第三木曜日の午後、有志による談義を行っております。
今月も16日に行われ、早速<まとめ>が届きましたのでアップします。
「印刷]の今とこれからを考える」
「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年1月度会合より)
●文化財の複製・保存に印刷技法が一役買う
デジタルカメラで撮影した画像データをインクジェットで出力してネガフィルムを作成し、それを銀塩印画紙に密着で焼き付けてモノクロプリントを制作するというユニークな技法が注目されている。デジタル技術を活かした画像の取り扱いやすさ、銀塩印画紙がもつ黒の深み、優れた解像感、滑らかな階調がもたらす写真表現の自然さをみごとに融合させている。デジタル技術とアナログ技法を絶妙に組み合わせたことで、画像の入力はデジタル処理、出力はドライプロセスによるネガフィルムを利用した伝統的な印刷方法と、それぞれが生かされた。この新技法を使った、銀塩フィルムを使わない「デジタルコロタイプ印刷」が実用化され、文化財の忠実な複製に用いられている。撮影用の銀塩フィルムが入手しにくくなった現在、新技法が文化財保存に果たす役割は大きなものがある。文化財の複製に利用されている高精細出力のインクジェットプリンタと比べても、どちらも顔料系の色材を使っていることから、画像の堅牢性についてはあまり差がない。当面、それぞれの画像特性を発揮しながら両者が共存していくと思われるが、この新技法は古典的なイメージングの復活・継承に寄与していくことだろう。ニッチな印刷領域が確立されたので、独自の活動分野を求める芸術家にとっても心強いことだろう。
●多様な人材が活躍できる職場環境を整備しよう
女性の特性を活かせるマネジメントが重要になっている。女性のなかで印刷機械を使いたいという人が増えてきて、技能五輪で金メダルをとってくらいになった。今では自動化、コンピュータ化が進み、UV乾燥の導入などで力仕事となる工程間の横持ち作業もだんだん不要になってきた。しかし、それに甘えることなく、印刷機そのものを動かしたいという熱意で、印刷会社に入社してくる。本人の努力もあるのだろうが、例えば印刷機を自分で調整したり、トラブルを解決したりと、何より“度胸”がある。技能五輪のでは、自分で捌いて断裁し紙積みする、特色インキ用に調肉する作業までおこなっている。小集団活動を実施すると、女性の方が教えた通り素直に学んで、期待に応える成果を出してくれる。持ち前の感性で吸収するからだ。企業力をつけるためには、このような女性を含む多様な人材を活用すること、人材が活躍できる職場環境を整備することが望まれている。
●印刷会社の余裕のなさが印刷人の感性を鈍くする
現在のデジタル技術では及ばないハイレベルの領域を、昔は印刷会社がコストを負担し、クライアントも資金を出して実験をやらせてくれた。外注する際には技能を指導することが多かったが、基本の刷り順を変えてでも上手に仕上げてくる職人がいた。ツボ調整できる“神様”もいなくなった。実験をすると印刷機械が占領され生産性が落ちるからと、会社は認めてくれない。全てが自動化、標準化され、試行錯誤しなくなった。印刷会社には実験を認める余裕がなくなり、現場のノウハウも失われた。平均的には上手くなったのかも知れないが、特殊なことには手を出さないようになったのが現状だ。機会任せで80点の印刷はできたとしても、人間の技能を駆使して98点の印刷品質を追求しようとはしない。機械が進歩すると人間の感性が鈍くなる典型を見ているようで、非常に残念な思いがする。
●脳科学の研究成果を印刷産業はどう取り入れるのか
脳科学から印刷の効能を探っていこうという考え方がある。一つの法則を立ててマーケティングに役立てることは大変いいことだと思うが、純粋な科学と目的達成の手段との調和を考える必要がある。脳科学を適用するに際しては倫理規定を定めておくべきだという動きもあり、利用如何では“両刃の剣”にも成りかねない。脳の働きを分析していくと、副産物的な情報も判るので、人間個体の全てが把握できてしまう。本能的な無意識の部分も掴めてしまう。神経科学の一部である認知心理学を記憶手段に、例えば教育に使おういう動きもあるが、今はまだ知見の段階で、効果は証明されていない。紙媒体とデジタル媒体は認知工学的に違っていて、無意識に吸収する情報量の大きさ、前頭前野に与える刺激度の強さなど、印刷媒体の方が圧倒的に優れている。印刷産業として脳科学が明らかにしたこの利点は大いに宣伝すべきだが、フロー情報とストック情報など、別の角度からの基準でも媒体としての効能が判断できる。産業界に先駆けて学界のなかで一定の判定基準ができてしまうのには、やはり“抵抗”がある。
●IT教育の普及に伴って、印刷データの著作権は?
