印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

「印刷図書館クラブ」月例会報告(2014年4月)

2014-04-24 09:50:39 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

      「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年4月度会合より)


●マーケティング支援サービスの真髄をとらえているか

 規模の大きな印刷会社は、マーケティング領域のソリューション提案やサービス提供による事業を展開しているが、実際にそれらの事業はどのように機能しているのだろうか? データベースマーケティングなど、科学を採り込んだマーケィング支援サービスに進出し、今では認知科学を利用したニューロマーケティングも手掛けようとしている。しかし、売込み(販促)の支援に偏り過ぎ、人間がよりよく生きるために需要者と供給者をつなぐ、近江商人の商道だった“三方良し”の理念に欠けているような気がする。ドラッカーが提唱する“広告を不要とするマーケティング”がもつ本来の意味をどのように捉えているのか。顧客をターゲットと称し、忠誠心をもたせることをロイヤリティー、一生買わせることを生涯価値と呼んでいる間は、マーケティングは未熟な状態にある。そんな状態で印刷媒体の優位性を訴求したとしても、めざすべき事業のかたちも未熟のままに終わりかねない。底に流れるのはやはり「コミュニケーション」。この用語の意味をしっかり理解しないまま、印刷会社が新しい事業に取り組もうとしているところに、事業化そのものを難しくしている要因があるのではなかろうか。


●プリントバイヤーの登場で変わる印刷のビジネス環境

 顧客の要望に応えて印刷メディアを設計し、その製作を印刷会社に発注する「プリントバイヤー」――古くからいわれている印刷ブローカーとは、自ずと役割が異なるはずだが、実態は果してどうなのだろうか? アメリカの印刷業界団体PIAの最近の資料に、ユニークな視点でとらえた非常に興味深い内容が紹介されていた。それによると、印刷会社は旧態依然のマーケティングミックス(製品、価格、流通、販促の構成)を続けるなかで、発注企業からの予算と“心”のシェアを失ってしまったという。顧客企業の多くは印刷発注の権限をもつ担当者を抱えているが、その仕事は次第に、大きなプロジェクトのなかの小さな一部分を担う社外の専門的マーケッターやプリントバイヤーの担当へと、印刷発注の方法がシフトしているのが実情である。価格、品質、配送はもはや、プリントバイヤーに対するセールスポイントにはならない。印刷会社が新しい取引環境で成功するためには、転換を理解して順応しなければならない。


●印刷会社が求められるのは「マーケティングサービス」

 それでは、新しいプリントバイヤーが印刷会社に求めるものは何なのだろうか。「紙に記号を印す」といった日用品の製造請負業から、「マーケティング・サービス・プロバイダー」と呼ばれるような業態へと、自ら変身する必要がある。印刷会社は顧客と見込客に対し、新鮮なアイデアを提供することによって、顧客との“ゲーム”を盛り上げなければならない。顧客のビジネスに気をかけ適切なソリューションを提供すべきだという。多くのプリントバイヤーは、フルフィルメントやパーソナル化のような非印刷関連サービスを探している。製作予算が多くなるほど、より独創的で革新的なソリューションを欲している。「デザインと媒体機能の革新、画期的な印刷メディア、競合企業に対して差別化をはかれるアイデアを顧客企業に向けて提案したい」というのが、プリントバイヤーの願いなのである。


●「サービスプロバイダー」になって要望に応えていこう
 
 印刷をおこなうだけの印刷会社を望むプリントバイヤーはほとんどいない。印刷採用の権限を有する人たちはマーケティング機能、とくにこれまで以上の付帯サービス、データベース構築、マルチチャンネル支援(クロスメディア対応)などに精通し、実際に提供してくれる印刷会社に引き寄せられるのである。印刷会社が一社ですべてこれらのサービスを提供することを、プリントバイヤーから求められるわけではない。問題は、(他社とのタイアップなどによって)印刷分野を超える範囲に業務の機能を拡げることができるかどうかである。プリントバイヤーは、確かに印刷関連の専門家ではあるが、同時に印刷分野以外についても責任をもつ「マーケティング・コミュニケーター」としての役割も担っている。そうした機能は今後どんどん拡がり、非印刷関連の作業も差配する方向に向かっている。このような傾向は、印刷会社にとって「印刷サービスプロバイダー」になる挑戦の機会を提供してくれている。


