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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

月例会報告2016年2月度 (2016年2月18日開催)

2016-02-24 16:22:27 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

        「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成28年2月度会合より)

●経済の成熟期における印刷産業の景気は?

 経済動向との関係で印刷産業の今後を展望してみようというユニークな視点の論文が、アメリカの印刷産業団体PIAから発表された。最近の米国経済は6年を超える長い間、好況裡に推移してきた。2015年次における経済成長率は約2.2%になると予測され、これは、2009年中頃に景気後退期が終わって以降の平均値にほぼ等しい数値である。それだけ長期間、好調を維持してきたことになる。世界経済が減速する気配を見せ、米国においても「景気回復から7年後には成熟期を迎える」という過去があるなかで、例え成熟期に入って弱含みになったとしても、成熟により獲得した体力(寿命)で「積極的な弾力性」(粘り腰)を見せられるはずだとしている。これまでに得た歴史的な経験を根拠に、そう分析する。印刷産業もその恩恵に預かって「20年間も待ち続けた最良の成長」を享受している。「印刷市場は驚くほどうまく機能している」そうである。


●Sweet Spotのメリットを享受できているか?

米国のGDPが2.0%増(2015年1~9月)に止まっていたとき、印刷産業の出荷高は3.5%の伸びを示すことができた。また、同国の製造業18業種のなかで、印刷業は出荷高、新規受注額、生産高、雇用者数の各指標で堂々1位を占めた。なぜ印刷産業は好調を持続できているのかについて、PIAは「経済の成熟期は印刷産業にとって“Sweet Spot”に当たるから」と分析する。製造業でありながら消費動向に左右されがちな生活産業の性格をもつ印刷産業の出荷高は、つねに経済動向に遅れるかたちで好不調を繰り返してきた。後退し始めるときは比較的遅く悪くなり、景気が回復するときは最後に良くなる。つまり、景気が落ち込まんとする時期(成熟期の最終段階)に、印刷産業の成長率がGDPを上回る期間がある。これをSweet Spotと称した。


●産業用印刷物はもちろんのこと、書籍まで!

 実際に、産業用資材であるパッケージ、ロジスティックス用印刷物、ラベル/包装紙は、GDPに追従して成長性を支える典型的な印刷品目となっている。また、販促用、マーケティング用の媒体となる商業印刷物も、その効果を発揮して成長性を保持している。製品ライフルサイクルの成熟期には、市場シェアの確保と利益の最大化、ブランド差別化のために広告宣伝に力が注がれるが、そのとき積極的に使われるのが印刷媒体である。そう考えると、経済成熟期の後半に印刷産業が潤うのも理解できる。さらに「印刷された書籍が元気を取り戻して、相対的にうまくやっている」という事実も、景気の良さから懐と心に余裕ができた消費者が、本を読んでみたいという気持ちを抱いてくれたことと無縁ではないだろう。 


●低成長になっても印刷産業はGDPを上回れる?

それでは、印刷産業はこれから先どうなるのであろうか? PIAでは、2~3年後の経済動向として①ムラのある低成長の持続(確率50%)、②平均的な穏やかな景気後退(25%)、③成長が加速する(25%)――という3つのシナリオについて考察し、「低速だが着実な成長」という可能性を、経営予測計画の基本にすべきだとしている。そして、もしも経済が低成長に終わったとしても(これがもっとも実現性が高い)、印刷産業の出荷高はGDPの成長率を上回る2%の成長を確保できると読む。しかし、悲観的軌道として景気後退が著しく深く進行するなら、それに引っ張られて恐らく年率でマイナス4~6%に下落してしまうだろう。そして、楽観的軌道だが、経済が何らかの方法で3~4%の範囲で成長し続けられるなら、印刷産業の出荷高は依然として年率3%、もしくはそれ以上の拡大を維持できるはずだと予測する。果たして……。
※参考資料=「The Magazine PIA」Jan. 2016; Dr. Ronnie H. Davis(Senior Vice President, PIA)


●印刷会社は「競争しない競争戦略」に取り組め


 アメリカの著名な経営学者であるマイケル・ポーターは、自著のなかで「競合企業と同じ市場を相手に同じような製品を販売しているかぎり、コストダウンや生産性向上によって対抗度を高めるしかない。やっと勝ち得た利益も、売り手の交渉力をもつ資機材の供給業者、買い手の交渉力をもつ顧客サイドに(取引価格を通じて)奪い取られてしまっている」と警告している。事業領域の特化、製品機能の高度化、顧客価値の追求など経営戦略の重要性を鋭く説いた指摘なのだが、印刷人として素通りさせてならないのは、その典型として印刷会社を事例に挙げている点である。こんな話を持ち出すまでもなく、印刷会社は今ほど「競争しない競争戦略」に取り組む必要がある。「ニッチビジネス」を掴んでいくしか生き残る道はないのだ。


