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印刷図書館倶楽部ひろば

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発売20年を迎えるフルメカニカル・フィルム一眼レフ ニコンFM10

2015-01-07 10:03:39 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪


発売20年を迎えるフルメカニカル・フィルム一眼レフ ニコンFM10

          
印刷図書館クラブ
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-5

<印刷コンサルタント 尾崎 章>


今年2015年12月に㈱ニコンのフィルム一眼レフ・FM10が発売以来20年を迎える。
2~4年の短い期間でモデルチェンジ、マイナーチェンジが行われるデジタル一眼レフと異なりフィルム一眼レフは総じてロングライフ製品が数多く見られ、発売以来20年の記録をニコンF3(1980~2000年)と旭光学(現:リコーイメージング)のペンタックスLX(1980~2000年)が保持しているがニコンFM10はこの記録を上回る可能性を有している。


・ニコンFM10





写真後進国向けの低価格・マニアル一眼レフ市場


1985年にミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)が発売したオートフォーカス一眼レフα7000は空前の大ヒットとなり、ニコン、キャノン、旭光学等の競合各社は急遽AFオートフォーカス一眼レフの商品化に迫られる程の影響を受けた。ミノルタカメラが競合他社に与えた衝撃は「αショック」として今日まで語り継がれている。



ミノルタα7000




1990年初頭には各社AF一眼レフが出揃いフィルム一眼レフはAFオートフォーカスが標準仕様となるが東南アジア・中南米・東欧等の写真後進国には「電池不要」の機械式マニアル一眼レフの需要が残り、グローバルな営業展開を図るカメラ各社は当該市場向け製品供給の必要に迫られる状況となった。
しかしながら、フルメカニカル・フィルム一眼レフを新たに開発・生産する程の市場規模では無い事より各社は軒並みOEMによる製品調達を選択している。カメラ各社がOEM調達先として白羽の矢を立てた会社が長野県の光学機器メーカー・㈱コシナ(長野県中野市)である。
最初のコシナからのOEM製品は、ヤシカFX3・スーパー2000(1993年 ボディ価格24.800円)で当時の㈱京セラは「コンタックス」ブランド展開を行っていたが写真後進国で高いブランド力を有していた「ヤシカ」ブランドをあえて採用、同時に国内市場向けの販売も行っている。


OEMのベース・コシナ2000




ヤシカFX3・スーパー2000





続いて㈱リコーが1994年にリコーXR-8スーパー(ボディ価格29.800円)を発売、ニコンは1995年にFM10のネーミングで発売を開始している。(ポディ価格37.000円)


リコーXR-8スーパー




最後は、オリンパスOM2000(1997年・37.000円)でオリンパス・ペンシリーズ(アナログ~デジタル)等々、同社製品の開発担当として著名な米谷美久さん(1933~2009)の強い意向でスポット測光、ガンメタリック塗装等を追加してOEM他社製品との差別化を図っている。


オリンパスOM2000




ヤシカFX3スーパー2000、リコーXR-8スーパー、ニコンFM10及びオリンパスOM2000は、いずれも機械式フォーカルプレーンシャッター、定点合わせ式マニアル測光、マニアルフォーカス、手動フィルム巻き上げ等々、マニアル操作のオンパレードで有ったが、廉価版デジタル一眼レフの多くが採用するペンタミラーを使わずペンタプリズム(視野率93%,倍率0.84倍前後)を採用する等、マニアル一眼レフの基本性能を有していた事よりオートフォーカス時代でも国内一部ファンの支持を得ていた。
特に、ニコンFM10は2013年には販売累計80万台を超える隠れたヒット機種となり、写真学校生徒向け需要も加わり今日まで販売が継続されるロンクライフ製品となっている。来年度のロングライフカメラ新記録樹立が楽しみであるがカメラ量販店でトイカメラと並べて陳列されている光景はフィルムカメラファンにとって寂しい限りである。



キャノン、ニコンのフィルム一眼レフ・フラッグシップモデルも未だ現役

2000年に発売したキャノンのフィルム一眼レフ最上位機種・EOS-1Vと2004年にニコンが発売したフィルム一眼レフ最上位機種・F6が現役製品であることは意外に知られていない。
EOS-1Vが14年、F6が10年のロングライフ製品で、特にニコンF6はデジタル一眼レフ・ニコンDfと共に国内生産機種で同社・仙台工場でベテラン作業者によって生産されている貴重なモデルでもある。


