絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

自由研究脱線編:リンカーン・フューチュラの巻2

2006年09月25日 | プラモデル

『リンカーン フューチュラ』のつづき  組立図編



組立図を見ると、オヤッ?という箇所がありました。
中央右下の部分ですが、「ディスプレーモデルのためのご提案」というタイトルで、
わざわざイラストまでつけて、どのような場所に飾ったらよいのか、説明をしています。
たとえば‥‥

ブックエンドの飾りとして‥‥

会話の場における気のきいた置物として‥‥

テレビの上やテ-ブル脇の飾りとして‥‥


これは、フューチュラのもつその特異なスタイルを、モデラーに十分堪能してもらいたいためのサービスの一種なのでしょうか。

たしかに、1955年の自動車ショーでは、話題をさらったクルマには間違いないでしょう。クルマ好きのモデラーなら、当然プラモデルがあればいいな、と思うでしょうし、
こうした需要を、プラモデルメーカーも見逃すわけはありません。
モデル化するにあたりフォード社から、図面等の資料提供はあったと考えられますので、その際の取引で資料を提供するかわりに、何らかの形でフューチュラの存在を世に広く知らしめるよう、レベル社に依頼があったのでしょうか。
今でいう関連グッズ商法の一環だったのでしょうか。
でも、もしそうした意図があったとしたら、上記の文言だけでは、宣伝としてはあまりに弱いですよね。

そうでなければ、タイトルの原題「SUGGESTIONS FOR DISPLAY MODELS」の
MODELS(複数形)に着目して、一般論としてディスプレーモデルの展示方法のあり方を書いたということなのでしょうか。
でも、今日的感覚からすれば、メーカーがわざわざ「ブックエンドの飾りにいいですよ」と、展示方法を提案するでしょうか。

これは、あくまで仮説ですが、1956年当時アメリカのプラモデルは、オモチャ的要素をもった動くプラモデル、もしくは動かないながらも本格的ディスプレーモデルになりきれていないプラモデルから、本格的ディスプレーモデルへの過渡期であった、ということは考えられないでしょうか。
この当時、レベルではモーターライズの艦船キットを出していましたし、クルマのディスプレーモデルでありながら、フロントガラス等の透明パーツがなく、きわめて風通しのよい(?)キットもありました。
こうしたプラモデルとは一線を画す、本格的ディスプレーモデルへの脱却が、この頃行われたのではないか、という推測ができます。
ただ、モデラーに対してディスプレーモデルがいかなるものか周知徹底されていないため、メーカー主導の提案がされたのではないでしょうか。

日本でも、本格的ディスプレーモデルへの脱却は、メーカー主導で行われました。
タミヤがMMシリーズを展開し始めた時、初代シュビムワーゲンやキューベルワーゲンなど、動かない軍用車両のプラモデルなど売れない、という問屋さんの反対があったと聞いています。
でも、タミヤでは戦車以外の支援車両や大砲、兵士なども多くリリースし、タミヤニュースでジオラマの作り方を指導し、「これだけは作ろう」のコーナーでは、スクラッチビルドの方法を教え、新しい楽しみ方をドンドン提案していきましたし、また、「パチ」や「人形改造コンテスト」に代表されるような、モデラーが参加して楽しめる方法も、積極的に展開していきました。
一方のレベルでは、どんな展開をしていたのでしょうか。
興味あるところです。

組立図の左側には、側面ボックスアートと同じ絵が、しっかりと並んでいます。
絵に描かれた男女がとてもハッピーそうで、クルマがあると豊かなアメリカンライフが
エンジョイできますヨ、プラモデルといわず、ホンモノも買いましょうよ、なんて問いかけてきそうです。
これらハッピーな絵の頂点が、アメ車の象徴であるフューチュラの絵につながるのでしょうね。

ところで、この組立図のいちばん左下に、また気になるものがありました。

「Copyright 1956 by Revell AMT , Inc.」

この「AMT」とは、なんでしょうか。
そうです、自動車プラモデルの老舗、あのAMTなのです。
べつに合併していたわけではなく、当時レベルではAMTと提携してプラモデルの販売を行っていたのです。

