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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例会報告 2015年5月度

2015-05-25 15:58:39 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年5月度会合より)


●印刷に携わることは『栄誉』なのか『富』なのか

 『書物の夢、印刷の旅』(ラウラ・レプリ著;土社刊)と題する本が、印刷人の間で関心を呼んでいる。本書の原題は「富か栄誉か」であり、また日本語版の副題には「ルネサンス期出版文化の富と虚栄」とある。当時の出版、印刷文化さらには政治の歴史を、当時のベストセラー本『宮廷人』が刊行されるまでの経過を散りばめながら、つぶさに語ってくれる“歴史ノンフィクション”となっている。イタリアきっての名編集者として知られる著者が、ある意味で客観的な立場から、印刷産業を通して中世から近代への時代の移り変わりを活写しているのだが、印刷文化の向上に関わる栄誉を感じるのか、印刷事業としての富を追い求めるのか――この両立し難く解決し難い“悩み”が当時から今に連綿と続いているという事実を読者に投げ掛けてくる。


●印刷都市・ヴェネツィアの躍動が手にとるように

 グーテンベルクの活版印刷術が1450年頃に発明され、書物の大量複製をドイツ人が担い始めるまで、つまり出版業が勃興して近代が幕を開けるまで、イタリアのヴェネツィアは世界でもっとも文化的に豊かな都市であった。中世期には豪華な書物が数多く制作されている。本書はまさに、印刷機を駆使した出版が普及し出した16世紀の、そのヴェネツィアを舞台に物語が綴られている。ヴェネツィアが16世紀においても、ドイツの諸都市に伍してヨーロッパ中の印刷物の半数以上を受けもつ印刷都市の地位を堅持していたことはよく知られる。本書を読むと、グーテンベルク以来わずか数十年で「出版と印刷」が現代と変わらない業態となり、“出版資本主義”に起因する熾烈な競争にさらされていたことが手に取るようにわかるのだ。


●止められないスピードが印刷文化を破壊した?

 当時の人びとが驚いたのは「印刷機がもたらした速度と、修正の難しさ」だったという。手書き(書写)とは比べものにならない速いスピードで分厚い書物が大量につくられ、しかも社会の隅々にまで普及していく。いったん軌道に乗ったら、途中では止められず直しようもなく……である。それは原稿の書き直し、印刷の生産工程という範囲に止まらず、印刷事業、出版流通についてもいえることである。「容赦のない熾烈な競争が印刷の世界を支配し破壊」したと、本書は喝破する。破壊したのは出版文化であり印刷文化であるというのだ。黎明期といってよい16世紀初頭に、早々と「財やサービスの競争力を凌ぎ合う状況」が生まれ、そのかたちが未解決のまま21世紀の現代に至るまで続いているとしている。本書の原題が示すように、「富か栄誉か」という両立できそうにない大問題に、印刷業は誕生当初から付き合ってきたのである。


●書籍を大切にしてきた国、そうして来なかった国……

 ヨーロッパ社会で書籍がいかに重要視されてきたか――歴史ある本がきちんと残されていること、情報や知識が文字として共有化され伝承されてきたことから、その事実を痛切に感じる。文学や思想だけでなく絵画、工芸、音楽などさまざまな芸術分野で飛躍的な発展をみせた15~16世紀のルネサンスは、本当に凄かったと思う。文字どおり「文芸復興」にふさわしい。その成果を現代に残してきた精神にも一層感心する。翻って日本では、最多のもので1,500冊は印刷されたといわれる「キリシタン版」が、どの版もいま一冊も残っていないというのは、どうしたことなのか? キリシタン版が制作されていた期間(1590年~1610年)からしばらくの間、徳川時代のごく初期、少なくとも1614年に宣教師が国外追放されるまでは、当時の印刷所が弾圧されることはなかった。焚書を免れる余地はあったはずなのに、1冊も現存してしない。もしかすると、読んだ人がそのつど何気なく捨ててしまっていたのではないか? 


●印刷会社にも自社で製作した印刷物を残す責任が

印刷の歴史はその国の歴史を表すという。日本にも和紙に筆で書いた古文書が数多く保存されてはいるが、果たして資料を大切にする国といえるのか? 大多数の印刷会社は、自社で製作した印刷物を保存するという習慣をもっていない。出版社についても同じことがいえそうだ。それは出版物に限らず、その時々の最新技術でつくられるポスターなどの商業印刷物にも当てはまる。最先端の写真技術でつくられたはずの原画さえ、かつては作者の手元に返さないまま残してもいない。文化財の保存を大切にするヨーロッパの精神に学ぶべきところは多い。次から次へと読み捨て去られる世相のなかで、印刷会社はせめてもの償いで、過去の文献をデジタルアーカイブし、後世の人たちが誰でもみられるようにしてほしいものだ。


