このまえ。
「移動支援」で、特別支援学校に中学部の女の子をお迎えに行って、一緒にバスに乗って駅へ。
ホームでその利用者さんと電車を待っていると。
同じ学校の高等部の女の子たちが、いろいろと“この状況”について、質問してきてくれました。
「これからどこに行くんですか?」
「ヘルパーさんが一緒に行くの、お金がかかるのですか?」(←利用料のこと)
「電車代はだれがはらうのですか?」
「どうしたら一緒に行ってもらえるんですか?」
「おかあさんが申し込まないとだめなんですか?」
「ほかの人はどんなところ、行ってるんですか?」
「ぜんぶでおかね、どのくらいかかるんですか?」
↓
私。
「これから、電車で松戸に行って、おやつ食べてくるよ。」
「こういうサービスを使うのには、お金が1回数百円かかるよ。」
「申し込みは、おかあさんたちがしてくれてるよ。」
「カラオケでも映画でも、なんでもいいんだよ。マンガ喫茶行く人もいるよ。」
などなどと答え。
↓
「へぇ~~~。」
「いいなーーーー。」の合唱。
↓
私。
「みんなは、お話もできるし、一人で電車にも乗れるし。
○○ちゃんはひとりじゃできないことが多いから、ヘルパーさんがお手伝いしてるよ。」
↓
すると・・・
「知ってるところ以外は、電車乗れないし、一人じゃ行けないです~。」
「学校以外ではなかなかみんなとあそべないし。」
「カラオケ、一人で行ってもつまらないじゃないですか。」
「いいな~~。」
そうですよね・・・
一人で学校に通えて、お話もできて、お友達ともある程度コミュニケーションが取れて。
でもなんらかの“特別な支援が必要で”特別支援学校に通う子たち。
児童のサービスの場合、利用動機として「親御さんの都合」がそのほとんどだから。
親御さんに都合があっても、“ひとりで”上手に過ごせる子たちは、サービスを使わないで済むわけで。
自分の高校時代を思い出してみると、毎日のように、友達とどこか寄り道していましたね。
だからこそ。
あまりにもまっすぐな瞳で「いいなぁーーーー。」と言われて。
そうだよなー。私は君のために何ができる?って思ったり・・・。
そこにある“不自由さ”に応えるのは、「移動支援サービス」でもないと思っています。
じゃぁ、なに?
でも、その選択の権利も「家族」だと知っている彼女たちに、またあれこれ考えさせられます。
「移動支援」で、特別支援学校に中学部の女の子をお迎えに行って、一緒にバスに乗って駅へ。
ホームでその利用者さんと電車を待っていると。
同じ学校の高等部の女の子たちが、いろいろと“この状況”について、質問してきてくれました。
「これからどこに行くんですか?」
「ヘルパーさんが一緒に行くの、お金がかかるのですか?」(←利用料のこと)
「電車代はだれがはらうのですか?」
「どうしたら一緒に行ってもらえるんですか?」
「おかあさんが申し込まないとだめなんですか?」
「ほかの人はどんなところ、行ってるんですか?」
「ぜんぶでおかね、どのくらいかかるんですか?」
↓
私。
「これから、電車で松戸に行って、おやつ食べてくるよ。」
「こういうサービスを使うのには、お金が1回数百円かかるよ。」
「申し込みは、おかあさんたちがしてくれてるよ。」
「カラオケでも映画でも、なんでもいいんだよ。マンガ喫茶行く人もいるよ。」
などなどと答え。
↓
「へぇ~~~。」
「いいなーーーー。」の合唱。
↓
私。
「みんなは、お話もできるし、一人で電車にも乗れるし。
○○ちゃんはひとりじゃできないことが多いから、ヘルパーさんがお手伝いしてるよ。」
↓
すると・・・
「知ってるところ以外は、電車乗れないし、一人じゃ行けないです~。」
「学校以外ではなかなかみんなとあそべないし。」
「カラオケ、一人で行ってもつまらないじゃないですか。」
「いいな~~。」
そうですよね・・・
一人で学校に通えて、お話もできて、お友達ともある程度コミュニケーションが取れて。
でもなんらかの“特別な支援が必要で”特別支援学校に通う子たち。
児童のサービスの場合、利用動機として「親御さんの都合」がそのほとんどだから。
親御さんに都合があっても、“ひとりで”上手に過ごせる子たちは、サービスを使わないで済むわけで。
自分の高校時代を思い出してみると、毎日のように、友達とどこか寄り道していましたね。
だからこそ。
あまりにもまっすぐな瞳で「いいなぁーーーー。」と言われて。
そうだよなー。私は君のために何ができる?って思ったり・・・。
そこにある“不自由さ”に応えるのは、「移動支援サービス」でもないと思っています。
じゃぁ、なに?
でも、その選択の権利も「家族」だと知っている彼女たちに、またあれこれ考えさせられます。