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絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

テレビドラマに見るアメ車あれこれ特設美術館Part4

2014年03月30日 | プラモデル

アメリカ軍によるボックスアート奪還大作戦

今回はお休みです


テレビドラマに見る
アメ車
あれこれ


特設美術館



じゃじゃ馬たちは
オールズモビルに乗って
やってきた



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エリー(ドナ・ダグラス) グラニー(アイリーン・ライアン)
ジェド・クランペット(バディ・イブセン) ジェスロ(マックス・ベア)

ある日自分の土地から石油が出て、一夜にして億万長者になった
クランペット家。いままで住んでいた山奥から、ビバリーヒルズという超高級住宅地に
引っ越してきたのだが、日々の生活は西部開拓時代とまるで変わらない。
場所にそぐわないトンチンカンな行動で、毎回とんでもない騒動を引き起こすという
コメディーが、この『じゃじゃ馬億万長者』だ。

放送当時地方の人間をバカにしているという批判もあったようだが、CBSで1962年から
1971年まで放送されるという大長寿番組となった。
日本ではモノクロバージョンが1963年の毎週火曜午後7時から午後7時30分まで
日本テレビで放送された。
その後、カラーバージョンが1968年から1969年にかけて毎週日曜の午前10時から
午前10時30分までフジテレビで放送された。
『じゃじゃ馬億万長者』というと、こちらのカラーバージョンを見た方が多いのではないかと思う。


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『じゃじゃ馬億万長者』のオープニングおよびエンディング。
モノクロバージョン。
https://www.youtube.com/watch?v=QtvTE3m5jpM

『じゃじゃ馬億万長者』のオープニング・カラーバージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=NwzaxUF0k18

『じゃじゃ馬億万長者』の第一回目エピソード。
http://www.youtube.com/watch?v=sBmYkXVteaU


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大量の家財道具満載で車種がわかりにくいが、
オールズモビル・ロードスター1921年型のように思える。


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モノクロバージョンとカラーバージョンとではクルマの搭載品が
微妙に異なっている。


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Oldsmobile1920


Oldsmobile1921



Oldsmobile1923


Oldsmobile1923


Oldsmobile1923


Oldsmobile1921

1900年代のオールズモビル広告


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Wikipedia


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いまではやる物好きもいないだろうが、
かつて流行した汽車ポッポとのスピード競争。
クルマにある程度の信頼性がでてくると、
当時高速交通機関の代表であった鉄道への
挑戦を企てる者が出てくる。
強力なパワーをもつ陸の王者蒸気機関車に
勝利することが、ある種のステイタスだった
時代の話である。

トヨペット・SA型
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日本でも蒸気機関車とのスピード競争が行われている。
1948年8月7日にトヨタの販売促進イベントとしてSA型と呼ばれる
小型乗用車が、東海道本線の急行列車(当時は蒸気機関車が
引っ張っていた)に挑戦し勝利している。
名古屋駅を同時に出発し、大阪駅をめざしたが
トヨタ車が46分早く目的地に到着したという。

トヨタ自動車75年史というホームページに
SA型と蒸気機関車の競争を撮影した
画像が掲載されている。
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_
on_the_automotive_business/chapter2/section8/item1_d.html



家財道具などの搭載品がないので、じゃじゃ馬自動車
最大の特徴たる後部フロア特設木製座席の
様子がわかり興味深い。

じゃじゃ馬関連クルマは
オールズモビルばかりではないゾ


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銀行頭取(左)のドライスデール(レイモンド・ベイリー)と
秘書のハサウェイ(ナンシー・クルプ)。
頭取さんはクランペット家が預金を解約してしまうのを非常に
恐れている(いったいどれほどの預金額なのだろうか?)。
解約されそうになると、いろいろな策を講じるのだが、
自らドロをかぶるようなことはやらず、みな秘書に
丸投げ。そんな訳で、秘書は頭取さんの尻ぬぐいに
奔走することになる。

ところで、秘書は赤のダッジ・コンバーチブルを
日常業務の足としていつも颯爽と乗り回している。
番組のシーズンによってクルマの変更があるが、
ダッジ・コンバーチブルであることは変わりがない。

これは私の勝手な想像なのだが、秘書は実のところ
頭取の愛人であり頭取は銀行のカネで秘書がお気に入り
のクルマを買い与えていたのではないだろうか。
それは日頃の自分の尻ぬぐいに走り回る秘書への
感謝の念であったかもしれない。

秘書の愛車 ダッジ・ポラーラ・コンバーチブル1963年型


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ダッジ1963年型各種広告


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秘書の愛車 ダッジ・ポラーラ・コンバーチブル1963年型登場
https://www.youtube.com/watch?v=80RUI7MDXQo


秘書の愛車 ダッジ・コロネット・コンバーチブル1965年型


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ダッジ1965年型各種広告


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CHRYSLER


CHRYSLER


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秘書の愛車 ダッジ・コロネット・コンバーチブル1965年型登場(モノクロ)
https://www.youtube.com/watch?v=dA4EJ1Nw0yg

秘書の愛車 ダッジ・コロネット・コンバーチブル1965年型登場(カラー)
https://www.youtube.com/watch?v=DsqY-HAOVW0


秘書の愛車 ダッジ・チャレンジャー・コンバーチブル
1971年型


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ダッジ1971年型各種広告


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秘書の愛車 ダッジ・チャレンジャー・コンバーチブル
1971年型登場エピソード
https://www.youtube.com/watch?v=IHNe7UO9Hpc


頭取さんの愛車 インペリアル・クラウン1962年型


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頭取のドライスデール氏が乗るクルマは、クライスラーの
最高級車インペリアル・クラウン1962年型。
やはりお偉いさんが乗るクルマは違う。


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YouTube


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クランペット家と頭取さんのクルマが登場。
http://www.youtube.com/watch?v=Q8bNdFfWVtk


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最高級車なので雨漏りなど絶対に許されない(安いクルマなら
雨漏りしてもいいという話ではないが‥‥)。そのため徹底した
水密テストが行われる。

インペリアル・クラウン1962年型プロモーション・フィルム
http://www.youtube.com/watch?v=GGqDzW3Z8-w

インペリアル・クラウン1962年型各種広告


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CHRYSLER




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CHRYSLER

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ところで…

銀行のお偉いさんと秘書といえば、『ザ・ルーシー・ショー』も
忘れられない。副頭取のムーニー(ゲール・ゴードン)と秘書の
ルーシー(ルシル・ボール)が繰り広げるドタバタ騒動が
なんとも傑作だった。
なお、秘書のおバカ度ではルーシーがダントツだと思うが
いかがだろうか。

YouTube
ロンドンへ旅行することになったルーシー。
搭乗した旅客機で出張するムーニーさんと
一緒になってしまう。
困惑するムーニーさんなど眼中にないルーシーだが、
慣れない空の旅でとんだ騒ぎが…
http://www.youtube.com/watch?v=eI8BaL7vreI

じゃじゃ馬屋敷、今と昔…


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ドラマ放送当時のクランペット邸。


Google Earth
現在のクランペット邸。
建物は放送当時となんら変わっていない。
変化といえば塀に植物がからまり、生垣風に
なったことくらいか。
この邸宅はドラマ用のセットではなく、
個人の住宅(!)というからスゴい。
Arnold Kirkeby(1901~1962)という
アメリカのホテル経営者の邸宅で、
『じゃじゃ馬億万長者』以外にも多くの
ドラマや映画のロケに使われている。


Google Earth
クランペット邸はビバリーヒルズにあるというドラマ設定だったが、
実際の所在地はビバリーヒルズ近隣のベル・エア地区。
もちろん、この地も高級住宅地。

住所 750 Bel Air Road, Los Angeles, CA, United States


YouTube
クランペット邸(Kirkeby邸)空撮映像。
屋敷の広大さがよ~くわかる。
https://www.youtube.com/watch?v=Xcot7ZvxIog

おやっ?

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芸者さんが登場するエピソード。
肩もみで癒され、ジェドも心からご満悦。
https://www.youtube.com/watch?v=4vj0SnP9X9A


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オマケ

ウルトラ警備隊の出動車は
インペリアルだった

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初期のウルトラマンシリーズに登場したクルマで
もっともカッコいいクルマといえば、ウルトラ警備隊
御用達のポインターではないだろうか。


Wikipedia
インペリアル1957年型
本車はポインターのベースになったことで知られているが
あまりの変わり様に驚いてしまう。
それだけ番組制作者のヤル気というか熱意の表れという
ことができようか。


1957年型ではないが参考まで…

インペリアル・クラウン1957年型各種広告


CHRYSLER



CHRYSLER


CHRYSLER



CHRYSLER


CHRYSLER


CHRYSLER


CHRYSLER


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上2枚の広告画像にはお抱え運転手が描かれており、社会的に成功した人物が
乗るクルマであることを強くアピールしている。


CHRYSLER


CHRYSLER


CHRYSLER

CHRYSLER


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CHRYSLER


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ポインター走行映像。
カーグラフィックTV風のオープニングがオモシロい。
http://www.youtube.com/watch?v=HUpFb6XZgUQ

オマケのオマケ
その他1957年型クライスラー車


CHRYSLER


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CHRYSLER


CHRYSLER



CHRYSLER

次回の更新は5月31日夜の予定です。


テレビドラマに見るアメ車あれこれ特設美術館Part3

2014年01月31日 | プラモデル
アメリカ軍によるボックスアート奪還大作戦
       ※このストーリーはフィクションです


カリフォルニア州サンディエゴ海軍基地




「俺たちはどこへ行くんだ?」


「心配することはねえぞ
 地獄の一丁目に決まってんだろ」














つづく

テレビドラマに見る
アメ車
あれこれ


特設美術館


オールズモビルのつづき…
それでもロケットは飛ぶ!


第二次世界大戦後の1950年代、アメリカは未曾有の
繁栄を謳歌していた。
国際的には米ソの対立・冷戦があり、朝鮮半島では
血みどろの戦いが展開されていたが、これらの広告を
見るかぎり「不安な時代」であったことをミジンも感じさせない。
生活水準が高く、知的で都会的なクルマのある暮らし、すなわち
世界に冠たるアメリカンライフを楽しみましょう…
そういった夢とその夢が実現できる世界が語られるだけなのだ。

1955年型

GM


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GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM


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1954年型

GM


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1953年型

GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM



CORALOX


GM
有翼機に乗った男女が描かれているが、それ以前の広告だと
V-2らしきロケットに乗った男女となっている。

オールズモビルお得意のロケットに乗った
男女が登場する1953年のテレビ広告から。

YouTube


YouTube
YouTubeのクレジットには1953年のテレビ広告とあるのだが、
登場するクルマは1950年型のような気がする。
http://www.youtube.com/watch?v=DmabQ3MvXQQ

1952年型

GM



GM


GM




GM


GM


GM


GM


GM
ロケットがやたらと登場するのが、1950年代オールズモビルの
広告の特徴だ。
広告の文面から判断すると、最新ロケット工学の技術がクルマに
反映されているというわけではなさそうで、ロケットエンジンのようなパワフルな
V-8エンジンが搭載されています…だから胸のすくような加速感が
味わえますよ…的なイメージ戦略を全面に出したものらしい。

ところで、今回はこのロケットにこだわってみたい…


Wikipedia
GMのロケット・イラストの広告は、アメリカが世界で初めて
サルを宇宙に送り込んだときの写真(上)を参考にしたものと思われる。
アメリカは1949年6月14日、V-2の先端の
カプセルにアルバート2世と呼ばれるアカゲザルを
乗せて、世界で初めて宇宙に送り出した。
大気圏を突破して宇宙にたどり着いたものの、
その後サルが乗ったカプセルは地球に帰還する際
パラシュートが開かず、地上に激突してしまった。
カプセル回収には失敗したものの、動物を生きた状態で宇宙へ
送り届けたことは人類の宇宙進出に大きな足がかりを
作った。

なお、画像手前のピラミッド風建物は分厚いコンクリートで
造られており、内部はロケット打ち上げ用の管制室となっている。


NASA
ロケットお猿のアルバート2世。
この金属の骨組みごと円筒形の気密カプセルに
入れてフタをすればスタンバイOKとなる。

ちなみに、アルバート1世はアルバート2世の前に
打ち上げられたサルだが、窮屈なカプセルに起因した呼吸困難のため
死亡。アルバート3世は打ち上げ後ロケットが爆発し死亡。
アルバート4世はカプセルのパラシュート不開傘事故で死亡している。

アメリカに渡ったV-2のプラモ


ロケット先端内部に搭載されたカプセルのパラシュート回収
システム実験用プログラム「ブロッサム計画」に使われたV-2。
この計画は1946年からスタートした。
サルを乗せたカプセル回収システムの確立という目的があった。




1947年から1950年にかけて実施された
アメリカの高高度気象観測計画(バンパー計画)に
使われたロケットで、V-2本体の先端にアメリカで開発した
WACコーポラル小型ロケット(地対地ミサイル・コーポラルとは
別物)を装備した2段式タイプのもので,バンパーロケットと呼ばれた。


White Sands Missile Range
上のボックアートを描くのに参考にしたと
思われる画像。


Wikipedia


空飛ぶ巨大十字架みたいなスタイルがオモシロい。
ラムジェットエンジンテスト用のもので、1947年に
打ち上げられた。V-2発射後、先端の巨大十字架部分(?)が
ラムジェットによって高速飛行する。


US.Army
上のボックアートを描くのに参考にしたと
思われる画像。


Youtube
1946年のアメリカ・ニュース映画より、
V-2の発射映像。このロケットには
カメラが搭載されており、地上や宇宙の
様子が撮影されている。
飛行の後半はロケットの安定性が失われ、
スピンしているので撮影映像が回転した
状態でメチャ目が回る。
https://www.youtube.com/watch?v=i8wWQWfcyeI


Youtube
バンパーロケット打ち上げ映像。
https://www.youtube.com/watch?v=xlEPxKrqklg

ソ連に渡ったV-2のプラモ




戦後ソ連が開発したV-2改良型各種。

ドイツ軍御用達のV-2プラモ






上のボックアートはこの画像をそのまま描いたと思われる。
画像左端に放置されたドラム缶があるが、これも省略されずに
ちゃんとボックスアート化されているのがうれしい。
この画像は、かつてサンケイ新聞社出版局が出していた
第二次世界大戦ブックス「V1号V2号・恐怖のドイツ秘密兵器」に
掲載されていた。





KORAモデル脱線・資料編
こんなものまで!


広島に投下された原爆「リトルボーイ」の
プラモ。


こちらは長崎に投下された
「ファットマン」のプラモ。
1/72スケールなので完成しても
小柄のものだが、このような核爆弾が
単独でリリースされるのは珍しい。
通常ならB-29のプラモにオマケで
付属するくらいのものだろう。

その他V-2プラモ


発売以来50年近く経過しているのにもかかわらず、
その輝きは少しもあせていない。
ミサイル内部の構造をリアルに再現したところなど、
さすがはレベル。




1/35スケールとなると、かなりデカい。
ミサイル本体と発射台だけだが、欲をいえば
運搬用トレーラーもほしいところだ。
価格を抑えるため、泣く泣く省略したのか?


ミサイルや運搬用トレーラーばかりでなく、
牽引車両、指揮車、レーダーなどがセットと
なっており、そのにぎやかさに涙してしまう。
ミサイル本体と簡単な発射台だけというプラモも
多いが、支援車両と一緒にすることで楽しさが
倍増する。ミサイルプラモのひとつのあり方を
示したものといえる。






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1951年型

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華やかな広告のなかで、チョッと異色なものがコレ。
オレンジ色の空が不安をかき立てる。
核戦争を予感させるといったら考えすぎか。

参考資料
核戦争を予感させるボックスアート



GM


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1950年型

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GM


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GM


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Wikipedia
1940年代末頃のオールズモビル販売店のイラスト。
非常に現代的な建物で、古さを感じない。


Wikipedia
こちらも1940年代後半から1950年代にかけての
オールズモビルとジャガーの販売店イラスト。
上と同様メチャ現代的なデザインだ。

1949年型

GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM


GM

1949年の広告からロケットのイラストが登場するようになる。
1949年6月14日、V-2によって世界で初めてサルを宇宙に
送り込んだアメリカでは、このニュースにマスコミが飛びついた
であろうことは容易に想像がつく。
サルが宇宙に行けたということは、遅かれ早かれ人間も宇宙へ行くことができる
ということだから、このことは確かにニュース性はバツグンだと思う。
これら報道にオールズモビルの関係者は何かを「感じた」のではないだろうか。

宣伝に使える!