●版材の砂目構造を立体的に測定してみると……

 素材や製品の表面形状(粗さなど)を、三次元的=立体的な分析によって評価しようという動きがある。非接触による3D測定走査型レーザー顕微鏡が開発されるなど実用化が進み、現にISOシリーズで規格化が検討されているという。この技術を印刷分野、例えば、CTPプレートなどアルミ版材の砂目立てを評価して、水絞り(速乾)印刷の問題を考える指標として使えないだろうか。版材の砂目構造はメーカーによってそれぞれ独自の形状をもっているが、コア部および谷部に形成されている空間の容積がどのくらいあるかが、この測定方法を使うと把握できる。版材の表面に水が止まれる量は、谷部の底から平均的な高さに達するまでの空間容積に比例すると考えられる。湿し水の供給量を最小限に絞りながら、インキ被膜の薄い高濃度印刷をおこなおうという基本に立ったとき、コア部および谷部における空間容積の大小という切り口から、版材がもつ特性をもう一度見つめ直すデータを、この新しいCD分析法は与えてくれそうだ。


●激変の今こそ、印刷産業界と教育界との連携を

 大学をはじめ日本の教育機関から学科としての「印刷」の名称が消えて久しい。それでも、印刷産業はデジタル化、情報化の流れのなかで業態こそ変われ、厳然として存在し続けている。社会のニーズを満たすべく、さまざまな印刷メディアを生産し提供してきた。しかし、産業構造や市場環境、需給関係が急激に変化したのに伴い、印刷産業としてのあり方、個々の印刷会社のビジネスモデルを再構築しなければならない局面にも立たされている。にもかかわらず、そうした変革に対応できる人材が不足しているのが実情だ。有能な人材が何より求められているはずなのに、印刷産業には、この問題に真正面から取り組もうという姿勢がない。人材の育成と確保に関する具体的な対策が講じられていない。教育制度の見直し・改革が必要だという究極の課題が投げかけられているのだが、打開策を模索する様子もみられない。ここは、印刷産業界と教育界との情報交換、何より対話をもつことから始める必要がある。


●印刷教育のあり方を根本からつくり直していこう

 教育機関の印刷関連科目をみると、「グラフィック」や「画像」といった名称が付けられているが、その中身は、印刷工芸的あるいはグラフィックアーツ的な色彩が強く、肝心の人材供給側で印刷教育があまり重んじられていない。印刷の原点に立つなら、例えばDTPシステムと画像処理技術についての全体像を理解できる学生を育ててほしい。印刷技術の基礎理論を学んだうえで、顧客に提案可能な製品(印刷メディア)を企画立案できる能力を教育してほしい。印刷産業と教育界(印刷専門の教育機関も含めて)が協力し合い、効果的な教育の「場」づくり、教育システム、教育プログラム、運用などをどうするかを検討する必要があると思う。印刷企業の視点からは、印刷関連技術の基礎教育はもちろん、情報、メディア、マーケティング、経営などに関する教育を求める声が強い。学生教育と社員教育とでは目的が根本的に異なるのだが、幸いに印刷産業にはアナログ、デジタルの両分野に精通し印刷の魅力を語れるベテランが大勢いる。そうした人を講師として派遣することも含め、総合的な支援体制をつくっていければ幸いだ。

印刷図書館倶楽部 月例会報告 2015/4月度

2015-04-22 09:16:52 | 月例会


[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年4月度会合より)

●印刷料金の見積もりはつねに悩ましい問題…

 印刷価格(料金)をどう見積もりし顧客に請求するか――印刷会社が長年にわたって抱えてきた悩ましい課題だが、アメリカの印刷業界団体であるPIAがコスト(経費)、プライシング(料金設定)、プロフィット(利益)の関係からこの問題を考察したレポートを公表、さまざまな切り口から適切な答えを導く思考プロセスに、経営者自ら関わるべきだと提起している。このレポートでは、幾多の切り口のうち主要と思われる3つの異なる見解を読者に提供している。どの見解がベストなのかと考えるのは不適切で、むしろ全ての捉え方が正しく、実務的にも価値があるとしている。自社の能力を完全に利用することを前提に、あらゆる意見を考慮することこそがビジネスにとって重要なのだという。

●見積もりプログラムには無数のルールがある

 印刷会社に価格の決め方を尋ねると、少なくとも3点以上の答えが返ってくるそうだ。一部の印刷会社は「コスト」を拠りどころとし、他の印刷会社は「需要」に着目して価格を決めている。新規顧客、新規受注の価格は、通常、固定客からの受注価格とは大きく異なっている。それは、基本的に印刷業が受注産業であり、受注するたびに見積もり作業を繰り返していることに起因する。マーケティング視点での戦略的な料金設定を含め、見積もりプログラムには無数の基本ルールがあることがわかる。


