印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例会報告 平成29年1月度

2017-01-25 09:28:14 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成29年1月度会合より)

●価値志向のマーケティングが叫ばれている

 インターネットの浸透と活用によって売り手と買い手の距離=情報格差がどんどん縮まり、いわゆる顧客主導の時代となってきた。消費者は商品を売り込む対象(ターゲット)ではなく、共創・共生のパートナーへと変わってきている。この現象をマーケティングの理論で捉えるなら、製品志向のマーケティング1.0→顧客志向のマーケティング2.0→価値志向のマーケティング3.0へと変化しているのだ。消費者の心からの感動・共感を得られるような価値を提供していかなければ、ビジネスは成り立たない時代になった。マーケティングという用語のアタマには、①共感・共鳴を呼び起こす「協働」、②感激・満足を与える「文化」、③理念・信条・意志を高める「精神」――などの概念を冠する必要がある。創造性に満ちたビジネス、価値観を共有できるストーリー、発展や成熟を促すパワー。マーケティングの新機軸はここにある。


●消費者の願いが変わっていることに意識して

 消費概念はどのように変わってきたのだろうか? 消費者はモノとして商品を購入するだけでなく、商品の誕生から終わりまでの物語に添いたいと思っている。①商品のデザイン・品質だけでなく背後にあるストーリー、②技術的な機能や価格だけでなく利便性、感動、会話――を望んでいる。新しい時代の生活提案、環境保護などにも配慮した価値づくりを、顧客は企業に強く求めている。あくまで顧客起点のマーケティング支援、つまり顧客(の願い)とともに製品やサービスをつくり上げていくべき立場にあることを、企業は意識しなければならない。印刷産業こそ、そうした輪のなかに加わっていくべき立場にある。印刷産業が強みとする情報編集力、得意な“伝える力”が、こうした時代の要請を後押しできるのではないだろうか。


●よく生きるための生活提案・商品化に全力を

 マーケティングの目的といえば、これまでは人びとの便利で快適な暮らしのための製品企画・商品化にあった。これからは、よく生きるための生活提案・商品化が主目的となる。個々の顧客のニーズを把握して、それらに応えられるビジネスを築けるのか、的確な製品・サービスの提供で支援していけるのか、価値観に共感し共に満足を得ていくことができるのか。求められる課題は多いが、顧客と企業が一緒になって成熟度を高める必要がある。これこそ共創・共生マーケティングの真髄である。消費者も企業も一緒に“よく生きる”ことで、持続可能な社会に貢献していくことができる。印刷ビジネスのあり方、印刷メディアの役割、セールス・プロモーションの手法、その他すべてが転換期にある。個別対応型の受注産業としてやってきた印刷産業こそ、これからのコミュニケーションサービスの最先端に立ち、リーダーとなり得る資格をもっているといっても過言ではない。 


●印刷メディアと電子メディアを活かし切ろう

 印刷業とはどうあるべきかを再定義できたら、電子情報産業との違いを確認して、両者を複合し、あるいは相互に補完し合うことによって、新しい価値を創造していくことを検討した方がよさそうだ。印刷業者は、デジタル技術を駆使してコンテンツを加工・管理し、可変印刷だけでなく電子メディアをも制作できる立場を築いている。その逆に、電子メディアサービス業者は印刷サービスを手がけることができない。つまり印刷産業は、アナログとデジタルの特性をともに使いこなし、さらなる機能や効用をもったメディアに育てあげることのできる力をもっている。これこそ、印刷産業が率先して蓄積してきたノウハウ「見えない資産」なのだ。利用者や消費者が求める多様なメディアの編集と情報発信に、柔軟に対応することで印刷産業自らの発展をめざしていけるはずである。


●真のコミュニケーションサービスを提供しよう

 印刷業が取り組んでいるはずの情報コミュニケーションサービスは、実際には、顧客企業から消費者への一方通行の情報を提供しているにすぎない。これからは、企業(直接の顧客)と消費者(顧客の顧客)との双方向の情報のやり取りを支援する真のコミュニケーションサービスを提供していかなければならない。印刷産業の特質として古くからいわれている御用聞き、あるいは“お手伝い業”の本質はここにある。コミュニケーションの結果、その体験がその後の購買体験や販売促進につながるとするなら、印刷産業がマーケティングソリューションを提供する意義は大きいはずである。印刷産業は、歴史的な経緯からプリントサービス・プロバイダーをめざしがちだが、コミュニケーションサービス・プロバイダーとしてのビジネスモデルを模索した方が発展しやすい。この事業領域でのデジタル技術の活用、とくにITが提供してくれるシステム(仕組み)の導入という点では、まだまだ未成熟なのではないか。それだけに発展の余地は無限にあると思われる。


