絶版プラモデルやじ馬考古学・ボックスアート美術館(なつかしき50~60年代アメリカプラモの世界)

古き良き時代の絶版プラモを発掘する、インターネット考古学。現在、・ボックスアート美術館にてエレール特別展を開催中!

ロシア風味もあるでヨー!フロッグ・ボックスアートギャラリー

2010年10月31日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦


ベルリン駅




「気をつけ!」






「老人と子どもばかりじゃないか」

「閣下、正規軍はすべてオーデル川流域の
 ソ連軍との戦闘に投入されております。
 輸送任務に使える部隊は、これだけであります。
 しかし、大半の連中は前大戦の従軍経験者です。
 何もできないヒヨッコよりは、信頼できますよ」

つづく



フロッグ・ボックスアートギャラリー・民間機編


これは、宿敵イタリアとのバトルに勝利して、シュナイダー・トロフィーを永久に
イギリスのものとした歴史的な機体だ。

シュナイダー・トロフィー・レースは、1913年から1931年にかけて行われた
水上機限定のスピードレースで、フランスの大富豪ジャック・シュナイダーが
主催した。
レースは毎年開催(1927年から隔年開催)され、5年の間に同一国が
3回優勝した時点でレースを終了し、トロフィーは優勝国が永久に保有する
というチョッと変わったルールが適用された。

当時の航空先進国のイギリス、フランス、イタリアを始め、アメリカが途中参加し、
国威をかけた激しいレースを展開した。
とくに、1927年からはフランス、アメリカの脱落により、イギリス、イタリアのガチンコ勝負となった。
イタリアは、ムッソリーニによる強力な国家支援を背景に新型機を投入し、
トロフィー奪取を狙った。
一方のイギリスは、資金不足に苦しみながらも1927年と1929年のレースを
制し、優勝に王手をかけたのだった。
そして運命の1931年、勝利の女神はイギリスにほほえんだ。

フロッグとしては、このような歴史的な機体を見逃すはずもなく、ちゃんとモデル化
しているのは、やはり地元イギリスの強みか。
このボックスアートは、緊張が続くレースのなかで訪れたつかの間の息抜きが
見事に再現されている。
パイロットを背負ったクルーの姿が、何かホッとさせるイイ雰囲気を出していてGood!。


スーパーマリン S.6B実機 Wikipedia
名戦闘機スピットファイアの生みの親レジナルド・ミッチェルの設計による
もので、シュナイダー・トロフィーをイギリスにもたらした一大立て役者である。


シュナイダー・トロフィー Wikipedia
トロフィーというと、優勝カップみたいなものを想像していたが、
これは台座がついた重厚な置物というイメージで、なかなかユニークな
デザインだ。

       
Wikipedia                Wikipedia

1929年開催時のプログラム。
これらイラストは、宮崎アニメ『紅の豚』風の雰囲気で、とても80年近く前の
ものとは思えない。さすが、お金持ちが主催するレースだけあってイラスト
ひとつ見ても洗練されていて、センスが光るのがわかる。

参考資料

ホークの1/48モノ。















ここで、ロシア風味をお試しください


フロッグ倒産後、枢軸国関連プラモの金型はドイツレベルへ、
その他はNOVO(イギリスに設立されたロシア資本の
玩具製造会社で、プラモ生産はロシア本国で行った)に渡った。
以下、NOVOで再販されたキットのボックスアート。
パッケージのデザインは異なるものの、絵は
フロッグと同一のものを使用している。


パッケージをブルーで統一したデザインは、新鮮だ。
ロシアというと、何となくドロ臭くて田舎っぽい(失礼!)イメージが
あったりするが、NOVOの製品イメージはそれほど悪くない。
これも、大英帝国製のボックスアートを使用しているからか(笑)。










フロッグ時代のパッケージ。






フロッグ時代のパッケージ。




こちらも、フロッグ時代のパッケージ。
地上部隊も描かれていて、広大な雪原における戦車戦的雰囲気がイイ。
ただ、戦車部隊は当初ソ連軍かと思っていたが、絵の状況からドイツ軍らしい。
でも、戦車はどう見ても戦後のソ連軍戦車T-54かT-55、T-62みたいな
気がする。映画『ヨーロッパの解放』のクルスク大戦車戦のシーンでは、突撃
する虎戦車モドキ群の後方に、無改造のT-54等がゾロゾロ大量に走り回
っていたのを思い出す。この映画のワンシーンと割り切れば、違和感はない(笑)。