ニコンF6




ニコンでは、この2機種以外の一眼レフ全製品の生産をタイ工場に移管しており、品質差は全くないと同社はコメントしているものの消費者側としては高額一眼レフについては国内生産を行いMADE IN JAPANを記して欲しい所である。
デジタル一眼レフ・ニコンDfは、写真学会会員向け製品紹介時に日本品質をセールストークとして、「ではタイ生産品とは品質差があるでは?」との矛盾を指摘された経緯もある。
来日中国人がカメラ量販店でMADE IN CHAINA、MADE IN THAILANDのデジタルカメラを購入しない理由は、彼らが一番良く知っているのかも知れない。



チノンもキャノンとアグファに低価格マニアル一眼レフを提供

㈱コシナと共にチノン㈱(長野県茅野市 2004年コダックに吸収合併)もキャノン、アグファに低価格マニアル一眼レフのOEM供給を行った経緯が有る。
キャノンが1990年に海外専用マニアル一眼レフ・T60を発売しているが、このT60はチノンからのOEM調達品で有った。電子制御フォーカルプレーンシャッター、ペンタプリズム(視野率93%,倍率0.86倍)定点合わせ式マニアル測光、等の基本仕様を有していた。
T60は海外専用製品の為に国内中古カメラ市場にも出回る可能性の低いレアカメラ的な存在になっている。


キャノンT60




近代的一眼レフを保有しなかったアグファは、1980年に開催された展示会・フォトキナ(ドイツ・ケルン)に突然フィルム一眼レフ3機種を出展して来場者の注目を集めた。
製品名は、マニアル仕様のセレクトロニック1,AE仕様のセレクトロニック2,AE・マニアル仕様のセレクトロニック3で、セレクトロニック2及び3は電子制御フォーカルプレーンシャッターを採用していた。
このセレクトロニックシリーズはアグファ最初で最後のフィルム一眼レフとなり、販売期間も短い事より海外の中古カメラ市場でも見かける事の少ないレアカメラとなっている。


アグファセレクトロニック1





「フィルム装填」→「フィルム巻き上げ・シャッターチャージ」→「定点合わせマニアル測光」→「手動フォーカス」→「シャッターリリース」→「フィルム終了・巻き戻し」の手順を採るフルメカニカル・フィルム一眼レフによる撮影は、デジタル一眼レフによる撮影とは全く異なる次元にあり、スローフォトを満足できる貴重な存在で「お気に入り」フィルム一眼レフは是非とも長く保有していたい所である。
ちなみに筆者は、ヤシカFX3スーパー2000,オリンパスOM2000,リコーXR-8スーパー、ニコンFM10,キャノンT60,アグファセレクトロニック1の6機種のOEM製品を保有、それぞれに各社パンケーキレンズを装着して楽しんでいる。



52年のロングライフ製品、印刷学会ルーペの販売終了

印刷界のロングライフ光学製品としては、印刷学会出版部のIGSルーペ(5500円)が有った。当該製品はトリプレット・3枚レンズ構成、倍率17.5倍、金属ボディの高級ルーペで歪曲収差、色収差も良く補正されていて印刷技術者に愛用されていたが、網点を見る必要のないデジタル印刷の普及もあり需要が大幅に減少、惜しまれながらも昨年2014年4月に販売終了に至っている。このIGSルーペの発売開始は1962年、何と52年のロングライフ製品で有った。
       


以上

月例会 ≪2014年12月度会合≫まとめ

2014-12-22 10:01:12 | 月例会

<印刷]の今とこれからを考える> (印刷図書館クラブ 月例会報告 平成26年12月度会合より)



●本の良さをもう一度、見つめ直すきっかけに

 最近、紙の出荷量が減少傾向にある。印刷産業における消費量も全国的に落ちている。印刷業の形態は大都市部では工程ごとに分業が進み、地方では総合印刷のかたちとなっているが、とくに東京などでは情報コミュニケーションが急速にネットに移行していて、携帯端末、タブレット端末を多くの人が利用するようになった。その分、印刷工程を担う本来の仕事がなくなってきている。出版物などでその傾向が強いようだ。世代ごとにメディアに対する見方、考え方は異なるのかも知れないが、図書館に行けば各世代の大勢の人たちが分け隔てなく本を読んでいる。本を“積ん読”行為には、何となく満足感が伴う。その人なりの一種のデータベースを身近に置くことで、精神的な安心感をもてる。そのようなメリットが再評価されたせいか、若い人も本の良さを見直して、ページを開いてみたいという気持を高めているそうだ。



