goo blog サービス終了のお知らせ 

小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『ほんとは知らない 競技ウェアの秘密』~今日は建前

2008-07-14 15:00:44 | 週間日記
先週月曜、カムバック Nikon で、

"Life is Beautiful" *7月12日。


何でしょう。正解はCMの後。

-------------------------------
依然2ヶ月前の日記部分から

●5月
5日(月)ずっと原稿
6日(火)電話取材~原稿~同級生M君宅へ
7日(水)資料探しで上京。電車で舞台俳優OB・K君に会い話しながら~仕事前の腹ごしらえに新宿・後楽そばでなにわ三色定食~千駄ヶ谷スポーツ博物館~水道橋野球博物館とはしご~出張授業
8日(木)振替で出張授業
9日(金)秋元町・喜楽でタンメン~塾
10日(土)同級生M君宅へ~島生まれ若き主婦の話に感入
11日(日)自宅仕事

【カウンター08】
ラーメン1/34 他外食1/18 アウェイ飲み2/18

-------------------------------

今回の付録はCM。原稿書いた本が出たのでその紹介です。

『ほんとは知らない 競技ウェアの秘密』
椎野 礼仁・編・永岡書店¥1,155(税込)

*7月13日


http://www.amazon.co.jp/%E3%81%BB%E3%82%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84-%E7%AB%B6%E6%8A%80%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%A7%98%E5%AF%86-%E6%A4%8E%E9%87%8E-%E7%A4%BC%E4%BB%81/dp/4522425759/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1216008657&sr=8-1

タイトル通り、スポーツウェアの本。全部で15競技のウェアを取り上げていますが、私は、シンクロナイズドスイミング、フィギュアスケート、野球、バスケットボール、テニスの5つを書かせていただきました。
競馬以外のスポーツ関連の仕事は久しぶり。調べれば調べるほど、ほお、と勉強になることは多く、協会、メーカー、メディア、博物館関係と多くのプロの方に話をきけたのは、何より貴重な体験でした。
話題のレーザーレーサーだけでなく、ハイレベル化が進む現在のスポーツでウェアの占める割合は高くなるばかり。とくに90年代以降、スポーツイベントがビッグビジネスとなっていく過程で、アスリートの技術とともにウェアも進化してきたことを実感しました。歴史、各国文化との関わりも興味深い。
編集は前にいっしょに仕事をしていた椎野さんの椎野企画(http://c-kikaku.com)。
もう書店に出ているそうなので、よろしくお願いします。

その他では、先週は自宅内塾建設開始。

暑い中、今日が建前で、夏休みはもうすぐ。

(BGMはOBY君父上・サンタイ建設さんによるトンカチやドリルの音)

*7月9日朝


先週は深谷の七夕もありました

「整列流行」 *7月12日


「Rouge et Noir」 *同日


あんまりおぼえてない顔たち *5月7日千駄ヶ谷スポーツ博物館


野球選手はずっと中学生 *同日水道橋野球博物館


*7月13日のカレー
キャストはジャガイモ、タマネギ、ナス、白ナス(以上前の畑)、インゲン(Y君父上)、カボチャ(父親がもらってきた)その他のものども


おっとうっかり最初の正解を。
"Growing Up" *7月12日


同級生matt君のもやし工場を35年ぶりくらいに見学しました。
最初のは緑豆、こっちは黒豆(ブラックマッペ)です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年アーリー7月、「赤のビートルズ」

2008-07-05 14:43:43 | 週間日記
Nikon まだ戻らず携帯で、やる気を出してサボテンのまねを始めた本日のきゅうり


すっかり2か月ディレイの週間日記から。

●4月
28日(月)朝にOB・M君宅にCL取りに。M君母車バッテリー上がりブースター持っていくがなぜか役に立たず~ずっと仕事
29日(火)電話取材ほかずっと仕事、姉の息子のキックボクシングKO勝ち
30日(水)さらに仕事~出張授業~奈良・永華で味噌ラーメン
●5月
1日(木)振替で出張授業~同級生M君宅へ
2日(金)ラーメン+餃子は郵便局そば・まるよし~授業
3日(土)仕事+競馬~カレー製作
4日(日)仕事+競馬~お好み焼き製作

【カウンター08】
ラーメン2/33 アウェイ飲み1/16

あっという間に08年も半分。すでに Saint Jude もお出ましです。
7月最初の今週はあまり原稿も書かず、昼は敷地内「西のバラック」(http://blog.goo.ne.jp/quarante_ans/e/4e89a4459f5b3387395c25a1fb664b26)の片づけで力仕事や軽トラ運転、夕方は中高生のテスト勉強と普段とは違う忙しさだったが、時間を超越したあれやこれやが出てきたバラック物語はまた後ほどにして、EUROが終った自由時間もそれはそれで楽しいものでした。
Mixiの方で「レコードコレクターズ7月号」に触発されてやっていた「ビートルズ赤の時代 ベスト20」。その選定でききこんでいたのです。
では早速のベスト20はまず曲名だけで、いろいろ能書きはアットデ・ザ・ハリウッドボウル。

1) No Reply
2) In My Life
3) A Hard Day's Night
4) Help!
5) I Want to Hold Your Hand
6) Girl
7) I Need You
8) Anytime at All
9) It Won't Be Long
10) Long Tall Sally
11) Rock and Roll Music
12) And I Love Her
13) Drive My Car
14) Roll Over Beethoven
15) I'm Only Sleeping
16) You're Going to Lose That Girl
17) You've Got to Hide Your Love Away
18) Can't Buy Me Love
19) Dizzy Miss Dizzy
20) Yes It Is

誰もがおっしゃいますが2008年7月時点。毎日のように変動します。

最初は脳内再生だけでいいかなと思っていたのだけど、ほかのMixiの人のランキングや「レコードコレクターズ」をめくってると音源がききたくなる。「赤の時代」のCDは90年頃の廉価版、ユニオンジャックのやつとイラストのジャケットのやつで揃っているが、アルバム7枚だけでも全部探すには時間がかかりそう。
と、youtube でけっこうきけるだろうと検索してみると、意外にも、というか当然なのか、ジャケット静止画像でアルバム1枚を4つくらいに分けてアップされたシリーズが出てくる出てくる。
ありがたい。『パストマスターズ』がなぜか白だけで前期の黒がなかったが、これはアップしたやつが持っていないだけかも知れん。ただ、基本シングルだったこれらの曲は別にアップされているからそっちの方を検索した。結果、この20世紀の奇跡前半の宝物を、PCをかちゃかちゃするだけで確認することができた21世紀の奇跡です。
香山リカが書いていた、確か「ソフト人生」。数十年も続けているとCDとか本とかはあふれ返ることになり、すでに室内遭難ソフトはめずらしくなく、また、それらが突然現れることもよくあること。しかしこっちはシルヴァー船長でもないから、宝探しではなく目的のソフトにアクセスすることが大事なのだ。これも確か中学の時か、森村誠一の当時まだ一般的でなかったレンタル業をテーマにした短編で目を開かされた「ものに対しては『所有』の欲求と『使用』の欲求がある」からすれば、もう所有なんかしなくていい。ただききたいんだ。そりゃあ、こっちも中級ビートルズファンだから、「ブッチャーカヴァー」のアメリカ盤『レアリティーズ』とか、『コンプリートビートルズ』、後半2枚だけだが『アンソロジー』のLDなんかもどっかにある。でも、「持ってる」より、「すぐにきける」方が重要。ビートルズ楽曲ごと配信スタートなんていってるが、2012年の『ラブ・ミー・ドゥ』から著作権フリーだ。よし、めざせ情報の共産主義化。
なんていってても、単にものの管理能力のなさを晒すだけなので、そろそろ自分の「ベスト20」を振り返ろう。

こういうランキングではいつもバランスをとってしまうクセがあるが、今回は思いつくまま二十数曲出してこれというものから順位をつけました。
もともとジョン派を公言しているのですが、10位以内にはジョージが1曲と、ポールはカヴァーの Long Tall Sally が最上位になってしまいました。頭の中で好きな曲はもちろんたくさんあるのだけれど、選ぶとなるとジョンばっかり。よく「曲作りのうまいポール」っていわれますが、今きくとジョンの曲の方がずっとわけがわからなくてチャーミング、つまり、「うまく」きこえます。クラシックでは、なんかやっつけで曲をつくっているような気がするモーツァルトのよさがよくわからず、学校勤務時の音楽の先生にそういうと「だんだん年取ってくるとわかるようになるんだよ」なんていわれましたが、ポール曲、とくに前期曲はそんな感じでなかなか変わりません。
ただ、In My Life のサビのようにどっちがつくったかもめてた曲もあるし、ジョンとポールの曲がかわるがわる、ジョージとリンゴがたまにで演奏はそれぞれを主張というのがビートルズのよさ。たとえばジョンの曲はソロになって進化していきますが、アルバムでききたいのはビートルズ時代の音源です。
それにしても、No Reply なんて上位に上がってきたのは去年くらいから。欠かせないだろうと思ってた Tomorrow Never Knows なんかは、こういう曲は後期、「青の時代」で選ぼうと思ってパスしました。ルールなしといいつつ、カヴァーは1人1曲と思ってましたけど、 Dizzy Miss Dizzy は外せず適用外。ほかの人のをみて、は今朝もNHKきいたぞ、ピーター・バラカン2位で「50位以内に入らないのはなぜ?」と書いていた Yes, It Is をきき直して、そうだ、こんな曲があったと20位に。
そのバラカンいわく、「極端なことを言えば『サージャント・ペッパーズ』以降のビートルズがなくてもいいほど、66年までの彼らの作品と存在そのものにはポピュラー・ミュージックを普遍的なものに変革させた要素がすべて凝縮されている」。それは肯けるにしても、自分できく時は8対2くらいで後期「青の時代」の方が多いのも事実。また青のベスト20も楽しみます。
では、一曲ずつ能書きで。

1) No Reply
 中学生の頃にきいてるはずだけど、よさはよくわからなかった。やっぱり曲づくり、構成が見事で、ジョンの魅力であるくどさ、切なさに、シンコペートの雄弁、コーラスのはかなさ。

2) In My Life
 たとえば、ポール三大名曲はほかの誰かが歌ってもいまいちだが、これは誰が歌ってもすばらしい、つまりスタンダード度ならビートルズ1位かも。実はずいぶん前、ベッド・ミドラーのカヴァーで再認識し、映画『イマジン』のエンディングで泣きました。

3) A Hard Day's Night
 中2の時か、何かに載ってた楽譜を元に、周囲のやつらとCに移調して演奏されたメモリアル作。最初にコードでつくった曲には、大胆にもこの sus4 をイントロでかぶせました。さらにいうと、世間ではなんと呼んでいるのか Ticket to Ride、Hello Goodbye など「とってつけたアウトロ」の第1作としても、中学校当時目をさまされました。リチャード・レスター映画のオープニングもすごい。

4) Help!
 「アンソロジー」にも収録されたスローヴァージョンで、この曲の本質、そして Please Please Me や Strawberry Fields と同じ、テンポ変更の魔術を再認識。ドライブ感ある悲痛な叫び、うならせられます。清志郎の「ヘルプ! 兄さん、婆さん」も傑作

5) I Want to Hold Your Hand
 同級生F君宅で繰り返しきいた日本版『ミート・ザ・ビートルズ』から1曲なら。中学生にきかせて、チャチャチャチャチャチャ、の手拍子をやるのも楽しいです。

6) Girl
 キンキーでくどい。曲想は違っても、チュチュチュチュ、ハーは、後の Happiness is... にも。

7) I Need You
 こめかみあたりが引きつってるような感じがジョージの魅力。初期では、これが一番よく出てます。

8) Anytime at All
 初期疾走感の極致。最初のシャウトの後の一瞬、きっとジョンは笑っているでしょう。

9) It Won't Be Long
 かけ合い万歳! 『コンプリートビートルズ』のライブ撤退の場面が印象的。

10) Long Tall Sally
 やっぱりこのシャウト! これはジョンに負けない。ホフナー持って首が揺れる!

11) Rock and Roll Music
 中学校の時、人気があった。『コンプリートビートルズ』のこのオープニングの編集はすごかった。

12) And I Love Her
 初期のメロディアスポールならこれ。これもよくいわれるけど、「And」から始まるタイトルにのけぞった

13) Drive My Car
 この辺の中期のポールロックは甲乙つけがたいが、初めて肉眼でみたビートルズ、2回目来日のポールのオープニングがこれだった。今までみた「実物」の感動ではジミー・ペイジを抑えて1位。生きててよかった、と思った。

14) Roll Over Beethoven
 たいしたことないけどいい曲で、全体の中の位置づけがジョージと似てる。オアシス Roll with It を、一瞬これと間違えたことがあります。

15) I'm Only Sleeping
 I'm so Tired、Yer Blues の In the Mornin' Wanna Die... なんかと並んで時々歌う曲。すべて歌詞とメロディーがこれ以上ないほどよく合ってます。

16) You're Going to Lose That Girl
 中学校の時、この曲のギターソロをめぐって意見が分かれた。この音域のジョンの声がまたいいです。

17) You've Got to Hide Your Love Away
 最初にきいた時、変な曲だなと思って、今もそれは変わらない。90年の「ハッピーバースデイ、ジョン」でまだ小僧だったショーンが歌ったのは、たとえば1頭もいないサイレンススズカ産駒が走るのをみたかのような感慨だった。

18) Can't Buy Me Love
 お手軽ポール曲の中で好きな方です。

19) Dizzy Miss Dizzy
 アルバムラスト、ジョン、カヴァーシリーズは全部いいけど、これも欠かせません。やっと弾いてる感じのリフがキュート。

20) Yes It Is
 アルバムにも赤盤にもないので忘れがちな名曲。ジョンは好きじゃないといってたらしいが、そういえば同じくコーラス全面の because も「気に食わない」といってたな。

と、いうわけで、そのうち「青の時代」も選定します。
時間行ったり来たりで、暑さ忘れたい七月。

(BGMはそんな youtube 中心のビートルズ)

暑くて車の下のティーとビートルズ。飽きないのが共通


-----当該週画像より

うちで一番派手のツツジ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏至、かれい」

2008-06-28 05:32:34 | 週間日記
裏の楽しみ  Nikon修理中につき携帯6/25


また、開いてしまった。2カ月前の週間日記部分と最近の出来事のおまけというへんてこな構成も飽きてきたので何とかしないといけませんがひとまず。

●4月
21日(月)原稿と格闘~08春・夏OB子女出産ラッシュのトップを切ってOB・O君長男誕生を知る、おめでとう~電話取材~東方・長崎ちゃんめん
22日(火)原稿~出張授業
23日(水)出張授業~おおぎやでカレーラーメン+80円券餃子
24日(木)朝にOB・M君宅にCL取りに~起きてずっと仕事
25日(金)豊里・永来でラーメン~塾
26日(土)撮影~Mixi70's 倶楽部の集いで人形町へ。入れ違いで面識のある人は1人もいず、めずらしくメンバー内で若手、でも、音楽という共通項ありあっという間の数時間~最終、帰深で腹が減ってラーメン匠
27日(日)ずっと働く

【カウンター08】
ラーメン4/31 外飲み1/15

最近の出来事も途中で放っておいたので、もう一週間前です。

●6月第3週
夏至があったこの週、ひょんなことからカレーを4回食べた。内訳は、

月)本庄市児玉・名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」
水)熊谷市別府・のび太で「カレーうどん550円」
木)都内中野・タブチで「からくちカツカレー610円」
日)自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」

暑かった(月)は仕事帰りによくするようにうまそうな店を探し、時間も半端でなかなかいい店がなく、結局最初に見つけた店に。前衛的なカップリングにひかれて注文したが、どう食べていいのか困った。ひとまず、ラーメンを食べてからカツカレー。単品だと、カツカレー590円、ラーメン390円だったから、かなりのサービス品だ。
曇りがちだった(水)は、さいたま市からやって来たMixiの食巨人を地元の名店に連れて行って。開店待ちで、近くの花菖蒲も楽しんだ。
そしてハイライトは(木)のタブチ「からくちカツカレー」。学生の時以来約20年ぶりに食べてみた。

記憶の中のカレーベスト2。最初は中学生の頃に食べた市内「黒んぼ食堂」のカレーで、これは店主が代替わりして、今もおいしいのはおいしいけれど、その頃と同じではない。
その店のカレーを語る時にいつも触れるのは、10分くらいした帰り道、その筋ではよく知られる深谷肛門外科のあたりで一緒に食べた同級生どもと、「なんか、今んなって、あの味がまた蘇ってこねえ?」「うん、帰ってきた。うめえ!」などと騒ぎながら自転車をこいできた幸福な夕闇。けれど、その記憶だけが何度も語るうちに広がっていて、もしまったく同じ味が再現されたものを目の前に出されたとしても、ほかの店のカレーと区別できないかも知れない。
その黒んぼ食堂に比べてタブチ・からくちカレーは、その真っ黒な色とじゃがいもが完全に崩れたねっとり感、そして、ハヤシライスを無理やり辛いカレーにしたようなスモーキーな味わいはよく憶えていた。