それ以来、オールズモビルの広告にはロケットが乱舞するようになる。


GM
1949年型はオールズモビルにとって、画期的なものとなっている。
GMの中級車モデルであったオールズモビルに、初めてハイパワー
V-8レシプロエンジンを搭載したのだ。
これによってロケットのような強力な加速感を体感できるように
なった…らしい(私は運転したことがないので、わからんが)。


GM


GM



GM


GM



GM


GM

オールズモビルの広告には「ロケット」と「ハイドラマチック」の文字が
必ずといってよいほど登場する。
「ロケット」とは高馬力を発生させるV-8レシプロエンジンのことで、
「ハイドラマチック」とはオールズモビルに装備された全自動変速機のことだ。
とくにこの「ハイドラマチック」は現代のATの元祖といわれているもので、
クラッチや変速レバーの操作から運転者を解放するものとして、
画期的な存在だった。
オールズモビル1940年型からオプション装備されるようになったが、1950年代には
大いに普及し、パワーステアリングの実用化と相まって巨大な車体にもかかわらず
運転しやすいというのがアメ車の特徴となった。

参考資料 1940年型
おそろしくレトロなスタイルのクルマだが、広告を見ると
変速のためのシフトレバーやクラッチの操作がいらないと
誇らしげに謳っている。いまの日本では乗用車のAT化など当然のことと
されているが、アメリカではオプション装備とはいえ実用的な
ATがすでに開発されていたことに驚く。
1940年型の発売が1939年、日本では昭和14年であり
太平洋戦争突入の2年前のことになる。

ちなみに1939年の出来事を列挙してみると
 4月 スペイン内戦フランコ将軍側の勝利
 5月 満蒙国境付近で日ソ両軍激突 ノモンハン事件
 9月 ドイツのポーランド侵攻 第二次世界大戦勃発
11月 ソ連のフィンランド侵攻 冬戦争
12月 ドイツのポケット戦艦「グラーフ・シュぺー」交戦ののち自沈

これだけ見ても戦争のオンパレードだ。


GM


GM



GM


GM



GM


GM



オマケ
YouTubeで見つけた1950年代のニューヨーク
観光案内映画。航空会社のTWAが制作したもので、
カリフォルニアに住む女子大学生サリーが友人とヒコーキに乗って
ニューヨークを訪れ、各地の観光スポットを見て回るというもの。
当時、TWAではスーパー・コンステレーションの導入により
アメリカ大陸無着陸横断飛行が可能となっており、
アメリカ東部と西部を結ぶ空の架け橋として搭乗客の増加を
狙ったキャンペーン促進映画を制作しセールスを展開した。
映画の冒頭、サリーのニューヨーク旅行は「遠隔地で心配」だとして
いい顔をしない母親を説得するシーンが登場する。
サリーはいった。
「おかあさん!(西)海岸から(東)海岸までたった8時間で行けるのよ!」

ちなみに長距離バスで有名なグレイハウンドバスを使った場合、
バス乗りっぱなしでも最短3日はかかるらしい。
アメリカは途方もなく広大である。


YouTube


YouTube
サリーの愛車(?)
彼女は免許取り立てらしく、ブレーキングが荒っぽい。
映画用の演出だとしたらメチャ芸が細かい。


YouTube
古き良き時代のアメ車が顔を出す。
フロント部分には動物的表情があり見ていて楽しい。


YouTube
機体の流麗なデザインは、今見ても非常に新鮮だ。


YouTube
スーパー・コンステレーションにはTWAの塗装が一番似合うし、
背景には摩天楼が樹立するマンハッタンが一番似合う(…と思う)。


スーパー・コンステレーション搭乗記念にどうぞ!


YouTube
映画のなかで自社のネオン広告を使って
チャッカリ宣伝しているのがオモシロい。
当時のTWA主力旅客機スーパー・コンステレーションの文字が見える。


YouTube
観光スポットを巡るサリー(右)と友人の2人。
左の人物が着るセーラー服風ドレスは、
現在ではコスプレ関係者くらいしか着用
しないのではないだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=Mo1IX2ILbfY

もうひとつは…


YouTube


YouTube


YouTube

1957年にニューヨークで開催された自動車ショーの様子。
http://www.youtube.com/watch?v=WCfva8EeWX0

次回の更新は、平成26年3月31日夜の予定。

テレビドラマに見るアメ車あれこれ特設美術館Part2

2013年11月30日 | プラモデル

アメリカ軍によるボックスアート奪還大作戦
       ※このストーリーはフィクションです    

1963年10月18日 ブラジル・リオデジャネイロ






「失礼ですが あなたは元Uボート艦長
 ハインツ・シェッファ-大尉の奥様ですね」


「おあいにくさま
 私の主人だったら
 とうの昔に亡くなったわよ
 いつだったかイスラエルの連中が
 押しかけてきて
 潜水艦にヒトラーを乗せて逃亡させたとか
 いって家中荒らしていったわ
 
今度は何なの!」


「緊急事態です 
 奥さん ご同行願います」






「奥さん
 単刀直入に伺います
 ご主人の棺内
を調査したところ
 キューバ周辺の
 古い海図を発見しましたが…」




このバチ当たりめが!
 ケネディとかいう若造を
 すぐ呼んできなさい
 墓荒らし野郎の親玉を
 ぶん殴ってやる!」


「なんてババアだ

 しばらく拘束しとけ
 マスコミにバラされたら困る」


1963年10月
22
日 ワシントンD.C.


「アメリカ国民の皆さん
 わが合衆国政府はキューバ国内に
 核ミサイルが配備されていることを
 確認しました」


「私はこの危機に対処するため
 キューバの海上封鎖を決断し
 軍に対しただちに行動するよう指示を
 しました」




「大統領閣下
 ご決断ください
 迅速がすべてです
 今回の海上封鎖はわが軍の奪還作戦を
 隠すのに好都合です
 キューバ側が気がつく前に撤収するのです」


「やっかいなのはキューバに
 ゲバラというゲリラ戦の専門家が
 いることです
 カストロの片腕で自らのゲリラ戦
 理論でキューバ革命を成功させた
 男です
 われわれの上陸を知れば
 すぐさま部隊を率いて
 やってくるでしょう
 彼らと交戦すればゲリラ戦に
 巻き込まれます
 その前にわれわれは作戦を 
 完了させなければ なりません」


「1960年のピッグス湾事件では
 上陸した反革命部隊を粉砕しています
 作戦を主導したのはCIAですが
 こうした侵攻作戦にはまるっきりの素人です
 今回は軍主導でいくことを進言します」


「 この作戦はトルーマン政権時代からの
 懸案事項だ
 国防長官には私から直接指示を
 出そう
 作戦開始だ」

つづく

テレビドラマに見る
アメ車
あれこれ


特設美術館



ハワイの「キムタク」は
オールズモビルだった!

Wikipedia


Wikipedia
なつかしいアメリカのテレビドラマ『ハワイアン・アイ』。
左からロパカ(ロバート・コンラッド)、クリケット(コニー・
スティーブンス)、スティール(アンソニー・アイズリー)、
キム(ポンシー・ポンス)の面々。
ホノルルのハワイアン・ヴィレッジ・ホテル内に事務所を
置く私立探偵の話で、1959年から63年にかけて
アメリカABCテレビで放送された。

探偵のロパカ、スティールと彼らを助けるナイトクラブの歌手
クリケットとタクシードライバーのキムが主要メンバーだが、
のちに探偵マッケンジー(グラント・ウイリアムス)、
第4シーズンからホテル関係者のバートン(トロイ・ドナヒュー)が
加わった。


YouTube
ダイヤモンド・ヘッドをバックに、出演者が
仲良くサーフィンに興じている有名なオープニングシーン。
手前のおネェちゃんはクリケットかと思ったが、
大柄の体格からして別人だろう。


YouTube
お決まりのワーナー・ロゴ。


Wikipedia
ダイヤモンド・ヘッド全景

『ハワイアン・アイ』オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=Je32mFibFaU

日本では1963年からNETテレビ(現テレビ朝日)が毎週土曜日
の午後9時から放送していた。


YouTube
昔のワーナー・テレビドラマに必ず登場した
スタジオ全景。
スタジオの建物全体をトレードマーク化していたのは
オモシロい。


GoogleEarth
現在のワーナー・スタジオ。
所在地はロサンゼルスのバーバンクで、
50年前と同じ位置だ。
建物の大半はリニューアルしたようで
(映画やドラマで相当儲かったからか?)、
上の画像と比べてみても、その違いが
なんとなくわかる。

『ハワイアン・アイ』に登場する探偵事務所は…

YouTube
事務所はハワイ・ワイキキビーチの高級リゾートホテル内にある(もちろんドラマ上の設定)。
ここカイザー・ハワイアン・ビレッジ・ホテルは1957年に創業し、現在
ヒルトン・ハワイアン・ビレッジとしてハワイ最大の威容を誇っている。

上の画像は、ドラマ放映時の同ホテル敷地入口に設置された看板で、
チョッと見にくいが名称がなんとか読みとれる。
看板の後方には円形の奇妙な模様の物体が見えるが、これは
カイザードームと呼ばれる建物。ただし、現在では取り壊されていて
その姿を見ることはできない。
一方、左側の建物は現存しておりホテル施設として使用されている。

現住所 2005 Kalia Rd, Honolulu, HI 96815, USA 


GoogleEarth
現在のホテル敷地入口。
高層の建物に圧倒されるが、ドラマ放送時には
まだなかった。


YouTube
ドラマ放送時のホテル。
画像ではわかりにくいが屋上にトラス構造のタワーが確認できる。


Google Earth
現在の映像。手前の白い建物が上の画像に出ていたホテル。
ただし、これは裏側から撮影したもの。屋上にあったタワーは
すでに撤去されている。
後方の高層ビルも同ホテルのものだが、ドラマ放送時には
まだ建築されていなかった。


YouTube


YouTube
事務所内部の様子。
南国風のインテリアを見ると、いかにもハワイを
感じるが実際はハリウッドのスタジオセット。
このドラマはハワイをウリにしていたものの、ロケ地は
カリフォル二アで現地ハワイでの撮影はほとんどなかったらしい。

余談だが…

YouTube
テレビドラマ『サーフサイド6』に登場した高級リゾートホテルは、
フロリダで1954年創業のフォンテーヌブロー・フロリダビーチ・ホテル。


YouTube
サンディーらが探偵事務所として使っている
ハウスボートは画像の右側に見える。


Wikipedia
現在のフォンテーヌブロー・フロリダビーチ・ホテル。
創業当時から60年近い年月が経過したが、この建物は
現役のホテルとして活躍中だ。

現住所 4441 Collins Ave, Miami Beach, FL 33140  USA


YouTube
主人公らが探偵事務所として使用していた
ハウスボート。ドラマ放送時、観光用に
ハウスボートが係留されていた時期があった。


GoogleEarth
ホテルとの位置関係から『サーフサイド6』のハウスボートは
画像中央の場所に係留されていたと思われる。
係留場付近は放送当時とあまり変わらない印象を受ける。

ここで本題に戻ると…

YouTube
当時、アメリカのテレビドラマは主演者のほとんど全部が白人で占めれて
いたが、当ドラマはハワイの特殊性もあったためかアジア系の俳優が
主要メンバーに加えられており異色だった。

ついに登場!
キムさんのタクシー 「キムタク」…?

YouTube
ハワイのタクシードライバーは、こんなに気楽なスタイルなのかと
驚いてしまう。
ドアに「KIM'S KAB」の表示をいれたクルマは、その特徴的な
ゴツい窓枠からオールズモビル1960年型スーパー88かダイナミック88の
セレブリティ・セダンではないかと思われる。


YouTube
ドアの表示に漢字の「金」の文字が見える。
アメリカのドラマ(映画もそうだが)に登場する
漢字は怪しげなものが多いが、これは一応
正しく書かれているようだ。


YouTube
劇中に登場したオールズモビル1960年型スーパー88スポーツセダン…かな?


オールズモビル1960年型の運転席。
現在のクルマと比較するとハンドルが
バス・トラック並みにデカい割には
握る部分がかなり細身に見える。


GM
オールズモビル1960年型スーパー88


GM
オールズモビル1960年型スーパー88各種



GM
オールズモビル1960年型ダイナミック88

1960年型になると、それまでアメ車の特徴であつたテールフィンが
かなり控えめにデザインされるようになった。
車体デザインも洗練されており、さほど古さを感じない。

オールズモビル1960年型テレビ広告
http://www.youtube.com/watch?v=tUGWSvH64cs

http://www.youtube.com/watch?v=4YVjUgPvV84

http://www.youtube.com/watch?v=lzoYik0RPqc

オールズモビルは、1897年に自動車技術者の
ランサム・E・オールズによって設立された。
1908年、ゼネラル・モーターズ(GM)に買収され
これ以降GMの自動車ブランドとして知られるようになった。
しかし、石油ショック以後の燃費のよい日本車の台頭で販売台数が低迷し、
2004年にその1世紀にわたる自動車ブランドに終止符を打った。


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1959年型


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1958年型

CORALOX
この広告はスパークプラグ・メーカーのものだが、
ミサイル(メースBか)とロケット(オールズモビル)の
両方に当社の製品が使われています…という内容だ。
ちなみにこのロケットというのはオールズモビルに
搭載されたエンジンの名称で、当時の宇宙開発に
便乗したようなネーミングだ。
ただし、このエンジンはレシプロエンジンであり
間違ってもホンモノのロケットエンジンではない。

ところで、オールズモビルの広告に登場する無尾翼機のイラストは
メースBみたいな有翼ミサイルをイメージしているのだろうか。
現代でもそうだが、ミサイルやロケットというのはその時代の最先端の
技術が投入されているというイメージがある。
このオールズモビルも最先端の技術によって開発・製造されたと
アピールしているのだろう。

★☆参考資料

GM
上は1957年型の広告に登場した
V-8「ロケットエンジン」


唐突だがV-8エンジン・プラモといえば、やはりコレ。
内蔵されたモーターを回転させると、
これと連動してピストンやタペット等が
動くというスグレもの。
ただし、確実に作動させるにはそれなりの
工作技術が必要だった。


レンウォール倒産後、レベルから発売された
ときのパッケージ。


GM


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1958年型からヘッドライトが四つ目になっている。
前回取り上げたサンダーバードも1958年型から
四つ目となっていた。
1958年型というのはアメ車のデザインにおいて
大きな転換が行われており、それが2灯式から
4灯式への変更ということなのだ。
このデザイン変更によって、2灯式は一挙に旧式化
してしまう。

1957年型


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1956年型



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クルマの存在が、いかに生活を豊かにし楽しくさせるかを
美しいイラスト・写真で訴えかける。
アメリカ人にはクルマのある生活は当たり前のことなのだが、
当時の日本で一般大衆がクルマを購入するなど夢のまた夢で
あったことだろう。

オマケ・タクシープラモあれこれ




アメリカのタクシーといえば、イエローキャブすなわち
全面黄色のハデハデタクシーを連想する。


イギリスのタクシーといえば、やはりコレ。
頑固オヤジをイメージしたような保守的なデザインが渋い。









メキシコのティファナ・タクシー。
ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの
ヒット曲に便乗(?)したものか。


フィリピンのタクシーはなんともケバすぎる!






これはオモシロい。
ちょうちん型行灯やタクシー用表示シール等
個人タクシーに必要不可欠なものが改造パーツセット
として用意されている。
フェラーリやベンツ、ついでにキャデラックなどを
個人タクシーにしてもイイかもしれない。

Wikipedia
現代日本のタクシー運転席。
ハンドルの左側にタコグラフ器、カーナビ、GPS、無線機、
運賃料金メーター機など豪華フル装備に圧倒される。
運転席だけを見ると一瞬警察車両かと思ってしまう。

次回の更新は平成26年1月31日夜の予定。


テレビドラマに見るアメ車あれこれ特設美術館

2013年09月27日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦




「目的地は南米アルゼンチン
 港に逃げ込んだら協力者を頼れ」




「祖国もこれで見納めだな」


このまま敵に発見されなければ
輸送作戦は成功だった
しかし奴らは鉄壁の監視網を敷いていた

これを突破できたUボートは
あまりに少なかった





BAKON!

お母ちゃん!


 機関室に浸水!
 排水ポンプ回せ!」



「クソッたれめ! 急いで浮上しろ
 上空には敵機がいるぞ
 ただちに対空戦闘用意!」











つづく

テレビドラマに見る
アメ車
あれこれ


特設美術館




いまの日本で「外車」といえば、ベンツやBMWといった
ドイツ車をイメージする人がほとんどだろう。
実際街中を走っている「外車」はドイツ車ばかりだが、
昭和30年代生まれの私にとって「外車」は
アメ車…というイメージが鮮明に残っている。

そもそもアメ車に対する強烈な印象というのは、
当時日本のテレビで放送していたアメリカの
ドラマに起因している。
劇中に登場してくる巨大なオープンカーなど
日本では見ることのできないものばかりで、
圧倒されっぱなしだった。

しかも、ジェット戦闘機の垂直尾翼をイメージさせる
ピンと張ったテールフィンは、強烈なイメージをさらに
増幅させた。
その大胆なデザインは、大柄な車体によく似合っていた。



『日の入大通り77番地』の
出動車といえば
フォード
だった!