●紙の書籍市場は、どっこい生き残るかも……

 活字離れの現象と電子メディアの浸透とが相まって、印刷出版市場の縮小が続いている。アメリカでも同じような傾向にあり、5年前までは書籍の将来は明るくないとみられていたという。電子書籍の市場は拡大を続け、読者が何を“読書”とするかを探るのは非常に困難だとされてきた。しかし、アメリカ人の3分の2は未だに印刷された紙の書籍を読んでいるのが現状で、デジタル技術隆盛の現代にあっても「紙の書籍は活性化され得る」という見立てがなされている。電子書籍は印刷出版市場を駆逐することなく、その影響はきわめて限定的だとする。これまでは、紙の書籍が必然的に抱える難題(大量生産によるコスト高、返品問題など)から避けられないといわれてきたが、幸いに、デジタル印刷特有のプラットフォームが解決してくれる。現に、デジタル印刷された書籍のページ数は大きな成長が見込まれている。


●デジタル印刷システムが紙の書籍を救う……

 出版企画に始まって編集加工、高速インクジェット出力、在庫管理に至る新たなサプライチェーンの構築が、紙の書籍の救世主となってくれる。書籍を1冊単位でデジタル印刷できることの利点は、例えば校正紙の作成、返品リスクの回避、在庫解消など幾つも考えられる。もちろん、小ロット対応で製造コストは大幅に減少し、納期は短縮でき、市場へも迅速に提供可能となる。増刷や再販など意に介さない。下記の論文によると、伝統的な書籍に対する需要は明らかに安定していて、デジタル印刷システムが出版社や印刷会社に新しいビジネスチャンスをもたらしてくれると強調している。ワントゥワンマーケティングを柱としていかなければならない商業印刷分野についても、同じような見立てができるのかも知れない。


●通知書や請求書もやはり紙でなければ……

実は、同様の観測は、トランザクション・ドキュメント(バリアブル印刷した個人宛ての通知書、請求書、小切手など)にも当てはまるという。大半のアメリカ人は依然として、記録・保管・備忘に有効な紙の通知書を信頼していて、ペーパーレスで配信されてくるものを好まない傾向がある。企業が懸命にペーパーレス化をはかっている割に、浸透していないのが実情である。人びとには受信する心の準備さえできていない。だからといって、印刷会社は安心すべきではないというところに、論文の趣旨がある。電子メディアが紙メディアに取って変わろうとしているときこそ、カラー化による判りやすさの追求、パーソナライズ化した広告情報の掲載などで「個々の受取人を意識したコミュニケーションの改善をはかる必要がある」と力説する。販促情報を掲載したトランスプロモはむしろ増え続けると予測されているのだから……。
※上記3項目の参考資料=Barb Pellow ; Trend, What They Think? 2016.9

以上

フィルム一眼レフ、懐かしき露光制御技術展開

2017-01-13 11:33:28 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-27
印刷コンサルタント 尾崎 章


デジタル一眼レフでは当たり前の露光制御・コントロール技術がマニュアルフォーカス・フィルム一眼レフ当時には大きなセールスポイントになるプライオリティを有していた懐かしい経緯がある。35mm・フィルムカメラへの露出計搭載は、1957年発売の「オリンパスワイドE」(オリンパス光学・18.900円)がセレン光電池露出計を国内初搭載、エレクトロニクスの頭文字・Eを製品名に付記している。

雑誌「写真工業」(2006,1)の「コニカF」紹介記事



一眼レフへのセレン露出計搭載は、1959年発表の「コニカF」が初対応モデルで、1/2000秒高速シャッター、絞り・シャッター速度に連動する露出計を搭載した当時世界最高スペックを有する「コニカF」は世界の注目を集めた。しかしながら、縦走り金属シャッターの生産性及び保守問題解決が難しく僅か900台の生産に止まり、800台は米国向けに出荷され国内販売は見送られた記録が残されている。
フォーカルプレーン一眼レフへのセレン露出計搭載は、感度の低いセレン露出計の問題等より見送られるケースが多く、搭載例としては「キャノンRM」(キャノン1962)に見られた程度であった。



レンズシャッター一眼レフは、競ってセレン露出計を搭載

一眼レフへのセレン露出計搭載は、ファミリー需要向けのレンズシャッター一眼レフがペンタブリズムカバー部への露出計搭載で先行した。
製品例としては、「ニコレックス」(日本光学1960)、「トプコン・ウィンクミラーE」(東京光学1961)、「コーワフレックスE」(興和 1961)、「マミヤファミー」(マミヤ光機 1962)、「ミノルタER」(ミノルタカメラ 1963)、「キャノネックス」(キャノン 1963)、「リコー35フレックス」(リコー 1963),「フジカフレックスⅡ」(富士写真フィルム1964)等々 各社が当該一眼レフの製品化を競った経緯がある。しかしながら、レンズシャッター一眼レフは、交換レンズの制約等よりフォーカルプレーンシャッター搭載一眼レフ普及製品が各社より発売される展開に伴って短期間で需要が減衰、TTL測光方式レンズシャッター一眼レフの製品化展開は、東京光学と興和2社限りの寂しい状況であった。


ミノルタカメラ・「ミノルタER」


  
 