新宿でのPOGドラフト前に中野に行って、懐かしい階段を上る。実は昨年あたりか、一度日曜に来てみたら定休だったこともあった。この日も、普段は16:00という開店が「都合により17:30からです」と貼り紙があり、駅ベンチに戻ってPOG指名馬の検討を続けて出直した。
満を持して17:30に店に行くと一番乗り。「いらっしゃいませ」、若いあんちゃんだけの店内は、テーブルばかりだった20年前と違って全席カウンターになっていた。
カレー400円、からくちカレー450円だが、ここはこっちもおとなになったので当時はそんな贅沢は思いもよらなかった「からくちカツカレー610円」。食券を買ってあんちゃんに渡すと、それからあげるらしくしばらく時間がかかり、その間にサラリーマンやら作業着やらがぱらぱらやって来て、作業着コンビは先輩らしき方が「じゃあ、今日は自分で払えよ」、後輩風「はい、自分で出しまスよ」なんていっている。
そうこうするうちに610円到着。出てきた一皿は、見た目だけでも20年前と違っていた。真っ黒と記憶していたルーは、色は濃いけどありふれたカレー色。何というか、約四分の一大のジャガイモがごろごろしていたような憶えがあるが、今はニンジンとともに大きなスライスになっている。

味はどうだろう。個人的にはカレーにはラッキョウだが、それしかない福神漬けを隅に置いて食べてみる。
うまい。
カレー自体は記憶の中のよりありふれていたが、初めて食べたカツがよかった。衣のさくさく感をないものにしてしまうし、強豪を集めたオールスター感の強い「カツカレー」というメニューは「やり過ぎ」の印象が強いが、これはカツにルーをかけていないので、ソースと辛子でカツそのものを味わうこともできる。できればキャベツがほしいところだが、カラカラ氷の落ちるウォータークーラーの水を飲みながらの「カツ・ご飯・カレーの三角食べ」で十分。あっという間に食事終盤を迎える。
全体として“記憶の中の”タブチのからくちカレーとまったく同じではなかったが、ああ、やっぱり“これも”タブチのからくちカレーだと。つまり、カレーも20年分歳をとったということか。帰ってネット検索すると、数年前の「ニンジンはない」という記述があるから、常に更新されて“今の”タブチのからくちカレーになったのではないか。

-------------------

そして、三番目と四番目のカレーの間の土曜日。中学校の同窓会があった。四十も半ばの男女、そして六〇~七〇代の先生ががやがや集まって昔をしのび、今を述べる、時間のスイートスポットだ。
二年前の前回から写真を撮っているが、最初に学年主任のM先生をファインダー越しに見て思った。これは「懐かしい」ではない、「新しい」経験なのだと。

何度もきいたその声で、内容こそもう四〇代の元生徒に合わせてはいても、三〇年前と同じような論旨でスピーチは進む。元気な先生もさすがに三〇年分の歳月を容色に重ねているが、それはいわばおりこみ済みだろう。
「新しい」とは単にこちら側の話で、カメラを構えて三〇年前に見ていたのと同じお顔が、同じように向かって左に触れ、今回は欠席の同級生O君が中学の時に「弓矢の目」と評した、目尻が少し下がる瞬間を待つという「経験」のことだ。
会場のホテルでは仕事で、同じように見知らぬ人々の表情の変化を待ってシャッターを押している。教え子の結婚式で、初めて被写体としたことも一度や二度でない。
けれども、二年前にM先生をファインダーからのぞいた時ほど「新しさ」を感じたことはなかった。実は私は学校勤務時代に校長となったM先生の下で一年間働いたから、中学校の時と二〇代の半ば、二期にわたって先生の話をきいている。そうした中で積み重ねられてきた時間と、その後、多くの写真を撮ってきたという経験、それがこの行いを「新しい」と感じさせたのではないか。

「新しさ」を生むのは「経験」なのだ。「経験のなさ」は自分が「新しい」のであって、決して「新しさ」を生むわけでない。
先生方の話に静かに耳を傾ける同級生。子どもが成人した者もめずらしくない彼らは、それぞれが一人ひとりの「経験」からその話をきくのだろう。だから「経験のない」一月の新成人のように私語でスピーチを乱すこともなく、「懐かしい」言葉のリズムを「新しく」楽しむことができる。

今回も三〇年ぶりに会う同級生がいた。決して変わっていないわけではないのになぜそれがその人物だとわかるのか。当たり前のようでよく考えると不思議でたまらないのだが、それはまた後で考えよう。今はまず、「懐かしく新しい」不思議な時間を楽しんだ方がいい。

-------------------

翌日曜、これはもう一週間に四回食っちゃおうと、カレーをつくった。
メンバーは、前の畑の新ジャガと新タマネギ、近く産直のニンジンの三本柱に、これも前の畑のナス、同級生Hさんにもらったインゲン、父親が近所からもらってきたカボチャ、どっかのショウガ、乾燥ニンニク、それと生協冷凍肉に冷凍とうもろこし。
新ジャガは不思議だ。こするだけで皮がむけるのに、どうして時間が経つとそうはいかない。あんな新しそうなのに、実は去年のじゃがいもから出てくるのも何だかすごい。
具を切り終わってバターで炒める。ぐるぐる回る新じゃがを見て思う。同級生ってのも、この新ジャガやなんかと同じだな。一緒の畑から出て、あるものはサラダにあるものはカレーに。新ジャガを味わうならふかして塩がベストだけど、カレーになるやつもいいもんだな。がつがつまわりのやつとぶつかるのはおもしろそうだし、だいたい中学生あたりはみんなカレーが好きだ。
前日は例年より一日早い夏至だった。

(BGMはスティーヴ・ウィンウッド nine lives。やっぱりこのハモンド、気持ちいい。dirty city のクラプトンのソロも最近の記憶の中では一番)

カレー1 名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」


カレー2 うどんの前に見た花菖蒲


カレー3 タブチ「からくちカツカレー610円」


カレー4 自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」


---------------------------
4月週(これはNikon)






---------------------------
忘れちゃいけない今朝撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月の『カルメンシータ』

2008-06-09 19:47:09 | 週間日記
Doc. Dummy の二人の娘


おっとうっかり、また開いてしまった。このままでは2カ月前になってしまう。

●4月
14日(月)仕事の関係で高輪プリンスへ。H君と待ち合わせ、まず昼は品川駅前桃苑でラーメン、夕方、ワイヤードカフェとやらで打合せ~帰り何となく秋葉原・万世パイコー麺が食べたくなり下車。しかし夜はやってないということで、この日再ラーメンの秋葉原駅前の威風
15日(火)原稿~出張授業
16日(水)原稿~出張授業
17日(木)同級生Mト君宅へ
18日(金)取材で八丁堀へ。その前に銀座・共楽~帰りは打合せ兼ねてロイヤルホストで左上ルールに従いオムライス
19日(土)有楽町・万世パイコー麺~Mixi・Xさん主催の野球+飲食ツアーで横浜スタジアムで横浜:中日~横浜2軒で朝まで。人数は野球が4人→最初のもつ鍋で7人→その後のいけすのある店で3人でと、一晩中時間を忘れて喉元まで飲む
20日(日)朝、帰宅~晩は塾

【カウンター08】
ラーメン4/27 他外食1/17 外飲み2/14 アウェイ飲み1/16 野球観戦1/1

相変わらずの日々が続いてたら6月になっていた。

変わったことはいろいろあって、まず何やら最近、買い物をよくしている。
何を買っているのかというと、まずPC関連品。昨日の前の土日はとなり熊谷のPC DEPOT の日替に繰り出して、SDカードやらフラッシュメモリやらを、何と弟にまで「798円だぞ買うか」と電話して買う始末。勢いづくと、そのままウィスキーをまとめ買いしたり、そのほかにも家にいればアマゾンでしばらく禁欲していたCDを買い、本を買い、うっかり原稿資料の立ち読み(店員に「『テニスの王子様』はどこですか」などときいて食い入るようにみたが、ほかに参照した105円文庫も記憶にとどめ、買わずに済ましたのは我ながら進歩した)、しかし行ったついでにほかの本に目が行ってしまって買ったりと、しかしそれでも大した金は使ってない。そこで気づく。どうして服を買わない。やむを得ず買ったハンカチ、靴下など以外、いつから買ってないかと思い出せないほど。でも、いいや、別に減るもんじゃなし、と思いつつ、だんだんよく着る服も劣化している。ひとまず、一本破れつつあるジーパン買うぞ。でも、いつになるだろう。

買うのではないが修理も。
まず、仕事で使ってたらアクシデント発生でホットシューが曲がった Nikon D40x を仕事先会社に。さらには、ずいぶん前からDVDに書き込みができなくなっていたSHARPのDVDレコーダーを。これはジャンク買い好きの弟から代理を借りてきた。

なんで代役が必要かという、サッカーEUROが始まったから。いやあ、やっぱりおもしろい。よくひとにどこが強いんですですか、ポルトガルですか、ときかれ、別にC・ロナウド一人で勝てるわけじゃあまりませんから、フィーゴ、ルイ=コスタがいた「ゴールデンエイジ」の方が強かったですよ、といっていたが、なぜか数年前より若返って見えるヌーノ・ゴメスとか、控えのクワレスマとかいたのを忘れていた。こりゃ、強い。でも、一番強いのは出てないイングランド、出てる中ではスペインだろうな。今朝になって松井でも出てるかと思ってBSをつけるとNBAファイナル。スポーツ漬けだ。

実はこのところ、仕事もスポーツ関連だった。
なのでいろいろ調べているのだが、たとえば84年ロス五輪、カール・ルイス、山下あたりはまだ鮮烈だとしても、宗茂、メアリー・デッカー、秋山エリカ、長崎宏子あたり忘れていた選手の画像に出くわすと、ひええ、ひええ、と感動している。モントリオールは、コマネチ、岡崎聡子、ここ数年の Youtube 発展もあって、すごい時代になったものだ。当時、こりゃたまらん、と映画ビデオのあまり、『ニジンスキー』が選ばれたを利用して録画した長野のフィリップ・キャンデロロの名演『ダルタニアン』なんかもただでみられる。泣けるなあ。そうだ、これに気づいてしばらくCD買うのをやめてたんだ。なんたる幸せ。来たれ、買わなくていい世の中!

しかし食べ物は、買わずに Youtube ってわけにはいかん。
自宅食では、この間、酒と米のササイで見つけた「五木の焼きラーメン」の発見が大きかった。野菜の炒め汁がそのまま使え、しかも乾燥麺の茹で汁を使うので全体に適度なとろみがあるのがいい。もやし、キャベツ、ニンジンを入れて、玉ねぎをがまんすればねこにもやれて、やつら大喜びではふはふ食べる。焼きラーメン恐るべし、そういえば「マルタイ棒ラーメン」にもレシピがあったような、と、こちらでもトライ。そのままだとちょっとしょっぱかった。と、油断して競馬をみてると、永谷園の焼きラーメンCM。むむ、全然気づかなかった。でも、永谷園は数年に一回くらいのお茶漬けだけでいいや。

と、まあ、こんな日々が続いたが6月5日。久しぶりに、書かねばならぬ原稿が1文字もなくなった。
ほっとして昼からわずかにウィスキーなどなめると、音楽再生用PCノートが再生していたのは、デヴェンドラ・バンハートの昨年のアルバムから『カルメンシータ』。
♪アーイ、トゥ、プリモ、コロラード、コン、バブラ、カンブラーダ…
静かなイントロから、軽快でなんだか中南米の薫りのするスペイン語のボーカルにざっくりしたリズムギターにくねくねしたリードギター、この音、フアズなのかな、さらにはテキトーなコーラスが絡まる軽快で、カランバ! な曲だ。そういえばカルメンシータって何だろう、きいたことがあるぞ、と思って検索するといろいろ出てきた。

1)競馬、短距離で活躍したトロットスターの母。
 (wikipedia より)トロットスターの本来の父親はシンボリルドルフになるはずだった。しかし、種付けの際に母・カルメンシータが暴れ、お流れとなってしまった。そこで牧場側は「代役」としてテクニシャンと評判だったダミスターを種付けて生まれたのがトロットスターだった。
 この馬は高松宮記念で蹴って痛い思いをしたが、こんな母がいたとは知らなかった。

2)S&A・ゴロン作『アンジェリク』の登場人物
 「裸足の伯爵夫人」のサブタイトルを持つこの作品は、映画版を前にBSで放送した時に4本かな、全部みた。美貌でのし上がるアンジェリクが、イスラム帝国まで世界をまたにかけて活躍する話で、あまりの荒々しい物語に圧倒されたのを憶えている。カルメンシータは、気性の激しいスペインの姫らしい。

3)エスプレッソメーカー
 業界では有名なのか延々と出てきた。かっこいい。ほしい。
 エスプレッソは家で飲みたいと思っていたが、電気のマシンが必要なのかと思ってあきらめていた。ドリップには必ず2杯落とすので腹いっぱいになるので困っていたが、エスプレッソなら心配ない。ところてんマシンと並んで購入品目に入れておこう。

バンハートは歌う、
オーラ、ベルナルド! LA LA LA... LA LA LA...

と、1頭と1人と1台のカルメンシータにうつつを抜かしていると、OBの
M君からメールが来る。奥方の予定日が近いのでメールを送っていたのだ。

「赤ちゃん先程生まれました〓出産立ち合いましたが生まれた時は感動してしまいました〓(涙のクマ)〓
 元気な女の子です〓」
「こんな感じです〓(写真)〓写真映りはイマイチですがめちゃんこカワイイ〓です」

!ムイ・ビエン! !ブラボー・アミーゴ!
知らせの時にカルメンシータのことは調べつくしたから、この子はきっとカルメンシータみたいにはならない。父親は筋肉自慢のM君だけど、母親のAさんは野菜好きだからな。そういえばレアル・マドリーファンでスペイン好きのM君には、『フラメンコ』とか『カルメン』とか『ベンゴ』とか、スペインの映画もたくさん貸した。中で一番気に入ってたの『ミツバチのささやき』で、高校の頃よくアナのまねをしてたな。万が一、何かが間違ってカルメンシータ化しても、きっとすべてをなんとかするだろう。

翌6日は好天。映画をみに行くのに、この夏初めてポロシャツを着て、半袖で電車に乗らない時は靴下を履かない、のルールに従ってジャック・パーセルを出した。
カルメンシータ、6月中に買えるかな。
今日は雷が来た。

(BGMはそのデヴェンドラ・バンハート。検索したらあった http://jp.youtube.com/watch?v=D0eS2YSCOcE&feature=related 。やっぱり買わなくてよかったのか、でも買わなきゃきかなかったかも)

rosas el 6 de junio


rosas el 5 de junio con 電線セイバー


●当該週画像:

横浜の雲セイバー


横浜のチューリップセイバー


忘れちゃいけない、これも6月5日、「ティーと竹セイバー」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ア・サンデイ・モーニン・トリップ」~"civilians"

2008-05-31 22:06:48 | 週間日記
内陸の こがねの海を 日曜が過ぐ  *5月28日(中央、雲の陰は浅間山)


まだ一月半遅れの週間日記から。

●4月
7日(月)原稿~おおぎやで味噌ラーメン+50円券餃子
8日(火)原稿~出張授業
9日(水)急遽撮影+原稿~出張授業
10日(木)原稿~夕方何となくカレー作成
11日(金)原稿~久しぶりに山田うどんで天ぷらうどん~塾、うっかり携帯水没
12日(土)昼は撮影~携帯徐々に回復
13日(日)昼は原稿+競馬~晩は誘われた浦和の飲み会に。同級生Mト君、その友人のランナーMさん、循環器医Mさん、塾OB・M本君と、思えば自分を含めて上下どっちかにMのつく5名でタイ料理~帰深、駅からは出産を6月に控えたM本君奥さま車で帰還+長年の友である100円傘車中に忘れる