YouTube
テレビドラマ『サンセット77』オープニングの
出動シーンより。
クルマはフォード・サンダーバード・コンバーチブル1958年型。
クルマの上方にレストランの「Dino's Lodge」駐車場の文字が見える。
ただし、この建物はスタジオのセット。


YouTube
サンダーバード・コンバーチブル1958年型。
右側のクルマは、レストラン駐車場係クーキーのホットロッド。
これもスタジオでの撮影。


wikipedia
画像はサンダーバード1959年型だが、
細部のデザインが異なるのみで、基本的には
1958年型と同じスタイル。


















古き良き時代のモノグラムのキット。
ハードトップ、バブルトップ、コンバーチブルなど
4種類のカスタマイジングが可能。














YouTube
フォード・サンライナー1960年型。
図体のデカいアメちゃんが3人並んでラクに乗れる
のだから、アメ車の巨大さがよくわかる。


wikipedia
サンライナー1960年型。
徐々に小さくなっているとはいえ、50年代後期アメ車の
特徴であるテールフィンが見られるのがうれしい。

amtが発売していたコンバーチブル・キット。
中央がサンライナー。




Ford


Ford

クーキーの通勤クルマ(?)もフォードだった

YouTube


YouTube
クーキーの愛車はT型フォードをホットロッド化したもので、
当然のことながらエンジン、足回りなどオリジナルとは
別物となっている。

スキンヘッドになったクーキー(もちろんカツラでみんなを驚かす
ための悪ふざけだが)が愛車のホットロッドで登場するシーン。
ドイツ語バージョン。
http://www.youtube.com/watch?v=vqkwUQSKaGg

T型フォードetcホットロッド・プラモあれこれ

























Wikipedia
偉大なる大衆車T型フォード。
いかにも旧式なスタイルだが、発売以来モデルチェンジをせず
熟成に熟成を重ねて機械的信頼性を高め、かつコスト削減に努めた
ことは、大衆車のひとつのスタイルを確立した。


Ford


Ford
上記T型フォードの広告2点をよく注意して見てほしい。
最初のものが1924年で、次が1925年なのだが
それぞれ広告の終わりに車両売り渡し価格(小さくて見にくいが)が
表示されていて、1924年版の場合2ドアセダン・590ドル、4ドアセダン
・685ドル、クーペ・525ドル、1925年版だと2ドアセダン・580ドル、
4ドアセダン・660ドル、クーペ・520ドルと値下げになっている。
1907年の発売時は850ドル以上(他メーカーのものなら1000ドル以上)の
価格であったことからすると、かなりのプライスダウンということになる。
これはフルモデルチェンジをせず、同一モデルの大量生産の結果だった。
この状況は、T型フォードの生産が1927年に終了するまで続いた。

一方、ライバルのGMは毎年モデルチェンジを繰り返す方法で
顧客の心をつかんだ。
その後、その「変わり身の早さ」がアメ車の特徴となっていった。

『サンセット77』といえば

テレビの私立探偵ドラマのはしり
『サンセット77』。
ロサンゼルス市のサンセット大通り
77番地にある探偵事務所の話で、
左からベイリー(エフレム・ジンバリスト・
ジュニア)、スペンサー(ロジャー・スミス)、
クーキー(エド・バーンズ)。


YouTube
クーキーはベイリーらの探偵事務所に
隣接するレストランの駐車場係で、
いつも櫛で髪をなでつけているスカした
兄ちゃんとして印象的。のちにベイリーの
事務所の一員となっている。

ちなみに、ドラマに登場するこのレストランは実在していた。
アメリカの映画俳優ディーン・マーチンが経営していた
レストラン「Dino's Lodge」がそれで、ドラマのオープニングで
ベイリーらが乗ったオープンカーが建物から大通りに出てくる
シーンは、このレストランを使って撮影された。

なお、レストランの住所はロサンゼルス市の
8524 SUNSET BOULEVARDとなっており、77または
それに近い番地というわけではなかった。


wikipedia
ディーン・マーチン


ベイリーの探偵事務所入口風景

なつかしのオープニング・シーン

YouTube
ベイリーの事務所はレストランの右隣にある設定だが、実際の
建物は店舗になっている。
この出動シーンの撮影では、この店舗の入口を事務所風に
改造している(張り出しの屋根をつけただけだが…)。
なお、画像ではわかりにくいがレストランの前に看板が設置
されているのだが(駐車中のクルマで左から2番目の右わきに
立っている)店舗名の下に経営者ディーン・マーチンの似顔絵が
大きく描かれ、人目をひくようになっていた。


YouTube
ワーナーのロゴで見にくいが、レストラン正面の様子が
わかる。


YouTube
この大通りは右カーブになっており、ハリウッドへと続く。
往来のクルマは古き良き時代のアメ車ばかり(当然か)。
ところで、以前から気になっていたことだが、画面中央やや
右側の白い建物は一体何だろうか。

その建物は現存していた!

Google Earth
1931年創業のサンセット・タワーホテルだった!
現在でもシッカリ営業中なのは、メチャうれしい。
かつて、ハリウッドの高級コールガールとここで
一夜を過ごすのが最高の贅沢だったとか…?


Google Earth

現在のレストラン「Dino's Lodge」跡地周辺画像

Google Earth
50年以上前の話なので、ドラマに登場していた
街並みの名残はなさそうだが、右側建物(奥から
クルマが出てこようとしている)は「THE ACTORS
STUDIO PARKING」の事務所(多分)で、その奥が
駐車場になっており、ここ一帯がかつて「Dino's Lodge」が
あった場所だと思われる。


Google Earth
「THE ACTORS STUDIO PARKING」の駐車場を見る。
「Dino's Lodge」時代の駐車場がそのまま残っているとすれば、
意外と広い敷地だったことがわかる。
テレビドラマのおかげで大繁盛したとすれば、押し寄せるお客さんの
クルマをさばくため、クーキーのような駐車場係も必要だっただろう。


Google Earth
ドラマでは主人公ベイリーの事務所があったとされる場所
(もちろん架空の話)には、「ティファニー」の看板が見える。
宝飾店で世界的に有名な、あの「ティファニー」のことか。

テレビドラマ『サンセット77』オープニング。
最初に登場するクルマはサンダーバード・
コンバーチブルで1958年型、2番目が
サンライナー1960年型でこのドラマでは
伝統的(?)にフォードのオープンカーがベイリーたちの
足として使われていた。
デカいオープンカーに乗って出動していく彼らの姿が、
メチャカッコよかったナ~。
レストラン「Dino's Lodge」もチラッとだが登場するゾ!
http://www.youtube.com/watch?v=WrrcSieqMH8


Youtube


Youtube
サンダーバード1958年型とベイリー、クーキーの映像。
彼らのさりげないしぐさが妙に都会的で、新鮮だった。
ベイリーのゆびパッチンもサマになっているじゃありませんか。
http://www.youtube.com/watch?v=pqvFmAm9C5w

『サンセット77』は1958年から64年にかけて、ABCで
テレビ放送されていた。
日本では1960年から63年にかけてTBSが日曜日の
午後8時から放送しており、ドラマの中で展開される
アメリカの都会生活にシビレたものだった。


Youtube
1964年のサンセット大通り(ホンモノ)映像。
残念ながら「Dino's Lodge」は写っていないが、
当時のサンセット大通りの雰囲気は味わえる。
https://www.youtube.com/watch?v=Q3n7ZyrMFog

ちなみに、当時ワーナーの探偵テレビドラマ4部作と
いわれるものがあった。
そのひとつがこの『サンセット77』だが、残り3つは
『サーフサイド6』、『ハワイアン・アイ』、『バーボン・ストリート・ビート』と
されている。
『サーフサイド6』と『ハワイアン・アイ』は日本でも人気番組であったが、
『バーボン・ストリート・ビート』はほとんど知られていない。
1967年の毎週月曜日午後9時から東京12チャンネル(現テレビ東京)が
放送していたが、あまり人気はなかったようだ。
本家アメリカでも人気が出ず、1年(今の感覚ではロングランだが)で番組が終了している。


wikipedia
『サーフサイド6』は、フロリダの埠頭に係留されたハウスボートを
探偵事務所とする若者3人の話。

主演メンバー
左からチャチャ(マルガリータ・シェラ)、サンディー(トロイ・ドナヒュー)、
デイブ(リー・パターソン)、ダフネ(ダイアン・マクベイン)、ケニー
(ヴァン・ウイリアムズ)。
出演者のなかで異色の存在は、マルガリータ・シェラだ。
スペイン出身の歌手・ダンサーで当時フロリダの人気ナイトクラブ歌手
として活躍しており、その実力を買われての出演であった(ドラマでも
ナイトクラブ歌手役で登場している)。
しかし、番組終了後1年ののち27歳で急逝してしまう。

『サーフサイド6』オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=iS3hoWKLPi8

『サーフサイド6』より、在りし日のマルガリータ・シェラ歌唱シーン
http://www.youtube.com/watch?v=9kaM5uV2FHs


YouTube
『ハワイアン・アイ』は、次回のネタに…


wikipedia
『バーボン・ストリート・ビート』主演メンバー
左からカルホーン(アンドリュー・デューガン)、
マーサ(アーリーン・ハウエル)、ケニー
(ヴァン・ウイリアムズ)、ランドルフ(リチャード・ロング)。

あれ?ヴァン・ウイリアムズって『サーフサイド6』にも
同じケニー役で出演している。
そういえばリチャード・ロングも『サンセット77』に
同じランドルフ役で出ていた。
上記『サンセット77』オープニングYouTube映像にも
登場し、ベイリーらと仲良くサンライナーに乗って出動している。

当時のワーナーのテレビドラマでは、ときおり採用された
手法で、視聴率をかせぐため(?)別なドラマでも同じ役名で
登場させることがあった。

『バーボン・ストリート・ビート』オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=PDt62s54Tno

おっとっと…脱線してしまった!

フォード・サンダーバード広告集

サンダーバードは、1955年に2座席のコンバーチブルとして
発売された。
1958年、ユーザーの拡大を狙って4座席タイプにフルモデルチェンジを
した。テレビドラマ『サンセット77』に登場したクルマは、このときのもの。
2002年、再び2座席タイプが発売されるが販売が低迷し、2005年に
生産打ち切りとなっている。

1959年型

Ford


Ford


Ford


Ford


Ford


Ford

サンダーバードの広告はイラストを主体にしたものが多かったが、
1959年モデルから写真主体のものに変わった。
宣伝担当者はクルマの魅力を伝えるのに、イラストでは限界があると
考えたのだろうか。
きわめて現代的なデザインで、いまでも使えそうだ。

1958年型


Ford


Ford


Ford
左下でお尻を見せているクルマがサンダーバード。

Ford
運転席のメーター類の配置は、現代のクルマと同じ。
ハンドルの内側にある半円形のパーツは、クラクションを
鳴らすためのもので、これを押すとプーッ!といくわけだ。
この時代のクルマには常備されていたものだが、さすがに
現代では姿を消した。

Ford
その大柄な車体を強引に引っ張る強心臓が
このV-8エンジン。
5800cc、のちに7000ccに強化した排気量は、もはや
トラック並みといわざるを得ない。
日本製乗用車の直列6気筒3000ccなんてカワイイもの。

広大な国土を移動するための長距離走行、高速走行に
適したハイウェイの整備、舗装されていない田舎道を突破する
強力な悪路性能と頑丈なボディ、安いガソリン価格とくれば車体の大型化と
エンジンの大排気量化は当然の帰結であったように思う。

 Ford

 
Ford


Ford


Ford

サンダーバード1958年型テレビ広告。
クルマのトップ部分が自動収納できるメカは
なかなか素晴らしい。
http://www.youtube.com/watch?v=5mQaqQzwLOI

1957年型

Ford


Ford

驚きのテレビ広告!
サンダーバードとF-100スーパーセイバーが
競争をしている。
普段から公用車等の納入でお世話になっている企業なので、
アメリカ空軍も全面的に協力したのだろう。
このF-100は空軍のアクロバットチーム・サンダーバーズ所属機であり、
車名とかけたところがオモシロい。

YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=OKjrr_EUcjw

1956年型

Ford
小さくて見にくいが、右上がサンダーバード。


Ford


Ford


Ford


Ford


Ford


Ford




Ford
1956型フォード車あれこれ。
サンダーバードはどこだろうか(真ん中)。


Ford

サンダーバード1956年型テレビ広告
http://www.youtube.com/watch?v=-p453eY6kQQ

1955年型

CHAMPION


Ford


Ford


Ford


Ford



Ford


Ford



Ford


 Ford


Ford


Ford


Ford


Ford

一方、その頃の日本では…
元祖・本格的国産大衆車登場!


wikipedia
巨大なアメ車がブラウン管(液晶画面ではありませんゾ!)の中を
走り回っていた頃、当時の日本では「てんとう虫」が走り回っていた。
1958年発売のスバル360は、一般大衆でも手が届くクルマとして
人気を呼んでいた。
小型で狭い路地にもスイスイ入っていけるし、取り扱いも容易で
手頃なのがウケたのだろう。















軽トラにDOHCエンジンを搭載するなんて、
何を血迷っているのかと思ってしまうが、
高速走行によって荷物が早く配達できる…という
合理的(?)な発想があったのかもしれない。

次回の更新は、11月30日夜の予定。


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part12

2013年07月31日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦


「罠か?」






「見ろ!スコルツェニーだぞ」



Sieg Heil!



Sieg Heil!
           Sieg Heil!
                       Sieg Heil!


駆逐戦車が猛スピードでやって来た
われわれは戦友の姿を見て歓喜した


総統は約束を守ったのだ
ドイツ第三帝国の国家的財産を敵の手に渡さぬため
彼らは現場にはせ参じたのだった




GIの格好をした特殊部隊員に
感謝の気持ちを伝えた
彼らは危険を承知で飛び込んできたのだ

つづく


不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館











★ライバル・プラモ



機体に迷彩塗装を施すと、かなり印象が違ってくる。
これはベトナム戦争便乗商品だが、戦争はときとしてプラモメーカーに
売上増大のチャンスを与えることがある。
古いキットのリニューアルには、いまドンパチやっている
戦争に便乗することが大切で、ときとしてお客さんに対するインパクトを
強める効果が期待される。


Wikipedia

…こ、これは!?

USAF
B-57を撮影したら、ナントUFOが紛れ込んでいたという
有名な写真。
円盤といわれれば、そんな気もしないではないが
実際はネガのキズが原因らしい。









































★ライバル・プラモ

飛行甲板上のファントムを描いたものとしては
1965年に発売したレベル1/72がある。
グンゼ・レベルでも同一のパッケージデザインで
発売していたので、ご存じの方もいることと思う。







★ライバル・プラモ

お尻から核爆弾を放出するギミックが
オモシロい。
リアルな手をわざわざ描いて、ここを押すと
ギミックが楽しめますという表示方法は
わかりやすくて親切ではあるが古さを感じる。










ハセガワの旧ロゴタイプがなつかしい。


US NAVY

ヴィジランティの発艦・着艦・飛行映像。
http://www.youtube.com/watch?v=oYR8QByIOKY













★ライバル・プラモ

日本では地味な存在のG91だが、タミヤでも
1/100スケールで発売していた。
実機自体小柄な機体なので、完成すると
じつにカワイイものとなる。






背景のロンドン市街もイイ感じに描かれている。


1957年(昭和32年ですゾ!)、世界最初のVTOL旅客機と銘打って
イギリス航空界の期待の星として華々しくデビューした本機だったが
運行コストや騒音、操縦の難しさなどがネックとなって実用化されずに
消えてしまった。
当時、未来の乗り物として航空界をにぎわしたが運行コストや騒音が
足を引っ張ったという点は、のちの超音速旅客機コンコルドの運命を
暗示(考えすぎか)しているようで興味深い。

★ライバル・プラモ

本家イギリスよりもアメリカのメーカーの方が、カラフルな
パッケージデザインをしている。
LOOKなどと表示してプラモの特長を並べたてているところを
見ると、イギリスには絶対に負けたくないというレベルのメンツが
にじみ出ているのがオモシロい。


世界最初のVTOL旅客機というふれこみは、
アメリカのレベルも動かした。
米英プラモメーカーのライバル対決となったが、肝心の本機が
開発中止になってしまったため、何となく尻切れトンボ的結末と
なってしまったのが惜しまれる。

フェアリー・ロートダイン実機映像
http://www.youtube.com/watch?v=u4Z1UnRZDyo
















世界最初のジェット旅客機として航空界に
華々しくデビューしたコメットだったが、
繰り返し与圧を受けることで胴体部分の
金属疲労が発生し、空中分解事故を起こした。
徹底的な調査により事故原因が判明し、その
改良型も登場したが、より高性能のボーイング707や
ダグラスDC-8などのアメリカ勢の追い上げにより
販売競争から脱落してしまったのは歴史の皮肉か。

コメット初飛行映像
機体が全面無塗装だと、一風ちがった印象を受ける。
http://www.youtube.com/watch?v=Kd9Qy4q73-M






イギリスの国営航空会社だったBOACも
愛国精神だけでは国際競争に対応できないため、
コメットよりも大型で高速のボーイング707を
導入した。



1955年の707原型機初飛行での珍事映像。
大勢の招待客が見守るなか、ボーイング社初の
大型4発ジェット旅客機が離陸した。
このときのテストパイロットは、きわめて衝撃的な
サプライズを用意していた。
こともあろうに独断で背面飛行をやらかし、招待客の
ド肝をぬいたのだ。
イチバン驚いたのは何も知らないボーイングの社長で、
目前で事故が発生したと勘違いし、思わずオシッコを
チビってしまったとか…
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=CLDr54dlw6s



ケネディ政権時代の大統領専用機映像。
JFKのベルリン訪問、運命のダラス訪問、
そしてワシントンへの無言の帰還まで。
http://www.youtube.com/watch?v=9CKL-k5vatA




































元祖ホバークラフトといえば、イギリスのサンダース・ロー社が
開発したSR-N1が知られている。
見た目は試作機的要素が強いが、イギリス航空界が生み出した
画期的製品には間違いない。
エアフィックスも売れる・売れないにかかわらず、この歴史的機体を
ちゃんとモデル化しているところが素晴らしい。
歴史を重んじるイギリスらしい。


Wikipedia

Wikipedia

日本では知られていないが、イギリスでは1966年より
フェリー運航のホバーロイド社が英仏海峡の高速移動手段として
BHC(ブリティッシュホバークラフト)社製造のホバークラフトを
投入していた。
当初は旅客のみの運行であったが、自動車の搭載が
望まれるようになり、より大型のホバークラフトが
登場した。これがエアフィックスがモデル化したSR.N4
だった。

その後、ホバーロイド社は英仏の国鉄が合弁で設立した
英仏海峡フェリー会社シースピードと合併し、ホバースピード社
として活躍することとなる。
2000年、船体の老朽化によりホバークラフトの運行を
終了した。




ホバーロイド社時代のSR.N4。

日本人にはなじみのない英仏海峡横断ホバークラフトだが、
イギリス人にはメジャーな存在だった。


Wikipedia
ホバースピード社時代のもの。

ド迫力の大型ホバークラフト走行映像。
内部の様子も見られるゾ。
http://www.youtube.com/watch?v=8ddvSMUzNs8














観音開きのカーゴドアが特徴の機体で、
当初旅客機として開発されたが、広い
荷室を利用して乗用車などを搭載し
イギリスとヨーロッパを結ぶ空飛ぶ
カーフェリーとして使用された。

頭でっかちのナマズみたいなユーモラスな
スタイルがおもしろい。

Wikipedia

1986年の映画『ザ・レスキュー』に実機が登場している。
デカ頭ナマズをイメージさせるようなスタイルと固定脚が特徴。
http://www.youtube.com/watch?v=LKH_-WD75Lw&feature=related











エアフィックス広告集
































































































オマケ


イギリス・レベルの広告。
P-39やワイルドキャットのボックスアートは、
日本では知られていないパージョンで興味深い。

★たのしい脱線特別講座 オーロラの狂気…?