●固定費を吸収して初めて利益は生まれる

 印刷業は個別の受注生産ビジネスでありながら、コストシートによる原価計算に疑いもせず頼ってきたのが現実である。変動費としての原材料費、直接費に当たる製造コストはもとより、固定費(間接費)としての一般管理費、機械設備の減価償却費なども含めて総原価とし、それに期待する利益相当額を載せて見積額としてきた。しかし、製造コストで算出した売上総利益と、さらに販売費や一般管理費を差し引いた営業利益とは異なる性質をもち、固定費の枠を超えたときに初めて利益は生まれる。利益を最大化したいのなら、売上総利益=付加価値額を高める努力をしなければならない。たんに変動費を上回るだけの見積額では、利益を得ることはできない。それは料金の引き上げか生産量の増加によって達成できると、このレポートは強調する。生産能力の完全活用(フル操業)が売上総利益の最大化に重要な役割を果たすわけだが、これを可能にするには柔軟な料金政策で受注を勝ち取らなければならない。顧客が印刷製品のために支払いを厭わない金額と同じレベルの印刷料金を請求するよう注力する必要がある。


●自社独自の効果的な料金設定戦略を導入しよう

 効果的な料金設定戦略を考案することは、印刷ビジネスを存続させるためにもっとも重要な要素の一つである。多くの印刷会社は、簡易な料金設定アプローチを利用しているが、コストをカバーしビジネスを維持して競争に打ち勝ち抜くために、適切な独自の設定戦略を定式化しているわけではない。この点、マーケットリーダーとなっている印刷会社は、より革新的な戦略を実践している傾向がある。それは、収入を最大化してより高い収益を得、成長を育んで高度な株主価値を生み出すことを意識したものである。短期用、長期用など個別の処理を意図した戦術を使い分けているのである。例えば、①コストプラス(マークアップ)法、②上済み吸収(初期高値)価格政策、③市場浸透(初期安値)価格政策、④バージョニング(製品仕様変更)価格政策、⑤顧客需要対応価格政策、⑥認知獲得価格政策――などがある。顧客価値を熟知しないまま機械的に料金を設定する①のコストプラス方法では、企業の競争力・成長力を高められずマーケットリーダーにはなれない。これに対して⑥の認知獲得価格政策は、支払いを厭わない金額に応える高度な印刷製品・サービスを提供することで、顧客に自らの潜在ニーズを納得させて高額の印刷料金を設定できる強みがある。印刷経営者は、これら多くの異なる価格政策を理解し、長期的、短期的に自社に適した戦略を採用する必要がある。


●需要サイドの顧客ニーズをよく把握したうえで

 プライシングはマネジメントにおけるもっとも重要な意思決定の一つで、理想的には取引コスト、需要と価格の弾力性、さらには競合とのダイナミクスを反映させたものにする必要がある。コストの見積りは確かに重要だが、その一方で「マーケットが負担してくれそうな料金」を調べるべきである。顧客(買い手)の強さとニーズ、顧客自身のマーケット力、顧客の要望の取り込みなど、顧客の事情を十分に考慮しなければならない。そうした需要を見積る方法としては、競合の動向を確実に把握したたうえで、①顧客ニーズと需要に対する精通度、②顧客のビジネス戦略における印刷製品の重要度、③パッケージ化された付帯サービスによる貢献度――をそれぞれ向上させることが重要となる。見積りソフトでコストを積算しようとする前に、需要サイドを的確に評価することに全力を注がなければならない。
=参考資料;Dr. Ronnie H. Davis, FLASH REPORT Vol.7, Dec. 2014, PIA=


●戦略計画に取り組むことの重要性を認識したい

 売上高増大と収益性向上との間には、統計的に正の相関関係がある。戦略的な経営計画と収益性との間には、それ以上に強い相関関係がみられる。戦略計画に関する立案プロセスを独自に開発し、関連情報を収集・分析し、計画の進捗状況を追跡している印刷会社は、そうしなかった企業よりも高い収益性を示している。プロフィットリーダーは、差別化できる要素が何であるかを学び、実践に力を注いでいる。そうすることが、利益を確保し成長を持続させるカギであることを知っている。プロフィットリーダーは「経営のトップが戦略計画を主導する」という経営慣行を重視している。これこそが、プロフィットリーダーがプロフィットリーダーたる所以である。戦略的計画はより強い印刷業をもたらす。印刷会社が戦略計画に率先して取り組むなら、その結果として強い印刷業を営めるだろう。印刷産業のなかで、知識武装したプロフィットリーダーになることを望みたい。 =参考資料;2014 Strategic Planning Report (PDF), PIA=


●売上増より利益額の増加の方が重要である
 利益とは、受注価格から製造に直接掛かった費用と間接費を差し引いた金額であり、そう考えると、PIAのこの資料が示すように価格を1%上げる方が、製造コストを1%下げるより、また間接費を1%下げるより、利益を引き上げるというのも自然と頷ける。印刷業の多くは、事業計画の目標設定で売上額増大が主となっているようだが、他の多くの業界ではかなり前から利益額を主たる目標にするよう変えてきている。売上げ増加で利益額を増やすという政策から、利益額を上げるにはどうするかという政策に変わってきているのだ。高効率で優れた事業運営であることを証明するために利益率を重視し、目標の利益額を達成していこうという方向にある。


