野次馬アラカルト
オイ、21時57分だ。
ベオグラード放送に合わせろ。
プラモデル野次馬考古学
アドルフおじさん 思い出のレコード
日本では、第三帝国時代の軍歌(戦前・戦中に録音された当時のものがベスト)、行進曲(同)、ヒトラーをはじめとする閣僚の演説などを収めたレコード、CD、カセットテープなどは、一般のレコード店では売られていません。
主として軍装品関係のミリタリーショップが扱っているケースが多く、以前私も渋谷のアルバンという店に足を運び、いろいろと物色したものです(現在、この店は五反田に移転して、渋谷にはないそうです。確認はしていませんが‥)。
これらレコード類は、すべて輸入品(カセットテープで、一部日本製海賊版がありました)であったため、歌詞や曲の説明は当然のことながら外国語でした。英語なら辞書片手に何とか訳せそうですが(実際、これも英語力のない私には、きわめて困難な状況でした)、ドイツ語、フランス語となると、もうダメでした。
面白いことに、第三帝国もののレコード類は、ドイツ以外ではフランスでもけっこう作られていて、内容的にもきわめて優れたものが多いのです。
第二次大戦中、ドイツに占領された経験をもつフランスにとっては、やはりナチスに対する関心が高いのかもしれません。それとも、ドイツ国内では、この手のレコード類が出しにくいので、ドイツの企業がフランスで制作したものを販売しているのかもしれません。
どちらにしても、ドイツ語の軍歌や演説などは、聞いていても内容がサッパリわからないというのが難点でした。
その中で、1975年に日本フォノグラムが発売した「歌・行進曲・演説でつづる第三帝国の記録 アドルフ・ヒトラー」(SFX-5156-57)は、とても貴重な存在です。
レコードに収められている軍歌、演説にはちゃんと日本語訳がついており、内容がしっかり把握できるようになっています。
たとえばナチスの党歌「ホルスト・ヴェッセルの歌」は、はたしてどんなことを歌っているのか、興味がありました。
現在でもパリやワルシャワなど、ドイツ以外のヨーロッパ各地で歌おうものなら、おそらく袋叩きになることは間違いないでしょうし、たとえドイツ国内であろうとも、警察に逮捕されるのがオチです。
でも、怖いもの見たさではないですが、禁止されればされるほど知りたくなるのが人情ではないでしょうか。
ホルスト・ヴェッセルの歌
1、高々と隊籏を掲げ
しっかりと隊伍を組んで
SAは行動する 堂々と
「赤」や反動に撃ち殺されし同志よ
君らの魂も われらとともに進まん
2、褐色の部隊の行く手遮るものなく
われら突撃隊員の前に 道は開けたり
数百万の人々は希望にあふれ
ハーケンクロイツを仰ぎ見る
自由とパンの日は来たのだ!
3、最後の召集ラッパは喨々と
鳴りわたり
われら皆出撃の準備成る
街々にヒトラーの籏翻り
隷従の時も終りを告げん!
「アドルフ・ヒトラー」付属解説書より
収録されている行進曲や軍歌,他
ラインの守備(まもり)
バーデンヴィラー行進曲(総統お気に入りの曲)
エリカの花(SAの愛唱歌)
ホルスト・ヴェッセルの歌(ナチスの党歌)
おお聖なるドイツ
歌声高くわれらは進まん
われらヒトラーの民
進め突撃隊
ほくらの籏は翻る(ヒトラーユーゲントの歌)
若者は進む(同上)
歓喜力行団の歌
ニーベルンゲン行進曲
東方への進軍
国民よ武器をとれ
ポーランドのドイツ軍
パリ入城行進曲
われらイギリスへ飛ぶ(バトル・オブ・ブリテン時の軍歌)
装甲擲弾兵の歌
リリー・マルレーン
唯わが歩兵かく戦う
ドイツ機甲師団行進曲(映画「バルジ大作戦」で、ドイツ戦車兵らが歌っていた)
これらの行進曲や軍歌は、すべて戦前・戦中に録音されたものばかりで、貴重です。
ベートーベンやバッハなどのクラシック曲をイメージさせるような重厚で豪快な演奏は、同国の戦後の演奏とは一線を画するものです。
その他、ヒトラー、ゲッベルス、ヒムラー、ヘス、ムッソリーニ、スターリン、ルーズベルトの演説、ドイツ国防軍最高司令部の発表を伝えるラジオ放送 など
演説のなかで圧巻なのは、やはりヒトラーの演説で、ドイツ語がわからなくてもその迫力に思わず引き込まれてしまいます。
さらに、絶妙なタイミングで発せられる「ジーク・ハイル!」の声。