AMTの正式名称を、ご存知ですか。
正式には「アルミニウム モデル トイズ」といい、1948年金属製の自動車玩具メーカーとして、ミシガンに設立されました(アルミニウム玩具が会社名だとは!ダイレクトで、いかにもアメリカ的)。
その後、プラモデルを手がけるようになり、自動車専門のプラモデルメーカーとして、その地位を築いていくことになります。。
そんなわけで、じつは組立図に紹介されていたアメ車キットは、当時レベル・AMT提携品として販売されていたものなのです。
6車のイラストの下に、オートラマ・ギフト・セットが紹介されていますが、そのキットのパッケージのレベル社商標の右隣に、AMTの商標が載せられています(チョッと、わかりにくいかナ)。
この提携は、1956年から1959年にかけて行われており、それ以降は解消されているようです。


オートラマ・ギフト・セットは、コンチネンタルMKⅡ、フォード・フェアレーン、ビュイック・リビエラ、クライスラー・ニューヨーカーの4キット入で、他に塗料6色と接着剤がオマケでついている豪華なセットです。
完成キットの写真を見ると、フォード・ファアレーンとビュイック・リビエラのボンネットが開いているので、エンジン部分もちゃんと搭載されているのでしょう。
こうしたギフトセットは、クリスマス商戦に合わせて発売されることが多かったようです(例外もありますが)。

                                                 完



「チワ~、

次回も、フューチュラの続きをやるっス。

ホント、下っパは大変なんスから。アンタも手伝ってチョ」






ハニー  「ハ~イ、ハニーよ

       ネェ、聞いて。

       この次は、わたしたちの出番よ。

       興奮しちゃうわ。

       そうでしょ、ダーリン」

ダーリン  「‥‥‥」



自由研究脱線編:リンカーン・フューチュラの巻

2006年09月19日 | プラモデル

今回の発掘品は『KIT No.H1270 リンカーン フューチュラ 1956年製』です。



なんて独創的なスタイルなのでしょう。

ジェット戦闘機をイメージさせる、バブルタイプの風防。
垂直尾翼をイメージさせる、ピンと張った後部の大型フィン。
ジェリーアンダーソンのスーパーマリオネット作品「スーパーカー」(かなり古いけど、ご存じですか)をイメージさせる、流線型のボディ。
リンカーン フューチュラは、まさにクルマと航空機の融合だったのです。

このフューチュラは、1955年の自動車ショー・モトラマで、フォードのドリームカー(今日的な言い方では、コンセプトカーかな)として、華々しくデビューしました。
V-8エンジンという強心臓をもち、変速機もオートマチックでした。
今の日本では、乗用車のほとんどがオートマチックで、商用車やトラックでもオートマチックは珍しくなくなりましたが、1955年の時点でこのようなメカを装備していたのは、さすが自動車大国のアメリカです。
この時代のアメリカ自動車業界は、まさに黄金時代で、装甲車のような巨大で頑丈なボディーに、クロームメッキキンキラキンのゴツいバンパーを取り付け、さらにヒコーキの垂直尾翼を思わせるデカいテールフィンを取り付けて、これでもかこれでもかという超ド派手なデザインのクルマを、次から次へと生み出していました。

その頃の日本はどうかというと、高度経済成長がスタートしたばかりで、庶民がマイカーを手にするのは、まだ先の話でした。
クルマもオート3輪車(ミゼットなんて、なつかしい。でも、今のミゼットとは別物です)などの商用車が多くて、乗用車だと少し遅れてスバル360(1958年発売の、あのテントウムシです)が比較的多く見かけるようになりましたっけ。
私が幼稚園、小学校低学年の時、友だちの家でマイカーがあったところは、やはり親が会社経営をするとか、商売をしているとかで、割と金持ちのところが多かったですね。でも、さすがに外車(外車=アメ車の時代です)を持っているところはなかったです。
アメ車というと、近所の開業医が一台所有していたので、他を圧倒するような巨大なクルマに乗って、往診に出かける姿(看護婦さん同伴‥‥今なら看護師と呼ぶのでしょうが‥‥)を、時おり見かけたものです。高い往診料をとったのでしょうね(関係ないけど)。
一般家庭では、電化製品を中心とした耐久消費財が普及しだしたのもこの頃で、「三種の神器」、つまり白黒テレビ(当時テレビは超貴重品で、駅前の広場に設置された街頭テレビは、いつも黒山の人だかりでした)、電気冷蔵庫(わざわざ電気と謳っているところがミソで、それまでは木製の冷蔵庫の中に氷を入れて冷やしてました。氷だって、氷屋まで買いに行ってましたヨ)、電気洗濯機(これも電気というのがミソで、当時はデカいタライに洗濯板を入れて、手でゴシゴシ洗っていました)が、超目玉商品でした。
ちなみに、1960年代後半になると「新三種の神器」で、ようやくクルマの名前がでてきます。他にクーラー、カラーテレビが、当時の目玉商品というわけです。

