絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

野次馬アラカルト 参考文献紹介・脱線編 アドルフおじさん 思い出のレコード

2007年01月18日 | プラモデル

                                                      

野次馬アラカルト

   
                                                                                                              
オイ、21時57分だ。
ベオグラード放送に合わせろ。


プラモデル野次馬考古学

アドルフおじさん 思い出のレコード



日本では、第三帝国時代の軍歌(戦前・戦中に録音された当時のものがベスト)、行進曲(同)、ヒトラーをはじめとする閣僚の演説などを収めたレコード、CD、カセットテープなどは、一般のレコード店では売られていません。
主として軍装品関係のミリタリーショップが扱っているケースが多く、以前私も渋谷のアルバンという店に足を運び、いろいろと物色したものです(現在、この店は五反田に移転して、渋谷にはないそうです。確認はしていませんが‥)。
これらレコード類は、すべて輸入品(カセットテープで、一部日本製海賊版がありました)であったため、歌詞や曲の説明は当然のことながら外国語でした。英語なら辞書片手に何とか訳せそうですが(実際、これも英語力のない私には、きわめて困難な状況でした)、ドイツ語、フランス語となると、もうダメでした。
面白いことに、第三帝国もののレコード類は、ドイツ以外ではフランスでもけっこう作られていて、内容的にもきわめて優れたものが多いのです。
第二次大戦中、ドイツに占領された経験をもつフランスにとっては、やはりナチスに対する関心が高いのかもしれません。それとも、ドイツ国内では、この手のレコード類が出しにくいので、ドイツの企業がフランスで制作したものを販売しているのかもしれません。
どちらにしても、ドイツ語の軍歌や演説などは、聞いていても内容がサッパリわからないというのが難点でした。

その中で、1975年に日本フォノグラムが発売した「歌・行進曲・演説でつづる第三帝国の記録 アドルフ・ヒトラー」(SFX-5156-57)は、とても貴重な存在です。
レコードに収められている軍歌、演説にはちゃんと日本語訳がついており、内容がしっかり把握できるようになっています。
たとえばナチスの党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」は、はたしてどんなことを歌っているのか、興味がありました。
現在でもパリやワルシャワなど、ドイツ以外のヨーロッパ各地で歌おうものなら、おそらく袋叩きになることは間違いないでしょうし、たとえドイツ国内であろうとも、警察に逮捕されるのがオチです。
でも、怖いもの見たさではないですが、禁止されればされるほど知りたくなるのが人情ではないでしょうか。


 ホルスト・ヴェッセルの歌

1、高々と隊籏を掲げ
  しっかりと隊伍を組んで 
  SAは行動する 堂々と
  「赤」や反動に撃ち殺されし同志よ
  君らの魂も われらとともに進まん

2、褐色の部隊の行く手遮るものなく
  われら突撃隊員の前に 道は開けたり
  数百万の人々は希望にあふれ
  ハーケンクロイツを仰ぎ見る
  自由とパンの日は来たのだ!

3、最後の召集ラッパは喨々と
  鳴りわたり
  われら皆出撃の準備成る
  街々にヒトラーの籏翻り
  隷従の時も終りを告げん!

 「アドルフ・ヒトラー」付属解説書より


収録されている行進曲や軍歌,他

ラインの守備(まもり)
バーデンヴィラー行進曲(総統お気に入りの曲)
エリカの花(SAの愛唱歌)
ホルスト・ヴェッセルの歌(ナチスの党歌)
おお聖なるドイツ
歌声高くわれらは進まん
われらヒトラーの民
進め突撃隊
ほくらの籏は翻る(ヒトラーユーゲントの歌)
若者は進む(同上)
歓喜力行団の歌
ニーベルンゲン行進曲
東方への進軍
国民よ武器をとれ
ポーランドのドイツ軍
パリ入城行進曲
われらイギリスへ飛ぶ(バトル・オブ・ブリテン時の軍歌)
装甲擲弾兵の歌
リリー・マルレーン
唯わが歩兵かく戦う
ドイツ機甲師団行進曲(映画「バルジ大作戦」で、ドイツ戦車兵らが歌っていた)

