印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例会 ≪2014年12月度会合≫まとめ

2014-12-22 10:01:12 | 月例会

<印刷]の今とこれからを考える> (印刷図書館クラブ 月例会報告 平成26年12月度会合より)



●本の良さをもう一度、見つめ直すきっかけに

 最近、紙の出荷量が減少傾向にある。印刷産業における消費量も全国的に落ちている。印刷業の形態は大都市部では工程ごとに分業が進み、地方では総合印刷のかたちとなっているが、とくに東京などでは情報コミュニケーションが急速にネットに移行していて、携帯端末、タブレット端末を多くの人が利用するようになった。その分、印刷工程を担う本来の仕事がなくなってきている。出版物などでその傾向が強いようだ。世代ごとにメディアに対する見方、考え方は異なるのかも知れないが、図書館に行けば各世代の大勢の人たちが分け隔てなく本を読んでいる。本を“積ん読”行為には、何となく満足感が伴う。その人なりの一種のデータベースを身近に置くことで、精神的な安心感をもてる。そのようなメリットが再評価されたせいか、若い人も本の良さを見直して、ページを開いてみたいという気持を高めているそうだ。



●「顧客基点」の真の意味にもう一度、気づきたい

 大学生たちが出版企画案を競い合い、それを出版社の編集者や書店関係者が審査して、優秀作品を書籍化し販売していこうというイベントがある。出版市場を開拓するユニークな試みとして、着実に根を下ろしている。注目すべきは「市場を見過ぎていた」という反省が出版社側にあり、一方に「マーケティング主義とは距離を置きたい」という気概が学生側にあることだ。「売れる企画を」対「焦点を絞った独自性を」の違いである。そこには、プロには気づけない盲点がある。出版社が考えもしなかった真に需要のあるものを、学生が企画提案しているということになる。書店は取次に頼りっ放しで、読者をつなぐ意識がない。情報流通を担う意欲がない。顧客基点といいながらも、自分勝手に売れるであろうと思い、それを売り込もうとしている間は上手くいかないのである。学生主宰のイベントはこの事実を教えてくれる。



●連携して新しいビジネスを切り開く意識をもとう

 別の事例を紹介したい。それは、月刊誌や週刊誌のバックナンバーのページをそのまま電子書籍として配信するサービスがおこなわれていることである。独自開発の閲覧アプリを使って、誰もが簡単に、しかも安価にタブレット型情報端末の画面で読むことができる。新刊雑誌、従来型電子雑誌とは異なる新たな雑誌市場を切り開いたことを意味する。新規の販売数は少ないのかも知れないが、長期間にわたってロングテール市場を維持し続けられる。このようなビジネスこそ、コンテンツを保有する印刷会社が率先して取り組むべきなのに、IT企業に先を越されてしまった。コンテンツを出力する媒体、表現方法は多様なのに、自ら対象を印刷物に固定してきてしまった。出版社にとっても残念なのは、印刷会社と連携して新しいビジネスを興そうという発想がないことである。せっかく受発注関係にあるにも関わらず、別々に活動していて戦略的アライアンスができていない。印刷会社の方から効果的な提案ができるようになればいいのだが、仮にそうしたとしても、ビジネス領域を守りたいという意識があるせいか、なかなか採り入れてもらえない。ここにも既成概念にとらわれている様子がみられ残念である。



●環境問題を契機に企業のあり方を考え直してみよう

 先頃開催された「エコプロダクツ展」の基調講演で、こんな話を聞くことができた。かつて埼玉県西部で起こったダイオキシン問題で、いわば当事者だった産廃業者の現経営者の講演だった。そのとき父に当たる先代社長に「ゴミを燃やすのを止めたら」といったら「じゃあ誰がやるのか」と悲しげ気に返事をされたという。自分としては常識的なことをいったつもりだったが、父の心を深く傷つけてしまったと反省したそうだ。環境問題の有識者からは「地方に引っ越せ」といい加減なことをいわれ、「それでは道理が通らない」と憤りを感じたようだ。当時、設備投資したばかりで廃業するわけにもいかず、結局、焼却炉を廃棄して粉砕システムに代える道を選んだ。周囲に対する意地もあって建屋をガラス貼りにするとともに、従業員に対しても安全衛生や言葉遣いに関する教育を徹底させた。今では、そうした企業姿勢が社会から高く評価され、会社見学が引きも切らず、国からも表彰される優良企業になった。



