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印刷図書館倶楽部ひろば

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市場から消えた新規格のフィルム(3) カメラの薄型化・新規格に挑戦したディスクフィルム

2016-01-08 14:30:36 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
市場から消えた新規格のフィルム(3)
カメラの薄型化・新規格に挑戦したディスクフィルム


印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-16
印刷コンサルタント 尾崎 章



Kodak disc Filmのカートリッジとパッケージ



1982年2月にイーストマン・コダックは、110フィルム(ポケット・インスタマチック)の次世代フィルムとして画面サイズ8.2mm×10.6mm・15枚撮りのKodak disc Filmを発売した。
Kodak disc Filmは、これまでのロールフィルムをベースとした製品展開とは全く異なり、直径64mmの円盤状フィルムを回転させて8.2×10.6mmサイズの画面を15枚撮影出来る方式であった。
コダックは、ディスクフィルム用カメラとしてKodak disc 4000,6000,8000の3機種を発売、フィルム形状よりカメラの薄型が可能となり「ハンドバックに入るカメラ」として女性層向けの需要創生を行っている。



直径64mmの円盤状フィルム   



Kodak disc 6000カメラ 


厚さ20~25mm のディスクカメラ

ディスクカメラは、画面サイズが小さい事より焦点距離12~13mm程度の短焦点レンズが標準レンズとして採用されている。この為、短焦点レンズの特徴である焦点深度を利用して焦点調節不要の固定焦点化が図れ、また露出コントロールも簡略化され126インスタマチックカメラ、110ポケットインスタマチックカメラと同様にビギナーを対象としたビジネス展開が実施された。
女性需要喚起をターゲットとしたミノルタカメラ(当時)は、1983年に人気デザイナー:アントレ・クレージュのデザインによるディスクカメラ・ミノルタ クレージュac101を発売、ピンク、ベージュ、ブルーのカラーバリエーションを設定して注目を集めた。



ミノルタ クレージュ ac101カメラ  



ディスクカメラの国内対応

国内のフィルム及びカメラ各社は、135mmフィルムカメラはもとより110ポケットインスタマチックフィルムよりも画質が劣るディスクフィルム、ディスクカメラビジネスに懐疑的であった。特に国内カメラ各社が得意としたハーフサイズカメラのカラープリント画質が135mmフィルム(35mmフルサイズ)カメラに劣るとして需要が下降傾向にあった事もありディスクカメラ市場参入には極めて慎重な対応を採った。
しかしながら、欧米市場でコダックの当該製品の販売が拡大していた事より、富士写真フィルム(当時)及び小西六写真工業(当時)が欧米市場をターゲットとしたビジネスが可能と判断、1983年中旬より自社ブランド製品による海外展開を開始している。
富士写真フィルムは、1983年7月に輸出専用として2機種のディスクカメラ(フジDISC50,DISC70)を発売、其々にブラックとシルバーの外装バリエーションを設けている。
カメラ仕様は、12.5mm f2.8 4群4枚の固定焦点レンズを搭載、3コマの連写機能を付加している。



富士写真フィルム DISC 50 カメラ 


小西六写真工業も1983年8月に輸出専用機としてKONICA DISC10,DISC15の2機種を発売、ディスクカメラに積極的であったミノルタカメラは、富士写真フィルム及び小西六写真工業よりも一足早い1983年4月にminolta DISC5,DISC7を国内外で販売開始、1983年7月には前述・アントレ・クレージュによるデザインカメラ・ミノルタクレージュac101の国内外販売を開始している。


DISCフィルムの展開

コダックは1982年2月のディスクカメラ発売に併せて高解像度のネガカラーフィルム・Koda Color VRフィルムを発売している。
コダックでは、8.2×10.6mmサイズの画面からユーザーが満足する品質のカラープリントを造る為に新カップラー技術によるKodak VRフィルムの製品化を実施した。VRは「VeryRealistic」の頭文字で当時のネガカラーフィルムの最先端・高解像度技術であった。
富士写真フィルム、小西六写真工業も同様に発色剤・カラードカップラーに改良を加えて解像度を高めたフィルムを発売してコダックに追随した。



フジカラー HR film CD DISC-15 フィルム 


富士フィルム製品は、Fuji Color HR DISC Film(HR: High Resolution )、小西六写真工業はSAKURA Color SR DISC Film (SR: Super Reality)を新たにラインナップしている。
しかしながら、フィルム自動装填、オートフォーカス、コンパクト化等々を実現した35mmコンパクトカメラの画面サイズ差から生じる品質差が国内はもとより、品質許容度の大きい海外でも容認限界を超える状況となり数年で消滅する「超短命」フィルムとなった。



ラボの新規設備投資も普及の足かせ


ディスクティルムは、従来のロールフィルムとは全く形状が異なる為にプロセッサー等の現像処理設備及びプリント機器も新たな設備が必要となり、コダックの対応はもとより富士写真フィルムも1983年4月より海外代理店ラボ向けに専用プロセッサーの供給を開始してディスクフィルム販売サポートを行っている。
余談ではあるが、1982年にロンドン近郊のコダック・ハロー工場に出張した際、工場食堂で昼食時に隣り合わせたコダックラボ経営者が「ディスクフィルムは画面サイズが小さく画質面で売れるとは思わない」「仕方なく設備投資するが無駄な投資になる」と首をすくめて同意を求めてきたシーンを忘れる事が出来ない。
コダックは、ワールドワイドで約1000万台のディスク カメラを販売したと報じたものの、2~3年で市場から姿を消し前述のコダックラボ経営者のコメント通りの短命製品となった。
コダックによるディスクフィルムの販売は、富士写真フィルム及び小西六写真工業の撤退後も暫く継続されたがカメラ各社からのディスクカメラの発売も無く、1998年12月にコダックはディスクフィルムの生産を中止している。
126インスタントフィルム、110ポケットフィルムと新規格フィルムビジネスを相次いで成功させたイーストマン・コダック、同一市場で「3匹目のドジョウ」を狙う市場ニーズと乖離した展開は根本的に無理であったとの指摘が多い。



