絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

アメリカプラモ創成期のメーカー・ストロンベッカー

2011年07月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦




「全速で、突っ込め」


「最後尾列車の連結器をはずせ!
 急げ!」


「機関車を後退させろ。いま、すぐだ!」




「急制動!!


KiKiKiKiiiiiiiiiiiii!!!!


つづく



ディズニーとのコラボ
ストロンベッカー、宇宙を行く
ボックスアート美術館

1955年3月9日夜、
全米は衝撃を受けた
Disney
この日、アメリカの人気テレビ番組『ディズニーランド』で
画期的な作品が公開された。
科学技術の革新的進歩を踏まえ、人類の宇宙開発を
正面から取り組んだ科学番組『MAN IN SPACE』が、
それで
あった。
この番組は、荒唐無稽のSFものではなく、当時の
科学技術力で宇宙開発が実現可能なことを、米国民に
提示したものであった。

Disney

Disney

Disney

この番組の反響は、大変大きなものであった。
いままで、夢物語として語られてきた宇宙旅行が
まさに現実のものになろうとしているという内容
なのだから、当然である。

模型メーカーも、商機を逃すなとばかりに
タイアップ商品発売に動き出す。
そのなかに、ストロンベッカーという会社があった。


このメーカーは、日本ではあまり知られていないが、
アメリカのプラモ創成期において忘れることが
できない。

もともとは、ソリッドモデルの専門メーカーであったが、
プラモデルが世の中に広まってくると、その波に乗り遅れては
ならずと、プラモに転身を図った。

多くのアイテムが存在するが、そのなかでイチバンの目玉は
ウォルト・ディズニーの宇宙船関連商品だろう。
下記の同社広告を見てほしい。


なんとも古色蒼然としたものばかりだが、広告の中央に
驚くべき記載がある。
「ドクター・ウエルナー・フォン・ブラウンのデザインによる」と…
あの天才的ロケット工学者で、ドイツのV-2ミサイルの生みの親で
WWⅡ後アメリカに渡り、アメリカ最初の人工衛星打ち上げを
成功させ、アポロ計画の中心的役割を果たした、あのフォン・ブラウンの
ことである。

ここに登場する宇宙船等は、単なる空想科学の産物ではなく、当時の
科学技術に基づいてデザインされた「現実味」のあるアイテムばかり
なのだ。





多段ロケットで先端の
シャトルを打ち上げ、
任務完了後シャトルは
滑空し地上へ戻るしくみに
なっている。

これは、今日のスペースシャトルと
同じ方法だ。

Disney

Disney


こちらは、多段ロケットで人工衛星を打ち上げるタイプ。
ロケットのデザインはレトロだが、基本的には現代の
人工衛星打ち上げと変わらない。




アメリカのグラフ雑誌「ライフ」1957年11月18日号の
巻頭を堂々と飾ったフォン・ブラウンと宇宙船。
ディズニーのテレビ映画やライフ誌によって、
当時この宇宙船は相当メジャーな存在だったことがわかる。

なお、この雑誌発売の1ヶ月以上前の10月4日、当時の
ソ連は人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功しており、
アメリカの面子は丸つぶれの状態だった。
12月6日、アメリカ期待のヴァンガードロケットは打ち上げに
失敗。フォン・ブラウンらが開発したジュピターCロケットで、
ようやく人工衛星打ち上げに成功するのは、それからさらに
先の翌年1月31日のことであった。

Disney



Wikipedia
アメリカのディズニーランドに展示されるロケット。
もちろん、実際に飛ぶわけではないが…


これもフォン・ブラウンがデザインした。
この形が基本モデルとして世間一般に浸透し、
宇宙ステーションといえば、車輪型という
イメージが長い間定着することとなる。

Disney

YouTubeで見つけた上記宇宙ステーション映像。
ディズニーのテレビ番組の映像を使って、映画『2001年宇宙の旅』の
有名な冒頭の部分を、1950年代バージョンとして編集している。
http://www.youtube.com/watch?v=bbUGT--UfJE&feature=fvsr

Disney
後ろにプラモのモデルとなった宇宙ステーションが見える。
割と大きい。
ウォルト・ディズニーと番組制作科学スタッフの写真。
左側から、フォン・ブラウン、ウイリー・レイ、ウォルト・
ディズニー、
ハインツ・ハーバー。