●顧客にとっての価値の創造を土台に置いて

利益を高めるには、値上げで売上高を増やすのが一番早道だが、成約料金は、製品のQCD(品質・費用・納期)だけでなく、顧客にとっての価値がプラスアルファーとして加わって決定される。たんに売上げ増加を狙って安値で受注できたとしても、それで顧客の価値を満足させることができるのか、利益の増加につながるのか、よく考えなければいけない。ここはやはり、顧客にとっての価値を見出し、競合に勝る価値の創造、提供によって値上げを実現し、利益率を向上させ、結果として利益額を増強する方向が望ましい。料金を引き上げ、なおかつ成約するには、社内の意識や取り組み方にどんな課題があり、それをどう解決するのか、何より効果的な受注活動を展開するにはどのような営業方針、営業戦略でいくべきかについてよく検討してほしい。

以上
 

月例会 2015年3月度会合

2015-03-23 15:32:46 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年3月度会合より)

●印刷産業がもっている“財産”を大切に

 文字は本来、公共のもので、原則として著作権は伴わない。しかし、書体となるとデザインが付随して、著作権が発生する。さまざまな異形書体が出現しているが、変形するほどに大元のかたちが分からなくなってしまう。許されるデフォルメの境が難しい。書体そのものがだんだんあやふやになっているのが実情だ。企業が独自の書体を他社に提供しても、それによって使用料を支払ってもらえるといった商習慣すらない。産業レベルで大元の「字体」を明確に定め、データベース化しておく必要がある。産業全体を俯瞰してものごとを考える業界人が少なくなってきた今こそ、真剣に取り組まなければならないと思う。見逃し素通りさせてしまうと、印刷産業がもっている貴重な資産を失うことになるだろう。書体に限らず、印刷産業が大切にしている固有の技術やノウハウを顧客に主張する努力もしない。重要性を印刷業界としてもっと理解して習熟し、次世代に教育していく必要があるだろう。


●大きな気持で印刷の文化を築いていこう

 印刷関係者は、もっとも身近な印刷産業の歴史を残そうという気がないようだ。印刷会社も自社の歴史を大切にしていない。古いものを壊してしまうことを厭わない。先達が注いだ努力、苦労が、情報化、デジタル化のなかでものすごい勢いで失われている。今こそ、印刷の歴史や文化を築くことに力を注いでほしい。例えば、デジタル情報は装置がなければ見られないのに対し、印刷情報は光さえあればすぐに見ることができる。人々に役立つそんな有用性を、印刷業界としてもっと喧伝すべきである。長寿企業が多いのは日本くらいで、これは、自分の儲けより他者の利益を考えてきた(商売三方良し)ことの“証”といえる。誇っていい。昔は、社会的価値とか文化財保護に気を配る器の大きい経営者が多かったが、そういう人も少なくなった。日本人全体も、先祖とか家系を重んじる欧米人に比べて、きわめてドライになってきている。どうなっているのだろうか? 非常に残念だ。


●「地域情報誌」の育成にビジネス領域がある

 地域繁盛店の誕生は、フリーペーパーで知れ渡ることがきっかけとなるが、今では、一歩進んでネットで情報が広がり、隠れた評判店にお客が押し寄せるようになった。ネットの力はすごいと思わせるが、しかし、ネットで流される情報は主観の集まりで、その主観に任せた意見が通用してしまう危うさがある。あくまで主観であるべきことが、ともすると客観になりがちな部分がある。ネットにはたくさんの情報が載っているが「本当に欲しい情報がない」と嘆く人も多い。再読もできないし、信用できない情報があるかも知れない。やはり、フリーペーパーによって得られる冷静さが必要だ。本には、自ら探して納得のうえで購入し、しかも精読できる強みがある。そこに、印刷特有の文化が育つ。地域情報誌を育てることは、印刷業界が取り組むべきビジネス領域だろう。こじんまりした市場でも成り立つような媒体をつくるところに、印刷会社の役割がある。情報をデジタル処理するノウハウがあれば、十分支援できる余地がある。


●イノベーションの現実から、何を掴み取るか


 文筆家のなかには、既存の出版社や流通機構を通さないで、読者に作品を届けたいという思いがある。現に街の書店には、作家本人あるいは小さな出版社が発行したエッセイ集や郷土誌、地元案内などの本が並んでいる。コンビニエンスストアの棚にも、選び抜かれた特定分野の売れ筋本が置かれている。取次を通さないで販売することが簡単に認められるようになったので、こうした傾向はこれからも増えていくだろう。出版ビジネスとして成り立つかどうかは、新しい発想、アイデア如何にかかっているが、イノベーションに類するビジネスであるに違いない。イノベーションの進展で技術が急速に進歩すると、ある時点で消費者が望む水準を超えるときがくる。それ以上の機能は、いわゆる過剰品質となる。各社同じ土俵でのコスト競争に陥ることになる。電気製品、電子機器の最近の動向をみれば、良く解る。土俵から脱出するためには、用途に応じた単機能の、それでいてニーズに即応した製品につくり分け、異なる顧客市場に販売していくしかない。出版界における既存の流通機構の限界も同じことがいえる。印刷会社としてこうした動きとどう付き合うか、じっくり観察して果敢に挑戦してほしい。


