(動画あり、5分30秒)
空爆から75年、日豪和解の軌跡「日豪友好のさきがけ~日本が空爆した街の復興に尽くした日本人」
(国際報道2017[WORLD LOUNGE] |NHK BS1 ワールドウオッチング)
1942年2月19日に、旧日本軍がオーストラリア・ダーウィンに大規模な空爆を行い、
被害を受けて沈んだ船はそのまま放置されていたが、
約10年後、藤田柳吾さんは引き上げに協力し、交流を深めたそうです。
兵庫県芦屋市にある、藤田さんの墓標は、船のスクリューのプロペラでできていて、
空爆から75年の今年、和解の歴史を伝えるための記念碑にしたいという、
オーストラリアからの要請を受け、息子さんによって
墓標はダーウィンへ移されることになったそうです。
日本のオーストラリア空襲(Wikipedia)
”日本軍が空襲した目的は、日本軍がオランダ領東インド諸島を占領したのに対抗しようと
連合国軍が北オーストラリアにある各基地を使用するのを妨害するためだった。”
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知らないことばっかりだなー