会場の雰囲気は、いやがうえにも高まります。
ヒトラーに関心のない人でも、その場に居合わせたら思わず「ジーク・ハイル!」と叫んでしまうのではないでしょうか。
1939年9月1日、ポーランド侵攻時における演説
ポーランドは今日初めて正規軍によるわが領土への砲撃を行なった。5時45分から、今や反撃が開始される。今より後は時々刻々報復が行なわれる。毒をもって戦う者は毒ガスによって反撃される。人道的な戦争遂行の原則から離れんとする者は、我々もまた同じ道を進む以外にないことを思い知るであろう。私はこの戦いを、相手がいずれの国であれ、わが帝国の安全とその権利が保証されるまで続けるであろう。
(中略)
私は今こそドイツ帝国の一兵卒たらんと欲する。
それ故に、かつて私にとって神聖であり貴重なものであったあの上衣を、今再び身に着けたのである。私がこの上衣を脱ぐのは、勝利の後か、それとも私が戦場の露と消えて、その最期を見届け得なくなった時かであろう。
「アドルフ・ヒトラー」付属解説書より
これが有名なヒトラーの「勝利か死か」演説です。
演説が終わるやいなや、割れんばかりの拍手や歓声、嵐のような「ジーク・ハイル!」が起きたのは、容易に想像できます。劇場型政治の典型ですね。
でも、先に手を出したのはポーランドである、などとデッチ上げもはなはだしい。どこの大国もよくやる手(?)ですよね。かつての日本を含めて‥
ジャケット内側その1
豪華絢爛、超大物スター総出演、20世紀最大の戦争巨編「第二次世界大戦」。
欧米各国の陸海空三軍の全面的協力により、ついに完成。
枢軸国VS連合国の激突。
陸を埋め尽くす戦車軍団。
海に繰り広げられる死闘。
空を乱舞する航空機。
ベルリンは、
ロンドンは、
モスクワは、
パリは、
燃えているのか。
○月○日、全世界同時公開!
‥‥と、出演者を紹介した映画ポスターのイメージです。
ジャケット内側その2
ヒトラー年表とナチス党の組織図など
ジャケットの裏側。
これからは、付属の解説書。
演説や歌詞は、各ページの左側に原語標記がされ、その右となりに日本語訳が記載されており、とてもわかりやすい。
左は、宣伝に天才的能力を発揮したゲッベルス。現代なら、世界の有名広告会社からの引き抜き合戦が展開されたことでしょう。
ナチス幹部の中で、随一のインテリで文学博士の肩書きをもつなど、異色な人物。
顔に似合わず、カン高い声の持主で、その美声(?)で人々を魅了しました。
伝説が始まる。
ベオグラード放送、二一時五七分。
リリー・マルレン
兵営の前
正門のわき
街燈があったね
今でもあるね
そこでまた会おうよ
街燈の下で会おうよ
昔みたいに、リリー・マルレン
ぼくら二人の影が
ひとつになって
愛しあっていることは
誰にもわかった
また街燈の下で
みんなに見せてやろうよ
昔みたいに、リリー・マルレン
歩哨が呼んでる
消燈ラッパだ
遅刻は三日の営倉だ
戦友よ、すぐに行く
ぼくらはさよならを言ったね
ぼくはきみと行きたい
きみだけと、リリー・マルレン
静かな部屋の奥から
大地の暗い底から
きみのやさしい唇が
ぼくをそっと慰める
夜霧がこめるころ
また街燈の下に立つよ
昔みたいに、リリー・マルレン
パウル・カレル著 「砂漠のキツネ」 三八頁~三九頁 フジ出版社
『一九三八年にウィリー・シェファーズがキャバレーでラーレ・アンデルセンにこれを歌わせた。落第だった。評判は悪かった。「おセンチだ」と客は笑った。レコードもはやらなかった。しかし数年後、この歌はクレーフェルトで熱狂者をえたのである。一九四〇年春、フランス作戦の前、ここには第三偵察大隊第二装甲中隊が駐屯していた。毎夜酒保に集まっていた下士官たちは、初めてリリー・マルレンを聞いた。寝酒のかわりに来る日も来る日もかけた。その中隊の予備役曹長カール=ハインツ・ライントゲンはベルリン放送局出身だが、リリー・マルレンに熱中した。第二装甲偵察中隊が一九四一年晴アフリカに出陣し、一方少尉に昇進していたライントゲンがベオグラード国防軍放送局送信責任者として転属したとき、リリー・マルレンの運命はきまったのである。ライントゲンはくだんのレコードを持っていって、もとの中隊への愛情からねんごろな挨拶をこめてそれを放送した。二、三日して大きな反響がとどいた。もう一度あのレコードを!それからというもの毎晩二一時五七分になると、ベオグラード放送局から街燈の歌が流れた。前線ばかりでなく国内でも二二時近くになると「ベオグラードに合わせろ」が合言葉となった。』
