小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

最後の一日の幸福の……常舌礼賛宣言

2006-12-15 16:30:04 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
ずいぶんほったらかしで、何度も復活を宣言しながらそのままの「食べ物・飲み物」カテゴリーの再生に、何年か前のある秋の日に、口にするものについて考えたことを。

目覚めるのは時間が早く過ぎる午前中が終わりそうな11時台。
きっとよくあるように前の晩の酒でのどが渇いているから、それを潤すのは水が一番いい。何も遠くから持って来なくても、30年くらい前の家で出ていた、少し鉄のにおいがして粘り気のある井戸水を、蛇口から出してすぐに飲み干す。
ちょっと新聞を読んで、いやいや今回は口にするものだけに絞ろう。少ししたら前の畑で、ねこと話しながら02年に祖父が植えてまだまだ拡張を続ける分け葱のちょうどいい太さのやつを一本抜いて、帰りには物置から何ヶ月か経って少しだめになりつつあるくらいのじゃがいもを一つ手に取る。それから何でもいいから鰹節を入れてお湯を沸かして、うん、これも新しければ何でもいいから大根もほしい。「大地のりんご」と「絶対に当たらない」根っこ二種と、乾燥でいいからワカメを入れてぐつぐつ煮立て、じゃがいもの角がが粉になってお湯に広がり始めた頃に火を弱くして、ここでネギを切る。
味噌は白かこうじか迷うけど、思い切ってこうじ。大根だけなら白だけど、じゃがいももいればこうじがいい。味噌が広がったら火を止め、ちょっと待っててもらう。いつものように仏壇に置いて、あの世の家族たちににおいだけかがせよう。
いよいよ主役納豆殿の登場。おっと、冷蔵庫の場合は台所に来た時点で出しておきたい。銘柄はこれも時代を超えよう。今はない、1985年頃の朝日食品の「水戸納豆」でお願いしたい。すでにミツカンに含まれている、赤い骨何とかもそう悪くはないが、やはり学生時代によく食べた、糸の引きがいいのにかき回して崩れず、しかも歯で噛むと見事に歯のかたちに二つに分かれ、その上根元は太いのに中ほどで緩やかに細くなる、いとおしい糸が伸びるこの銘柄を選ぶ。
最初は気が済むまでかき回して糸との語らいを楽しんだ後、青海苔を一叩き、あまり味はしないけど付属のからしももったいないから使い、足りない分はS&Bのチューブで補足。これは批判があるかもしれないが、味の素も少し振ろう。私の舌は、このグルタミン酸ナトリウム美に馴致されているのだ。
箸にかかる抵抗力が頂点に達し、白っぽい糸がもう我慢できないという表情を浮かべる時、いよいよ永遠の恋人たる醤油と出会う。1985年頃の朝食にはまだなかったちょっと甘いあのたれは今でも使わない。見事な醤油色で化粧した水戸納豆は少し泡を吹きながら、窓から差し込む光の中で恥ずかしそうに肌の色を変える。途中、前の畑の粘土質の賜物たる葱を加え、いよいよ納豆人生最高の瞬間に近づく。
ご飯は、適当な水加減で、できれば炊きたてなら文句はない。大き過ぎない薄手の茶碗にきれいに盛って、ここで個人的に「なっこメディア」と呼ぶ、納豆とご飯を取り持つ一品をご飯に。うむ、これも二品許してもらうなら、あの瓶の蓋が紙で包まれて飾り針金で巻いてある岩のりと、これもグルタミン酸ナトリウム美の極致、信州のなめ茸を半分ずつご飯にかけ、味噌汁のお椀と納豆の小皿とともに食卓へ馳せ参じる。
陽の当たる食卓で、海苔色と茶色に彩られたご飯をここで少しだけ味わって炊け具合をチェックし、口に含んだらすぐ溶けるじゃがいもとやや硬さが残る大根を味わった後で、いよいよ納豆がご飯に乗る邂逅の時。これ以上はない粘度を持ったあの豆どもが緩やかに着地していく様は、すべての食べ物の中でも最も美しい形態だと思う。その白いご飯と赤茶色の色合いとともに。
納豆の豆は歯を真っ直ぐに当てて噛む。するとその柔らかで気持ちのよい感触とともに、これ以外では味わえない独特の魔力が口中を捉え、静かな、その魅力にもっともふさわしい咀嚼を促す。舌にまだ残るうちに味噌汁を含むと、その味わいは水平方向に広がっていく。
ご飯を少しずつ崩しながら、二つの「なっこメディア」のバランスも取りながら。茶碗とお椀は少しずつ軽くなっていく。こうした食事は、基本的に最初の時間から少しずつ、幸福な傾きでデクレッシェンドするものだ。最初の興奮が静かな満足感に置換されきった瞬間、奇蹟的な十分ほどは終結する。
ああ、おいしかったなと思って食器を片付けて、ここで飲みたくなるのは、批判も多いだろうが牛乳だ。ほとんどない脂肪分をからだが欲するのかも。牧場で飲む牛乳のおいしさは十分承知だが、これもできるだけ工夫なく成分未調整に近い、スーパーで一番安いのでパックを開けたてならそれでいい。
これで第一食完了。現在ならサンスターのオーラ2、廃盤になっているものを選んでいいなら資生堂が昭和の終わりに出したメディック・ハーバルを使い、エビスのDATE PLUSで歯を磨く。これも「口に含むもの」の仲間だ。