●社会的責任を果たすことから道は開ける……

 この経営者が力説するように、環境対応は儲からないというのは誤解だ。どの業界の企業も、自社がつくった製品が消費者に渡ったあとで、どう使われるか、どのように捨てられるかに、あまり関心を抱いていない。製品開発、製品改良には懸命になるのに、その後のことに意識が向かない。後工程についても社会的責任をもち、しっかり取り組んでほしいところだ。環境対応は儲かるビジネスである。「確かにコストはかかるが、皆を守る仕組みをつくることができた」と、この経営者も話していた。環境問題に限らず、規制緩和を求める声が強いが、その前に自らイノベーションを興して新しいビジネスを創造し、それを既成事実として社会に示したらどうか。どの時代にあっても、最先端をいく企業はすべてそうした道を進んできた。



●理屈上の部分最適より感性に沿った全体最適を

 印刷で表現する色相は、光源の温度(ケルビン)で見た目が変わってくる。通常は5,000K前後の自然光で見るのが理想的なのだが、色には心理的な要素が加わるので、いわゆる“記憶色”を考慮する必要がある。顧客が望む「かくありたい」という色に合わせなければいけないときもある。例えば、ゴルフ場をテーマにしたカレンダーをつくる場合、グリーンがもっとも鮮やかに見える5月頃に撮影した写真を毎月使用することが考えられる。この例などは理論上おかしいのだが、各月単位の部分最適ではなく、顧客が欲している趣旨を1年間という全体最適でまとめることの重要性を教えてくれる。理屈を超えた感性をもって、統一感のあるデザイン設計をおこなうことが重要なのだ。このような演出の仕組みを印刷会社はあまり意識してこなかった。演出効果を狙いながら、印刷する絵柄をどう見せていくかの全体構成を、適切に顧客に提示しなければならない。絵柄はストーリーとしてみられる。作業指示書のなかに、顧客が無意識であっても本当に求めていることを、明確に書き込むよう望みたい。



●読み手がどう感じるかを十分に意識して印刷しよう

 印刷会社は、読み手がどう感じたかを十分に意識して印刷物を作成する必要がある。読み手はそれぞれ異なる文化、風土、経験をもっていて、一人ひとり生命観、シズル感が違う。メディアが多様化するなかで、印刷メディアがどのように受け取られるかをもっと研究しなければいけない。せめて80点くらいのレベルまで迫れる評価基準があればいいのだが、例えば広告宣伝印刷物の場合なら、製品やサービスをイメージとしてどう表現するかといったようなコンセプトをきちんと把握するとともに、顧客にも提案して双方で共通認識することが重要だ。広告宣伝印刷物で表現するような色合いは、現実の色彩と違っていて、すべて“ウソ”である。プリンティング・ディレクターはいい意味での“ウソ”をつくのが仕事といっても過言ではない。



●巧みに“ウソ”のつける印刷人はどこへ行った?

 現実の真の姿を再現できる印刷物の方が技術的に優れているのは当然だが、透過原稿と反射原稿は正反対の位置にあり、厳密に整合させることは本質的にできない。「赤をややウスク」といったような指示はきわめてあやふやで、完全に解決する方法とはなり得ない。顧客から営業マン、指示書を経て作業者へと多くの段階を経ることもあって、現場マンは校正の指示を信用していない部分さえある。アタマのなかで考えた言葉が正確な言語になるとは限らないからである。しかし、そんな詩的な表現が“ウソ”が許される余地を与えてくれる。この辺の微妙な関係を理解して、巧みな演出ができる質の高い人はいまやいなくなった……。

(終)





米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる 名機・アンスコマークM

2014-12-01 13:45:40 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
≪印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪 VOL-4≫
印刷コンサルタント 尾崎 章


「米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる
名機・アンスコマークM」



斬新デザインのアンスコマークM


一世を風靡したアンスコ・ANSCO社

1960年に米国感光材料メーカー・アンスコ社が発売した35mmレンズ交換式レンジファインダーカメラ「アンスコマークM」(ANSCOMARK M)は当時米国を代表する工業デザイナーで有ったレイモンド・ローウィ(1893-1986年)がデザインを担当、カメラ自体の性能はもとよりデザインの素晴らしさが高く評価された話題のカメラで有った。


アンスコマークM

レイモンド・ローウィは、米国を代表するタバコ「ラッキーストライク」のパッケージデザイン、「コカコーラ」のデザイン、当時の様々な家電デザインからペンシルバニア鉄道の流線型機関車のデザイン等々を担当、日本ではタバコパッケージデザインの名作とされる「ピース」のデザインを手掛けローウィ・デザインの素晴らしさが今日まで伝えられている事は周知の通りである。


レイモンド・ローウィと作品群(美の壺より)

