絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

真夏の特番!もうひとつの『ザ・ライトスタッフ』

2012年08月15日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦

今回は、お休み!

真夏の特番!
もうひとつの『ザ・ライトスタッフ』

Wikipedia




※上は原書の表紙。

個人的な話だが、先日涼を求めて飛び込んだ
中古本販売店ブックオフで、トム・ウルフの
『ザ・ライト・スタッフ 七人の宇宙飛行士』
中公文庫が105円で売っているのを発見し、
即購入してしまった。
本自体は過去に買っていたのだが、実家の
元自室兼物置の中で、買いまくった書籍・資料の
山に埋もれて、捜索が困難な状態になって
いたので、ここでもう一度買ったわけだった。

この文庫本は、昭和58年の発行だったので
もうすでに約30年近く経過していたことになる。

当時、トム・ウルフの原作が映画化され、話題になっていた。
X-1による人類史上初の音速突破やマーキュリー計画など、
アメリカがもっとも輝いていた時代を描いていたからだが、
当時のプラモ雑誌も映画の話題性に敏感に反応して、
特集記事を組んだりしていた。
しかし、映画に登場したX-1やマーキュリーカプセル、
アトラスやレッドストーンといったロケットなどのプラモは、
すでに絶版になっていたものばかりで、とてもこれらプラモの
製作記事などはできようもなく、映画に関連した記事で
終わってしまったような気がする。

映画の内容については、いまさら説明の必要はないだろうが、
レッドストーンやアトラスのホンモノが登場(実際はNASAの
記録映画を借用したものだが)したりで、1950~60年代の
ミサイルファンからすれば、涙モノだ。

そんな訳で、今回はチョッと道草をしてエアフィックスものは
お休みにして、『ザ・ライトスタッフ』の世界に突入してみたい。

★X-1

チャック・イェーガーの写真とサイン付パッケージ。




胴体の片側に透明パーツが付けられるようになっており、
機体の内部構造が楽しめるようになっていた。
実験機のプラモをタミヤが出すなんて、メチャ珍しい。
なお、キット自体はホビースポットU製。

★マーキュリー・レッドストーン





こちらは軍用タイプ





マーキュリータイプと軍用タイプとでは、基本的に
レッドストーンミサイルの先端部とデカールが異なるだけで
それ以外はまったく同じだ。



ジュピターCのロケット本体は、レッドストーンであり
整備塔も基本的にはマーキュリー・レッドストーン
打ち上げ時と同じだ(実物は、カプセル周辺の作業フロア
に覆いがしてある)。このキットにマーキュリー
カプセルを付属させれば、そのままマーキュリー
計画記念商品として発売できたのだろうが、
ナゼかそうされてない。

マーキュリー・レッドストーンによる弾道飛行のあとは
アトラスによる打ち上げと地球周回飛行を行うことが
わかっていたので、レベルとしては主力商品はアトラス
プラモ優先として、レッドストーン関連商品を犠牲にしてでも、
早い時期からアトラスの大増産体制をとっていたのかもしれない。

















 
















★リトルジョー・ロケット

マーキュリーカプセルの弾道飛行
リハーサル用ロケット。
カプセルに取り付けられた緊急
脱出ロケットのテストにも使用された。







★マーキュリー・アトラス












ジョン・グレンのネーム入りエンブレム























































★マーキュリーカプセルその他














ジョン・グレンのキット





その他、『ザ・ライトスタッフ』関連

★X-15
驚異的な性能で、世界をアッといわせた高々度極超音速
実験機だが、マーキュリー計画と同じ時期に飛行テストが
行われていたため、影が薄くなってしまったのは惜しまれる。
アメリカのマスコミは、X-15の飛行について報道はしていた
のだが、やはり一般の関心はなんといってもマーキュリー計画の
方だった。
トム・ウルフの原作にも、このX-15の記述があるのだが
映画ではカットされている。宇宙飛行士が搭乗した自動操縦の
宇宙船と、パイロット自らが操縦する航空機でそれぞれが宇宙を
目ざすという話でオモシロいと思うのだが、肝心のチャック・イェーガーが
X-15計画に参加していなかったので、ストーリーの展開上割愛したの
かもしれない。




















1/72スケールでも、B-52はかなりデカい。
間違っても1/32や1/24スケールで
モデル化しないでほしい。
置くところがないゾ!