またまた話が脱線してしまいましたが、このフューチュラは、ドリームカーとしてデビュー後、1959年公開のラブコメディ映画「It Started With a Kiss」に登場し、さらにその後意外
なところで活躍していました。
テレビ放映版「バットマン」の、バットモービルとしての登場です(この事実を知ったのは、かなり後でした)。
バットマンとロビンが悪人退治のために、バットモービルに乗って秘密基地から出動するシーンが好きで、毎回かかさず見ていました。車体後部の噴射口から炎を噴出して、ドヒューン!とスタートする姿は、カッコよかった!!
私の脳裏には、フューチュラ版バットモービルの姿が焼き付いているので、1990年代に公開された劇場版に登場するバットモービルを見て、あれは本当のバットモービルじゃない!‥‥と勝手に怒っておりました。


ボックスアートを見ていきます。

この絵に、1950年代なかばのアメリカが凝縮されています。
豊かなアメリカ、ハッピーなアメリカ、ビッグなアメリカ、輝くアメリカ、ゴージャスなアメリカ、そして、ナンバーワンのアメリカ‥‥。
当時のアメリカンライフが、うかがい知れます。
それに、ふたりの笑顔を見てください。なんてハッピーなんでしょう!
リッチなダンナとセレブな奥サマは、これから豪華なディナーへ行くのでしょうか。
‥‥そんなことを、連想させる絵です。
この作品は、当時レベルのアートディレクターをしていたRichard Kishady氏の作で、キラキラと輝く、ゴージャスで光沢感のあるフューチュラのボディを見事に再現しています。
さらによく見ると、リンカーンとかフューチュラとかのロゴや、エンブレムも手書きのような印象を受けます。もし、これが本当に手書きであるとするならば、なんと暖かみのある絵なのでしょうか。
原画は、ロゴ等が描かれていないので、おそらく別途ロゴ、エンブレムを個別に作成し、印刷用版下作成時に組み合わせたのでしょう。




側面ボックスアートです。この絵も、アメ車好きにはこたえられない絵ではないでしょうか。
左からキャデラック・エルドラド、フォード・フェアレーン、リンカーン・コンチネンタルMKⅡで、キャデラックとリンカーンがJ
ack Leynnwood氏の作、フォードがKishady氏の作となっています。
アメリカ自動車業界の1956年の出来事としては、リンカーンがフルモデルチェンジをしており、1948年型の発売以来、生産が中止されていたコンチネンタルを、MKⅡとしてリバイバルした年でもありました(当然、話題の中心はコレです)。
ですから、コンチネンタルのリリースは、レベルにとってまさに時流に乗ったすばやいものだったのですネ。いつの時代でも、プラモデルメーカーは流行に敏感です。
ちなみに、実車のお値段ですが、2ドア・スポーツクーペで9、970ドル(当時)。
今なら、どれくらいの金額なのでしょうか。

 

 

左から、ビュイック・リビエラ、クライスラー・ニューヨーカー、マーキュリーで、ビュイックとニューヨーカーがkishady氏の作、マーキュリーがLeynnwood氏の作となっています。
どれを見ても、豊かなアメリカを象徴するようなクルマばかりです。

