印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

425年前の日本の活版印刷をぜひ見てほしい

2015-04-27 16:32:40 | 印刷の歴史と文化
425年前の日本の活版印刷をぜひ見てほしい

―印刷博物館のヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 書物がひらくルネッサンス展―





 4月25日からはじまった印刷博物館のヴァチカン教皇庁図書館展を見た。
中世の写本からルネッサンス期の貴重な印刷本まで第Ⅰ回展に負けず劣らずの充実した展示内容は「さすが」であり、会期中、何度も足を運びたいと思った。なかでも私が惹きつけられたのは会場第4部のヴァチカン貴重庫でみつけた日本・東アジアのコーナー。


 1592年島原の加津佐か天草の河内浦で金属活字の国字で印刷されたキリシタン版で有名な『どちりいな・きりしたん』と対面できるのだ。


キリシタン版「どちりいな・きりしたん」

見開きの右がキリストの肖像をあしらった銅版画の扉絵、左に「どちりいなの序」とある冒頭のページ、248×192mmの和装本、残念ながら表紙は図録でしか見ることが出来ないが布表紙だ。ともすれば皺に悩まされるに違いない和紙の印刷に何人がかりで立ち向かったのだろう。1日に何ページ刷れたのだろう。

それよりもこの仮名まじりの国字活字をコンスタンチノ・ドラードはじめヨーロッパ帰りの少年たちがいつ、どこで鋳造したものだろうか。フォントづくりのロヨラ説はまだしも、この活字がヨーロッパで少年使節たちの往欧以前につくられた説には頷くわけにはいかないなどと考えているとなかなか展示ケースから離れられない。

さらに、その隣にはキリシタン版の1599年の『ぎゃどぺかどる』もあるが、ヴェネツィアで天正少年使節が1585年7月2日付でヴェネツィア共和国政府に提出した感謝状が興味深い。洋紙に墨の筆書きで4人の使節の花押しと欧文サインがある。この感謝状こそロヨラ筆ではないだろうか。


花押のある少年使節の感謝状


また、さきごろ紹介された熊本県立天草工業高校の生徒の自主製作した425年前の鋳造用器具や試作活字も展示されていた。日本の活版印刷誕生の地の若い人の夢であろうか。とにかく、印刷や出版関係者にはぜひ見てほしい展覧会である。会期は7月12日まで。

(木曜例会メンバー 青山敦夫)
                       
 


印刷図書館倶楽部 月例会報告 2015/4月度

2015-04-22 09:16:52 | 月例会


[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年4月度会合より)

●印刷料金の見積もりはつねに悩ましい問題…

 印刷価格(料金)をどう見積もりし顧客に請求するか――印刷会社が長年にわたって抱えてきた悩ましい課題だが、アメリカの印刷業界団体であるPIAがコスト(経費)、プライシング(料金設定)、プロフィット(利益)の関係からこの問題を考察したレポートを公表、さまざまな切り口から適切な答えを導く思考プロセスに、経営者自ら関わるべきだと提起している。このレポートでは、幾多の切り口のうち主要と思われる3つの異なる見解を読者に提供している。どの見解がベストなのかと考えるのは不適切で、むしろ全ての捉え方が正しく、実務的にも価値があるとしている。自社の能力を完全に利用することを前提に、あらゆる意見を考慮することこそがビジネスにとって重要なのだという。

●見積もりプログラムには無数のルールがある

 印刷会社に価格の決め方を尋ねると、少なくとも3点以上の答えが返ってくるそうだ。一部の印刷会社は「コスト」を拠りどころとし、他の印刷会社は「需要」に着目して価格を決めている。新規顧客、新規受注の価格は、通常、固定客からの受注価格とは大きく異なっている。それは、基本的に印刷業が受注産業であり、受注するたびに見積もり作業を繰り返していることに起因する。マーケティング視点での戦略的な料金設定を含め、見積もりプログラムには無数の基本ルールがあることがわかる。


●固定費を吸収して初めて利益は生まれる

 印刷業は個別の受注生産ビジネスでありながら、コストシートによる原価計算に疑いもせず頼ってきたのが現実である。変動費としての原材料費、直接費に当たる製造コストはもとより、固定費(間接費)としての一般管理費、機械設備の減価償却費なども含めて総原価とし、それに期待する利益相当額を載せて見積額としてきた。しかし、製造コストで算出した売上総利益と、さらに販売費や一般管理費を差し引いた営業利益とは異なる性質をもち、固定費の枠を超えたときに初めて利益は生まれる。利益を最大化したいのなら、売上総利益=付加価値額を高める努力をしなければならない。たんに変動費を上回るだけの見積額では、利益を得ることはできない。それは料金の引き上げか生産量の増加によって達成できると、このレポートは強調する。生産能力の完全活用(フル操業)が売上総利益の最大化に重要な役割を果たすわけだが、これを可能にするには柔軟な料金政策で受注を勝ち取らなければならない。顧客が印刷製品のために支払いを厭わない金額と同じレベルの印刷料金を請求するよう注力する必要がある。