【カウンター08】
ラーメン1/23 他外食1/16 外飲み1/12

今回の付録は、五月のある日曜朝の小さな旅のこと

・・・

前日は駅に近い塾に車を置いていったので、回収に行かなければ。ついでにいうとこの日は小学校の廃品<回収>で、起きたら弟一家が来て2、3年分の一升瓶などを持って行った。車の回収は通常は父親に、「頼む」ということになが、時間は急がないので、ここは、そうだ、と一度も乗ったことのない市内コミュニティバス「くるリン」で行ってみることにした。朝の10時過ぎに最寄のバス停にくるリンらしい。
中学生の頃にはこのあたりの田舎にも関東の鉄道王、東武のバスが走っていたが、地元で乗合バスに乗るのは推定30年ぶり。市内を車に乗っているとよく見かけるが、ほんとに時間通りに来るのかなとバス停でアラン・ホブソン『夢の科学』など広げていると、時差1分もなく、見慣れた黄色いバスがやって来た。

料金は100円。券は1日有効だから、一日中市内どこに行っても100円というのは初めて知った。おっと、うっかり1000円札しかない。白手袋のあんちゃんに千円札を渡すと、ちゃりんと硬貨が。お釣りかと思ったら両替らしく、100円入れてください、すみません、と100円入れると、日付の入ったぺらぺらの一日パスが出た。

車内はそれほど広くない。20人くらいは乗れるのだろうか。先客は前の方に年配の女性、おっと、これではイメージがずれるので訂正、このあたりにいっぱいいる農家のばあちゃん、小学生なら実力者が占める最後尾には、若い父親と子ども2人がにこにこして、子どもたちは低学年らしく前に身を乗り出している。運転手のあんちゃん含め、6人で大回りのツアーはスタートした。

途中、畑の中にできた雇用促進住宅とやらで1名乗車。がたいのいい30歳くらいだが、すぐにポータブルCDプレイヤーから出たヘッドフォンを耳にあてているところをみると常連かも。そして群馬寄りの市内最北端で折り返すと、今度は田園地帯にはめずらしい色白でおしゃれな若者が一人。しかしそのおしゃれというのが、タイトなストライプのスーツにシャドウの入った襟でかシャツで、つまり、何やらホスピタリティにあふれた様子なのが不思議だけどさすがにそこはコミュニティバス。朝の空気にも溶け込み、CDプレイヤーの前に陣取って眠そうに目を瞑る。後ろの親子は、ほーらほーら、あはは。

バスは廃品回収の集合場所である浄化センターを過ぎ、街へ近づいていく。よく祖父母と年金をもらいに来た郵便局の前で、うっかりあんちゃんが行き過ぎてピンチだった農家のおっちゃんが、ああ乗れた、とばあちゃんの向かいに。
「これがあって、便利だいねえ、100円で街まで行けんだから」「若えもんに乗せてってもらってもいいんだけど、若えもんだって忙しいかんね」「なんつったってガソリンも、うーと上がってる、つーがね」「ほんとに便利だ」。知り合いなのだろうか。賭けるとすれば、知らない方に100円だな。…しゃかしゃか、ぐーぐー、ほーらほーら、ははは…。バスは市長の病院を越えて街へ入る。

最初に降りたのはおっちゃんで、中山道に入ったところ。「じゃあ」とばあちゃんに手を上げると、ばあちゃんぺこん。彼らの世代は、こういう動作がからだに染み込んでいていい。ドアに近づいたおっちゃんにあんちゃんが叫ぶ。「後ろから自転車が着てるから気をつけてくださいね」。自転車が過ぎ、おっちゃんは五街道の一つをとことこと歩く。

唐沢川を渡ると、今度は親子が降りる。わあわあドアを出ると、手を振る子どもたち。と、左側には自分と前を見たきりのばあちゃんしかいないし、減るもんでもないから手を振ると、けらけら笑いながらスイングが大きくなる。父親ぺこん。バスは動き出し親子も歩き出すが、次の交差点の信号で追いついたので、また子ども手を振り、こっちもふらふら。信号が変わって、駅に向かって加速。バーミヤンとデニーズの前で、南回りくるリンが来て、あんちゃんがあいさつする。

ぎいい。渋沢栄一像の前でバスは止まり、ばあちゃんを除くみんなは降りた。この後は市役所だが、なぜかあんちゃんがばあちゃんに「ちょっと、まっててくださいね」と耳もとで叫ぶと駅に向かい、何だと思ってみるとトイレに入っていった。エスカレーターを上って東京駅もどきに向かうと、リュックをしょった初老の団体が降りて来て、ねぎだとか渋沢栄一だとかわいわいいいながら通り過ぎる。わずか20分。日曜朝の小さな旅は終わり、自分の車で家に帰る。

日曜日はこれから。

・・・

深谷市のコミュニティバスくるリン。
http://www.city.fukaya.saitama.jp/kikakuzaisei/busjikoku/index.html

自宅近くのコースの運行は1日5本で、運営状況は以下の通りという。

 06年度は年間の経費は約二千九百万円にふくらみ、運賃収入約三百九十万円を除いた約二千五百十万円を市が赤字補てんした。(2007年10月9日東京新聞 参考:http://d.hatena.ne.jp/mimumimu36/20071011

(BGMは、最近買ったジョー・ヘンリーの昨年の盤 "Civilians"---Oh, pray for you, pray for me, Sing it like a song- Life is short but, by the grace of God, The night is long)

くるリン  *5月30日


草食肉食獣タンゲゲンタ  *4月11日


前回ティーが見張ってた今年の初きゅうり  *5月19日


ひげひかり ティーのお口と 四月の陽  *4月11日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の夜はNHK~"the old spring tour"

2008-05-20 01:51:56 | 週間日記
5月の風のバラ ・5月19日


おお、もう1か月半も遅れてる週間日記から。

●3月
31日(月)荏原中延、前夜のOB・TK君宅で起床~ついでに築地事務所でいろいろ仕事~帰って、車検帰りの車受取~おおぎやでもやしあんかけラーメン+50円券餃子
●4月
1日(火)昼は再校赤入れ~クロネコヤマト~新中1・初の出張授業~長崎ちゃんめん
2日(水)昼、原稿~夕、生協で間違い購入の“冷蔵”牛肉だめになりそうなので久々のハヤシライス作成。同じくあまってたキャベツも入れてうまかった~中3出張授業
3日(木)昼~夕、桜が咲いたのでわんこ散歩のOG・Eさんに便歩。唐沢沿いから仕事先ホテル関係事務所にも寄る~同級生Mト君一家と黒んぼ食堂でカレー~Mト君宅で続飲
4日(金)OB・M島君宅にCLのDVDもらいに~晩、新高1・M君と塾。宿題片づけ、新聞の数独に熱中
5日(土)Mト君一家を駅まで送る~原稿+競馬
6日(日)昼は原稿+競馬~なぜか冬の間登場ゼロのおでんをつくりたくなって作成~産直ダイコン切れでJAからヤオコーで同級生K子さんがいておでんの話

【カウンター08】
ラーメン2/22 他外食1/15 アウェイ飲み1/15

何だか仕事してるか酒飲んでるかくらいしか記憶にない日々。夜にも働いていると、阪神はどうした、朝青龍はちゃんとやってるのかと心配にもなり、23:30のNHKを楽しみにするが、気がつくともう地方ニュースになっていることもしばしば。対策として始まる前からつけておく作戦にしたが(←何と初歩的)、おかげで普段みることのない番組をいくつかみたので今回の付録はその話を。

1)4月22日 爆笑問題の番組に出てた木田元
これはいきなりだった。何の準備もなく23:25頃テレビをつけたら木田元が出ていた。
ハイデカーと現象学の木田元は何冊か読んでいる。あまり同じ著者を数読む方でないから、ファンといっていい。しかしテレビでみるのは、というか、どんな顔をしているかさえ知らなかった、いや、より正確にいえば、顔があって話をするとは考えてもみなかった。
思い出したのは10年くらい前か、「ミュージックマガジン」で誰だったかが書いていたリッキー・リー・ジョーンズのライブ評。評者はリッキー・リーがこんなおばさんになっているとは思っていなかったと驚いていて、おお、それはと写真はなかったのに納得してしまった。
その時に思い知らされたのは、自分が文筆業者や音楽業者がどんな顔をしているかにほとんど興味がないということ。たとえばそうだな、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』は大好きだけど、ブロンテがどんな顔をしていたか考えたことはなかった(←さっきwikipediaで確認。でもこんな肖像信用できない)し、思い出せば、ステレオラブなんかはCDきいただけでライブに行ってから、こういうやつらだったのかと愕然とした記憶もある。いってみれば、本やら音楽やらに関しては「顔が何だ派」として長年生きてきたわけだ。
しかしテレビの木田元には恐れ入った。何しろ最後5分なので、何だったのかはわからない太田の発言に対し、
「いやあ、ぼくがあなたのいうことをどれだけわかっているかわからないけれど…」といっていたのには、そう、レッド・ツェッペリン in the evening 途中のよくわからないコード一発をきいた時のように頭の後ろを撃たれた。[がポ、ぎゃバポポん…]
それは木田元を読んでいる時にもっとも強く感じる驚き、わかるものをわかるといい、わからないものをわからないという、「わかることの明確な線引き」とまったく同じ。自分がどちらかというと、わかっているのかわからないのかをいつも曖昧にし、それを留保することに言葉を費やしていることの対極にあるものとしてたじろいでいる種類のスタンスなのだ。それが文章でなく、顔と言葉で画面に映っているのをみるのは、文章でしか知らないステゴザウルスの絵を見たかのような新鮮な経験だった。
呆然と感動しているうちに5分みたら番組は終わり、その時に思った。自分のことを「ぼく」というのは幼稚園の時以来40年近く封印してきたが、70歳くらいまで生きていたら言い出そう、「ぼかあ、あなたのいってることが…」。おお、「あなた」ってのも歌うたう時と英語の訳くらいしかいったことがないな。
いずれにしても充実の5分間でした。

 番組サイト
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080422.html

2)5月13日 オーディション番組のようなパフォーの菊地成孔と尾上祐一
これは23:30前の番宣で菊地成孔が出るといっていたので、ほう、と初めてだったがみてみた。
ジャズの人菊地は音源をいくつか、ライブでも大友良英といっしょに生でみたことがあるが、話す人としては J-WAVE で去年あたりまでやっていて愛聴していた番組だけ。すでに木田例があっただけに、顔と話に同時に接するのは初めてなので期待が膨らんだ。
それで実際の話は、細身のスーツにカウボーイハットというあやしげないでたち同様に想定内だったのだが、ヒューマンビートボックスの2人組とともに菊地が選んだという、なんといったらいいか「発明音楽家」の尾上祐一には最初にジミー・ペイジのボウイング奏法をみた時のようにどきもを抜かれた。そうか、こういうのも音楽なんだ。[ウイういうウウウウウウーーーーん]
菊地が通されたマンションの一室には、24音階キーボードとか、謎めいたスチールギターのように横に置いて演奏するリボンコントローラとか、不思議な楽器に満ちていた。すごいのは発明家である尾上が、そのいずれもの特徴を活かしたこの上なく奇妙な曲を創作していることだ。
菊地がいう、「どうみてもキワモノなのに、一つひとつの音は実にしっかりしている」に得心。その音は確かに、「この楽器あってこそ」と思える。しかし、エレキギターがなければ I feel fine のフィードバックはなかったし、テルミンと出会って Good vibrations は別の生命を与えられたことを忘れてはなるまい。

 探したらあった。番組で奥様も賛辞の名曲『草原の馬乗り』
http://cgi2.nhk.or.jp/paphooo/result/search_result.cgi?action=detail&file_no=495

 こっちは個人のサイト。楽器ミュージアムもある
http://torigoya.main.jp/

3)5月15日 熱中夜話 ビートルズ
ウルトラマンあたりも評判よかった番組でやはり番宣で知ってみた。大御所の鈴木慶一、萩原健太がゲストと豪華。
しかしあまりに疲れていたため、始まってわずか、これからイントロクイズというところでいったん寝てしまって1問も記憶なし。もう20年近く前か「カルトQ」、うじきつよしもぶっ飛んでいた最初のコードクイズ(fool on the hill, help などけっこう急所を突いていた)では、いっしょにみていた弟とその後輩Y君もびびらせる正解率を記録していただけに残念。めざめた時には「ミスター・カイト」の馬の名前は? というすごい問題をやっていてこれは知らなかった。ファンの3~4割、萩原正解。
内容は↓)の通りだが、12歳や16歳なんかがメンバーの絵を描いていたりするとしみじみする。小4で carry that weight をきいてジョンの10年後を思ったという12歳はこれからどんな日々を送るのだろう。何かで出てきたらおぼえていたい。もちろん最新の……といって名前が出てこないような音楽をきく12歳はそれはそれでいいだろうが、10年後に話をするとしたらこういう子の方が通じるだろうな、同じ文化を共有するというのはありがたいな、などと勝手なことを思う。
「ハマッた一曲」に、 I feel fine のフィードバックをあげた鈴木、hello goodbye のドレミファソラシドを指摘した萩原もよかったが、さすがに戦略的な萩原発言には後ずさった。おそらく多くの人に質問しているだろう hard day's night のイントロのコードをファンにきいてみたり、最後にまとめとして、「ビートルズファンの方でいつも思うのは、ビートルズしかきかない方が多いってことなんです。でも、ビートルズしか知らないんじゃわからないビートルズのすごさがある。彼らがきいていた音楽をきくことで、ビートルズをより楽しんでください」(←引用不正確)という発言には、「音楽評論家」の職業的矜持を感じて思わず喝采。『アンソロジー』シリーズが出た時、「若い人はこれからきいちゃいけない。オリジナルを1000回きいてからきかなきゃ、『アンソロジー』をきく資格はない」(←回数は何回だったか)といっていたのを思い出す。

 番組サイト
http://www.nhk.or.jp/nettyu/2008/beatles/index.html

というわけで、何だかわからないまま過ぎていく春なのでした。
暑くなったり寒くなったり。

(BGMはNHKには関係ないがハイ・ラマズ can cladders。そういえばビーチボーイズフリークか。ハモンド、ハープ、弦のアンサンブルが絶妙のM1 the old spring tour が気に入っている)

======
当該週画像

桜の頃の庭に咲いてました  ・4月2日


======
最近画像

このごろよく来る暫定名ウー。この間、ついに触れました。 ・5月15日


午前7時48分、畑  ・5月15日


植えないうちにこりゃ待てんと出たきゅうりと見張り番のティー  ・5月14日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「青空柿ノ木オフィス(時々ねこ付き)」への転勤

2008-05-08 23:47:03 | 週間日記
昼休みの留守番と。24.6℃ 南南東の風風速4m 湿度27% 1007.5hPa


あまりにうれしかったので写真だけアップして「本文はすぐ」、と書いたのにすでに2日過ぎ。少しずつ前進だ。週間日記ではもうすぐ3月も終わります。

●3月
24日(月)朝はチェルシー:アーセナルでショック~入稿作業で築地出張~着いて銀座カレーえすと~晩は編集者Oさんと女王ラーメン+餃子~帰りにOB・I君と有楽町ガード下立ちすしで、「カレー・ラーメン+餃子・すし」外食は、これまでの人生でも初めての快挙かも
25日(火)昼は思わぬ不調に苦しみつつ原稿~夜は同級生M君宅に。OG・Eさん、OB・Y君も登場
26日(水)原稿~出張授業
27日(木)同級生M君と籠原の焼き鳥屋に。なぜか、シングルモルトウィスキーが破格値で驚きお得
28日(金)うっかりしてたら愛車車検切れたので、某ディーラー勤務の中学勤務時代のOB・K君に渡す~晩は塾
29日(土)昼は撮影
30日(日)同級生Mト君一家とともに美人ランナーYさん主催の錦糸町花見に~午後3時頃雨天引き上げ~阿佐ヶ谷でOB・YK君の芝居。その同級生数名にも会う~その1名で10年ぶりくらいかなのエンターテインメント業界で働くTK君と新宿で飲み、彼のアパートに泊まる

【カウンター08】
ラーメン1/20 他外食2/14 アウェイ飲み1/14 外飲み2/11

水曜は新たな仕事関連で国立競技場スポーツ博物館と東京ドーム野球博物館に出張。おもしろかった。
そして木曜は自宅作業。天気があまりに気持ちいいのでかねてから計画していた庭支店に異動希望すると、何しろ辞令を出すのも自分だから、当然のように転勤がかなった。いつの間にか勝手に生えてきた柿ノ木が、陽射しを遮るのにちょうどいい大きさになっている。
1万0500円で買った中古ノートのバッテリーは使えないが、外ソケット100Vで電源はOK。無線LANだからほんとはもっと遠くても大丈夫だ。

新たな職場の仲間は、ずっと前からがんばってる植物どもや、無機物はジョウロさんや石灯篭君。面倒なことはいわないいいやつらだし、天井が空の仕事場は快適です。ただ明る過ぎて、ちょっとディスプレイがみにくかったけど、そのくらいはしょうがない。

でも、雨に弱い新オフィス、今日は閉まってます。

(BGMは開店時はニール・ヤング、今はウィルコのその名も sky blue sky)