1964年にリリースされた
ギロチンプラモは、単発もの
ではなくもともとあるシリーズの
第一弾だった。

パッケージのいちばん上に
「MADAME TUSSAUD'S」という
文字が見えるが、これはきわめて
リアルなろう人形の展示で知られる
ロンドンのマダムタッソーろう人形館の
こと。
このろう人形館の一角に「恐怖の部屋
(CHAMBER OF HORRORS)」と
呼ばれるブースがあり、ここで展示されている
物をモデル化していこうとしたきわめて異色
…いや異常な企画の第一弾が、この
ギロチンだった。

この「恐怖の部屋」にはフランス革命時に
フランス全土に吹き荒れた恐怖政治の
様子が再現されている。
ギロチンによる処刑やらジャコバン派
指導者ロべスピエールの生首(もちろん
ろう人形)やら、はたまた入浴中に刺殺された
ジャコバン派重鎮マラーの暗殺現場
再現やらでなんともすさまじい。
そのなかでメチャ人目を引くギロチンに
オーロラは目をつけたらしい。

他メーカーならモデル化など二の足を
踏むギロチンだが、それを堂々と
やってのけてしまうオーロラに感動する。

なお、この「恐怖の部屋」にはフランス
革命モノ以外に、拷問具・処刑具、
殺人現場の再現、欧米の有名犯罪者
などが展示されている。

パッケージに「マダムタッソーの恐怖の
部屋」と表示されているのは、そういう
理由なのだ。

ところで、このオバチャンは…?

Wikipedia
MADAME TUSSAUD(1761-1850)
ですよ。

このマダムタッソーいう人物はフランス
生まれで、フランス革命期の人物だ。
その卓越したろう人形製作技術により
ときの国王ルイ16世によって召し抱えとなって
おり、ベルサイユ宮殿内に居住していた。

しかし、フランス革命が起きると国王と
関係があったことが裏目となってしまい
革命派に逮捕され、あわやギロチンで処刑
されそうになってしまう。
ところが、芸は身を助けるとは
よくいったもので、そのろう人形技術を
買われてギロチンで処刑された人々の
デスマスク作りを任されるようになったという。
おそらく革命派としては処刑記録(いまなら
写真か)としてデスマスクが必要だったと推測される。
彼女が作ったデスマスクには、彼女の
元雇い主ルイ16世、その他マリー・アントワネット、
ロべスピエールなどもあったそうだ。

その後、混乱の続くフランスを避け、イギリスへ
渡った。イギリス各地で巡回ろう人形展を
行い、最終的にはロンドンに落ち着いたという。






頭部と身体が分離できるようになっており、
切断された頭部がカゴの中にストンと
落ちた状態にできる。


こうゆうゲテモノには、ナゼか燃えるオーロラ。
ギロチンを完璧に再現している。




マダムタッソーろう人形館との契約がないためか
ポーラーライツ版では「マダムタッソー」の文字が
入れられていない。

危ないプラモは
まだあった!


『Aurora Model Kits』

これは昔の「背を伸ばす機械」では
なく、レッキとした拷問具。
「オーストリア式梯子」と呼ばれ、
斜めに置かれているのが特徴。
容疑者の足もとに取り付けられた
巻き取り機を回転させて、身体を
強引に引っ張る仕掛けだ。
自白しなければ、どこかの関節が
脱臼することになる。

オーロラの狂気は、
とどまることを知らない。
エスカレートした先は…


絞首刑にされた人物の
プラモなど、前代未聞だ。
まあ、それがオーロラの
魅力になってくるわけなんだが…


『Aurora Model Kits』

こんなプラモを作り出したのは
オーロラくらいだろう。
店頭で買うには、チョッと勇気が
いる。
でも、いまのようなネット販売だったら
意外に売れるのではないだろうか。

なお余談だが、オーロラでは
電気イスの開発計画もあり
実際図面も製作されていた。
しかし、諸般の事情で中止と
なっている(当然か…)。


Wikipedia

上のイラストは、オーロラの電気イス・プラモとは
関係ないが、もし商品化したとすればイラストのように
イスと死刑囚をセットにしたものだろう(私の勝手な
想像だが)。

 次回の更新は、9月30日夜の予定。



1950年代のアメ車(ホンモノ)広告集だよーん!


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part11

2013年05月31日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦






「夜明け前に奇襲攻撃をかけるぞ」


「輸送列車の連中は
 腰をぬかすでしょうな」






「貴様ら起きろ!
 戦闘配置につけ!」








WAAAAAAAOW!!!


  
BAKOM!

               BAKOM!
                                 BAKOM!


「アメ公め 見当違いのところを
 攻撃しているぞ」






「何だ?」

つづく



不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館






映画『頭上の敵機』を思わせるドイツ戦闘機との
バトルがいい。




原画では下の部分に雲が描かれて
いるが、ボックスアートではバッサリ
カットされている。






























イギリスに供与されたA-20はボストンと
呼ばれていた。
手頃な機体だったせいか、イギリスでも
多く使用されたこともあり、キットもRAF
御用達仕様となっている。

A-20の写真で、いちばん有名なものの
ひとつが、下の連続写真ではないだろうか。
日本軍の対空砲火で被弾した僚機が
海面に突入、コナゴナになるところは
なんとも凄まじい。
静止画像でありながら、異常なほどの
スピード感を感じる。
いまなら報道写真大賞に選ばれるに
ちがいない。









4枚ともWikipedia




















































オーストラリア仕様というのが珍しい。
宗主国イギリスならではのボックスアートだ。




背後から零戦の攻撃を受ける図だが、
プラモ少年の心をくすぐる緊迫感あふれた
迫力あるシーンが素晴らしい。
ところで、攻撃側の零戦は増槽をつけたままで
銃撃をしようとしているが、アメリカ機の奇襲で
落とすヒマがなかったのか、それとも攻撃に夢中となって
落とすことを忘れている新米パイロットが搭乗しているのだろうか。








MPC版では機体の国籍マークや塗装が変更されている。
エアフィックス版の原画に修正を加えたのだろうか。
また、爆弾もイエローからブラックに変えられている。


増槽をつけたまま被弾炎上する零戦。
エアフィックスのドーントレス・ボックスアートに
登場する零戦は、伝統的(?)に増槽をつけたままの
状態で描かれている。


こちらの零戦(?)は基本通り増槽をつけずに
攻撃している。






































胴体のこの見慣れぬマークは
「ロレーヌの十字架」をあしらった
自由フランス軍のもの。












































































































1/72スケールなどど表示されていると、あたかも実在するかのような
印象を受ける。


キットの組立はチョー簡単。

オマケ・国産もの




アラッ こんなものも…

オリジナル版ではディスティニー・エンゼルと
呼ばれていた。
ロシア系で、エンゼル機の編隊長。
エンゼルのおネェさまといえば「戦う美女軍団」の
さきがけ的存在で、当時メチャ新鮮だったし
白いフライトスーツもSF的。
こんな軽装では超音速飛行など出来ない…
なんてヤボなことはいわないこと!




スペクトラム最高司令官。
キャプテン・スカーレット等の
上官でもある。


キャプテン・スカーレットの相棒であり
準主役的存在。

こんなUFOプラモ(キャプテン・スカーレットとは
関係ないが)もあった。


‥ところで戦ふオナゴたちといえば‥

WW2において主要交戦国では、軍関係に女性の
大量動員を行っていた。
いうまでもなく人手不足解消を目的としたもので、
ソ連のように戦闘任務に就かせた例もあるが、
基本的には直接ドンパチやらない後方任務に服する
ものとされた。

やっぱドイツものがエエですな!




ドイツ婦人部隊の参考文献2冊。
従軍看護婦以外にもさまざまな
職種が存在した。


Wikipedia
ブラウスの着こなしがいかにも
女性らしい。


Wikipedia


Wikipedia

★戦ふオナゴたち・プラモあれこれ







国産プラモでドイツ女性補助員というのは、タミヤのものが
唯一ではないだろうか。
陸軍を始め、空軍、SSなどの女性補助員セットなんて
発売してくれないかな~、タミヤさん。

ドイツの女性補助員の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=sj78gFtmR1I

連合国側もあるぞ!









女性下着を人目につく場所で干してはならんと
説教(?)するオッサンと、なんじゃこのオヤジと
いった表情の女性兵士の対比がオモシロい。


Wikipedia


中央の女性兵士の表情が素晴らしい。
ボックスアートのインパクトが強烈すぎて、
さぞや美女のプラモが入っているのだろうと
大きな期待で見てみると、意外にショボくてガッカリ。







★日本の「戦ふオナゴたち」★★★

日本の写真雑誌『アサヒグラフ』昭和18年4月21日号に
帝国陸軍東部軍司令部の女子通信隊員の記事が
掲載されている。
陸軍は帝都防空業務に従事する女子隊員を同年3月から
募集し、訓練を経て4月にマスコミ・デビューとなった。
5月にはニュース映画にも取り上げられ、そのカッコいい
制服とともに世の注目を浴びていたらしい。

ちなみに陸軍所属とはいえ兵士ではなく軍属なので、
直接戦闘任務に就くわけではない。


アサヒグラフ」昭和18年4月21日号
胸章を見て、一瞬ドイツ国防軍かと思ってしまう。
ドイツ軍風胸章は、荒鷲に「防」の文字をデザインしたもの。


アサヒグラフ」昭和18年4月21日号
帝国陸軍女子通信隊員の行進風景。
ダブルの上着(ボタンの止め方がナゼか男性用)に活動しやすい
キュロットスカート、それに編上靴という当時の日本ではかなり異色のデザイン。
モンペ姿が多かったあの時代(‥といっても私は生まれていないので
知らないが)では、かなり洗練された姿であり街中でも
相当目立ったことだろう。

私の勝手な想像だが、胸章や制服のデザインはどう見ても
ドイツの女性補助員のものに強く影響を受けている‥というか
完全なパクリだという感じがする。
なお、ここでは着用されていないがドイツ軍風の略帽もあり、
制服のダサさでは定評のある帝国陸軍にしては、よくやったと
評価したい。


Wikipedia
パリ市内を行進するドイツの女性補助員。
着こなしは本家の方が上。

大日本帝国陸軍女子通信隊のニュース映画を、ついに発見!
画面下のチャプター〔4〕「活躍する女子通信隊員」に
その映像がある。
しっかり見るように!
昭和18年5月18日公開・日本ニュース第154号
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300539_00000&seg_number=005

 なお、女子通信隊員がデビューした前後の
出来事をみてみると‥‥

昭和18年1月、ニューギニアのブナ地区を守備する
日本軍が連合軍と交戦し全滅。

Artist: Geoffrey Mainwaring

2月、ガダルカナル島撤退、
スターリングラードのドイツ軍降伏と
枢軸国側の敗退が続く。

3月、日本初の国産長編アニメ映画「桃太郎の海鷲」が公開。

4月、山本五十六連合艦隊司令長官が
戦死、ヨーロッパではワルシャワ・ゲットーの
ユダヤ人レジスタンスが武装蜂起。

5月、アリューシャン列島のアッツ島にアメリカ軍が
上陸、日本軍がこれと交戦し全滅。
山本五十六連合艦隊司令長官の国葬。

6月、戦艦陸奥が広島湾沖柱島で爆沈。

7月、独ソ両軍がクルスクで激突。


アサヒグラフ」昭和18年4月21日号
防空司令部における勤務風景。
通信員は各々担当する地区が割り振られている。
該当する地区の複数監視所から出された報告を
まとめる部署があり、そこから通信員に直接連絡が
入る。敵機の数、高度、速力、進行方向、地区の
被害状況などを通信員は復唱しながらキーを使って
入力していくと、作戦室にある大型表示板に
情報が表示され、リアルタイムで空襲の状況が
把握できるという仕組みとなっている。
ただ、その表示板がどのようなものかは手元に
詳しい資料がなく不明なのが残念。


Wikipedia
こちらはドイツのもの。


Wikipedia
作戦室表示板裏側の様子。
写真ではわかりにくいが表示板裏側は
升目で細分化されており、ブロックごとに
アルファベットや数字が細かく表示されている。
女性補助員はイヤホンを通じてどこそこのブロックを
照らせと指示されるので、手元のライトをそこへ
投射すると表示板反対側(要は隣の部屋)にいる
作戦将校の目には敵味方の航空部隊の動きを示す
スポットライトが表示板に投影され、空襲の全体像が
わかる仕組みとなっていた。

これはいかにもドイツ的で手の込んだ方法だが、
防空指揮を行う将校からすれば、状況の
把握には視覚的にも非常に効果的であったと思われる。


Wikipedia
当時としては最新技術を投入したリアルタイム
表示板とはいえ、舞台裏はこのように人海戦術で
動かしていた。
各方面から敵機が侵入し、各基地から
迎撃戦闘機が飛び立ち、あちこちで
激しい空中戦が展開されると、ここの
舞台裏も喧騒の嵐となったのでは
ないだろうか。

次回の更新は7月31日夜の予定。


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part10

2013年04月01日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦

兵は戦意を喪失している
今回も作戦中止じゃ!

今回もお休みです


不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館
お詫び
今回、インフルエンザと花粉症のダブルパンチで
ダウンしてしまい、更新が大幅に遅れるという失態を
おかしてしまいました。
誠に申し訳ありませんでした。




こちらはライバルであるレベルのキット。
雨に濡れた滑走路の路面の表現が秀逸。
全体的に暗く描かれたボックスアートは、
いかにも敗戦直前のドイツをイメージしていて
よかった。







単フロートタイプの原型機着水映像。
高波の影響で機首エンジン部分が脱落し、炎上。
あわてたパイロットが必死で逃げ回るところが
おもしろい。
http://www.youtube.com/watch?v=Vnhze7UiGbU



『ドイツ週間ニュース』より、地上への実機の
機銃掃射映像。
http://www.youtube.com/watch?v=kqTleVTB-_g

実機の出撃映像(音声なし)。操縦席周辺のゴツい作りに
驚かされる。ラストに敵戦車への攻撃映像あり!
http://www.youtube.com/watch?v=FaBh-whYStI


北アフリカ戦線をイメージした絵がいい。
後方の黒煙や点在するドイツ軍車両の配置により、
広大で奥行きのある絵に仕上がっている。
ところで、左下の部分にパンター戦車が描かれているが、
この戦車って北アフリカの戦いに投入されていたのか?


MPCバージョン。


エアフィックスのボックスアートをよく見ると
例のパンター以外にエレファントも描かれている。
ロゴによって隠されていた部分に、一体何が描かれて
いるのかと長年気にしていたが、ようやくナゾが解けて
ゆっくり寝られるようになった。

一見地味な機体のように思えるが、意外に人気があって
プラモ各社から発売されていた。






本家ドイツ製プラモだが、ボックスアートは
けっこうゴツい雰囲気に描かれている。


おフランス製だが、垂直尾翼のカギ十字がシッカリ
描かれているのはご立派。
反ナチ団体や左翼などから、Hellerの工場や店舗に対する
焼き討ちなどなかったのだろうか。


オーロラ・バージョンでも、カギ十字の修正なしで
発売されていた。


反ナチ感情に配慮したもの。

国産プラモもありましたな~



フランスのモラーヌ・ソルニエ社で生産された
バージョンのモデル化。
ドイツ機でありながら、国籍マークが異なると
こんなに印象が違うものなのか。


タミヤのキットは、決定版と呼べる内容だ。
よくぞやってくれました。
風防側面の透明パーツと胴体が一体となった
構成にはビックリしたぞ。

実機離着陸映像。そのSTOL性能は驚くばかりだ。
http://www.youtube.com/watch?v=VDcB0pSUYOI







映画『史上最大の作戦』より、ハインツ・ラインケ演じる
ヨーゼフ・プリラーの連合軍橋頭堡機銃掃射シーン。
実際の攻撃はFW190Aが使われたのだが、映画では適当な
機体がなかったのか、それともドイツ戦闘機=メッサーシュミットという
イメージがあってその雰囲気を大切にしたのかは知らないが、
Bf108が登場している。
http://www.youtube.com/watch?v=cbxbEv2xMnU












上ふたつのボックスアートは、ともに
僚幾が被弾炎上するところが描かれているが、
下記写真の影響が強いと思われる。


Wikipedia
クレタ島攻略戦の資料画像。



『ドイツ週間ニュース』より、輸送任務に
活躍するJu52映像。
http://www.youtube.com/watch?v=GtwOB0DyAWs


このアングルだと特徴的な逆ガル翼は
よくわかるのだが、機体全体のイメージは
つかみにくいような気が‥


こちらの方が、機体全体のイメージが
つかめていいと思う。


エアフィックス版憎しみボックスアート。
主役がボコボコにされている典型的なものだが、
紳士の国イギリスを代表するメーカーのもとしては、
大変珍しい。












敵地上部隊を襲撃するシーンにシビレた。
本機の爆弾搭載能力からすれば、敵には
いやがらせ程度の効果しかないだろうが、
ボックスアートに描かれた地上の煙から
判断すると、相当な戦果が期待できそうである。

『ドイツ週間ニュース』より、Fw189の活躍シーン。
http://www.youtube.com/watch?v=zzJLrjo6PFs

これは貴重。
ソ連軍に捕獲された機体のテスト飛行映像。
Fw189の武装やメカが撮影されており、見ていて楽しい。
http://www.youtube.com/watch?v=nH_o-b5Qi8Q&feature=endscreen






発売当時、こんなヘンテコなヤツを
モデル化するエアフィックスに感動した。
従来この手のアイテムは、オーロラの独壇場(?)だった。
モデル化の対象となるドイツ機が、底をついたということか。


