ダイナミックな構図で、好きなボックスアートのひとつだ。
着艦シーンをテーマとしたボックスアートは、レベル1/40スカイレイダーを始め
過去にはわりとあったのだが、現行のプラモではほとんど見当たらない。
売上のことを考えると、着艦シーンより飛行シーンの方が消費者のウケが
いいのかもしれない。


アリステア・マクリーンの海洋冒険小説「女王陛下のユリシーズ号」を
彷彿とさせる絵だ。
荒れ狂う海上で、猛烈な風が吹き付ける。それは、煙突から出される煙の
流れを見てもわかるようなもの凄さだ。雲を見れば、低気圧の接近が予想され、
これからの任務の過酷さ、困難さが予想される。
おそらく、この絵の作者はマクリーンの作品をイメージして描いたのだろう。

参考図書

ハヤカワ文庫
ブックオフなら105円で入手可能。





次回の更新は、11月15日夜の予定です。


地味な香りもエエもんだ!フロッグ・ボックスアートギャラリー

2010年10月20日 | プラモデル

ドイツ軍によるボックスアート輸送大作戦

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(注)ヒトラーが人物を描くのは、非常に珍しい。
    彼は、人物画は得意ではなかったか、
   それともあまり興味がなかったのではないだろうか。

   それだけに、これだけシッカリと描かれた人物というのは、
   ヒトラーと特別な関係(変な意味ではなく)と推測できる。




(注)姪のゲリ・ラウバルをモデルにしたと
   思われるヌード画。顔はゲリにそっくり!
   なお、彼女は後に謎の拳銃自殺を遂げており、
   熱愛していたヒトラーは、非常に大きなショックを
   受け、それ以後肉類を口にしなくなったという。
   「死体を食べるようなものだ」…ということらしい。


(注)珍しくも花を描いている。ヒトラーと花、あまりにもミスマッチな感じがするが
   この絵が描かれた当時、本人もドイツの総統になろうとは夢にも思わな
   かっただろう。




(注)ヒトラーの絵というと、独裁者という凶悪なイメージから
   「芸術的価値はない」とか、「芸術家としての才能がない」と
   いわれてしまうが、彼が描く風景画は宮崎アニメの風景画と
   作風が似ており、ある意味時代を超越(?)していた感がある。

   ヒトラーは、建築物のある風景画を多く残しており、建築に強い
   関心があったことがうかがえる。これは私個人の意見なのだが、
   彼は純然たる画家というより、建築家的素養をもったな画家を
   めざしたのではないかという気がする。
   つまり、絵画のレベルにまで高められた究極の建築パースが、
   ヒトラーの風景画だったのではないだろうか。

「絵は丁寧に扱え!国有財産だ。
 荷造りが完了しだい、出発するぞ」


つづく


チョッと地味ですが…
フロッグ・ボックスアートギャラリー



ハセガワ・フロッグ提携品として、日本でも発売されていた。
地味な機体だったが、出来は意外によかった。
モノグラムのフォード・トライモータ、エアフィックスのJu52(これは軍用タイプだが)を
組み合わせることによって、3発旅客機三羽がらす(?)が再現できた。






50~60年代のSF映画に登場する宇宙人みたいな格好した人物は、
ブリストル138のパイロット。実機は1936年9月28日、高々度飛行記録
15,223メートルを記録し、大英帝国の航空技術力の高さを証明した記念すべき
機体。でも、日本ではまったくといっていいほど、無名な機体なんだよね。
ワシもこのプラモを見て、初めて存在を知ったゾ(笑)。


1944年4月、ノルウェーに配備されていたドイツ戦艦ティルピッツへの攻撃を再現
したボックスアートが、なんとも象徴的だ。
空母から発進したバラクーダは、ティルピッツを急襲し爆弾を命中させることに成功
した。これによって同艦は修理のため、2ヶ月間行動不能になってしまった。
何となくダサくて、日本ではまるで人気がないバラクーダだが、イギリスでは
表彰状モノの機体ということが、この絵によく表れている。