ここで問題です。画像がよくないので、チョッとわかりにくいかもしれませんが、上記6車で、デザイン上共通している点がありますが、それは、何でしょうか。
わかりますか。じつは、ヘッドライトがどれも2灯式、つまり二つ目だということです。
ナンだ、そんなことかと思われるかもしれませんが、アメリカ車の主要1958年モデルからは、4灯式、四つ目になりました。これはアメリカ車のデザイン史上画期的なことだったのです。これによって、二つ目が一挙にすたれてしまったのですから…
1957年モデルでは一部の車種で四つ目が採用されていましたが、見た目のカッコよさから1958年モデルからはほとんどの車種が四つ目となっています。、この時点で二つ目の乗用車は、とうとう消滅してしまったのです。。
トリビアではありませんが、第二次大戦後の古いアメ車(乗用車)は、ヘッドライトの数で1958年モデルより前か、後かがわかる‥‥というわけです。
また、航空機の垂直尾翼みたいなテイルフィンが 、流行りだしたのもこの頃でした。
                                        
                                                 完

 「貴様かァ!!
前回のブログで、オレの腹が出ているだ、
ガ二股だとかぬかしたヤツは。
銃殺だ!」

「いいか、死人ども。
次回も、フューチュラの続きをやる。
しっかり、予習をしてこい。
わかったな!
復唱ッ!!」

 ※ダーリンの当惑の原因究明は、パーツ編で行います。 
  スミマセン。

 

 


号外! ハニーからの オ・シ・ラ・セ ジュピターCが入荷したの

2006年09月08日 | プラモデル

「ハ~イ、ハニーよ

チョッと、聞いて。
今日ね、スマイリーさんのホビーショップへ行ったのよ。
そうしたら、ドイツレベル創業50周年記念のキットが置いてあったの。
ジュピターCとか、105mm榴弾砲、B47、R3Yトレードウインド、ボーイングSST、機内のインテリアが再現されたジャンボジェット、誘導ミサイル艦セットがあったわ。
すごいじゃないの。発売当時のパッケージなので、とっても懐かしかったの。
でもね、誘導ミサイル艦セットのボックスアートを見て、ビックリ。
だって、絵が修正されているんだもの。
オリジナルの絵は、ミサイル発射実験艦ノートンサウンドが描かれていたのに、今回は水上機母艦のカリタックの絵になっているのよ。
カリタックの絵をよ~く見ると、艦首部分と艦尾飛行甲板部分を描き直したのがわかるの。ノートンサウンドの金型は、どうなっちゃったのかしら?ヤ~ネェ。

とにかく、記念キットがほしいお坊っちゃまは、輸入キットを扱っているショップへ、すぐ問い合わせをしてね。売り切れて、アレほしかったのに‥‥なんて、ダダをこねちゃ、イヤ。
そうでしょ。
ネェったら、ダーリン、聞いてるの!


レッドストーン編No7「パーツを楽しむ:個性ある人形たち」

2006年09月07日 | プラモデル




7時限目:テーマ「パーツを楽しむ:個性ある人形たち」


このキットには、人形(今は、フィギュアといわないと笑われる?)が3体付属しています。スケールが1/110なので、かなり小さいものになりますが、よく見るとけっこうリアルにできています。
動きが自然で、大変生き生きとしています。これは、原型師の腕が相当よかったことと、原型を忠実に再現する高度な技術があったからなのでしょう。
さらには、レベルのスタッフたちは、プラモ開発そのものをとても楽しんでいるようにも見えます。その表れが、「個性ある人形たち」なのです。
3体を拡大してみましょう(ピンボケ写真でゴメンナサイ)。





中央の人形は、チョッと太めだと思いませんか。
これは金型の製作ミスではありません。わざと肥満体に作ってあるのです。
それも、下腹が出た中年太りのオジサン(古参の軍曹ドノか?)を忠実に再現してあるのです。
私は笑ってしまいました。いかにも、アメリカ的。ユーモアのセンスというのでしょうか。

太めのオジサンは、レッドストーンの人形ばかりではありません。
たとえば、同社タロスのキットに付属している人形もそうです。
これも3体のうち、1体は胴体が太めになっており、若い頃は足も長くてスマートだったのに、中年になったら胴体にぜい肉がついてしまった、かわいそうな海軍士官のオジサンを見事にモデル化しています。