●「顧客基点」の真の意味にもう一度、気づきたい

 大学生たちが出版企画案を競い合い、それを出版社の編集者や書店関係者が審査して、優秀作品を書籍化し販売していこうというイベントがある。出版市場を開拓するユニークな試みとして、着実に根を下ろしている。注目すべきは「市場を見過ぎていた」という反省が出版社側にあり、一方に「マーケティング主義とは距離を置きたい」という気概が学生側にあることだ。「売れる企画を」対「焦点を絞った独自性を」の違いである。そこには、プロには気づけない盲点がある。出版社が考えもしなかった真に需要のあるものを、学生が企画提案しているということになる。書店は取次に頼りっ放しで、読者をつなぐ意識がない。情報流通を担う意欲がない。顧客基点といいながらも、自分勝手に売れるであろうと思い、それを売り込もうとしている間は上手くいかないのである。学生主宰のイベントはこの事実を教えてくれる。



●連携して新しいビジネスを切り開く意識をもとう

 別の事例を紹介したい。それは、月刊誌や週刊誌のバックナンバーのページをそのまま電子書籍として配信するサービスがおこなわれていることである。独自開発の閲覧アプリを使って、誰もが簡単に、しかも安価にタブレット型情報端末の画面で読むことができる。新刊雑誌、従来型電子雑誌とは異なる新たな雑誌市場を切り開いたことを意味する。新規の販売数は少ないのかも知れないが、長期間にわたってロングテール市場を維持し続けられる。このようなビジネスこそ、コンテンツを保有する印刷会社が率先して取り組むべきなのに、IT企業に先を越されてしまった。コンテンツを出力する媒体、表現方法は多様なのに、自ら対象を印刷物に固定してきてしまった。出版社にとっても残念なのは、印刷会社と連携して新しいビジネスを興そうという発想がないことである。せっかく受発注関係にあるにも関わらず、別々に活動していて戦略的アライアンスができていない。印刷会社の方から効果的な提案ができるようになればいいのだが、仮にそうしたとしても、ビジネス領域を守りたいという意識があるせいか、なかなか採り入れてもらえない。ここにも既成概念にとらわれている様子がみられ残念である。



●環境問題を契機に企業のあり方を考え直してみよう

 先頃開催された「エコプロダクツ展」の基調講演で、こんな話を聞くことができた。かつて埼玉県西部で起こったダイオキシン問題で、いわば当事者だった産廃業者の現経営者の講演だった。そのとき父に当たる先代社長に「ゴミを燃やすのを止めたら」といったら「じゃあ誰がやるのか」と悲しげ気に返事をされたという。自分としては常識的なことをいったつもりだったが、父の心を深く傷つけてしまったと反省したそうだ。環境問題の有識者からは「地方に引っ越せ」といい加減なことをいわれ、「それでは道理が通らない」と憤りを感じたようだ。当時、設備投資したばかりで廃業するわけにもいかず、結局、焼却炉を廃棄して粉砕システムに代える道を選んだ。周囲に対する意地もあって建屋をガラス貼りにするとともに、従業員に対しても安全衛生や言葉遣いに関する教育を徹底させた。今では、そうした企業姿勢が社会から高く評価され、会社見学が引きも切らず、国からも表彰される優良企業になった。



●社会的責任を果たすことから道は開ける……

 この経営者が力説するように、環境対応は儲からないというのは誤解だ。どの業界の企業も、自社がつくった製品が消費者に渡ったあとで、どう使われるか、どのように捨てられるかに、あまり関心を抱いていない。製品開発、製品改良には懸命になるのに、その後のことに意識が向かない。後工程についても社会的責任をもち、しっかり取り組んでほしいところだ。環境対応は儲かるビジネスである。「確かにコストはかかるが、皆を守る仕組みをつくることができた」と、この経営者も話していた。環境問題に限らず、規制緩和を求める声が強いが、その前に自らイノベーションを興して新しいビジネスを創造し、それを既成事実として社会に示したらどうか。どの時代にあっても、最先端をいく企業はすべてそうした道を進んできた。



