絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

ラクロス編『インストを楽しもう』

2008年07月02日 | プラモデル

                                                      
          
プラモデルやじ馬考古学
                                                                                                                         
                                                                                                            


「お前ら、聞け。
出だしの雰囲気はドイツっぽいが
ラクロスは、ドイツの兵器じゃねーゾ。
アメ公の兵器だってことを
忘れるな。
ジーク・ハイル!
  
ラクロス編『インストを楽しもう』      

 

インストには、ボックスアートの原画が掲載されています。
展開するミサイル部隊を、いい雰囲気で表現していますね。特に、トラック上でラクロスミサイルの発射準備をする兵士を描くことによって、絵に動きを与えています。この兵士は、なかなか重要な役割を果たしていますよ。ボックスアートのキーマンです。彼がいないと、絵がなんとなく間延びしたような印象を受けるのですから、不思議なものです。
 

懐かしいですね。
インストに掲載された広告を見ていると、今でも模型店の店頭で売られているかのような錯覚を覚えます。どんなアイテムがあったのかは、レッドストーンのインスト編で取り上げていますから、興味のある方はそちらもご覧くださいネ。
レッドストーン編No4(2006年8月22日付)参照 

ところで、インストの多くの部分をさいて掲載された広告ですが、これにはどんな事情があったのでしょうか。
たとえば、インストを手にしたあなたは、最初にどの部分から読みたいと思いますか。ラクロスの解説部分ですか?それとも、広告の部分ですか?
ここでの主役は、おそらくラクロスではなく、広告です。キットの完成写真がこれだけ掲載されていたら、思わず広告の方へ目がいってしまいます。
その中で、気に入ったキットがあったら、ショップへ直行して購入するか、または通販で手に入れようとするのではないでしょうか。
つまり、広告を出す以上は広告に掲載されたキットが、常時入手しやすい状態になっていなければ意味がないので、このラクロスが発売された1958年には、当然のことながら比較的入手することは容易だったのでしょう。
‥‥ということは、メーカー側ではキットを生産し、それらを流通ルートに乗せ、小売店へ供給するという一連の流れが、絶え間なく行われていなくてはなりません。少ないアイテムなら、これは可能でしょう。しかし、膨大な量のアイテムをかかえていたら、とてもできる話ではないでしょう。
タミヤのMMシリーズにしても、全シリーズを常時小売店に供給しているわけではありません。しかし、MMシリーズがスタートして、どんどんアイテムがふえていった成長期といいますか、拡大期には当時のレベル社と同様な全品品揃え的インスト広告がありました(ただ、レベル社のようなインストの多くの部分を広告にすることはありませんでしたが…)し、インストとは別に小冊子形式のミニカタログや一枚ペラ物の広告がついていることもありました。

レベル社も、この時期(1958年)はアイテムの拡大をしていた時期であったことがうかがえます。
この当時の全アイテム数は、正確な数は不明ですが、約100種類位はあったと思われます。これらを常時アメリカ国内に流通させ、かつ海外にも輸出することを考えると相当な生産数が必要とされます。
どうやって、供給していたのでしょう。
それは、現在の日本と同じように、生産コストの低い外国で生産させるという方法でした。その外国というのが、当時の日本だったのです。
くらじたかし著『マルサンーブルマァクの仕事(文春文庫)』(九九~一〇〇頁)によると、1960年以前から、金型の製作とプラモデルの成型は日本で行われていた(どのプラモが該当するのかは、不明)、という記述があります。成型は大阪と岐阜の業者が行い、それをアメリカへ輸出していたそうです。
そういえば、ハスブロのGIジョーも人形本体はアメリカ製でしたが、服や装備品類は日本製でした。子供の頃、これらの装備品セットのパッケージに印刷されたMade in Japan という文字を見て、非常に不思議な感じがしました。GIジョーは、装備品類を含めて、すべてがアメリカ製だと思っていたわけですから。




軍用トラックものの魅力のひとつに、メカニカルな足回りの再現というものがあります。戦車と違い、動力伝達系やサスペンションなどがむき出しのため、メカの集合体的雰囲気をいかに再現するかが、プラモメーカーの腕の見せどころです。