カメラ、フィルム5社共同による新規格フィルム・APSはデジタルカメラに敗退

ディスクフィルムの生産を中止した1998年12月の一年前にコダックは、富士フィルム、キャノン、ニコン、ミノルタカメラ(当時)との5社共同による新規格フィルム・APS(Advanced Photo System)を発表、販売を開始している。


ADVANTIX APSフィルムと ADVANTIX1600カメラ


写真フィルムシェア世界1位と2位、そしてカメラ世界大手3社との共同開発により「新しい世界標準」を目指したAPSシステムは、フィルムにデータ記録が可能な磁性コーティングを行い、フォトプレーヤーとの組合せによるTV画面表示等々の新規格を目指した「満を持した」新規格であった。
しかしながら、密閉カートリッジの保管問題、プリント料金の価格問題に加えてコンパクトデジタルカメラ急速台頭の挟撃により市場創生に失敗、2002年時点で殆どのカメラメーカーが市場撤退する状況に至った事は記憶に新しい。
APSフィルム自体も2011年7月に富士フィルムが販売終了、コダックも同年12月末で生産中止に至っている。

      
  
 

市場から消えた新規格のフィルム(2)ラピッドシステムフィルム

2015-12-11 15:39:20 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
市場から消えた新規格のフィルム(2)ラピッドシステムフィルム 
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-15
印刷コンサルタント 尾崎 章


1963年3月にイーストマン・コダックが製品発表、同年5月より販売を開始した「コダパック・カートリッジ」とネーミングしたフィルムカートリッジを使用する新フィルムシステム「インスタマチック」は、フィルムをカートリッジ化する事によって「フィルム装填・巻き戻し」の煩わしさを解決した画期的システムとしてカメラ・フィルム業界はもとより需要家層からも大いに注目を集めた。


アグファ ラピッドフィルム  

このコダック「インスタマチック」に対抗して当時の西独・アグファは翌年1964年5月にフィルム簡易装填方式「ラピッドシステム」を発表、業界一位のコダックと二位・アグファがフィルム簡易装填市場で対峙する事になった。
 
*西独・アグファは、1964年7月にベルギーのゲバルト社との合併を実施、社名をアグファ・ゲバルトとしている。




ダブルマガジンのラピッドシステム
 

アグファは、1937年に同社初の35mmフィルムカメラ「カラート」を発売、この機種にフィルム供給・フィルム巻取り用にカラートマガジンと名付けた共用マガジンを使用するダブルマガジン方式を採用している。


ダブルマガジン方式のラピッドフィルム 

「ラピッドシステム」は、このカラートマガジンをベースにフィルム感度設定機能等々の付加機能を追加したものでカラートマガジン仕様の旧型カメラへの適合性も有していた。


ラピッドマガジンと感度端子の無いカラートマガジン(左端)

フィルム巻取り軸の無い「ラピッドシステム」のマガジンには長さ24インチ(約62cm)の35mm(J135)フィルムが収納され、撮影済みフィルムは巻取り側にセットされた同型のマガジンに収納される方式で空になったラピッドマガジンはフィルム収納用として再利用する簡易装填方式である。
撮影枚数は、画面サイズ24×24mmで16枚撮り、24×36mmで12枚撮り、24×18mmのハーフサイズで24枚撮りが可能であった。
フィルム価格は、アグファカラーCT18(カラーリバーサル 1966年 国内価格)が750円でネガカラーフィルム、モノクロフィルムがラインナップされた。
アグファが「ラピッドシステム」用としてフィルムと同時に発売した専用カメラは、コダック「インスタマチック」用カメラと同様に写真ビギナー層を対象とした簡易カメラで、例えば、「アグファ ISO RAPID IF」カメラは、40mm f8の単玉(1枚)レンズ、固定焦点、シャッタースピード1/40秒(単速)、お天気マークと併せてf8とf11を選択する仕様で有った。


アグファ ISO-RAPIDカメラ  

同様に富士写真フィルム(当時)が1965年6月に「ラピッドシステム」用として発売した「フジカ PAPID-S」も40mm f11の単玉レンズ、固定焦点、シャッタースピード1/30 1/125秒の2速を御天気マークで切り替える発売当時価格4500円の簡易型カメラである。

このアグファ「ラピッドシステム」に対しては、ツアイス・イコン、ローライ、ライカ、フォクトレンダー、ブラウン、イルフォード、フェラニア等々、ヨーロッパのフィルム及びカメラ15社がラピッドシステム採用の意思表明を行っている。しかしながら、多くがコダックとアグファの両陣営に参加する二股対応を採っており、ラピッドシステム発売開始直後の1964年7月時点でラピッド陣営に参加した3社より6機種のカメラが発売されるにとどまった。



ラピッドシステムの国内対応

国内のフィルム及びカメラ各社はコダック「インスタマチック」に加えて写真需要拡大にアグファ「ラピッドシステム」が寄与すると判断、日本ラピッド会が結成され14社がこれに参加している。