当時のアンスコ社は世界6大のフィルム・感光材料メーカーとして技術開発面でも業界をリード、アグファのAGFACOLOR(1936年)に続いてコダックより4年早い1942年にカップラー(発色剤)をフィルム乳剤中に含有させた内式カラーフィルム「アンスコクローム」を発売、更には富士フィルムより5年早くASA感度100のカラーリバーサルフィルムを発売する等、製品開発面に於いても業界をリードしていた。
写真工業史に燦然と輝いた「アンスコフィルム」の歴史は、塾年写真ファンに於いては懐かしい記憶である。


1960年当時のアンスコフイルム


アンスコマークMの誕生

1956年、当時の主流コピー方式であったジアゾニウム塩感材をアンモニア水溶液で湿式現像するジアゾコピー分野でアンスコ社はアンモニアガスによる「乾式ジアゾコピー」技術を世界に先駆けて開発、「湿式ジアゾコピー」で国内トップシェアを有していた理研化学工業(現・㈱リコー)は同社と技術提携を行い「乾式ジアゾコピー」の国内展開を行っている。こうした関係から、アンスコ社がレンズ交換式・レンジファインダーカメラの製造を㈱リコーに依頼、㈱リコーより供給された当該カメラを1960年にアンスコ社が「アンスコマークM」、㈱リコーが「リコー999」として国内販売を開始する展開に至っている。


アンスコマークMとリコー999

「アンスコマークM」は発売直後よりレイモンド・ローウィによる直線的なメタリックデザインが「20世紀のアメリカ製品」感を見事に再現するグッドデザインカメラとして米国内で注目を集めた経緯がある。今日でも当該カメラに対する評価は高く日本カメラ博物館発行の「カメラとデザイン」NHK出版発行「美の壺・クラッシックカメラ」等でグッドデザインの代表的カメラとして広く紹介されている。


アンスコマークMを紹介した「美の壺」

「アンスコマークM」「リコー999」は、カメラデザインのみならずカメラの基本性能面でも当時の水準を上回り、50mm標準レンズの他に35mm広角、100mm中焦点レンズもラインナップされ、ハイアマチュア層をターゲットとして当該機は国内価格33.800円(標準レンズ付)とレンズシャッターカメラとしてはハイクラスの価格帯に設定されていた。


標準・広角・中焦点の交換レンズをラインアップ


アンスコ社の変遷

アンスコ社は1842年創業のスタジオカメラ会社・アンソニーを起源とし、1902年に銀塩感光材料製造・スコーピル社を買収して社名をアンソニー&スコーピルに変更、1907年にはアンスコへと社名短縮を行っている。
1938年には社名をGAF・ゼネラルアニリンに変更して総合化学メーカーへの転身を図っている。「アンスコ」名はフィルム・カメラブランドとして継続されたが、新規ビジネス展開が軌道に乗らず1981年にアニテックと社名を再び変更した頃には注目すべき製品も無く印刷材料等で数パーセントの市場シェアを有するに止まっていた。
1987年に世界最大の製紙メーカー・インターナショナルペーパー社が、中堅PSプレートメーカー・ホーセル社(HOSELL)と同時期にアニテック社を買収、ホーセル・アニテック社としてPSプレート及びフィルム市場への参入を開始したが、製紙メーカーによる当該事業展開は難しく事業は直ぐに低迷化を余儀なくされている。
インターナショナルペーパーより不振のホーセル・アニテック社を買収した企業が、1979年に大日本インキ化学工業(現・㈱DIC)が買収した米国PSプレートメーカー・ポリクローム社とイーストマン・コダックとの合弁会社・コダック・ポリクロームグラフィックスである。


ホーセル・アニテックを買収した直後のコダック・ポリクローム・DRUPA2004展ブース

コダック・ポリクロームグラフィックスの買収により1842年から156年間続いた米国老舗感光材料企業が終焉を迎え、ニューヨーク州・ロチェスター市に本拠を置くイーストマン・コダック社と同じニューヨーク州のビンハムトン市を拠点としたアニテック主力工場は、コダック・ポリクロームの買収直後に老朽化を理由に閉鎖・取り壊しが行われている。


2000年代初めのビンハムトン市のアニテック工場


インターナショナルペーパーノプレートビジネス

ホーセル・アニテック社をコダック・ポリクロームグラフィックスに売却したインターナショナルペーパーは、その後も子会社・エクスベテックス社によるコダック及びゼロックス社の印刷機材販売ビジネスを北米中心に展開していたが、2013年5月に米国内に於ける富士フィルムCTPプレート販売権を獲得してCTPプレートビジネスの積極展開を開始している。
新宿の中古カメラ店で購入した「リコー999」,インターネットオークションで入手した「アンスコマークM」の手入れを行いながら1979年のポリクローム社買収に関わった技術担当者として米国感光材料メーカーの変遷を思い出す次第である。

       
以上