●自社独自の効果的な料金設定戦略を導入しよう

 効果的な料金設定戦略を考案することは、印刷ビジネスを存続させるためにもっとも重要な要素の一つである。多くの印刷会社は、簡易な料金設定アプローチを利用しているが、コストをカバーしビジネスを維持して競争に打ち勝ち抜くために、適切な独自の設定戦略を定式化しているわけではない。この点、マーケットリーダーとなっている印刷会社は、より革新的な戦略を実践している傾向がある。それは、収入を最大化してより高い収益を得、成長を育んで高度な株主価値を生み出すことを意識したものである。短期用、長期用など個別の処理を意図した戦術を使い分けているのである。例えば、①コストプラス(マークアップ)法、②上済み吸収(初期高値)価格政策、③市場浸透(初期安値)価格政策、④バージョニング(製品仕様変更)価格政策、⑤顧客需要対応価格政策、⑥認知獲得価格政策――などがある。顧客価値を熟知しないまま機械的に料金を設定する①のコストプラス方法では、企業の競争力・成長力を高められずマーケットリーダーにはなれない。これに対して⑥の認知獲得価格政策は、支払いを厭わない金額に応える高度な印刷製品・サービスを提供することで、顧客に自らの潜在ニーズを納得させて高額の印刷料金を設定できる強みがある。印刷経営者は、これら多くの異なる価格政策を理解し、長期的、短期的に自社に適した戦略を採用する必要がある。


●需要サイドの顧客ニーズをよく把握したうえで

 プライシングはマネジメントにおけるもっとも重要な意思決定の一つで、理想的には取引コスト、需要と価格の弾力性、さらには競合とのダイナミクスを反映させたものにする必要がある。コストの見積りは確かに重要だが、その一方で「マーケットが負担してくれそうな料金」を調べるべきである。顧客(買い手)の強さとニーズ、顧客自身のマーケット力、顧客の要望の取り込みなど、顧客の事情を十分に考慮しなければならない。そうした需要を見積る方法としては、競合の動向を確実に把握したたうえで、①顧客ニーズと需要に対する精通度、②顧客のビジネス戦略における印刷製品の重要度、③パッケージ化された付帯サービスによる貢献度――をそれぞれ向上させることが重要となる。見積りソフトでコストを積算しようとする前に、需要サイドを的確に評価することに全力を注がなければならない。
=参考資料;Dr. Ronnie H. Davis, FLASH REPORT Vol.7, Dec. 2014, PIA=


●戦略計画に取り組むことの重要性を認識したい

 売上高増大と収益性向上との間には、統計的に正の相関関係がある。戦略的な経営計画と収益性との間には、それ以上に強い相関関係がみられる。戦略計画に関する立案プロセスを独自に開発し、関連情報を収集・分析し、計画の進捗状況を追跡している印刷会社は、そうしなかった企業よりも高い収益性を示している。プロフィットリーダーは、差別化できる要素が何であるかを学び、実践に力を注いでいる。そうすることが、利益を確保し成長を持続させるカギであることを知っている。プロフィットリーダーは「経営のトップが戦略計画を主導する」という経営慣行を重視している。これこそが、プロフィットリーダーがプロフィットリーダーたる所以である。戦略的計画はより強い印刷業をもたらす。印刷会社が戦略計画に率先して取り組むなら、その結果として強い印刷業を営めるだろう。印刷産業のなかで、知識武装したプロフィットリーダーになることを望みたい。 =参考資料;2014 Strategic Planning Report (PDF), PIA=


●売上増より利益額の増加の方が重要である
 利益とは、受注価格から製造に直接掛かった費用と間接費を差し引いた金額であり、そう考えると、PIAのこの資料が示すように価格を1%上げる方が、製造コストを1%下げるより、また間接費を1%下げるより、利益を引き上げるというのも自然と頷ける。印刷業の多くは、事業計画の目標設定で売上額増大が主となっているようだが、他の多くの業界ではかなり前から利益額を主たる目標にするよう変えてきている。売上げ増加で利益額を増やすという政策から、利益額を上げるにはどうするかという政策に変わってきているのだ。高効率で優れた事業運営であることを証明するために利益率を重視し、目標の利益額を達成していこうという方向にある。


