印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

コダック、アグファ、富士フィルムのコーポレートカラー

2015-06-23 14:22:15 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

≪印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-10≫

印刷コンサルタント 尾崎 章


7月12日は、イーストマン・コダックの創設者:ジョージ・イーストマン(1854~1932年)の誕生日で、ジョージ・イーストマンはガラス乾板製造のイーストマン写真乾板会社を1880年に設立している。1888年に発売した100枚撮りロールフィルム充填済みの簡易カメラ「The Kodak」が大ヒットしてグローバル企業のベースを確立している。

社名になった「Kodak」は、ジョージ・イーストマンが考案した造語で、力強い「K」文字が好きなジョージ・イーストマンは「Kで始まり、Kで終わる」造語を考案したとされている。更にグローバル企業への発展を前提に、世界の様々な言語でも発音しやすいことも考慮したことも報じられている。


外式リバーサルフィルムの世界標準「Koda chrome」 

この「Kodak」のネーミングと同時に黄色をコーポレートカラーとして導入、「活発」「鮮明」「発展」をイメージする黄色は「コダックイエロー」として全世界が認知するところとなった。


懐かしのフィルム、右から「Kodak disc Film」、「Kodak 110」ポケット、「Kodak 126」インスタマチック、「Kodak 127」ロールフィルム 



街から消えたコダックイエロー看板

2012年1月に「米国連邦破産法第11条」の適用をニューヨーク州裁判所に申請したイーストマン・コダックは、2013年9月に法的整理から脱却して基幹事業を写真関連ビジネスからグラフィックアーツ関連事業に事業集約を行う展開を行っている。
こうした展開に伴いコダックの写真ビジネス全盛期に国内各地の写真・DPE店に富士フィルムと競って建てられた「コダックイエロー看板」も姿を消す状況に至っている。


街中DPE店のコダック看板

街角から「コダックイエロー」は姿を消したが、グラフィックアーツ事業分野では積極的なビジネス展開を行っており、「コダックイエロー」は「Changes Everything Yellow」キャッチコピーのベースカラーとしても健在である。


Yellow Changes Everything


グラフィックアーツ領域でのアグファレッド

イーストマン・コダックと共に世界の銀塩写真業界をリードしたアグファ・ゲバルト、写真フィルムビジネスは2004年に別会社:アグファフォトに事業売却を行い当該事業からの撤退を行っている。フィルム事業を継続したアグファフォトも残念ながら僅か一年余の短期間に経営破綻を来たし、その後はアグファフィルムのブランドを獲得したドイツ及び国内企業よりフェッラーニア(イタリア)等のOEMによるアグファブランドフィルムが数種販売された経緯がある。フィルム事業撤退後のアグファ・ゲバルトは、グラフィックアーツ・印刷関連ビジネスを核に活発なグローバル展開を行っており、新聞印刷用プレートビジネスでは過半数の世界トップシェアを有する状況にある。


一世風靡・アグファレッドパッケージのRapid Film


アグファ・ゲバルトのコーポレートカラーは「アグファレッド」と称される朱赤色でパントーンカラー指定では「Worm Red」、網点再現では、M95%+Y100%で再現される色相である。アグファでは、フィルムパッケージは元より各種アグファ製品のパッケージ、広告宣伝・広報活動に「アグファレッド」を多用、ユニークな使用例としては1974年から1984年にかけて販売されたアグファブランド・フィルムカメラのシャッターレリーズボタンに「アグファレッド」を採用している。該当機種としては、1974年発売のAGFA MATIC 4000(110ポケットカメラ), 1977年発売のAGFA OPTIMA1035,1535(コンパクトカメラ) 1980年発売のAGFA SELECTRONIC 1~3(MF一眼レフ)等に見る事が出来る。


アグファ・マチック4000 ポケットカメラ 




アグファ・Selectronic-1


黒基調・無彩色ベースのカメラボディにワンポイントとして配された「アグファレッド」のシャッターレリーズボタンは、カメラに「温かみ」をプラスする好デザインとして高い評価を博した経緯が有る。



アグファレッドのアグファブース(World Publishing Expo2014会場)

    
フジフィルム・グリーンの市場席巻

富士フィルムは、旧社名の富士写真フィルム㈱当時の1958年にコーポレートカラーとして「グリーン」を制定している。
「グリーン」を選定した理由としては、①明るいイメージ色 ②世界的に好まれる色 ③店頭陳列効果が大きい ④業界他社の採用例が無い事を挙げている。


フジフィルム・グリーンで統一されたNeopan SSフィルム

同社は、2008年10月の富士写真フィルム㈱から富士フィルム㈱への社名変更時にも「フジフィルム・グリーン」としてイメージが定着している事よりブランド資産としてコーポレートカラーの継続を行っている。