*日本ラピッド会参加企業名(当時)
旭光学、オリンパス光学、キャノン、小西六写真、コーワ、三協精機、東京光学、日本光学、富士写真フィルム、ペトリカメラ、マミヤ、ミノルタカメラ、リコー、ヤシカ

富士写真フィルムは、1965年6月にネオパンSS,ネオパンSSSのモノクロネガフィルム、フジカラーN100(20EX 320円),フジカラーR100(20EX 650円)のネガカラー及びカラーリバーサルフィルムのラピッド判を発売、同時に前述の「フジカRAPID-S」とセレン露出計内臓「フジカRAPID-S2」の2機種を発売して体制を整えている。


フジカラピッド S2 

「フジカ RAPID-S2」はフジナー28mmf2.8レンズ(3群3枚)シャッター速度1/30~1/250秒、セレン光電池によるプログラムEE機構、ソーンフォーカス焦点調節 等々当時の35mm普及型カメラと同等の性能を有していた。

この「フジカ RAPID-S2」はカメラ基本性能以外に元・東京芸術大学教授:田中芳郎氏によるカメラデザインが注目を集めた。本機は田中氏が得意とした人間工学に基づいたシンプルデザインの名機で、当時の富士写真フィルム製カメラは田中デザインを多くの製品に採用していた。代表例としては女性向けハーフサイズカメラの傑作「フジカミニ」、小中学生向けの初心者カメラ「フジペット」「フジペット35」、高級レンジファインダー機「フジカ35」等々を挙げる事が出来る。


ブジペット


田中デザイン・フジカカメラ


「フジカ RAPID-S2」(発売当時価格13,000円)はカメラを保持しやすい横長デザインが人気を集め「ハーモニカ・カメラ」の愛称が付けられた程であった。

小西六写真(当時)は、1965年6月にラピッドフィルム・コニパンSSラピッドフィルムとラピッドフィルムカメラ「コニカラピッドM」の発売を行っている。「コニカラピッドM」は、32mmf1.8の高級仕様レンズ、スプリングモーターによる自動巻き上げ等を採用していたがフィルムと共に殆ど市場で見かけない程度の展開にとどまっている。



インスタマチック 対ラピッドシステム

日本ラピッド会加盟した14社は、コダック「インスタマチック」優先か、アグファ「ラピッドシステム」優先かで対応が分かれた、また、日本ラピッド会に加盟した14社の中で日本光学、旭光学等、5社が具体的な対応を見送っている事からも「コダック対アグファ」の見極めが当時としては難しかった事が推定される。
「リコーオートハーフ」でハーフサイズカメラ市場を得意市場化していたリコーは、35mmフィルムを使用するラピッドシステム優先を決めて1965年6月に「リコーEEラピッドハーフ」(発売当時価格14.000円)を発売してハーフサイズカメラ市場強化を試みている。
同様にキャノンも人気商品のハーフサイズカメラ「デミ」のラピッドシステム版として1965年6月に「デミラピッド」(発売当時価格16000円)を発売している。30mmf1.7の高級仕様レンズを搭載したハイスペック機として普及機主体の他社製品との差別化を図っている。
続いてキャノンは同年10月に「デミ」と並ぶスプリングモーターによる自動巻き上げ機能を搭載した人気カメラ「ダイヤル35」のラピッド版として「ダイアルラピッド」(16.000円)の発売を行っている。
しかしながら、キャノンはコダック「インスタマチック」の優勢が明確化した事より「ダイアルラピット」以降のラピッドカメラ展開を中止している。


マミヤ・マイラピッド

中判サイズカメラを得意とするマミヤも「マミヤ・マイラピッド」(16.400円)を1965年5月に発売、武骨なデザイン・中判サイズカメラの同社が発売した洗練されたデザインと5群5枚構成・32mmf1.7レンズ搭載のハイスペック仕様が注目を集めたが、コニカ同様に「最初で最後」のラピッドカメラ製品になっている。


ヤシカハーフ17EE RAPID

大衆機を得意としたヤシカは、1965年6月に「ヤシカハーフ17EE RAPID」(16.500円)
を発売、キャノン、マミヤ等と同様に大口径f1.7レンズを搭載した本機はヤシカフェイスのクロムメッキが綺麗な高級感を持ったラピッドカメラであった。しかしながら、販売は前述リコー、マミヤ等と同様に低迷、1機種のみの市場参入に止まっている。
富士写真フィルムは、1965年12月にキャノン「ダイアルラピッド」を追随する形でスプリングモーターによる自動巻き上げ機能を搭載した「フジカRAPID-D1」(16.000円)の追加発売を実施したが、世界的規模でコダック「インスタマチック」優勢が明確化された事より富士写真フィルムも当該市場からの撤退へと方針変更を余儀なくされている。


フジカラピッド D1

結局、日本ラピッド会加盟14社の中でラピッドカメラを発売した加盟社は、オリンパス、キャノン、小西六写真、富士写真フィルム、マミヤ光機、ミノルタカメラ、ペトリカメラ、
ヤシカカメラ、リコーの9社にとどまった。