午後休みはコーヒー。これはもう決定的な銘柄指定がある。
豆は苦味が強く味わい深いキャラバンのマンデリン。電動ミルでいいからちょうどよく挽いて、よく沸かしたお湯で、メリタのドリッパーで落とす。
最初にお湯で豆を浸して、ふわっと広がる美しい姿を楽しむ。約十秒後してお湯を加えていくが、ちょうど一杯分が落ちた時点でもう一杯分がドリッパーに残るタイミングが理想だ。少しずれても後悔するから注意。
注ぎ終わったら残りのお湯でカップを温める。カップはヨーロッパテイストの薄手のソーサーつきもいいが、ここは塾内で使用の、トリュフォー『ピアニストを撃て』その他でよく見て似たようなのを探した、和風茶碗、別名ヌーヴェルヴァーグカップで。冷めやすいのが弱点だが、ゆっくり味わいながら、それでいながら早めに飲み干す。

晩は外食で一番好きなラーメン屋。学生時代に週五回は食べてた三鷹江ぐちで。
まず注文。いとおしい二十年前から変わらないイスに腰かけ、ビールとつまみチャーシューを頼んで、「後でたけのこもやしそばで半熟たまご入りを」と。久住昌之さんの本でいう「タクヤ」はよく、「たけのこそばかな」と指定してくれていたな。
TBSラジオがかかる中、タクヤか誰かが麺を茹でながら常連さんとの話するのをききながらキリンのラガーで、これは世界一の味と歯ざわりを持つメンマと、こっちはほかにもおいしいのが多いから東京でもあまり上位にには入らないだろうけど、品質の不揃いさが楽しい「チャシュー」に、粒子から誰が見ても味の素がJT食卓塩の瓶に入ったのをふんだんにかけ、甘さのないたれなのか醤油なのかをかけた小皿で麺を待ち、自分の麺が茹でられるのを待つ。見事な麺さばき、半熟たまごの妙技を堪能したらいよいよ、へいお待ちとラーメンが届く。
たまごの香りが強いそばのような色の麺、一日二回食べても平気な野菜たっぷりのスープ、このすばらしい小宇宙。まず少しスープをすすってカーッ、うまい、ほかにはない歯触りを感じてウーン、すごい。でも、この店は品質にばらつきがあるから、案外よくない日に当たるかも知れないな。
いずれにしても、無我夢中の一杯。途中でビールはなくなり、とげとげしい味の三鷹の水道水も味わっておかなきゃ。いつまでも終わらないでほしいと願いながらもそうもいかず、やがて麺とスープを同時にほぼ終わらせ、さみしさと満足感が入り混じる幸福のひと時。毎度ありぃ、とタクヤにいわれてごちそうさまです。外に出ると、街並みは変わっても意外に変わらない三鷹の空気。

都合よく場所は飛ぶが、その後に家か塾で紅茶も飲もう。
これは数年前に知った、これまたキャラバンのダージリンで。ポットは葉がよくダンス可能な深いタイプを、カップはけっこう白っぽい日本茶用で飲むのが好きだ。ともあれ、そのマスカットフレバーが楽しめれば十分。