--------------------
当日画像から:


今度のデスク、天井


隣の古株OL(5月3日)


地下室は秘書が占領

--------------------
当該週画像から:


3月27日。タンゲゲンタと、この春よく来る暫定勝手名ウー。この後、バトルになった


3月29日。深谷レインボーブリッジ下(某教習所教官命名)。この頃は電線にまで桜が咲いていた


3月30日。猿江恩賜公園
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ところてんの春」~"The Saxophone Song"

2008-05-04 22:51:23 | 週間日記
トップは当該週3月22日のティー


なんと、すでに週間日記は史上最長1ヵ月半の遅れ。こうやってずいぶん前のことを書くことにどういう意味があるのだろうと思いつつ記録用なので続けてますので、最近のこととデュアルタイムになります。

●3月
17日(月)夕方、恒例電話取材
18日(火)夕方、OB・Y君来~晩は同級生M君宅に
19日(水)推定37年ぶりの虫歯歯医者~出張授業~(多分)長崎ちゃんめん
20日(木)ずっと仕事。晩に煮ぼうと作成。そろそろ最後か
21日(金)仕事の隙をついて朝から高崎行き。シネマテークでマリアンヌ・フェイスフル主演『やわらかい手』~途中、精華軒でラーメン~またシネマテークに戻り川島+若尾『女は二度生まれる』は一度録画で見たがやっぱりよかった~おやつは、すかや本店でもりそば~1年前に行った古本屋で増村+若尾の名作『華岡青洲の妻』の有吉佐和子原作を見つけたので購入~帰路、気になっていた群馬の森というところ、国道沿い謎の中国物産店を偵察~晩は塾に行き、M君の母上で同級生HさんのPCを預かる
22日(土)危険物取扱の試験を受けるので物理化学の計算をおしえてくれとOB・HT君、その同級生で競馬ファンのTT君が来。いろいろ近況もきく
23日(日)昼は急遽いろいろ発表会の撮影で本庄へ~帰りは麺や一発という店で塩ラーメン

【カウンター08】
ラーメン3/19 他外食1/12 アウェイ飲み1/13 劇場映画2/10 TV海外サッカーは後で整理

このごろ、毎日、ところてん。
ところてんが、しゃわ・しゅぱーと放たれるように次から次へと仕事が来る、と思ってから、あれ、でも「ところてん式」というのはちょっと違うような気もするなと goo で三省堂「大辞林第二版」を引くと、「ところてんを突き出すように、あとから押されて進むこと。何の苦労もしないで、押されるままに進んだり、物事を終えたりすること」とある。そうか、押されるままではあるけれど、苦労がないわけではないので、では、食べても食べても出てくる「わんこそば式」というべきかな。いずれにしてもフリーランスの身にはありがたいが、ちょっと仕事は容量オーバー気味だ。

そんな日々に実は、ところてんそのもので対抗している。
この間、10年ぶりにくらいに会ったOBで某エンターテインメント界で働くK君が goo ブログに寄せてくれたコメントによれば私は、「椎名誠の私小説に登場する、背が高く、長い手足をヒラヒラさせている沢野ひとしに似ていると思うけど…」らしいが、そのイラストレーター沢野ひとしの著作に『ところてんの夏』というのがあるという。この本は知らなかったが、このタイトルにならえば私の08年春は、後に「ところてんの春」として思い出されるに違いない。
きっかけとして考えられるのは、築地事務所で働く上州出身の若手デザイナーM君がいった、「群馬のほうって、焼きまんじゅうとところてん売ってる店ってのが、なんか多いんですよね」。坂東太郎・利根川をはさんですぐだから焼きまんじゅうは昔なら車で売りに来ていたくらいでなじみ深いが、ところてんが焼きまんじゅうと並ぶほどとは知らなんだ。
と思いつつ数日後、普段の買い物の時、久しぶり二個入りところてんを買って食べるとこれが実に今の気分や体調にしっくり。それからしばらくところてんの日々をやり過ごすため、頼りないとはいえ強力な助っ人としてところてんに毎度登場願っている。

ところてんの美点は少なくない。まずあげられるのは、どのところてんもそれほど変わらないというところだろう。
たとえば同じようにふにゃふにゃした豆腐ともなると、一丁三〇円未満から数百円のものまで幅広く、しかも味にもかなりのばらつきがある。同じ一〇〇円でも、これは五〇円くらいでちょうどいいだろとか、もしその値段なら買わないが、これなら二五〇円でもいいだろうとか思うことは多いし、何といっても特に木綿豆腐なんかはパッケージの外から見ただけで、これは買っちゃいけねえ豆腐だろうとか、いってみればボードリヤールが提唱した「シミュラークル」の世で市場原理を推進させるための差別化を、思う存分味わえるのが豆腐という商品なのだ。
しかしところてんともなるとそうはいかない。パッケージレベルで見ると、やつら一応、「秩父の清流で…」「からだにやさしい黒酢入り」などと自らの素性、特性を主張しているものの、そんなこといったってどうせ内容にたいした変わりはないから、高校の最初の授業で「秩父市立○○中学出身で……」などという生徒の自己紹介を聞く高校の世界史担当ラグビー部顧問のH先生のように、「そうか、君は秩父の水で育ったんだな、黒酢入りとはいじゃないか、さあ、次の君」などという程度にきいていれば十分。実際のところどれを買っても、これちょっと細いかな、でもあんまり変わんないからいいやくらいで、気に入ることもなければこれはだめだということもない。
この点について前出上州のM君らに話していたら、若い女性編集者が「ええ、でも、前に伊豆で食べたのはすごくおいしかったですよ」というので、へえ、そんなことも。何でも名産のわさびの水がどうのといっていたが、詳しいことはよくわからず。ほかよりおいしいところてんについては、今後の研究課題としてとっておこう。
ともあれ、この高度に発達した市場原理主義の中、これだけどれを買っても変わらない商品は、マーケットの暴力にさらされる現代人に奇妙な安堵感を与える。

さて、次のテーマは食べるタイミングだ。
別にいくら食ってもいいのだろうが、なぜか小学校の頃夏休みに買った肝油ドロップのように一日一パックと律儀なルールを決めているので、いつ食べるかは意外に重要なのだ。
最初は午後五時くらいが王道と思っていたが、意外に仕事が長引いた夜中というのが趣きがある。そういう時にはだいたいばてているので、酢の香りと辛子の刺激がありがたい。
そういえば、私はところてんを食べる時は、これは別に醤油と酢でいいと思うが、ほかに使いみちもないし、納豆のたれみたいにやり過ぎの感じもないので今はどれも付属になっているたれと、ねりからし、そして青海苔だ。実はこのねりからしのところで、今までに「えっ、七味じゃねえか」っていう人が何人かいたが、彼らは1980年より前に駄菓子屋で食べたという点が共通しており、これらから推測すると、きっと1970年のS&Bが嚆矢となったチューブ入りねりからしの登場が関係しているのではないかとにらんでいる。つまり歴史的事実から考察して、その頃まで駄菓子屋でねりからしを使うのは難しかったので七味で代用していた、と考えるのだがいかがなものだろうか。ここは一つ、専門家の意見を待ちたい。

ところで、一般的なパックところてんを食べるとなると、その手順についても少々考えねばなるまい。
まず水を出すが、これは多くの人が手で開けられれば手で、開きにくかったら包丁の根本で二つの穴を穿ち、とろとろと出していると想像する。この穴の按配がなかなか難しい。大き過ぎるとうっかり数本のところてんが流れ出して心理的に大きなダメージを受けるし、小さ過ぎるといつまでもとろとろ水が出るのを待っていなければならず、何やってんだということになる。
なお、昔はこの水は何か特別なんだろうか、一度味わってみたいと思いつつ、でもそれは豆腐の水を飲むのと同じくらいに犯すべからざる禁忌だったのだが、これは一生で最大の「ところてんの春」記念だから、ダニエル・シュミットの『今宵かぎりは…』のように日常とは違ったルールに支配されるのだろうと勝手に解釈してついにその透明な液体を一口含んでみた。うげ、味がない。そうだった、ここはスイスの古城ではない。

そんなある日、一気に水気を切る大胆な作戦を発案した。これは米を研ぐのに手持ちのざるを使う姉がヒントなのだが、小さな穴なんか開けてないでバッとざるに明ければ瞬時に、しかも水分のほとんどが切れるのではないだろうか。しかも、透明なところてんを濃色の器に盛れば、新和風料理の一皿のようで美的にも優れているではないか。
このアイディアに私は興奮したが、実際にやってみるとその作業の味気のなさに幻滅した。そうか、ああいうちょろちょろした作業もまたところてんの一部なのだな。やっぱりところてんは、おしゃれなんてめざしちゃいけない。

そんなこんなでところてん日々が続き、よく行くベルクにもなんというのかところてんのかたまりが売っているのに気がついた。そうだ、そろそろパックから、かたまりで買って押してつくるべきではないか。
そう思ってまずは検索すると、安いのはアマゾンで600円から、しかしこれは木製でないのがいまいちで、楽天などには刃にピアノ線を使っているというのまである。むう、しかしここはネットショッピングにばかり頼らず、まずは自分の目で見て買うべきでないかと、仕事が一段楽した四月二九日昭和の日、ホームセンターへと向かった。

しかし、まず入口で花だのピーマンだのの苗に心奪われ、うっかり手に取るがこれではところてんマシンが買いに行けない。外の小屋にいたホームセンターが似合う健康的なバイト少女に、中を見てきますのでここに置いておきます、中でところてんマシンを探すがなんと「押すゾウ」とかなんとかいうのが1500円もする。これではところてんが一五個も食えるとあわてて引き返し、その代わりにローズマリーやなんかが一つ98円のところ五つで398円だったのでどしどし、ついでにこの間、父親が植えていたがリスクヘッジのためのキュウリ、ナスほか野菜の種に三割引の花の球根と、つい千円以上も買ってしまった。
これもまたところてん効果といえよう。

さて、ところてんの四月ももう終る三〇日。ところてんで精一杯でろくにニュースも見なかったら、ガソリンが五月から値上げという。もっと先かと思ってたのに、道理で二九日のスタンドが車であふれてたわけだ。
三〇日は出張授業で、これからおれもガソリン入れてこなきゃと中3生にいって夜の仕事のための腹ごしらえもあって熊谷方面に出発する。最初のスタンド、バイパス沿いは121円で車が数珠繋ぎ、次の407号沿いも鈴なりで、こっちは108円と書いていった。よし待った甲斐があったぜ、あの108円で入れれば大金持ちだ、なことはないが半分近く残ったタンクを一杯にする店を決める。それにしても、世の中にこんなに車があったのかと思うくらいみんながスタンドに押し寄せているようだ。給油機の前に吸い込まれていく車の群れも、なんだかところてんに似ている。「何の苦労もしないで、押されるままに進んだり、物事を終えたり」。

三浦雅士で待って味噌ラーメンを食べて値上げ前の22時に108円へゴー。なんとみんなぎりぎりだと心配なのか、前には一台しか車がない。セルフだと思ってたら店員のあんちゃんが来て、109円の何とかコースと109円のスマイルコースどちらですか、というので安い方、スマイルですか、はい、わかりました、店員はところてんのふたに穴を開けるように給油口にでかい銃の先のようなのを入れる。

あぁーりがとぅ、ござぃましたっ! ところてん押しあんちゃんに見送られて407号へ。それから高校時代に自転車で通った道を抜けてバイパスに出る。角の121円はまだまだ鉄のところてんだらけだ。
信号を抜けて、久しぶりに腹いっぱいになった愛車のアクセルを踏む混んだ時きこえてきたのは、ケイト・ブッシュデビュー盤の一曲 "The Saxophone Song"。五年くらい前、最初にCD-Rドライブを入手した時に何枚かつくった編集盤の一つでピアノが印象的な曲を集め、"piano speaks" と題したCDがひょんなところから出てきたのできいていたのだ。
この道はできていなかったけど同じ場所を自転車で走っていた高校の頃、SONYのDUADに録音したこのアルバムは部屋を暗くして数え切れないくらいきいた。オープニング "Moving" のエンディングに狂おしい動物;さっき知ったがクジラらしい:の重く声が重なり、透き通った空を思わせるアルペジオが駆けるように流れる。そして、"Tuning in...on your saxophone..." とケイトが声を張り上げるやいなや叫びをあげるサキソフォン……

何度も繰り返しきいたサウンドが炸裂したその瞬間、思い浮かんだのは真っ黒い春の空いっぱいに広がったところてんである。
ずっとところてんマシンと呼んできたものが、実は「天突き」というらしいことも今回の調査の中で知った。一夜でガソリンの値段が25円も変わってしまい、その前にみんながガソリンスタンドのところてんになる。そんな不思議な「天を突く」とは、何ともすばらしいネーミングじゃないか。
もし人々がそれぞれの手に「天突き」を構えてところてんを天に向かって撃ち上げれば……

夜空に舞うところてんなら月と闇の間できらぴろと光って、昼間の青空に跳ぶところてんならつるきゅんと輝いて、それはきっとガソリンスタンドのところてんよりずっと気のきいた光景だろう。そんな空から落ちてくる光り物を醤油と酢、からしと青のりを用意して待っているのは、どんなにわくわくするだろう。
そんなことを思いながら、"The Saxophone Song"を四回リピートすると家に着き、ラーメンのデザートして天からでなく冷蔵から出したところてんを食べて、次の日の仕事に備えて文章を打ったりプリントしてFAXしたりしたら五月一日が来た。
ところてんの春ももう少しで、次はきっとところてんの夏。

(最後まで読んでいただいた方がいましたらありがとうございます。BGMはケイト・ブッシュ、デビュー版見つからず、なんかところてん感覚のデヴェンドラ・バンハート smokey rolls down thunder can you)

※"The Saxophone Song" は http://jp.youtube.com/watch?v=fexNR7nxk8s&feature=related
スタジオ版とはけっこう違うが、これは有名なライブ版。
http://jp.youtube.com/watch?v=Ax972P3T4ow

※S&B「ねりからし」は
http://www.sbfoods.co.jp/press/text/2007/0701kapumax.htm

===まずは当該週画像

枯草ベッドでタンゲゲンタ 3月17日


ピラミッド ひひんひひんと 彼岸雲 3月21日


3月22日


同じく3月22日


===ここから最近

ところてんマシンの代役


裏のスター


前のスター


スターに集まる輩
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「泣くな、セスク! 鳴れよ、青シャープ!」~バトルズ・オン・イレブンス・エープリル、その前編

2008-04-16 21:42:34 | 週間日記
トップは本日撮、ティー、タンポポを歩く


うっかりしてたら週間日記、また1ヶ月遅れに。

●3月
10日(月)恒例電話取材~伊勢崎でラーメン・うさぎやで塩ラーメンはユニーク~MOVIXにて『潜水服は蝶の夢を見る』~帰って横入り原稿整理
11日(火)横入り原稿整理~原稿
12日(水)原稿~出張授業
13日(木)午後から中3M君がノートPC買うのに付き合って一家と熊谷へ。ヤマダでクリーナー買おうとしたらポイントカードが切れていてわはは~のび太で新登場の中盛そばを初めて食。これはオーソドックスで、らしいといえばらしい~OB・M君からのCL入りDVD回収
14日(金)原稿ばりばり
15日(土)午後から撮影~帰りあまりに腹がへりしばらくぶりの拾六間・福龍で醤油ラーメン大盛
16日(日)午後から撮影~競馬だめ~カレー製作~父がみる『篤姫』みておもしろかったので、宮崎あおいついでにちょっと前にWOWOWでやってた『初恋』もみる

【カウンター08】
ラーメン2/16 他外食1/11 劇場映画1/8 自宅映画1/2 TV海外サッカーは後で整理

今回の付録は昨日4月11日の出来事。といったんは書いたものの時間切れで順延。これ自体、単に1週間前の話になり、週間日記と3つの時空が。

・・・

忙しい日々が続いている。仕事先に送り込んだOB・I君が初の担当になったというEブックの原稿整理が来たので、日本時間火曜深夜にあったチャンピオンズリーグ(以下:CL)の英国対決、リバプール:アーセナルの大一番は延期して、というか、単に春になって夜12時頃になると寝てしまうようになっただけだが、11日金曜も朝起きて一段落まで仕事を進めた結果、お午頃になってようやく終わり、昼から風呂をわかして、わくわくしながらビールとともにテレビの前に座る。

しかし、豆腐を用意しているうちに最初の困難発生。CLアンセムが流れるあたりからOB・M君から調達したDVD-Rが止まり始める。原因はわからんが、4年目に突入したSHARP君は最近DVDドライブが不調で修理に出そうと思っていたほどなので、ここは先月かうっかり業者オークションで落札できてしまった1900円+送料1400円の中国製を、はふはふと箱から出してデビューさせた。こっちでも少し止まってびくびくしたが、キックオフ5分くらいからスムーズに再生できるようになる。