フォン・ブラウンは、当時ロケット工学の最高権威なので
科学スタッフに選ばれるのは当然だろう。
また、彼自身宇宙旅行の実現には国民の
支持が必要不可欠と考えており、ディズニーの番組制作に
積極的に参加した。

科学ライターのウイリー・レイは、一般大衆にもわかりやすい
文章で宇宙飛行に関する記事を提供し、絶大な人気を誇っていた。
彼もまたドイツ生まれであり、戦前はフォン・ブラウンも所属していた
ロケット愛好民間団体「宇宙旅行協会」のメンバーでもあった。
その後ナチス政権を嫌い、アメリカに渡り宇宙開発の啓蒙に
努めてきた。

三人目は、これまたドイツ生まれの物理学者ハインツ・ハーバー。
彼は第二次世界大戦前からドイツ空軍の高々度フライト研究に
従事していた。戦後は、アメリカで引き続き研究を行った。
地球上で無重力状態を作り出すため、航空機を急降下させる
方法は彼が発案したものだ。

『MAN IN SPACE』を始めとしたディズニーの
宇宙開発ものテレビ番組の主要科学スタッフは、
ドイツ系で占められていたのは、驚くべき話だ。

なお、ウイリー・レイは後年モノグラム・宇宙船プラモの
科学スタッフとして参加しており、これらのキットは
日本でも発売されていた。

参考資料








Disney

なつかしいテレビ番組「ディズニーランド」オープニング。
このモノクロ放送を流していた当時、まだ東京ディズニーリゾートはなく、
海辺と小さな漁村があるだけだった。
http://www.youtube.com/watch?v=3JJ9Ei-2C5Y&feature=related

番組の冒頭、毎回ウォルト・ディズニー本人が登場して、解説をしていたのが
記憶に残る。小山田宗徳の吹き替えも良かった。
http://www.youtube.com/watch?v=_4WfP-foY6s&feature=related

フォン・ブラウンが監修を担当したディズニー制作『MAN IN SPACE』
冒頭のロケットの歴史がオモシロい。その他、V2や初期のアメリカ・ロケットが登場。
http://www.youtube.com/watch?v=ZWJrvT9sTPk&playnext=1&list=PLF84D0E603E567B03

ディズニー制作の科学番組『Man and the Moon』
フォン・ブラウン自らが宇宙船の解説をしている映像が貴重だ。
http://www.youtube.com/watch?v=ybijd-z3J2I

『Man and the Moon 』 当時フォン・ブラウンが考えていた
ロケットや宇宙ステーション
が登場する。
http://www.youtube.com/watch?v=nY34CvNQ3hQ

ディズニーの科学番組は、
これだけでは終わらなかった。
1956年、アメリカのマンガ雑誌「デルコミックス」に
放送内容が掲載された。



















『MAN IN SPACE』収録のDVD。

番外編ディズニーもの以外の…
なつかしの車輪型宇宙ステーション


映画の冒頭、ナゾの円盤に攻撃されて撃破されてしまう
斬られ役として登場している。

http://www.youtube.com/watch?v=YdZv-uhNFIQ&feature=related

上のポスターを見ると、ハロルド・コンウェイの名前が
ある。当時の東宝映画によく脇役で登場していた
一見アインシュタイン風の蝶ネクタイがよく似合う
オジサンで、たどたどしい日本語をしゃべっていたのが
なつかしく思い出される…チョッと脱線……



映画『2001年宇宙の旅』
この驚異的な特撮技術は、
いま見ても古さをまったく感じさせない。
http://www.youtube.com/watch?v=bUwCkKIYY80&feature=related

過去のSF映画で、宇宙ステーションといえば
車輪型と相場がきまっていた。
だから、現代のホンモノ宇宙ステーションが
車輪型をしていないのは、すごく違和感を
感じてしまう。
科学の進歩についていけない自分が
原因だが、子どものころに刷り込まれた
イメージというのは、なかなか払拭されない。

オイッ
フォン・ブラウンだけがロケット工学者じゃないゾ?