このキットもパーツを一体化するなど極力パーツを少なくし、作りやすさを追求しつつも、足回りなどをシッカリ作り込んでおり、古いキットながら現在のプラモと比較しても、それほど遜色はありません。基本的な作りは、しっかりしています。
おそらく、現代のプラモメーカーがラクロスを1/40スケールで新規モデル化した場合でも、パーツ構成はレベル社のものといくらも変わらないでしょう。

それから、インストではフロントガラスを、運転席の窓枠に取り付けるように指示が出されていますが、これもこの時代としては画期的なことです。フロントガラス自体は、単なる塩ビ板なのですが、リアリティという点では、やはり有るのと無いとでは雲泥の差があります。ラクロスよりさらに古い同社の自動車キットですと、フロントガラスが最初から省略されており、非常に風通しのよい(?)ものになっています。
ラクロスの場合、スケールモデルとしての強い意識が、フロントガラスの再現をさせたのでしょう(本来であれば、手を抜こうと思えばできる部分ですから)。




これも、注目すべきはドア部分の窓ガラスです。
塩ビ板ながら、ガラス部分がしっかり再現されており、レベル社の意欲の高さがビンビン伝わってきます。ここだって、手を抜こうと思えばいくらでもできる部分ですから。こうした細かいところも、しっかり作り込んでいくところが、レベル社なんですね。



いよいよ、完成間近です。
こうやってみると、実車もM35トラックの荷台部分を改造して、発射装置を装備させたことがよくわかります。
既存の車両を改造することで、開発費を安く抑えることができますし、メンテナンスの面からも経済的です。
レベル社のキットも、M35トラックとラクロスの双方に、同じ車体を使用し、共用化しています。

トラックの荷台に大きな鉄板を敷き、ミサイルの点検・整備に必要な足場をシッカリ確保しているところは、なかなか優れた設計だと思います。足場となる鉄板は平面で統一され、余計な凹凸などもありません。同時期のオネストジョン前期型ランチャーに比較すると、それがよくわかります。作業中の兵士が転落するのを防ぐことで、労災防止に貢献したわけです。
作業の安全性というのは、一見地味ですがきわめて重要なことです。兵士の転落事故が続けば、ミサイル部隊の戦力を低下させることになりますし、医療部隊の負担を増大させることにもなります。
労災事故防止のため、ランチャーの設計者がどれだけ知恵をしぼったのか、このインストを見れば、一目瞭然です。

参考 オネストジョン前期型ランチャー

出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
         MGR-1 オネストジョン

オネストジョン後期型ランチャー

出典 同上

オネストジョンの写真を見るとわかるように、ミサイルの点検・整備の足場として見た場合、トラック上もラクロスのように整然と整備されていないので、作業性も悪そうですね。
後期型ランチャーになると、だいぶ改善はされていますが、それでもラクロスには及びません。

次回のチラリズム
                                                   

                                                   

ラクロスのパーツを楽しもう

ナント、1950年代の雰囲気タップリのミサイルではないですか!
ジェット機を思わせる、この大きな後退翼。
しかも、ミサイル本体の色はこの時代の定番である白ですよ。
現代のようなオリーブドラブ一色、または迷彩塗装では殺伐としています。
やっぱ、ミサイルは白がいいですよ。

オマケ

やじ馬考古学・スタッフ紹介
 


ブラウンシュバイク

やじ馬大学警備主任

経歴

元ドイツ国防軍兵士。
独ソ戦時、モスクワの最前線で戦う。
数々の勲功により、騎士鉄十字章授与対象者となるも、
戦乱により、当該勲章が行方不明となり、
実際授与されることはなかった。
猛吹雪の際、部隊からはぐれ、シベリアにたどり着く。
シベリアの山林でゲリラ戦を展開し、ドイツ敗戦の事実も
知ることなく、戦後もゲリラとして戦う。
近年、空腹のため民家に侵入した際、これに気づいた住民の

通報により、地元警察に逮捕され、ドイツに強制送還される。
その後、世界各地を放浪する。
空腹のため、やじ馬大学オイゲン研究室に侵入するも
これに気づいたオイゲン教授に保護され、同大学の警備主任
として今日に至る。
常時フリッツタイプのヘルメットを着用。
本人の弁によれば、当該ヘルメット着用はドイツ国防軍の兵士
であったことを誇りに思っているため、と称しているが、
実際はハゲ頭を隠すため、というのがもっぱらの噂である。

                                 以上