●理屈上の部分最適より感性に沿った全体最適を

 印刷で表現する色相は、光源の温度(ケルビン)で見た目が変わってくる。通常は5,000K前後の自然光で見るのが理想的なのだが、色には心理的な要素が加わるので、いわゆる“記憶色”を考慮する必要がある。顧客が望む「かくありたい」という色に合わせなければいけないときもある。例えば、ゴルフ場をテーマにしたカレンダーをつくる場合、グリーンがもっとも鮮やかに見える5月頃に撮影した写真を毎月使用することが考えられる。この例などは理論上おかしいのだが、各月単位の部分最適ではなく、顧客が欲している趣旨を1年間という全体最適でまとめることの重要性を教えてくれる。理屈を超えた感性をもって、統一感のあるデザイン設計をおこなうことが重要なのだ。このような演出の仕組みを印刷会社はあまり意識してこなかった。演出効果を狙いながら、印刷する絵柄をどう見せていくかの全体構成を、適切に顧客に提示しなければならない。絵柄はストーリーとしてみられる。作業指示書のなかに、顧客が無意識であっても本当に求めていることを、明確に書き込むよう望みたい。



●読み手がどう感じるかを十分に意識して印刷しよう

 印刷会社は、読み手がどう感じたかを十分に意識して印刷物を作成する必要がある。読み手はそれぞれ異なる文化、風土、経験をもっていて、一人ひとり生命観、シズル感が違う。メディアが多様化するなかで、印刷メディアがどのように受け取られるかをもっと研究しなければいけない。せめて80点くらいのレベルまで迫れる評価基準があればいいのだが、例えば広告宣伝印刷物の場合なら、製品やサービスをイメージとしてどう表現するかといったようなコンセプトをきちんと把握するとともに、顧客にも提案して双方で共通認識することが重要だ。広告宣伝印刷物で表現するような色合いは、現実の色彩と違っていて、すべて“ウソ”である。プリンティング・ディレクターはいい意味での“ウソ”をつくのが仕事といっても過言ではない。



●巧みに“ウソ”のつける印刷人はどこへ行った?

 現実の真の姿を再現できる印刷物の方が技術的に優れているのは当然だが、透過原稿と反射原稿は正反対の位置にあり、厳密に整合させることは本質的にできない。「赤をややウスク」といったような指示はきわめてあやふやで、完全に解決する方法とはなり得ない。顧客から営業マン、指示書を経て作業者へと多くの段階を経ることもあって、現場マンは校正の指示を信用していない部分さえある。アタマのなかで考えた言葉が正確な言語になるとは限らないからである。しかし、そんな詩的な表現が“ウソ”が許される余地を与えてくれる。この辺の微妙な関係を理解して、巧みな演出ができる質の高い人はいまやいなくなった……。

(終)





米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる 名機・アンスコマークM

2014-12-01 13:45:40 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪
≪印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪 VOL-4≫
印刷コンサルタント 尾崎 章


「米国感光材料メーカーの変遷が想いだされる
名機・アンスコマークM」



斬新デザインのアンスコマークM


一世を風靡したアンスコ・ANSCO社

1960年に米国感光材料メーカー・アンスコ社が発売した35mmレンズ交換式レンジファインダーカメラ「アンスコマークM」(ANSCOMARK M)は当時米国を代表する工業デザイナーで有ったレイモンド・ローウィ(1893-1986年)がデザインを担当、カメラ自体の性能はもとよりデザインの素晴らしさが高く評価された話題のカメラで有った。


アンスコマークM

レイモンド・ローウィは、米国を代表するタバコ「ラッキーストライク」のパッケージデザイン、「コカコーラ」のデザイン、当時の様々な家電デザインからペンシルバニア鉄道の流線型機関車のデザイン等々を担当、日本ではタバコパッケージデザインの名作とされる「ピース」のデザインを手掛けローウィ・デザインの素晴らしさが今日まで伝えられている事は周知の通りである。


レイモンド・ローウィと作品群(美の壺より)

当時のアンスコ社は世界6大のフィルム・感光材料メーカーとして技術開発面でも業界をリード、アグファのAGFACOLOR(1936年)に続いてコダックより4年早い1942年にカップラー(発色剤)をフィルム乳剤中に含有させた内式カラーフィルム「アンスコクローム」を発売、更には富士フィルムより5年早くASA感度100のカラーリバーサルフィルムを発売する等、製品開発面に於いても業界をリードしていた。
写真工業史に燦然と輝いた「アンスコフィルム」の歴史は、塾年写真ファンに於いては懐かしい記憶である。