「砂漠のキツネ」 三九頁
そして‥
『歌は戦線を超えたのである。兵営の街燈の歌はまことに強力で、イギリス司令部は将校たちに命じ、兵士がそれを歌ったり口笛で吹かないように、またドイツ放送をきかないようにさせなければならなかった。』
「砂漠のキツネ」 三九頁
敵味方に愛唱された歌なんて、そうめったやたらにありません。
これも、教科書には載らない歴史のエピソードなのでしょう。
LP「アドルフ・ヒトラー」が発売された当時、この曲が話題になってシングルレコード(日本フォノグラム)が国内リリースされました。もちろん、あのララ・アンデルセン(文献によってはラーレ・アンデルセンになっていますが、単なる標記上の問題でしょう)が歌っているオリジナル盤です。ちなみに、B面は「バーデンヴィラー行進曲」でした。この行進曲はヒトラーお気に入りの曲として、戦後長い間演奏が禁止されていました。もともとは帝政ドイツ時代に作曲されたもので、ヒトラーとはまったく関係がありませんでしたが、ヒトラーが自分のテーマ曲として、公式の場でさかんに流したため、ナチス関連の曲という烙印が押されてしまった不運な曲でもありました。
「リリー・マルレーン」のシングルレコードが発売されたのとほぼ同じ頃、ララ・アンデルセンの生涯を綴った「リリー・マルレーンを聴いたことがありますか」(鈴木 明著 文藝春秋)という本も出版されており、一般に知られるきっかけになりました。
この「リリー・マルレーン」という曲、それまではWWⅡドイツ軍マニアぐらいでしか知られていなかった、きわめてマニアック(?)な曲だったと思いますから‥
次回のチラリズム
聞け!
総統命令により、次回の特集を変更する。
ドイツ第三帝国の祝日である総統誕生日に係る文献を紹介するゾ。
ジーク・ハイル!
人類史上最大の誕生日パーティ。
安倍総理の誕生日でも、これだけ大仕掛けのお祝いはしてもらえないでしょう。
総統は、しあわせ者ですね。
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odessa@rr.iij4u.or.jp
私が高校生のとき、新聞広告を見て即刻購入しました。
それから間もなく、ドイツ大好きな高校の世界史の先生もこれを購入して、授業まるまる全部を使って、ヒトラーの演説やドイツのマーチ・軍歌を聴かせてくれました。
素晴らしいLPを世に出してくださり、ありがとうございます。
持っています。
1. Marches, Songs, Speeches
Nazi Germany W II
2. Hitler's Inferno in words, in music
1932-1945
Marching Songs of Nazi Germany
3. Hitler is on the air
A Study in Audible Evil
Broadcast Recordings of the 3rd Reich
4. Adolf Hitler "Reichstag Speech"
September 1, 1939
ご興味あればお譲りします。 そちらの値段で
結構です。
さて、お手元のLPレコードをお譲りいただけるとのお話ですが、現在のところレコード関係の収集はしていないのが実情です。ご丁寧なお申し出に対し、誠に申し訳ないのですが…
なお、今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
了解しました。 ご丁寧にありがとうございました。
ありがとうございました。
リリーマルレーンという曲は
パウル・カレル著 「砂漠のキツネ」を
読んでその存在を知りましたが、
当時どんな内容の曲か知ろうにも
その手立てがありませんでした。
その時、アドルフ ヒトラーのレコードが
発売されて、ようやく知ることができました。
当時の音源を使用したレコードは貴重ですし、
ドイツ現代史の資料的価値もあると思います。