中年太りのオジサンは、スナップのキットにも登場します。
ちなみに、スナップとは当時のレベルの開発スタッフが、後年独立して立ち上げたプラモデルメーカーのことで、1/40スケールの米軍ミリタリーキットをシリーズで発売していました。
ジープ、アトミックキャノン(原子砲)withトランスポーター、M40、155ミリカノン砲(ロングトム)&M4トラクター、M20、105ミリ榴弾砲、120ミリ高射砲、GIソルジャー、LVT、YH41(ヘリコプター)、オネストジョン、ホークミサイルバッテリー、ホークミサイルキャリアで、出来はレベル時代よりさらに磨きがかかり、ミリタリーキットの最高峰に君臨していました。
しかし、新興企業であったためか、惜しくも倒産してしまいました。金型は、アダムス、ライフライクへと移り、これらのブランド名で、一時期日本にもキットが入荷したこともありましたが、その後これらのメーカーも倒産したらしく、噂を聞きません。金型も、どうなってしまったのでしょうか。

話が脱線してしまいましたが、例のオジサンはM40に付属しています。
人形は、全部で4体。砲員の装填作業を、そのままモデル化しています。
4人の中で、イチバン怖そうなオジサンは、ガ二股で下腹が出た、典型的な古参軍曹イメージで、なにやらガミガミ怒鳴っている様子です。部下がモタモタ作業をしているのを、怒っているのでしょうか。一方で、重い薬嚢をかかえて歩く下っ端の兵隊の編上靴を見ると、ヒモがはずされて、いかにもだらしない格好です。おそらく、この「たるんだ」状態が、オジサンの逆鱗に触れたのかもしれません‥‥などと、ストーリーを想像することができますし、いろいろな会話も聞こえてきそうです。

レベルにしろ、スナップにしろ、それぞれの人形には個性がありユーモアがあり、そこには人形同士の会話があります。しかも、その場の雰囲気はとても自然であり、人形を見ているだけで楽しくなります。やはり、これはアメリカ人のセンスというか、感覚なのでしょうね。
日本人感覚だと、兵隊の人形というのは、生真面目でキチンとしたものというイメージですよネ。
そういえば、タミヤの新作シュビムワーゲンのドイツ兵は、かなりラフな格好でビックリしましたが、レベル等の人形と比較すると、チョッとぎこちないラフさだな、って感じです。

旧開発スタッフのスナップ立ち上げを境に、レベルのプラモの作風が劇的に変化します。これは、ある意味で1950年代後半から続いてきた「古き良き時代のアメリカ的要素を持ち続けたレベル」からの決別であったのかもしれません。


次回のテーマは、自由研究脱線編としてリンカーン・フューチュラを取り上げます。
エッ! クルマなの?と思われるかもしれませんが、翼を取り付けたら、そのままジェット機になるようなスタイルはとても気に入っており、やってみたいと思います(時々、脱線しますので、どうかお許しください)。



‥‥あのー‥‥ス、スイマセン、忘れていました。ダーリンとハニーが皆さんに、ご挨拶をしたいそうです。

それでは、あらためて紹介いたします。
リンカーン・フューチュラのオーナー、ダーリン&ハニー夫妻です。ヨロシク!






「ハ~イ、ハニーよ。
チョッと、聞いて。私たちのクルマが、ブログに載るんですって。
スゴイじゃないの。
なんでも、プリンツ・オイゲン2世という方が、取材に来てくださるんだけど、
ドイツ陸軍の情報将校さんですってよ。
カッコいいわね。
私も、ウンとオメカシしなくちゃ。
ねェ、ダーリン。聞いてるの。
きのう、ニューヨークで買ったこのお洋服なんだけど、すごく気に入っているの。
わざわざドイツから、お客様がいらっしゃるのよ。
このお洋服で、おもてなしして、いいかしら?」







「‥‥ハ、ハニー。
キミは、とってもステキだよ。
‥‥でも、そのスタイルは‥‥チョッと‥‥
‥‥なんというか‥‥
お客様に失礼があってはいけないから‥‥


ダーリンの当惑の原因は?
次回、判明します。お楽しみに