これらの行進曲や軍歌は、すべて戦前・戦中に録音されたものばかりで、貴重です。
ベートーベンやバッハなどのクラシック曲をイメージさせるような重厚で豪快な演奏は、同国の戦後の演奏とは一線を画するものです。

その他、ヒトラー、ゲッベルス、ヒムラー、ヘス、ムッソリーニ、スターリン、ルーズベルトの演説、ドイツ国防軍最高司令部の発表を伝えるラジオ放送 など


演説のなかで圧巻なのは、やはりヒトラーの演説で、ドイツ語がわからなくてもその迫力に思わず引き込まれてしまいます。
さらに、絶妙なタイミングで発せられる「ジーク・ハイル!」の声。
会場の雰囲気は、いやがうえにも高まります。
ヒトラーに関心のない人でも、その場に居合わせたら思わず「ジーク・ハイル!」と叫んでしまうのではないでしょうか。

1939年9月1日、ポーランド侵攻時における演説

 ポーランドは今日初めて正規軍によるわが領土への砲撃を行なった。5時45分から、今や反撃が開始される。今より後は時々刻々報復が行なわれる。毒をもって戦う者は毒ガスによって反撃される。人道的な戦争遂行の原則から離れんとする者は、我々もまた同じ道を進む以外にないことを思い知るであろう。私はこの戦いを、相手がいずれの国であれ、わが帝国の安全とその権利が保証されるまで続けるであろう。
(中略)
私は今こそドイツ帝国の一兵卒たらんと欲する。
 それ故に、かつて私にとって神聖であり貴重なものであったあの上衣を、今再び身に着けたのである。私がこの上衣を脱ぐのは、勝利の後か、それとも私が戦場の露と消えて、その最期を見届け得なくなった時かであろう。

 「アドルフ・ヒトラー」付属解説書より

これが有名なヒトラーの「勝利か死か」演説です。
演説が終わるやいなや、割れんばかりの拍手や歓声、嵐のような「ジーク・ハイル!」が起きたのは、容易に想像できます。劇場型政治の典型ですね。
でも、先に手を出したのはポーランドである、などとデッチ上げもはなはだしい。どこの大国もよくやる手(?)ですよね。かつての日本を含めて‥

ジャケット内側その1

豪華絢爛、超大物スター総出演、20世紀最大の戦争巨編「第二次世界大戦」。
欧米各国の陸海空三軍の全面的協力により、ついに完成。
枢軸国VS連合国の激突。
陸を埋め尽くす戦車軍団。
海に繰り広げられる死闘。
空を乱舞する航空機。

ベルリンは、
ロンドンは、
モスクワは、
パリは、
燃えているのか。

○月○日、全世界同時公開!

‥‥と、出演者を紹介した映画ポスターのイメージです。


ジャケット内側その2
ヒトラー年表とナチス党の組織図など


ジャケットの裏側。



これからは、付属の解説書。
演説や歌詞は、各ページの左側に原語標記がされ、その右となりに日本語訳が記載されており、とてもわかりやすい。










左は、宣伝に天才的能力を発揮したゲッベルス。現代なら、世界の有名広告会社からの引き抜き合戦が展開されたことでしょう。
ナチス幹部の中で、随一のインテリで文学博士の肩書きをもつなど、異色な人物。
顔に似合わず、カン高い声の持主で、その美声(?)で人々を魅了しました。


伝説が始まる。
ベオグラード放送、二一時五七分。

 リリー・マルレン

  兵営の前
  正門のわき
  街燈があったね
  今でもあるね
  そこでまた会おうよ
  街燈の下で会おうよ
  昔みたいに、リリー・マルレン

  ぼくら二人の影が
  ひとつになって
  愛しあっていることは
  誰にもわかった
  また街燈の下で
  みんなに見せてやろうよ
  昔みたいに、リリー・マルレン