1960年当時のアンスコフイルム


アンスコマークMの誕生

1956年、当時の主流コピー方式であったジアゾニウム塩感材をアンモニア水溶液で湿式現像するジアゾコピー分野でアンスコ社はアンモニアガスによる「乾式ジアゾコピー」技術を世界に先駆けて開発、「湿式ジアゾコピー」で国内トップシェアを有していた理研化学工業(現・㈱リコー)は同社と技術提携を行い「乾式ジアゾコピー」の国内展開を行っている。こうした関係から、アンスコ社がレンズ交換式・レンジファインダーカメラの製造を㈱リコーに依頼、㈱リコーより供給された当該カメラを1960年にアンスコ社が「アンスコマークM」、㈱リコーが「リコー999」として国内販売を開始する展開に至っている。


アンスコマークMとリコー999

「アンスコマークM」は発売直後よりレイモンド・ローウィによる直線的なメタリックデザインが「20世紀のアメリカ製品」感を見事に再現するグッドデザインカメラとして米国内で注目を集めた経緯がある。今日でも当該カメラに対する評価は高く日本カメラ博物館発行の「カメラとデザイン」NHK出版発行「美の壺・クラッシックカメラ」等でグッドデザインの代表的カメラとして広く紹介されている。


アンスコマークMを紹介した「美の壺」

「アンスコマークM」「リコー999」は、カメラデザインのみならずカメラの基本性能面でも当時の水準を上回り、50mm標準レンズの他に35mm広角、100mm中焦点レンズもラインナップされ、ハイアマチュア層をターゲットとして当該機は国内価格33.800円(標準レンズ付)とレンズシャッターカメラとしてはハイクラスの価格帯に設定されていた。


標準・広角・中焦点の交換レンズをラインアップ


アンスコ社の変遷

アンスコ社は1842年創業のスタジオカメラ会社・アンソニーを起源とし、1902年に銀塩感光材料製造・スコーピル社を買収して社名をアンソニー&スコーピルに変更、1907年にはアンスコへと社名短縮を行っている。
1938年には社名をGAF・ゼネラルアニリンに変更して総合化学メーカーへの転身を図っている。「アンスコ」名はフィルム・カメラブランドとして継続されたが、新規ビジネス展開が軌道に乗らず1981年にアニテックと社名を再び変更した頃には注目すべき製品も無く印刷材料等で数パーセントの市場シェアを有するに止まっていた。
1987年に世界最大の製紙メーカー・インターナショナルペーパー社が、中堅PSプレートメーカー・ホーセル社(HOSELL)と同時期にアニテック社を買収、ホーセル・アニテック社としてPSプレート及びフィルム市場への参入を開始したが、製紙メーカーによる当該事業展開は難しく事業は直ぐに低迷化を余儀なくされている。
インターナショナルペーパーより不振のホーセル・アニテック社を買収した企業が、1979年に大日本インキ化学工業(現・㈱DIC)が買収した米国PSプレートメーカー・ポリクローム社とイーストマン・コダックとの合弁会社・コダック・ポリクロームグラフィックスである。


ホーセル・アニテックを買収した直後のコダック・ポリクローム・DRUPA2004展ブース

コダック・ポリクロームグラフィックスの買収により1842年から156年間続いた米国老舗感光材料企業が終焉を迎え、ニューヨーク州・ロチェスター市に本拠を置くイーストマン・コダック社と同じニューヨーク州のビンハムトン市を拠点としたアニテック主力工場は、コダック・ポリクロームの買収直後に老朽化を理由に閉鎖・取り壊しが行われている。


2000年代初めのビンハムトン市のアニテック工場


インターナショナルペーパーノプレートビジネス

ホーセル・アニテック社をコダック・ポリクロームグラフィックスに売却したインターナショナルペーパーは、その後も子会社・エクスベテックス社によるコダック及びゼロックス社の印刷機材販売ビジネスを北米中心に展開していたが、2013年5月に米国内に於ける富士フィルムCTPプレート販売権を獲得してCTPプレートビジネスの積極展開を開始している。
新宿の中古カメラ店で購入した「リコー999」,インターネットオークションで入手した「アンスコマークM」の手入れを行いながら1979年のポリクローム社買収に関わった技術担当者として米国感光材料メーカーの変遷を思い出す次第である。

