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印刷図書館倶楽部ひろば

“印刷”に対する深い見識と愛着をお持ちの方々による広場です。語らいの輪に、ぜひご参加くださいませ。

グーテンベルグ・ミュージアムの本木昌造とマインツ街歩き

2015-02-10 14:07:33 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
グーテンベルグ・ミュージアムの本木昌造とマインツ街歩き

印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-6

印刷コンサルタント 尾崎 章

ライン川とマイン川の合流地点にある都市・マインツは交易上の重要拠点、そしてドイツ3大・大聖堂とされる975年起工の大聖堂を有する宗教都市として繁栄を極めた歴史的経緯が有る。更に「黄金のマインツ」と称えられたマインツは「近代印刷技術の父」とされるグーテンベルグの生誕地でも有り、1455年に出版された「グーテンベルグ聖書」(四十二行聖書、200部発行)を展示するグーテンベルグ・ミュージアムは印刷人にとって必見のミュージアムである事は言うまでも無い事である。


マインツ中央駅から徒歩10分のグーテンベルグ・ミュージアム
マインツ中央駅から路面電車に沿ってバーンホフ通り、シラー通りを東に進み、シラー広場をデパートや専門店の並ぶルードヴィッヒ通りに左折すると正面に大聖堂を望む事が出来る。グーテンベルグ像の立つグーテンベルグ広場を過ぎて次のリーブラウェン広場の一角に目指すグーテンベルグ・ミュージアムがある。


グーテンベルグ・ミュージアム入口部分


マインツ中央駅


シラー通りと路面電車


グーテンベルグ像



リーブラウェン広場とグーテンベルグ・ミュージアム


リーブラウェン広場には書籍のモニュメントが多数設置されており、マインツ市のグーテンベルグ・ミュージアムへの思い入れを見る事が出来る。またマインツ大聖堂、グーテンベルグ像、グーテンベルグ・ミュージアムを始めとする当該地区の建物はいずれもライトアップされており、薄暮の時間帯には更に美しい景観を楽しむ事が出来る。


マインツ大聖堂


薄暮のグーテンベルグ・ミュージアム



グーテンベルグ・ミュージアムの本木昌造
グーテンベルグ・ミュージアムには、各国の印刷に関する歴史展開を紹介するコーナーがあり、日本コーナーでは「日本のグーテンベルグ」と称される本木昌造が紹介されている。
長崎の蘭学者であった本木昌造(1824~1875)は日本の漢字に適した「蝋型電胎法」による本木活字を創り、明治初期の新聞・雑誌印刷に多用され国内の活版印刷技術確立に大きく貢献した事より「日本のグーテンベルグ」と称えられている事は周知の通りである。
グーテンベルグ・ミュージアムは、以前より本木昌造に注目していたが展示すべき資料も無く、同館の日本コーナーは大手印刷会社寄贈の活字を展示する程度に止まっていた。
2000年以前に数回グーテンベルグ・ミュージアムを訪問して日本コーナーの実情を把握していた小職は、「本木活字復元プロジェクト」による蝋型電胎法に準拠した本木活字復刻終了の偉業を称え当該資料のグーテンベルグ・ミュージアム展示を実現すべく同館の極東担当であったハンネローレ・ミュラー女史に意向打診を行い、2004年6月に㈱インテックス 内田信康代表取締役社長(当時:長崎県印刷工業組合理事長、本木昌造顕彰会会長、近代活字保存会会長)とマインツを訪問、関連資料の寄贈を行った経緯がある。


内田信康氏とハンネローレ・ミューラー女史

グーテンベルグ・ミュージアム館長:ハネバン・ベッツ博士は日本の活版印刷技術を確立した本木昌造に関する資料寄贈を歓び常設展示を決定、今日に至っている。
内田信康氏は、長崎・諏訪神社に保存されていた本木活字の鋳型を造る為の木製「種字」3293本に注目、これをベースに本木活字復元プロジェクトを㈱モリサワ・森澤嘉昭会長と共に立ち上げた国内印刷史に特記される功労者で「世界のトップレベルに有る日本印刷技術の根幹となった本木活字の復元は、印刷人としてのささやかな恩返し」の名言は日経新聞でも広く紹介され、印刷界はもとより広く産業界から称賛された事は記憶に新しい。
昨年(2014年)秋のドイツ出張時にグーテンベルグ・ミュージアムを訪問、日本コーナーは本木昌造の写真と活字、そして内田信康氏より寄贈を紹介する説明文のみを展示する内容に整理されている事を確認している。