フジフィルムProvia400XとVelvia100フィルム

添付写真のフィルムパッケージは1952年発売の代表的モノクロネガフィルム「ネオパンSS」と現行カラーリバーサルフィルムで若干の色相変化はあるものの「フジカラー・グリーン」で統一され、競合他社が写真フィルム事業からの撤退・縮小を行っている為にヨドバシカメラ等の大型カメラ店のフィルムコーナーは「フジフィルム・グリーン」で埋めつけられた感がある。
富士フィルムは、街中の富士フィルム看板を掲げたDPE店の店頭配色も「フジカラー・グリーン」を基調とする展開を積極的に行った経緯が有り、現在でも「フジフィルム・グリーン」に統一されたDPE店を見る事が出来る。


フジフィルム・グリーン基調のDPE店


「青窓・白壁」エーゲ海・ミコノス島のフジカラーラボ

エーゲ海の真珠と呼ばれサントリーニ島と共に人気観光地であるミコノス島は、「白壁」「青窓・青扉」を基本とした街並みが大変美しい島である。


エーゲ海の真珠「ミコノス島」

白壁・青窓・青扉の基本ペイントは、レストラン、商店、ホテル、個人住宅は元より教会等々まで徹底化され、エーゲ海の「明るい太陽」「青い海」のもと眩しいばかりの素晴らしい景観を造り出している。


コモノスタウンは、白壁・青窓の基本配色

ではミコノス島の「フジカラーラボの配色は?」の疑問を抱き、同島の撮影訪問時にミノノスタウンの迷路をフジカラーラボ探しで彷徨した経験が有る。
ようやく見つけたフジカラー指定ラボ「PHOTO EXPRESS」は想像に反して「白壁・緑窓」! ここまで徹底した営業指導力を行使できる富士フィルムのビジネス戦略に改めて感動・驚嘆したことは言うまでも無い。


ミコノスタウンのフジカラーラボ          





月例会報告 2015年6月度

2015-06-22 16:12:54 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 「印刷図書館クラブ」月例会報告(平成27年6月度会合より)


●印刷業界は製品の“使用後”のことを考えているか?

 ハウスホールド(生活・健康)用品の製造と販売を手掛ける大手企業が、インクジェット方式で印刷された古紙の脱墨をおこなうビジネス分野に関心を示しているそうだ。インクが紙に浸み込んだりトナーが定着したりするデジタル印刷方式による古紙の再生紙化は、オフセット印刷物以上にコストがかかり、製紙メーカーもやりたがらないという。デジタル印刷方式が普及すればするほど、再生紙化は大きな社会問題になってくると考えられるが、この大手企業は素材の提供面から協力できるとしている。独自のナノ技術によって、インキを微細なカプセルに包み込むことで、脱墨も簡単になるというのだ。そうなれば古紙として回収しやすくなる。1枚単位の印刷が可能なデジタル印刷はマーケティングとの相性もよく、それに使用後のリサイクル効果が加われば、市場も一気に開けてくると読む。市場構造の変化を鋭く見通しての事業進出といえそうだ。印刷関係者が気づいてもいない事柄を業界外の企業から聞くこと自体、驚きだが、本来、印刷業界から提唱すべき可能性を根こそぎ?もっていかれることの危惧も抱かせる。


●印刷見積りに、はたして論理的な正当性はあるか?

 安値で印刷することの実態をどう考えるか? 過当競争の最中、印刷機の稼働率を上げる効果はあるのかも知れないが、その反面、印刷会社としての付加価値を失うことにつながっている。印刷機は高速化し確かに生産性は向上した。それでも、肝心の見積りは旧態依然のままに“ボロ負け”している。依然として印刷工程で儲けようという思いが強い。見積書をみると、合計では各社だいたい同じようなレベルに落ち着いてくる。しかし、中味を見ると科目ごとにバラバラで、論理的な正当性、整合性がない。儲かる部分をもっているにも関わらず、どんぶり勘定で総額を出してしまう。合理的な根拠がないから、つい安値に走ってしまう。紙など原材料の価格は知れ渡っているのに、単価を上乗せして総額のつじつま合わせをすることもある。顧客には、その辺の“嘘”を見抜かれ、さらに引き下げを要求されるという悪循環を招く。面付けの利点も見抜かれてしまえば、逆効果となる。紙への印刷そのものは付加価値をもたらしてくれない。これまで無償で提供していたサービスも、顧客サイドが自身のビジネスに有効だと判断してくれれば、金額を厭わず支払ってくれる。付加価値の取れる特長的な付帯サービスで、利益を上げる営業体質に転換しなければならない。


●出版業界は真の読者ニーズに応えてくれているか?