       
以上



月例会 ≪2014年11月度≫

2014-11-26 16:00:40 | 月例会
[印刷]の今とこれからを考える 

印刷図書館クラブ」月例会報告(平成26年11月度会合より)



●印刷媒体の効用を見直す機運が……


 福島原発の事故を機に「製造物責任法」(PL法)の見直しが検討されているそうだ。事故対策のマニュアルを改訂し、しかも印刷物として残そうという話になっている。リスクに対処できる確かな裏付けが求められているのだ。日本では今、地震や津波に対する潜在的な怖れがある。防災マップがなければならないのだが、東京都などでは、小さく畳んで持ち運びできるような印刷物を用意しておこうという方向になっていると聞く。その背景には「印刷物の防災マップをつくって、きちっと体制づくりしてくれ」との声が強まっている事実がある。こうした災害への対策はそのつど部分改正されてきた。それが続くうちに、印刷物のマニュアルが置き去りにされてきた感がある。そもそも、この種の情報を電子媒体ですべて賄おうという考え方にムリがある。PL関連では、製品に貼り付けるシールや表示するパッケージなど、印刷物の利点を役立ててもらえる部分も多い。印刷媒体こそ、しっかりと機能できる領域だと思う。


●立ち位置はどこにあるのかを再考しよう

 このような話は、どんなかたちであろうと、印刷媒体の強みを発揮できる分野が存在することを示してくれる。電子媒体をベースに時代の波は進んでいるが、原点に戻って「印刷媒体は大事だ」と見直してくれている分野がある。印刷業界はこれまで「電子媒体にどう対応すべきか」ばかりを考えてきたが、本来的な重みをもっていることに気づかなければいけない。残しておくべきストック情報、一時的に使うフロー情報を峻別して、印刷媒体の強みを提唱していくことこそ、印刷業界が取り組むべき課題である。普段、何気なく使っている「用語」を正確に定義し直してから、これから歩む道を議論してほしい。新しい用語が次々と出てきて、発言する人もいなくなった。印刷業の存在感がだんだんなくなり“埋没感”も否めない。統一感もなく業界関係者を納得させられなくなっている。どの位置、どの角度から問題提起していくのか、どのポールポジションから再出発したらいいのかを、印刷人はもう一度、見つめ直してほしい。


●印刷業界は今こそ印刷を高く評価すべきだ

 東京オリンピックと大阪万博のとき印刷の技術が一気に発展し、業界はブレークスルーできた。次にオリンピックを迎えるときはどうだろう? その頃には「印刷」という言葉がなくなっている?かも知れないのに、印刷媒体、電子媒体がもつ機能、役割、用途についての明確な分析と定義づけが出て来ない。印刷のコア技術、DNAは何か。原点を考えると、出版関係では経典(聖書)や辞書、商印関係ではカレンダー、さらに業務用では名刺などが思いつく。それぞれカテゴリーは異なるが、これらを以て印刷媒体の基盤を再確認できないだろうか? 工夫することにより、新しく、かつ揺るぎないビジネスモデルをつくれないものか? 和紙に毛筆で書いた文書が世界で一番保存できる媒体といわれる。デジタル情報の場合は、媒体自体と表示装置の方がもたない。信号は変わらないのに、装置のコンバージョンに対応していけない。電子媒体は非常に危ないのだ。マニュアルや規定集の類は永く残しておく必要があるからには、千年は保てるという印刷媒体をもっと高く評価したいものだ。


●印刷の強みを生かすかぎり業界は存続する


 印刷のプロセスの将来は明るく、なくなることはない。しかし、コミュニケーションメディアとしての印刷物の役割は低下している。加工業であった過去から脱却し、需要を掘り起こせるような新たなビジネスモデルを「志」をもって発掘していかなければならない――何よりも意識変革を促すこんな内容の論文がWebサイトに載っている。発信元はアメリカの経営コンサルタントだ。印刷の威力を高める生産方式は多種多様にあり、用途も広範にわたっている。だから、印刷プロセスが生き残ることは間違いないと、この論文は冒頭で強調する。だが問題は、印刷物がもっていたコミュニケーションメディアとしての役割が明らかに低下していることにある。そこで考えなくてはいけないのは、印刷の「強み」である。印刷メディアとデジタルメディアを比較して議論するとき、見落としがちなのがこの観点だという。物流(配送・配布)に弱みはあるものの、読み手にやさしい使い勝手やアーカイブとしての保存機能などの強みがある。そう考えれば、印刷物が完全になくなる運命にあるという指摘は当たらない。費用が多少高くても、特定の用途で一定の効果が期待できるかぎり、印刷物は使い続けられるだろうと予言する。


●業態変革に取り組む「意識」「志」はあるか?