キャノン・「キャノネックス」




世界初、フィルム一眼レフにCds露出計を搭載したミノルタSR7


ミノルタカメラは、1962年発売の同社フラッグシップ一眼レフ「ミノルタSR7」に世界初の外光式Cds(硫化カドミウム)露出計を搭載した。
直径12mmの受光レンズを組合せた高感度Cds露出計は、ASA感度100でf1.4・1秒からf11 1/1000秒 迄の広範囲をカバーする性能を有していた。同年に米国航空宇宙局・NASAが有人宇宙船・フレンドシップ7号にミノルタカメラを搭載、同時にミノルタの測光技術を認めて宇宙船専用露出計の開発契約を締結した事より、ミノルタカメラは「宇宙時代の最高級一眼レフ」をキャッチコピーに販促展開を繰り広げた経緯がある。


ミノルタカメラ・「ハイマチック」




ミノルタカメラ・「ミノルタSR-7」




「ミノルタSR7」に続けと、カメラ本体に外光式Cds露出計をビルトインした製品が発売されている。製品名としては、「キャノンFX」(キャノン1964)、「コニカFM」(小西六写真1964)「ヤシカペンタJ3」(ヤシカ1964)「ペトリフレックス7」(ペトリ1963)、「ミランダ オートメックスⅢ」(ミランダカメラ1964)と、今は無きメーカーの懐かしき製品も並ぶ展開となった。
しかしながら、「ミノルタSR7」発売の2年前・1960年にドイツ・ケルンで開催されたフォトキナ展で旭光学がTTL露出計搭載の「ペンタックスSP」を参考出品、1963年には東京光学が親会社である東芝の技術支援を受けてミラーメーター方式による「世界初のTTL一眼レフ・トプコンREスーパー」を発売、一眼レフ露出測光方式の一大改革が行われ、前述の外光式露出計搭載は3年弱の短命方式となっている。


旭光学・「ペンタックス スポットマチック」




世界初、分割測光機能を搭載したミノルタSRT101 

東京光学「トプコンREスーパー」に3年遅れて1966年にミノルタカメラはTTL測光方式の一眼レフ「ミノルタSRT101」を発売、当該市場への参入を開始した。
「ミノルタSRT101」は、ファインダー情報を水平に分割、それぞれにCds受光素子を配して適正露光を求める水平二分割測光を世界に先駆けて採用、測光技術に関する対応力の高さを再び世界にアピールしている。
「縦位置撮影では?」の指摘も受けたが露出測光精度は大幅に高まり今日のデジタル一眼レフに「当然の機能」として付加されている分割測光のルーツが「ミノルタSRT101」にある事は忘れられた事項となっている。


ミノルタカメラ・「ミノルタSRT101」




絞り優先、シャッター速度優先を両立した世界初の一眼レフ・ミノルタXD

初期のTTL測光方式の一眼レフでは、ファインダー内の指針に対してシャッター速度・絞り・フィルム感度と連動する追針を重ねる「追針式」とファインダー内の定点マークにシャッター速度・絞り・フィルム感度と連動する指針を合わせる「定点式」があり、撮影者は撮影意図に応じてシャッター速度、絞り値、を変えて適正露出による撮影を実施していた。
1970年代に入るとTTL測光方式の一眼レフは、第二世代「AE一眼レフ」へと進歩、1971年発売の「ペンタックスES」(旭光学)を筆頭に、「ニコマートEL」(日本光学1972年)「ミノルタXE」(1974年)「フジカST901」(1973年)「オリンパスOM2」(1975年)「キャノンAE1」(1976年)と各社AE一眼レフが登場することになる。
この時に「シャッタースピード優先AE方式」と「レンズ絞り優先AE方式」の賛否展開が繰り広げられ、シャッター速度優先AE方式の「キャノンAE-1」がモータードライブと組み合わせた「連写一眼!」CMを展開して、絞り優先AE方式の「ペンタックスES」「ニコマートEL」等を抑えて大きくシェアを拡大した経緯がある。

この「シャッター速度優先、絞り優先論争」に終止符を打ったAE一眼レフが1977年発売の「ミノルタXD」である。


ミノルタカメラ・「ミノルタXD」




「ミノルタXD」は、絞り・シャッター両優先AE一眼レフカメラながらコンパクトなボディを基調としたハンドリング適性にも優れ豊富な交換レンズ群を有するシステムカメラとして世界の注目も集めている。
当時、協力関係にあったドイツ・ライカ社へもライセンス供与が行われ、「ライカR4」から「ライカR7」までのモデルが「ミノルタXD」をベースに製品化されている。
「ミノルタXD」は、1982年に生産を終了したが「ライカR7」は1997年迄生産され、ミノルタの露光制御技術の先進性が実証された史実が残されている。


ミノルタXDの測光切り替え A・絞り優先 S・シャッター速度優先


ミノルタカメラがリードする形で展開したフィルム一眼レフの露光制御技術展開は、現在市販されている入門用デジタル一眼レフの全てが対応しておりセールストークには成り得ない当然の機能となっている。「ミノルタXD」発売から40年、フィルム一眼レフの露光制御技術展開は一部マニアの「懐かしの記憶」となった。