★ホセ・ヒメネス

「私の名前は、ホセ・ヒメネス」で始まる片言の英語を話す
おバカなメキシコ人という設定のテレビ人気キャラクターで、
当時のアメリカの喜劇俳優ビル・ドナが演じていた。
マーキュリー計画の発表で宇宙に関心が向けられていた
時代を反映して、宇宙飛行士に扮したホセが一番人気だった。
ただし、その内容としてはヘンな英語を話す隣国人を
からかったものなので、いまなら差別表現として放送禁止に
なっていたかもしれない。
なお、ビル・ドナ自身はハンガリー系アメリカ人で、
メキシコ系ではない。

映画『ザ・ライトスタッフ』では、スコット・グレン演じる
アラン・シェパードがこのホセ・ヒメネスを相当気に入って
おり、物まねを連発していた。

Wikipedia

アメリカの喜劇俳優ビル・ドナのホセ・ヒメネス
http://www.youtube.com/watch?v=x1MOLzFpqrU

★エドワーズ空軍基地

Wikipedia
画像左下の滑走路がある地区が、航空ファンには伝説の地
エドワーズ空軍基地で、その右側の白い部分がX-15や
スペースシャトルの着陸用に使われた乾湖。
その広大さには驚くばかりだ。
よく見ると、滑走路のようなものがあるので、いかに
広いとはいえ、着陸できる場所は限定されているようだ。

画像で見る限り、周辺は不毛の砂漠地帯で、おそろしく
ヘンピな場所だ。
基地の人間としては、近くの酒場で飲んで騒ぐくらいしか
楽しみがなかったのかもしれない。

Wikipedia
乾湖のこの広さといったら、一体何だ!
日本国内では絶対に体感できない広大さだ。
また、自然の滑走路とはいえ、この平坦さは
一体何だ!まるで、巨大ロードローラーが
走り回ったかのようだ。

エドワーズ空軍基地ホームページ
http://www.edwards.af.mil/index.asp

★パンチョ・バーンズ

映画では酒場「パンチョの店」の女主人として
登場するが、、ただのオバハンではなかった。

本名はフローレンス・ローといい1901年の生まれ。
のちに結婚してバーンズ姓になったが、1928年から
当時としては珍しい(いまでもそうか?)女性パイロットの道を
歩むようになった。

1930年、アメリカの女性パイロットであるアメリア・イアハートが
もつ速度記録を破った。
その後、自ら曲乗り飛行サーカス団を設立して全米を回り、
ハリウッド映画の空中スタントパイロットとしても活躍した。
また、民間パイロットを養成するフライング・スクールを設立する
など、アメリカ航空界への貢献もしている。

なお、女性でありながら男性名の「パンチョ」という名前で
呼ばれるのは理由があった。
当時、隣国のメキシコでは現政権に対する革命戦争が行われて
いたが、彼女は革命軍へ武器弾薬の供給をしていたパナマの
武器商人に協力し、仲間内から「パンチョ」と呼ばれるようになった。
パンチョ・バーンズの誕生だった。

アメリカを襲った大恐慌は、彼女の人生を変えた。
彼女はハリウッドのアパートを売却し、その資金でカルフォルニアの
ミューロック(かつてはマロックともいっていたが)陸軍基地
(のちのエドワーズ空軍基地)近くの広大な土地を購入し、
観光牧場、飛行場、レストラン・バー、プール、ゲストハウス等の
施設「Happy Bottom Riding Club」をつくり、営業を始めた。
1935年のことだった。

この施設内にあったバー「パンチョズ・フライイン」には、基地の
パイロットたちが集まっては酒を飲むようになったが、
彼らは彼女の波乱に富んだ人生に一目をおいていた。
しかも彼女は気に入った客でも、そうでない客でも「あん畜生」、
「あの野郎」と呼んでは、若いパイロットのド肝を抜いていた。