ウソのようなホントの話

第二次世界大戦における捕虜の脱走というと、
あたかも映画『大脱走』に見るような用意周到な
連合国軍捕虜(主体は米英の兵士ら)と、彼らに
見事に出し抜かれる間抜けなドイツ軍という
固定的なイメージがある。
しかし、脱走は何も連合国の専売特許ではなかった。


Wikipedia

ハインツ・フォン・ヴェラ。
ドイツの若き戦闘機パイロット。
「バトル・オブ・ブリテン」たけなわの
1940年9月5日にイギリス本土で
撃墜され捕虜となるが、収容先の
カナダの捕虜収容所から脱走し、
祖国ドイツへ帰還した。

ドイツ兵の脱走事件で、これほど
冒険小説的なものはないだろう。
事件の特異性と面白さから
映画化されている。

それは…

若き日のハーディ・クリューガーが主演の
1964年公開の映画『脱走四万キロ』が
それだ。
日本のテレビでも過去に何回か放送
されたので(‥といっても、相当昔)
ご存知の方もいるだろう。


映画『脱走四万キロ』の原作は、
1956年に発表された。
上は、最初に出版されたときの表紙。
ドイツ空軍のフライトスーツ姿で、敵の
戦闘機に忍び寄って、これを奪うイメージで
描かれている。しかし実際はオランダ軍パイロットに
変装して、テスト飛行の許可をもらっているので
飛行させてほしいと、白昼堂々戦闘機に乗り込もう
として逮捕された。


映画とタイアップしたときの表紙。
左は本人、右は映画の一場面。


Wikipedia
ヴェラの乗機。エンジン部分のカバーが外されているが、
機体そのものには不時着のダメージは、あまりないようだ。
ヴェラの波乱に満ちた冒険の始まりだ。

映画『脱走四万キロ』全編を見たい人は、こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=7-jDlMNpSEs

映画にもあるように、ヴェラはイギリス本土の捕虜収容所で脱走事件を
繰り返えした。
その後カナダへ送られ、捕虜輸送中の列車の窓から飛び降り逃走、
凍結したセントローレンス川(ここがカナダ・アメリカ国境でもある訳だが)を
渡り、アメリカ国内へ。
彼は地元の警察に自分はドイツ兵捕虜だと申し立て、在米ドイツ領事館へ
連絡をとることに成功した。

アメリカ当局がカナダへの身柄引き渡し交渉を行っている間に、ドイツ副領事は
ヴェラをメキシコへ送り込んだ。そこからペルー、ボリビア、ブラジルと
南米諸国を回り、スペイン、イタリア、そして1941年4月18日に
祖国ドイツへ帰還した。
ヒトラー総統は彼の英雄的行動を賞賛し、騎士鉄十字章を授与した。

しかし、彼の幸運はそれほど長くは続かなかった。
1941年10月25日、北海上空を哨戒飛行中に行方不明となってしまい、
死亡と認定されたのだった。

エアフィックスでは、この歴史的な機体のプラモを
しっかりリリース。
被弾したメッサーが敵戦闘機に追い詰められ、
胴体着陸を行う寸前の緊迫した状況(‥だと思うが)を
ボックスアート化している。





レベルでもヴェラの乗幾を1974年に発売していた。
キット自体は1/72ファイターシリーズのもので、
同シリーズ時代の丸っこいE-3タイプの風防以外に
角ばったE-4タイプの風防や増槽、爆弾が付属しており
3種類のバージョンから選べるようになっていた。

その他、ドイツ兵の脱走関連映画

●マッケンジー脱出作戦 (1970年) - イギリスの捕虜収容所からの脱走もの。
 予告編は、こちらhttp://www.youtube.com/watch?v=e9uy9SQ-WsQ 


Wikipedia
『マッケンジー脱出作戦』の映画用ポスターだが、
一瞬アレッ?と思ってしまう。
それは、中央のドイツ海軍士官の軍服がそうだ。
鷲の胸章が右についている。
おそらくポスターの制作時にネガの裏表を
間違えたのだろうと思ったが、主役級人物の
こんな重要な部分をスタッフの誰も気がつかない
というのもヘンな話なので、推測ではあるが右側に手を
のばす写真がなかったため、おかしいのを承知で
ネガを裏返しにして無理やり使用した計画的犯行(?)の
疑いが強いと思うが、どうだろうか。

この映画がイギリス映画ではなく、ドイツ映画であれば
こんな失態は絶対にないだろう。






背景が消されたボックスアート。
どうも物足りなさが漂う。
後方に描かれた同型機2機を消すことによって、
「3機分のプラモが入っていないゾ」というクレームを
防ごうとしたのだろうか。


イギリス戦闘機とドルニエ機との機関銃の
応酬がオモシロい。
よく見ると、ドルニエ機ばかりでなくイギリス機の
主翼にも被弾しているのがわかる。
旋回機銃1挺で襲いかかる敵戦闘機に命中弾を
与えるとは、ドイツの射手もなかなか腕がいい。

★エーダイ・バージョン

エアフィックスと日本企業との関係は…というと、
過去に数社と提携関係を結んでいる。
エーダイ、トミー、ツクダホビー、GSIクレオス(旧グンゼ)と
いったところだが、とくに最初の提携企業であるエーダイは
He177やDo217のように日本のメーカーが手を出さない
ようなアイテムを1969年に発売し、衝撃的デビューを飾った。
しかも、高荷先生の迫力あるボックスアートだったので、
ドイツ機ファンには涙モノだった。

当時、グンゼ・レベルのように国内生産したものかと
思っていたが、実際はパーツを輸入し日本版パッケージと
日本語インストで発売したものらしい。


キットにはドイツのハイテク兵器・ヘンシェルHs293が付属しており、
メチャしびれた。空対地・空対艦ミサイルの元祖という事実も、この
プラモで初めて知った。当時(いまでもそうかもしれないが…)の
国産プラモで、このように気の利いたアイテムをオマケとして
付けてくれるものは、皆無に近かった。


Wikipedia

ヘンシェルHs293映像

以前ご紹介したテスト映像(音声なし)。
母機から発射されたミサイルは、地上に設置された
標的に見事命中!
オペレーターの職人技が光る。
http://www.youtube.com/watch?v=oRkUIXvxux0


参考:アメリカのライバル映像

WWⅡ末期、アメリカはASM-N-2バットと呼ばれる
誘導ミサイルを開発した。
Hs293が目視による手動式無線誘導(操縦桿によるラジコン
方式)であったのに対し、バットは自動追尾システムを装備しており、
オペレーターの職人技が不要という優れものであった。
ただし、敵の電波妨害や建物や地形による電波障害があると
目標に命中しないなどの問題があり、あまりパッとしないまま
1950年代半ばには姿を消してしまった。

バット本物テスト映像2点。
http://www.youtube.com/watch?v=f3-7S5jSDls

http://www.youtube.com/watch?v=eCOHe29cdmk


Wikipedia



高荷先生の筆が冴える逸品。
迫力ある絵を見て、思わず買った人もいるのではないだろうか。






当時の価格で、ハインケルが700円、ドルニエが400円とある。
B29はさすがに700円というわけにはいかず、1200円と高額設定だ。

He177やB17、B29などの大型機の発売で強気になったのか、
近日発売としてジャンボ・ジェットやC130の文字が見える。
はたして、発売されたのだろうか。

その他 枢軸国もの






Wikipedia
古色蒼然としたスタイルからは想像しにくいが、
登場した1930年代後半において高速爆撃機としての
評価が高かった。
1937年のスペイン内乱ではその高性能をフルに
発揮して、爆撃任務に従事。
WWⅡでは、その運動性能を買われて地中海方面で
連合国輸送船に対する雷撃任務を行った。

SM.79爆撃映像
http://www.youtube.com/watch?v=KFLxo7shIyg

敵輸送船団に対する魚雷攻撃映像
http://www.youtube.com/watch?v=4cl69qp5O78






G50生産風景。
エンジンや機体の生産工程がわかる
貴重な映像。職人による手作り感がいい。
http://www.youtube.com/watch?v=3qQkEVyQ8oE






垂直尾翼に描かれた「天翔ける虎」で有名な独立飛行第18中隊所属機だが、
「ドクリツ」ならぬ「ドコリツ」という表記がご愛敬。
おそらくイギリス人には「独立」という発音は、「ドコリツ」と聞こえたのかもしれない。




1/72スケールながら、独立飛行第18中隊所属機の
「天翔ける虎」がシッカリ再現されているのがうれしい。
実機の虎は東洋画で描かれているが、デカールも
それらしい雰囲気で作られているのがイイ。


胴体着陸で変形したかのようなプロペラの状態が
残念。これも、中身を見ることができない外国プラモの
宿命か。

太平洋戦争当時のニュース映画より、女子挺身隊の活躍を
伝える映像。
前半は100式司令部偵察機の整備風景。
人海戦術で機体の移動を行うのは、いかにも
日本的。
後半は木製増糟の生産現場を撮影したもの。
増糟の構造がわかって、メチャ貴重。
http://www.youtube.com/watch?v=PY6T0nZ4q1c&feature=player_detailpage


Wikipedia

唐突ですが…
100式司偵といえば、ヤッパこれ!
マルサンがなつかしい。

なつかしいボックスアートだ。
橋本喜久男氏の手になるもので、
模型店や駄菓子屋の店頭で
ワクワクドキドキしながら見たものだ。
もう、あれから50年近く経過しているのだから
時の流れは速い。

UPCブランド・バージョン

橋本喜久男氏の作品を使用したもの。

下は、レベルのボックスアートを手がけていた
Scott Eidson氏による作品。


その他マルサンもの


欧米人には奇奇怪怪の漢字、すなわち「神風」なる文字も
チャンと再現されているところは、巨匠の技ゆえか。


マルサンのF104はリンドバーグのキットをコピーしたものだが、
エンジンが内蔵されていて、わりとお買い得感があった。
ただし海賊版であることには違いないので、発売元のUPCに対して
リンドバーグから抗議を受けたりしなかったのだろうか。


1/100スケール これは橋本喜久男氏のボックスアートだ。




















チョッと違和感のある零戦だ。
エンジンカウリング後方にルーバー状の
ものが描かれている。
もちろん、オリジナルにはないのだが
100%デッチ上げというわけではない。

じつは実在したルーバー付零戦。
USAF
おそらく上のボックスアートを描くときに
参考にした写真。

太平洋戦争開戦直前の昭和16年11月に、当時日本の支配下にあった
フランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)に向けて
飛行した台南航空隊の零戦が、南シナ海北部の海南島付近で行方不明となった。
この機体は中国本土沿岸部に不時着していたが、日中戦争のときに国民党政府軍を
援助していたアメリカ義勇軍「フライング・タイガース」はこの事実を知り、本機を回収し
飛行可能状態に整備したのが上の写真だ。

さて、この特徴的なルーバー状パネルはどうして取り付けられたのかと
いうと、この零戦を捕獲した際にオリジナルのパネルを紛失してしまったのが
原因らしい。
私の勝手な想像だが、手作りナベの材料に使うため誰かが盗んだのかも
しれない。
やむを得ず、あり合わせのバーツを加工してなんとか取り付けたのが
ルーバー付零戦ということらしい。

ところで、日米開戦直前という緊迫したこの時期、最新鋭戦闘機が行方不明という
大事件に、日本側はどう対応したのだろう。
機体を発見できないので、多分海上に不時着水しその後海没したのだろう‥という
日本独特の楽観的観測で処理してしまったのではないだろうか。

このルーバー付零戦の写真が複数アップロードされた
HPを発見した。興味のある方は、こちらへ!
Additional Photos for Zero War Prize
http://www.j-aircraft.com/research/additional_photos_for_zero_war_p.htm

アメリカ軍によって捕獲された零戦は、アリューシャン列島のアクタン島に
不時着していた機体が有名で、これを修理・整備しテスト飛行を行うことで
零戦の弱点が暴露されてしまったとされている。
このアクタン島での発見が昭和17年7月の話なので、「フライング・タイガース」の
捕獲零戦がいかに早い時期のものかがわかる。
もっとも中国本土からアメリカへ運搬するのに時間を要し、アクタン島の零戦が
アメリカへ運ばれたのが昭和17年8月、一方の中国の零戦は昭和18年9月と
なっている。


著名なエース・坂井三郎の乗機が楽しめる。


Wikipedia
軽快な爆音が聞こえてきそうだ。
数ある零戦の写真のなかで、最高傑作の
ひとつだと思う。


上記写真の零戦がそのままボックスアートに変身。
応急迷彩塗装がうまく再現されている。

★オマケ 怪しげな零戦ボックスアート

 
零戦の特徴をとらえてはいるが、何だか
全体的にズングリした感じで、セバスキー系の
戦闘機みたいだ。
垂直尾翼に描かれた軍艦旗は、当然のことながら
架空のものだが、地味な塗装が多い日本海軍機には
こんなものがあってもいいのでは…と思ってしまう。


上の軍艦旗が描かれた零戦に比べれば、
かなり改善されている。
しかし、それでも違和感はつきまとう。
機首を黄色にした「イエローノーズ」は、
ドイツ機の塗装にヒントを得たのだろうか。
実在したら楽しい。


名門レベルにも奇妙なボックスアートが存在した。
エンジンカウリング部分までオリーブドラブ風に
塗装した機体で、大戦当時のアメリカ陸軍航空隊の
標準塗装みたいな雰囲気だ。
グンゼ・レベル版でも、このボックスアートが使われて
いたが、妙な違和感をもった人も多かったのではないだろうか。

★★★★★表彰状もの!

外国人が描いた零戦のボックスアートのなかでは、
これが最高傑作だろう。
巨匠レーンウッドの筆が冴えるわたる。
日本のモデラーにも納得できる作品だ。


カウリングが黒塗装されていない点や垂直尾翼のマーキングから
判断すると、このボックスアートは日本陸軍の戦闘機資料を使って
描かれたものだろう。四式戦「疾風」風零戦といった感じだ。


上と同じ構図で描かれているが、こちらは
零戦に関する資料をかなり調べたようで、
合格点のボックスアート。




機体全面がイエローというのも凄まじいが、
「JAP」の文字を見ればその理由が何となく
わかろうというもの。


相変わらず黄色の機体だが、カウリングを赤くするなど
もともとド派手な塗装を、さらにエスカレートさせているのがオモシロい。
表示も「JAP」から「JAPANESE」になり、多少はオーロラの気持ちにも
落ち着きが見られるようになった。

★おまけ オーロラ独自の解釈によるボックスアート

メッサーの全面レッド塗装は、ある意味オモシロい。
「レッド・バロン」の国ドイツのヒコーキだから、
こんなものがあってもいいじゃないか…そんな軽いノリで
やってしまうのがオーロラのいいところ。





ところで

オーロラの誕生から消滅までを
記述したもので、きわめて貴重。
ドラキュラやフランケンなど、日本でも
知られたものからまったく未知の
キットまで完全網羅。
ボックスアートも多数掲載され、
見ていてメチャ楽しい。
ナゾ多きオーロラの過去が
いま明かされる。

おっとっと…脱線だ。

次回の更新は、5月31日夜の予定。


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part9

2013年01月20日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦


「長官!
 兵士には休息が必要だ



「私にも必要だ」

今回はお休みです



不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館

大きいことは
イイことだ!

1:24シリーズ




MPCバージョン












映画『空軍大戦略』をイメージさせるボックスアートだ。

『航空ファン』誌に見る1/24スピット広告


「史上最大」の文字が誇らしげに掲げられた
当時の広告。確かにデカかった。


一方のライバル、グンゼ・レベルの広告。
グンゼで商品開発した雷電が、当時のプラモ雑誌の話題をさらった。
店頭価格で700円というのは、大型モデルであるにもかかわらず
けっこうお買い得感がありインパクトがあった。




エアフィックス1/24スピットの広告。
下の方に2,900円という売価表示が見える。
現在の感覚でいえばかなり安い印象だが、
当時としては高額商品だった。
いまこのプラモを購入しようとすれば、ネット
販売で5千~6千円前後で入手できるが、これも
円高の恩恵だろう。

レベルの1/32もデカいと思ったが、それより
デカいプラモの登場でプラモ雑誌での話題を
さらった。

なお、このプラモの輸入元は大洋交易となっている。
この時期、ポストホビーの日本国内代理店契約は
すでに失効していたのだろうか。
そういえば、上記航空ファン誌71年4月号のポストホビーの
広告には、エアフィックス日本国内代理店の文字はない。


エアフィックス新製品紹介の記事。








プラモデル教室記事。
航空評論家の秋本実氏を講師に招いて
開催したときのもの。

これは参加者が自分の作品を持参し、講師がこれらを
講評し最優秀作品を選ぶという内容で、当初はさまざまな
航空機プラモの出品だったが、途中からテーマとなるプラモを
毎回決めて行うようになった。
講師は、秋本実氏や小鷹和美氏といった当時プラモデル雑誌で
製作記事や機体の塗装・マーキング類の考証記事を執筆していた
方々で、毎回入れ替わりで登場していた。

このときは、話題のエアフィックス1/24スピットファイアを取り上げた。
本格的1/24プラモということもあって、参加希望者が殺到したため
抽選で7名を決めプラモデル教室を開催したのだが、モノが大きすぎて
製作に手こずったのか、出席者わずか2名となってしまった。
5名がドタキャンという異常事態に、「参加を希望した以上は、責任を
果たすように」という編集部の苦言がしっかり掲載されているのが印象的だった。


当時の航空ファン誌には、橋本喜久男氏によるワイドカラー側面図が付属していた。
定価が350円の時代で、この側面図付というのはお買い得感があった。

グンゼレベルの1/32ヒコーキプラモにも、このような橋本氏の着陸姿勢カラー
側面図が付属していた。


参考資料

スピットのボックスアートで最高傑作といえば、やはりこれだろう。
現在でもこれを凌駕する作品は、出ていないと思う。

映画『空軍大戦略』より、イギリス空軍に
ボコボコにされるHe111映像集。
http://www.youtube.com/watch?v=uyWWOZxqlSU&feature=endscreen&NR=1


世の中には
もっとデカいプラモがあった!