●顧客にとっての価値の創造を土台に置いて

利益を高めるには、値上げで売上高を増やすのが一番早道だが、成約料金は、製品のQCD(品質・費用・納期)だけでなく、顧客にとっての価値がプラスアルファーとして加わって決定される。たんに売上げ増加を狙って安値で受注できたとしても、それで顧客の価値を満足させることができるのか、利益の増加につながるのか、よく考えなければいけない。ここはやはり、顧客にとっての価値を見出し、競合に勝る価値の創造、提供によって値上げを実現し、利益率を向上させ、結果として利益額を増強する方向が望ましい。料金を引き上げ、なおかつ成約するには、社内の意識や取り組み方にどんな課題があり、それをどう解決するのか、何より効果的な受注活動を展開するにはどのような営業方針、営業戦略でいくべきかについてよく検討してほしい。

以上
 

団塊世代に懐かしのライトパンフイルム、みのりフイルム

2015-04-09 15:43:03 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
団塊世代に懐かしのライトパンフィルム、みのりフィルム          
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-8

印刷コンサルタント 尾崎 章


1959年発売のオリンパス光学(当時)のハーフサイズカメラ「オリンパス・ペン」(発売当時価格6000円)が創生したハーフサイズカメラ市場は、フィルムがまだ貴重な存在であった当時に「2倍の写真が撮れる」「手軽に携行出来る」として大人気となった。
カメラ各社も競ってハーフサイズカメラ市場に参入、日本光学(当時)旭光学(当時)以外のカメラメーカーが普及型から高級機種、女性向け機種等々、様々な機種のハーフサイズカメラが発売され「ハーフサイズ全盛期」を迎える展開に至った。


短尺フィルムのライトパンSS,みのりフィルムSS

ハーフサイズカメラが普及した時代は、まだ「一枚毎に慎重に撮影する」消費者傾向が残っており、2倍の写真が撮れるハーフサイズカメラで72枚及び40枚の撮影が出来る36枚、20枚撮りフィルムは逆に荷が重い存在となるケースも発生する事になった。
私が写真チェーン店の現像所でアルバイトをしていた1960年後半でも、1本のフィルムに「正月スナップ→花見→海水浴→スキー」等の年間行事が写し込まれているネガフィルムに遭遇して思わず苦笑いをした経験が多い。個人の年間フィルム平均消費量が2本以下の時代であった事より当然起こりうるパターンであった。
ハーフサイズ需要層が押し上げた「もう少し短いフィルムが欲しい」という短尺フィルム需要に応えたフィルムが㈱六和の「みのりフィルムSS」と愛光商会㈱の「ライトパンSSフィルム」で団塊世代には懐かしのブランドである。


「ライトパンSS」と「みのりSSフィルム」(35㎜16枚撮り)


ライトパンSS,みのりフィルムSSは、OEM製品の先駆け。

「みのりフィルムSS」は小西六写真工業(コニカミノルタ)「ライトパンSS」は富士写真フィルム(富士フィルム)より製品供給を受け、1964年当時の価格は「みのりフィルムSS」16枚撮り、「ライトパンSS」16枚撮り共に100円で有った。当時のモノクロフィルム「ネオパンSSフィルム」(富士フィルム 20枚撮り)「コニパンSSフィルム」(小西六 20枚撮り)が150円で有った事より割安フィルムとしての存在感を発揮、「ライトパンSS」16枚撮りは2000年まで販売が継続されるロングライフ製品となった。
「みのりフィルムSS」を販売した㈱六和は、「みのりフィルムSSは、一本100円で買えます!」をキャッチコピーとしてカメラ雑誌等で積極的な販促展開を実施している。
また、「みのりフィルムSS」「ライトパンSS」フィルムは、共に35ミリフィルム以外のロールフィルム市場でもブローニーサイズ6枚撮り(1964年当時 80円)ボルタ判12枚撮り(1964年当時価格 60円)の製品展開を実施している。
特にボルタ判フィルムは、コダックと同様に富士フィルム、小西六写真工業も未参入で有った事より「みのりフィルムSS」「ライトパンSS」が市場を二分する事になった。


ボルタ判フィルム


ボルタ判フィルム市場は、みのりフィルムSSとライトパンSSの独壇場

ボルタ判フィルムは、1936年にボルタ・ベェルグ社(ドイツ)が発売したカメラ「ボルタヴィット」用に製品化されたフィルムでリーダーペーパー(遮光性裏紙)に35mm幅のフィルムを貼ったロールフィルムである。
世界のフィルム市場をリードしていたコダックが当該フィルムの製品化を見送った事より120,135,220等のロールフィルム番号が無く、ボルタ判の総称で呼ばれる事になった。
ボルタ判フィルムを使用する国産カメラの本格展開は、1948年に宮川製作所の「ビクニーB」が最初とされ大和光機・萩本商会、東郷堂等の製品がこれに続きボルタ判低価格カメラ市場が創生されている。
1948年に萩本商会(萩本欣一さん御尊父の会社・大和光機製)が発売したダン35シリーズは、ダン35Mでボルタ判・135ミリフィルム兼用化を図り、ダン35Ⅲでは画面サイズ24×32mmのニホン判対応も行っている。
東郷堂が1951年に発売したボルタ判二眼レフカメラ「ミューズフレックスⅡA」は、1950年に発売され国民的大ヒットした「リコーフレックス」と同等仕様を採用してコンパクト性を武器にボルタ判二眼レフの本格普及を試みている。