●顧客価値を徹底的に提供する印刷ビジネスへ

「クラウド・コンピューティング」なるIT用語を、よく耳にする時代になった。しかし、「クラウド」の意味を深く理解している人はなかなかいないだろう。その意味には「雲」と「群衆」の二つがあって、前者は本来のコンピューティングに伴う意味、そして後者にはビジネス参画の拡がりを表す意味があるという。少額の資本をできるだけ多数の人たちから集めて開業資金にするとともに、事業にも参加し続けてもらう。もちろん、獲得した利益は配当のかたちで返してあげるのが大原則だ。今の若い人は誰でも、このような新しい“金儲け”の仕組みを知っている。実際に後者のかたちで事業を展開している若手の経営者から「印刷業こそリピーター(固定客)を相手に仕事をしたらよい。ムリに新規開拓する必要はない」といわれたことがある。その真理は――特定の得意先に有益な顧客価値を提供できるよう徹底的にサービスせよ、ということになる。ここで、ポーターの提言がつながってくる。


●「ニッチ」を掘り下げるためのビジネス設計を

印刷業はようやく、従来の受注産業から自ら仕掛ける産業へと変わろうとしているが、どうやってマーケットをつくっていくか、いかに顧客のお役に立つべきかといった具体策となると、なかなか進展しないのが実情である。課題は、紙メディアがもつ特有の機能とグラフィック・コミュニケーションを基本とする独自のサービス機能を、いかに結びつけるかにある。これらはいずれも他の産業にはない強みであり、いわば「ニッチ」である。しかし、両者を的確に結びつける方策=ビジネス設計が見当たらないところが悩ましい。プリプレスは情報加工と印刷工程をつなぐ重要な結節点ではあるが、顧客から「まだDTPをやっているの?」といわれている間は、ダメなのだ。DTPを売り物に、それ以降の製作を受注しているだけでは、まさに利益(付加価値)を奪い取られるだけである。競争は水平に位置する同業者とするのではなく、垂直関係にある取引先としなければならない。ポーターはまさにこのことに言及している。


●印刷メディアを基盤とする“ルネッサンス”を

大手広告代理店は旧来の事業内容に新しい形態のサービスを加えて、実に広範なビジネスを手掛けている。印刷産業はいつまでも“受注産業然”としていないで、産業全体でこうした方向をめざすべきである。一社々々はもちろん、それぞれの得意技を活かした領域に特化してニッチ市場で生き残りをはからなければならないのだが、バリューチェーンのなかで上流工程を狙った方が付加価値を獲得しやすく、得策だ。印刷生産技術だけを頼りに製品をつくろうとすればするほど、逆に立場を弱くしかねない。電子メディアという代替品が出てきても、印刷メディアの特質とノウハウを自ら開示して、顧客の協力を得ながら、その顧客を支援しながら一緒にやればいい。電子メディア×印刷メディアのハイブリット型の「情報」を、マーケティング視点で提供していきたい。「紙」を土台とする印刷メディアが不動のビジネス基盤であることは否定しようがない。せっかくの素材を手元に確保しながら、印刷の“ルネッサンス”を巻き起こすことを期待したい。そのとき異業種の参入を許して席捲されていないことを……。

ピッカリコニカ・コニカC35EFが創生したストロボ搭載カメラ市場

2016-02-17 15:25:16 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
『ピッカリコニカ・コニカC35EFが創生したストロボ搭載カメラ市場』 

印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-17
印刷コンサルタント 尾崎 章



1974年にコニカ・小西六写真工業(現・コニカミノルタ)が民生用としては世界初のストロボ搭載カメラ「コニカC35EF」を発売して注目を集めた。


コニカC35EF
 

コニカが1968年に発売したコンパクト35mmカメラ「コニカC35」は、カメラ携行性問題解決と簡単撮影を実現した自動露出機能により「手軽に撮影できるカメラ」として女性需要層を核とした新規需要創生に成功し販売台数62万台のヒット製品になっている。
「コニカC35」ヒットの背景には、当時の国鉄が企画した旅行キャンペーン「ディスカバージャパン」効果による女性旅行ブームに伴う小型カメラの需要増が有り、更に当時の流行語にもなった人気のグループサウンズボーカリスト:井上順さんによるTV・CM「ジャ~ニ~ コニカ」効果、そして小型コンパクトカメラとして十分な基本性能を有していた事が挙げられている。