コンベア社の作品例



パッケージにKRAFFT EHRICKEのデザインによる…という表示があるが、
どんな人物なのだろうか。
じつは、フォン・ブラウンと同様にドイツ生まれのロケット工学者で、
戦後アメリカに渡り、ロケットの開発に従事した。
その後、コンベア社でアメリカ最初のICBMアトラスの開発に参加
するなど、同社のブレーンとして活躍した。
いわばコンベア社の看板技術者なのだが、日本ではまったく知られて
いない。ただ、当時のアメリカではフォン・ブラウン的ドイツ人技術者の
相当多数が、航空機・宇宙関連産業で活躍していた。

Wikipedia


グレンコモデルで、めでたく復活

ストロンベッカー消滅後は、永らく
姿を消していたが、その後
グレンコモデルで再販された。

日本へも輸入されて、わりと
あちこちの模型店で見られたが、
多くの人は「何じゃ、コレは?」と
思ったかもしれない。
日本では、相当なマニアでないと
なかなか手を出さないアイテムだ。







デルタ翼の宇宙船も描かれているが、
これも同時期にフォン・ブラウンがデザインした
スペースシャトルだ。


前々回のブログで、この宇宙ステーションは
元リンドバーグ製としたが、ストロンベッカーの
ものだった。訂正します。
※前々回の文章は、削除済です。


KRAFFT EHRICKEの作品が、グレンコで復活。
明らかにフォン・ブラウン系の宇宙船デザインとは
一線を画す設計になっているのがわかる。

なつかしの
アメリカ・SFテレビドラマ

Wikipedia

テレビSFドラマ『トワイライト・ゾーン』オープニング
日本では、1960年から1967年にかけて
日本テレビで『未知の世界』、TBSで『ミステリー・ゾーン』の
タイトルで放送していた。
http://www.youtube.com/watch?v=NzlG28B-R8Y

Wikipedia

テレビSFドラマ『アウターリミッツ』オープニング
テレビが故障したかのような映像が印象的。
「これはあなたのテレビが故障しているのではありません」という
オジサンの声が不気味。
子どもが見るには、チョッと恐いような話が多かったように思う。
日本では、NET(現テレビ朝日)が放送していた。
http://www.youtube.com/watch?v=8CtjhWhw2I8&feature=related

『アウターリミッツ』に登場した宇宙人、ヘンテコ生物、その他いろいろ。
リアルなものから笑えるものまで、一挙公開。

http://www.youtube.com/watch?v=bUdmat1Env8&feature=related

『アウターリミッツ』登場の宇宙人、ヘンテコ生物、その他いろいろパート2。
http://www.youtube.com/watch?v=6b5OfJG5puE&feature=related





宇宙人による地球侵略を描いたテレビドラマ『インベーダー』オープニング。
このドラマには、怪獣やキモい宇宙人は登場しない。
インベーダーとはいえ、見た目はフツーの人間なのだ。
でも、主人公が味方だと思っていた人物が、じつはインベーダーだったとか、
街の住人の多くが知らないうちに、インベーダーとすり替わっていたりとか、
誰が敵なのか味方なのか、ドラマを最後まで見ないとわからないという
混沌とした不安というか恐怖が感じられて、オモシロかった。
http://www.youtube.com/watch?v=uOLGrXOtuwQ&feature=related

本邦初公開(…多分)!
ストロンベッカーのソリッドモデルキットを中心に
ご紹介。








スカイロケットD558-2実機映像(音声なし)
http://www.youtube.com/watch?v=zZyAzeiEHXI


スカイロケットに関する著作としては、当時ダグラス社の
テストパイロットだったビル・ブリッジマンの「超音速
パイロット」がある。日本では、あかね書房の少年少女
20世紀の記録シリーズに収められていた。私が、
小学校低学年のころ、学校の図書館にこの本が置いて
あったのだが、誰も読まなかったので私が独占状態で
借りまくっていた。

Wikipedia













































ミサイルモデル2種は、形が単純なのでソリッドモデル入門用として
いいかもしれない。















































































ソリッドモデルの思い出

私がソリッドモデルに出会ったのは、小学校の2~3年生のころ。
当時は、すでにプラモデルが普及しており、マルサン全盛の時代だった。
需要が激減したソリッドモデルキットは、模型店の片隅の追いやられ
ホコリをかぶった状態になっていた。