「ミューズフレックス」(東郷堂)と7ボルタ判フィルム


しかしながら、1950年に一光堂が発売したプラスチックボディのボルタ判カメラ「スタート35」が、単玉レンズ、2速シャッター、固定焦点の簡略機能と700円の低価格で小学生をターゲットとしたホビーカメラ市場を創生、各社がこれに追随した事より「ボルタ判フィルムは、ホビーカメラ用フィルム」のイメージ定着する事に至っている。
ボルタ判の「みのりSSフィルム」12枚撮りは60円(1964年当時)1991年当時の「ライトパンSS」12枚撮りが170円、フジカラーHR100の供給を受けたボルタ判のネガカラーフィルム「ライトパンカラーHR100」が320円(1991年当時)であった。


「スタート35」(一光堂)とボルタ判フィルム


マミヤが造ったボルタ判カメラ・マミヤマミー

ハーフサイズカメラ「オリンパス・ペン」が発売される1年前の1958年にマミヤ光機(当時)が本格的ボルタ判カメラ「マミヤマミー」(3900円)を発売した。
3群3枚構成のトリプレットレンズ、4速シャッター、シャッターチャージ・セルフコッキング、ファインダー色別表示距離計等々、マミヤらしいスペックを搭載していた。
画面サイズもボルタ判の標準とされて24×24mmから24×28mmに変更、ボルタ判フィルムで10枚撮りを可能としていた。
この「マミヤマミー」、東京・新宿の中古カメラ店等で1万円前後の価格で販売されている事が有り、ボルタ判フィルムのリーダーペーパーとスプールが有れば35mmフィルムを貼り付けて容易にボルタ判フィルムを手造り出来、懐かしのボルタ判撮影を楽しむ事が出来る。


「ライトパンカラーHR100」(ネガカラー)


六和、愛光商会は、どんな会社

「みのりフィルム」を販売した㈱六和は、ロクワブランドの写真用品ビジネスを展開していたが、1962年に小西六写真工業の製品卸業・㈱ひのまるや と合併して社名を㈱チェリー商事に変更、小西六関連の写真材料とチェリーブランドの写真用品ビジネスを展開した。
1987年に小西六写真工業㈱が㈱コニカへと社名変更を行った際に㈱チェリー商事は㈱コニカマーケティングと合併、チェリーブランド製品はコニカブランドに変更されて継続販売が行われたが「みのりフィルム」ビジネスはこの期に終了している。

また㈱コニカマーケティングも2000年のコニカ、ミノルタ合併時に写真用品事業終了に至っている。「みのりフィルム」は、東京・青梅市の小西六グループ工場で生産されたが、当該工場もコニカのフィルムビジネス撤退前後に閉鎖されている。
一方、愛光商会㈱のフィルムビジネスは、1982年「ライトパンカラーⅡ」(35mmネガカラー10枚撮り340円)1991年「ライトパンカラーHR100」(35mmネガカラー10枚撮り330円)とフィルム供給元の富士フィルムのネガカラー展開に合わせた新製品対応を行いライトパンフィルムビジネスを継続した。特にアグファが開発したラピッド方式カメラに対応する「ライトパンカラーⅡ・ラピッド」(1983年 560円)を供給する積極展開は注目を集めた。愛光商会のフィルムビジネスのベースである「ライトパンSS」(モノクロ16枚撮り)は2000年まで販売継続されるロングライフ製品となった。


「マミヤ・マミー」(マミヤ光機)


「アグファ・ラピッド」フィルムと「ライトパンカラーⅡ・ラピッド」


フィルムビジネスを終了した愛光商会は、自社ビル「愛光ビルディング」のテナント業と産業化学薬品の販売業へと業態変革を行ったが、2010年に三井不動産による会社買収により会社解散に至っている。
現在も港区西新橋の外堀通りに10階建の「愛光ビルディング」は残っており、「愛光ビルプレート」から往年の「ライトパンフィルム」ビジネスを忍ぶ事が出来る。
「ライトパンSS」「みのりフィルム」は団塊世代の写真愛好家に懐かしのブランドである。


西新橋・愛光ビルディング