山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

27番 神峯寺

2016年08月21日 | 神社・仏閣

 道の駅キラメッセ室戸から安芸行きのバスに乗り、唐浜で下車。

バスを待つ間、カウボーイハットのシニア男性が話しかけてきて、バスの中でもしつこい感じで不快になりました。

唐浜で降りるとトイレがあり便利です。

27番 神峯寺へは山道を往復することになるため、麓のお土産屋さんでリュックを預かっていただけるようですが、何となくそうしませんでした。

村の方が、遍路で怖いことなかった?と聞いてきたので、ありませんと答えたのですが・・・

その後またあのカウボーイハットの男性が追いついてきて、しつこくしてくるので、これからひとけのない山道を歩くのを恐怖に感じるほどでした。

私は車道を歩くことにきめ、ひたすらアスファルトを小走りに上りました。

高知に入ると、登った道を降りるという往復が多くなるため、歩き遍路の女性はできるだけ年齢や顔がわからないようにしたほうが安全かもしれません。

やっとたどり着きました。

お勤めを終えた歩き遍路さんが「野営で遍路しているの?」がいきなり挨拶だったので笑。

「僕野営だけど、荷物の量おんなじだよ。野営じゃないのなら何が入っているの?」また笑。

「頑張ってね~~」と励ましを頂きお別れしました。

彼は、逆回りをしています。

私の顔がこわばっていたのか、少しの時間、和ませていただきました。

何としても、あのカウボーイハットが追いついてくるまでにお寺を後にしなくては!

神峯寺は邪心を持った人は先に進めないという第19番・立江寺に続く土佐の「関所寺」。
厳めしい関所寺にふさわしく、630mの神峯山・山頂付近にあります。

神峯寺の始まりは神功皇后の時代と伝わっています。
神功皇后が三韓征伐の折、戦勝を祈願して天照大神をはじめ諸神を祀り、のちに行基が十一面観世音菩薩を刻み、本尊として開基。

後の大同4年(809年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願に奉じて、弘法大師が諸堂を整え、四国霊場・第27番札所に定めたそうです。

水子地蔵尊横に湧き出ている水は、「神峯の水」と呼ばれ、土佐名水のひとつ。

境内も小走り

不動明王が凄い貫禄ありますね。

山の上から海が見えます。

カウボーイハットが追いついてきて、私のほうを見ているので、足早にこのお寺を立ち去りました。


不動巖と室戸岬

2016年08月20日 | ドライブ

金剛頂寺から山道を下り、おかみさんが必ず行きなさいという不動巖へ。

 不動巖の傍にはバス停があります「野村不動」

彼の書いた「三教指帰(さんごうしいき)」によれば「室戸で勤念す」と記され、彼が室戸岬や行当岬を含む室戸地方の雄大な自然環境の中で修行したことがわかります。 

 この不動堂は明治初期まで四国霊場第26番札所金剛頂寺が女人禁制だったために女性が入山できず、このお堂で代わりにお参りをしたとされていて、今でも女性遍路が立ち寄る場所(金剛頂寺の飛び地境内)として人気のパワースポットとなっています。
このお堂の裏側には不動巖がそそり立ち、そこにはアコウなど希少な植物が群生しています

 不動巖(ふどういわ)は青年空海の聖地を慕う修行僧たちの修行道場であり、岸壁にしがみつきながら断崖や巨岩を廻る「かいさはり」などの行をした場所とされます。

巖には小道の後が残され、海に向かって二つの洞窟が空いています。


西の窟は「籠り堂」として空海が修行をするために籠った場所とされます。
現在の洞窟の入り口は中に入り易いように岩が加工されていますが、岩の隆起は十分過ぎるほど確認できます。

この大海原のダイナミックな景観は感動的です。

この地で修業されながら、そこには空と海があるのみで、そこから「空海」と名を改められ、その後自身のお名前を変えることは二度となかったと、あるお寺の住職さんが朝のお勤めでおっしゃっていました。

断崖絶壁の向こう側(真下側)に見える御座石は、空海が実際に座って修行したとされる座石です。

次の27番神峯寺までは金剛頂寺から徒歩30キロ。

バスを使います。

ただし、この不動巖にはトイレがないため、道の駅キラメッセ室戸まで歩き、そこからバスに乗りました。

 

 

 

 