ある日、行きつけの模型店に行ってみると、棚のすみっこに迫力ある
軍艦のボックスアートがチラッと見えた。
店のオバハンに頼んで取り出してもらうと、それは重巡洋艦「古鷹」のキットだった。
ホコリが厚めに箱を覆っていたので、長い間売れ残っていたことはすぐに
わかったが、ボックスアートに描かれたその威風堂々たる艦容は、おそらく
大日本帝国海軍のお偉方から絶賛されるようなものだった(…と、そのときは思った)。
箱は黄色く変色したセロテープで開封できないようになっていたが、軍艦のプラモデルは過去に作ったことがあり、だいたいどんなものかは想像できたので、価格は800円くらいと記憶しているが、メッチャ高いなと思いながらも、迫力あるボックスアートにすっかり舞い上がってしまった私は、中身を確認しないで買おうとした。
当時、100円のプラモがようやく買える財力をもつようになっていた私だったが、
このときはたまたまあちこちでかき集めたお年玉で、けっこう金持ち(?)に
なっていたのだ。

そのとき、店のオバハンから驚くべき言葉が発せられたのだ。
「キミ、本当に買うの」
エッ、オレが買ってはいけないものなのか?
ナゼ、売ってくれないのか?
「これは、フツーのプラモデルと違うんだよ、いいの」
オバハンは、箱を開けて中身を見せてくれたのだ。

「?」…これは、一体何だ!
中には、木製の部品らしきものが、バラバラッと入っていたが、
それらをそのまま組み立てたとしても、とても軍艦には見えないことは
小学生の私にも想像はついた。
「これは、木を削ったりして作るものなの。キミにはムリだね」

しかし、あの威風堂々たるボックスアートに完全にやられてしまっていた
私は、何とかなるだろう…という理由のない自信に満ち満ちており、
結局買ってしまった。
喜び勇んでキットを家に持ち帰ったが、どうやって作っていいのやら
途方に暮れてしまった。
そのうち、母親に見つかり大目玉を喰らったあげく、店に返してこいとの厳命を受けた。拒否すれば、その日の夕飯は無しである。
ただ、母親は作れもしないソリッドモデルを買ったのを怒ったのではなく、
当時の小学生には大金の800円を使ったことに怒ったようだった。
結局、母親もソリッドモデルが何か、よく理解していなかったのだ。

夕方の町中を、重い足取りでトボトボと歩く私の心中は、憂鬱だった。
あのオバハンに何といって返品すればいいのか。
お金は返してくれるのだろうか。
オバハンは、確かにキミにはムリだといって、止めたではないか。
いまさら、このツラさげて行けるか。
さまざまな思いが複雑に絡み合い、答えが出ないままあの模型店の前に着いた。

恐る恐る店内に入ると、「いらっしゃい」…あのオバハンの声が響いた。
私の顔と、腕にかかえたソリッドモデルの箱を見て、オバハンは瞬時に
状況を理解したようだった。
しばし、両者無言の状態が続いた。
私は意を決して「これを返しますから、お金を返してください」と、
蚊の鳴くような声で言うと、即座に「だから、言ったでしょ!」という
厳しい声が返ってきた。
「だいたいね、小学生ではムリなの、何度も言ったでしょ、
大人の言うことは聞くものよ。とにかく
◎○▲×◎■○◎▲∞×ωΩ◎」
店内には、他にお客がいなかったため、こってりとしぼられ続けた。
機関銃のような言葉の集中砲火に、私はひたすら耐え続けた。

オバハンは、言いたいことを一気に吐き出すと、「これからは、気をつけてね」と無愛想な表情で、
お金を返してくれた。
私は深々と一礼をすると、逃げるように店から外に出た。

家に帰り、事の一部始終を母親に報告するや、母親は一言
「まさか返しに行くとは思わなかった」…

そんな事件があって以来、あの模型店には一度も行ったことはない。


ゴム動力によるプラ製フライングモデル








プラモデル










グレンコモデルで再販されたときのもの。











次回の更新は、8月15日終戦記念日夜の予定です。