  歩哨が呼んでる
  消燈ラッパだ
  遅刻は三日の営倉だ
  戦友よ、すぐに行く
  ぼくらはさよならを言ったね
  ぼくはきみと行きたい
  きみだけと、リリー・マルレン

  静かな部屋の奥から
  大地の暗い底から
  きみのやさしい唇が
  ぼくをそっと慰める
  夜霧がこめるころ
  また街燈の下に立つよ
  昔みたいに、リリー・マルレン

パウル・カレル著 「砂漠のキツネ」 三八頁~三九頁  フジ出版社


『一九三八年にウィリー・シェファーズがキャバレーでラーレ・アンデルセンにこれを歌わせた。落第だった。評判は悪かった。「おセンチだ」と客は笑った。レコードもはやらなかった。しかし数年後、この歌はクレーフェルトで熱狂者をえたのである。一九四〇年春、フランス作戦の前、ここには第三偵察大隊第二装甲中隊が駐屯していた。毎夜酒保に集まっていた下士官たちは、初めてリリー・マルレンを聞いた。寝酒のかわりに来る日も来る日もかけた。その中隊の予備役曹長カール=ハインツ・ライントゲンはベルリン放送局出身だが、リリー・マルレンに熱中した。第二装甲偵察中隊が一九四一年晴アフリカに出陣し、一方少尉に昇進していたライントゲンがベオグラード国防軍放送局送信責任者として転属したとき、リリー・マルレンの運命はきまったのである。ライントゲンはくだんのレコードを持っていって、もとの中隊への愛情からねんごろな挨拶をこめてそれを放送した。二、三日して大きな反響がとどいた。もう一度あのレコードを!それからというもの毎晩二一時五七分になると、ベオグラード放送局から街燈の歌が流れた。前線ばかりでなく国内でも二二時近くになると「ベオグラードに合わせろ」が合言葉となった。』

 「砂漠のキツネ」 三九頁

そして‥   

『歌は戦線を超えたのである。兵営の街燈の歌はまことに強力で、イギリス司令部は将校たちに命じ、兵士がそれを歌ったり口笛で吹かないように、またドイツ放送をきかないようにさせなければならなかった。』

 「砂漠のキツネ」 三九頁


敵味方に愛唱された歌なんて、そうめったやたらにありません。
これも、教科書には載らない歴史のエピソードなのでしょう。
LP「アドルフ・ヒトラー」が発売された当時、この曲が話題になってシングルレコード(日本フォノグラム)が国内リリースされました。もちろん、あのララ・アンデルセン(文献によってはラーレ・アンデルセンになっていますが、単なる標記上の問題でしょう)が歌っているオリジナル盤です。ちなみに、B面は「バーデンヴィラー行進曲」でした。この行進曲はヒトラーお気に入りの曲として、戦後長い間演奏が禁止されていました。もともとは帝政ドイツ時代に作曲されたもので、ヒトラーとはまったく関係がありませんでしたが、ヒトラーが自分のテーマ曲として、公式の場でさかんに流したため、ナチス関連の曲という烙印が押されてしまった不運な曲でもありました。

「リリー・マルレーン」のシングルレコードが発売されたのとほぼ同じ頃、ララ・アンデルセンの生涯を綴った「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」(鈴木 明著 文藝春秋)という本も出版されており、一般に知られるきっかけになりました。
この「リリー・マルレーン」という曲、それまではWWⅡドイツ軍マニアぐらいでしか知られていなかった、きわめてマニアック(?)な曲だったと思いますから‥

次回のチラリズム                 


                           


聞け!
総統命令により、次回の特集を変更する。
ドイツ第三帝国の祝日である総統誕生日に係る文献を紹介するゾ。

ジーク・ハイル!








