小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『すべてうまくいきますように』、『テス』、入江悠、児玉・百体観音・・・映画まみれ、六月はじめ

2023-06-13 05:29:02 | 映画

「映画は現実の一部」と思い直し響き続ける作品を映画館でいつでもみたい。
今月は9日に『テス』、12日に『すべてうまくいきますように』を深谷シネマでみて、19日の一般質問のために入江悠監督『シュシュシュの娘』『ビジランテ』のことを考えている。
2本のレビューを書こうと思ってたけど、やることいっぱいなので後にしよう。だけど早いうちに書いておきたいので箇条書きを思いついた。

『すべてうまくいきますように』
テーマは安楽死。5月13日毎日新聞・井上英介の喫水線「安楽死は正解のない哲学」をきっかけに、10年くらい前の須原一秀『自死について』を思い出していた
いままでみたフランソワ・オゾンでいちばん普通の映画
深谷シネマ、『ラ・ブーム』とカップリングのソフィー・マルソー特集は落差見事なすごい企画。「フランスの薬師丸ひろ子」というフレーズを思い出した
尊厳死の哲学に強い違和感があった『海を飛ぶ夢』(2005 アレハンドロ・アメナーバル)と比べ、家族や周囲の反応、法的な手続が前面で妙なリアリティ。死は社会なんだ、と思い出した「フランス文学はモラリストの文学」というフレーズ
制度と価値観がモザイクに共存するヨーロッパ共同体の富

『テス』
今いる現実からいちばん遠い映画の前に3時間いられることの幸福
ナスターシャ・キンスキーとポランスキーの息詰まる対決
赤いドレスから一転する映画的カタルシス
欧州の田園の暗さとどろんこの美。4Kに負けない暗がり
映画をみはじめた1979年「ぴあ」短評の「映画的興奮の極致のオープニングのロングショット」やソニーかなんかのいちごのシーンのCM
シャロン・テート事件とトーマス・ハーディの短編を読んだ大学時代の英語教員のため息「ああ、うまいなあ」

自宅では交くんと11日に『仮面ライダースーパー1』(1980)をみて、出てきた山寺と似ている児玉東小平・百体観音に行ったのでした。
映画まみれ、六月はじめ。

◯公式
すべてうまくいきますように
テス
井上英介の喫水線「安楽死は正解のない哲学」

◯過去のブログ記事
映画的にもっとも甘美な共犯としての“裏切り”~フランソワ・オゾン『ふたりの5つの分かれ路』(2006)
検索「須原一秀」

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聖パトリックデイ、自習室の欠席宿題

2014-03-17 19:33:48 | 読書


今日は深谷ベース「大人の自習室」に行けませんので、昼の間に少し読んだ三冊を宿題として提出します。

1)「悪の物語」
 籠原のリサイクルで百円だったので何冊か買った松田哲夫編集シリーズの一から、ボードレールとカルヴィーノを。カルヴィーノの民話は、やはり強烈で優雅。何ヶ月か前、松田のエッセイで編集過程を読んでいたので、その点でもおもしろかった。

2)中谷巌『資本主義以後の世界』
 経済畑の人で、この人の「転向」ぶりは、斎藤環著で読んだ「転向で思想は強化される」という概念を考える上でも興味があった。フォトリーディング的に読んでいるが、まず、「ウェストファリア体制」による「主権国家」という概念を「インチキくさい」といっていておもしろかった。

3)須原一秀『自死という生き方』
 先週の「食語り」の時、椎名誠を探していたら出てきた2008年読書のベストをパラパラと再読。伊丹十三の「金色のおにぎり」は引用しようと思って持って行ったが忘れていた。
 神々しいような清々しさで「死んでいくこと」を語る奇蹟的な書。この本の幸福論は、常に思い描いている。

というわけで、出席のみなさんよろしくお願いします。『翔んだカップル』論はまたの機会に。
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ステナイザウルスの今後(12/29~01/04)+『学校ウェア』

2009-01-05 23:53:06 | 週間日記
「二日陽の 選び磨きし 柚の刃は」 01/02
 ※単焦点マニュアル200mm f4 1/60


はい、月曜夜更新がうれしい、年末年始の先週日記です。
今回はアーカイブも更新。当時流行っていたアディダスその他に学校ジャージをからめた『学校ウェア』(http://runjuku.yu-yake.com/simpleVC_20081229135600.html)です。

