

この道はどんどん山の上(撮影している後方)に続いており、歩き続けると木曽路の
もうひとつの宿場町「妻籠(つまご)」に続きます。このブログをご覧の方で、昔この
道を辿って両方の宿場町を散策した方が結構いらっしゃったのにはちょっと驚き
でした。確か8KMの山道であったか。

ボクが一番上の写真を撮影した横にはこんな高札が。昔の幕府の告知板ですね。
こういう高札って、文章を読んでみると当時の庶民の生活がわかってとても興味
深いものがあります。

その中の一枚。キリシタン禁制に係わるお触書が。なんと密告の奨励文です。バテレン
を訴えれば銀500枚ですって。今の貨幣価値でどのくらいになるのかしら。かなりの
一財産じゃないかしら。

妻籠に向かう中山道です。この辺りに記念碑があり、大きな広場がありました。「陣場」という
名称がつけられています。

ことの言われは1547年(天文16年)に伊那軍が馬籠城攻めの際にここに陣を敷いた、また
家康軍が小牧・長久手の戦の際にここで陣を敷いたことに由来するそうです。現在は展望台
として整備され、藤村の父、正樹さんの歌碑が設置されたりしています。

この展望台から見た南アルプス。中央が恵那山。2191Mの高峰で、父上の話では岐阜から博多まで
この山を越す高さの山はないそうです。尚曰く、登山家の彼でもこの山には登ったことがないんだと。
何故なら、山頂まで樹林帯が続いて全然景色が展望できないんだそうです(苦笑)

来る時は中央高速道路でこの山の中を文字通り通ってきました。恵那山トンネル。1975年開通当時
は日本一長いトンネルでありました。いやぁ、いくら走っても出口に全然たどり着かない(笑)そのまま
出られないんじゃないかと心配しましたよ(爆)

なんと長さが約8.5kmもありました(上下線で100M弱長さが違います)。

さて馬籠宿はこれでサヨナラ。今回の帰り道は妻籠宿に立ち寄りました。また別途そちらを
ご案内しますね。

 

 

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MINIチャリ散歩:お鷹の道②

2012年08月22日 08時37分44秒 | MINIチャリ散歩

お鷹の道から国分寺崖線方向に向かう小道。こちらにも水路が。 

この小道に赤い鳥居があり、その奥には小さなお社がひっそりと。この社の両側には
湧き水で出来た小さな池が。

これを「真姿の池」と言います。

これの命名は847年、当時絶世の美女といわれた玉造小町が病によりその容姿を失い、
国分寺の薬師如来にすがったところ童子が現れ、この水で身体を洗えとご宣託があり、
小町が従うと7日後に元の容姿を取り戻したという伝説に基づくもの。

真姿の池の前を流れる用水。写真の先は何回も登場した「国分寺崖線」ですが、
擁壁の石積みの間から水が染み出て小川を形成しています。

冷たい水で手と顔を洗って。息を吹き返した感じです。
東京で古代を知る珍しい小旅行のMINIチャリ散歩でありました。 

 

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