電子教科書の普及が始まった。パソコンやタブレット端末、ネットワークを利用したIT教育が浸透している。タブレットの規格づくりも進んでいる。教育の仕方が根本的にひっくり返ることになる。子供たちの個性を伸ばすツールになるのか、あるいは平均化を招くツールとなるのか。将来的な効果は今のところ判らないが、学校教育が大きく変わることは間違いない。印刷産業がつくっている画像データは、著作権法などでそれなりに管理されているが、教育の世界では適用されにくい。教室内では、先生が引用したテキストのデータがほぼ無条件で生徒側に伝送される。教室外に流出し、再利用される恐れがなくもない。郊外でのeラーニングも著作権法が適用されずにおこなわれている。学校が著作権料を支払ってデータを使用するというかたちにもっていけるのか、印刷産業でも注意深く見守っていかなければならない。
●「キリシタン版」に使われた国字活字の謎は深まる
《平成25年8月度記事参照》 金属活字による日本最初の活版印刷術は、天正遣欧少年使節団によって1590年にもたらされているが、問題は、漢字・仮名混じりの国字を金属活字として鋳造し活版印刷をおこなったのは、果たして誰なのかということである。一説には、その国字活字を使節団が持ち帰ったとされているが、帰国前にはすでに、活字づくりの作業が始まっていたのではないかと考える方が自然だ。最初の国字本『どちりな・きりしたん』は、帰国2年目の1562年に印刷されているが、版下作成に始まり父型の彫刻、母型の打ち込み、活字の鋳込みという困難な作業を短時間でこなせるとは考え難い。また「キリシタン版」の印刷に使われた印刷機は、最初から最後までリスボンで(欧文活字とともに)積み込まれた1台だけだったという定説にも、耐用面からいって、1台で70種類もの印刷物を20年間にわたってつくり続けられるわけがない。日本においても、同様の活版印刷機が製造されていたに違いない。
●使節団の訪欧中に、国内で活字づくりが始まっていた
そうした研究課題があるなか、『キリシタン版』を前後期に分け、前期のものは使節団が印刷機と一緒に日本に持ち帰った欧州製の国字で印刷したもの、これに対して、後期のものは本邦製だという説が発表された。しかも、前期の印刷に使われた国字はベネチアの印刷所に発注したもので、その版下を書いたのはロヨラ(使節団のローマ派遣を計画した宣教師・ヴァリニャーノによって起用された日本人の修道士)だとしている。しかし、ロヨラが日本語のフォント・デザイナーになったという説には、過酷な旅程、時間的な制約を考えると無理がある。いくら印刷技術、活字製作の経験のあるヨーロッパ人であっても、日本字の漢字や仮名には手を出させなかったのではないだろうか。ここはやはり、印刷技術に詳しかったヴァリニャーノが布教のための印刷物の重要性を考え、使節団を派遣する前から、グーテンベルグの金属活版印刷術を日本に導入したいと企画していたのではないだろうか。派遣前に国字の版下作成に要する人材手配をキリシタン大名(大友宗鱗)に依頼して、旅行中に作業を進め、帰国と同時に鋳造に取り掛かったという可能性が出てくるのである。『キリシタン版』は彼の構想によって実現できたといってよい。
今月も16日に行われ、早速<まとめ>が届きましたのでアップします。
「印刷]の今とこれからを考える」
「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年1月度会合より)
●文化財の複製・保存に印刷技法が一役買う