日本コーナーの本木昌三展示(2005年時)


写真ファンにも楽しいマインツ街歩き、懐かしのアグファフィルム看板の健在

グーテンベルグの街・マインツは、フィルム写真・フィルムカメラファンにも楽しい街歩きが出来る。
マインツ中央駅からグーテンベルグ・ミュージアムを目指す途中のシラー通・シラー広場に面した写真店foto rimbachにアグファフィルムの立派なビルボード看板を見る事が出来る。


シラー通りの写真店


懐かしのアグファ看板

アグファ・ゲバルトは2004年11月にフィルム事業部門を別会社:アグファ・フォトに売却して事業撤退、アグファ・フォトも2005年5月に破産申請を行い世界3位のフィルムメーカーは終焉を迎えている。その後、MAKO社(ドイツ)フェッラーニァ社(イタリア)製のフィルム供給を受けたアグファブランドのフィルムが数社より発売された時期もあったが、現在は当該製品を見ることも無くなっている。
アグファフィルム全盛期には、欧州の至るところで見られたアグファレッド看板は懐かしのシーンとなったが、マインツ:foto rimbachのアグファビルボード看板は、往年のアグファを忍ぶ貴重な歴史的存在となった。


ルードヴィッヒ通りの写店


フイルムカメラが並ぶ中古カメラコーナー

アグファ看板を過ぎルードヴィッヒ通りに入ると右手にライカショップの看板を掲げた写真店BESIER OEHLINGがある。同店は中古カメラコーナーも有り数十台の中古フィルムカメラの販売を行っている。日本と並ぶ写真大国のドイツは、各都市に中古カメラ店が健在でブラブラ街歩きで中古カメラ店を見出した時の悦びもドイツ旅行の大きな楽しみである。

以上

発売20年を迎えるフルメカニカル・フィルム一眼レフ ニコンFM10

2015-01-07 10:03:39 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪


発売20年を迎えるフルメカニカル・フィルム一眼レフ ニコンFM10

          
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-5

<印刷コンサルタント 尾崎 章>


今年2015年12月に㈱ニコンのフィルム一眼レフ・FM10が発売以来20年を迎える。
2~4年の短い期間でモデルチェンジ、マイナーチェンジが行われるデジタル一眼レフと異なりフィルム一眼レフは総じてロングライフ製品が数多く見られ、発売以来20年の記録をニコンF3(1980~2000年)と旭光学(現:リコーイメージング)のペンタックスLX(1980~2000年)が保持しているがニコンFM10はこの記録を上回る可能性を有している。


・ニコンFM10





写真後進国向けの低価格・マニアル一眼レフ市場


1985年にミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)が発売したオートフォーカス一眼レフα7000は空前の大ヒットとなり、ニコン、キャノン、旭光学等の競合各社は急遽AFオートフォーカス一眼レフの商品化に迫られる程の影響を受けた。ミノルタカメラが競合他社に与えた衝撃は「αショック」として今日まで語り継がれている。



ミノルタα7000




1990年初頭には各社AF一眼レフが出揃いフィルム一眼レフはAFオートフォーカスが標準仕様となるが東南アジア・中南米・東欧等の写真後進国には「電池不要」の機械式マニアル一眼レフの需要が残り、グローバルな営業展開を図るカメラ各社は当該市場向け製品供給の必要に迫られる状況となった。
しかしながら、フルメカニカル・フィルム一眼レフを新たに開発・生産する程の市場規模では無い事より各社は軒並みOEMによる製品調達を選択している。カメラ各社がOEM調達先として白羽の矢を立てた会社が長野県の光学機器メーカー・㈱コシナ(長野県中野市)である。
最初のコシナからのOEM製品は、ヤシカFX3・スーパー2000(1993年 ボディ価格24.800円)で当時の㈱京セラは「コンタックス」ブランド展開を行っていたが写真後進国で高いブランド力を有していた「ヤシカ」ブランドをあえて採用、同時に国内市場向けの販売も行っている。