ラピッドシステムの終焉

1964年5月に「コダックインスタマチック」を追撃する形で製品化されたアグファ「ラピッドシステム」は、①35mmフィルムを使用 ②カメラメーカー側で画面サイズを選択可能 ③リーダーペーパー無のフィルム平滑性 ④フィルム位置をカメラ側で決められるフォーカス対応性 ⑤インスタマチック方式よりカメラの小型化が可能となる等の特徴を有していた。
しかしながら、ラピッドシステムに対する国内外市場の反応は鈍く販売は低迷、「巨人・コダックの敵にはなれず」という状況に至っている。
コダックは「インスタマチックカメラ」発売1年半後、すなわち「ラピッドシステム」発売年である1964年末までに600万台の販売成果を挙げアグファ「ラピッドシステム」を圧倒した。当時、国内カメラ各社の年間生産総数が320万台弱で有った事から見ても、コダック「インスタマチックカメラ」の快進撃ぶりを判断する事が出来る。
国内では発売初年及び次年度である1964~1965年にかけてカメラ各社が「ラピッドシステム」対応製品展開を実施したもののミノルタカメラ等5社が1機種の市場投入にとどまり、2機種を製品化したキャノン、富士写真フィルム、オリンパス等が1966年より新製品投入を見送り国内市場は約2年間で終息を迎える事になった。

コダックは、126フィルム「インスタマチックフィルム」126フィルムカメラ「インスタマチックカメラ」発売7年後の1970年に開催された「大阪万国博」に生産累計5000万台・記念カメラを寄贈し、コダック製品による当該市場席巻を世界にアピールした。
コダックに敗退したアグファは、1972年に126フィルムカメラ「アグファマチツク50」と4種類の126フィルムを発売して「インスタマチック」陣営への参加を行い、1978年までに11機種の126フィルムカメラを発売している。


ライトパンカラーⅡ・RAPID 

アグファ、富士写真フィルム、小西六写真等のフィルム各社がラピッドフィルムの販売から撤退した後も「ライトパン」ブランドで各種短尺フィルムビジネスを展開していた愛光商会(東京・港区)がネガカラーフィルム「ライトパンカラーⅡ ラピッド」(1977年当時 12EX \430)の供給を継続したが、1983年前に生産を終了している。 

以上  
     
  
 
 





 

市場から消えた新規格のフィルム(1) 126・インスタマチックフィルム

2015-11-09 11:46:51 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
市場から消えた新規格のフィルム(1)
        126・インスタマチックフィルム
 
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-14
印刷コンサルタント 尾崎 章


1925年に発売されたライカは映画用35mmフィルムを短くカットして専用スプールに巻いて使用したが1934年にイーストマン・コダックがパトローネ入りの35mmフィルムを発売、これが現在の35mmパトローネ入りフィルムの標準規格となり今日に至っている。
しかしながら、35mmパトローネ入りフィルムは製品化以来「カメラへのフィルム装填の難しさ」が初心者需要層向けの問題点として指摘され、1970年頃までカメラ店・店頭でのフィルム装填「カメラ持参のフィルム購入」が女性層に定着していた。


コダック・126インスタマチックフィルムのコダパックカートリッジ  

この35mmフィルムのカメラ装填問題をカメラ側の機構改良と新規格フィルムによって解決する展開が活発化、1963年にイーストマン・コダックが「インスタマチック」と称したカートリッジ入り・126フィルムを発売、翌1964年にはアグファ・ゲバルトが「ラピットシステム」を発表、当時の世界写真市場の雄であったコダックとアグファによるフィルム簡易装填競走が繰り広げられる事となった。


コダック・126インスタマチックフィルムとインスタマチックカメラ   


126・インスタマチック方式 

126フィルムは、パトローネ入り35mmフィルムと同一幅の裏紙付きフィルムを使用、フィルム送出し部とフィルム巻取り部が一体となったカートリッジ(コダパックカートリッジ)にフィルムを収納する方式を採用、画面サイズは26×26mm(28×28mm)の正方形で撮影枚数は20枚撮り(後に24枚撮りに変更)であった。


コダパックカートリッジ

コダックでは社内ロールフィルム番号126の当該フィルムを「インスタマチック」とネーミングを行い世界規模の普及を図った。コダックのロールフィルム番号は、当時のコダック社が世界的な指導力を有していた関係よりそのまま国際規格名称として使用されており、パトローネ入り35mmフィルムの「135」、リーダーペーパー(裏紙)付きのブローニーフィルムの「120」、リーダーペーパー無の「220」等々を代表例として挙げる事が出来る。国内JIS規格もコダック・ロールフィルム番号をそのまま利用しており、当然の事ながらコダックが未参入の「ボルタ判フィルム」「ラピッドフィルム」等のロールフィルム製品には番号は無い、
126フィルムの特徴としては、下記5項目がありカメラ機構を省略化・簡易化出来る特徴がカメラ業界より注目を集めた。


1穴パーフォレーションの126インスタマチックフィルム 

①フィルム装填の簡易化、フィルムカートリッジをドロップインするだけの簡単セット。
②裏紙付きフィルムの為にカメラの枚数カウンターが不要となりカメラの簡易化が図れる。
③フィルム巻き戻し不要の為にカメラ巻き戻し機能を省略出来る。
④1穴パーフォレーションを採用、画面とパーフォレーションの位置が固定化される為に現像・プリントの自動化・標準化が容易である。
⑤ISO感度はフィルムカートリッジの切り欠きによるオートセットを採用。カメラ側のフィルム感度設定を省略化出来る。