 印刷産業は長い間、加工業としてやってきたが、この固有のビジネスモデルそのものがトラウマとなって、印刷会社を苦しめてきたと分析する。加工業としてのビジネスモデルは、受注-製造-出荷-請求という単純な仕事で構成されていて、既存顧客の要求どおりに受注することが使命になっていた。このことがあまりにも強力な“足枷”になり、新たな需要を掘り起こそうという意識、あえて言えば「志」に欠けていたという。このモデルでは次第に社会から乖離していき、陳腐化を免れない。印刷会社自身の存在意義すら脅威に晒されてしまう。自社を印刷会社とみなすことなく、旧来のビジネスモデルを変えながら持続可能な未来を切り開く必要がある。脅威に気づいて、積極的に業態変革を進めている企業は、もはや自社を印刷会社とみてはいない。


●多種多様な業態がある印刷業界をつくろう

 では、印刷のビジネスモデルはどう構築していったらいいのか。印刷会社が経営戦略で成功するには、差別化をはかるしかない。競合他社と異なった事業、模倣されない仕事をすればするほど、持続的な競争優位性が構築できるのだ。その結果、加工業としての従来型の印刷会社は“消滅”するかも知れないが、多種多様な事業形態を備えた新しい印刷会社が生まれることを意味する。その早道は、自社のビジネスモデルを直視し、顧客にどのような価値を提供できているかを把握すること。自ら変化を起こして他の姿に変貌することである。そうすれば、印刷産業に生きる印刷人の数は減ることなく、将来も発展していける産業基盤が維持できる。この論文は「こんな素晴らしいことはないであろう」と結論づけ、そのうえで、仮に印刷業界が、加工業して印刷物を提供するだけの同じような業態の印刷会社だけで構成されたままなら、深刻な未来が待っているだろうと“警告”するのである。
=上記2項の参考資料;Wayne Peterson 「What is the Future of Print?」 (What They Think?)=


●オムニチャンネルの世界で主導権を握る努力を

 アメリカで屈指の大手印刷会社では、自社の使命を「マルチコンテンツのインテグレーター」と呼んでいるそうだ。コンテンツはきわめて重要で、顧客に代わってコンテンツを何らかのかたちに仕上げ、それを消費者に届けることが印刷会社の仕事だと考えている。実際、印刷会社はそのような役割を担うよう顧客から期待されており、印刷会社自身がその中核にあることを意識しなければならないと強調する。印刷会社はフルカラーのデジタルコンテンツを取り扱える専門家になるべきである。同じコンテンツを使って印刷メディアはもちろん、Webなど他のメディアへ展開できることを意味する。例えば、QRコードをパッケージに刷り込んで、製品のPRを動画でWebサイトに流すといった方法が考えられるという。印刷メディアに双方向性をもたせ、顧客を支援していくことが重要である。顧客が消費者について十分に理解し、両者が密接につながるようにお手伝いするのが印刷会社のビジネスだというのだ。印刷メディアの使われ方にもっとインパクトを与え、オムニチャンネルの世界で印刷メディアの威力を高めていく努力が、印刷会社が提供する個々の製品力を強くすると主張している。
=参考資料;Patrick Henry 「Redefining Printing」 (What They Think?)=


以上

「74年間、世界を魅了したコダクロームフィルム」

2014-11-13 14:44:18 | 印刷人のフイルム・フイルムカメラ史探訪

「74年間、世界を魅了したコダクロームフィルム」
印刷人のフィルム・フィルムカメラ史探訪 VOL-3

印刷コンサルタント 尾崎 章

小型印刷原稿はコダクローム

1960~70年代、「印刷原稿用小型フィルムはコダクローム」という指定条件がついていた事を懐かしむ方も多いと思われる。コダクロームは「写真フィルム世界の巨人」であった米国イーストマン・コダックが1935年に発売したスチール写真用・外式カラーフィルムで、コダックの象徴的なフィルムで有った。外式カラーフィルムは現像液中に発色剤・カラードカップラーを添加するタイプでシアン、マゼンタ、イェローのカップラーを添加した現像液で3回の発色現像を行う方式で有った。