この「パンチョの店」とその女主人の話は、トム・ウルフの
『ザ・ライト・スタッフ 七人の宇宙飛行士』に取り上げられ、
一般に広く知られるようになった。
しかし、そのときにはすでに「パンチョの店」は消滅していた。

1952年、エドワーズ基地では滑走路の拡張計画が持ち上がり、
彼女の所有する店舗・土地が接収されることとなった。
彼女は基地側が提示した補償金額に不満をもち、裁判所に提訴する
ことになるのだが、裁判が行われている最中の1953年に、
原因不明の火災で酒場を含む施設が焼失してしまう事件が
発生した。

最終的に彼女は裁判に勝ち、それ相応の補償金を受け取り、
土地は基地のものとなった。しかし、幸運なことに滑走路の拡張は
結局のところは実施されず、廃墟となった「Happy Bottom
Riding Club」はそのまま残されることとなった。

なお、彼女は乳ガンのため1975年に他界している。


皮ジャンに白いセーター・乗馬ズボンが、パイロット時代の
彼女のトレードマークだった。

パンチョ・バーンズが使用したミステリー・シップというヒコーキは、
過去にホーク、その後テスターから発売されていた。
キットのマーキング類は、彼女の機体のものではないが
黒と赤をベースとした類似の機体塗装となっている。




パンチョ・バーンズのドキュメンタリー映像予告編から
あのチャック・イェーガーも登場するゾ。
http://www.youtube.com/watch?v=pRTaa7sTOzI

★パンチョの店は今も現存していた!
 ‥‥ただし、廃墟だが‥‥

「グーグルアース」で、この歴史的遺産(?)を見つけるには、
検索欄に「Edwards AFB」と入力する。するとエドワーズ空軍基地
周辺の画像が示されるので、上記赤丸地点の写真アイコンにカーソルを持って
いって「Happy Bottom Riding Club」という文字が浮き出てきたら
大当たり!
その地点をどんどん拡大していくと‥‥


何やら砂漠のなかに建物らしきものが‥‥


軍事施設か!?


これがパンチョの店の跡。
中央の白い円形のものはプールで、その右側の
四角い囲いのようなものは、ロデオ場または馬を入れておく囲い。
人類史上初のX-1音速突破飛行の直前に、妻と乗馬を楽しんでいた
チャック・イェーガーが落馬して肋骨を折ったのは、
この囲いの入口付近(具体的な場所は特定できなかった)と思われる。
夜間だったため、入口の扉が閉まっていたのに気がつかず、
馬もろとも扉に突っ込んだのが原因らしい。

プールの下側はダンスホール。同プール斜め左下側はレストラン兼
バーで、これが「パンチョの店」と呼ばれる酒場だった。
また、左上に見えるUの字の部分は、宿泊用ゲストハウスとなっていた。

この酒場は、トム・ウルフの著作でその伝説は不動のものとなったが、所在地が
空軍基地の敷地内であったことが幸いし、観光客に荒されることもなく
そのまま残っている。ただし、建物自体はほとんどなく、その土台部分が
かろうじて当時の痕跡を残すのみだ。
また、廃墟になって長い年月が経過しているにもかかわらず、
プールなどが砂に埋もれずに残っているのは、定期的に
誰かが手入れをしているからだろう。
基地の兵隊さんか、ボランティアグループがやっているのだろうか。

当時の写真やグーグルアースの現在の画像などを見ると、
この店が存在していた当時から、周りの景色はほとんど変化していない
ようだ。あたかも時間が停止しているかのような錯覚を受けてしまう。


映画『ザ・ライトスタッフ』より
感動のシーン

X-1音速突破
http://www.youtube.com/watch?v=hOhhADQeHCM&feature=related

Wikipedia

チャック・イェーガーのNF-104
http://www.youtube.com/watch?v=1Cq7hf4ylvY&feature=related

ロケット打ち上げ失敗シーン
http://www.youtube.com/watch?v=6rwi_0DEd_0

ジョン・グレンの打ち上げシーン
http://www.youtube.com/watch?v=vA_SAUYV4so

『ザ・ライトスタッフ』全編を見たい人は、こちら!
http://www.youtube.com/watch?v=MsvouGfVTzM&feature=fvwrel