OEMのベース・コシナ2000




ヤシカFX3・スーパー2000





続いて㈱リコーが1994年にリコーXR-8スーパー(ボディ価格29.800円)を発売、ニコンは1995年にFM10のネーミングで発売を開始している。(ポディ価格37.000円)


リコーXR-8スーパー




最後は、オリンパスOM2000(1997年・37.000円)でオリンパス・ペンシリーズ(アナログ~デジタル)等々、同社製品の開発担当として著名な米谷美久さん(1933~2009)の強い意向でスポット測光、ガンメタリック塗装等を追加してOEM他社製品との差別化を図っている。


オリンパスOM2000




ヤシカFX3スーパー2000、リコーXR-8スーパー、ニコンFM10及びオリンパスOM2000は、いずれも機械式フォーカルプレーンシャッター、定点合わせ式マニアル測光、マニアルフォーカス、手動フィルム巻き上げ等々、マニアル操作のオンパレードで有ったが、廉価版デジタル一眼レフの多くが採用するペンタミラーを使わずペンタプリズム(視野率93%,倍率0.84倍前後)を採用する等、マニアル一眼レフの基本性能を有していた事よりオートフォーカス時代でも国内一部ファンの支持を得ていた。
特に、ニコンFM10は2013年には販売累計80万台を超える隠れたヒット機種となり、写真学校生徒向け需要も加わり今日まで販売が継続されるロンクライフ製品となっている。来年度のロングライフカメラ新記録樹立が楽しみであるがカメラ量販店でトイカメラと並べて陳列されている光景はフィルムカメラファンにとって寂しい限りである。



キャノン、ニコンのフィルム一眼レフ・フラッグシップモデルも未だ現役

2000年に発売したキャノンのフィルム一眼レフ最上位機種・EOS-1Vと2004年にニコンが発売したフィルム一眼レフ最上位機種・F6が現役製品であることは意外に知られていない。
EOS-1Vが14年、F6が10年のロングライフ製品で、特にニコンF6はデジタル一眼レフ・ニコンDfと共に国内生産機種で同社・仙台工場でベテラン作業者によって生産されている貴重なモデルでもある。


ニコンF6




ニコンでは、この2機種以外の一眼レフ全製品の生産をタイ工場に移管しており、品質差は全くないと同社はコメントしているものの消費者側としては高額一眼レフについては国内生産を行いMADE IN JAPANを記して欲しい所である。
デジタル一眼レフ・ニコンDfは、写真学会会員向け製品紹介時に日本品質をセールストークとして、「ではタイ生産品とは品質差があるでは?」との矛盾を指摘された経緯もある。
来日中国人がカメラ量販店でMADE IN CHAINA、MADE IN THAILANDのデジタルカメラを購入しない理由は、彼らが一番良く知っているのかも知れない。



チノンもキャノンとアグファに低価格マニアル一眼レフを提供

㈱コシナと共にチノン㈱(長野県茅野市 2004年コダックに吸収合併)もキャノン、アグファに低価格マニアル一眼レフのOEM供給を行った経緯が有る。
キャノンが1990年に海外専用マニアル一眼レフ・T60を発売しているが、このT60はチノンからのOEM調達品で有った。電子制御フォーカルプレーンシャッター、ペンタプリズム(視野率93%,倍率0.86倍)定点合わせ式マニアル測光、等の基本仕様を有していた。
T60は海外専用製品の為に国内中古カメラ市場にも出回る可能性の低いレアカメラ的な存在になっている。


