風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

みやけじま『風の家』 (三宅島)

2010-03-14 | 東京

みやけじま『風の家』を訪問しました。


帰島支援事業や復興支援事業を行っている東京災害ボランティアネットワークが、帰島の年に運営を開始したそうです。
伝統的な建物は、釘一本使っていない関東大純(おおすみ)流で、棟梁が島に住んでいるそうです。
日本建築学会の三宅島研修所にもなっているそうです。

市民活動のレベルで、地域コミュニティとしての人の結びつきをはかる場所で、島民の憩いの場であり、島民、旅行者などの交流の場として存在しているとのこと。
風の強いこの島では「明日はどんな風が吹くか?」という挨拶がされるそうで、それが名前の由来となっています。


ボランティアの女性が、帰島後の復興作業の話をしてくれました。
噴火により、鉄ものが全て錆びてしまい、TVもお金も使えなくなったそうです。
更に換気扇が落ちて、そこから野生動物が家に入り込み、中を荒らされてしまったとのことでした。
でも住み慣れた土地は離れたくない気持ちが強く、島の中でももっと便利な場所に家を再建したいと望んでも、旦那様は昔と変わらぬ山の中腹辺りの、少し不便な所を希望して、結局同じ地区にまた家を建てたそうです。
大変なことは分かっていても、それでも住み慣れた土地に戻りたいという気持ちを感じました。


みんなで記念撮影。ここでも明日葉をたくさんいただきました。
お茶を飲みながらのおしゃべり交流をする、ソフト面の復興を目指したこの場所は、島民の心のよりどころとして、これからも大切な場所となっていくことでしょう。


火山体験遊歩道 (三宅島)

2010-03-14 | 東京


旧阿古小中学校溶岩埋没跡にそって、遊歩道ができていました。
見渡す限り溶岩です。その上を歩いていくと、何とも言えない不思議な感覚になりました。


波音が聞こえてきそうな静けさに包まれ、目の前には山、背後には海がある、風光明媚な場所ですが、歩いているのは、黒い溶岩原となった一帯です。
不毛な地のようですが、溶岩の中からどっこい芽を出している草を見つけて、希望が出てきました。
でも、副村長さんが結構雑草を抜いていました。あれ、抜く草と抜かない草があるのかしら…?


朝の散歩・旧阿古小中学校溶岩埋没跡 (三宅島)

2010-03-14 | 東京


集合の時、なぜか女性人より男性陣の方が荷物が大きくて、(変なの~)と思っていたら、みんなお酒を運びこんでいたようで、その日の晩は、宴会で遅くまで盛り上がっていたようでしたが、ワカさんと私は、温泉でガールズトークもしていたので、早々と寝に就きました。

翌朝は、食事前に散歩してみました。
昨日のふるさとの湯とは逆方向に歩いて行ってみました。
すると、三宅村役場(臨時)があり、「気象庁 三宅島火山防災連絡事務所」が設置されていました。
まあ、プライベートの時間なのに、視察のような場所に来てしまったわ。


旅館夕景の前を通りました。こちらに青山先生はじめ、宿泊している人たちもいます。まだみんな寝ているのか、建物全体がシーンとしていました。
赤い屋根の旅館の向こうに広がる白い立ち枯れの杉林、その向こうに見える青い海、という色のコントラストが、目に鮮やかでした。

そういえば、風が吹きあえれる島ですが、花粉症は発症しないそうで、誰もくしゃみをしていませんでした。
だって、杉は全部、枯れてしまったから、もう花粉は出ないんです…(ああ、悲しい理由)


海まで行きました。大波がザッバーン、ザッバーンと、しぶきをあげて押し寄せます。
ここは夕景浜というロマンチックな名前がついていますが、見慣れないゴツゴツした火山岩の海岸は、海に来た時の心ほどける開放感が味わえず、なんだか落ち着きません。
一台の車が、海のところで停まりました。
朝の海を見にきた地元の人なんでしょうけれど、ワカさんと私で「まさかあの人、自殺しないかしら?」と、気にしてしまいました。

● 旧阿古小中学校溶岩埋没跡 (三宅島)