●関係性を強めることで印刷会社にチャンスが……
 プリントバイダーは、印刷で成功することに関心を抱き、印刷会社と長期にわたって“誇りのもてる関係”を築きたいと願っている。担当する印刷会社から「クリエイティブなコンセプト」が提案されるのを待っている。印刷会社は、顧客に対する自社の企業価値を高めることによって、このような変化に対する優位性を構築する機会としなければならない。プリントバイヤーには、印刷会社とよいパートナーシップを結び、長く持続させたいという願望がある。だからこそ、印刷会社はあらゆる機会をこの関係性の強化に充てるべきである。プリントバイヤーは仕事に拘束される仕事時間にも高い“感度”をもっているだけに、印刷会社は時間の削減に役立つ非印刷関連のサービスを提供するチャンスがある。「マーケティング・サービス・プロバイダー」となるべき印刷会社は、「何を印刷するのか」ではなく「なぜ印刷しなければならないのか」に強い関心を向け、トータルビジネスとして戦略的に業態変革する必要がある。
<参考資料> 「The New Print Buyers」 (Margie Dana/John Zarwan ; The Magazine Feb. 2014 USA)


●キリシタン版の国字活字は刀鍛冶師が担ったかも?

《平成26年3月度記事参照》 キリシタン版の印刷に使用した国字活字の製作に日本人の木版経験者がかかわったとする見方がある。活字の製造とくに国字の活字づくりには、印刷ならではの専門知識が必要で、当時のヨーロッパ人や素人の日本人ではとても難しかっただろうというのが、この説の根底にある。有力な見方ではあるが、視点を変えて考察してみる余地は残っている。木版の技術者がいきなり金属活字を取り扱うことは不可能に近いからだ。そこで、戦国時代だった当時、一定の力をもっていた刀鍛冶などの職人に焦点を当ててみたらどうだろうか? 刀の刃、柄、鍔には製作者や持主(武士)の名前が彫刻されている。お寺の鐘にも文字が鋳込まれている。刀鍛冶に限らず金物細工ができた人物は数多く存在していたはずで、そうした角度からみていった方が判りやすい面もある。今では一般的な明朝体やゴシック体など、複雑な文字が用いられたわけではない。かな文字程度だったら、細工師にとってそんな難しい仕事ではないだろう。銅に打ち込めば母型もできる。天正遣欧少年使節団のローマ派遣を計画したヴァリニャーノが、グーテンベルクの印刷技術に詳しい人物を連れてきて、日本人に知恵を授けてくれれば可能だったはずである。


●印刷以外の宗教、教育、産業分野も視野に入れた調査を

 グーテンベルク技術をどうやって日本にもってきたかに、もっと大きな関心を寄せるべきだし、当時の木工技術、彫金技術がどの程度のものだったか、もう一度調べ直す必要がある。キリシタン版の国字活字を誰かがつくったことは確かで、金属活字の鋳造技術についてあまり難しく考える必要はないだろう。日本にやってきた宣教師たちは、布教のために学校までつくっている。ここはいったん「印刷」から離れて、宗教、教育、そして産業の分野にまで対象を拡げて調査した方が有効かも知れない。ローマやベネチアなど現地の教会辺りに古文書が潜んでいる可能性がある。金属活字そのものに価値があるのではなく、母型にこそ価値がある。母型をつくらず、つくったとしてもその都度壊していたのでは、ナベカマの製造と何ら変わりないことになる。グーテンベルクの技術が後世残った最大の理由は、母型の存在にある。生産技術が高かったから、優れた技術が残ったという事実にもっと注目すべきだろう。

(以上)