キャノンT60




近代的一眼レフを保有しなかったアグファは、1980年に開催された展示会・フォトキナ(ドイツ・ケルン)に突然フィルム一眼レフ3機種を出展して来場者の注目を集めた。
製品名は、マニアル仕様のセレクトロニック1,AE仕様のセレクトロニック2,AE・マニアル仕様のセレクトロニック3で、セレクトロニック2及び3は電子制御フォーカルプレーンシャッターを採用していた。
このセレクトロニックシリーズはアグファ最初で最後のフィルム一眼レフとなり、販売期間も短い事より海外の中古カメラ市場でも見かける事の少ないレアカメラとなっている。


アグファセレクトロニック1





「フィルム装填」→「フィルム巻き上げ・シャッターチャージ」→「定点合わせマニアル測光」→「手動フォーカス」→「シャッターリリース」→「フィルム終了・巻き戻し」の手順を採るフルメカニカル・フィルム一眼レフによる撮影は、デジタル一眼レフによる撮影とは全く異なる次元にあり、スローフォトを満足できる貴重な存在で「お気に入り」フィルム一眼レフは是非とも長く保有していたい所である。
ちなみに筆者は、ヤシカFX3スーパー2000,オリンパスOM2000,リコーXR-8スーパー、ニコンFM10,キャノンT60,アグファセレクトロニック1の6機種のOEM製品を保有、それぞれに各社パンケーキレンズを装着して楽しんでいる。



52年のロングライフ製品、印刷学会ルーペの販売終了

印刷界のロングライフ光学製品としては、印刷学会出版部のIGSルーペ(5500円)が有った。当該製品はトリプレット・3枚レンズ構成、倍率17.5倍、金属ボディの高級ルーペで歪曲収差、色収差も良く補正されていて印刷技術者に愛用されていたが、網点を見る必要のないデジタル印刷の普及もあり需要が大幅に減少、惜しまれながらも昨年2014年4月に販売終了に至っている。このIGSルーペの発売開始は1962年、何と52年のロングライフ製品で有った。
       


以上

米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる 名機・アンスコマークM

2014-12-01 13:45:40 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
≪印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪 VOL-4≫
印刷コンサルタント 尾崎 章


「米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる
名機・アンスコマークM」



斬新デザインのアンスコマークM


一世を風靡したアンスコ・ANSCO社

1960年に米国感光材料メーカー・アンスコ社が発売した35mmレンズ交換式レンジファインダーカメラ「アンスコマークM」(ANSCOMARK M)は当時米国を代表する工業デザイナーで有ったレイモンド・ローウィ(1893-1986年)がデザインを担当、カメラ自体の性能はもとよりデザインの素晴らしさが高く評価された話題のカメラで有った。


アンスコマークM

レイモンド・ローウィは、米国を代表するタバコ「ラッキーストライク」のパッケージデザイン、「コカコーラ」のデザイン、当時の様々な家電デザインからペンシルバニア鉄道の流線型機関車のデザイン等々を担当、日本ではタバコパッケージデザインの名作とされる「ピース」のデザインを手掛けローウィ・デザインの素晴らしさが今日まで伝えられている事は周知の通りである。


レイモンド・ローウィと作品群(美の壺より)

当時のアンスコ社は世界6大のフィルム・感光材料メーカーとして技術開発面でも業界をリード、アグファのAGFACOLOR(1936年)に続いてコダックより4年早い1942年にカップラー(発色剤)をフィルム乳剤中に含有させた内式カラーフィルム「アンスコクローム」を発売、更には富士フィルムより5年早くASA感度100のカラーリバーサルフィルムを発売する等、製品開発面に於いても業界をリードしていた。
写真工業史に燦然と輝いた「アンスコフィルム」の歴史は、塾年写真ファンに於いては懐かしい記憶である。


1960年当時のアンスコフイルム


アンスコマークMの誕生

1956年、当時の主流コピー方式であったジアゾニウム塩感材をアンモニア水溶液で湿式現像するジアゾコピー分野でアンスコ社はアンモニアガスによる「乾式ジアゾコピー」技術を世界に先駆けて開発、「湿式ジアゾコピー」で国内トップシェアを有していた理研化学工業(現・㈱リコー)は同社と技術提携を行い「乾式ジアゾコピー」の国内展開を行っている。こうした関係から、アンスコ社がレンズ交換式・レンジファインダーカメラの製造を㈱リコーに依頼、㈱リコーより供給された当該カメラを1960年にアンスコ社が「アンスコマークM」、㈱リコーが「リコー999」として国内販売を開始する展開に至っている。