金剛頂寺 宿坊

2016年08月19日 | ホテル・宿

一番初めに古民家の宿を予約したのですが、その後ネットで「金剛頂寺は料理が最高!」との評価があり、興味がわいたため、宿坊に泊まることにしました。

まず玄関でインターフォン越しにご挨拶。

中に入って記帳して待っててくださいとのこと。

このやり取りが、一部のお遍路さんの中で「対応が悪い」などとネットで書かれていますが、ただ座って待てばよいだけのことです。

そんな長々と待たされるというわけではありませんから。

おかみさんが一人で仕切っておられるようですから、致し方ないと思います。

暫く待ってお部屋に案内されました。

まるで温泉旅館に来たようなお部屋です。

窓からは緑が沢山で、遠くに海も見ることができます。

気持ち良いですね。

私の好きな百合の花から、よい香りが部屋に漂っています。

宿坊でありながら、こういう心遣いを頂くなんて、うれしいですね。

他のお部屋もこんな感じです。 

お風呂は時間が決められています。

この日、宿泊した女性は私だけなので、お風呂ひとり占めでした。

食堂

この料理のほかに、テーブルには数種類のおかずが並んでいて、自由に頂けます。

私の好きなトコブシの醤油煮が大皿に山のようにあったので、気が済むまでたくさんトコブシを頂きました。

大満足です。

が・・・

おかみさん、次のおかずを持ってきたではありませんか!!

この「まぐろ」が本当に美味♪

脂がのっていて、トロ~っとして♪

宿坊なのに、このフルコースは、豪華すぎます!

朝ごはん

朝もおかずを自由に頂けます。

夜も朝も、私とY先達と男性の歩き遍路さんと3人だけでしたので、遍路話をしながら食事しました。

Y先達は逆回りをされていて、高知はいつも鰹ばかりがおかずで出てくるのでうんざり。徳島入りしたら鰹を見なくて済むから嬉しい、とおっしゃっていました。

その日は少ない人数だったため、良いお部屋に通されたけど、混んでいる日は基本二人以上であのお部屋であって、ひとり遍路さん用は別なお部屋に通されることが多い、とY先達はおっしゃっていました。

食事もお部屋も良くて、大満足の金剛頂寺宿坊でした。

それにおかみさんのお話が勉強になりました。

 

 


26番 金剛頂寺

2016年08月18日 | 神社・仏閣

25番津照寺から26番金剛頂寺まで、徒歩4.5キロ。

山道をひたすら登ります。

誰ともすれ違うことがなかったのですが、突然男性の歩き遍路さんが現れて、驚いてしまいました。

お話したいみたいで、野営で歩き遍路していること、逆打ちをしていること、など話してくださいました。

これから公園とか野営できるとこ、ありそうですか?と聞かれ、確か途中に公園ありましたよ、と答えて別れました。

私のように宿をすべて決めているのも、ある意味無理しないといけない面もありますが、野営というのも、お遍路道にキャンプ場などないし、毎日そういうのに似た場所を探すのは大変だと思いました。

やっとたどり着きました。

金剛頂寺は嵯峨天皇の勅願により、大同2年(807年)弘法大師が開基しました。
大師が刻んだ本尊の薬師如来像(秘仏)は完成と同時に自ら扉を開けて本堂に入り鎮座したといいます。

平安時代には、現在の室戸市の大部分を寺領とするほどの大寺院だったそうです。

山門

室戸岬の最御崎寺を「東寺」と呼ぶのに対し、行当岬にあるこの金剛頂寺は、「西寺」といわれています。

一粒万倍の釜

癌封じ

大師堂

霊宝殿には弘法大師使用の旅壇具や金銅製の密教法具、朝鮮高麗時代の銅鐘、木造阿弥陀如来座像、板彫り真言八祖像、高知県最古の仏像銅造観音菩薩立像のほか多数の国指定の重要文化財が残っているそうです。

この日は、この金剛頂寺の宿坊に泊まります。

高知に入ると、山や長い階段が多いです。

 

 


25番 津照寺

2016年08月17日 | 神社・仏閣

24番最御崎寺より徒歩6.5キロ。

国道55号線をひたすら室戸方面まで歩きます。

途中、ヤマザキショップがあってトイレが助かりました。

弘法大師が大同2年(807年)、この地を訪れたとき漁業と海上の安全を祈願して地蔵菩薩を刻んで本尊としたのが寺の始まりです。


江戸時代には藩主山内家の帰依を受け栄えました。
明治になり神仏分離令で一時廃寺となりましたが、すぐに再興されたそうです。

階段を上ると本堂があります。

慶長7年(1602年)、土佐藩主の山内一豊が室戸沖で遭難しかけていると一人の僧侶が現れ、船の楫を取って無事港まで案内したそうです。
僧侶は消え、津照寺のご本尊が海水でびしょ濡れになっていたため「楫取地蔵」と呼ばれるようになり、海上安全と豊漁にご利益があると、特に漁民から篤く信仰されているそうです。

津照寺は、室津港を見おろす小高い丘の上にあります。

大師堂は階段の下です。

こちらで納経を受けることができます。