初期・1966年当時のコダック「インスタマチック」フィルムのラインナップは、コダクロームX/126(20EX,1310円/現像代含),エクタクロームX/126(20EX,840円)、コダカラー64/126(12EX,400円)コダックベリクロームパン/126(12EX,165円)の4種類でカラーリバーサル2種、ネガカラー1種、モノクロフィルム1種で外式カラーフィルムのコダクロームを製品化する本格展開であった。
126フィルムの国内対応は、富士フィルム、小西六写真(コニカミノルタ)が自社ブランドの126フィルムを発売した。富士フィルム製品としては、フジカラーFⅡ126,フジカラースーパーHG100/126等があり、小西六写真はサクラカラー・N100/126、サクラパンSS/126(モノクロ)を発売している。


コニカ サクラパンSS 126フィルム


コダック史上最大のヒットになったインスタマチックカメラシリーズ


コダックは1963年の「インスタマチック」フィルム発売に併せて専用カメラ「コダックインスタマチック50」等 5機種の126フィルムカメラを初年度に発売して販売体制を整えている。
コダックが発売した「コダックインスタマチックカメラ」は1970年までに33機種に及び約5000万台の販売に成功、競合アグファ「ラピッドシステム」を数年で一蹴した。
更に、コダック社製・インスタマチックカメラの販売台数は1977年発売の「コダックインスタマチック76X」迄の14年間に7000万台を販売したとされており、コダックのカメラビジネス史上で最大のヒット製品として輝かしい歴史を残すことになった。


126フィルムカメラの国内対応

126フィルムカメラの国内メーカー対応は、小西六写真、オリンパス、キャノン、ミノルタ、リコー、ヤシカ、マミヤ 等が製品化を行い、初期製品は「フィルム装填の面倒さを嫌う」需要家層をターゲットとした事よりカメラ機能を簡略化した低価格製品となり、大部分がプラスチックボディ、単玉~トリプレットレンズ搭載に止まっていた。
一例として小西六写真が発売した「サクラパック100」(発売当時価格4.000円)はプラスチックボディ、単玉レンズ、固定焦点の簡易仕様であったがカメラデザインが秀逸で上位機種「サクラパック300」と共に1970年度・グッドデザイン賞を受賞している。
「サクラパック100.300」は、126フィルムカメラ、最初で最後のグッドデザイン賞受賞カメラとなった。


グッドデザイン賞受賞・サクラパック100 



サクラパック100X(1972年発売)


ミノルタ、オリンパス等は、インスタマチック市場が急拡大していた米国市場向けの製品に注力、ミノルタは「オートパック」と名付けた米国向け126フィルムカメラのシリーズ6機種の製品展開を実施した。オリンパスも「クイックマチックEES」カメラ3機種を米国市場向けに製品化、国内向けは「クイックマチック600」1機種のみと国内向けと米国向けが逆転する展開が行われた。
1964年に国産カメラ初として126フィルムカメラのEEカメラを製品化したマミヤ光機は、同社米国販売店向けの輸出専用機「アーガス インスタマチック260」1機種のみの対応を行っている。
本格仕様の126フィルムカメラとしては、1970年にキャノンが発売した「キャノマチックM70」(15.000円 1970年)がある。本機は40mm f2.8・3群4枚のレンズとプログラムEE機能、ゾーンフォーカス機能を搭載した35mmフィルム・コンパクトカメラ並みの仕様を搭載、「キャノンが造った126フィルムカメラ」として発売当初は注目を集めたがハイスペック仕様の126フィルムカメラに対する国内需要が無く本格展開には至らず国内向けは1機種のみの市場参入に終わっている。


ツアイス・イコン社 イコマチックF


国産唯一の126フィルム一眼レフ「リコー126Cフレックス」

126フィルム用一眼レフは、1968年にドイツ・コダックが「インスタマチック」カメラの最上位機種として「コダック インスタマチックレフレックス」を発売、ローライはコダックよりも早く「ローライSL-26」「ローライSL-36」をシリーズ展開、ツアイス・イコンは「CONTAFLEX 126」の発売を行っている。


リコー126Cフレックス 国産唯一の126フィルム一眼レフ

126フィルム用一眼レフの国内対応は、数機種の126フィルムカメラを発売したリコーがレンズ交換式の一眼レフ対応を行っている。リコーは1969年に国内初のインスタマチック一眼レフ「リコー126Cフレックス」(発売当時価格 26.800円 標準レンズ付)を発売して注目を集めた。
当該機は、ペンタミラーを使用したTTL一眼レフで35mm広角、100mm中焦点と55mm標準レンズをラインアップしていた。1969年当時の一眼レフは、ガラス製のペンタプリズム搭載が一般的であり1990年以降の普及型AF一眼レフで採用された樹脂成型ペンタミラーをいち早く採用した先進性が注目を集めた経緯があった。
しかしながら、カメラ本体にフィルム圧板が無く更にリーダーペーパー(裏紙)使用によるフィルム面の安定度不足、画面サイズの制約等の126フィルム固有の問題点より126フィルム一眼レフの市場創生は難しく「リコー126Cフレックス」は短命化を余儀なくされている。「CONTAFLEX126」は、本家パンケーキレンズとなったテッサー45mm f2.8の標準レンズを搭載していたが「リコー126Cフレックス」同様に本格展開には至らずに終わっている。


リコー126Cフレックスのコダパックカートリッジ装填状況


2000年前に生産が中止されたコダック126フィルム

126フィルムは、キャノンQLクイックローディング、富士フィルムDLドロップローディング等のカメラ各社による35mmフィルム自動ローディング機構の開発・搭載により需要が減衰、更にコダック自体が1971年に発売した新規格・110フィルム(ポケットインスタマチック)による当該需要交替が加速、コダックは1999年12月31日を以て126フィルムの販売を終了している。
最後まで126フィルムの生産を継続したフェッラーニア(伊)も2007年に同社「ソラリスFG200 126」フィルムの生産を終了している。1963年からコダックが37年間、フェッラーニアが更に7年間健闘したものの126フィルムは市場から消滅となった。