右上の二人の人物は、ジョン・オールコックとアーサー・ブラウン。
彼らは、1919年本機で無着陸大西洋横断飛行に成功する。
日本では、リンドバーグの陰に隠れてほとんど知られていないが、
英雄の愛機をちゃんとモデル化するあたり、誇り高きブリテンの
姿を見るようだ。
でも、冗談抜きで恐ろしく地味な機体だ。
どれだけ売れたのだろうか。


1919年、ロス・スミスとキース・スミスによるイギリス・オーストラリア初飛行を
行った機体をモデル化したもの。
さすがに無着陸飛行というわけにはいかず、イギリスを出発して各地で給油・点検を
行い、28日間を費やして、無事オーストラリアに到着したそうな。
ボックストップの写真は、上のオールコックの乗機のものと同じだ。
なぜ、同一の写真を使用したのか不明だが、こんな旧式の機体(まあ、
当時は新型機だったのだろうが)で、よくぞ冒険飛行をしたものだと
感心してしまう。

次回の更新は、10月31日夜の予定。


エゲレスのジェット機だ!フロッグ・ボックスアートギャラリー

2010年10月10日 | プラモデル


1945年、ベルリン


「撃ち方、始め!」


BAKOM!!


ベルリン美術館


「敵は東西から、ベルリンに向けて進撃中である。
 包囲される前に、総統の絵画とボックスアートを
 移動させなければならない。
 これは、緊急を要する

 潜水艦を使って、国外に運び出すのだ。
 搬入すべき港は、追って指示する。

 それから、危機に陥ったときは、
 ローエングリン突撃団の出動を要請できる。
 ただし、一回限りだ。

 絵は、すべてドイツ第三帝国の至宝だ。
 安全、かつ速やかに移動させよ。
 失敗は許されない。
 これは、総統のご意志だ。かかれ!



「閣下、最善を尽くします。ハイル・ヒトラー!」

つづく

フロッグ・ボックスアートギャラリー

以下、イギリスの初期ジェット機。
機体も保守的な英国風デザインで、アメリカとは一線を画するものだ。

イギリス版元祖ジェット機。
やはり、地味なヒコーキでもシッカリ模型化するところが
地元の強みだ。


初期のジェット戦闘機といえば、イギリス人はMe262ではなく
こちらを連想する。ジェット機開発の先駆者というプライドが、
そうさせるのだろう。
















地味なイギリスジェット機の中でも、このハンターは好きな機体のひとつだ。
オーソドックスなスタイルだが、何となくスマートなところがイイ。

日本では、フロッグよりもニチモのキットの方が知られていると思うが、
あれは元々マルサンがリンドバーグのキットをコピーして発売していたのを、
マルサン倒産後ニチモが金型を引き取ったもので、マルサンの金型が残って
いること自体貴重なことだ。









以下アメリカ製戦闘機だが、当然のことながらイギリスのマーキングと
なっている。



暗黒の天空と青い大気とのコントラストがすばらしい。
写真を見るような写実的な描き方と、絶妙な色使いに感動する。
フロッグのボックスアートの中で、最高傑作のひとつに数えられるだろう。
 

西ドイツ(当時)のマーキングバージョン。
当時、西側のベストセラー戦闘機だったので、さまざまな使用国バージョンが
考えられるが、やはりヨーロッパでは英独のマーキングがメジャーなのか。
そういえば、日本でも国産F86プラモといえば、空自の日の丸タイプなのが
相場で、アメリカ空軍仕様モデルを描いたボックスアートといったら、タミヤ
1/100くらいしか思いつかない。あれは、朝鮮戦争時のミグ15とのエアバトルを
イメージしたものだが、チョッと新鮮な感じがした。


60年代のレベル黄金期ボックスアートを連想させる絵だ。
Leynnwood先生的作風が、これまたイイ。
スピードとモーレツな轟音が体感できる、優れた絵であることは間違いない。

なお、中身はハセガワ・フロッグ提携時代のハセガワのもの。
大半のイギリス人は、プラモが極東の日本製だった…なんて知らなかった
のではないだろうか。このフロッグ製品は、ようできとるワイ…大英帝国の
製品は世界一だ、なんて酔いしれていたのかもしれない。