デジタルカメラで撮影した画像データをインクジェットで出力してネガフィルムを作成し、それを銀塩印画紙に密着で焼き付けてモノクロプリントを制作するというユニークな技法が注目されている。デジタル技術を活かした画像の取り扱いやすさ、銀塩印画紙がもつ黒の深み、優れた解像感、滑らかな階調がもたらす写真表現の自然さをみごとに融合させている。デジタル技術とアナログ技法を絶妙に組み合わせたことで、画像の入力はデジタル処理、出力はドライプロセスによるネガフィルムを利用した伝統的な印刷方法と、それぞれが生かされた。この新技法を使った、銀塩フィルムを使わない「デジタルコロタイプ印刷」が実用化され、文化財の忠実な複製に用いられている。撮影用の銀塩フィルムが入手しにくくなった現在、新技法が文化財保存に果たす役割は大きなものがある。文化財の複製に利用されている高精細出力のインクジェットプリンタと比べても、どちらも顔料系の色材を使っていることから、画像の堅牢性についてはあまり差がない。当面、それぞれの画像特性を発揮しながら両者が共存していくと思われるが、この新技法は古典的なイメージングの復活・継承に寄与していくことだろう。ニッチな印刷領域が確立されたので、独自の活動分野を求める芸術家にとっても心強いことだろう。
●多様な人材が活躍できる職場環境を整備しよう
女性の特性を活かせるマネジメントが重要になっている。女性のなかで印刷機械を使いたいという人が増えてきて、技能五輪で金メダルをとってくらいになった。今では自動化、コンピュータ化が進み、UV乾燥の導入などで力仕事となる工程間の横持ち作業もだんだん不要になってきた。しかし、それに甘えることなく、印刷機そのものを動かしたいという熱意で、印刷会社に入社してくる。本人の努力もあるのだろうが、例えば印刷機を自分で調整したり、トラブルを解決したりと、何より“度胸”がある。技能五輪のでは、自分で捌いて断裁し紙積みする、特色インキ用に調肉する作業までおこなっている。小集団活動を実施すると、女性の方が教えた通り素直に学んで、期待に応える成果を出してくれる。持ち前の感性で吸収するからだ。企業力をつけるためには、このような女性を含む多様な人材を活用すること、人材が活躍できる職場環境を整備することが望まれている。
●印刷会社の余裕のなさが印刷人の感性を鈍くする
現在のデジタル技術では及ばないハイレベルの領域を、昔は印刷会社がコストを負担し、クライアントも資金を出して実験をやらせてくれた。外注する際には技能を指導することが多かったが、基本の刷り順を変えてでも上手に仕上げてくる職人がいた。ツボ調整できる“神様”もいなくなった。実験をすると印刷機械が占領され生産性が落ちるからと、会社は認めてくれない。全てが自動化、標準化され、試行錯誤しなくなった。印刷会社には実験を認める余裕がなくなり、現場のノウハウも失われた。平均的には上手くなったのかも知れないが、特殊なことには手を出さないようになったのが現状だ。機会任せで80点の印刷はできたとしても、人間の技能を駆使して98点の印刷品質を追求しようとはしない。機械が進歩すると人間の感性が鈍くなる典型を見ているようで、非常に残念な思いがする。
●脳科学の研究成果を印刷産業はどう取り入れるのか
脳科学から印刷の効能を探っていこうという考え方がある。一つの法則を立ててマーケティングに役立てることは大変いいことだと思うが、純粋な科学と目的達成の手段との調和を考える必要がある。脳科学を適用するに際しては倫理規定を定めておくべきだという動きもあり、利用如何では“両刃の剣”にも成りかねない。脳の働きを分析していくと、副産物的な情報も判るので、人間個体の全てが把握できてしまう。本能的な無意識の部分も掴めてしまう。神経科学の一部である認知心理学を記憶手段に、例えば教育に使おういう動きもあるが、今はまだ知見の段階で、効果は証明されていない。紙媒体とデジタル媒体は認知工学的に違っていて、無意識に吸収する情報量の大きさ、前頭前野に与える刺激度の強さなど、印刷媒体の方が圧倒的に優れている。印刷産業として脳科学が明らかにしたこの利点は大いに宣伝すべきだが、フロー情報とストック情報など、別の角度からの基準でも媒体としての効能が判断できる。産業界に先駆けて学界のなかで一定の判定基準ができてしまうのには、やはり“抵抗”がある。
●IT教育の普及に伴って、印刷データの著作権は?