この日の視察で、まずここを訪れました。
以前訪れた時から、ずっと忘れられずにいた衝撃的な場所です。


1983年(昭和53年)の噴火で、ここ阿古集落は400戸埋没しました。避難時間は1時間しかなかたそうです。
真っ黒の溶岩に破壊された校舎。10mほど埋もれています。校舎は、今ではコンクリの部分しか残っていません。


噴火を知った1300人ほどの阿古地区の住民は、いったん小学校に避難しましたが、溶岩流が流れて来るとわかり、間一髪で安全な場所に再避難したそうです。
限られた時間だったにもかかわらず、犠牲者は出なかったとのことで、島民の日頃の危機避難意識が高いことがうかがえました。


ふるさとの湯・ペンションサントモ (三宅島)

2010-03-13 | 東京

以上で、この日の視察は終了。結構たくさん見学しました。
衝撃的な光景をたくさん目にしたので、心身をいやそうと、島の温泉に行くことにしました。
宿から歩いてすぐの「ふるさとの湯」は、島に来るたびに訪れている場所です。
ダイビングの時などは、海水まみれになるため、1日2回行ったりしました。


火山系温泉なので、少し硫黄のにおいがしますが、しばらくつかっていると、身体がぽかぽかしてきて、とても温まります。
ワカさんと、露天風呂にじっくりつかりながらお喋りをして、リフレッシュできました。


温泉は、海沿いにあり、かなり荒い波が立っていました。
明日の帰りのフェリーがちゃんと出るのか、気になります。

時折、ピンポンパンポーンというアナウンス音がして「こちらは村役場です。ただ今、○○地区に火山ガスが発生。レベル○が発令されました。屋外にいるかたは、ガスマスクをして、屋内に避難してください」と放送が入りました。
24時間の監視体制を行っており、たとえ夜中でも、島内警報は流れるそうです。
まだこの島での災害は終わっていないことを、ひしひしと感じました。


今回の宿としてお世話になった、ペンションサントモ。
実は、始めて島を訪れた時も、このペンションに泊まりました。
噴火後、ずっと安否が気になっていたので、今回訪れて、変わりない外観を見て、とっても感激しました。


南国風の白壁に、パティオ。夏には塀にブーゲンビリアが花を咲かせます。


パティオにあるガジュマルも、ブランコも、以前と変わりなく、嬉しくなりました。
置かれているのは、お土産にもらった明日葉です。


サントモは、以前も同行ダイバーさんが「ここの食事はおいしいですよ」と教えてくれましたが、今回も、変わらぬ美味しい食事を出してくれました。
海の幸づくしで、すくすくヘルシーになれそう。先ほどの明日葉が、さっそくおひたしになって出てきました。


サントモの女将さん、あつこさんに、「12年前もお世話になりました」と話したら、「12年? 12年!」と、とっても喜んでもらえて、傍にいた副村長にその話をされ、こちらもさらに嬉しくなりました。

「前と比べて、どっか変わった?」と聞かれて、「食堂がおしゃれになりましたね」と言いました。
食堂は、デザインドミラーを壁にはめ込んで、カフェテリア形式にリフォームされていましたが、外観も、建物内部のロビーも、全く以前と変わらぬままでした。

もちろんあつこさんも変わっていません。
帰りの時には、一緒に記念写真を撮りました。


三七山展望台・アカコッコ館・大路池(三宅島)

2010-03-13 | 東京


はじめ、予定表に「椎取(しいとり)神社」とあるのを見て、「みんなで神社にお参りするのかしら?」とつぶやいたら、ワカさんに「噴火の被害に遭った場所だって、説明会で言っていましたよ!」と指摘されました(すみません…)。

神社のそばまで行ってみましたが、特段変わった点は見られません。
一体なんでしょう?