次回の更新は、10月20日夜の予定。


やじ馬番外地 昔のイギリス航空雑誌ぱーと2

2010年10月09日 | プラモデル


「イギリスの完全なる勝利とは…」


「ヤツのズボンを引きずりおろし、
 ケツを思い切りけとばすことなのだ」

昔のイギリス航空雑誌ぱーと2

昨日に続き、1940年代のものを主に集めてみた。





そして、現在…

              
かなりのにぎやか感があって、欧米のプラモ雑誌みたいな感じがする。
いや、間違いなくプラモ雑誌のノリだ。
表紙のデザインも1940年代のものに比べると、かなり洗練されている。
日本の航空雑誌との違いもわかって、たいへん興味深い。

一方、日本モノといえば…



      

毎度おなじみの日本の航空雑誌。
各社デザインに違いはあっても、新鋭機なり現用機なりの
写真を使用した表紙であることは共通している。

その他、なつかしいところでは「航空ジャーナル」もあったけれど
1988年に廃刊になってしまった。
    
出版元の航空ジャーナル社といえば、あの航空評論家青木日出雄氏が
設立した会社だ。
重大な航空機事故が発生すると、必ずメディアに登場するおなじみの
顔で、温和な表情からかもしだされる雰囲気は、今風でいうならナイスミドルの
オジサマみたいな感じだった。

いつだったか、あるニュース番組に出演した青木氏の変貌に驚いたことがある。
髪の毛がすっかり抜け落ち、ゲッソリと痩せた姿を見て、かなり深刻な病なのでは
と思ったが、その後逝去。
まもなく「航空ジャーナル」誌も廃刊、出版元も消滅してしまった。
何かひとつの時代が終わってしまった…そんな印象が残ったものだ。

唐突ですが…

文春ネスコが2004年に出版したものだが、
当「絶版プラモデルやじ馬考古学」に絶大な影響を与えた。
古き良き時代の絶版内外プラモ・ボックスアートを集めたもので、
日本の出版物として貴重な存在。

なお、コレクションのオーナーたる平塚さんは、チョコレート会社(平塚製菓)の
社長さんで、その豊富な資金力を駆使して
内外絶版プラモの収集をしていることで知られる。
その数たるや、博物館なみ。その圧倒的な収集量から「平塚博物館」
とか「平塚コレクション」と称される。
過去にテレビ番組で紹介されたこともあるので、ご存じの方もいると思う。

明日のチラリズム

イギリスのジェット機は、同じアングロサクソン系のアメリカとは明らかに
異なるデザインだ。
よくいえば堅実、悪くいえば地味で保守的というか、イギリス機の
特徴がよく現れている。
この地味さが災いして、日本では戦後のイギリスジェット機というのは、
あまりモデル化されていないが、フロッグは地元の強みを生かして
いろいろリリースしていた。






チラリズムは、これでオシマイ。
続きは、明日のお楽しみ!


やじ馬番外地 昔のイギリス航空雑誌ぱーと1

2010年10月08日 | プラモデル

昔のイギリス航空雑誌ぱーと1


これは、フロッグと直接関係はないけれど、
イギリスを象徴するアイテムのひとつなので
取り上げてみた。

「AEROPLANE」は、第二次世界大戦前から
刊行されていたイギリスを代表する
航空雑誌で、日本の「航空ファン」や「航空
情報」の大先輩格にあたる。

時代の先端をいく航空機の特集記事を書くことは、
どの航空雑誌でもやっていることだが、この雑誌も例外に
漏れずシッカリ取り上げている。
1941年9月号では、当時イギリス海軍が秘密裏に
開発した複座艦上戦闘機フェアリー・フルマーを
特集している。
ただ、この戦闘機は期待の新鋭機ではあったのだが、
威力を発揮したのはイタリアの複葉戦闘機相手の戦いくらいなもので、
太平洋戦争初期には、零戦と渡り合って壊滅状態となっている。

1940年代のものを中心に集めてみた。








表紙がイラストだと、なんとなく
手作り感がかもし出されて、メチャいい。

ぱーと2は、明日!