敵地アンフィールドでもガナーズは燃えていた。
動きのよくないリバプールに対し、世界一美しいパスワークがさえる。13分には早くもフランスの攻撃する壁、ディアビが先制点を挙げ主導権を握った。しかし英国一のCL優勝回数を誇る伝統のクラブも負けてはいない。17分後にセットプレーからフィンランドの狡猾DF、ヒーピアが同点ゴール。リバプールも調子を上げてきた前半終り間際、豊富な運動量で今シーズンの中盤を支えてきたフランスのもみ上げ伊達男、フラミニが接触プレーで倒れる。こりゃ、豆腐食ってる場合じゃない。

替って入ったのは、フラミニのような攻撃力はないが前シーズンではおもにキャプテンマークをつけた頼りがいのあるブラジルタイプのボランチ、密林の縁の下の力持ち、ジルベルト・シルバ。後半に入ってもアーセナルが押し気味にゲームを進めるが、69分ゴール左でボールを受けたリバプール、スペインのダルビッシュ・フェルナンド・トーレルが振り向きざまのゴールを決める。この名門試合巧者は、守勢に回ったゲームほどこわいのだ。
ここで世界のフットボールプロフェスール、アーセン・ベンゲルが動く。オランダの若き快速恐竜、ロビン・ファン=ペルシと、英国のティーン・ジャガー、セオ・ウォルコットの2枚を同時投入して勝負をかけてきた。
そして8分後の84分。世界のサッカーファンは、忘れることのできない夢のゴールを目撃する。自陣ペナルティアリア付近でボールを持ったウォルコットが、アンフィールドの地面を飛んだのだ。
まず自陣で二人を抜いて相手陣内に入ると、次に三人のリバプール守備陣が襲い掛かる。だが、一旦速度を緩めた軽やかなボールを持った速い野獣が大きく蹴り出すとボールはサバンナのようなスペースを滑って行き、二本足の狩猟者が再びそれに追いつく。
実際にそういう場面を見たことは映像でさえもないはずだが、その数秒はこんな光景だった。
草原をボールと走る浅黒いジャガーに、赤いジャージを着た野獣ハンターたちが襲い掛かる。けれども軽やかでしなやかなジャガーは遊んでいるように飛んで行くから、悲しきハンターたちは決して追いつくことができない。
数秒後、ボールに追いついたジャガーが大きく右足を回転させると、ボールは大きく口を開けた網の前に向かって見事な直線を描いた。網の前で待ち受けていたのはまさしくそんなアフリカ、トーゴから英国にやってきたエマニュエル・アデバヨール。190センチの踊る巨人がジャガーからのボールをリバプールの網に叩き込むと、スタンドの一部が歓喜の渦に包まれる。
やった、いつもテレビの前で突き上げるのは右手だけだが、この時ばかりは私も両手を突き上げた。スコアは2-2。しかしアウェイゴールが2倍のCLリーグではこれでアーセナルの勝ちだ。時間は残りわずか。ベスト4へ進むのはガナーズで間違いない。誰もがそう思った。

しかし、フットボールの神がこの美しき革命者に与えたのは試練である。
数分後、リバプールペナルティアリアで今年の守備陣を支え、果敢な上がりで相手ゴールを脅かしてきたコートジボワールの熱血漢、コロ・トゥーレのプレミアのジャイアント馬場、ピーター・クラウチへのタックルをファールと判定されてしまう。ジャッジは極めて微妙。重要な場面であることを熟知しているトゥーレはもろ手を上げてやむを得ないプレーということを主張するがレフェリーが指したのはPKポイントだった。Arsenal.com によれば、トゥーレは"really hard to accept"とコメントしている。
キッカーはもちろん、リバプールのファイティング森本レオ、スティーヴン・ジェラード。ナショナルチームは英国を応援する私としてはもっとも頼りになるファイターだが、たまには外してくれてもいいじゃないか。しかしキャプテンは外さない。これで3-2.リバプールリードだ。

それから10分弱。何度も繰り返されてきたきりきりする胃の痛みを、ガナーズファンの私は今年も経験してしまう。1点取ればいい。強引なプレーでもいいじゃないか。今日だけは美学は忘れていい。祈るような気持ちでピッチを見つめる。
だが、ほとんど止まりかけた脚を引きずって、ガナーズは自分たちのサッカーを続ける。こういう時、サッカーを見ながらいつも涙が出てしまう。
細かいパス回し。全力で走っても届かないところへ飛んで抜けていくパスは、アーセナルサッカー戦士の休息である。取れるか取れないかぎりぎりで勝負する美学。過剰なサスペンスを要求するボールの流れから、しばしの間抜け出せて、音楽でいえば美しいブレイク、休符のフェルマータのように感じられる。
バレンシアに敗れた最高期、決勝まで進みながら完璧だったバルサに敵わなかったパリ、チェルシーの狡猾にやられたこともあった。
そんな悲しき10分間の終わり近く、オランダ期待の星、バベルが前がかりのアーセナル守備陣の間を突き独走。解説・粕谷秀樹が「今年のアーセナルの象徴」をいう、今や世界一のセントラルMFになりつつあるスペインの若き巨星、セスク・ファブレガスが追いつこうとするが、豊富な運動量を誇る彼にももうスピードは残っていなかった。ガナーズの07-08のCLを終らせたゴール。数分後、ホイッスルが鳴り響き、アンフィールドはリバプールサポーターの歓喜に包まれる。

こみ上げてきたのは、ユニフォームで顔を覆うセスクの姿を見た瞬間だった。まだお前には何回だってチャンスがある。
この背番号4は、パトリック・ヴィエラが抜けてレギュラーの座に就き、経験不足を心配する声を他所に恐ろしい勢いで進化を続けてきた。私にとって今シーズン最高のゲームはCLベスト16のミラン戦。ゲームとしてはエミレーツの1st Leg が充実していたが、お前の足で王者をしとめた瞬間はもっとも忘れられないシーンだ。
たとえば数節前、0-2からの逆転で湧かせたボルトン戦。3つのゴールより印象に残っているのは確か80分あたりの、映画でいえばワンシーンワンカット、NHKアナが「まだある、まだある、まだアーセナル」と続けるばかりだった波状攻撃だが、ボルトンに渡ったボールを果敢に奪ったお前のディフェンスは隼のように高らかで、虎のように優雅だった。
胸を張れセスク。勝利は栄養になることはあっても、決して鍛えることはしない。ぶよぶよの勝利者になるより、今日の敗北で明日のために鍛えよう。
泣くなセスク。きっと神が、この上なく美しいサッカーにちょっとだけ嫉妬したんだ。

・・・長くなったので後編「鳴れよ、青シャープ!」に。
 しかし、去年のCL決勝の時も後編は未だに書かないまま。

(BGMは、試合後にもきいた Wilco "sky blue sky"。impossible germany のギターがいい)

おまけ画像は、前回の続き桜

桜アップ


これは唐沢少し下流で太くなって


これは当該週から。1ヶ月前は、ホトケノザを歩く
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「17号線を左に折れ」~"house of coward"

2008-04-04 23:38:54 | 週間日記
桜は咲いてもうちにはないので、かわりに
「庭の“ダブルファンタジー”」

3月29日撮影

うっかり更新できず。桜は咲いてもまた1ヶ月遅れ、つまり3月最初の話です。

●3月
3日(月)入稿作業で築地へ。ラーメン共楽~塾でテスト前授業になり早めに戻る
4日(火)再び築地で入稿作業。ラーメンは初めての有楽町はしご~何とか最終で帰還
5日(水)深谷→浅草→群馬→浅草→東京西部→深谷。詳しくは(↓)。食事は、群馬のうどん、三鷹・江ぐち~帰宅後、順延の恒例電話取材~NHKライブビートはゆらゆら帝国。すごい
6日(木)昼は原稿
7日(金)昼からアーセナル:アストンビラ~なんと1年以上ぶりの自宅映画は、フリッツ・ラング『口紅殺人事件』~OB・M君宅にCLの録画を回収に塾~
8日(土)昼は撮影
9日(日)晩は同級生M君宅に

【カウンター08】
ラーメン3/14 他外食1/10 アウェイ飲み1/12 自宅映画1/1 TV海外サッカーは後で整理

書こうと思っていたことはいろいろあるけど、今回のおまけは途中まで書いていた当該週の3月5日水曜のこと。いつものように長文です。

前日は入稿作業に出かけ、仕事は最終電車までに片付いた。近くの席で仕事していた編集者のYさんがよく水曜は取材で群馬だというので、よかったら向こうで待ってて駅から乗せていきますよ、といってたら、じゃあ、こっちから車で行ってもらえますか、ということになった。

翌朝、待ち合わせ場所である浅草に行ったが、うっかりしたら30分遅刻。申し訳なかったが取材の時間には間に合い、お午を名物のうどんで取って取材が始まる。といって、今回は運転がおもな仕事だったので、主役の方々の仕事を見ているだけでよく、春のお寺ののんびりした空気をかいで、人々の話をきいていればそれでよかった。こりゃ楽な仕事だわいと、思いつつ撮影のために残る編集者を残し、主役を浅草に送って行って仕事は終った。深谷~浅草~群馬~浅草~深谷。こんなに車に乗ったのは久しぶりで、昨年5月からのレガシーオブゼルダでは、そういえば高速に乗ったのも初めてだった。
楽といってもすでに200キロ以上も運転していたからさすがに疲れていて、まっすぐ帰ろうと思って巣鴨から17号に乗る。学生の頃は何かとよく走った道で、夕方のラッシュで仕事帰りらしい車の群れに混じって混み始めた一般国道を北に向かう。

しかし、板橋の環七交差点前にふと思った。そう、記憶の中でも好きな方から3本の指に入る、「環七ラーメン」と呼ばれていた「土佐っ子」は内部分裂でなくなったときいたが、その場所はどうなっているのだろう。夕方の解放感もあって、これも伊勢正三作品だな、「17号線を左に折れ」た。

近くにあった、一度だけ間違えて食べた「球磨っ子」という店も、看板はあるが開いていない。少し走って確かここだと思う、20年前には日が沈めばタクシーやら何やらが鈴なりになっていた陸橋を下ったところにあったはずの店はシャッターが閉まったまま。別の店がやってるんじゃないのか、安心したような残念なような感じを抱きながら、ここまで来たんじゃ、もうちょっといってみよう。都内の街はどこも近いじゃないか、と環七内回りを走る。

レスピーギや『カルミナ・ブラーナ』をききながら、目白通りや早稲田通りを過ぎていく。最初に行こうと思ったのは、青梅街道との交差点に近い東高円寺。1年半くらい住んでいた街だが、JRから離れていることもあって大学を出てからはほとんど行っていない。

夜中によく食べたホープ軒本舗をうっかり過ぎ、大学の保険でただだったので風邪をひくと行った、土曜のバザーで家具も買った救世軍ブース記念病院あたりで曲がり、これは接道義務を満たしてなくて建替えはできないだろうなどと、四十を過ぎてからの仕事で知ったことなど考えながら青梅街道に出て、いったん環七に戻って大久保通りを入る。このコースの方がみたい場所をみる順番がいいと思ったのだ。
クリームコロッケ付500円のAランチをよく食べた、名前は忘れたキッチンは建物だけあって看板はない。『ぼっけもん』とか『ハロー! ハリネズミ』とか1冊50円かなんかで借りた貸本屋も同様。そりゃそうだ。25年も経ってんだもんな。
駅から大久保通りまでの坂道は、よく高清水・辛口を買っためがねのおやじさんのいた酒屋とか、ぐい飲みが売っていたりする飲み屋。そして駅から見て右手に斜めの道を入ると、杉並あたりにはまだまだ残る小さな商店街がある。
八百屋とか大理石パネルの風呂屋とか、商店街の店にもお世話になったところは多いが、中でも東高円寺時代を代表するのがとんかつ屋の、そう、Pという店だ。

確か貸間の大家さんの法学部出身の息子さん、この方からは有吉佐和子『青い壷』、渡辺淳一『阿寒に果つ』、大量の「ジュリスト」や「判例集」をもらったりしたが、引っ越して最初においしい店としておそわったのがこの店である。
店のいいとこ満載のP弁当、五時間はさめないんじゃないかと思うような熱いとん汁定食、何を食べてもすばらしい。定食は日替わりでいくつかあったが、看板のとんかつは一度も食べたことがないような気がする。酔っ払って四畳半に泊まっていく愚か者たちにもすこぶる好評で、高校からの友人Iなどは、「おめえにはPをおそわった借りがあるからな」と、十年くらい自分が発見した店に連れて行くたびにいっていたほどだ。なお、確かその後もPに通い続けていたIは、いつしかマスターと話すようになり、ともに麻雀卓を囲んだこともあっという。ほかでも、大学生活終り頃に運送屋のバイトで知り合ったS学会員は、三鷹のアパートに来てS新聞をすすめた時、これは君があのとん汁定食をおしえてくれたのと同じなんだ、と妙に説得力のあるたとえ話をしていたが、それほど求心力のある店だったのだ。
カウンターと、小さなテーブルもあったか、の狭いけれどきれいな店にいるのは、ほぼ大魔人佐々木に似た眼光鋭いマスターただ一人。「とん汁定食お願いします」なんていうと、わずか二秒のクイックモーションで小さな雪平鍋にとん汁を取り分ける、さささっ、しゃしゃしゃっとキャベツを切り分け皿に盛ると、なぜかほんの右手でほんの一つまみを自分の口右側に運び、セットポジションの大魔人がセカンドランナーを見やるように何もない店の天井と壁の継ぎ目あたりに目をやると、頷いているのか首を振っているのかわからないくらいの首の動きをして次の一球、いや一皿に移っていく。
魅力的な飲食店の調理者の誰もがそうであるように、その大魔人マスターの動きはその商品と同じくらいに完璧だった。ほとんどの客は見とれるように自分の皿が運ばれているのを待ち、ため息が出そうな、でもついてる暇なんかない、そういう十分程度を過ごして帰っていく。それは、横浜の、シアトルの一点リード九回のような時間である。真っ直ぐに見えて力一杯バットを振れば必ずその下をくぐり抜けていく、そんな佐々木のフォークと同程度の完璧さを持っていた。

駐車場は見つからない。すぐ帰るつもりでハザードをつけたまま車を駅通りに停めて、斜めの道を入っていく。それはなぜか記憶の中よりずっと狭くなっていた。小学校の頃に知ったに成長してから行ってあまりの小ささに驚くことはよくあり、それは肉体の成長に関係あると単純に思っていたがどうやらそうではないらしい。おそらく記憶の中の認識を変形は時間の仕業であり、たぶんそれは思い出が美化されることと関係していそうだが、それは後でゆっくり考えよう。今はPがどうなっているのか確かめることだ。
斜めの道は実は何本かあって、うっかり最初は間違えて入った約三メートル。果たしてPは、二十年前と同じ建物のままそこにあった。時間は夕闇迫る六時。定食の看板が出ていないところを見るとこれからか。確か夜はやってたはずだ。
暗い店内を確かめると、マウンドにはスポットライトのような明かりがついている。ハマの大魔人は故障に勝てず引退したが、こちら東高円寺の大魔人は現役のようだ。数時間後の九回に備えてのウォーミングアップなのか、カウンターの中で一心不乱に手を動かしている。
ああ、じゃあ、これから定食のメニューを書いてプレイボールなのかも知れないな、ひょっとすると、まだですか、なんてきいたら、ああ、どうぞなんて、入れてくれるかも知れない。そう思ってもうさすがに輝いてはいない二十年前からのガラス越しに大魔人を見やると、稀代のストッパーも気配を感じてか、少しだけ顔を上げたような気がした。

その時私が会ったのは、二十年も前の自分の“臆病”。思い出したのは、今よりずっと意気地がなく、何もいえなかった頃の自分が持っていた“世界の感触”である。マスターがこっちを見た瞬間、なぜだかその頃の臆病が頭をもたげてきて、ああ、と目をそらし、すぐにドアの前を離れハザードのついた車の方に戻った。
いつまでも二十歳そこそこのようでは仕事などしていられないから、その後の二十年で私も少しずつ自分の臆病さにふたをしてきた。同じような場面でも最近知った店なら、すみません、まだですか、なんて、おかげで今ならかんたんにいえるだろう。だけど臆病にふたがしていなかったその頃は、店の人に話しかけることなんとんでもなかったから、東高円寺の大魔人にも「とん汁定食お願いします」とか「ごちそうさまでした」くらいしかいったことはない。
時間によって人は変わることはあるが、それは変わるのではなくふたをしたふたの部分しか見えなくなるだけだと思って、ほかのひとにもよくそういっている。いわく、脳の構造からしてもそうだろう、視床下部、古い脳は変わらないまま新皮質で覆って“人間”になってる。
つまり私の二十歳の頃の臆病は臆病のまま、ツラの皮をかぶっているに過ぎない。そう思い出させてもらっただけで十分じゃないか。ありがとうマスター、とん汁定食は次にしよう。そう思いながら東高円寺を出た。