コニカは、「コニカC35」に続いて室内撮影需要に応えるべく小型ストロボを搭載した「コニカC35EF」を製品化、「コニカC35」同様に井上順さんによる「ピッカリ・コニカ」「ストロボ屋さんゴメンナさい」のCMをベースとした販促展開を実施、「コニカC35」を超える販売台数100万台超の大ヒットに至っている。

「コニカC35EF」は、高圧電流を使用するストロボ搭載による感電対策も兼ねてプラスチックボディを採用、ストロボ用の乾電池も含めてボディ重量340gと従来の金属ボディコンパクトカメラと比べて半分レベル迄の軽量化も実現している。
「コニカC35EF」の成功により競合カメラ他社も次々と同一仕様のカメラを製品化して追随を図り、短期間に「ストロボ搭載」「プラスチックボディ」が小型カメラの業界標準仕様となった経緯がある。


フラッシュからストロボへ


室内写真撮影用の補助光源としては、閃光電球・フラッシュバルブを使用する発行装置・フラッシュガンが1960年代まで広く使用されていた。


フラッシュガンを装着したミノルタV2  


閃光電球・フラッシュバルブには、レンズシャッター用のM級とフォーカルプレーンシャッター用の発光時間が長いFP級が有り、其々にモノクロ用のクリァーバルブとカラーフィルム用のブルーバルブが製品化されていた。
国内閃光電球メーカーは、東京芝浦電気(現・東芝)と松下電器産業(現・パナソニック)があり、当時の製品価格例としてはM-3(M級小型)5球入り・210円であった。


標準型と口金無AG型のフラッシュランプ 



閃光電球の展開は、電球の口金を省略した小型閃光電球(AG型)が開発・製品化され閃光電球・フラッシュバルブの携行性が大幅に向上、カメラ各社も自社カメラとの適合性を重視した小型フラッシュガンを製品化して当該需要に応えている。
AG型閃光電球の当時価格は、レンズシャッター用AG-1(クリア・10球入り)240円、AG-1B(ブルー・10球入り)260円で、口金型閃光電球同様にフォーカルプレーン用・AG-6,AG-6Jもラインナップされていた。



専用AG型ペンフラッシュを装着したオリンパスペン  

AG型・小型閃光電球に続く閃光電球・フラッシュバルブ展開としては、1970年に米国シルバニア社が開発した小型AG球4個を直方体の4面に埋め込んだ発光器・フラッシュガン不要の「フラッシュ・キューブ」がある。「フラッシュ・キューブ」はカメラボディに設置されたソケットに差し込むだけで4回のフラッシュ撮影が出来る簡易システムとしてカメラ各社の注目を集めた。
カメラ各社は、「フラッシュ・キューブ」を当時の初心者向けカメラとして注目を集めていたコダック126インスタマチックフィルムカメラ及びアグファ・ラピッドシステムカメラ等に採用、当該フィルムを使用するカメラの大部分に「フラッシュ・キューブ」ソケットが搭載される展開を示した。


フラッシュ・キャーブ付 コダックインスタマチックカメラ 


しかしながら、上級者向けカメラ及び一眼レフカメラへの普及は無く、グリップオン型小型ストロボ及びストロボ内蔵カメラの台頭により過渡的な存在化を余儀なくされている。



ストロボメーカーの苦戦

カコストロボ(東京・品川)サンパックコーポレーション(東京・大田)に代表される国内写真光源各社は、1963年より小型ストロボを製品化して積極的なビジネス展開を開始している。
特にカメラ上部・軍艦部のアクセサリーシューに取り付けるアマチュア向けの小型ストロボ市場が拡大、「カコストロボ」は小型ストロボの代名詞的存在となる程の展開を示した。
しかしながら、「コニカC35EF」(ピッカリコニカ)を契機とするコンパクトカメラへのストロボ搭載の標準化により一般アマチュア向け市場が一気に終息する厳しい状況を迎える事態に陥っている。


カコストロボを装着したヤシカハーフ17 



カコストロボ㈱は1970年代末に経営破綻を来たし、ストロボの主要パーツであるコンデンサを供給していた日立コンデンサ㈱(現・日立NIC)が事業継続を図ったものの1977年にはプロペット㈱に事業譲渡を行い当該市場よりの撤退を余儀なくされている。
井上順さんの「ストロボ屋さんコメンナさい」のCMフレーズが文字通りに具現化する展開に至っている。