こちらはホンモノの『ザ・ライトスタッフ』

X-1音速突破、実際の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=HoMijlGRb04&feature=related

マーキュリー・レッドストーン打ち上げの記録。
宇宙船先端の脱出ロケットが作動して、パラシュートが
ポンと飛び出すところは、映画『ザ・ライトスタッフ』にも
収録されている。
http://www.youtube.com/watch?v=h34nk9W-rM0&feature=related

チンパンジーのテスト飛行とアラン・シェパードの本番打ち上げ映像。
http://www.youtube.com/watch?v=JCPxA8fCypg&feature=related

ジョン・グレンが搭乗するフレンドシップ7の
打ち上げを記録したNASAの映像。
http://www.youtube.com/watch?v=zJBJ-_KN470

ライフ誌表紙で見るアメリカ

アメリカの写真雑誌『ライフ』は、そのときの
世界各国の表情を撮影してきた。
それを端的に表現しているのは、なんといっても
その表紙だ。
『ザ・ライトスタッフ』の時代、およびその後のライフ誌表紙を集めてみた。
宇宙開発


1957年11月18日号
衝撃のスプートニク1号打ち上げ成功の
ニュースから、約1ヶ月後の表紙。
アメリカは、フォン・ブラウンにすべてを賭けた。


1959年9月14日号
『ザ・ライトスタッフ』ホンモノの7人。


1959年9月21日号
『ザ・ライトスタッフ』ホンモノの7人を支える献身的な妻たち。
1950年代後半のアメリカンホームドラマに登場する
善良で良識ある良妻賢母的ママの雰囲気がいい。


1961年2月10日号
マーキュリーカプセルの有人宇宙飛行に先駆けて
チンパンジーを打ち上げ、無事回収することに成功した。
当時のエドワーズ空軍基地のテストパイロットたちは、
宇宙飛行士など自動操縦カプセルに乗り込んだお客さんに
すぎないと見ていた。
「最初に宇宙を飛ぶのは、エテ公なんだってナ」と宇宙飛行士を
揶揄していたらしい。


1961年3月3日号
マーキュリーカプセル打ち上げ第一陣のメンバーに選ばれた3人。
左から、グレン、グリソム、シェパード。
当時NASAの発表では、最初の宇宙飛行士はこの3人の中から
選ばれるとコメントしていたが、実際はすでにシェパードに決定
しており、グレン、グリソムも承知していた。


1961年4月21日号
人類初の有人宇宙飛行を成功させた
ソ連のガガーリン(左)とフルシチョフ首相。


1961年5月12日号
海上へ着水したマーキュリーカプセルから
ヘリコプターに釣り上げられるアラン・シェパード。


1962年2月2日号
宇宙飛行士ジョン・グレン特集。


1962年3月2日号
宇宙飛行から戻ったジョン・グレン。


1962年3月9日号
マーキュリーカプセルによる地球周回に成功した
ジョン・グレンのパレード。ソ連の後塵を拝していた
アメリカがようやく追いついたことで、このパレードは
リンドバーグの大西洋横断以上の騒ぎとなった。


1962年4月27日号


1962年8月3日号
もうひとりの宇宙飛行士ロバート・ホワイト。
マーキュリー計画と同時期に実施されていた
X-15飛行計画だが、マーキュリーカプセル
打ち上げ成功の影に隠れて、大々的に
報道されることはなかった。
1962年7月17日、ホワイトはX-15の飛行で
宇宙の縁に到達し、名実ともに宇宙飛行士となった。

当時のニュース映画でホワイトの飛行を見ることができる。
その他、バルーン衛星エコーの打ち上げ、ケネディー大統領等
アメリカの国内ニュースなど。
http://www.youtube.com/watch?v=V6QAG896rwo


1962年8月24日号
米ソ月面一番乗り特集。


1963年5月24日号


1965年6月18日号


1966年8月5日号


1968年10月25日号


1969年7月25日号


1969年8月11日号
日本


1961年2月17日号
1961年の日本のイメージといえば、まだまだ「ゲイシャガール」だ。
当時、アメリカの関心はソ連でありヨーロッパだった。
一般のアメリカ人にとって、極東のさいはての地である日本など、
この程度の認識しかなかったのだろう。