オモチャおやじ
ハチャメチャ企画

実物大プラモ作ろう!
1/48スケールのスピットプラモをベースに、
これを48倍して実物大プラモを製作
するという前代未聞の企画をブチ上げた
チョー過激オタク・おやじの顛末記。


Wikipedia
イギリスの「オモチャおやじ」こと、
ジェームズ・メイ


Wikipedia




Wikipedia
これが実物大プラモ。


Wikipedia
実物大フィギュア。
顔の部分は、ジェームズ・メイ本人から
直接型取り(!)している。

James May's Toy Stories
エアフィックス1/48スピットファイアをベースに、
1/1プラモを作り上げるという前代未聞の企画を
実現させたイギリスBBCの番組がコレ。
冒頭にエアフィックス製品の紹介やプラモ生産現場の
映像があって、なかなか興味深い。
http://www.youtube.com/watch?v=zID8rnZcshs

ライバル機も出た!








過去には省略されていた垂直尾翼のカギ十字が
ちゃんと描かれている。
憎悪の対象であったカギ十字も、歴史的事実として
受け止めようという意識の変化があったのだろうか。






MPCバージョン






エンジン内部に小型モーターを
仕込んで、プロペラを回転させたい
お客さん向けのもの。







超デカモデル!

レベルが1/32スケールでモスキートを発売したときは、
かなりデカいプラモだと思ったが、それをさらに上回る
モデルがこれだ。
WW2のイギリス空軍を代表するスーパースターなので、
エアフィックスとしては何とかモデル化したいアイテムだった
のだろう。歴史をプラモとして残す…そんな執念みたいな
ものが感じられる。

このボックスアートは、歴史的事実を描いている。
爆撃を受けた建物はフランスのアミアン刑務所(のちに
立て替えられて、現在も刑務所として使われている)で、
大戦中はゲシュタポによって捕らえられたフランス・レジスタンス
関係者が収容されていた。
ゲシュタポは、これら関係者を1944年2月19日に処刑する
ことを決定した。
この事実を知ったレジスタンスは、イギリス政府に刑務所を
爆撃し収容者を脱獄させるよう要請をした。

イギリス政府は困惑した。
いくら腕のよいパイロットでも、収容者に犠牲者を出さずに
爆撃するなど不可能だからだ。
しかし、レジスタンス側はあきらめなかった。
このままでは全員処刑される。
少しでも助かる可能性があるのなら、爆撃すべきではないのか。

作戦は処刑が実施される前日、すなわち2月18日に決行された。
爆装したモスキート11機は、刑務所の看守たちが昼食のため
食堂に集まる12時に攻撃を開始した。
正確なピンポイント爆撃で、食堂は破壊され塀には大穴が開いた。
この混乱に乗じて収容者約700名のうち約250名が
脱獄に成功したのだった。
しかし、その後のゲシュタポの執拗な捜索により大半の者は
再び捕らわれてしまった。




Wikipedia
スピード感のある写真だ。
刑務所の建物には着弾による
煙が確認できる。
ドイツ側は、まさか爆撃されるとは
思ってもいなかったようで、刑務所周辺を
見ても対空砲などが配置されている様子は
ない。完全な奇襲であった。
突然の爆撃と逃げ出したレジスタンスとで
現場は大混乱のはずで、警備用の機関銃で
対空戦闘を行っている余裕はなかっただろう。

なお余談だが、上のボックスアートはこの写真を
参考にして描かれているような気がする。


GoogleEarth
現在の状況を同じアングルで見てみた。
建物が平面的になっているので変な感じだが、
再建された刑務所の様子がよくわかる。


Wikipedia
爆撃直後のアミアン刑務所。
不鮮明な写真なので、建物の被害状況が
イマイチわかりにくいが、雪原に散らばった
破片がある部分とその右側の塀は、命中した爆弾で
崩壊しているように見える。
作戦時、あたりは一面積雪状態だった。
塀の外側から爆弾を命中させたものだが、このような
ピンポイント攻撃の正確さには恐れ入る。


GoogleEarth
現在のアミアン刑務所。
赤丸部分が爆撃で塀に穴が開いたところと
推定する。


GoogleEarth
塀の外側は住宅地になっているが、当時
刑務所正面(画像では下側)に面した大通り周辺以外、
人家はほとんどなかった。


Wikipedia
塀に大穴が開いている。
レジスタンスの面々は、ここから脱出した。
爆撃によって建物もボロボロ状態で、
ドイツ側・レジスタンス側双方に多くの犠牲者がでた。


GoogleEarth
刑務所裏手の様子をストリートビューで見る。
赤丸部分は塀の崩壊推定部分。
ただし、左の赤丸部分の塀は民家に隠れているので
この画像からは見ることはできない。


爆撃直後の刑務所の様子がわかる貴重な映像。
戦果確認のため、モスキートに搭載されたカメラで
撮影されたもの。
http://www.youtube.com/watch?v=VOAPx_VPi-A



Wikipedia

1969年公開の映画『モスキート爆撃隊』予告編。
テレビドラマ『ナポレオン・ソロ』のイリア・クリアキン役で
おなじみのデイヴィッド・マッカラムが主演。
連合軍捕虜が収容されている城の壁を、モスキートから
投下された特殊爆弾で破壊して、捕虜を逃亡させるという
話は上記の史実を下敷きにしたものだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=16UpDYqUzoA








イギリス人にはツラいボックスアートだが、必死に逃げ回る
悲壮感みたいなものが感じられて、絵としては素晴らしい。


Wikipedia
チョー地味ながら、WWⅡにおいて偵察・救難・対潜哨戒に活躍した。
とくに通算1万人以上のパイロットを救助したことは、特筆に値する。
本機の活躍が見られる映像は、コレ!
http://www.youtube.com/watch?v=4-2UAXblTUE






















「バトル・オブ・ブリテン」勝利70周年記念ボックスアート。






日本では、製造元のアメリカ機というよりは
零戦や隼にボコボコにされたイギリス機という
イメージが強い。

































































伝説の作戦が、いまよみがえる!

攻撃を受けたダムの一部分が、スタンドベースとなっているのが
オモシロい。
これだと1/72スケールとはいえ、ダムがけっこうデカいことがわかる。



1943年5月17日、イギリス空軍はドイツの軍需生産拠点である
ルール工業地帯に電力を供給していた水力発電ダムへの攻撃を実施
した。目標はメーネ、エーデル、エンペネ、ゾルぺ、リスターの五つのダムで、
19機のランカスター爆撃機が出撃した。

ドイツ側はこれら重要施設であるダムの攻撃を予想して、対空砲を配置し
貯水池には防潜網を設置し魚雷攻撃に備えていた。
イギリス空軍はこれに対し、ドラム缶型の反跳爆弾を開発した。
ランカスター機体内部に特設されたモーターにより回転された爆弾は、
機体から投下され着水すると水面を飛び跳ね、ダムに命中すると
そのまま沈み水中で爆発するようになっていた。

戦果は五つのダムのうち、メーネ・エーデル両ダムは決壊し、下流地域に
大水害を発生させた。
死者1249名、稼動停止した軍需工場125箇所、流失橋梁25箇所と
なんとも凄まじい数字が残された。
エンペネ、ゾルぺの両ダムは、攻撃を受けたものの被害なし。
リスター・ダムは、濃霧のためイギリス機に発見されず攻撃を受けなかった。

一方の攻撃部隊もけっして無傷ではなく、出撃した19機のうち8機が
未帰還となった。

その後、ドイツ側はダム周辺の防備を強化したのは当然のことだが、
イギリス側も損害の多さから、ダム攻撃は実施しなかった。

ダムの被害状況

Wikipedia
メーネダム


Wikipedia
エーデルダム

ダムの決壊状況がよくわかる。

現在の状況

GoogleEarth
赤丸部分がメーネダム。


GoogleEarth
赤丸部分がエーデルダム。
メーネダムも同様だが、ダム下流地域には
畑が多く、集落があちこちに存在する。
大戦中の状況も似たようなものだったと思われる。
ダムが決壊すれば、貯水池の水が流れ出し
大量の犠牲者が出ることは、容易に想像ができよう。

1955年公開の映画『暁の出撃』より
ダム攻撃のシーン。
http://www.youtube.com/watch?v=lCRIsjJFRNo




ダムバスター・オマケ

アブロ・ランカスターをモデル化したメーカーでは、
小改修でOKのダムバスター・バージョンも
忘れずに発売しているのは、洋の東西を問わずだ。


タミヤ

ノーマル・タイプ


ダムの形状からメーネ・ダムを描いているようだ。


「塗装済み風防付き」スペシャル・バージョン

レベル

ノーマル・タイプ


イギリス空軍によるダム攻撃の事実は、グンゼ・レベルのプラモで
初めて知った。
ところでボックスアートに描かれたダムは、何となく現代風。
これが描かれた当時は、メーネ・ダム等に関する資料があまり
無かったのかもしれない。





「ダンピールの悲劇」映像
1943年3月、パプアニューギニア近隣のビスマルク海に
おいて、日本軍輸送船団がボーファイターを含む連合軍航空部隊の
攻撃で全滅した。このときの映像がコレ。
海上の救命ボートや漂流者に対して、情け容赦なく銃撃を加える
映像は心が痛む。

輸送船8隻は、護衛の駆逐艦8隻とともにラエに向けて
ラバウルを出航したが、途中連合軍航空部隊の攻撃で輸送船全部と
駆逐艦4隻が沈没し、約3000名が死亡した。

輸送船団上空には零戦の護衛もあったが、超低空で侵入する
敵機を阻止できなかった。
また日本の輸送船は、高射砲や機関銃で武装されていたが、
機銃掃射をしながら襲いかかる敵機には、とても対抗できなかっただろう。
http://www.youtube.com/watch?v=YVLV67xILI4


Wikipedia
襲撃される日本の輸送船。
船首下部を白く塗装しているが、
これはいかにも高速で航行しているかのように
見せるための欺瞞工作。
写真ではわかりにくいが、船体中央部下部に白い波頭、
船尾下部も白く塗装されており、通常の速力以上に
速度を出しているように見せている。

たとえば、敵潜水艦が魚雷攻撃を仕掛ける際、
目標の速度を誤って測定すれば、たとえ
魚雷を発射したとしても、命中はしないことになる。
しかし、実際にどの程度効果があったのだろうか。




旧式なスタイルながらドイツ戦艦ビスマルク撃沈に寄与した
多大なる功労者。
こんな機体が活躍できたのも、ドイツの海上航空兵力が貧弱だったから?

















戦勝国ならではの企画モノ。
『第二次世界大戦戦勝60周年記念』プラモセット。
何だかこのセットのために特別に開発されたプラモが
パッケージされたイメージがあるが、中身は過去に
リリースしていた製品のうち、大英帝国の勝利に貢献した
兵器のプラモをピックアップしたもの。
スピットファイアやハリケーン、ランカスターなどは選ばれて当然だろうが、
救急車や消防車もセットされているのが、意外性があってオモシロい。
日本では考えられない組み合わせだが、これも「人命第一」をモットーとする
欧米流思想の反映か。

また、コマンド部隊というのもいかにも象徴的だ。
少人数で敵中深く潜入し、ドイツ兵をキリキリ舞いさせる大胆不敵な作戦と
英雄的な戦闘は、冒険小説好きのイギリス人が喜びそうなアイテムだ。
これを見ると、イギリスの人気商品がどのようなものかわかり興味深い。

ところで、敗戦国の日本では『終戦記念○○周年記念』的プラモセットというのは
聞いたことがない。企画モノとして、零戦や戦艦大和のセットというのもアリだと
思うが、どうも重苦しい気分で買いにくいという雰囲気がある。
また、プラモの販売に『終戦』という言葉を軽々しく使ってよいのか…という
判断もあるのかもしれない。


墜落する機体から脱出するパイロットを描いたボックスアート。
緊迫感があって、こうした絵は好きだ。
でも、イギリスのメーカーが自国の機体をこうした形で描くのは
珍しい。なぜなら主役が墜落する絵というのは、敵国または対立する国を
対象とするのが一般的だからだ。


Wikipedia

参考資料・パイロット脱出ボックスアート

旧敵国ドイツの戦闘機メッサーの絵。
スピード感と緊迫感がうまく描かれている脱出アートの決定版。


これは、パイロットを射出できますよ…という
ギミックを説明したボックスアート。


仮想敵国ソ連もの。
チョッとラフな描き方が新鮮だった。

アメリカ空軍が制作したジェット戦闘機からの脱出に関する
教育映画から。
http://www.youtube.com/watch?v=xvBxQC-Olyg


IMC倒産後、金型はリンドバーグに移った。
アメリカのイラク侵攻作戦に便乗して、イラク空軍機仕様の
ものを発売していたのが思い出される。
なお、キットでは(IMC時代も同様だが)2機分入っているのではなく
被弾状態のパーツがオプションとして付属しており、ノーマルタイプまたは
被弾状態のどちらかを選択して作ることになる。



次回の更新は、3月15日夜の予定。

お詫び
体調不良により、ダウンしてしまいました。
更新は3月31日夜に変更します。
誠に申し訳ありません。


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part8

2012年12月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦






「生き残りを集めて反撃しろ」

























「クソッたれめ
 敵の増援部隊が来やがったぞ」


「おお 神よ!」



つづく



不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館


私がエアフィックス製品を集め出したのは
中学生のときで、1970年代前半の頃だ。
当時はビニール袋入り1/72ヒコーキシリーズを
買っていた。

理由は、輸入プラモのなかでは価格が安い(当時200円だった)という
のもあったが、中身が見られるというのも魅力の
ひとつだった。輸入箱ものプラモは中身が確認できないので、
ある意味賭みたいなところがあり、値段の割にデキが残念な
ものだとショックから立ち直るのにかなりの時間を要した。
その点、エアフィックスの200円ヒコーキシリーズは、当時
パッケージ自体がビニール袋となっており、パーツを見る
ことができた。

それとは別にエアフィックス製品は、モノグラムやレベルといった
アメリカ製ヒコーキプラモとは異なる作風が、なんとなくイギリスを
感じさせており、それはそれで気に入っていた。
アメリカのメーカーの場合、リアリズムに徹底しており
機体のリベットまで再現していたものが多かったが、
エアフィックスはスジボリだけという、実にアッサリした表現が
多く、これは同じイギリスのメーカー、フロッグにも共通していた。

これは好みの問題にもなるのだが、当初アメリカプラモを見慣れて
いた私にはかなりの違和感をもったが、考えてみれば1/72や1/48
スケールでのリベットは、実機では相当大きなものとなり、
逆にリアリズムに徹するのであれば、スジボリだけの方が
スッキリするのではないか…という気になっていた。






フォッカーDr-1といえば、リヒトフォーヘンの
真紅の機体が有名だが、カウリングにヒゲオジサンの
顔を描いたヴェルナー・フォスの乗機も、けっこう印象的だ。
エアフィックスも当初は真紅の機体バージョンで発売していたが、
その後はフォスの機体バージョンに切り替えている。
全面真紅だと、オモチャっぽく見えてしまうからだろうか。
そういえば、レベル1/72もフォスの機体だった。


2006年公開の映画『フライボーイズ』から、
ニューポール17とフォッカーDr.1との空戦シーン。
WWⅠにおいてアメリカが参戦する以前、フランスの
航空隊に志願したアメリカ人たちの活躍を描いている。
http://www.youtube.com/watch?v=5ZnZf4Ayb3M&feature=related


水平尾翼も複葉というのがユニーク。


MPC版のボックスアート。








Wikipedia
立木(杭?)に衝突して、つんのめった機体。
周囲の状況から判断して、飛行場では
なさそうなので、被弾または故障で不時着したとき
たまたま立っていた木に突っ込んだみたいだ。
こんな広々とした場所で、どうして衝突するのか
理解に苦しむ画像ではある。
もしかしたら、機体を止めるために故意に
衝突させた可能性もなくはないが‥


胴体が合板によるモノコック構造であるため、
当時としては珍しく流線型のスマートな機体になっている。
こうしたユニークな機体は、プラモ向きでオモシロそうだ。






MPC版ボックスアート。


Wikipedia
パイロット頭上の視界は、文句なしによいことが
わかる。ただ、主翼が下方をさえぎり死角が多いような
気がする。このテの主翼の配置が一般化しなかったのは、
下方視界に難点があったからではないだろうか。


なんだかオーロラのボックスアート的雰囲気の
絵だ。





































オマケ レベルのWWⅠヒコーキ

 
レベルでも、
1/72スケールでレトロな戦闘機プラモを
 発売していた。
 グンゼ・レベル時代は、模型店以外でも文具店や駄菓子屋等で
 売られており、プラモの普及に貢献していた。
 作った人も多いのではないだろうか。


フォッカーDr-1以外に、三葉機の戦闘機が存在することを
このプラモで初めて知った。
実際、この機体はフォッカーに強い影響を与え、Dr-1が開発される
切っ掛けとなった。


プロペラと機関銃の同調装置が開発される以前は、
この機体のような荒ワザが必要だった。

弾丸がプロペラを撃ち抜かないように、プロペラの
裏側にくさび形の鋼板が取り付けられていて、プロペラに
命中した弾丸ははじき飛ばされるようになっていた。
これで、プロペラを通して射撃ができるようになった。
確かに画期的な方法であったが、きわめて危険で
鋼板がはじき飛ばした弾丸が、どこに飛んでいくかは
神のみぞ知る‥であった。

実際、これが原因で被弾損傷した機体が不時着し、
ドイツ側の手に落ちた。
この仕組みを見たアントニー・フォッカーは、同調装置の
メカを思いつくヒントになったという。














この白い機体がナチスの大物、ヘルマン・ゲーリングの愛機だった
というのは、このプラモで初めて知った。
全面白というのは、当時としてはきわめて(今でもそうか)異色だ。
リヒトフォーヘンの真紅の機体を意識していたのかもしれない。




タカラ・バージョン




アメリカ版・グンゼ版ではリヒトフォーヘンのデカールだけ
だったが、タカラ版ではフォス、ゲーリングの乗機も選べる
ようになっていたのがウレシい。
また、改造例も紹介されていてワクワクしたが、
この資料だけで製作するのはチョッときびしい(主翼の
塗装など)ので、あくまで改造のための動機づけということ
なのだろう。


このアルバトロスは、レベル1/72ファイターシリーズの
なかでは初期のものに属している。
パイロットも胴体内側のピンに差し込んで固定する形式の
もので、FW190や零戦なども同様だった。


グンゼ版では見られなかった工作グッズが
付属していた。
ピンセット・パテ用へら・クリップなど。


いまでは差別表現として使用できなくなった
黒人のマスコットマークがなつかしい。


タカラ時代のレベルカラー色見本。




レベルもヒゲオジサン・バージョンで発売していた。
やはり、こちらの方がインパクトが強いということか。















イギリスの新旧戦闘機の詰め合わせセット。









対決!
ドッグファイト・ダブルス・シリーズ

敵味方双方のヒコーキ2種をパッケージした
プラモは、古今東西存在した。
しかし、エアフィックスほど多くの種類を出して
いたメーカーも珍しい。







オヤッ!?