一般用小型ストロボからプロフェッショナル・業務用ストロボへのシフトを先行したサンパックコーポレーション㈱は現在も当該市場で事業継続を図り、東京・目黒区上目黒に本社・工場を有した㈱ミニカムは、現在も当該地で㈱ミニテクノとして業務用ストロボ製品の製造販売ビジネスを展開、旧社名のミニカムはビル名及びマンション名として継続されている。1970年代には、同社の通りを挟んだ反対側には、印刷会社・㈱文星閣(東京・大田区)の本社・工場があり、㈱ミニカム社屋前を通って㈱文星閣を技術サポート訪問した経験がある。
ミニカムは大型フラッシュガンの市場で高いシェアを有し、筆者も学生当時に「ストロボは光量不足」としてミニカム製のフラッシュガンを使用しており、目黒の㈱ミニテクノ社、ミニカムビルは懐かしの存在である。


ミニカム社製 大型フラッシュガン




初のストロボ搭載一眼レフは、フジカST-F


一眼レフへのストロボ搭載は「コニカC35EF」の2年後、1976年に富士フィルムの小型一眼レフ「フジカST-F」によって実現されている。


フジカ ST-F 


世界初のストロボ搭載一眼レフ「フジカST-F」は、レンズ固定、ミラーシャッター方式を採用したコンパクト一眼レフで前述「コニカC35EF」と大差の無いボディサイズであった。
「フジカST-F」は29.800円の低価格にも関わらずフジノン40mm f2.8(3群4枚)の準広角レンズは描写力も高く、「コニカC35EF」に迫る360gの軽量性等々、価格を卓越したコストパフォーマンスを有していた。
「フジカST-F」は現在でも楽しめるコンパクト一眼レフであるがペンタプリズムが溶解した保護クッション剤によって腐食され、ファインダー視野にダメージが発生している確率が高い事が残念な現象である。
レンズ交換式一眼レフへのストロボ搭載は、1986年発売の「オリンパスOM707」がカメラグリップ部にポップアップ式の縦型ストロボ搭載を行っているが、現在のデジタル一眼レフが数多く採用しているペンタプリズムカバー部へのストロボ搭載は旭光学(現・リコーイメージング)が1987年に発売した「ペンタックスSFX」によって製品化が図られている。


ペンタックスSFX 



「ペンタックスSFX」はペンタプリズムのボディ埋没化によって生じた空間にストロボを設置する手法でストロボ内蔵を実現している。
「ペンタックスSFX」以降、普及型及びファミリーユースの一眼レフはペンタプリズムカバー部へのストロボ搭載が標準仕様となり、今日のデジタル一眼レフでも当該仕様は受け継がれている。



フラッグシップ一眼レフはストロボ非搭載が基本ルール?


「ペンタックスSFX」以降、各社はペンタプリズムカバー部にストロボを搭載した一眼レフの製品化展開を実施しているが、旗艦一眼レフ「フラッグシップモデル」と称されるプロフェッショナル向けの製品にはストロボを搭載しない暗黙のルール?が存在している。
日本光学(現・ニコン)のフィルム一眼レフ・フラッグシップモデルである「ニコンF4」(1988年発売) 「ニコンF5」(1996年発売)そして現行製品「ニコンF6」(2004年発売)は何れもストロボ非搭載である。
同様にキャノン製品も「EOS-1N」(1994年発売)現行製品の「EOS-1V」(2000年発売)共にストロボは非搭載で両社の方針はデジタル一眼レフにも共通しておりニコンのデジタル一眼レフのフラッグシップモデル「ニコンD3」,キャノン「EOS-1」シリーズ共にペンタプリズム部へのストロボ搭載は無い。
一眼レフ・フラッグシップモデルへのストロボ搭載例としてはミノルタカメラ(現 コニカミノルタ)が1998年に発売した「ミノルタα9」が唯一の例である。


ミノルタ α9




ニコンF6と専用ストロボ



「ミノルタα9」はミノルタカメラが万全を期して発売したプロユースのフィルム一眼レフでペンタプリズムにガイドナンバーG12のストロボを搭載した。この展開に対して写真業界で賛否両論の騒動が起こり、カメラ雑誌「アサヒカメラ」では「ワイヤレスストロボを使用した多灯撮影時の信号用ストロボとして有効」とのフラッグシップモデルへのストロボ搭載を支持したものの、「ストロボ撮影は本格ストロボで」とするプロ写真家の多くは否定的発言に固執した。
確かに、ストロボの高さが制限される内臓ストロボでは、ズームレンズのフードで発光が「ケラれる」問題もあり本格使用では制限を多々受けるが「有れば便利」な機能には変わりなく一部写真家の固定概念が問われる問題に至った経緯がある。