絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

70年前のペンギンだぞ!フロッグ・カタログ&広告集

2010年11月30日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦

モスクワ


「総統司令部の諜報員ヴェルテルから報告があった。
 ファシストどもは、ヒトラーの絵とボックスアートを国外に移送するつもりだ。
 同志諸君は、これを阻止し奪取するのだ。
 ヤツの絵など興味はないが、ボックスアートだけは別だ。
 クレムリンに飾るのにふさわしい。
 レーンウッドの作品など、すばらしいと思わんか」



「困難な任務ではありますが、命にかけても」


「作戦が成功するか否かは、党への忠誠心の度合いできまる。
 そう思わんかね」


「困ったぞ、スターリン同志は本気だ」

「作戦が失敗すれば、シベリア送りだ。
 何かいい手を考えねば…」

つづく

フロッグ・いにしえのカタログ&広告集

1940年発行のカタログ







敵国ドイツの戦闘機が堂々と売られているのに
驚く。この時代、メッサーで遊んでいたら
「コイツはナチのスパイだ!」などと、袋だたきに
あったかもしれない。所持すること自体、危険な
行為であったと思われるが、どうなのだろう。
また、イギリス当局から販売は望ましくないと
クレームがついたりしなかったのだろうか。

それとも、ただのオモチャじゃないか、そう目くじら
たてなさんな…と寛容の精神で対処したのだろうか。
別な見方としては、ドイツ機で遊ぶことで、
敵味方航空機識別の能力を向上させるのだから、
おおいにやりなさい…ということなのか。

当時の日本の単細胞的思考能力では、おそらくメーカーに憲兵隊あたりが
踏み込んできて、関係者の逮捕と生産工場の封鎖、関連商品の押収を
やったはずだ。いや、その前にメーカー自体が国民感情に配慮して、
販売自粛をしただろう。
そこには経済的・文化的大国とそうでない貧乏国との違いがあるのだろう。
欧米の大国は、思考面でも余裕があったのだ。

それから、模型ヒコーキ用の専用塗料が、このころすでに売られている
のに驚く。
まあ、模型を作れば今度はコイツをカッコよく塗装したいという
欲求が出てくるのは当然の心理。
その辺のマニアの心理を、チャンとつかんで塗料を
商品化するところなど、なかなか商売がうまい。
世界で最初に何かを商品化する人というのは、プラモにかぎらず
商売上手なんだなァ…と感心してしまう。

ところで、中央のドイツ機は一体何だろう。
上から二番目はメッサーだとわかるのだが、中央の
ナゾのドイツ機は多分ハインケルHe100ではないだろうか。
実際のところ制式採用はされなかったのだが、当時のドイツでは
新型戦闘機としてハデに宣伝していたので、フロッグもそれに
乗せられた形になってしまったのがオモシロい。

資料画像 ハインケルHe100

Wikipedia




時代を反映してか自国機だけでなく、敵国ドイツのものが目につく。
同年7月から開始されたバトル・オブ・ブリテンでは、連日のように
イギリス上空に、ホンモノのメッサーやハインケルが押し寄せてきては、
自分たちの頭上を飛び回り、爆弾をばらまいている状況では、
その注目度はバツグンだ。
はたして、これらドイツ機の売り上げはどうだったのだろうか。

ベトナム戦争便乗プラモというのが、かつてアメリカで流行したが
バトル・オブ・ブリテン便乗プラモは、どうだったのか。
自分たちを攻撃してくる敵機のプラモを販売するというのは、
ものすごい販売促進キャンペーンではある。
報道機関は連日「敵機何機撃墜、我が方の損害…」といった
戦果を報道しまくっていただろうから、これに乗らない手はない。
斬られ役ドイツ機を売るには、これ以上の環境はなかっただろうし、
さらに自国機にいたっては、「イギリスを救う航空機」として、
効果絶大であっただろう。
もっとも、消費者は地方へ疎開したり、爆撃で逃げ回ったり、
出征したりで、とてもプラモを買う余裕などなかったかもしれない。


ペンギンシリーズには、艦船もあった。
「ペンギン」という名称からくるイメージとしては
何かオモチャっぽいものを想像してしまうが、
実際はスケールモデルの基礎を築いた点が
スゴイと思う。
アイテムも陸海空と多方面に展開しており、
のちのレベル、モノグラムが行った路線の
先取りをしているところが、これまたスゴイ!