アンスコマークMとリコー999

「アンスコマークM」は発売直後よりレイモンド・ローウィによる直線的なメタリックデザインが「20世紀のアメリカ製品」感を見事に再現するグッドデザインカメラとして米国内で注目を集めた経緯がある。今日でも当該カメラに対する評価は高く日本カメラ博物館発行の「カメラとデザイン」NHK出版発行「美の壺・クラッシックカメラ」等でグッドデザインの代表的カメラとして広く紹介されている。


アンスコマークMを紹介した「美の壺」

「アンスコマークM」「リコー999」は、カメラデザインのみならずカメラの基本性能面でも当時の水準を上回り、50mm標準レンズの他に35mm広角、100mm中焦点レンズもラインナップされ、ハイアマチュア層をターゲットとして当該機は国内価格33.800円(標準レンズ付)とレンズシャッターカメラとしてはハイクラスの価格帯に設定されていた。


標準・広角・中焦点の交換レンズをラインアップ


アンスコ社の変遷

アンスコ社は1842年創業のスタジオカメラ会社・アンソニーを起源とし、1902年に銀塩感光材料製造・スコーピル社を買収して社名をアンソニー&スコーピルに変更、1907年にはアンスコへと社名短縮を行っている。
1938年には社名をGAF・ゼネラルアニリンに変更して総合化学メーカーへの転身を図っている。「アンスコ」名はフィルム・カメラブランドとして継続されたが、新規ビジネス展開が軌道に乗らず1981年にアニテックと社名を再び変更した頃には注目すべき製品も無く印刷材料等で数パーセントの市場シェアを有するに止まっていた。
1987年に世界最大の製紙メーカー・インターナショナルペーパー社が、中堅PSプレートメーカー・ホーセル社(HOSELL)と同時期にアニテック社を買収、ホーセル・アニテック社としてPSプレート及びフィルム市場への参入を開始したが、製紙メーカーによる当該事業展開は難しく事業は直ぐに低迷化を余儀なくされている。
インターナショナルペーパーより不振のホーセル・アニテック社を買収した企業が、1979年に大日本インキ化学工業(現・㈱DIC)が買収した米国PSプレートメーカー・ポリクローム社とイーストマン・コダックとの合弁会社・コダック・ポリクロームグラフィックスである。


ホーセル・アニテックを買収した直後のコダック・ポリクローム・DRUPA2004展ブース

コダック・ポリクロームグラフィックスの買収により1842年から156年間続いた米国老舗感光材料企業が終焉を迎え、ニューヨーク州・ロチェスター市に本拠を置くイーストマン・コダック社と同じニューヨーク州のビンハムトン市を拠点としたアニテック主力工場は、コダック・ポリクロームの買収直後に老朽化を理由に閉鎖・取り壊しが行われている。


2000年代初めのビンハムトン市のアニテック工場


インターナショナルペーパーノプレートビジネス

ホーセル・アニテック社をコダック・ポリクロームグラフィックスに売却したインターナショナルペーパーは、その後も子会社・エクスベテックス社によるコダック及びゼロックス社の印刷機材販売ビジネスを北米中心に展開していたが、2013年5月に米国内に於ける富士フィルムCTPプレート販売権を獲得してCTPプレートビジネスの積極展開を開始している。
新宿の中古カメラ店で購入した「リコー999」,インターネットオークションで入手した「アンスコマークM」の手入れを行いながら1979年のポリクローム社買収に関わった技術担当者として米国感光材料メーカーの変遷を思い出す次第である。