●教育を通じて、学生に印刷の魅力と将来性を

 大学の科目から「印刷科」がなくなって久しい。印刷業界の専門学校も、どちらかというと後継者教育に力を注いでいる。教養としての基礎教育、基本としての技術教育より、ビジネス知識に力が注がれるようになった。経営学の世界でも、理論的な基礎知識より、日常の実務に手っ取り早く役立つ実践的な手法を教えることが重点になってしまった。大学の専門学校化が指向されている今、もしかすると、あらゆる教育分野、産業分野で同じような方向にあるのかも知れない。底辺を拡げ、土台を固めるための学問の場がなくなってきている。若い人が落ち着いて学ぶ機会を得られない。重大な問題だと思う。これでは、進路先の産業について関心を深めることもできないし、将来の夢をもつことも不可能だ。印刷産業に関しても例外ではない。印刷メディアは社会的に必要なこと、印刷産業が魅力的であることを教えたいものだ。印刷業界からの積極的な発信、呼び掛けが欠かせない。


●ユニバーサル・デザインが紹介されて15年

 ユニバーサル・デザインの考え方が日本に導入されてから、15年ほど経った。健常者、目や耳の不自由な方、高齢者、子供など、多様な人々が誰もが等しく、しかも不便を感じずに利用できるようにと、インフラ設備、看板類、各種製品、その他あらゆる分野に浸透してきた。普及している背景には、バリアフリーへの理解、少子・高齢化の進展、災害対策など社会的課題の増大があるが、印刷物による協力も盛んにおこなわれている。印刷業界では、誰でも公平に読める印刷物を「メディア・ユニバーサル・デザイン」と称して、提案営業のツールに組み込んだりしている。印刷業界が提案するユニバーサル・デザインは、文字・書体、色彩・配色の切り口から、大活字本、角丸絵本、点字本に始まり、読みやすい書体(ユニバーサル・フォント)の開発、道路地図、交通路線図の色分け……と、枚挙に暇がない。電子フィルターを通して色補正し、デジタル印刷システムでユニバーサルに印刷するといった技術も使われている。


●印刷業界の社会貢献に結びつけたいものだ


実は「誰にでも公平に読めるように」という社会的要請と、「広告としてのアピール効果を」というプロモーション要求に、印刷会社は挟まれている。どちらを採用すべきか、つねに悩まされる。発注者の理解が足りないと、とかく混同視される。しかし、文字や色合いをデジタル処理し、そのデータを自在にデジタル印刷できる技術をもっている。同じコンテンツを使って、あらゆる読み手(顧客)の事情に応える印刷物を作成することができる。これは、絶対的な強みだ。無駄な生産を避けることも可能で、多様なニーズをもった顧客との共存共栄をはかれる。問題は、顧客ニーズを的確に見出すこと、その対象顧客に正確に印刷物を届けることにある。マーケティング企画から製品デリバリーに至るサプライチェーンを整えて、人間生活にやさしい印刷物を届けたいものである。共存共栄の道を、ユニバーサル・デザインを通じて開きたい。印刷技術の進歩で容易に可能になるだろう。受注促進に使おうとして、1社だけでユニバーサル・デザインに固執してはならない。印刷業界あげての用途提案、発注先を含む企業間の連携が欠かせない。ユニバーサル・デザインという領域のなかで、マーケティング感覚が醸成される。その発展形のなかで印刷業界の社会貢献ができるなら、それに越したことはない。


以上

月例会報告(平成27年2月度会合より)

2015-02-23 13:52:29 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年2月度会合より)


●フリーペーパーへの取り組みに何を学ぶか

 印刷会社も結構、フリーペーパーに取り組むようになった。全国ではかなりの数にのぼっていて、しかもスポンサーをつけずに自力で事業化している。多い例では50ページものを18万部、平均的にみても1万5,000部から3万部は確保している。社員が取材、記事作成、編集、ページアップ、印刷のすべてを社内でこなす。印刷機が空いた時間にその印刷をおこなうのだが、「そこまでできるのなら、これも編集してくれ」という依頼や、印刷そのものの仕事も増えてきているそうだ。地元の県内をいくつかの地域に分割し、それぞれの客層を調べて個々のニーズに沿った商品情報を提供したり、住民の去就を詳細に紹介したり、さらには住民の有志を情報提供者として登録するなど、地域にぴったり密着した身近な情報誌に仕立て上げているのが成功の要因だ。印刷会社自身が出版分野にまで手を広げる、こうした動きから、過去の延長線上の“現状第一”では、印刷ビジネスとして限界があるということが分かる。現に、地方の印刷会社の方が全く新しい感覚で経営に当たっている様子が伺える。