エアフィックスとレベルのキャメルって、
主役の構図が同じように描かれている。
これって単なる偶然の一致なのか。


スピード感のある素晴らしいボックスアートだ。
思わず買ってしまいたくなる。


























映画『トラ・トラ・トラ!』では、迎撃に飛び立ったP-40戦闘機2機が
日本機の編隊に殴り込みをかけるシーンがあるが、まさにそのときの
イメージだ。迎え撃つ零戦も、ナゼか増槽をつけたまま空戦をし
何機か撃墜されてしまう。なんともトホホな話ではある。


これは敵味方ではないが、どんな基準で
選んだのかよくわからない。
両機とも朝鮮戦争では、地上攻撃に活躍したから…
ということなのか。





V-1の発射シーンと迎撃するイギリス軍の戦闘映像。
http://www.youtube.com/watch?v=QY308O42Ur4

グロスター・ミーティアの離陸・飛行映像。
http://www.youtube.com/watch?v=q60bhhM3aWk


V-1との組み合わせは、フロッグにもあった。
エアフィックスの場合もそうだが、V-1だと
2機セットというよりはイギリス機のオマケと
いった印象が強い。


Migが完全に斬られ役になっている。
地上で撃破されるMigと逃げまどう地上クルーが
描かれ、まさに「ワレ、奇襲二成功セリ」の世界になっている。




一瞬2機ペアになっているのかと思ったら、ハリアー単品だった。

参考資料

日本版「ドッグファイト・ダブルス」では、タミヤのF-86と
Mig15のセットがなつかしい。
これは、エアフィックスのように既存の製品をペアにしたものではなく、
新規で開発されたところが泣ける。
Migのマーキングも、北朝鮮や中華人民共和国というのも変わっていて
よかった。


1/100スケールながら、よくできたパイロットが付属していた。
ただ、F-86もMigもまったく同じ形のパイロットというのは?だった。






F-86中華民国バージョンは、機首にサメの口を描くなど、
けっこう見応えのあるものになっていた。

スタンドは、ベースに開けられた複数の穴に
スタンド支柱を差し込むことで、いろいろな
コンバットシーンを楽しめるようになっていた
のはGood!
一見たいしたことがないように見えるが、
日本的配慮がなされたプラモとして、
記憶に残る。


これは、ジェット機とロケット機の詰め合わせキット。
戦後のジェット機ばかりの同シリーズのなかでは、
異色の存在だ。オマケにV-1(これも立派なジェット機だ)が
付属していたら、さらによかったのだが…

★オマケ 昭和の歴史的資料
  第一次石油ショック(昭和48年)


石油ショック。
当時を知るモデラーにとっては悪夢だった。
石油製品急騰の影響は、こんなところにも現れてしまった。
プラモ販売価格の一斉値上げだ。

メーカー側もパッケージの価格表示の変更が間に合わず、
シールを貼って急場をしのいだ。
このキットも本来は200円の表示だったが、価格変更シールに
よって250円となっている。
当時の国産プラモのパッケージには、こうした値上げシールが
ある日突然ベタベタ貼りまくられ、買い手はメチャ混乱したものだ。
消費者側は生活防衛(?)のため、店員の目をかすめて
このシールをなんとかはがそうとしたが、うまく取れなかった。
おそらく日本全国の模型店のほとんどで、こうした攻防戦が
繰り広げられたことだろう。
しかしながら、強力粘着シールを使用したメーカー側の勝利で
終わっただけであった。

こうして日本のプラモは、高価格時代に突入した。

オマケのオマケ

雑誌『航空ファン』1971年1月号



ポストホビーの広告。
エアフィックス国内代理店の文字が見える。
当時、国内で発売されていたエアフィックスの
製品がわかる貴重な資料。
1973年10月に勃発した第四次中東戦争で、
アラブ側の石油戦略発動(いわゆる石油ショック)前の
プラモ価格がわかる。
もっとも低いもので200円。国産の同等品(グンゼレベルなど)なら
100円の時代だ。ポストホビーによるエアフィックス製品安定供給の
おかげで、エ社プラモの認知度も向上したように思う。
それまでの外国プラモといえば、レベル、モノグラムに代表
されるアメリカ製品が主流だった。イギリスにもこんなイイものが
あると知らしめたポストホビー、あなたはエライ!

誌面中央右側には、新製品Bv141のボックスアートが
掲載されており、ドイツ機ファンにとっては期待の
キットだった。こんなレアな機体を発売してくれる
エアフィックスは、メチャ素晴らしい!




Wikipedia

Bv141の飛行映像。
ちゃんと飛んでいる!
http://www.youtube.com/watch?v=SV96hXwWN7c

移転して、いまはなくなってしまったポストホビーの
代々木駅前店と池袋駅パルコ5階店がなつかしい。
両店とも輸入プラモが多くあったが、なかでもエアフィックス
製品は充実していた。

私が付近の某大学受験大手予備校の生徒だった
とき(つまりは浪人生)に、授業が終われば毎日のように
入り浸っていたのが、この代々木駅前店だったし
お金に余裕があれば、池袋のパルコ5階店まで
足をのばしていた(もちろん、親はこれらの事実を知らない)。

とくに代々木駅前店では、店のオジサンと顔なじみになり
いろいろなプラモ情報を教えてもらった。
でも、金銭的に苦しい浪人生だったので、話を聞くばかりで
あまりプラモを買わなかった。ゴメンナサイ!


グーグルアースのストリートビューで、現在の
代々木駅前店跡を見る。
店の住所は東京都渋谷区代々木1-36
代々木駅前ビル1階で、地名・地番等はいまでも
同じで、ビルも昔のままだ(多少の改築はしている
のかな?)。

矢印先の黄色の看板のあるところが、かつての
店舗(多分そうだと思う)があったところで、この
写真の後方へ歩いて約1分のところにJR代々木駅がある。
この通りをそのまま前進すると、小田急電鉄の
大きな踏切があり、さらにその先は甲州街道と
交差している。その地点の右手には、JRや小田急の
新宿駅南口がある。


ハセガワのPS-1の発売予告。


エアフィックス新製品として、ブリストル・ブルドッグとHs123の
紹介記事が掲載されている。
「エアフィックスのWWⅡドイツ機では、垂直尾翼のハーケンクロイツが
省略されているので、ABTデカールを使用するとよい」などと書かれて
いるのを見ると、このABTデカールやストッペル、レトラセットといった
外国製デカールを思い出す。

YouTubeで見つけたイギリスのヒコーキ映画

1952年公開のイギリス映画『超音ジェット機』から、
音速突破に挑戦した実験機が操縦不能となって墜落するシーン。
1946年9月のデ・ハビランド DH.108 スワローの事故を描いている。
パイロットのジェフリー・デハビランド ・ジュニア(デ・ハビランド社
創設者の息子)は、このとき死亡した。
なお、チャック・イェーガーが搭乗する X-1が音速突破に成功したのは
1947年10月14日のことだった。
http://www.youtube.com/watch?v=in4rpJ2PLHA


デ・ハビランド DH.108 スワロー wikipedia


買えないゾ!

プラモ雑誌『モデルグラフィックス』2013年
1月号が、発売と同時に完売するという
前代未聞の事件が発生した。
原因は、今回の「ガルパン」特集がアニメファンを
動かしたから…といわれている。

今年の10月からテレビ放映されているアニメ
「ガールズ&パンツァー(略してガルパン)」に
登場する戦車の本格的特集としては、現在唯一の
存在と思われるのが、このモデルグラフィックス誌だ。
公式戦参加以前の初期塗装、たとえば八九式中戦車の
「バレー部復活!」スローガン付塗装とか、ノボリを立てた
三突が紹介されたりで、オタク度はかなり高い。
同誌では今回の品切れ状態に対処すべく、プラモ雑誌と
しては異例の増刷を決定したという。
このブログがアップロードされるころには、書店で
再び見ることができるだろう。

「ガルパン」については、学園ものと戦車を
融合した異色のアニメで、とくに戦車のリアルな
映像表現が注目されている。
私としては、『黒騎士物語』をアニメ化したような
ガチなものを期待したいところだが、いまの
ご時世では「萌え」を感じさせるものでないと、
なかなか一般ウケしないのかもしれない。

ガルパン戦車プラモ各種

あんこうチーム(2年生)…当初Aチーム



アヒルさんチーム(旧バレー部)…当初Bチーム


カバさんチーム…当初Cチーム


カメさんチーム(生徒会)…当初Eチーム




主人公の西住みほが乗る「あんこうチーム」の
Ⅳ号戦車D型のプラモといえば、コレが代表的。
12月4日の放送では、長砲身タイプのF2型に
変わっていたゾ。


「あんこうチーム」のⅣ号戦車は、そのうち武装強化型の
H型に進化するかもしれない。


ドイツ軍とは多少風味の異なる
フィンランド軍バージョンの3突。
車体上部をコンクリートで補強した
現地改造型というのがオモシロい。
丸みのある姿は、カバさん的イメージにふさわしいかも!?


小柄な女子高校生が乗るにはいいかもしれないが、
ズウ体のデカい人間にはキビしい。


Wikipedia
土浦の陸上自衛隊武器学校に現存する八九式中戦車。
レストアされて軽快に走り回るというのが、うれしい。
車体に「バレー部復活!」と大書きしてみたい(ウソ)。


Wikipedia
昭和の軍神・西住戦車長と八九式中戦車。
機銃掃射を受けたらしく、すさまじい弾痕だが
貫通はされていないようだ。

「ガルパン」の主人公・西住みほの姓は
西住戦車長にちなんで命名されている(…と思う)。

その他

ウサギさんチーム(1年生…当初Dチーム)使用車両なら…


カモさんチーム(風紀委員)使用車両なら…


アニメ『ガールズ&パンツァー』より、
大洗町内における戦車バトル。戦車のリアルな映像がスゴい!
http://www.youtube.com/watch?v=zl4AXwJYEEk

第10話。ドイツ戦車登場の戦闘シーン。
http://www.youtube.com/watch?v=61hXi-l3b1o

次回の更新は、1月15日夜の予定。

お詫び:編集作業の遅れにより、1月20日夜に
 更新する予定です。申し訳ありません。


不屈のジョンブル魂!エアフィックス・ボックスアート美術館Part7

2012年11月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦


「諸君!
 2週間の特別休暇を与える」

今回はお休みでっす。


不屈のジョンブル魂!
エアフィックス・ボックスアート
美術館

















イギリス艦英雄列伝

駆逐艦コサック…といっても、日本人には
ピンとこない。しかし、イギリス人には
捕虜救出作戦の立役者として、忘れられない
存在となっている。そして、日本もちょっぴり
関係してくる…となれば、少し脱線するのも
無駄ではないような気がしてくる(自己弁護)。

その捕虜救出作戦は、一般にはアルトマルク号事件と
呼ばれている。

1940年2月、ドイツ海軍の補給艦アルトマルクは
ドイッチュラント級装甲艦(ポケット戦艦といった方がなじみがあるが)
アドミラル・グラーフ・シュぺーが拿捕・撃沈したイギリス商船の船員
約300名を乗せ、祖国ドイツへ向かっていた。


アルトマルク

アルトマルクは第二次世界大戦が始まると、
グラーフ・シュぺーの通商破壊作戦を支援する任務に
就くこととなった。グラーフ・シュぺーは沈めた商船の
船員を救助すると、アルトマルクに移乗させ
彼らの面倒をみるようにさせていた。
しかし、肝心のグラーフ・シュぺーがイギリス艦隊の
攻撃で損害を受け、逃げ込んだ先の南米ウルグアイの
モンテビデオ港で自沈すると、アルトマルクは捕らえた
イギリス船員とともにドイツに帰還することになった。

イギリスの北から中立国ノルウェー沿岸を通り、ドイツへ戻る
ルートであったが、ノルウェーの沖合を航行中にイギリス
哨戒機に発見されてしまった。
イギリス海軍は、これまで収集した情報からアルトマルクに
多数のイギリス船員が拘束されていることを把握しており、
駆逐艦コサックにその奪還を命じたのだった。
コサックはただちに追跡を開始し、アルトマルクを捕捉した。
危険を感じたアルトマルクは、全速力でノルウェー領内の
フィヨルドに逃げ込んだのだが…


駆逐艦コサック Wikipedia

翌日(2月16日)の夜、執拗な追跡を行う駆逐艦コサックは
アルトマルクに急接近し、強行接舷を敢行する。
22時20分、イギリス水兵はアルトマルクに突入し、
白兵戦を展開、ドイツ水兵の抵抗を排除しイギリス船員の
解放に成功した。

ドイツ側の損害が戦死4・負傷5であったのに対し、イギリス側は
負傷1の完勝だった。
※死傷者数については、資料によって相違がある。

領海侵犯をされたうえ勝手にドンパチされたノルウェーは、
イギリスに抗議しただけで対抗措置はとらなかった。
いかに中立国とはいえ、老大国イギリスに手は出せなかった
のだろう。

Wikipedia
事件後、ドイツ人戦死者を埋葬するための葬列。
後方に艦名を入れたアルトマルクの姿が見える。

駆逐艦コサックの快挙に、イギリス国内は
わきたった。
ドイツの快進撃に比べて、華々しい戦果の
ないイギリスにとって、この事件は国民の士気を
鼓舞するのにはうってつけだったのだ。

一方、ヒトラーは強い危機感をもった。
イギリスは中立国ノルウェーに軍事侵攻を
するのではないか、もしそれが実施されれば
スウエーデンの鉄鉱石に依存するドイツは、
輸送ルートを完全に遮断される…と。

この事件は、ヒトラーにデンマークとノルウェーの
軍事侵攻を決意させる要因となったといわれている。

一隻の駆逐艦が歴史を動かした…壮大だ。

その後のコサックは、どうなったのだろうか。
1940年4月ドイツのノルウェー侵攻に対し、
ナルヴィク周辺海域でコサックを含むイギリス艦隊と
ドイツ駆逐艦隊とが交戦、ドイツ側は全滅した。
しかし、コサックも被弾・大破し、海岸に乗り上げて
なんとか沈没を防いだ。
ビスマルク追撃戦では、数度にわたり
魚雷攻撃を敢行している。
命中こそなかったが、ドイツ側を疲労させ
翌日のイギリス艦隊の攻撃を容易にした。

1941年10月23日、ジブラルタルからイギリス本土へ
向かう輸送船団を護衛中、Uボートの雷撃を受け損傷、
27日曳航作業中に沈没した。

一方のアルトマルクは…というと、事件後半年ほどで
ウッカーマルクと艦名を変更している。

1942年9月、日本に向けて出航し11月24日に
横浜港に到着したが、30日同港において整備
作業中に突如大爆発を起こした。
ウッカーマルクの周囲には、ドイツ海軍の仮装
巡洋艦トールやオーストラリア客船(拿捕船)、
日本海軍の徴用船が停泊していたが、すべて
破壊された。
そのうえ横浜港の港湾施設にも甚大な被害を
与え、犠牲者もドイツ人乗組員を含め102名に
なってしまった。
現在であればこのような大事件は新聞一面トップの
ニュースになるのだろうが、戦時中であったため
軍部によって極秘扱いとされ、マスコミによって
報道されることはなかった。

爆発の原因は、ウッカーマルクの油槽内にたまった
ガスが、付近で行われていた修理の際に使われた道具の
火花によって引火したとも、また作業員の喫煙によるもの
ともいわれているが、詳細は不明のままとなっている。


書籍中央に当時の惨状を記録した写真がある。
写真中央で黒煙を吹き出しているのがウッカーマルク
(アルトマルク)で、ほとんど原形をとどめていない。
奥左に(ちょっとわかりにくいが)ドイツの仮装巡洋艦トール、
傾いたマストの手前の船は、日本海軍の徴用船で
その破壊状況のすさまじさが伝わってくる。