 世の中に流れる情報が多くなり過ぎて、利用者や消費者にとってどれが本物か、判らなくなってきた。本を例にあげると、交流のある知人の趣味などから検索したであろう、自分にとって全く縁のないタイトルの本を紹介されたりするご時世となった。本当の意味で、読み手のベネフィット(便益)を考えてくれているわけではない。本が売れないはずである。考えさせてくれる本も少なくなった。書店には売れ筋の本が平積みで置かれている。それはそれで、話題の本が何であるかを一目でわかるように紹介してくれる「提案コーナー」ととらえればよいのだが、書棚に整然と並んでいる本の背表紙のタイトルを見比べながら、必要とする本を選ぶという知的本能を、来店客から奪うことにもなっている。矛盾しているようだが、売れそうな本を安易につくればつくるほど、読者層は限られ出版市場は小さくなる。長期的視野で読者ニーズを分析して、幅広い客層に応えることのできる出版ビジネスであってほしい。


●電子媒体が増え続けるなかで、印刷会社は何をする?

 タブレット端末を使った電子書籍を多くの人が読むようになり、高齢女性が電車のなかでマンガ本のページをめくっている姿を目の当りにしたことがある。読んでいるのは文庫本や新聞ではなく、ゲームに興じているのでもなかった。マンガに象徴されるサブカルチャーが手っ取り早く電子媒体で読めるほど、身近な存在になったということだ。その反動か、ここ10年間で紙の出版物は減少し、とくに若者向けの雑誌は大幅に減ってしまった。紙に類似した表示装置ができたら、すべて電子媒体にとられてしまいかねない。そうしたなかで、高齢者向けの本は増え続けている。ユニバーサルフォントの少し大きめの文字で印刷した、読みやすい本をつくってみたらどうだろうか? 著作権フリーの作品から手掛けてみる価値はある。これは一つの例に過ぎないが、印刷媒体が対抗するにも、このような可能性を印刷業界からどんどん提案すべきだ。


●印刷業界は「文字」の効用を活かし切っているか?

 そうはいいながら、読みやすい本をつくっても、読まない人は読まない。これは読み手の問題であって、例え小さな文字で印刷されていても、本当に読みたい本なら苦労してでも読むはずである。こうした事実は、提案の仕方をもっと工夫すべきであることを示唆している。印刷業界が頼りとする文字は、今でも情報伝達手段の主流であり、人びとの頭のなかに記憶として定着しやすい。つまり、文字を残すことが印刷媒体の復活につながるのである。定着する仕組みをいかに提案するか。テレビの世界でも最近、文字の効用を重視し、放映中の画面表示に力を注いでいる。さまざまな媒体のなかで、印刷業界が得意とする文字が生き残っていける領域がある。媒体が多様になり急速に拡大しているだけに、文字が占める相対的な比率は縮小してはいるが、だからといって文字の活用機会と使用量が減っているわけではない。クロスメディアを見通しながら、画像と文字との相乗効果をどうやって発揮させていくか。文字を得意とする印刷媒体のポールポジションを失ってはならない。


●印刷の本質的な価値を見出す努力をしているか?

 印刷がもっているべき本質的な価値が、どこかに飛んでしまっている。工業社会から情報社会へ進展する過程で、産業そのものも情報化した。印刷産業も例外ではなく、情報産業、メディア業に転換したときに、印刷の本質が見えなくなったのだ。情報化に煽られ、電子技術にばかり目がいっている。大量印刷することが本質ではない。印刷機械を回すこと以外に取り組むべき課題は多いはずだ。すべて“商い”が基準になっていて、顧客価値の創造が全くできていない。読者や消費者に至るサプライチェーンのなかで、どの部分をデジタルに任せるか、何をアナログでこなすか。同じように社内のバリューチェーンのかたちをどうするか。出版社ほか関連業界との間でビジネスネットワークを構築し、そのなかでいかにリーダーシップを発揮して付加価値を確保するか。例えば、スマートフォンにマンガをダウンロードして楽しむ時代になっているが、そこに印刷会社はどのように参画していくか。メディアの用途、利用方法にまで踏み込んで印刷のあり様を考える必要がある。この際いったん「版」から離れ、文字や画像を活かした情報伝達、読者や消費者との双方向の対話を重視することである。そうした原点に立ち返ったとき、印刷の本質、つまりこれから生きる道が見つけられるに違いない。


●教育方法の改革に、印刷業は意を尽くしているか?

 教科書をタブレット端末などの電子媒体に代えたために、子供たちの学力が落ちているという話を聞く。どんな分野でも、アナログからデジタルへの移行となると戸惑うだろうし、時間もかかるのかも知れないが、“道具”では簡単に教育効果を高められないことを示すニュースではある。教科書の内容を何でもかんでも新しい媒体に移せばよいという問題ではない。誰もが使いこなせているわけではなく、ムリが生じている。教育の方法とメディアの利用技術との整合性がとれていないような気がする。児童や学生一人ひとりの学習能力、理解度に見合った教科内容のカスタマイズ化は、デジタル技術を使えば簡単にできる。印刷会社にとって、情報加工は得意なところだ。教科書の製作と並行してじっくり取り組んでいける分野だろう。