       
以上



「74年間、世界を魅了したコダクロームフィルム」

2014-11-13 14:44:18 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

「74年間、世界を魅了したコダクロームフィルム」
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-3

印刷コンサルタント 尾崎 章

小型印刷原稿はコダクローム

1960~70年代、「印刷原稿用小型フィルムはコダクローム」という指定条件がついていた事を懐かしむ方も多いと思われる。コダクロームは「写真フィルム世界の巨人」であった米国イーストマン・コダックが1935年に発売したスチール写真用・外式カラーフィルムで、コダックの象徴的なフィルムで有った。外式カラーフィルムは現像液中に発色剤・カラードカップラーを添加するタイプでシアン、マゼンタ、イェローのカップラーを添加した現像液で3回の発色現像を行う方式で有った。


コダクロームフィルム


現像済みコダクローム


一方、フィルム乳剤にシアン、マゼンタ、イェローのカラードカップラーを含有させる内式カラーフィルムは発色現像が1回で済む利便性も有り、1936年にアグファ、1942年にアンスコが内式カラーフィルムの商品化を行い世界の主流は内式カラーフィルムへと移行している。内式カラーフィルムは、フィルム乳剤中にカラードカップラーを添加する関係より色の滲みが生じやすい傾向が有り、当時はシャープネス面で外式カラーフィルムと比較して若干劣っていた。

写真製版への依存度が高かった1975年頃までは、印刷原稿として使用されるカラーリバーサルフィルムのサイズは6×6、6×9等のブローニーフィルムが下限とされ、35mmリバーサルフィルムは当該シャープネスの問題も有り不適当とされていた。
この概念は、1960年代後半より普及が加速したダイレクトスクリーニングとカラースキャナーによって解消される事になるが、コダクロームのシャープネスを評価する傾向が高く
「小型印刷原稿は、コダクローム」という指定が一般的となり、更にコダクローム特有の「深みのある色彩再現」を支持する写真家も多く2009年6月の販売終了まで一世を風靡することとなった。



富士フィルム 古森会長さんが営業担当した写真製版フィルム

前述の写真製版技法・ダイレクトスクリーニングは、5~10Kwの高出力キセノンランプ及び業務用ストロボを光源に高感度パンクロマチック・リスフィルムを組み合わせて製版カメラや引伸し機を利用して色分解と網点撮影(網撮り)を同時に行うもので直接網撮り色分解(直網分解)とも呼ばれていた。

ダイレクトスクリーニングは、連続諧調の色分解フィルムの作製工程を省略出来る為にシャープネス面に優れ、35mmリバーサルフィルムの印刷原稿としての用途拡大を実現した。
この新技術に注目した一眼レフ各社は競って自社一眼レフで撮影したコダクロームを使用したカレンダーを作成する等、一眼レフの販促手段としても活用された経緯が有る。
ダイレクトスクリーニングに使用するパンクロマチックのリスフィルム(パンリス)は、当初イーストマン・コダックのKodalith Panが市場を席巻したが、直ぐに富士フィルムが
FujiLith HP-100を製品化して市場シェアを逆転している。
この当時、富士フィルムの製版用フィルム営業担当が現在の富士フィルム・古森会長さんで都内の印刷会社、製版会社への販促訪問を御一緒した懐かしい想い出がある。


ポールサイモンが歌って全米ヒットチャート2位になった「コダクローム」

サイモン&ガーファンクルを解散したポールサイモンが1973年に新曲「コダクローム」
(邦題:僕のコダクローム)を発表、全米ヒットチャートの第二位にランクされる大ヒットになっている。


国内発売レコード「僕のコダクローム」


ポールサイモンCDアルバム


曲の中で「コダクローム、あの綺麗で鮮やかな色合い、夏の緑の鮮やかさ、まるで世界中に太陽があふれているようだ....」と見事にコダクロームの特徴を歌い上げている。
特に「So mama don’t take my Kodachrome a way」(だからママ、僕のコダクロームを取り上げないで)のフレーズが素晴らしい。
2009年のコダクローム販売終了時にポールサイモン「コダクローム」のフレーズを思い出したコダクロームファンは筆者一人では無いと思っている。