●若者たちは「キリシタン版」の印刷を試みる……

 熊本県下のある工業高校が、キリシタン版に用いられた活字の鋳造と印刷を再現する授業(実技指導)をおこなっていて、評判になっている。この科目は、そもそも生徒たちが自ら工業にかかわるテーマを掲げて、実現に向けての計画の立案、資料調査、工具類の製作、組み立て製造などを一貫しておこなう課題研究であるところに特徴がある。6年前からテーマにしているキリシタン版の再現では、そうした教育方針に沿って、実際に資料館訪問、文献調査、そして当時の技術を基本にした母型や鋳型の製作、さらに活字の鋳造、印刷機の製作まで、すべて生徒たちの手でおこなってきたという。活字の鋳造に関して当初の砂型から金型へと切り替えるなど、次第に当時の技法に近づける努力を重ねている。グーテンベルク印刷機を忠実に再現できているわけではないが、印圧を加える方法を改良するには、それなりの創意工夫が必要になる。実際にキリシタン版を印刷していた頃にも、人知れず努力が注がれていたはずで、その事実を生徒たちが身をもって感じることができるという、実技ならではの教育効果が得られているようだ。


●紙メディアや印刷に対する関心を高めるために

 かつてのキリシタン版の印刷方法をトレースしている高校生にとっては、感動的な経験になるに違いない。実技のためにいつの時代の印刷技術を使っているのだろうか、どうやって印刷したのだろうか、実際に見てみたい。当時、表面が粗い和紙に活字を押し付けて高品質に印刷することは、非常に大変だったはず。そのような難題の一端でも高校生たちが体験することは、例え将来、印刷人にならなくても、印刷メディアを支えてくれる貴重な“財産”となるだろう。モバイル端末、タブレットPCが普及して便利な社会になったが、その反面「手づくり」に関心を抱く若い人が増えていると聞く。「再生紙を開発したのは日本人」と教えると、学生たちは大いに興味をもってくれる。そのようなことからでも、紙メディアや印刷に関する関心を高めてくれることを願っている。


●「ファブレス工場」と「ファウンドリー工場」の狭間で

「ファブレス工場」という経営用語がある。「製造工程をもっていない工場」という意味だが、海外企業に生産委託するグローバル化、国内企業に製造を依頼するネットワーク化、あるいは自社製品のOEM化などで存在感を高めている。その一方には「ファウンドリー工場」という形態がある。直訳すれば「鋳物工場」となるが、要は生産工程の土台となる部分、つまり素材づくりから始めて部品加工、さらに最後の製品組み立てまで一貫しておこなう工場のことを指している。すべて自社で内製するので量産体制が築け、生産管理も容易といった有利な点がある。しかし、企業環境が激変する時代にあっては、動きの鈍さ、制約の多さが足枷となって、返って経営を苦しくしている面がある。ファブレス工場が製品の企画・設計・販売、ファウンドリー工場が製造を担うと考えれば、決定権はあくまでファブレス工場にある。ファウンドリー工場ではブランド製品をつくり難く、取引上のイニシアティブや付加価値も取れない。それなのに、日本のあらゆる産業のメーカーは歴史上、疑うことなく、総合的なファウンドリー工場であり続けることに意義を見出してきた。それが今、逆に弱みとなっている……。


●印刷会社はファウンドリー工場としてやってきたが

 書籍や雑誌をつくる“大きな産業”を前提とするなら、企画デザイン・編集を受け持ってきた出版社はファブレス工場、印刷・製本工程を担当する印刷会社はファウンドリー工場ということになるだろう。両者はこれまで分離したかたち(分業)でお互いに協力し合ってきた。印刷会社は製造に集中するために大型の生産設備を導入して、出版社の多様な要請に応えてきた。出版市場が拡大し続け、印刷機の減価償却が容易にできていた時代は、この関係でよかった。しかし、取引(受発注)の絶対量が減ってしまった今、付託に応えたいと思って導入した設備の減価償却を負担し切れない状況が生まれている。編集と製造を離してきた分業の意味が消えつつある。このことが、印刷会社の経営が厳しくなった要因の一つとなっている。商業印刷分野についても同じことがいえるのではないか。


●印刷会社はファブレス工場化を考えてみては?