五日市街道から青梅街道に入り、北裏の交差点を曲がる。向かったのは東高円寺から引っ越して二年間住んだ三鷹。このマンションには法学部のIが、この辺の日立の寮には中学の同級生のKが住んでいたとか思い出しながら、こっちは電車で今も年に数回来ているラーメン屋・江ぐちにたどり着いた。
車は、よく2千円ジンギスカン食べ放題・飲み放題に来た三平ストアの前の駐車場で30分200円。学生の頃はどんなことがあっても有料駐車場なんかには停めなかったな。三平ストアに入ったら、当時はまだ存在すらなかったJ-WAVEピストン西沢がしゃべってる。おしゃれじゃないか三平ストア、でも食べ放題の二階はもうない。
最近休みが多い江ぐちはやってて、学生の頃は食べられなかった皿チャシューも注文。でも、当時のままの店主、通称タクヤには今も必要以外話しかけないままだ。それから、たけのこもやしそばに卵半熟でと注文。学生の頃ならかなりの贅沢メニューだぜ。
ごちそうさん、で、地元では買えない沢乃井・辛口を買いにH酒店に。でも「大辛口」だけで「辛口」がなく、おばちゃんにきかれたのでそう応えると、「ただの辛口」なんてあったかしら。でも、三平にはあったとはいわず、じゃあいいですと出る。臆病時代ならびびって、つい何か買っちゃったかも知れない。
秀島文香をききながら三平ストアで沢乃井・辛口購入で、しかも二本いっぺん。こういう技は学生時代にゃできなかったぜ。地元と同じで袋はいいです。一升瓶二本両手に持って前の駐車場で、若いバイト風に券を渡すと上の方から愛車がががーっと降りてきてご苦労さん若者。さて、奥関東平野に帰ろう。

青梅街道から環八、笹目橋。これは当時もよく通ったコースだ。途中、そういえば前日築地事務所にマウスを忘れてきたので、17号大宮バイパス側コジマで980円バッファローを買う。レジに持っていくと、カードをここに入れると100円券が出るんですよと店員がいうので、お願いします、ほら出るでしょう、ああ、どうも、でもこれ1000円以上って書いてありますよ、これ980円なんですよ、ああ、そうだ、じゃあ、900円にしときますよ、どうもありがとうございます。嬉しい。しかも、このマウス、すごく、ださくていい。白と黒と灰色があったので、よりだささがしみる灰色にした。二十歳そこそこならいざ知らず、最近はこういうのはださい方がかっこよく感じてきたぜ。

三月の初め、17号線を北に向かう。きいていたのはレディオヘッドの新譜。トム・ヨークのつぶやくような声が闇をつんざき、昼に途中別行動になった編集者Yさんから電話がある。
電話を切った時にかかったのは、アルバム中もっとも好きな house of card。今までのレディオヘッドにない、なんかカーティス・メイフィールドみたいなカッティングが気持よく、しかも彼ららしいちょっとずれたストリングスキーボード、ボーカルが乗る、こわれそうでごきげんな曲だ。そう、臆病は「coward」、「17号線を左に折れ」てたどり着けたのは house of coward だったな。
レディオヘッドに出会ったのは大学を出て十年ほどの今から十年ほど前。しかしきっと、学生時代に出会っても気に入っていたと、これは確信がある。

(BGMはそのレディオヘッド、in rainbows)

当該週のティー 3月6日撮


江ぐち。我、臆病につきラーメンは撮るわけにはいかず外から


三鷹~浦和で買い物


今週画像。深谷桜4連発でどうぞ 4月3日撮

唐沢川駅付近


白と黄色の合流


おーい


どひゃあ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アイル・ビ・ユア・ミラー』、ロートレック、ニール・キャサディ~アート・ウルー・デイ

2008-03-19 18:33:55 | 週間日記
「リビングストーン・デージー」というそうです。

3月17日撮影

まだ3週間前か。「週間日記」です。

●2月
25日(月)恒例電話取材~原稿~今年一番の熱戦アーセナル:ミランに酔う
26日(火)原稿~晩は同級生Mト君宅にさいたま市よりOur Mixiの大食の人Hさんが来るというので訪問。やはりHさんを知る写真仕事関係者Kさん、OG・Eさんも来て飲み、食べる
27日(水)朝起きて、Kさん車でHさんと3人で早くから開いていそうな気がする川本・おおにし製麺へ。15分早かったので近く農林公園で時間つぶし、ついでに花を3鉢買う(3月8日付)。うどん大盛200円に2名とも生卵と天ぷら2つという朝から高度なパフォーマンスを見せたので、いったん1つで通過したが戻って一つ追加。さすがにHさんはうまいと喜んでいただけだが、地元組2名帰り車中苦しむ~原稿~出張授業
28日(木)原稿、大体片付く
29日(金)アートな日(↓)。昼はK市富士屋でラーメン、夜は新宿・上海小吃
●3月
1日(土)テスト前補習の出張授業
2日(日)朝から同級生Mト君らの応援+写真撮影で「深谷シティマラソン」会場に~午後はぽてとや(詳しくは3月8日付に)~帰って競馬は久しぶりの1万ちょい馬券で少々損失補填

【カウンター08】
ラーメン1/11 他外食2/9 外飲み1/9 アウェイ飲み1/11 展覧会2/2 TV海外サッカーは後で整理

本日はなんと、永久歯初の虫歯歯医者行き。矯正したのはなしだと乳歯以来推定37年ぶりで、歯科医の中学、高校の2つ先輩が神経まで膿が行ってますね、というのでどんなに痛いのだろうとどきどきしてたらほとんど痛みなし。なんともこれでは物足りん、と思ったのですが、それはまた別の機会に。今回の付録も、当該週のことです。

・・・・・・・
四年に一回のこの日付はちょうど仕事も次の作業の待ち時間に入り、ちょうどいいと、めったにないアートな一日にするべく奥関東平野を出た。

まず9時過ぎの列車に乗って千葉のK市でMixiで知り合ったUさんの個展。前にも一枚だけみたことはあるが、今回はめったにない大きなものだというので期待していた。
あまりにいい天気だったので、途中の11時ごろの千葉からの乗換ではビールを飲むほど。田園風景でも内陸のそれとは様子の違う車窓を眺めながらだと、同じサッポロ黒ラベルでも一味違う。翌日から三月の陽光を楽しむうちにK市に着くと、初めて会うUさんがいかした赤い車で駅まで迎えに来てくれていた。
車の中で小さなヴォリュームでかかっていた曲を、あっ、ルーファス・ウェインライト、というと違っててピーター・ガブリエルだった。地域のこと、家のこと、オーディオのこと。ネット上ではよく話してきたのでずいぶん前から知っているように話す。Mixi上の知り合いにはすべて、誰かだったりアーティストだったりの「○○を通じて」という「メディア」があるものだが、Uさんの場合は映画『トランス・アメリカ』のレビューだった。Uさんの好きなシニード・オコナーもききながらのドライブは15分ほどで、会場のSFみたいな施設に着く。

色とりどり、大小の点の点が画面いっぱいに広がって、Uさんが住む森、故郷の海、そして自身の心象風景を、思ってもみないかたちに描き出すUさんの作品は、こういっていいのかどうか、ご自身の好きなシニード・オコナーの歌のように張りつめたおだやかさがある。見える通りには描きたくない、とUさんはいう。
そんな中で見入ったのは、すでにMixiフォトで画像だけは知っていた、自身「20歳の頃のセンチメンタル」と解説する初期の作品。タイトルは "I'll be your mirror"。ロックファンなら誰もが知っているヴェルヴェット・アンダーグラウンドの名曲のタイトルだ。
「バナナ」と呼ばれるヴェルヴェッツの名盤でゲストのニコは3曲を歌っているが、個人的に一番好きなのはこれ。ダークなイメージの曲ばかりのこのアルバムの中、シンプルだが効果的なギターにニコのこれはのんびりしたヴォーカル、そしていい加減にきこえるコーラスで終る3分ほどの、ほっとする小さな曲だ。そう、20歳の頃この絵が描き上がった時、まるで鏡みたいにみえたから、とUさんがいう。それからこれは後からメールでおしえてもらったことだが、描き上がった時には映画『ミツバチのささやき』でアナが水面に映ってるのをみたのと同じフランケンシュタインもみえたそうだ。Uさんはそんな20歳だったのだろう。

街への帰りには、このあたりの名物という竹岡ラーメンの店、冨士屋に。
ねこの話とかいろいろしながら食べたラーメンはなるほど今までには食べたことのない種類でおいしい。子どもを迎えに行くというUさんと別れて午後2時、駅に向かった。

次は六本木でロートレック展。
何といっても天気がいいので、駅で今度は一番搾りを買ってしまう。来る時と同じ線路を戻ったが、途中で少し寝ちまった。おおっと起きて、ブザーが鳴る電車に乗るとなんと戻っていく。しかし車内の路線図を見ると、戻った次の駅からは京葉線があってこっちでもいいらしい。ちょうどいい、別の線で行った方がおもしろいだろうと乗り換えた。

六本木に午後5時頃着。この街は学生時代は敷居が高い感じがし、今もたまに仕事で来るくらいでとくに思い入れはない。東京ミッドタウンというのも初めてだった。
同行の、やはりMixi経由の知己だがこちらは何度も会っているKさんが少し遅れるというので同じ建物5階でやっていた九州デザイン展というのを覗く。有名な仏壇メーカーの幹部らしき人が振るう熱弁も耳を引いたが、“デザイン”としてはポール・スミスを思わせるストライプや日本の綿とは思えない素材感が「和」や「九州」だけで語れない、「小倉縞」というのに興味を持った。
3階に下りてワイスワイスなる、こりゃあいい:ひょえこれじゃ買えねえ、のものばかりの店で、こりゃ・ひょえ、心の中で騒いでいるうちにKさん到着。Kさんが手に入れてくれたチケットで、大量のロートレック作品をみる。
ロートレックはずっと前から好きだったし、パリのムーランルージュは外からならみたことあり、その時は観光客らしき欧州女子学生風に頼まれて、もちろん本人のカメラで本人だけ写真に撮ったこともある。だが、都内では何度も行われているロートレック展をみたいと思っていたのは何より25年前、19歳の時の友人Hとの宿題があったからで、25年目の今回はその宿題を終えるのにちょうどいい機会と思ったのだ。
展示はよく練られたすばらしいものだった。本人だけでなくほか同時代の何人もの作家の作品を並べて厚みを持たせているし、とくにロートレック作品では重要なモデルたちの解説も実に丁寧だ。われら世代の多くにとって最初のロートレックといえば、ドラマ『傷だらけの天使』でショーケン:オサムと水谷豊:アキラが住む代々木の屋根裏部屋に貼ってあった「アリスティード・ブリュアン」だろうが、この当時の人気歌手の映像がわずか数秒とはいえみることができるなんて最初にみた小学校の頃には考えもしなかった。
まったく知らなかったパリ以前の作品。母の肖像なんかはゴッホのようなタッチだし、よく知られている一連の作品に達するまでの試行錯誤がよくわかる。展示が始まってすぐに赤瀬川原平も毎日新聞連載に書いていた、ポスターのつくりのリアル。複製もよく目にする名作が、何枚もの紙を貼り付けての行き当たりばったりでつくられているという生な感じに思わず笑ってしまう。
そしてロートレック作で忘れちゃいけない、観客とか部屋の飾りとかの、一見どうでもいいものどもの奇妙な主張。散文的なこの見事なあり方は、たとえば映画作家なら画面でブニュエルとかセリフでアルモドバルとかと同じ種類の、ありそうでそうでもない奇跡的なセンスでしか成り立たないのではないかと思っている。

確か2時間くらい。ベル・エポックを十分に楽しんだ後はKさんと、では何か食べようということになり、といっても六本木はよく知らず、Kさんがその後ライブに行くという新宿に移動した。
しかし、ここでうっかりする。行こうとしたのは多分もう10回くらいは行っていて大きなねこもいる歌舞伎町の上海料理の店なのだが、いつも誰かと一緒に行っているので正確な場所がわからない。実はこういうことは今まで一度や二度ではなく何度もあり、その反省をもとにどうして改善されないのかは我ながらおかしいがそういうものだともいえる。ともかく、異国語飛び交う歌舞伎町をしばらくさまよった末、目印のルノワールからの方向が反対だったことがわかり何とかその店に着いた。きっともう次は大丈夫。
というわけで、上海料理屋で2時間ほどか。この日はねこには会えなかったが、ビールとともにいろいろめずらしいものを食べてKさんは南米音楽のライブに、こっちは高崎線に乗って北埼玉に帰る。電車で少し寝たけどまだ酒も残っていたので塾で少しさまして帰ろうとして、おお、まだこんな時間とNHK渋谷陽一をつけると、かかっていたのはブルース・スプリングスティーン。きいていない昨年10月に出た新譜だった。

・・・・・・・
帰り道、思い出していたのは、25年前にロートレックに行く約束をしたHのことだった。

同じ高校に行っていたHを知ったのは遅くてたぶん高3の夏。同じ弓道部で映画をつくっていたIのところで会ったように思う。
ともに予備校生となった翌1982年の多分夏に新宿伊勢丹でやっていた、その数年前に盗難に遭って返還された『マルセル』出展というポスターをみて、ああ、これみたいなというと美大を受験しようとしていたHが、じゃあ行こうぜ、という。
といっても、当時からよくそうしていたいい加減にいっただけの一言だったし、考えてみれば当時、自分の意志で美術展に行ったことなどあっただろうか。浪人生といっても受験勉強には縁遠かったけれど、暇な時間はくだらない遊びに埋められていたから、20世紀初頭のパリの画家などすっかりどうでもよくなっていた。
数日後、予備校のあった大塚の喫茶店にいるとHが来ていう。何だよ、ロートレック行かねえのかよ、あ、ちょっと待って、いや、もっと時間と金があれば行くんだが、何だよそれ、というとHはぶんむくれて行ってしまった。
取るに足りない行き違い。だが、この頃は私も今よりもっと愚かな19歳だった、というよりHのよくわからない剣幕にたじろいだ、といった方が正確だろう。詳しくはおぼえていないが、すまんすまんと何度もHに謝ったような気がするし、Hはそれから何ヶ月かことあるごとに、時間と金があればな、といっていた。
いずれにしても、今も昔も一貫していい加減でだらしない私はうっかりしてよく蹴られたりしていたから、Hとのこのこともとくにめずらしいということはないし、その後も20代の半ば頃まで多くの時間をともに過ごした。

このHとのロートレックが別の意味を持ったのは、2002年の夏、つまり伊勢丹『マルセル』の20年後、偉大な種牡馬サンデーサイレンス死没と同じ日、Hがオーバー40になる前に死んでしまったからだ。
詳しいことも、最後に会ったのがいつだったかもわからない。たぶん21世紀になってから会ったことはなかったと思う。末期の近くに会っていた友人の話には、朝から安焼酎の1升ペットボトルを飲み始めて晩にはなくなっていたとか、ベンチャー起業で成功した同級生のところにチンチロリンをしに行っていたとかきいた。
死んでしまうとはどういうことかは、近しい者が死んだ時なんかに、それこそたまに考える。精神のこと、物質のこと、いろいろあるが、その後も生きる者にとっては、たとえばHと25年前に約束したロートレックのような約束を、それがどんなに遅れても果たす可能性があるかどうか、その一点ではないか。死んでしまった者を思うことはできるが、死んでしまった者と一緒に何かすることはできない。

閏日金曜、帰りの高崎線。
これも浪人の時だから1982年か、巨人が最終戦を江川~西本の必勝リレーで勝てず優勝を逃した時、熊谷の友人宅でみてから電車に乗り、チャンスに三振したトマソンを「いやあ、あのトマソンの最後のホームランすごかったよな。まさかあんなところで打つとわなあ」などと10代特有の、はた迷惑でくだらぬパフォーマンスをして喜んでいたこの列車でHのことを考えたら、ロートレックだけでなくこの日にあった一つひとつが、すべてやつにつながるような気がしてきた。