人類史上最大の誕生日パーティ。
安倍総理の誕生日でも、これだけ大仕掛けのお祝いはしてもらえないでしょう。
総統は、しあわせ者ですね。


野次馬アラカルト 参考文献紹介・脱線編 パウル・カレルのもう1冊 従軍兵士が写した独ソ戦 

2007年01月09日 | プラモデル


野次馬アラカルト                                    


                           

ロシアの冬はハンパじゃねーデス。
野グソをたれると、ケツが凍傷になりまっせ。
クソも命がけでさァ。

独ソ戦

パウル・カレルの、
もう1冊

私が、パウル・カレルの著作を知ったのは、高校生のときでした。
学校帰りの際、ある書店に立ち寄ったときに、「バルバロッサ作戦」という分厚い本を見つけました。パラパラと立ち読みをしてみたところ、ガーン!ドイツ側から書かれたものではないですか。手持ちのお金をすべてはたいて、即購入。それから勉強そっちのけで、むさぼるように読みまくったものです。当時の日本では、敗戦国のドイツ側から描かれた独ソ戦の戦記ものは非常に珍しく、貴重品でした。
しかも厳寒の雪原で繰り広げられる凄惨な戦闘の様子が、彼独特のテンポで展開されていくところに、思わず引き込まれてしまったものです。
パウル・カレルの本は、当時フジ出版社が発売しており、他にロンメル将軍とアフリカ軍団の活躍を描いた「砂漠のキツネ」、守るドイツ側から見たノルマンディ上陸作戦「彼らは来た」、そしてクルスク戦以降ロシアで敗北するドイツ軍を描いた「焦土作戦」があり、これらも即購入して読みまくりました。


長らく絶版でしたが、近年学研よりハードカバー版、さらに大西画伯の迫力あるカバーイラストで、M文庫から再登場。

そして、日本では刊行されていないパウル・カレルのもう一冊

「UNTERNEHMEN BARBAROSSA IM BILD」

Ullstein Buchverlage GmbH 1967 

東部戦線従軍兵士が撮影した写真の集大成。


「前進!」
号令とともに歩き出す兵士ら。
傍らには負傷兵が横たわり、戦友が心配そうに付き添う(右中段)。
広大な平原に、行く者と残る者のドラマが展開される。
なんだか、沢田教一の戦場写真をイメージさせるシーンです。


右の写真は、降伏したロシア兵(パウル・カレルが「バルバロッサ作戦」のなかで書いている、モスクワ猟犬中隊所属の兵士か)
と「地雷犬」。
地雷犬の装備がよくわかる、貴重なショット。
犬が背負っているベストの側面に、棒状のものが水平になっているのが見えますが、これが起爆装置です。
敵戦車を攻撃するときは、この棒を垂直に立てて犬を放ちます。
普段の訓練では、犬は動いているトラクターの車体下部に潜り込まないとエサがもらえないので、エサがあると思われる敵戦車にも同様の行動をとろうとします(当然、攻撃前は犬を飢えさせておくのが前提です)。
うまく潜り込んで、例の棒が車体に触れて動こうものなら、その瞬間ドカン!です。