●2008年12月
29日(月)OG・Eさん主催の忘年会。会場は初めて行った串焼きのねぎ~C君推薦、名前忘れた旧い居酒屋は懐かしい雰囲気だった
30日(火)OB・M君主催の忘年会 feat. ボウリング大会。ひょっとしたら今世紀初かものボウリングは1ゲーム目、100点行かず5人中最下位も、軽いボールに替えた2ゲーム目は2位に健闘、次回はいつだ?~飲食は暖や。送迎ともM君夫妻、ありがとうございます
31日(水)朝から少し仕事~午後、年内最後のラーメンとして、やってるかどうかと思いつつ四華郷へ。「もうすぐ終わりなんです」といいながらも入れてくれ、味噌ラーメン+餃子~同級生M君宅で年越しは、赤ちゃん装備OB・M君一家も参加。紅白、ハッスル、ダウンタウン、ゆく年くる年、ジャニーズ、カウントダウンTVなどみながら飲み食い
●2009年1月
1日(木)連戦の胃の疲れを癒すためずっとだらだら;1月1日付参照~深夜になって入浴~2節前の録画で大一番アーセナル:リバプール。負傷退場セスクは大丈夫か、っていっても、もう次の試合やってるのだけど
2日(金)ここで09年最初のラーメンは太田・麺之介に決定。味噌ラーメン+セット餃子とライス900円~コジマでDVDバルククーヘン購入50枚1780円~帰って少し仕事~これも恒例、高校弓道部新年会はいつものあだちで。この会ではマイノリティである民間勤務の方々の声が景気を反映。おっと、こっちは最零細民間だった~同級生S君に送ってもらって帰宅
3日(土)前夜は車置いてきたが、寝過ぎて誰もいず、コミュニティバスも休みなので、餅、前年の新聞、駅伝などで怠ける~父親がどっかから帰ってきたので車まで送ってもらい、ベルクほかでこの年初めて飲食物を購入~帰宅後は締切があるので集計仕事~同級生M君から連絡あり雷文に。M君から旅行みやげの納豆と、店からもお年賀いただきありがとうございます
4日(日)前夜も帰ってすぐ寝てしまい、昼にちょっと開いた入浴~09年競馬スタート。最初に買った中山10Rでいきなり1万1千円的中ほか3千円台の人気サイドも当たり勝ち越しで2日目に~集計仕事始めるが、怠けぐせのからだがついていかず早々寝る

例年のようにしょうもない日々でした。そういえば、今日月曜も京都金杯で4万3千円しとめ、期間中の酒代が還元、ありがとうタマモサポート。
それで、何よりうれしいのは、07年に始めたはいいもののわけわかんなくなった【カウンター】が完遂できたこと。どうでもいいことですが、いい加減者ゆえ自ら誰に頼まれたのでもない長い業を完成させるというのはめったになく、すっかり♪ニコニコニコニコ、日光かーらやって来た、です。
ともあれ、ジャーン、数字の公開を。

【カウンター08最終結果】
ラーメン1/120.5 他外食44.5 外飲み2/59 アウェイ飲み1/35 さんま51 ライブ7 劇場映画18 自宅映画&長編ドラマ6 美術展4 読了書19 球場野球1 万馬券10

単なる数字、まさに積算カウンターです。ここで突然、「読了書」と「万馬券」が出てきましたけど、前者は別にリストが設けてあり、後者はネット購入なので検索して知りました。

ラーメンばっかり食べてるけど3日に1回もなかったんだなとか、週1回は外で飲んでたんだなとか、ライブでは多分21世紀になって初めて来日アーティストゼロ、劇場映画は昨年の半分、本も仕事の資料なんかを除くと読み終わった本は少ない、とはいえ買った本は3倍くらいはあるような、CDはちょっとわからなくなってますけど主力のアマゾンで調べたら08年新譜はスティーヴ・ウィンウッドとポール・ウェラーだけ、こうなると、ちょっと趣味は「はい、読書と音楽、映画鑑賞です」なんていってられないような気がしてきました、これじゃただラーメン食って酒飲んで、ねこと遊んでいるだけのごくつぶしではないか、でも、それでいいんです。

思えばあまりものを捨てることをしないまま、ここまで過ごしてきました。今度の塾引越しでも分別してる時間がなくなって、結局、後で捨てようと多くの箱を持ち込んでいるし、これじゃまったく、ステゴザウルスならぬステナイザウルス、困ったものです。
けれど、いつまでもそういうわけにいかないと、45歳にもなればみんなわかっている当たり前のことに今さらながら気づき始めました。時間だって同じです。

