山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

阪急交通社企画 西国三十三観音第1番青岸渡寺と那智大社

2019年05月14日 | 神社・仏閣

JR奈良駅3日目の朝。

阪急交通社の西国三十三観音バスツアー2日目は、出発場が始発の為、7時20分出発。

西大寺駅、近鉄生駒駅を経由して、1番青岸渡寺に向かいます。

その日は前日とは違い、 1ヶ寺しか回らず、トライアル価格で参加できる気軽さもあってか、バスは満席でした。

西国巡礼が初めてという方も居られるので、その日は添乗員さんも先達さんも、素晴らしいプロフェッショナルな方々で、たくさん勉強になり、とても恵まれた1日を過ごすことができました。

和歌山は高速道路が伸長してきているので、近い将来には巡礼ツアーで海辺の道路を通ることはなくなるそうです。

串本町のあたりでは、海岸線の奇石が見えました。

かつて日本最南端の潮岬で、2泊3日のキャンプをしたのを思い出しました。

キャンプをしていたら、地元の方の用心のための通報で、念のため逃亡犯かどうか警察さんが巡回に来て、身元確認された記憶があります。

つまり、田舎なんですよね。

海で泳いだり、バーベキューしたり、楽しかったなぁ~、まだ若かったし。

 

なんて悦に浸ってもいられないのが、隣の席の大阪のYさん。 

初対面でしたが、多分、誰がどう見ても友達同士で参加したとしか映らないと思います。

乗りこんでくるなり、いきなり深い話から始まって、話が止まらない!

もう、止める事なんてできないです。

そうしてずっとふたりでおしゃべりしてました。

「言葉が堅苦しい感じやで、ずいぶん丁寧やと思ったんやけど、そなの~、東北の方?

そな感じにみえんやがなぁ~。

へぇ~、奈良じゃないの?」

もういいわ~この際、標準語はやめて、その場のノリの語尾で行こう、と思った私でした。

(今までの私)×そうですか。そうでしたか。よくわかります。

  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

○そなのね。わかるわぁ。

関西語は慣れてくると耳に優しいし、語尾が下がらないので、会話が分断されないのが良いところです。

途中、和歌山の梅干し工場でバスが停まり、お土産&トイレ休憩のあと、お弁当を渡されました。

さらに途中、かまぼこ工場さんでトイレ休憩して、やっと、

第一番札所青岸渡寺(さいがんとじ)に到着しました♪

 

山門の仁王門。

実方院跡。

本堂までは467段の階段があり、両側にはお店が並んでいます。

お手水場。 

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されている青岸渡寺は、天台宗の寺院。

4世紀の仁徳天皇の時代、天竺の僧が那智の大滝で修行を重ね、滝つぼで観音菩薩を感得し、安置したのが寺の始まりといわれています。

その後、奈良の生仏上人がこの地を訪れ、如意輪観世音菩薩を彫像した時に、先の観音菩薩を胸佛に納め、本堂が建立したそうです。

その後、花山法皇が1000日熊野の山中に参籠され、永延2年(988年)青岸渡寺を一番にはじまり、三十三の観音霊場を巡礼されたことから、西国三十三所の第1番札所となったそうです。

 現在の本堂は、織田信長の南征にて兵火にかかった後、1590年に豊臣秀吉によって再建されたもの。

那智山は熊野三山の一つで、那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離。

寺院と神社は隣接しており、双方を参拝する人が多かったです。

 熊野那智大社。

 

拝殿。 

ご祭神「熊野夫須美大神」の御神徳により「結宮(むすびのみや)」と称され、人の縁だけでなく諸々の願いを結ぶ宮として崇められているそうです。

御縣彦社。

八咫烏をお祀りしています。

桜がまだ残っていました。

この桜は「秀衡桜」と伝えられています。

熊野詣の盛んな時代、奥州の藤原秀衡も夫人と共に熊野詣をし、その時奥州から持ってきた山桜とされています。

4月の20日頃に雲か霞かと疑われる程に真白く美しく咲くこの桜は、県指定の文化財になっているそうです。(写真撮影は4月22日)

巨大なおみくじにチャレンジ♪

出た数字を社務所に言うと、おみくじが渡されました。

中吉でした。

「中吉は一番ええよ。大吉は良くないよ。先が無い気がするしな」

とYさんが励ましてくれました。

やっぱり、不思議だなぁ~、Yさんと今日初めて知り合った気がしないんですよね不思議。

熊野那智大社では拝殿と八咫烏と大黒天のご朱印が頂けます。

大黒天さんは、梵鐘の横のお堂にお祀りされていました。



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