『「犬だ!」。ドーベルマンが一頭、大股で跳んでくる。背に奇妙な鞍をつけて。オスタレクが機関銃をめぐらす前に、三〇メートル先のぺシュケ大尉がカービン銃を構えていた。犬はもう一度ジャンプしてそのまま倒れた。
ミュラー伍長がどなった。「気をつけろ、もう一頭!」。今度はみごとなシェパード。注意しながら走ってくる。オスタレクが撃った。高すぎた。犬は尾を巻き引き返そうとしたが、ロシア語の叫びを聞きつけると、まっすぐローゼの車へ走った。全員が発砲したが命中したのはザイディンガーがソ連兵から分捕ったガス利用の自動銃だけだった。
「ミュラー、無線で警報を出せ」。ローゼが命じ、やがて全部隊がそれを聞いた。「ドーラ101より全部隊へー地雷犬に注意せよ‥‥‥」。
地雷犬。この時できた言葉は大いに問題とされた。ソ連軍の新兵器として歴史に残るようになった。犬が革製のかばん二つに爆薬もしくは対戦車地雷を背負う。高さ一〇センチの木の棒が信管。犬は戦車の下にもぐりこむように訓練され、棒が曲がったり折れたりしたら爆薬が炸裂する。
第三装甲師団は《モスクワ猟犬中隊》の生きた地雷相手の戦闘をうまく切りぬけた。第七装甲師団も同様だった。だが五日後、ネーリング将軍の第一八装甲師団は少々運がなかった。(中略)
「右に寄って停止。エンジン停めよ」の命令が出たばかりである。ハッチをあけた瞬間、二頭のシェパードが畑から飛び出してきた。大きくジャンプしつつ接近する。背中の平べったいザックがはっきり見えた。「何だ?」。通信手は驚いた。「伝令か衛生隊の犬だろ」。照準手が言った。
一頭が先頭戦車のキャタピラの下に躍りこんだ。閃光と爆発音。黒煙が立ちのぼる。最初に気がついたのはフォーゲル軍曹だった。「犬だ!」。彼は叫んだ。「犬だ」。照準手はP08拳銃を構え、二頭目を狙った。撃つ。はずれた。もう一度。またはずれた。と、914号戦車から機関拳銃が鳴り、犬は前足を折って倒れた。近よってみるとまだ生きていた。拳銃で引導を渡した。
ソ連の文献は地雷犬という悪魔的な兵器に触れていない。だがそれが投入されたことは疑いがない。第一、第七装甲師団の日誌にも出てくるからだ。第三装甲師団が尋問した兵の証言によると、《モスクワ猟犬中隊》には一〇八頭の犬がいたという。訓練にはトラクターを使い、犬が餌をもらえるのはエンジンのかかったトラクターの下だけである。そこから持ってこなくては飢えるほかない。戦線投入のときも犬は飢えていた。飢えていれば戦車の下にもぐりこむ。だがそこには餌の代わりに死が待っていた。《モスクワ猟犬中隊》は大した成果を得られなかった。エンジン音をも気にせず戦車にもぐりこめるように訓練できる犬はほんのわずかで、そのうち地雷犬はたまに、それもただパルチザン隊でしか投入されなくなったのも明らかにこの理由による。バルバロッサ作戦 上 238頁-241頁』


「地雷犬」に関連して、ある文献に気になる記述がありましたので、ご紹介します。ドイツ兵が、いかに心理的ダメージを受けていたのかが、よくわかります。

「スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943


  アントニー・ビーヴァー著    朝日文庫

『おそらく兵士が集まって作ったのだろうが、「休暇を取る兵士のための覚え書き」という勝手な説明書がある。滑稽を狙ったところが、かえって東部戦線の冷酷無惨をあらわにしている。

諸君は国家社会主義の国(ブログ管理者注、ドイツのこと)に赴こうとしている。それを忘れてはならない。その生活環境はこれまで諸君が慣れ親しんだそれとは大いに異なる。住民の習慣に合わせて如才なくつきあい、いまや慣れ親しんだ習慣を棄てなければならない。

食物ージャガイモは別の場所に保存されているので、寄せ木の床などを引き剥がしてはならない(ブログ管理者注、飢えたドイツ兵はロシア人の家屋を見つけると、床まで引き剥がして食物をあさった)。