2007年に生産を終了したリラリスFG200 126フィルム


アグファも126フィルムカメラ市場に参入


コダック126インスタマチックフィルムと当該市場で競合したアグファ・ラピッドシステムは、イーストマン・コダックの世界的な販売力を打破出来ずラピットシステム発売8年後の1972年に126フィルムカメラ「アグファマチック50」とアグファブランドの126フィルムを発売、インスチマチック陣営に参加することとなった。


アグファが発売した126フィルムカメラ

アグファが発売した126フィルムには、「アグファカラーCNS/126」「アグファカラーXRG200/126」「アグファカラーHDC24/126」のネガカラーフィルムと「アグファイソパン/126」のモノクロフィルムがあり、126フィルムカメラは11機種の「アグファマチック」カメラを販売している。

コダック126フィルムカメラは、プラスチック製品が大多数を占めた事も有り、カメラ更新時に廃棄処分され現存する製品が少なく中古カメラ店のジャンク箱で見かける機会も少ない。また、フィルムカートリッジに現行フィルムを装填して再利用する方法も裏紙問題、プラスチックカートリッジ分解問題等々で難しい事から126フィルムカメラは飾り物化を余儀なくされている。
金属ボディの126フィルムカメラの市場価値も無く、僅かに「リコー126Cフレックス」等にフィルム、カメラ工業史のメモリアルとしての価値が残る程度である。

 
     
  
  




  

世界標準のフィルム現像液・コダックD76

2015-10-01 11:37:16 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
世界標準のフィルム現像液・コダックD76
 
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-13
印刷コンサルタント 尾崎 章


デジタルカメラがカメラの代名詞的存在となり、フィルム及びフィルムカメラはフジフィルムのインスタント写真:チェキを除きプロビジネスの一部領域とマニアックな写真愛好家向け存在となって久しい。
モノクロフィルムを自宅で現像・プリントする写真愛好家も僅かとなり日本写真映像用品工業会のデータによると2014年度の写真引伸機の年間生産総数が200台レベル迄に減少した事が報じられている。
こうした状況よりモノクロフィルム現像液の商品構成に至っては「知る人ぞ知る」的な状況に至っている。先日、コダックの代表的なモノクロフィルム現像液・D76の話題に触れた時、居合わせた若手編集者に「D51」蒸気機関車の同類と間違えられて大笑いした事がある。



コダック D76モノクロフィルム現像液 


コダックD76は、1927年にイーストマン・コダックが発表したモノクロフィルム用現像液で急性現像主薬・メトールと緩性現像主薬・ハイドロキノンを組み合わせたMQ現像液の代表的存在として世界で最も多く使用された現像液とされている。
「2.100.5.2」はD76現像液の薬品組成で、750ccの水にメトール2g,無水亜硫酸ナトリウム100g,ハイドロキノン5g,臭化カリウム2gを順次溶解して水を加えて1000ccとする処方である。筆者が研究所勤務当時はモノクロフィルムを現像する機会が多くメーカー既製品をあえて使用せずに上皿天秤で前述薬品を秤って調合、微妙にメトール、ハイドロキノンのバランスを変えたオリジナル「マイブレンド現像液」を楽しんだ経験が有る。



現像は還元反応、現像主薬は還元剤 

デジタルカメラが業界標準となった今日、「現像とは?」の質問に「RAW現像の事ですか?」と聞き返されるケースが当たり前となり銀塩感光材料の現像反応について的確に答えられる人は激減している。
写真現像について簡単に記述すると「写真感光材料の感光材・ハロゲン化銀塩(塩化銀、臭化銀、ヨウ化銀)は感光すると光のエネルギーによって結晶核の一部が銀に還元されて潜像を形成する。現像液は潜像が形成されたハロゲン化銀に選択的に作用して金属銀に還元する還元剤で現像液は現像反応後に酸化して酸化物を形成する」となる。中学校の化学授業で習う「酸化還元反応」の好事例である。



メトールは商標、正式薬品名はモノメチル・パラ-アミノフェノール硫酸塩

最古の写真現像主薬としてピロガロール(焦性没食子酸)が湿板時代に使用されていたが、1880年に英国 William Abneyによってハイドロキノンの利用が提案され、1891年にはメトールが登場して写真現像プロセスが大きな進歩を遂げている。


写真用品店で市販されているメトール、ハイドロキノン 

ドイツ南部・シュトットガルド市近郊にある化学会社HAUF化学のエンジニァ・Bogishが現像主薬としてモノメチル・パラ-アミノフェノール硫酸塩を開発、同社はメトール名で商標登録を実施した。
HAUF化学は、ドイツ・アグファ及びイギリス・ジョンソン社の2社のみに対してメトール名称の使用許諾を行った為にフィルム・写真関連各社は其々別の名称を付ける必要に迫られる事になった。
商標抵触を回避した関連各社のモノメチル・パラ-アミノフェノール硫酸塩のネーミングの一例としては下記の通りで有るが、20を超える各社商品名が存在した経緯が有る。


[モノメチル・パラ-アミノフェノール硫酸塩の名称例]