なお、生き残ったドイツ人乗組員は箱根の旅館に宿泊し、
戦後祖国へ帰還した。


ボックスアートの右側に見えるのが
おそらくアルトマルクだろう。

ナルヴィクにおけるイギリス艦隊の戦闘映像。
http://www.youtube.com/watch?v=5d_S1IFyb9M

イギリス艦英雄列伝パート2



相当レトロなスタイルにもかかわらず、
サン・ナゼール港に対する襲撃作戦の立役者として記憶されている
駆逐艦キャンベルタウン。

もともとは、1919年に造られたアメリカの駆逐艦ブキャナンで、
第二次世界大戦が始まるとイギリスに貸与されて、
駆逐艦キャンベルタウンとなった。

参考資料

アメリカ海軍時代の駆逐艦ブキャナン。
直立した4本煙突がレトロさを感じさせる。






サン・ナゼール港での戦闘の様子が、うまく
イメージされている。
後方のクレーン、樹立する水柱、交差する
サーチライトなど、襲撃作戦の事実を知らなくても
港湾での戦闘だということが一目瞭然だ。
老兵が英雄になった瞬間をとらえた
すばらしい作品といえる。

サン・ナゼール襲撃作戦とは‥
Wikipedia
赤丸部分がサン・ナゼール

フランスの港湾都市サン・ナゼールには、
戦前に巨大な乾ドックが造られていた。
これはフランスが国威をかけて建造した
超大型の8万トン級豪華客船ノルマンディーの
ためのもので、当時西ヨーロッパ最大の
乾ドックでもあった。

Wikipedia
フランスの豪華客船ノルマンディーと
サン・ナゼール港の乾ドック。

ドイツのフランス侵攻で、フランスが
敗北するとサン・ナゼールは
ドイツ海軍の重要な基地となった。
しかもこの地の乾ドックは、ドイツ
海軍最大のビスマルク級戦艦の
収容も可能であった。
大型戦艦の母港ともなれば、
大西洋海域ににらみをきかせる
ことができるわけだ。

1942年3月、イギリス軍はサン・ナゼール襲撃作戦を
開始した。ドイツの大型戦艦ビスマルクは、すでに撃沈
されていたが、姉妹艦のテルピッツは健在であり、イギリスは
同艦の大西洋進出に神経をとがらせていた。
サン・ナゼール港の大型乾ドックを破壊すれば、テルピッツの
母港化を防ぐことができる。
このとき、閉塞船として選ばれたのが旧式駆逐艦キャンベルタウンで
あったのだ。

コマンド部隊を乗せた艦隊は、ドイツ軍艦旗を掲げ堂々と港内に侵入
したが、これを見破ったドイツの海岸砲台から激しい砲火が加えられた。


Wikipedia

キャンベルタウンは上図左側港湾から進入し、赤丸部分の乾ドック扉に
突っ込んだ。扉は損傷したものの崩壊はしなかったので、ドックの
使用は可能であった。しかし、キャンベルタウンにはとんでもない
仕掛けがしてあったのだ。

艦内に時限爆弾がセットされており、乗組員が退避し戦闘が
一段落したあと突然爆発したのだ。
これで乾ドック扉は破壊され、ドックは使用不能になってしまった。
しかも、キャンベルタウンという戦利品を調査中の多くのドイツ兵も
道連れにして…

Wikipedia
サン・ナゼール港の乾ドック扉部分に乗り上げた
キャンベルタウン。のちに艦内の時限爆弾が
爆発し、乾ドックは使用不能となった。


Wikipedia

上は、襲撃作戦の数ヶ月後に撮影された乾ドックの航空写真。
ドック左側扉部分は土砂で埋め立てられ、ドイツ側の
応急措置の様子がわかる。
ドック内中央部分には、キャンベルタウンらしき残骸が見える。
ドック扉が爆破された結果、流入した海水によって運ばれたのだろう。
この残骸をよく見ると、艦首部分がなくなっているので、
ここに爆薬をセットしていたようだ。
艦を自爆させようとは、ドイツ側もまったく予想して
いなかっただろう。

最後に、かつてこの乾ドックの主だった豪華客船ノルマンディーは
どうなったのであろうか。
第二次世界大戦の勃発で、ニューヨーク港に係留されたまま
になっていたが、アメリカの参戦により兵員輸送船に改造されることに
なった。その工事中に火災が発生し、ついに船全体を覆う大火災へと
拡大した。当然のことながら消火活動が展開されたが、放水された
水が船内に流入しバランスを崩して、とうとう転覆してしまったのだ
(8万トンの巨船が転覆するなんて、どれだけ放水したのか!)。

その後、引き揚げて空母に改造する案もあったが、その巨体ゆえコストも
バカにならず結局放置され、戦後まもなくスクラップになってしまったという。

イギリス軍のサン・ナゼール襲撃の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=bbC-OwVwCQg










キング・ジョージ5世と同型艦が
プリンス・オブ・ウェールズだ。


太平洋戦争開戦時には旧式化していたとはいえ、
日本海軍には脅威となっていたレパルス。

上記2艦といえば…マレー沖海戦が連想される。


Wikipedia
沈没直前のプリンス・オブ・ウェールズ。
現場の緊迫した状態がジカに伝わってくる。


Wikipedia
このポスターの搭乗員は、俳優の藤田進ではないかと思う(?)。
テレビの『ウルトラセブン』や『帰ってきたウルトラマン』に
長官役で時々登場していた。
脇役ながら存在感があって、軍服がよく似合う人だった。
映画『トラ・トラ・トラ!』では、闘将山口多聞司令官役がよかった。


Wikipedia

「眞珠湾撃滅!」
勇ましい言葉が躍る当時のポスター。
特殊技術・圓谷(円谷)英二の名前も…
東宝映画特撮の原点が、ここにある。

映画『ハワイ・マレー沖海戦』より
大日本帝国海軍航空隊による
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、レパルス攻撃シーン。
ホンモノの陸攻が多数登場するところは、さすが海軍省
後援の賜物。
http://www.youtube.com/watch?v=vE6_s1Tg0Ps



当時のニュース映画より、プリンツオイゲンの勇姿(音声なし)。
http://www.youtube.com/watch?v=pPmkOtSveXY



1960年公開の映画『ビスマルク号を撃沈せよ』から、
ビスマルク、プリンツ・オイゲンvsプリンス・オブ・ウェールズ、フッドとの
砲撃戦シーン。
結果は、フッド轟沈、プリンス・オブ・ウェールズ被弾大破でドイツ側の
勝利となった。
http://www.youtube.com/watch?v=9vRRNkfj-mM





オマケ


下は、中央公論社で復刊したときのもの。

Uボート艦長の多くが戦死しているので、
艦長自らの著作というのは、きわめて
貴重な存在だ。
連合国側の対潜能力が向上すると、
Uボートの損害は急上昇する。
一度沈没すれば、乗組員の生還は
期待できない。
まさに「鉄の棺」だ。





元ドイツ海軍報道班員で
Uボート搭乗取材をしていた
人物の作品





映画『Uボート』のポスター。
荒れ狂う波に翻弄されるUボートの
雰囲気がエエなあ。

映画『Uボート』より Wikipedia

一見ゲバラ的風貌のオジサンたちは、
過酷な海中勤務(?)を黙々と遂行する
勇敢なUボート乗組員たち。

従来のハリウッド映画などで描かれていた
Uボートとはまったく別次元の作品で、
その完成度の高さが評価される。
しかもドイツ人俳優の出演で、よりいっそうの
リアルさが体感できる(ただ、ドイツ兵の会話が
英語だとシラケてしまう)。

また、映画では「音」が効果的に使われていた。
駆逐艦から発せられるソナー音、スクリューの
水切り音、爆雷が炸裂する音、水圧で艦内が
ギシギシ締め付けられる音、これら恐怖の音が
狭い艦内にあふれかえる。
乗組員はこの恐怖から逃れる術をしらない。
ひたすら耐えるだけだ。

ほんの少しの幸運に、すべてを賭けるのみ。
まさに生と死は紙一重の世界だ。
水圧の影響で艦内のボルトが
はじけ飛ぶシーンなど、この地獄から
生還した者の体験談がなければ、とても
想像がつかない。

映画『Uボート』全編を見たい人は、こちら…
http://www.youtube.com/watch?v=2iMWb8nEOG4&feature=fvwrel

ドイツ週間ニュースより、アメリカ合衆国沿岸で
活躍するUボートの映像。
http://www.youtube.com/watch?v=puGBBrYzFtY&feature=related


ところで、日本製プラモでけっこう
いい感じのUボートがあった。
ニチモのこれがそうだ。
高荷先生の腕が冴えるのう。



こちらは格納式レーダーを装備しており、
ハイテク艦の風味がしたナ。

一方、日本の潜水艦ものとして…

遣独潜水艦作戦をテーマと
したもの。

第二次世界大戦中、日独間の
輸送作戦に潜水艦が使われた。

当初ドイツ側は日本占領下の
東南アジアに貨物船を送り、
生ゴム・ボーキサイトなどの
戦略物資を輸送していたが、
連合国の哨戒が厳しくなり
輸送が困難になっていた。

一方の日本もドイツのハイテク
兵器・電子機器などの情報を
手に入れたいと考えており、
潜水艦による輸送作戦を
実施することになった。
これを遣独潜水艦作戦といい、
5回実施された。
1および2回目は往復に成功したが、
それ以外はすべて撃沈されてしまった。
また、1回目の輸送作戦も日本への
帰路の途中に立ち寄ったシンガポール港で
味方の機雷に触れ沈没、積んでいた新型
レーダーの実物と図面等が使用不能状態に
なるなどの事故も発生している。

参考資料

昭和45年11月増刊号


唯一の完全成功例が、第二次遣独艦の
伊号第八潜水艦で、昭和18年8月31日
フランス・ブレスト港に入港した。

上記左側が、日本海軍将兵のパリ市内観光時の写真。
当時ドイツ占領下のパリでは、日本がヨーロッパに
増援部隊を送り込んできたというウワサが飛び交ったらしい。

遣独潜水艦作戦に関する余談だが、習慣の違いから
宿泊先のホテルでとんだ騒ぎも発生している。
それは入浴に関することで、欧米では浴槽の湯につかりながら
身体を洗う(したがって、浴室の床は水が流せるようになっていない)
のだが、そんなことを知らない将兵の多くが日本流のやり方で入浴
したため、浴室の床を水浸しにしドイツ側の世話人をあわてさせたとか。

ドイツ週間ニュースより、
日本海軍潜水艦(第四次遣独艦伊号第二九潜水艦
と思われる)のフランス・ロリアン到着および日独将兵の
交歓会の様子など、貴重な映像。
この伊二九潜水艦は、Me163・Me262に関する秘密資料を
積み込んで日本に向かったが、バシー海峡でアメリカ潜水艦の
雷撃で沈没、事前に持ち出された一部資料(バシー海峡通過前に
シンガポールに寄港しており、その際資料の一部を日本へ空輸
している)を除き、すべて失われてしまった。
http://www.youtube.com/watch?v=AB29w7swVdY

東宝の怪獣映画『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』では、
オープニングで不死身の兵士を作るため、ドイツから日本へ
潜水艦でフランケンの心臓を輸送するというシーンがある。
謎めいた部分の多い遣独潜水艦作戦なので、こんな話もアリ
なのかと思う。

映画『フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン』より。
この映画の前半部分は、不気味な雰囲気のシーンが多い。
いまでは別にどうってことのないものだが、公開当時小学生
だった私は、映画館の大画面によって増幅された気味の悪さが
頭にこびりつき、長期間フランケンの悪夢に苦しめられた。

本編(前)
https://vimeo.com/59320371

本編(後)
https://vimeo.com/59538523


チョッとミステリーじみた話だが…

伊号第三三潜水艦は、数字の
「3」に絡んだ事故が多く発生した。
昭和17年9月、トラック島周辺の
珊瑚礁に衝突し艦首部分を
損傷するという事故が発生した。
工作船に横付けし海上で修理を
開始したが、艦の安定を失い
艦尾ハッチより大量の海水が
流れ込み沈没した。
艦は33m下の海底に横たわり、
33名の犠牲者がでた。

その後サルベージ作業が成功し、
広島県呉の海軍工廠で修理を受けた。

昭和19年6月13日、瀬戸内海の伊予灘で
急速潜航の訓練中に機関室に浸水し、60m下の
海底に沈んでしまった。
原因は、機関室につながる給気管の弁に木片が
はさまったまま潜行したため、そこから大量の海水が
流入し沈没したと推定されている。

艦長は非常手段としてハッチを開けさせ、乗組員を
脱出させようとした。2名が生還し、艦長を含む102名が
死亡した。

昭和28年7月、サルベージ作業により潜水艦は海上に
姿を現した。作業中に同艦が不安定な動きをするため、
艦首部分に浸水していない部屋があるのではないかと
予測されていた。
遺骨の収容が期待されていたため、マスコミも注目する
なかでの引き揚げだった。

調査の結果、前部魚雷発射管室は浸水していなかった。
艦内の排水作業が終了すると、この部屋につながっている
ハッチが開けられた。
ひとりの記者が、その室内に向けてカメラのフラッシュをたいた。
「アッ!」
戦慄が走った。
そこには、ひとりの人物が立っていたのだ!

‥いや、立っていたのではなかった。
首吊り自殺をした乗組員の遺体だった。
おそらく戦友たちが次々と死んで、最後に
ひとり残された彼は、絶望のあまり自殺したのだろう。

前部魚雷発射管室には、13体の遺体が
発見された。どれもが腐敗せずに死亡した
当時の姿で残っていた。

その後、この潜水艦は造船所で解体される
のだが、その作業中に前部魚雷発射管室に
立ち入った元海軍技術士官3名が、有毒ガスの
発生で死亡するという事件があった。
偶然の一致なのだろうが、「3」にまつわる
なんとも不思議な話ではある。

遣独潜水艦作戦のところでご紹介した
文藝春秋臨時増刊号に、この潜水艦の
引き揚げ記事も掲載されていた。






前部魚雷発射管室で発見された遺体。
腐敗はしておらず、死亡したときのままの
状態で残っていたという。
潜水艦沈没時に艦内から脱出し、助かった元乗組員の
ひとりがこの場に立ち会ったのだが、この信じられない
光景に動転したらしく、「おい、総員起こしだ」と叫んでは
起きろ、起きろと戦友たちの体を叩いていたそうだ。
吉村昭氏の著作の題名も、この元乗組員の言動に由来している。







これもなつかしいニチモ・イ19のボックスアート。


アラッ!なつかしい

レベル製品のコピーながら、輝かしき国産プラモ第一号とされているのが
この潜水艦。マルサンの原潜ノーチラスだ。
昭和33年リリースというから、もう50年以上前の出来事なのだ。

…オットット…脱線してしまった…




ドイツ海軍の高速魚雷艇Sボート。
連合国側の呼称であるEボートの表示に、
イギリスの頑固さを感じる。
アングロサクソン系の国々での販売を
考えると、Sボートという表示よりもEボートの方が
メジャーでなじみがあるということか。


MPC版Sボート。

対空戦闘中のSボート。
http://www.youtube.com/watch?v=l5pekB2uQOA&feature=related

戦ふSボート(音声なし)。
http://www.youtube.com/watch?v=sJqIJMhwq3k

これは珍しいSボートカラー映像。
http://www.youtube.com/watch?v=Yosme-SzeGY&NR=1

ドイツの軍艦マーチ『艦隊行進曲』。
重厚であり、かつ洗練された曲の雰囲気がエエぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=A72mML2Ss6E&feature=related

もうひとつのドイツ海軍代表的マーチ『我らの海軍』。
http://www.youtube.com/watch?v=uwaSLYIO7f8








1940年に就航した当時、世界最大の客船として
その威容を誇った。
乗客約2200名、スタッフ約1000名という定員数を
生かして、第二次世界大戦中は兵員輸送船として
活躍した。


豪華客船クイーン・エリザベスの2代目。
旅客機にお客を奪われたため、先代より
小型化して経済性を狙った。
フォークランド紛争では、イギリスの
兵員輸送船として活躍したことが知られている。







1907年に就航したイギリスの豪華客船モーリタニア。
第一次世界大戦中は、その人員輸送力を生かして
病院船や兵員輸送船として使用された。


1961年就航のイギリス客船キャンベラ。
フォークランド紛争では、クイーン・エリザベスⅡと
同様に兵員輸送船として使用された。








フリゲート艦アマゾン…といっても日本では知られていないが、
同型艦のアーデントやアンテロープといえば、1982年の
フォークランド紛争で沈没したイギリス艦艇として知られている。

フォークランド紛争におけるアマゾン級フリゲート艦アーデントの
被害映像。アルゼンチン機の爆撃により被弾炎上、のちに沈没した。
http://www.youtube.com/watch?v=XVS1YoGO058&feature=related

アルゼンチン軍機によるイギリス艦隊への攻撃と、アンテロープの爆発映像。
同艦は被弾後、不発弾の処理作業中爆発し大破、沈没した。
http://www.youtube.com/watch?v=fd-G896UMm8&feature=related


フォークランド紛争で出撃したイギリス艦艇のプラモ。
手前からフリゲート艦のリアンダー、アマゾン、右奥は
駆逐艦デヴォンシャー。

こちらはホンモノ
Wikipedia
リアンダー級フリゲート艦アポロ

Wikipedia
アマゾン級フリゲート艦アヴェンジャー

Wikipedia
デヴォンシャーと同型艦のカウンティ級駆逐艦ノーフォーク































現在「カティサーク」といえば、スコッチウイスキーを
連想してしまうが、こちらは19世紀に建造された
紅茶輸送用の快速帆船だ。
中国から輸出されたその年の一番茶は、イギリスでは
高額で取引されたため、船舶業者は輸送期間短縮を
競い合った。ただ、いくら「快速」とはいっても、
アフリカ喜望峰コースで約4ヶ月かかったらしい。
当時、スエズ運河は完成していたが、無風状態の
多い地域であったため、自走能力のない帆船は
航行できず、やがて台頭してきた蒸気船に紅茶輸送の
座を奪われてしまう。


チョー旧式な船だが、蒸気機関で自走できるところが
画期的。風任せの帆船が衰退するのが、ヨーわかる。


次回から、ヒコーキシリーズを
やりまんねん。






映画『頭上の敵機』をイメージさせるボックスアートだ。

次回の更新は、12月15日夜の予定。