夜間外出禁止令ー鍵を忘れたなら、丸い形の物でドアを開けてみる。緊急時でないかぎり手榴弾を使ってはならない。

対パルチザン防衛ー民間人に合い言葉を使う必要はなく、また間違った返答があっても銃撃しなくてよい。

動物対策ー身体に爆発物をつけている犬はソ連独特の武器である。ドイツ犬は最悪の場合噛みつくが爆発しない。当地では目についた犬はすべて射殺するよう奨励されているが、ドイツではそんな振る舞いは悪い印象を与える。

一般市民との関係ードイツでは、婦人服を着ているからといって必ずしもパルチザンではない。しかし休暇で前線を離れる者にとって彼女たちは危険である。

その他一般ー休暇で祖国に帰ったら、ソ連に存在している楽園の話をしないよう気をつける。誰もがここにやってきて我々の牧歌的楽しみを壊しかねないからである。  72頁-73
頁』  


左下の写真は、有名な「モロトフのカクテル」。

「ガソリンと燐の混合物で、戦前に赤軍が食糧庫や重要施設を迅速に焼き払う実験に用いていたものである。(中略)しかし効果はすごかった。液体は空気に触れるとすぐ炎上する。それにガソリン瓶を添えると燃焼力を増す。ガソリン瓶しかない場合には、応急の導火線をつけ、投げる前に点火する。瓶が戦車の屋根か側面で破裂すると、燃える液体が内部かエンジン内に流れこみ、すぐそこを炎上させる。戦車という鉄の箱は大抵オイル、ガソリン、グリスの層をかぶっているので、驚くほどはやく炎上するのだった。バルバロッサ作戦 上 147頁



右の写真は、ソ連軍の武装モーター橇。
橇にエンジンとプロペラを取り付けたもので、雪原を軽快に走り回る珍兵器に、ドイツ兵は手こずった。





モロに悪役。不敵な面構えのドイツ兵の集団。
こんな連中に捕まったら、こりゃ恐怖じゃ!


兵士A 「おい、
     例の野次馬考古学は、
     ここしばらく、ナチ野郎の特集をするんだとよ。
     くだらん。」


兵士B  「迷えるアメリカ兵よ。
      お前の認識は誤っている。
      総統は非常にお喜びだぞ。
      われわれの優秀性が、全世界に誇示されるのだ。」


兵士C 「そうだ。
     ヒムラー長官も同意見だ。
     野次馬考古学を、わがSSの公式指定文献にするよう
     指示があったゾ。」



兵士D 「ハイル・ヒトラー! 」



兵士A 「き、貴様ら、スコルツェニーの特殊部

   隊か!
 」

‥‥その後の展開は、恐ろしくて書けません。


次回のチラリズム                                                                          

                                                                    

一般のレコード店で、かつてこのようなLPを売っていました。
日本フォノグラム「歌・行進曲・演説でつづる第三帝国の記録 アドルフ・
ヒトラー(SFX-5156-57)

第三帝国時代の行進曲、軍歌、当時のVIPの演説、ドイツ国防軍のラジオ発表などを集めた、貴重な「音」で聴く歴史史料の紹介です。



          プラモデル野次馬考古学                 
                                                                                                             


プラモデル野次馬考古学だよ  HAPPY NEW YEAR !

2007年01月01日 | プラモデル


正月だからといって、いつまでも
浮かれている場合ではないぞ。
今年も、ビシバシいくぞ。
喝!



HAPPY NEW YEAR
 !     

野次馬考古学を 今年もよろしく!!



「○▲◇☆♂Ж$~£Ш*■∫!!」



「キッ、キサマは

どこの兵隊か!!

ニセアメリカ兵を捕まえた者には、

2週間の特別休暇だ!」




「∩Δ☆! ★★★★★!!!」



                         
今月のチラリズム

                         

第一発目


第二発目

日本フォノグラム 
「歌・行進曲・演説でつづる第三帝国の記録 アドルフ・ヒトラー」
SFX-5156-57


第三発目


以下、続きます。

お楽しみに。




エーか、お前ら

この特集を見ない者は、

国家反逆罪で逮捕する。