 ●イーストマン・コダック      「エロン」
 ●富士写真フィルム(フジフィルム) 「モノール」
 ●小西六写真工業(コニカミノルタ) 「モノパトール」
 ●メルク社(ドイツ)        「フォトレップ」
 ●中外写真薬品           「メトールミン」
 ●ナニワ薬品            「メトールサン」 


アグファは、HAUF社よりメトール商標の許諾権を得ていた事より「アグファ・メトール」として積極的な展開を行った経緯があるが、結果的にはコダック、富士フィルムの呼称も定着せず「メトール」が業界標準・代名詞として認知・使用され今日に至っている。


 
コダックD76は世界標準、国内標準を目指した日本写真学会・NSG現像液

標準的な汎用微粒子現像液として世界的に認知されたコダックD76は、競合各社からも互換製品が発売されD76の優秀性が改めて実証される事になった。
D76完全互換品としてはイルフォード「ID-11」、富士フィルム「フジドール」(2007年販売終了)等があり、イルフォード製品は現在も販売が継続されている。


イルフォード ID-11現像液 


コダックD76は、現在も1リットル用及び1ガロン用の製品が2013年9月にイーストマン・コダックより分離独立したコダック・アラリス社(Kodak Alaris)より供給・販売継続が行われ、1927年以来「モノクロ現像液・世界標準/業界標準」の座を保っている。
業界標準と云えば、日本写真学会(NSG)が以前に業界標準を目指してNSG-Developer処方を発表していた時期がある。当時の日本写真学会はNSG感度を定める等の展開も行っており、懐かしい写真工業史の一コマである。フジFD-3,さくらSD-1と併せてのNSG現像液の処方を参考までに記載する。


             フジFD3      さくらSD-1   NSGDeveloper
(富士写真フィルム)   (小西六写真)  (日本写真学会)
___________________________________________
  水          750cc     750cc      750cc
メトール           2g        2g         3g
無水亜硫酸ナトリウム    40g       30g        50g
ハイドロキノン        4g        5g         6g
臭化カリウム         1g        1g         1g
炭酸ナトリウム       24g       20g        25g
水を加えて       1000cc    1000cc     1000cc  



印刷業界に懐かしのコダックDK50

コダックの現像液にシートフィルムの皿現像(バット現像)を主用途とするDK50と云う現像液があった。コダックDK50はメトールとハイドロキノンを1:1の等量配合したMQ現像液で階調再現性と保存安定性を特長としていた。
印刷業界で写真製版が全盛期を迎えた1960年代にDK50は色分解ネガフィルム(Separation Negative Film)の現像液として、また1:1の希釈液はマスキングフィルムの現像液として多用された経緯が有る。


コダック セパレーションネガフィルム 

カラースキャナーが普及する前の写真製版の「2工程色分解」では、Kodak Pan Masking Filmを使用してカラー原稿の色補正とコントラストを修正する複数のマスクを作成。


コダック パンマスキングフィルムを使用したコントラスト修正マスク 


これらのマスクとカラー原稿を重ねた状態でR,G,BのKodak Wratten Filterを使用して色分解ネカを作成する製版手法が当時の業界標準で、これらのフィルム用指定現像液がコダックDK50であった。塾年の写真製版経験者には懐かしの製版手法であり、懐かしの現像液である。DK50は、既に販売を終了しているが処方が公開されており、簡単に調合する事が出来る。


[コダックDK-50]
          水          750cc
         メトール         2.5g
         無水亜硫酸ナトリウム   30g 
         ハイドロキノン      2.5g
         メタホウ酸ナトリウム   10g
         臭化カリウム       0,5g
         水を加えて       1000cc


D76を現在も供給するコダック・アラリス社では、デジタル環境の発達により「撮影→現像→プリント」の基本構造は崩れ去ったが「人生の想い出、瞬間のシェア、可視化の簡便化」を企業理念とする主旨のコメントを行っている。
フジフィルムでは更に「デジタル映像の時代になっても、19世紀に誕生した銀塩写真の表現力が放つ魅力に変化は無く、これからもフジフィルムはかけがえの無い文化として銀塩写真の魅力を伝え続ける」とのアピールを日本写真学会誌等々で実施しており銀塩写真愛好家にとっては心強い限りである。
フジフィルムは、1952年4月に代表的国産モノクロフィルムとなった「ネオパンSS」を発売、その発売二カ月後に製品化した微粒子現像液「ミクロファイン」は発売60年を超えるロングセラー製品になっており同社の基本方針が現像処理薬品まで反映されている事を実証している。



フジフィルム ミクロファイン現像液



フジフィルムの企業コンセプト広告(日本写真学会誌 表4 2015 Vol-78) 


以上


ズームコンパクトカメラ時代までの隙間製品・2焦点カメラ

2015-09-03 10:53:58 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
ズームコンパクトカメラ時代までの隙間製品・2焦点カメラ
 
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-12
印刷コンサルタント 尾崎 章


小西六写真工業(現:コニカミノルタ)が1968年に発売した35mmフィルム使用のコンパクトカメラ:コニカC35は、優れたコストパフォーマンスに当時の国鉄旅行キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」による女性の旅行ブーム拡大と当時の人気グループサウンズ・ボーカル歌手・井上順さんの「じゃ~に~コニカ」のCM効果が加わり短期間に60万台を超える大ヒットとなった。