 印刷・出版産業の枠を広く捉えるなら、ファブレスとファウンドリーの両方の性格(機能)をもっていることになる。分業を基本に、市場環境の変化に沿ったビジネスモデルを上手につくれれば、もっと伸びていけるはずである。データ加工やメディア制作に強い印刷会社が川上工程に遡って、ファブレス工場化することで、新たな道も開けてくる。顧客支援のマーケティング機能を強め、顧客密着の営業体質型印刷会社になれば、ファブレス工場に変身できる。それとも、あくまで生産に特化した製造業体質の印刷会社として生き抜くか。生産集中で設備の稼働率を高め、減価償却を速めて、将来にわたって最新設備を購入し続けられるか。印刷業は今、両者に二極分化する傾向にあるが、印刷産業のなかで相互の受発注関係を築けることも強みとなる。


●せっかく製作した印刷メディアの売り先を考えよう

 印刷会社はこれまで、自社で製作した印刷製品の売り先づくりをあまり考えてこなかったきらいがある。発注者(直接の顧客)しか見てこなかったせいか、印刷業界はサプライチェーンづくりが一番遅れている。発注者の要請には応えられても、せっかくつくった紙メディアを最終顧客に届けることができなかった。日本ではすでに、多様な小口需要が無限に広がっているロングテールの時代を迎えたといわれる。大量生産すれば、無条件に売れるというわけではない。どこかで必要とされている価値を探り出し、いかに的確に売るべきかを考えるべきである。


●最終顧客につながる価値を提供できるビジネスを

 産業構造、市場環境、需給関係が一変したことに、印刷会社はなかなか気づけない。印刷業界に限らず、どの業界も自身の産業構造が固まってしまっているが故に、新しい産業の将来像を描けないのかも知れない。関係する取引チャンネルにはそれぞれ既得権という厄介なものがあり、それが変身の制約となっているケースもみられる。どうしても目先の現象的な売れ具合を先決にしがちだ。これでは、未償却の印刷機が取り残されるだけである。印刷産業としてのあり方を再検討して、最終顧客につながる独自のシステムを構築する必要がある。そのためには、印刷産業全体で取り組み、そのうえで需給市場の全体像を見つめ直すことから始めたい。大きな視野での創造性がなければ、時代に即したビジネスモデルは見出せないだろう。

月例会 ≪2014年12月度会合≫まとめ

2014-12-22 10:01:12 | 月例会

<印刷]の今とこれからを考える> (印刷図書館クラブ 月例会報告 平成26年12月度会合より)



●本の良さをもう一度、見つめ直すきっかけに

 最近、紙の出荷量が減少傾向にある。印刷産業における消費量も全国的に落ちている。印刷業の形態は大都市部では工程ごとに分業が進み、地方では総合印刷のかたちとなっているが、とくに東京などでは情報コミュニケーションが急速にネットに移行していて、携帯端末、タブレット端末を多くの人が利用するようになった。その分、印刷工程を担う本来の仕事がなくなってきている。出版物などでその傾向が強いようだ。世代ごとにメディアに対する見方、考え方は異なるのかも知れないが、図書館に行けば各世代の大勢の人たちが分け隔てなく本を読んでいる。本を“積ん読”行為には、何となく満足感が伴う。その人なりの一種のデータベースを身近に置くことで、精神的な安心感をもてる。そのようなメリットが再評価されたせいか、若い人も本の良さを見直して、ページを開いてみたいという気持を高めているそうだ。



●「顧客基点」の真の意味にもう一度、気づきたい

 大学生たちが出版企画案を競い合い、それを出版社の編集者や書店関係者が審査して、優秀作品を書籍化し販売していこうというイベントがある。出版市場を開拓するユニークな試みとして、着実に根を下ろしている。注目すべきは「市場を見過ぎていた」という反省が出版社側にあり、一方に「マーケティング主義とは距離を置きたい」という気概が学生側にあることだ。「売れる企画を」対「焦点を絞った独自性を」の違いである。そこには、プロには気づけない盲点がある。出版社が考えもしなかった真に需要のあるものを、学生が企画提案しているということになる。書店は取次に頼りっ放しで、読者をつなぐ意識がない。情報流通を担う意欲がない。顧客基点といいながらも、自分勝手に売れるであろうと思い、それを売り込もうとしている間は上手くいかないのである。学生主宰のイベントはこの事実を教えてくれる。



●連携して新しいビジネスを切り開く意識をもとう

 別の事例を紹介したい。それは、月刊誌や週刊誌のバックナンバーのページをそのまま電子書籍として配信するサービスがおこなわれていることである。独自開発の閲覧アプリを使って、誰もが簡単に、しかも安価にタブレット型情報端末の画面で読むことができる。新刊雑誌、従来型電子雑誌とは異なる新たな雑誌市場を切り開いたことを意味する。新規の販売数は少ないのかも知れないが、長期間にわたってロングテール市場を維持し続けられる。このようなビジネスこそ、コンテンツを保有する印刷会社が率先して取り組むべきなのに、IT企業に先を越されてしまった。コンテンツを出力する媒体、表現方法は多様なのに、自ら対象を印刷物に固定してきてしまった。出版社にとっても残念なのは、印刷会社と連携して新しいビジネスを興そうという発想がないことである。せっかく受発注関係にあるにも関わらず、別々に活動していて戦略的アライアンスができていない。印刷会社の方から効果的な提案ができるようになればいいのだが、仮にそうしたとしても、ビジネス領域を守りたいという意識があるせいか、なかなか採り入れてもらえない。ここにも既成概念にとらわれている様子がみられ残念である。