海外サッカーをもっともよくみた数年前のある時、ふと「いつか、あの頃はサッカーばっかりみてたな」と思う日が来るんだろうな、と思いました。今も海外サッカーは週に1ゲームくらいはみるけれど当時よりはみていない、だから選手やクラブの情報はわからないことも多くなっていますが、それでも当時よりサッカーを「よくみられる」、これは確実だと思います。
それは読書でも音楽でも映画でも同じこと。もっとも本を読んでいた頃より今の方が「よく読めている」はずだし音楽も映画も変わりません。それはこの上ない時間で、さらにいえば「はずれ」に出くわすことも減ってきました。
今、ふと思い出したのは高野悦子『二十歳の原点』。この本の話をする時にはいつも糸井重里の番組で大槻ケンジがいっていた一種の危険な切実さのことを話すのですが、それより今は著者が書いていた「一日一冊新書読むくらいじゃないといけない」(引用不正確)という若い前向きさです。なんとすばらしく凛としていることか。でも「決意」は、若い人向けかも知れません。

というわけでこの週間日記も、ヒントになった毎日新聞夕刊の『ウィークリー日誌』もなくなったしもういいかなと思いつつ、惰性もあってそのままに。
次はどこのラーメン食べようかと、酒飲んでねこひざに乗せて考えるのが一番のような気がします。

では、
【カウンター09】
ラーメン1 外飲み2 自宅サッカー完観1 万馬券1

+付録は後でベスト5をと思っているものの、実現するかどうかわからないのでここでまず貼付の08年読書一覧:

米原万理『オリガ・モリソヴナの反語法』(2002、文庫2005)
木村敏『時間と自己』(1982)
赤坂憲雄『東西/南北考』(2000)
別役実『当世・商売往来』(1988)
三浦雅士『私という現象』(1981、文庫1996)
アラン・ホブソン『夢の科学』(2003)
渡辺裕『聴衆の誕生』(1989)
村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』(2000)
斎藤環『「負けた」教の信者たち』(2005)
正高信男『子どもはことばをからだで覚える』(2001)紛失のため半分再読
森絵都『カラフル』(1998、文庫2007)
須原一秀『自死という生き方』(2008)
野矢茂樹『哲学の謎』(1996)
山口瞳『礼儀作法入門』(1975、文庫2000)
加藤周一編『私の昭和史』(1988)
澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』(1983、文庫1986)
有吉佐和子『華岡青洲の妻』(1967、文庫1970)
加藤典洋『言語表現法講義』(1996)
津島佑子『快楽の本棚』(2003)

(BGMは相変わらず Accuradio Multichannnel Mix。今日の<再>発見は V.S.O.P. の bird like。そういうセッションがあったことも20年ぶりくらいに思い出しました)

「新春、庭のクロスカウンター」 01/04
 ※名前は初公開「マエシン(正式名:前から見るとシンメトリー)」はしゅっしゅっとジャブを打つと必ず打ち返すファイターとして知られています。惜しむらくは、シャッター速度落とさなかったこと。


「前足おいし松の内」 01/04


=======

Mixiの方のリクエストで追加画像
「前から見るとシンメトリー」、後ろ脚の模様がちょっと違います 08/11/05
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“45”(rpm)

2008-10-04 03:17:57 | Weblog
あおぞらしんぱん 09/24


「三ヶ月日記」まだ完成せず。なんだかんだとやること多く、9月26日から早くも1週間が過ぎましたけど節目の誕生日書き込み。いつもではなんだかだけど、たまになら必要とも思う「自己言及」=反省です。年の初め一月でもいいのですが、個人的なことを書くのは誕生日の方がふさわしい気がします。
なお、たくさんのお祝いメッセージ、メールいただきました。どうもありがとうございます。

・・・

45歳。
6月の中学同窓会の時に思ったのは、義務教育の終わりと「後期高齢者」の始まりのちょうど折り返しということでした。東京五輪マラソンでいえば、国立競技場をスタートして調布・飛田給とけっこうある。もちろん1歳だったので、甲州街道の標識でしか知りませんが。

ディープ関東平野の農村で、まったくうまくならなかった野球をやったり、これまたずっと進歩のないギターを田んぼで弾いたり、ビートルズやかぐや姫・風、クイーンとかボストン、『宇宙戦艦ヤマト』やスピルバーグ、テレビのアラン・ドロン映画やらに現を抜かしていた頃から思うと30年は、けっこう長かったかも知れません。そしてきっと多くの同胞たる45歳と同じように、身のまわりは紙の束やら円盤やらもう触れることの少なくなった磁気幅広紐巻やらにあふれ、もはや目的のものにたどり着くのも難しい密林を成長させるに至っています。

