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広末涼子さんのマミヤスケッチ、織作峰子さんのミノルタオートコード、美人が保有する正方形画面カメラの魅力

2017-02-13 11:15:18 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
広末涼子さんのマミヤスケッチ、織作峰子さんのミノルタオートコード、美人が保有する正方形画面カメラの魅力

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-28
印刷コンサルタント 尾崎 章


1839年にフランスの化学者・ダゲールが考案した銀塩写真法・ダゲレオタイプは、正方形ピントグラスを付けた組み立て式の木製暗箱型カメラを標準仕様としていた。
1900年に米国・コダック社が発売した6×6cm判・6枚撮りカメラ「ザ・ブローニー」は、小型正方形の反射型ファインダーを内蔵、ファインダーで被写体及び画面構成を確認して撮影する「今日の撮影概念」が創生される展開に至っている。
また、「ザ・ブローニー」のファインダーが正方形であった事も起因して縦位置・横位置を意識せずに撮影できる「スクエアサイズ」カメラが定着する契機造りが行われている。
スクエアサイズは、光学的にレンズが形成するイメージサイクルを最も効率的に使用できるメリットが有り6×6判の「四角い画面」は、1933年発売のローライ二眼レフによる二眼レフブームも加わり「標準的な中判フォーマット」として世界に定着することとなった。


コダック ブローニー・フラッシュⅡ




ローライが創生した6×6二眼レフ市場

1929年、ドイツ・フランケ&ハイデック社が初の二眼レフ「ローライフレックス」(117フィルム・8枚撮り)を発売、続いて1933年には普及型二眼レフ「ローライコードⅠ型」を発売して高い市場評価を得ることに成功している。これ以降「二眼レフの王道」を同社は歩み続ける事となった。
国内の6×6判・二眼レフ展開は、1937年は発売された「ミノルタフレックス」(モルタ合資会社→千代田光学→ミノルタカメラ)と「プリンスフレックス」(深田商会)が最初の製品とされている。
第二次世界大戦終了後には光学兵器生産から民需に転換した光学企業からの二眼レフ生産が相次ぎ、特に構造が簡単な二眼レフは「四畳半企業」と呼ばれた家内工業的な企業からの製品も加わり80社以上の企業から100種を超える二眼レフが製品化されたとされている。
アルファベット26文字のうち、「J」「U」「X」以外の頭文字製品があった二眼レフは1957年には年間生産台数が37万台を超えたことが記録されている。
国内二眼レフのヒット製品は、1950年発売の「リコーフレックスⅢ」(理研光学→リコーイメージング)で、本体価格5800円の価格メリットもあり大ヒット製品となり戦後の写真文化発展に大きく貢献している。
二眼レフの国内最終製品は、「ヤシカ124G」(ヤシカカメラ)で1988年に販売を終了、発売20年のロングセラー製品の販売終了と共に国内二眼レフ市場は幕を閉じている。


リコーフレックス 
 


国産最終二眼レフ・ヤシカマット124G





美人写真家・織作峰子さんが牽引するミノルタオートコード二眼レフの中古市場

美人写真家として人気の織作峰子さんが雑誌の愛機紹介で「ミノルタオートコードcds」を度々採り上げた事から中古カメラ市場で同機の人気が一層高まり、市場価格も発売当時価格34.000円の1.5~2倍レベルに高騰する状況が続いている。
1981年のミスユニバース日本代表に選ばれた織作峰子さんは写真家を目指して1982年に写真家・大竹省二氏に師事、1987年に独立して今日に至っている。
織作さんは、師匠・大竹省二氏より貰受けた「ミノルタオートコードcds」を愛機として現在もポートレート撮影、ファッション撮影に使用している事を雑誌記事で紹介している。


ミノルタオートコードcds



織作さんは、「ロッコールレンズの優秀性」「シャープネスの高さ」「ポートレート撮影時のハンドリング性」を愛機の条件として採り上げている。
国内二眼レフのパイオニアであるミノルタカメラ(当時)は、1965年発売の最終モデル「オートコードcdsⅢ」「オートコードⅢ」迄の28年間に20機種を超える二眼レフを生産、独自の「フィルム搬送機能」「ロッコールレンズの優秀性」「リーダーペーパー無の220フィルム対応」等でプロフェッショナルの高い支持を得た経緯がある。
コマーシャル写真で著名な写真家・大倉舜二氏も「ミノルタオートコード」を「ローライフレックス」を凌駕するとして愛用。ミノルタカメラが当該機の生産終了を発表した際には、最終モデルの「ミノルタオートコードⅢ」を5台まとめて購入して今後に備えた逸話も残っている程である。


評価の高いオートコード・ロッコール75mmレンズ




広末涼子さんのマミヤスケッチ


1959年5月にマミヤ光機(当時)が発売した「マミヤスケッチ」(12.800円)は、国産カメラ唯一の画面サイズ24×24mmの正方形画面・スクウェアフォーマットのカメラである。
当時の35mmカメラは、露出計搭載、距離計内蔵、そしてレンズの大口径化等によってカメラ本体が大型化し携行性が低下する傾向があった。
この問題に注目したマミヤ光機は、①35mmフィルムを使用する手軽なカメラ ②撮影時に縦・横のアングルに応じてカメラを持ち直す必要のない正方形カメラをコンセプトに「マミヤスケッチ」の製品化を行っている。


マミヤスケッチ




しかしながら、発売半年後にオリンパス光学から同様コンセプトのハーフサイズカメラ「オリンパスペン」(6.000円)が発売され「マミヤスケッチ」は想定市場を「オリンパスペン」に席巻される状況に陥っている。距離計内蔵、最速シャッター1/300秒、35mm f2.8レンズ搭載等、スペック面では若干の優位性を有していたが「価格差1/2」の「オリンパスペン」に対抗することは不可能で「マミヤスケッチ」は僅か一年弱の商品ライフを余儀なくされている。「マミヤスケッチ」は生産期間が短く、低価格カメラの為に廃棄されたケースが多く中古カメラ市場では程度の良いカメラが少ない「希少カメラ」として取引されていた。
この「マミヤスケッチ」をフィルムカメラマニアの人気女優・広末涼子さんがテレビトーク番組にカメラ持参で出演したことより「広末涼子のマミヤスケッチ」として人気が急上昇している。
程度の良い「マミヤスケッチ」は、60.000円超の価格で取引されているが、「広末効果」が加わり中古カメラ店の店頭で見かける機会は更に稀となった。



正方形画面の魅力

正方形画面の基本は「日の丸構図」で、写真を撮影する人の意識が長方形画面と異なり中央部に集中することによりインパクトの高い写真撮影が出来る特長を有している。
二眼レフの「ローライ」「ミノルタオートコード」そして「マミヤ6」等の正方形画面カメラの人気が現在も高い理由に「日の丸構図」が挙げられるケースも多い。

正方形・日の丸画面構図(サンフランシスコ) 

  
 
        

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