一方、富士フィルムは1972年から展開した市場開拓キャンペーン「Have a Nice Day」の一環として吉田拓郎さん作詞作曲のCMソング「Have a Nice Day」が話題になりコダックと富士フィルムが歌の分野でも対決する展開となった経緯が有る。
カラーリバーサルフィルムから撤退したコダックと、写真フィルム文化が有る限りフィルムを供給すると古森会長がコメントする富士フィルム、写真フィルム支持者には心強い限りである。


富士フィルム・リバーサルフィルム Velvia100、Provia400X


以上



知られざる「8月19日・世界写真の日」

2014-08-08 17:18:53 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
知られざる「8月19日・世界写真の日」
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-2

印刷コンサルタント 尾崎 章


8月19日は「世界写真の日」、2009年にフランス政府が制定した記念日で「World
Photographic Day」と名付けられている。
銀塩写真の発明者・ダゲール(ルイ・ジャンク・マンデ・ダケール)はフランス・パリで
舞台背景画家としての活動を行いながら同僚のニセフォール・ニエプスと共に写真術の研究に積極的に取り組んでいた。
1826年にニエプスがアスファルト写真法をダゲールよりも一足先に考案、ニエプスのアスファルト写真法は6~8時間の長時間露光を必要とした非現実的な手法であったが世界最古の写真と共にニエプスの名前は写真発達史に燦然と輝いている。
ダゲールはニエプスに遅れること13年、ヨウ素と硝酸銀から合成したヨウ化銀の感光材を水銀蒸気で現像する現在の銀塩写真の基礎となる手法の開発に成功している。
初期の露光時間は10~20分、その後1~2分に感度が高められダゲールが発明した銀塩写真法は「ダゲレオタイプ」として短期間に世界普及する事となった。
8月19日の「世界写真日」はフランス政府がダゲールから「ダゲレオタイプ」の特許を買い上げて自由に私有できる政府通達を発令した日にちなみ制定された記念日である。


ルイ・ジャンク・マンデ・ダゲール


パリのダゲール通り

当時のダゲールは、パリ14区・モンパルナス墓地東側のダンフェール・ロシュロー広場近くに住んでおり、彼の住んでいたアパルトマンの通りはダゲールの偉業を称えて「RUE
DAGUERRE」(ダゲール通)と名付けられている。
このダゲール通は古き良きモンパルナス地区の趣を残しており、庶民的な商店街としても大変魅力的である。
また、ダゲール通の入り口には1910年に開業した「カフェ・ダゲール」が朝7時から深夜2時まで営業しており、現在もこの地区に住む芸術家達の人気スポットとして賑わっている。筆者もダゲール通りを夜景撮影で訪れた際に「カフェ・ダゲール」で芸術家と思しき人達とカメラ談義を行った楽しい思い出がある。
「カフェ・ダゲール」でパリの中古カメラ店で買い求めたクラッシックなフィルムカメラを片手に「フィルムカメラ談義」が出来れば写真、印刷業界人として最高である。


ダケール通りの案内標識



カフェ・ダゲール



パリの中古カメラ店

パリのバスティーユ広場から北に延びるボーマルシェ通りにあるメトロ8号線:シュマン・ベール駅周辺に多数の中古カメラ店が軒を並べておりフィルムカメラウォッチングが楽しめる。ライカ中心の店、プロ向け大判・中判カメラの店から新宿西口の中古カメラ店風の「何でも有り」の店迄、様々なタイプの店が駅を中心に展開していて「銀塩写真発祥地・パリ」にふさわしい様相を呈している。
筆者はパリ訪問時には「パリ中古カメラ店巡り」を行う事を常としており、日本メーカーが海外需要に応じて商品化した輸出専用機等を探し出して買い求めている。
AFオートフォーカス一眼レフからオートフォーカス機能だけを省略した製品や電子シャッター時代に後進国向けに製品化した機械式シャッターの一眼レフ等々、フィルムカメラの「操作する楽しみ」に溢れた往年の製品を入手することが出来、買い求めたカメラに早速フィルムを装填して前述ダゲール通り出掛けた経験も何度か有る。



シュマン・ベール駅前のライカ専門店



プロ向け大型中古カメラ専門店



銀座の中古カメラ店風に綺麗な品が多いオデオン



掘り出し物が多いユーロフォト