そんな「15~45=30years」の終盤である2005年6月。まずはgooブログから始められたこの営みは、中学の同級生M君に紹介されて入ったMixiにも06年12月から、別のものを書くのも大変なので、これはほかではあまりみたことがない同じテキストを貼り付けるという(↓註1)いい加減な拡大につながり、昨秋からは掲載写真も厚みを増して(↓註2)、なんだかんだと楽しいネット生活を過ごしています。
gooブログのリードに書いた「時代に逆行する長文主義」。これは新聞はじめメディアの短文化が度を越し、仕事で書く原稿でも、えー、それじゃあ何も説明できませんよ、ということが多くなっている反動で、好きに書くとどんどん長くなるというのもあるのですが、その割りにはけっこう読んでもらっているようで、コメントの多くないgooもヒット数はそれなりにあるし、Mixiの方ではもったいないほどのコメントをいただくようになりました。
コメントの内容から記事も変わってきます。たとえば写真が増えたのもコメントがきっかけでした。
そして多くの人々と知り合えたこと。40を過ぎてからこんなに加速度的に知り合いが増えるとは、思ってもみなかったことです。
本当にありがとうございます。

と、ここで唐突ながら、忘れていたようにエルヴィス・コステロ『45』の話を。
2002年の When I Was Cruel スタートを飾るこの曲は、54年生まれのコステロが自分の「45歳」である1999年に、父が戦った第二次世界大戦の終戦の「1945年」、そしてアナログレコードの「45rpm」とともに歌った歌だそうです。このアルバムを買った時、私は39歳か。45歳のことだろうと思ってはいましたがまだまだ先だと思っていたし、それより48歳というのにそこまで数年のバート・バカラックとのコラボレーションのようなメロディアス志向から一転、かえってかつての荒々しさを増したようなそのサウンドが刺激的でした。とくにこの曲『45』は、1999年のナイン・インチ・ネイルズ fragile を思わせるような強力な音圧のメリハリに驚き、年を重ねてますます貪欲に新たなアイディアを取り入れる姿勢に仰天したものです。確か翌03年のフジロックでは、太ってはいるものの叩きつけるように歌を吐き出す49歳のコステロを体験しました。
今回 Youtube で6年目にして初めてPVをみたのですが、カートを押して歩くくたびれたコステロがいろんな若者にカートのものを取られていく、オスカー・ワイルド『幸福の王子』かサンタクロースか、はたまた牛が出てきたりコートをあげたりもするのでわらしべ長者かなとも思ったりもします。歌詞をみてもこのPVが何を意味するかよくわからないので、45にもなれば、自分でほしがったりせず、若い者に何かを与えなきゃいかん、と勝手に解釈しておきましょう。貪欲さを保ちながら。

『45』PV:
http://jp.youtube.com/watch?v=RPH7dGRHR1Y
シンプルさ、前のめりのラフさが魅力の2003年ライブ:
http://jp.youtube.com/watch?v=DzkqgCXLC6E
歌詞:
http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/45-lyrics-Elvis-Costello/218B66B51E9AA38348256BB4000EEE96

ということで、コステロの『45』を見習って、45歳、“45 rpm=revolutions per may life”ブログ生活3年目の方針を書いておきます。

●ネット内

1)「週間日記」は遅れない
 しばらく「週間日記」+おまけ、というかたちばかりでしたが、何とも遅れる一方なので、最初の頃の「特別なことがあっただけ」に戻って遅れないようにします。

2)「読書、音楽、映画」の強化
 いつの間にか「週間日記」の中に取り込まれてしまいましたが、本来の目的だった『球形時間』(ほったらかしの http://d.hatena.ne.jp/quarante_ans に詳しく)のため、レビューをもっと書きます。以前から、中高生など初心者向けになじみの名作ガイドを書きたいと思っていたので、goo にはそのカテゴリーも考えています(Mixiは「週間日記」に入れてレビューにも貼り付けで)。

3)社会的発言の増強
 個人的な発言にとどめようとしてきましたが、「若い者に何かを与えなきゃいかん」ので、これからはこういうことも書いていこうと思います。

●ネット外

1)文芸復興
 30代の頃、40になったら文芸だ、とそのへんではいってきたのに、うかりしてたら5年経ってしまいました。ここでこう書けばやらざるを得ないかなというのもありますが、ちょうど今、加藤典洋『言語表現法講義』を読んでいておもしろくてしかたがなく、またやる気もわいてきたのでちょうどいいかと(↓註3)。かたちはいろいろ考えていて、何しろ高校の頃、文芸部にも何度か出たことがあるので文芸復興です。