1964年9月11日号
またしても「ゲイシャガール」かと思いきや、
高度経済成長の道を歩みだした日本の特集記事。
東京オリンピック直前の日本の姿を、皇室、歴史、太平洋戦争、
風俗、習慣、庶民の暮らし、スポーツなどの分野別に紹介している。
アメリカとは異質な国の急成長を、驚きの目で見ているが、
当時のアメリカ人がイメージする日本、すなわち興味本位の
『フジヤマ・ゲイシャ』で終わらなかったことに、ホッとする。。
なお、企業の広告もかなり掲載されているのだが、ホンダ、日立など
日本を代表する企業のものも見られ、高度経済成長を裏付けている
のが興味深い。
日米自動車戦争といった日米間の貿易問題は、まだまだ先の
話だった。

話は脱線するが…
1964年の日本といえば、やはり東京オリンピックだろう。
1965年公開の映画『東京オリンピック』オープニング、
アテネから日本へ聖火がやってくる。それをひと目見ようとする
人、ひと、ヒト…
当時の街並みや昭和ファッションが、メチャなつかしい。
そして、感動の開会式入場行進のシーン。
いまと違って、整然とした行進はすばらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=I7sK2szyQno

超人アベベが出場したマラソン競技映像。
https://www.youtube.com/watch?v=BAOGnxzCqUo

これは便利!
全ライフ誌の中身が閲覧できる
LIFE-Googleブックスのサイトは、こちら!
http://books.google.co.jp/books?id=hkgEAAAAMBAJ&hl=ja&source=gbs_all_issues_r&cad=1&atm_aiy=1960#all_issues_anchor

★ケープ・カナベラル空軍基地

Wikipedia
ロケット発射台がズラリと並んだケープ・カナベラル発射場。
この施設の広大さが、よくわかる画像だ。

もともとは、長距離ミサイルの発射実験場として造られたが、その後
宇宙ロケットの発射場として使われるようになった。
マーキュリー・ジェミニカプセルの打ち上げも、ここで行われた。
なお、アポロロケットやスペースシャトルの打ち上げは、
隣接されたケネディ宇宙センターで行われた。

ケープ・カナベラル空中散歩映像
http://www.youtube.com/watch?v=ahzCikwSNSI

★カプセル回収艦船


カプセル回収には、エセックス級空母が大活躍した。

宇宙船名         宇宙飛行士     回収艦船
フリーダム7       シェパード      レイク・シャンプレイン(エセックス級航空母艦)   
リバティ・ベル7     グリソム       ランドルフ(エセックス級航空母艦)
フレンドシップ7     グレン         ノア(ギアリング級駆逐艦) 
オーロラ7         カーペンター     イントレピッド(エセックス級航空母艦)
シグマ7          シラー         キアサージ(エセックス級航空母艦) 
フェイス7         クーパー       キアサージ(エセックス級航空母艦)

オマケ・マーキュリーカプセル
 メンテナンス・マニュアル




このマーキュリーカプセルは、市販こそされなかったが立派な
工業製品であり、クルマやバイクと同様に整備士向けの
マニュアルが存在した。
これを見ることによって、プラモや写真だけでは判明しなかった
カプセルの内部構造がわかり、貴重な資料ともなっている。








カプセル先端に取り付けられた脱出用ロケットの内部構造を
示したもの。内部の個体燃料の様子がわかるのが貴重。












カプセル内の配線図
















私の世代(昭和30年代前半生まれ)では、単にマクドネル社というよりは
ダグラス社と合併してマクドネル・ダグラス(当時はマクダネル・ダグラスと
いっていたが…)と称していたときの方が馴染みがある。
もちろん、マーキュリーカプセルの開発を受注したときは、合併前なので
マニュアルに記載されている社名は、ただのマクドネル社だ。
その後、ボーイング社に吸収されてしまい、おなじみのの社名は消えて
しまった。これなど、アメリカにおける企業買収のすさまじさが伝わってくる。

次回の更新は、9月15日夜の予定。