電子教科書の普及が始まった。パソコンやタブレット端末、ネットワークを利用したIT教育が浸透している。タブレットの規格づくりも進んでいる。教育の仕方が根本的にひっくり返ることになる。子供たちの個性を伸ばすツールになるのか、あるいは平均化を招くツールとなるのか。将来的な効果は今のところ判らないが、学校教育が大きく変わることは間違いない。印刷産業がつくっている画像データは、著作権法などでそれなりに管理されているが、教育の世界では適用されにくい。教室内では、先生が引用したテキストのデータがほぼ無条件で生徒側に伝送される。教室外に流出し、再利用される恐れがなくもない。郊外でのeラーニングも著作権法が適用されずにおこなわれている。学校が著作権料を支払ってデータを使用するというかたちにもっていけるのか、印刷産業でも注意深く見守っていかなければならない。
●「キリシタン版」に使われた国字活字の謎は深まる
《平成25年8月度記事参照》 金属活字による日本最初の活版印刷術は、天正遣欧少年使節団によって1590年にもたらされているが、問題は、漢字・仮名混じりの国字を金属活字として鋳造し活版印刷をおこなったのは、果たして誰なのかということである。一説には、その国字活字を使節団が持ち帰ったとされているが、帰国前にはすでに、活字づくりの作業が始まっていたのではないかと考える方が自然だ。最初の国字本『どちりな・きりしたん』は、帰国2年目の1562年に印刷されているが、版下作成に始まり父型の彫刻、母型の打ち込み、活字の鋳込みという困難な作業を短時間でこなせるとは考え難い。また「キリシタン版」の印刷に使われた印刷機は、最初から最後までリスボンで(欧文活字とともに)積み込まれた1台だけだったという定説にも、耐用面からいって、1台で70種類もの印刷物を20年間にわたってつくり続けられるわけがない。日本においても、同様の活版印刷機が製造されていたに違いない。
●使節団の訪欧中に、国内で活字づくりが始まっていた
そうした研究課題があるなか、『キリシタン版』を前後期に分け、前期のものは使節団が印刷機と一緒に日本に持ち帰った欧州製の国字で印刷したもの、これに対して、後期のものは本邦製だという説が発表された。しかも、前期の印刷に使われた国字はベネチアの印刷所に発注したもので、その版下を書いたのはロヨラ(使節団のローマ派遣を計画した宣教師・ヴァリニャーノによって起用された日本人の修道士)だとしている。しかし、ロヨラが日本語のフォント・デザイナーになったという説には、過酷な旅程、時間的な制約を考えると無理がある。いくら印刷技術、活字製作の経験のあるヨーロッパ人であっても、日本字の漢字や仮名には手を出させなかったのではないだろうか。ここはやはり、印刷技術に詳しかったヴァリニャーノが布教のための印刷物の重要性を考え、使節団を派遣する前から、グーテンベルグの金属活版印刷術を日本に導入したいと企画していたのではないだろうか。派遣前に国字の版下作成に要する人材手配をキリシタン大名(大友宗鱗)に依頼して、旅行中に作業を進め、帰国と同時に鋳造に取り掛かったという可能性が出てくるのである。『キリシタン版』は彼の構想によって実現できたといってよい。