"I'll be your mirror" が入っているヴェルヴェッツの「バナナ」は、「マクシズ・カンサスシティー」やローリング・ストーンズの『ギミー・シェルター』なんかといっしょにHに借りて初めてきいた。いや、この日、K市に行く時、路線検索では東京乗換のところこっちが近いと秋葉原で総武線に乗ったのだが、それで通過することになった両国で降りたのはこれまでで一度だけ、Hに誘われて行ったアレン・ギンズバーグの訳者諏訪優の語る会だったな。六本木の「小倉織」で思い出したポール・スミスは、Hもよくきいていたシンプリー・レッドが2ndのライナーで「costume by」と明記していた。ロートレックはいうまでもない。その後に行った新宿の上海料理屋は、Hが住んでいた中華街でよく行った、パイコー麺を食べ時、だめよそんなに辛子持ってっちゃ、とこれもあやふやなおばちゃんの日本語で怒られたあの店に似ていないか。そして、帰った時のスプリングスティーン。
そうか、めずらしくやけにアートだった08年のウルー・デイは、日常の隙間に開いたHの日だったのか。

しかしそんなUさんの言葉を借りていう「20歳の頃のセンチメンタル」はものの五秒で消え去る。そんなことはない。「ここでないところ」に行ってしまったHと違って、こっちは25年前とまったく「同じところ」を回っているだけなのだ。
だからルー・リードが好きなUさんと知り合って "I'll be your mirror" をみる、ロートレックをみに行く、上海料理屋で食べる、この夜のスプリングスティーンなんて、当時の高校生や大学生みたいに渋谷陽一なんてきかなければぶつからなかったじゃないか。
Uさんもいってた。20歳の頃になんて戻りたくはないと。

くだらないけれどかけがえのない、つまり極上の時間をHといくつも過ごした中で忘れられない言葉がある。まだ20歳過ぎた頃、Hはいつもそうするようにロンパリ気味の目を本人から見て右方向に泳がせていった。
「ニール・キャサディってさ、まことに似てると思うんだよ。いってることいつも支離滅裂だし、車の運転もうまいような気がするし」
ニール・キャサディは、Hのバイブルだったジャック・ケルアック『路上』に出てくるディーン・モリアーティのモデルだ。一つとして作品は残さなかったが、破天荒な生き方がもっともビート的だったとされる。
しかしまったくもって一貫した意気地なしの私は、もちろんニール・キャサディにはほど遠い。だいたい「支離滅裂」はいいにしても、運転はまったくうまくないぞ。まあ、当時はHは免許持ってなかったもんな。20歳やそこらじゃ、そのくらいの見立て違いは当たり前といえば当たり前だし、その後、Hがその見立てをどう変えたかどうかもわからない。

いずれにしてもH。
こっちのニール・キャサディは、同じところをぐるぐる回っているだけだよ。でもそれもそんなに悪いことじゃない。
「バナナ」は何回もきけるし、ルー・リードの新作だってきける。Hが死んだ次の年の『レイヴン』はよかったぞ。ロートレックだって、その次もそのまた次もみられるんだ。まだちょっとペットボトル焼酎を飲むまでには至らないけど、ビールとか安ウィスキーはいくらだって飲める。

そうだ、H。
アイル・ビ・ユア・ミラー。
ギンズバーグの思潮社の翻訳は、「お前のものはおれのもの」のIがお前持ってんだろう、持って来いよ、っていったからかんおけに入れて焼いちゃって読めないからもう一冊買わなきゃな、ちょっと高いけど。

(BGMはヴェルヴェッツ「バナナ」と、ルー・リード&ジョン・ケールは亡きアンディ・ウォホールに捧げた『ソングス・フォー・ドレラ』。20歳頃のHはウォホールが目標だった)

・当該週画像

千葉県K市富士屋


あったかくなった庭でティーとタンゲゲンタ


・今週画像

窓辺の「/」(スラッシュ)

3月16日撮影
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「じ・かみ・あび」~「寒旱」

2008-03-15 22:07:37 | 週間日記
孤独の女王のエリザベスカラー
         二〇度の畑

本日3月15日撮影

出かける前に何とか更新。あと3週間、がんばろう。

●2月
18日(月)甥が無事退院~恒例電話取材
19日(火)在宅だったので煮ぼうと製作
20日(水)版元との打合せでお茶の水~編集者Oさんと天ぷらいもや~古書店めぐりでこれは後に独立記事に~帰って出張授業
21日(木)昼は仕事~晩はMト君宅へ
22日(金)昼は叔父を送っていく用事があり、ついでに初めてぽてとや麺など購入~突然入った原稿整理で、これは楽でのけぞる~晩、豊里・永来でラーメン~塾~帰ってからOG・M君宅にCLアーセナル:ミラン戦の録画DVDを取りに。しかしアクシデントで2往復
23日(土)昼は撮影~晩は強風のため予定の都内行きが中止~代わりに深谷で飲むことになり、同級生Mト君と駅前はかたに行ったら、そこにいた知り合いと合流、別にOG一家もいた。写真関係者O君も来てずいぶん飲む
24日(日)昼はMト君に誘われ、行田・蓮華という店でラーメン+餃子~退院してすぐ試合に出た甥は敗れたらしい~夜、結局見られなかったDVDを取りに再びOB・M君宅に。再生成功

【カウンター08】
ラーメン2/10 他外食1/7 外飲み1/8 アウェイ飲み1/10 TV海外サッカーは後で整理

今日もまた「“ニ”ジュード」らしいし、アーセナルの歴史的勝利などいろいろあって、途中まで書いた3月5日の『17号線を左に折れ』もあるが、「週間日記」と一致したので、2月20日の出来事を。

============
●2月20日
この日は朝から現在製作中の本の打合せで版元へ。タワーになった母校の前を通過して駿河台坂を下に向かう。版元の美人編集者Sさんとの話はなごやかなうちに終わり、その中で「平積みは2日くらいで変わっちゃうんですよ」などという出版不況の話も出る。「点数が多すぎて」というのはこの業界の決まり文句だが、決定的な対応策もなくそのまま同じような作業が続いているというのがこの仕事をしている誰もに共通する実感だろう。

終了後、別の出版社に行くプロダクション社長とは分かれ、さらに打合せのため編集者OさんとファミリーレストランスJに入るが、少し話して、「せっかくだから、いもやでも食べて行きましょう」とそそくさとドリンクバーを片づける。お午も近づきランチ客も増えるけど、5分も歩けばあんな天国があるのにこんな工業製品を食ってる場合じゃない。

一番よく行った、中華の伊峡といっしょのとんかつと天ぷらは閉店していてショックで、近くに天丼もあるがどうします、5分歩いて水道橋の方に行けば天ぷらもありますよ、というと最初の就職先が近くだったというOさんも行きましょうという。いつものように正確に場所を憶えないのでちょっとふらふらしたが、間もなく5、6人が並ぶ「天ぷらいもや」にたどり着き、この頃来日していたバート・バカラック、前の来日の時にOさんが行ったという話などしながら順番を待つ。いつものように客さばきはよく、あっという間に自分の番が来てエビやらシソやらがじゅうじゅういう、すばらしい油極楽鍋を見つめると、Oさんは「アナゴお願いします」なんて頼んで「お昼は定食しかやってないんです」と断られていた。さすが大阪の都会育ち。さすがに食ったことがないわけではないが、北関東の農村育ちではあなごを指名で食べたいと思ったことはないと気づく。

いや、満足。この満ち足りた時間は、以前にとんかつで書いたのでここでは繰り返さない。ただ、この店に限っては前回もそうだったが、ご飯がべたっとしている感じはあった。でも650円なら文句はいえない。Oさんとそれぞれのいもやの思い出話をした後は事務所に帰るOさんと別れ、「ちょっと、少しみて行きますよ」と、神田の古書街に向かった。

まだブックオフなんてなかった学生時代。都内や地方都市にある古本屋にはよく行ったが、その中でもこの世界最大というブキニストは何といっても数があるのでよく通った。いつもなら坂を下りて三省堂の方から靖国通りを神保町駅の方に進むが、今回は神保町からだから反対。でも行きつ戻りつがコースだから、反対からでもよくわかる。店構えから、あっ、この店だとわかっても、なぜかほとんど店名は憶えないのも不思議だけど、それで何も困らないのだから店名なんかどうでもいい。それだけ外見そのものが変わらないということだが、看板には「自然科学」って書いてあんのに実はなぜか文学書が充実したりというのは、ある意味、店の歴史に忠実ということではなかろうか。

いつそこに来たのか、いつ次の場所に行くのか、ひょっとしたらずっとこの場所を、目玉が飛び出すほど地価の高い都心の一角を動くことはないのではないかというずらり並んだ背表紙は、ただ「商品」と呼ぶのではもったいない。ううむ、こんな本があったのかほしいな、という本があっても、静かな空気の店内で立ってるやつらはちょっと資金もないので見送って、店の外、2月の青空に向けて背中を甲羅干にしてる、100円、200円のやつらをずらずらと調べていく。でも、すぐには買わないぞ。全部回ってから、あそこのあの本を買おうって戻るのがいい。といってもヘンデルとグレーテルのように小石を落としていくわけにはいかないから、「松田道雄 1970年」などと記憶にメモしただけで次の店に移っていく。

それにしても、この心の寛ぎ、愉しさの正体は何だろう。
この感じは、たまに林に行って、いわゆる森林浴で酸素を一杯吸い込んだ時に似ている。少なくとも靖国通りの空気が、内臓にいいわけはないのに。あるのは古い「字」と「紙」だけ、「じ・かみ・あび」といっていいかも知れない。
住んでいる市で本屋に行くとしたら、今はT屋書店がもっとも大きい。昔ほど書店に行かなくなったが、それでもさすがに時々は雑誌や新刊を買ったり、自分の仕事した本の様子をみに行ったリのために行くことはあるが、どうにもなぜか息苦しさを感じて5分くらいで出てしまうことが多い。でも、この古書の森なら朝から一日中だっていたい。

きっと、どうやったら売れるかというけしかけられた感じ、ピカピカの店内、若い元気のいい店員、工夫を凝らしたPOP、見つけやすく売行きを計算し尽くした書棚配置、そして何より新刊書自体の過剰な装丁や考え抜かれたタイトルが、私が感じている息苦しさの原因なのだろう。そしてもちろんそれらすべては多くの富を集め、携わる者が幸福になるための、資本主義では正当な努力であるという点がかなしい。

一方、靖国通りの歩道にはみ出した段ボール箱の中の100円、200円。やつらは「商品」には違いないが、一度か二度、誰かの手にあったこともあってか、本人のやる気如何でなく期待されていない。ほしいなら買って行けば、安いよ、とばかりに著者名も出版社も関係なく箱に入れられて、のんびりと誰かの手に抱かれるのを待っている。
もし私がたとえば、1988年発行の岩波文庫、別役実『当世・商売往来』だったとしよう。だったとしたら、T屋書店で売れろ売れろと気合を着けられて清潔なだけの店内になんか置かれたくはない。もっと前の先輩やら、最近売れた若いのやらいろんなやつといっしょに、背中を青空に向けている方がどんなに幸せだろう。
そう思いながら靖国通りを一往復。困ったことに天ぷらを食べた後は、持ち合わせが700円しかなかったが、それでも買う本は決まって3冊購入。しかし、その後駅に向かったところで「りそな」のATMがあったので資金を追加して、合計7冊を手に入れた。ここで紹介しよう。

●『この金色の不定形な液体』田村隆一編(1979)
 酒の讃歌。編者のほか、吉田健一、辻邦夫、内田百、植草甚一らが名を連ねる
●『俗ニ生キ 俗ニ死スベシ 俗生歳時記』福田和也(2003)
 エッセイ集。いろんなものを書く著者だか、こういったセンティメンタルなエッセイは一流。もう半分くらい読んだ
●『時間と自己』木村敏(1982)
 昨年読んだ『時間はどこで生まれるか』に出てきたので。精神病から時間を考える。半分くらい読んだ
●『東西/南北考』赤坂憲雄(2000)
 民俗学を現代でどう成り立たせるかという著者の試みには興味がある
●『当世・商売往来』別役実(1988)
 前に新聞で読んでエッセイのうまさに興味を持っていたので。すでに読了
●『私という現象』三浦雅士(1981、文庫1996)
 ずっと前から読みたかった
●『ネコのこころがわかる本』M・W・フォックス(原書1974、日本版文庫1991)
 初めてみたが、モノクロの写真が20年くらい前のブルーバックスみたいでよかったので買ってしまった

7冊をバッグに入れて駅への道を歩き出し、名前は知らない旧いもやから駿河台坂へのショートカットの道で、そういえばと学生時代によく行ってた、当時は貸しレコード、今は中古店のジャニスを思い出し、何となくこれも外の箱の中のCDをみる。おお、これもこれもと自己所有のアルバムを200~300円で15枚は見つけたがそれはそれ。その時は必要だったし、それをきいてきた10年くらいは1800円分くらいは楽しんだ。CDを見ていると学生時代には考えられなかった携帯電話がうなり、まだ神田ですか、やっぱり事務所に寄って下さい、とOさんがいう。

……陽だまりの事務所。2月というのにYさんはすでに半そでだった。
塾OBでもあるI君が、先生最近何読んでんですか、というので、おう、今これを買って来たぜと、みんなで、「あっ、この木村敏って、うちの大学の先生ですごい人気でしたよ」とか「福田和也いいですよね」とかいろいろ話し、「電話の時はジャニスにいたんですよ」というと、「ああ、あそこはほかにないレコードがいっぱいあるんでよく行きましたよ」とオーバー36はみんな知っていて、20代半ばM君が、「こういう世代がいる間は、そういう店はあるんでしょうね」と笑う。それはいい気持ちの2月の午後。

帰って最初に開いたのは、ラーメン屋で福田和也。40歳になった時のナポリ行を語った冒頭「一月」は能村登四郎という俳人の次の句で終っていた。

傷なめて傷あまかりし寒旱
        (かんひでり)
       ―能村登四郎―

(BGMはニール・ヤング『Silver&Gold』~カエターノ・ヴェローゾ『オルフェ』)

ずらり7冊。みんなうちで知り合った。


当該週:
読書で抱っこのティー


これはけっこう庭で目立った


これも本日3月15日

ここなら風も当たらない。枯草のふとんはあったかいかオルティーズ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ヘイ・“ニ”ジュード』

2008-03-11 19:42:45 | 週間日記
「2月の夕陽」は「8月の線香花火」の生まれ変わりか。

2月13日近所で撮影

よし、追いつこう。「3週間前日記」

●2月
11日(月)原稿+競馬
12日(火)恒例電話取材~原稿
13日(水)朝、同級生でM君母でもあるHさんから合格の知らせ。おめでとう~原稿~隙を突いて伊勢崎MOVIXでF・オゾン新作『エンジェル』はすばらしく、これもベスト5候補。帰り、麺八食堂とやらでラーメン~出張授業ではチョコももらった
14日(木)塾で合格の中3M君と話す~何か不調になって塾でうなってたら、病院から電話で姉の息子が入院したというので行く~盲腸らしい
15日(金)夕方に急遽の撮影
16日(土)昼は撮影~甥、抗生物質で盲腸はOK、月曜退院らしい。「ちらす」というのは抗生物質のことだったと知る~マグカップ引換券をもらったベスト電器に行くが、4つのところ、品切れなんですと2つになる。もちろん贅沢はいえない
17日(日)原稿~夜は地元若者のMixi知り合いと飲むというので、自転車で石塚・家蔵へ。いい時間だったが、帰り、風は冷たい

【カウンター08】
ラーメン1/8 外飲み1/7 劇場映画1/7 TV海外サッカーは後で整理

=========================

今回のおまけはまた長編が書きかけだけど、あまりのいい天気に今日の行動に差し替え。

ついに気温は20度に。
昨夜みに行った『潜水服は蝶の夢を見る』はすばらしい作品で、興味深い点はいくつもあるが詳しくは別の機会に。ここで一つあげれば、欧州映画ではめずらしくない、陽光との付き合い方だ。
左眼以外を失った主人公を、病院スタッフはじめ周りの人々はいつも草原や浜辺など周囲の自然に連れて行く。北フランスだというベルク海岸の光と風の風景。自然に親しむ国民だったはずの私たちは、あまりにもサッシの中にい過ぎてはいないか。
と思って、朝からの仕事が一段落した昼。お午の前に、外へ出かける。

まず、2週間前の水曜に買って「霜が降りなくなってから」というアドバイスで前の日曜に植えた花が、昨日の雨もあってか大きく開いていた。


陽の届かない裏では、ふきのとう組が少しぼんやり。


こんな天気は味わわなければもったいない。ビールもどきと福田和也と畑にビーチベッドを持ち出すとティーも乗っかる。ひょっとしてこの瞬間、世界で一番幸せだったかも知れない。