コニカC35EF「ピッカリ コニカ」


更に、コニカは1975年にストロボ内蔵のコニカC35EF「ピッカリ・コニカ」、1977年にはオートフォーカス対応のコニカC35AF「ジャスピン・コニカ」を連続ヒットさせ、一時期はレンズシャッターカメラの国内シェア40%を超えるカメラ史に残る大きな成果を挙げている。
このコニカC35シリーズはもとより当時の各社35mmコンパクトカメラは焦点距離38~40mmの準広角レンズを搭載しており、ユーザーからは広角・望遠のバリエーションに対する要望が増加していた。しかしながら、ズームレンズのコンパクトカメラ搭載はコストパフォーマンスを含めた問題が多く、1987年に旭光学工業(現:リコーイメージング)が発売したペンタックス ズーム70 DATE迄の時間を要する事になった。
この間の市場ニーズに答えた製品が、広角・望遠レンズを切り替えて使用する2焦点切換えコンパクトカメラで1980年にミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)がミノルタAF-TELE QD(クオーツデート)を発売、カメラ各社が競ってこれに追随する展開に至った。


ミノルタAF-TELE QD  


2焦点切換え機能搭載、ミノルタAF-TELE QDカメラ 

ミノルタカメラが1980年に発売したミノルタAF-TELE QD(クオーツデート)は、38mm準広角レンズの光学系にコンバーターレンズを切換え機構によって挿入、焦点距離を60mmに拡大する単純機構であった。
画質面では多少の制約は有るものの手軽に焦点距離を切換えて撮影できるとして人気機能となり、各社がこれに追随した。



ミノルタAF-TELE QD焦点距離切換えレバー



38mmと60mmの画角変化(ミノルタAF-TELE 富士川橋梁)



コンバーターレンズ未挿入時



コンバーターレンズ挿入による焦点距離拡大 



●1985年に小西六写真が発売したコニカ望遠王MR-70は、38mm準広角レンズの焦点距離を70mm迄拡大して他社製品との差別化を行っている。70mmの焦点距離に「望遠王」と名付けた「コニカの大胆さ」が話題になり、初心者向けデジタル一眼レフに付属するズームレンズが100~110mm程度迄対応している今日では想定できないエピソードである。


2光軸切換え機能搭載カメラ

前述のコンバーターレンズ挿入による焦点距離拡大に対して2種類のレンズをターレット式に回転させる2焦点カメラと電動ミラーによって2種類レンズの光軸を切り替えるコンパクトカメラが登場して注目を集めた時期が有る。
前者には、1985年に富士フィルムが発売したフジ・TWING TW-3があり、後者方式には1988年にオリンパス光学が発売したオリンパスAF-1 TWINが有る。


フジ・TWING TW-3



手動ターレットによるレンズ切換え(TWING TW-3)


●フジ・TWING TW-3は、ハーフサイズの画面サイズで23mmと69mmのレンズが回転式ターレットに装着されていた。この2種類のレンズは35mmフルサイズ換算で32mmの広角レンズと96mmの望遠レンズに匹敵していた。
38mmと70mm前後の焦点距離対応を行っていた標準的な2焦点方式と比較して広角側・望遠側のカバー領域が広く、更にポケットに入るコンパクト性も注目を集めた。

●オリンパスAF-1 TWINは、35mm広角レンズと70mmレンズをカメラボディに上下に装着、カメラ内部の電動ミラーによって光学系を切り替えて使用する光軸切換え方式であった。レンズ構成も5群5枚の望遠レンズを搭載した事よりコンバーターレンズを使用する前述2焦点カメラとは異なり高画質の画像を得る事が出来た。



オリンパスAF-1 TWIN 


オリンパスAF-1 TWINの撮影例(35mm,70mm 伊豆下田)


発売価格は43.800円、当時のマニアルフォーカス普及型1眼レフ並みの価格で有ったがマニアックな機能が支持・評価され人気カメラとして注目を集めた。
また、オリンパスAF-1 TWINはJIS4等級の生活防水機能を有しており、使い勝手の良さも評価を高める要因となった。

海外旅行用途をターゲットとした2焦点カメラ

1989年にズームコンパクトカメラが登場した以降、2焦点切換えカメラ及び2光軸切換えカメラ市場は一気に終息へと向かったが当時のズームコンパクトカメラが未対応の28mm広角レンズを搭載した2焦点カメラが海外旅行向けカメラとして新たな需要創生を試みている。
1990年にフジフィルムとキャノンが相次いで28mm広角レンズを搭載した2焦点切換えカメラを相次いで発売している。フジフィルム製品はフジ・カルディア・トラベルミニ、キャノン製品は、キャノン・オートボーイWT28(ワールドトラベラー)である。


キャノン オートボーイ WT28


フジフィルム及びキャノンは、製品名に「トラベル」を明記して旅行向けカメラである事をアピールしている。
両機種共に海外旅行で歴史建物を撮影する場合等で必要度の高い28mm広角レンズを搭載、28mm広角レンズをコンバーターレンズによって人物スナップ撮影に適した45mm標準レンズに焦点距離を拡大する機能を有していた。
特に、キャノン・オートボーイWT28は、世界24都市の日付け・時差・サマータイムに対応したデート写し込み機能を搭載、当該機能は2022年まで対応する為に現在でも便利に使用出来る「現役・旅行用フィルムコンパクトカメラ」である。


キャノン オートボーイ WORLD TIME機能


2焦点切換えカメラ及び2光軸切換えカメラは、フィルムカメラ工業史にも登場する事の少なく忘れられた存在の隙間領域カメラでは有るが、電動ミラーによって光軸を切換える機能等を始めとするユニーク機能を搭載した機種も多く、趣味性の高いフィルムカメラとして今日でも楽しむ事が出来る。