そして家に帰って風呂に入って、ねこといっしょの夜食。このメニュー選びは難しい。
まずビールはキリンのラガー。やはり瓶がいい。メニューは秋の生の頃のさんまの塩焼きと、ちょっと時期が変わるが前の畑の長葱を鍋で食べたい。葱はねこにやれないので困るのだけど、これは想定だから勘弁してもらおう。葱が昆布でほどよい柔らかさになっていれば十分でも、ちょっとさびしいから豆腐も加えよう。これも湯豆腐なら木綿であれば何でもいいが、今買えるものではベルクで売っている粒子が絶妙の98円大山豆腐がベスト。
さんまの塩焼きはもちろん大根おろしと一緒に。前に「これがないと食べられないもの大賞」を選んだ時、納豆のからしをおさえて、さんまの塩焼きの大根おろしを大賞と選定した。醤油はかけません。できればレモンも、すだちじゃなくていい。
さんまがいいのは、どこどこのがいいとかがないこと。太平洋側ならどこでも獲れて、そういうのを食べたことがないからわからないけど、獲ってすぐでもあまり味が変わらなそうなところも内陸住まいには嬉しい。
焼きあがって表面の脂肪がぐちゅぐちゅいったところの魅力は焼き魚中一番で焼肉にも劣らない。ルール通りに頭を左にして、昔は完璧に開いてから、高校の友人H君いわく「偏差値75」の開き技で開いてから食べていたが、緒方拳がキリンのCFで食べているのを見てから開かずに食べるようになった。この方が温度が保存されておいしい。そういう味のためなら、ハイテクニックも潔く捨てるのが正しいだろう。
最初に箸をつけるのは、えらから少し尻尾よりの下、内臓の部分。肝臓はじめ内臓はさめないうちがおいしい。寄ってくるねこにも少しおすそ分け。
そしてねぎと湯豆腐。まず平行四辺形に切った葱。居酒屋などで鍋に長方形に切った葱が入っていると担当者のセンスのなさに葱に同情してしまう。茹でるという行為はおそらく「1/fゆらぎ」に由来する火の通りのばらつきが重要な意味を持つのだし、だいいち葱の断層がきれいに見えることを考えなければ、葱を食べるということにはならないではないか。たとえば夏のきゅうりも、野菜は平行四辺形に切るのが正しいと強調したい。
そんなわけで平行四辺形の葱を、中央から広げて分離させていく。この行為は重要で、これで葱の甘みが広がっていくのだ。おっとたれのことを忘れていた。ヒガシマルのあじわいぽんずでOK。広がった葱の重層は、まずちょうどいい真ん中へんから食べたい。ここがもっともいい具合の柔らかさなのだ。それから中が空でない、とろんとした最内。これは口の中で転がす楽しさがある。それから歯ごたえのある外側へ。硫黄食品の体を温める感じが心地よい。
葱に比べれば、ちょっと湯豆腐に語るべきおもしろさはなく、ただぷるんとた感触を木綿独特のワイルドネスといっしょに楽しめればいい。それに比べて葱の語るところの豊かさ。緑の部分は肉と一緒が、さらには卵も、卵との相性には異論もあるだろうが、仲間の鶏よりすき焼きでおなじみの牛より、私は豚が一番と思っている。なので、さかのぼって一番安い細切れでいいから豚肉と半熟のタイミングで卵、こうなったらついでに申し訳ないが中心部だけ選り抜いた白菜も入れてしまおう。これで立派な豚水炊きだ。
飲み物は、この頃にはビール一本終わるから、次は日本酒で、一つ選ぶのは難しいが富山、立山の普通酒。そうするうちにねこどもはまだ不満かも知れないが、こっちは満腹になって食器片付け。酒はウィスキーに変える。
これも難しいので、三杯飲ませてもらおう。最初に軽やかだけれど味わいもあるスコッチ、J&B、次に華やかさとワイルドネスが同居するバーボン、フォア・ローゼス、そして質実剛健のスコッチ、ホワイトホース。すべて一番安いやつで十分。これで静かに眠ろう。

ここまで読み進んでいただいた方、どうもありがとうございます。何かと申しますと数年前の誕生日にこれと似た食生活を過ごし、その時に、ああ、もし一生の最後の食事を選べればこれが一番いいなと思ったことから、もし一生の最後の日にこれが食べられればという思考実験、最後の一日の幸福の食事です。真ん中の江ぐちは遠いので、まだあった、かつて地元で一番のラーメン屋だった餃子一番でラーメン、餃子を食べたのですが。江ぐちや餃子一番についてはまた後で書きましょう。
さてその時に思ったのは、おそらくこの内容は死ぬまで変わらないだろうという予感。そしてそれは、大体30歳くらいにはできあがっていたのだと思います。
たとえば、ナンバーワン映画の『気狂いピエロ』や、無人島に持っていく1セットならのビートルズ青盤が、もう一生不動の地位を占めるだろうというのよりずっと強く、口に入れるものについてはこれ以上の何かは現れないと思います。こういう状態を、人生が完成の域に達したというのではないでしょうか。それは別に残念でもさびしいわけでもなく、むしろ四十過ぎという年齢になれば選べて当然の場所なのだと思います。
こうやって並べてみると、いかにも日常的な口に入れるものばかり。私にとって大事なのはそういったいつでも飲み物・食べ物で、たとえばエビスビールのようなプレミアムは、いつもの幸せを運び込むものではなく特別な何かなのです。
そういうわけでこの「食べ物・飲み物」カテゴリーのテーマは“常舌礼賛宣言”。いつも食べている愛すべき常舌どもを、言葉少なに饒舌に語ろうと思っています。
常舌礼賛宣言。

(Phは先ほど、朝の食事を味噌汁にキャベツを足しただけでほぼ再現。長文二日がかりだったのでBGMは多く、普通ですごいローラ・ニーノから、これも普通にきこえて変わってる昨夜初聴のヨ・ラ・テンゴの夏の新譜)

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