ちょっと仕事が追加だったのでいったん家に戻って、お午は昨夏残りの五木の冷やし中華で、そこらへんの白菜を茹でて載せたのがまだ彼岸前。


午後の仕事が終ると、つい車の中で缶からこぼれたトマトジュースがついた、ジャック・パーセルを洗った。いい加減な家なのでだいたい一周するとタワシくらいあるのだが、今日は見当たらず手で洗ったのであまりきれいにはならない。

『ヘイ・“ニ”ジュード』。
ジャック、「“サン”ジュード」「“ヨン”ジュード」が来たら裸足で履くから軟らかくなって待ってろよ。


ついでだ。
月曜には雹が降り、


日曜、アンシャンテ、レディ・バード


こっちは当該週。
抱いてたら迫ってきたのでのけぞり撮影。


こいつは意外に気が早かった


影もだんだん短くなってるよな


(BGMは『ヘイ・ジュード』も収録ビートルズ「1」)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その後の、『ぽてとや 春』

2008-03-08 10:20:35 | 週間日記
もうこんなにあったかいから、雪が降ったことなんかおぼえてないよな、ティー。
2月5日撮影



まずはこれ、もう一月前日記じゃないか。

●2月
4日(月)昼は家で仕事。途中、雪で延びた競馬~塾で中3M君の面接スペシャルはコンピュータ界の話なども~送っていく
5日(火)好例電話取材~原稿~同級生M君宅でイカを食べる
6日(水)原稿~出張授業
7日(木)原稿~晩は塾
8日(金)合間を縫って伊勢崎MOVIXで『フローズン・タイム』~『ラスト、コーション』。途中、時間あったためアイドルタイムゆえにラーメン難民としてさまよった末に近場の会津で餃子とセット。『ラスト、コーション』は今年度No.1最右翼。『フローズン・タイム』もベスト5なら~塾
9日(土)昼は撮影~同級生M君宅に。赤ちゃんとともにN君一家も
10日(日)昼は仕事~晩は塾

【カウンター08】
ラーメン1/7 アウェイ飲み2/9 劇場映画2/6 TV海外サッカーは後で整理

==============

さて、今回の付録は“3月”の1、2日。先週の土日の「ぽてとやちゃんぽん」話を、本人承諾のもと、ぽてと姫のメールを交えてお届けします。

前回のプラモデル1号製作は2月28日。前回お伝えしたようにぽてと姫にキャベツの“水出し”はするのかと送ったメールには、忙しい昼時を終えた頃に返事が来た。

●28日13:31
 キャベツは、焼きそばに使うのですか。うちは水きりはしないですよ。

少し後に訂正。

●28日13:33
 あっ間違いました。水きりではなく、水だしでした〓(引用者注:「電球」の絵文字)

キャベツの水出しについては、悪名高い「あるある大辞典 餃子」の回で名人たちが白菜やキャベツを塩で水を出してから使うといっていたので、ほうと思いその後は採用しているからでしたが、検索してみると「キャベツ 水出し」はヒットせず、「水切り」が正しいようですね。失敬、姫。

というわけで前回は記事もメールで事前に送ったら、返信は次の通り。

●28日16:47
 うわっ〓ぽてとやの記事が立派に書かれていてびっくりしました。うちのチャンポンなんてたいしたものではないのに、なんだか気恥ずかしいような感じです〓
 先生、チャンポン作ったんですね〓そうそう、メールは仕事してたので午後に読みました〓でも水出しはしないで正解だったのでよかった〓
 写真で見た感じだと、うちのと変わりないですね〓先生バージョンのチャンポンも食べてみたいです〓
 麺はお湯をかけてフライパンでよく焼かないと柔らかくならないと思いますが、大丈夫でしたか。
 〓(引用者注:「ねこ」の絵文字)には、チャンポンはあげない方が良いと思います〓塩分が入ってる物はさけたほうが〓

というわけで、写真だけでは姫も認定。それにしても、まわりがすごいすごいいっているのに、現場スタッフは「たいしたものではない」「気恥ずかしいような感じ」とはまたすごい。ただ、つくれるものをつくって出しているだけなのだ。

いつものように長い前ふりの後、いよいよここから3月1日、プラモデル2号の話。
前回1号の反省としては、本物のように全盛期のバティステュータのシュートのようなずしんと来る手ごたえががないこと。肝心のぽてとが入ってないのだからしかたがないが、さすがにこのために油鍋をラードで満たすのは無理がある。そこで思いついたのは、焼きそばとともに縁日の屋台で活躍する「じゃがバター」だ。前回と同じように寄って来るねこどもをかわしながら、ただ2日分だけ芽が伸びたじゃがいもを取りに行き、まったく同じようにしゃかしゃかさくさく茶わんに入れてレンジに入れるが、今回違うのは、Mト君奥方もご推薦の生協購入北海道「よつばバター」が混入されている点。レンジのちんも、バターの分だけトラのようにたくましい。
おお、何とかほくっ。どれどれと一切れ味見をしたら、前回と同じくラードと麺とキャベツとソース。少しだけ進化したぽてとやプラモデル2号ができあがる。

ここで思い出して歌ったのは、4月に「風」復活もある心の師、伊勢正三『Musician』の1番ラストの一節をちょっと変えて、

♪それより 君の今夜の《ぽてとやーちゃんぽん》
 またすこし どこかが違うというのかい
             《原詞は「Poteto Salad」》

ファンの中で伊勢曲世界でももっともドラマチックで切ない名曲『あの唄はもう唄わないのですか』の続編ともいわれるこの曲は、『あの唄』とはまったく別の幸福感に満ちた佳曲。そうだ、ぽてとやちゃんぽんのつくり出す世界はこの歌によく似ている。

と、完成したところ、バターのにおいに反応したかねこどもが集まってきたので、ほい、とやってみる。



おお、食ってる食ってる。


ただ、市井の科学者でもある作成者としては、わずか2つのサンプルだけでこれを「よつばバター」の功績とするのは控えよう。ただ単に前回は、腹いっぱいだっただけかも知れない。何しろやつらねこだ。
なお、すでに引用したように姫はねこにちゃんぽんを与えるのは反対したことを付け加えておくが、「健康」と「おいしさ」はいつも少しだけ食い違う。

========

そして翌2日日曜は、市内で「深谷シティマラソン」というのがあり、同級生M君はじめ知り合いが何人も出場したので、せっかくだからとほかの人々と応援+写真を撮りに行き、午後はその打ち上げとして、都内からお越しの美人ランナーをゲストに迎え、Mト君一家、Hさん一家もまじえて、駅近くぽてとやに行って、すみません姫、持込ビールとともに、本物ぽてとやを食べる。

みそぽてと


それが混入のちゃんぽん


ついでに登場、途中散歩に出かけた姫の愛わんこCherry


ぽてとやを愛してやまないMト君が、初ぽてとやの美人ランナーに感想をきく。ハーフ20キロを走り終えたばかりの疾走者は“ラードの芸術”をお気に召したという。
今回きき直して、忘れていた『Musician』の2番、つまり歌のラストはこう結ばれていた。

♪それより 君の今夜の《ぽてとやーちゃんぽん》
 幼い頃の同じ想い出にあわせて
             《原詞はもちろん同上》

うれしいのは私やMト君が中学生の頃から食べているのと同じ味が同じ場所で食べられるということで、知らない人にそれが喜ばれると、またさらにうれしくなるということ。しかも、つくってる親子が、それをたいしたもんでないといいながらのところがまた幸せだ。

========

かけがえのない時間から帰って夕方、窓の外では、タンゲゲンタとオルティーズが並んで西の方を見ていた。



ではここにも、伊勢正三のすばらしい言葉を置こう。ちょっと季節は早いけど。

♪もしも沈む夕陽に間に合えば
 ただそれだけのこと
          (『湘南 夏』)

そうだ、これは『ぽてとや 春』

(本文、BGMは土曜朝のお楽しみ。NHK-FM ピーター・バラカン~ゴンチチ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“がりょうせいせい”の、ぽてとや・プラモデルをつくる

2008-02-28 18:40:56 | 週間日記
※2010年10月5日画像追加して編集

つのる おもい つもる おもく

 2月3日の仕事場

またまた遅れて3週間前日記になっちゃいました。

28日(月)いつもの電話取材~塾
29日(火)Mixiの会合で新橋へ。初めての方も多く貴重な時間、会場はニコニコ、レバ刺しはいうに及ばず、煮込みはこれまで食べた中でも上位~カラオケ~赤羽ネットカフェ泊
30日(水)出張授業~同級生Mト君宅に
31日(木)家で仕事してたらOB・Y君が到来~伊勢崎MOVIXで『アメリカ対ジョン・レノン』~ここは二度目と思うがいまるやで塩ラーメン
●2月
1日(金)
2日(土)午後は同級生にして現役生徒母上のHさんがフラダンスで出るので写真をお願いというので籠原さくらめいとに。興味深い催しだった~夕方から同級生Mト君とMixi関係の催しで都内城東へ~欧州語も飛び交うシュペールな時間~最終で帰深
3日(日)大雪の中、朝からロケ撮影で気合入る~一日働き、疲れ切って帰り坂東橋を渡り伊勢崎・ちなりで塩ちなり

【カウンター08】
ラーメン2/6 外飲み1/6 アウェイ飲み2/7 劇場映画1/4 TV海外サッカーは後で整理
ほかに1月はCDを4枚初聴
ロバート・ワイアット comicopera
アンディ・ゴールドマーク (1st)
エッソ・トリニタード・スティール・バンド (1st)
レスピーギ「ローマ三部作」 マイケル・ティルソン・トーマス+ロスアンジュリス響、レナード・バーンスタイン+ニューヨーク響

書こうとしてたトピックはいっぱいあるけど、時間もあんまりないし、さっきお昼前につくって食べた話が今回のおまけ。

=========

ぽてとやについては何度か書いているが、今回はぽてとやの真似をした話。
ぽてと姫2歳の頃に初めて行った私は、中学生になった姫に免許外の社会科を教えたこともあってその市内きっての名店について詳しく知る機会を得たのだが、Mixiコミュニティを創設した同店の熱烈なファンである同級生M君が姫にラードの芸術品の秘訣について何度も質問したところ、姫はいともかんたんに公開してくれたので、どうやら私たちはあまり売っていないが手に入らないものではない、ぽてとやの麺とソースの銘柄特定、そして脂はラードという事実については知ることができている。
あの大金持ちマイクロソフトが、最近になってやっとウィンドウズの中身を公開することを決めたのとは、そりゃあまあスケールが違うとはいえ、元来の思想自体が別物な感じだ。

そこでM君指定の店で先週麺を購入、ソースが買える店はめったに行かないので一度、家にあったお好みソースでつくってみたが満足いかず。そうこうするうちにM君が行きつけの肉屋でソースを買って来てくれたというので火曜に受け取り、ついに麺とソースだけはぽてとやが揃ったわけだ。あ、代金210円払うの忘れたので次回渡しますM君。

材料は揃っても、同じものができるとは限らない。これはいわば、ランボルギーニ・カウンタックが好きだけど、何千万も出せないからとプラモデルを買ってつくるみたいなもんだな。そういえば私はフェラーリの流麗さは認めつつもエラそうなところは嫌いで、おめえなんかにゃ売らねえよといわれたので対抗上牛のマークにしたというランボルギーニのファンで、さすがに買えないけど、何年か前に腕時計を見つけたので8千円くらいで買って愛用しています。

さて、ぽてとやちゃんぽんを構成するのは、麺、ソース、ラード、キャベツ、ぽてと;ジャガイモのフライ:のみ。とはいえ、ぽてとをつくるには油を出さなければならないので、「手間の対費用効果」を第一に考える市井クックとしてはレンジ火通しで十分。あっ、レンジだからマイクロウェーブ通しか。寄って来る外のねこどもに待ってろといいながら、バラックから芽の出たジャガイモを持ってくる。ここで、ひょっとしてキャベツは塩で水を出して使うのかなあ、と思い、姫にメールを送ったがすでに店の作業に入ったか返事は来ない。従来通り、そのまま使うことにする。

シャクシャクと芽を取って皮をむき、ざっざっとキャベツを切って2分で準備完了。ジャガイモをレンジに入れて2分にセットすると、中華なべにずいぶん前に割引で買ってすでに酸化も進んでいそうなラードのチューブを絞る。
この瞬間の美しさはラードが一番。だって、白いのが温度が上がって透き通る、ミラクルな状態変化が楽しめるじゃないか。タイトルは忘れた山口百恵の替え歌を思いつく。

「しろーが透き通る ラあドが熱す (ちゃららら、らーららー)」

とストリングスのオブリガードも歌った頃にキャベツと、M君に敬意を表してブラックマッペもやしも投入。
じゅううう、野菜の水と油がぶつかり合うこのサウンドは、調理の中でももっとも魅力的な調べではないか。つっぱた野菜どもがしんなりすると同時にピッチもボリュームも下がり、油帝国と水共和国の国交が樹立される。
ここで、主役である「魔法の黄色い麺」と電子の力で湯気の立つジャガイモが参戦。
初期の財津チューリップのように魅力的な麺はマルちゃんあたりに較べるとごわごわしているが、熱のラードにまじってだんだん寛いでくる。うどん、そば、スパゲティ、麺類にはアルデンテという基準があるが、ぽてとやに関してはそれを通り越したくらいでいい。
ころあいを見計らってもう一つのリソースであるソースの出番。そうかなるほど、この前の濃厚ソースではだめだというのがよくわかる。寛ぎに寛いだ黄色い麺は、気持ちのいい風呂上りに飲むビールのようにウスターソースを吸収していく。
さらに幸福なミックスを楽しんだ後、ついにぽてとやプラモデルは完成。

青のりをかけて熱いうちに食べる。おいしい。でも、渋谷陽一が以前にロンドンのロックメディアを引用していたXTCのレビューを思い出す。「頭もいい、アイディアもある、でも、何かが足りない」。ついでに大リーグボール2号の謎を解く花形満に星飛雄馬がいった言葉も思い出す。「“縦の魔送球”だけでは80%だ」。
ぽててとやと同じでなくても十分にうまいけど、それが現実なのだ。

食べ終わって考えたのは、「食べ物のアイデンティティ」である。
この頃よくまわりの者によくいっているのは、昨年毎日新聞の連載で読んだ内田樹の「人間の格付けは『雅量』と『胆力』」というフレーズだ。マイクロソフトのウィンドウズ設計公開やLINUX、ラーメンのカリスマ山岸氏大勝軒グループのあけっぴろげなのれん分けなど、やりたい人はお好きにどうぞというような、「雅量」を感じさせる行動は世の中にけっこうある。「普通」の食べ物というのは、誰にでもわかるこういう透明性を持っているものではないだろうか。
何度か書いている地元の郷土料理煮ぼうとについて、M君の縁のある方が参画していて、最近よく話題にしている「保存会」の定義がある。いわく、ライバルである山梨の「ほうとう」が味噌味でかぼちゃを入れるのに対し、ねぎの甘さなどもあるから、醤油でかぼちゃを入れてはいけない。わからないでもないが、食品リベラリストの私としては、余計なお世話。あまりに「雅量」を欠く「狭量」にしか思えないのだ。

画竜点睛。
絵に書いた見事な竜に瞳がなく、どうしてかというと作家である名人は、これに瞳があると飛んでいってしまうと応え、実際に入れてみたら地は割け竜は天に昇ったというあの中国の故事をここで思い出す。

せっかくのおいしいものを、つまらないオーソリティで飾るのはもうやめにしないか。

自分のつくった何かが足りないプラモデルのぽてとやに対し、市内でかんたんに買えるもので構成され、できるものならどうぞとばかりにおいしいにおいと味を提供し続ける、すべてが揃ったのが本物のぽてとやだ。

それはいってみれば、「雅量清々」。

「雅量」があって「清々」としたその佇まいは、くだらぬオーソリティから遠
く離れて、朝早くから当たり前のジャガイモを茹でて、当たり前の材料で当たり前でないものができる、そういうミラクルに満ちているから愛されているのだろう。これからもできればそういうものを食べていきたいし、そういうものを食べるのが幸せなのだと思う。

と、昼間っから感動してたらねこが呼ぶので、ほれと、にせぽてとやをやってみた。しかし、動物性脂肪の希薄だからかこの食品をやつらは喜ばず、鼻を近づけただけで遠ざかる。
よし、次は本物をやってみようか。ちょっともったいないけど。

(BGMは昨年、accuradio できいて購入したレスピーギのローマ三部作。やっぱりバーンスタイン指揮の『松』がいい)

プラモデル


昨日、ひょんなことから来ることになった花たちをティーが偵察


こっちは庭の小さな踊り手たち

 2月22日

つーん

 2月19日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする