虹色雑談

気ままにダラダラと書き綴るブログ

震災から2年…

2013-03-11 21:53:43 | ブログ

 2011年3月11日、東日本において過去最大規模レベルの地震、通称・東日本大震災が発生し、東北の主要3県を中心に、日本に甚大な被害をもたらしました。今日はその忌まわしき日から丁度2年目の年です。僕の会社でも、地震が発生した時間に社員全員で、震災で亡くなられた方々への黙祷を捧げました。

 思えばあの日、弟の部屋の本棚の3分の1が崩落、僕の部屋も積み上がったDVDが数枚落ちる(本棚は幸い無事でした)等の被害があり、家族間、親戚間、そして我がサイトの閲覧者の方々への無事確認などでせわしなく動いてました。さらに丁度その時期、求職活動中だったので、求職活動にも多大な影響をもたらしました(求人の激減、面接の延期等)。
 
 また、報道特番等で通常の番組にも休止などが多く発生、沈黙を最初に破ったのは震災翌日のテレビ東京「テガミバチREVERSE」でした(しかしL字テロップと日本地図付)。このL字テロップは3月いっぱい、どの放送局の番組にもつき、さらにCMも全て公共広告機構のものに差し替えられ、皮肉にも2011年のネット流行語大賞に「ポポポポ~ン♪」が選ばれるという事態にまで発展しました。「忍たま乱太郎」等、震災直後に公開した映画も興行に悪影響をもたらし、放送予定だった番組も1週間延期、延期してもL字テロップ付等、アニメやTV番組の放送予定も大きく狂い、この時期にクライマックスを迎えるアニメの終盤のいくつかをうやむやにしてしまった方も多いかと思います。この影響を受け、「仮面ライダーオーズ」と「スイートプリキュア♪」は放送延期により、予定話数を1話減という事態になりました(スイートは、映画公開時期がキュアミューズの正体を明かす時期と折しも重なったことから、一度立った企画を白紙に戻し、TVと連動したミューズ=アコちゃんとメフィスト父娘主軸の物語になったと言われてます)。

 4月に入った後も余震は続きました。我が関東も震源地から結構遠いにも関わらず、あれほどの揺れを見せたわけです。掲示板にも書き込まれていましたが、大自然の力に我々人間は無力なのでしょう。

 しかし、この震災がもたらした恐怖は、地震以上に「津波」でした。津波により多くの家屋が破壊され、現在もなお騒がれる原発問題の要因となった福島県の原発被害も津波によるものです。震災直後公開の「プリキュアオールスターズDX3」では、ブループリキュアチームが落ちた海での津波シーンが、劇場公開時はカットされ(妙なところで「ブツッ」という音と共にイエロープリキュアチームのシーンに変わる)たり、TVアニメ「そふてに」では津波を連想させるシーンを別の映像でごまかしたり、ファミリー劇場放送での「帰ってきたウルトラマン」ではシーゴラス、シーモンスの話が以後カットされたり、サザンの歌から「TSUNAMI」が唄われなくなったり等、これほどまでに「津波」という表現、単語が日本人を恐怖させたのは後にも先にもこの震災でしょう。1995年1月に発生した阪神淡路大震災では、地震により 建物の倒壊、地下安全神話の崩壊に加え、火災による被害拡大がありました(そのほとんどが「電気火災」でした)。2004年10月に発生した新潟中越沖地震においても、地震による建築物倒壊の他に土砂崩れが被害を拡大させました。しかし、東日本大震災は原発問題の引き金をひき、災害を連想させる表現に規制をかけ、先の2震災以上の報道時間、問題の長引きを引き起こした、近代日本最悪の災害となりました。

 また、この災害に際し、被災地の方々の希望となるべく、仮面ライダー2号こと一文字隼人役佐々木剛氏を始め、ヒーロー番組の役者さん方から多くの応援メッセージがツイッターやSNSを通じ、話題を呼びました。
 色々とイベントや番組が中止になったり、自粛ムードになったりと、都心でも痛手が続いたわけですが、あの時、そして今現在も苦しんでいるのは被災地の方々なわけです。あの忌まわしき震災のために、多くの人たちが、多くの大切な人を、思い出のものを、住む場所を奪われました(中にはメチャクチャに壊れた「けいおん!!」の澪ちゃんの痛車まで発見されるという、持ち主の無事を祈るばかりか哀悼の意を捧ぐべきニュースも)。そして今現在も、被災地の方々はそれぞれの立場で、大自然がもたらした理不尽に堪えているわけです。

 あれから2年、少しずつですが、復興した場所も見えてきました。しかし、いまだ多くの方々が元いた場所に帰ることも出来ず、瓦礫もまだ全て処理しきれていない場所もあります。あの忌まわしき震災で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、1日も早い被災地の完全復興を心よりお祈り申し上げます。