左側の方に案内され、行ってみると、そこには信じられない光景がありました。
鳥居が、地面に埋没しています。かろうじて、頭の部分が見える程度です。
神様をお祀りする神聖な場所が、こんな姿になってしまったなんて…。
ショッキングでした。村人は、心の拠り所の変わり果てた姿を見て、私以上に衝撃を受けたことでしょう。

噴火で山から流れてきた火砕流、泥流に、神社が埋まってしまったのです。
最初に見たのは、新しい神殿でした。
神様の領域でさえ避けられない、火砕の凄まじさを目の当たりにしました。
木々はすべて立ち枯れてしまいましたが、この鳥居はコンクリ製だそうです。 

● 三七山展望台 (三宅島)


ここは、昭和37年の噴火で、火山灰が降り積もって出来た山なので、三七山と言われています。
前方に見えるのは、昭和15年の噴火で、一夜にして海中から吹き上げた山で、ひょうたん山と言われます。

どちらも、噴火でできた場所。三宅島は、噴火が起きるたびに、地形が変わっていくんですね。

あまりの風の強さに、バスの陰に隠れていたので、写真を取り損ねましたが、右手にはサタドー岬が見えました。
サタドーとは「地獄」という意味です。12年前の日記にも書いてありました。
とても波が荒く、地獄を連想させるからだそうです。
青山先生曰く、かつては異国の人が漂着してそのまま住みついたこともあったようで、おそらくインド系の人が言い出したのだろうとのことでした。

近くには地獄谷があり、少し離れたところには仏沢もあります。

 

● 三池港 港湾施設


フェリーがついた三池港へ行きました。ここは今までにも何度も使った港です。
左側にあるのがフェリーターミナルですが、以前よりもずいぶんくすんでいました。
右側の山肌では、崖が土砂崩れを起こさないよう、ネットをかけて工事中でした。


港では、フェリーに乗ったクレーン車が、テトラポットを吊上げていました。
少しでも荒波を防ぐためでしょう。
強風のため、緑色の床の所しか歩く許可が下りず、遠くからの撮影となりました。

● アカコッコ館


島の野鳥保護センター、アカコッコ館へ行きました。
三宅島は、別名バードアイランドといわれるほど野鳥の多い場所で、アカコッコを初め、国の天然記念物となる野鳥も数種生息しています。
アカコッコとは、三宅島など、伊豆七島に生息する野鳥の名前です。


今回は、センターの人の解説つきでした。
前回訪れた時には、アカコッコを見られなかったので、今回に期待しましたが、やっぱり姿を現しませんでした。
でも、飼育はしていない所に、人間に合わせて無理をさせない、自然な形での野生生物保護活動が見えました。

● 大路池 


アカコッコ館から山道をどんどん降りて行った場所にある大路池(たいろいけ)。
みんなで「こんなに下ったら、帰りの上り道が大変だね」と、ビクビクしながら歩いて行きましたが、筋肉痛覚悟で行った甲斐がありました。
とっても美しい湖でした。


数千年前の噴火の時、水蒸気爆発により火口跡に水がたまって形成された火口湖です。
周囲2.1kmで、一面シイの木などの原生林に覆われています。


立ち枯れの木々はあるものの、他に比べて火山ガスの影響は少なく、緑に包まれた、ヒーリング効果の高い場所でした。
ショッキングな噴火の爪痕ばかり見てきた私たちは、この豊かな自然の恵みを見て、心癒されました。
ああ、私の覚えている島の記憶と、ようやくピッタリ合う場所を見つけたわ。

 

● 新澪池跡


新澪池(しんみょういけ)は、何百年も昔の噴火の際、火口に水がたまってできました。
七色に色が変化するという美しい神秘的な池だったそうです。

ただ、ある日大規模なマグマ水蒸気爆発が起き、池は瞬時に吹き飛び、消滅したそうです。
その後は、どんなに大雨が降っても、水は一切たまらなくなったそうな。

覗いてみると、少しへこんだ盆地のような場所に、今では草が青々と生い茂っているばかりでした。
でも、池が一瞬で消えるなんて、そんなことあるんですね。
昔国語の時間に習った、中国のさまよえる湖、ロブ・ノール湖を思い出しました。


ここでみんなで記念写真を撮りました。

2000年の噴火の時、人家に流れ込んだ土石流をどこに持って行こうという時、この池跡も候補に選ばれたようですが、名前の美しさなどもあり、結局実行には移されなかったそうです。
名前って大事なんですね。