●環境問題を契機に企業のあり方を考え直してみよう

 先頃開催された「エコプロダクツ展」の基調講演で、こんな話を聞くことができた。かつて埼玉県西部で起こったダイオキシン問題で、いわば当事者だった産廃業者の現経営者の講演だった。そのとき父に当たる先代社長に「ゴミを燃やすのを止めたら」といったら「じゃあ誰がやるのか」と悲しげ気に返事をされたという。自分としては常識的なことをいったつもりだったが、父の心を深く傷つけてしまったと反省したそうだ。環境問題の有識者からは「地方に引っ越せ」といい加減なことをいわれ、「それでは道理が通らない」と憤りを感じたようだ。当時、設備投資したばかりで廃業するわけにもいかず、結局、焼却炉を廃棄して粉砕システムに代える道を選んだ。周囲に対する意地もあって建屋をガラス貼りにするとともに、従業員に対しても安全衛生や言葉遣いに関する教育を徹底させた。今では、そうした企業姿勢が社会から高く評価され、会社見学が引きも切らず、国からも表彰される優良企業になった。



●社会的責任を果たすことから道は開ける……

 この経営者が力説するように、環境対応は儲からないというのは誤解だ。どの業界の企業も、自社がつくった製品が消費者に渡ったあとで、どう使われるか、どのように捨てられるかに、あまり関心を抱いていない。製品開発、製品改良には懸命になるのに、その後のことに意識が向かない。後工程についても社会的責任をもち、しっかり取り組んでほしいところだ。環境対応は儲かるビジネスである。「確かにコストはかかるが、皆を守る仕組みをつくることができた」と、この経営者も話していた。環境問題に限らず、規制緩和を求める声が強いが、その前に自らイノベーションを興して新しいビジネスを創造し、それを既成事実として社会に示したらどうか。どの時代にあっても、最先端をいく企業はすべてそうした道を進んできた。



●理屈上の部分最適より感性に沿った全体最適を

 印刷で表現する色相は、光源の温度(ケルビン)で見た目が変わってくる。通常は5,000K前後の自然光で見るのが理想的なのだが、色には心理的な要素が加わるので、いわゆる“記憶色”を考慮する必要がある。顧客が望む「かくありたい」という色に合わせなければいけないときもある。例えば、ゴルフ場をテーマにしたカレンダーをつくる場合、グリーンがもっとも鮮やかに見える5月頃に撮影した写真を毎月使用することが考えられる。この例などは理論上おかしいのだが、各月単位の部分最適ではなく、顧客が欲している趣旨を1年間という全体最適でまとめることの重要性を教えてくれる。理屈を超えた感性をもって、統一感のあるデザイン設計をおこなうことが重要なのだ。このような演出の仕組みを印刷会社はあまり意識してこなかった。演出効果を狙いながら、印刷する絵柄をどう見せていくかの全体構成を、適切に顧客に提示しなければならない。絵柄はストーリーとしてみられる。作業指示書のなかに、顧客が無意識であっても本当に求めていることを、明確に書き込むよう望みたい。



●読み手がどう感じるかを十分に意識して印刷しよう

 印刷会社は、読み手がどう感じたかを十分に意識して印刷物を作成する必要がある。読み手はそれぞれ異なる文化、風土、経験をもっていて、一人ひとり生命観、シズル感が違う。メディアが多様化するなかで、印刷メディアがどのように受け取られるかをもっと研究しなければいけない。せめて80点くらいのレベルまで迫れる評価基準があればいいのだが、例えば広告宣伝印刷物の場合なら、製品やサービスをイメージとしてどう表現するかといったようなコンセプトをきちんと把握するとともに、顧客にも提案して双方で共通認識することが重要だ。広告宣伝印刷物で表現するような色合いは、現実の色彩と違っていて、すべて“ウソ”である。プリンティング・ディレクターはいい意味での“ウソ”をつくのが仕事といっても過言ではない。



●巧みに“ウソ”のつける印刷人はどこへ行った?

 現実の真の姿を再現できる印刷物の方が技術的に優れているのは当然だが、透過原稿と反射原稿は正反対の位置にあり、厳密に整合させることは本質的にできない。「赤をややウスク」といったような指示はきわめてあやふやで、完全に解決する方法とはなり得ない。顧客から営業マン、指示書を経て作業者へと多くの段階を経ることもあって、現場マンは校正の指示を信用していない部分さえある。アタマのなかで考えた言葉が正確な言語になるとは限らないからである。しかし、そんな詩的な表現が“ウソ”が許される余地を与えてくれる。この辺の微妙な関係を理解して、巧みな演出ができる質の高い人はいまやいなくなった……。

(終)