2)音楽自演
 これまでもぐだぐだとやることはありましたが、何というか、かたちにしようと思います。何をするのかというと、マニュアル演奏と歌、場合によってはPC9801以来凍結中のDTMも再開して、かつてつくったままのオリジナル曲を録音、IDはとってある My Space あたりで公開もしてみようと企んでいます。なにしろへたなものですから、強力サポート希望があれば大歓迎です。

このほか、ネット内では多くの宿題記事があったり、ネット外では酒の量を減らす:そのためお茶・コーヒーを増やす、身の回りを整理整頓などいろいろありますが、そんなこといってると中年じゃなくて中学生なのでこのへんにしておきます。

年齢について、身のまわりの者によく話すのは1998年フランスW杯の時、35歳で思い至った「ワールドカップ実存主義」(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/5185a3c23edc05714e055674a97044a2)。
この時は自分は50歳で死ぬと仮定して生きることにしましたが、だとすればあと5年です。でも今のところは、へなへなしながらもあまり死にそうもありません。

この一番好きな季節の空をみていると、これも何度か書いたことがありますが、『杞憂』というのが、繁栄を誇った杞の人が空が落ちてこないかと憂いたというのがよくわかるような気がしてくるのです。
45歳にしてはたいしたものは持っていないけど、とりわけほしいものがあるわけでもないから不足もない。ちょうど誕生日の夜、胃が痛くて酒が飲めなかったので読み終わった、今年の読書ナンバーワン最有力、須原一秀『自死という生き方』は、自死をテーマにしながら生きる幸福をこれ以上になく考えさせてもらったすばらしい本ですが、その中に出てきた、「六つか七つ程度で十分」という「極み」とか、伊丹十三の引用である「金色のオニギリ」のようなもの、つまり今ならさんまとか、Mixiの方にきいて知ったジェイムス・テイラー Wichita Lineman (http://video.taggy.jp/detail/181623059)とか、アーセナルのサッカーとか、そしてまわりの人々と酒飲んでわけのわからないことをしゃべったりとか、ねこといっしょに庭を歩いたりとか、そういうことを味わっていればどんどん月日が経っていって、うまくいけば30年生きて後期高齢者にたどり着ける。こんな毎日にそう大層なものはいらないし、みたところ自分のまわりの社会にはそのくらいの積み重ねたものはある。今以上にキレイな暮らしをしたいとか、整っていようとか、はたまたひとより上にいきたいとか思わなければ、けっこう楽しく生きていける。少なくとも株価が下がったくらい何でもない。と思っているのですが、そうもいかないのでしょうか。ああ、今年の秋もさんまが100円しないでよかった。でも、燃料費が上がっているのに100円しないっていうのは、本当に「いい」のでしょうか。
見事な秋の空にも、雲は浮いている。そして多少の雲があった方が、見飽きることはないと、そう思うのです。

(BGMはコステロ、ジェイムス・テイラー、カーラ・ブレイ、Accuradioなど長文につき多数)

(註1)思えばMixiは「外部ブログ」を使うという手もありましたが、なんとなくそのままに。これから変えるのもおかしいので、たいした手間ではないしそのまま継続します。なお、各映画サイトコメントにも転用。自分の文なのでかまわないと思うのですが、あまりそうしている人がいないのでどうなのかなとも思います。

(註2)最初はgooもMixiも1枚。そのうちまずMixiが3枚入れられるので3枚になり、そのうち「アルバム」を使うといっぱい載せられるので増え、08年になってからgooも増やせることがわかり同じようになりました。現在のところ、発色はgooの方がいいように思います。作業は、途中でにMixiアルバムにアップ~日記を書いてそこにアップ~ちょうどよくリサイズされるのでいったんPCにDLしてgooに掲載。gooはまだ自動的にはリサイズされません。

(註3)好き勝手に書いてるならgooやMixiも同じですが、大きな違いは「推敲」です。ブログの記事はばーっと書いて、ほとんど直さずアップしてしまうので、後で読むとこいつはまずい、と思うものがけっこうあります。ただ、直さないというのもこうしたメディアのメリットとも考えている面も。書き込んでから時々直すのは、1)言葉のリズム、2)同語反復(このうっかりがもっとも多いがあまり直さない)、3)誤字(あまり直さない)の順です。

・・・

1945年にゼロ戦工場に向かう爆撃機はどのくらいに見えたのだろうか 09/24


9月26日午前7時10分08秒


空は雲があるくらい、庭は雑草とねこがいるくらいがちょうどいい 09/24
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