1948年







いにしえの広告・アットランダム




フロッグ取り扱い業者の広告。
ペンギンシリーズのスピットやメッサーのキット
内容がわかって、メチャ貴重。






軍事プロパガンダポスター風で、戦時下の印刷物というのがよくわかる。
ヒコーキ群のドまん中に、ドイツ機が描かれているのがオモシロい。










ペンギンシリーズのクルマもの広告。









カタログを見る人物が、イギリス軍兵士というのがその時代を物語る。
なお、カタログの下部にラインズ・ブラザーズ社という名称が見えるが、
これはフロッグ製品の製造元だ。フロッグというと会社名のように
思えてしまうが、ブランド名だったのだ。



















ドイツ機の垂直尾翼に、シッカリ描かれたカギ十字。
その後の欧米メーカーが、国民感情や諸外国に配慮して
ボックスアートやデカールからカギ十字を除外したのに
フロッグはかなりの年月寛容であり続けた。

次回の更新は、12月15日夜の予定です。


ペンギンシリーズの意外な事実が! フロッグ・ボックスアートギャラリー

2010年11月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦

列車は走り出した。
目的地もわからぬまま…


ベルリン市内でも、まだ爆撃の被害を受けていない
地区を通過した。
あまりに不思議な光景に、言葉も出なかった。
ベルリンは、瓦礫の街と化したのではなかったのか。




かつてパリに輸送したときは、特別仕様の装甲列車が使われた。
しかし、あの装甲列車は今はもうない。
ロシアのパルチザン狩りに投入され、情け無用の戦いを展開し、
そして敵の手に落ちた。
その装甲列車と乗員たちは、八つ裂きにされた。
生き残った者はいなかった。


「この暗号は何だ、クソッタレめ!」

通信兵は、総統司令部からの電文を呪った。
輸送列車の目的地は、キールを皮切りに、
ハンブルク、ヴィルヘルムスハーフェン、
ノルウェーのトロントハイムと二転三転し
しまいには何を血迷ったか、フランスのロリアンと
いってきたのだ。

ロリアン、フランス北西部の軍港だ。
わが軍が確保しているとはいえ、
連合軍に幾重にも包囲されている中を
どうやって突破しろというのか。

電文を受け取った指揮官は、
その場で破り捨てた。

つづく


ペンギンシリーズの意外な事実とは‥‥





ヒコーキだけだと思ってしまうが…

実は、ペンギンシリーズとは、
ヒコーキばかりではない!

ク、クルマだ!




お船もあったりして…















ペンギン、甦る!

世界最初のプラモデル、フロッグのペンギンシリーズは歴史の隅に埋もれて
しまったのだろうか…そんなことを考えると、夜も寝られなくなってしまう私だが、
プラモデルの世界はおもしろいもので、こうした古いキットを甦らせてくれる
奇特な会社が存在したりする。
マーリンモデルというメーカーが、これらの復刻版を発売していたことがある。
表示に「レプリカ」とあるので、オリジナルの金型を使用したものではなく、
現存しているパーツを型どりして、新たに金型を製作したのだろう。









さて…
プラモ登場前のフロッグカタログとは!

プラモデルが世に出る前のフロッグのカタログを
いくつか紹介してみよう。
当時の主流は、「空飛ぶヒコーキ」。
ゴム動力で、実際にプロペラを回転させて飛ぶものだ。
しかも、オモチャというよりは実機に似せた本格的スケール
モデル的なものが売られていた。


1932年

1932年のクリスマスプレゼントはコレだ!
…みたいなノリのカタログ。
「ハイグレードトイ」という文字が、高級感を
漂わせる。事実、当時のヨーロッパでは
模型飛行機を実際に飛ばして、その滞空時間を
競う国際大会が開催されていた。
とくにイギリスはこうした競技がさかんで、イギリス
模型協会主催の国際大会が、1928年からスタート
している。
模型飛行機といえども、オモチャとは違う次元の
ものだったのだ。

1933年


1935年



1936年


1937年

いよいよ「飛ばないヒコーキ」プラモデルが登場してくる。

1938年

この時代は、まだまだプラモよりゴム動力の模型飛行機が主役だった。
カタログの前半は、空飛ぶ模型飛行機のオンパレードだ。






今日的視点だとおそろしく地味なアイテムばかりだが、当時のイギリスではこれはこれで
けっこうメジャーな機体ばかりだといえ
る。
上段左から二番目のホーカー・ハートは、1930年から部隊配備が始まっているが
当時「戦闘機より速い爆撃機」として、世界の注目を浴びた。ちなみに、最高速度は
298km/h。


前にもご紹介したが、ヒコーキ周辺グッズがこの当時もうすでにリリースされて
いる。ある程度ヒコーキプラモがそろえば、今度は支援車両とかに目が向くのは
当然といえば当然だが、この時代に商品化しているということは、このフロッグと
いうメーカーは商品企画という点で、かなり画期的なことをしている。
あとは、周辺グッズを別売とするかプラモのオマケとするかが、企業としての
判断なのだろう。


紙面の中央に無尾翼機が見えるが、現代的なデザインに驚く。
飛行性能はどうだったのだろうか。気になるところだ。


専用のゴム巻き機が見える。私がこどものころは、指を使ってプロペラを
回してゴムを巻いたが、欧米人は合理的というか便利なものを発明して
いる。日本でも、専門店にはあったのだろうが、こどもが徘徊する駄菓子屋
には売っていなかったような気がする。

1939年


次回は、「バトル・オブ・ブリテン」が開始された1940年の
カタログをご紹介しよう。


次回のチラリズム





次回は、11月30日夜の更新予定です。