四回目の年男最後の空
あわただしい日々を過ごすうち、今年はうさぎ年だから九月二六日に四八歳、人生五回り目に入っている。年齢について考えることはあまりないが、二十代の頃、西部邁の本で約十五年ごとに大きな動きがある「人生十五年周期説」を知って東アジアには十二支という文化があるのだからやはり十二年だろうと思ったことがあった。
つまり、
●0歳(1963年) なぜか誕生
●12歳(1975年)頃 中1の時に『ヘイ・ジュード』をきいて作曲を始める
●24歳(1987年)頃 友人と話をしていて、「もう、今まで知った人だけでいいんじゃないか、新しい人に知り合わなくてもいいや」とはじめて思い、同時に「もう、得意じゃないことしなくていいや、好きなことをやっていくことにしよう」と思う
といったきわめて内面的な事件だが、そういうこともあったのでやや緊張して迎えた次のうさぎ年には、
●36歳(1999年)頃 前年のフランス大会の時の「ワールドカップ実存主義」でそう遠くない将来死ぬんだと本気で実感した。
そうはいっても作曲その他創作活動はなんら実を結んでいないし、二四歳以降に知り合った人の方が多く影響も多く受けている、おかげさまでまだまだ元気で死にそうもない。つまり愚かな魂の内面的事件など、その持ち主の日常を変えることすらないのだ。
誰もがそうであるように、自分の四八歳は予想の外である。
あまり展望のないまま二十代で始めた学習塾経営とライター業その他の生活は、ずっと安定しない状態が継続する安定期に入った。好きな読書や音楽、映画にスポーツ観戦は飽きることがない。いっしょに酒を飲んだりする人々はそれなりにいる。四〇歳の誕生月からはねこも飼い始めた。つまり、金銭的な余裕はないとはいえとくに困ったことも不満もない毎日で、これを「幸福」と呼んでいいのではないかと思っている。
そして、そんな暮らしぶりをひとにきかれた時、いつの頃だったか「世を捨てているんですよ」というのがきまりになっていた。もとより臆病な世間知らずだし悪くはない。居心地のいい「賑やかな世捨て」は、生き方の選択肢として認められていいと考えている。さびしさを感じるとすればむしろ、いとしいものだと思っていた。
そうやって迎えたのが二〇一一年、四回目の年男。
北関東の農村で中年男がどんな暮らしをしていようが、世界や社会はうつろっていく。とんでもない地震やら大騒ぎやらが起こったが、あまりのおおごとにおそれをなしたかニュースなほとんどみる気はなく、数年前から活動が多くなった近辺から目を逸らさないようにした。そうこうするうちに、世を拾い直そうという気になった。
すみません、今回は自分の話だけ。
近辺のみなさんをお騒がせしていますが、二〇一二年一月二十二日に結婚することになりました。相手も同じうさぎ年、おまけにてんびん座です。
本当のさびしさは、きっとこれから知ることになるのでしょう。
たつ年をよい年にしなければなりません。
よいお年を。
うさぎ年もたつ年もねこ年
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