コダクロームフィルム


現像済みコダクローム


一方、フィルム乳剤にシアン、マゼンタ、イェローのカラードカップラーを含有させる内式カラーフィルムは発色現像が1回で済む利便性も有り、1936年にアグファ、1942年にアンスコが内式カラーフィルムの商品化を行い世界の主流は内式カラーフィルムへと移行している。内式カラーフィルムは、フィルム乳剤中にカラードカップラーを添加する関係より色の滲みが生じやすい傾向が有り、当時はシャープネス面で外式カラーフィルムと比較して若干劣っていた。

写真製版への依存度が高かった1975年頃までは、印刷原稿として使用されるカラーリバーサルフィルムのサイズは6×6、6×9等のブローニーフィルムが下限とされ、35mmリバーサルフィルムは当該シャープネスの問題も有り不適当とされていた。
この概念は、1960年代後半より普及が加速したダイレクトスクリーニングとカラースキャナーによって解消される事になるが、コダクロームのシャープネスを評価する傾向が高く
「小型印刷原稿は、コダクローム」という指定が一般的となり、更にコダクローム特有の「深みのある色彩再現」を支持する写真家も多く2009年6月の販売終了まで一世を風靡することとなった。



富士フィルム 古森会長さんが営業担当した写真製版フィルム

前述の写真製版技法・ダイレクトスクリーニングは、5~10Kwの高出力キセノンランプ及び業務用ストロボを光源に高感度パンクロマチック・リスフィルムを組み合わせて製版カメラや引伸し機を利用して色分解と網点撮影(網撮り)を同時に行うもので直接網撮り色分解(直網分解)とも呼ばれていた。

ダイレクトスクリーニングは、連続諧調の色分解フィルムの作製工程を省略出来る為にシャープネス面に優れ、35mmリバーサルフィルムの印刷原稿としての用途拡大を実現した。
この新技術に注目した一眼レフ各社は競って自社一眼レフで撮影したコダクロームを使用したカレンダーを作成する等、一眼レフの販促手段としても活用された経緯が有る。
ダイレクトスクリーニングに使用するパンクロマチックのリスフィルム(パンリス)は、当初イーストマン・コダックのKodalith Panが市場を席巻したが、直ぐに富士フィルムが
FujiLith HP-100を製品化して市場シェアを逆転している。
この当時、富士フィルムの製版用フィルム営業担当が現在の富士フィルム・古森会長さんで都内の印刷会社、製版会社への販促訪問を御一緒した懐かしい想い出がある。


ポールサイモンが歌って全米ヒットチャート2位になった「コダクローム」

サイモン&ガーファンクルを解散したポールサイモンが1973年に新曲「コダクローム」
(邦題:僕のコダクローム)を発表、全米ヒットチャートの第二位にランクされる大ヒットになっている。


国内発売レコード「僕のコダクローム」


ポールサイモンCDアルバム


曲の中で「コダクローム、あの綺麗で鮮やかな色合い、夏の緑の鮮やかさ、まるで世界中に太陽があふれているようだ....」と見事にコダクロームの特徴を歌い上げている。
特に「So mama don’t take my Kodachrome a way」(だからママ、僕のコダクロームを取り上げないで)のフレーズが素晴らしい。
2009年のコダクローム販売終了時にポールサイモン「コダクローム」のフレーズを思い出したコダクロームファンは筆者一人では無いと思っている。

一方、富士フィルムは1972年から展開した市場開拓キャンペーン「Have a Nice Day」の一環として吉田拓郎さん作詞作曲のCMソング「Have a Nice Day」が話題になりコダックと富士フィルムが歌の分野でも対決する展開となった経緯が有る。
カラーリバーサルフィルムから撤退したコダックと、写真フィルム文化が有る限りフィルムを供給すると古森会長がコメントする富士フィルム、写真フィルム支持者には心強い限りである。


富士フィルム・リバーサルフィルム Velvia100、Provia400X


以上