山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

お四国病 私のカルテ

2017年07月26日 | 神社・仏閣
「お四国病」になってしまった私ですが、罹患した原因について考えてみました。
 
*出会いの素晴らしさ
途中まで歩き遍路で一緒した0さん。
焼山寺から次の寺まで一緒に歩いたY夫妻。
T先達とは7番から23番まで一緒に歩いたり、一緒の宿だったりと。
焼山寺山頂で待っていてくれたMさん。
台風上陸時歩き遍路だった私を助けてくれたS先生。
本当に皆さんの事は忘れないし、今も繋がってくれている方もいます。
 
*お接待 
辛い時も楽しい時も、気軽に声をかけていただき、その都度助けて頂いたり、頂き物をしました。
特に15番さんに歩いている途中「お遍路さん」と声をかけられ、小さなちいさな手に握った飴をお接待頂いた事は、感動のあまり涙がでそうになりました。
今も食べることなくテーブルの上にあって、時々思い出してます。
  
*焼山寺と鶴林寺
藤井寺から12番焼山寺までの歩き遍路は、山を3つ越えます。
数日分生きるための重い荷物しょって、よく頑張ったと思えます。
 
鶴林寺から太龍寺にかけての自然美は素晴らしく感動的でしたが、山頂付近でビーチサンダルでピョンピョン下っていく青年とすれ違ってから、足が一歩も動かなくなって、時間だけが過ぎて・・・あれはなんだったのか今でも不思議としか言いようがありません。
 
*金剛福寺と足摺岬
途中までバケツをひっくり返したみたいな雨だったのに、金剛福寺に着いた時には雲一つなく晴れ渡り、足摺岬があまりにも美しくて感動しました。
 
*仙遊寺宿坊
ご住職さまのお話は感動的で涙が溢れ、奥様が遺したレシピの精進料理が感動的でした。
 
*達成感
88番から1番さんにお礼参りした時、感動と達成感等で涙があふれて止まりませんでした。
泣くほど頑張った経験は、大人になってからこの時(お遍路)以外であったかと?
自分がちょっぴりだけ強くなった気がしました。
 
*笑顔
沢山の方から、たくさんの笑顔を頂きました。
知り合いのお遍路さんと再会した時。
たくましくなった逆遍路さんからの励ましの笑顔、。
もしかして野宿しているの?その荷物の量は??」と辛い歩きの時に山門で笑わせてくれた野宿遍路さん。
新居浜のレンタカーの明るいスタッフさん。
宿坊のスタッフさんのお見送り。
ホテルのフロントさん・・・。
 
*戦う自分
本当に辛すぎて涙が自然と溢れながらも道を歩く。
そんなに自分は強かったかなぁ~?と少し自分が好きになる瞬間。
 
*寂しくなんかない
「同行二人」って、たてまえだと半信半疑で1番を出発した私ですが、すぐにそれが本当の真実だと気がつきました。
本来、寂しがりで甘えん坊の私が、お遍路の時だけはなぜか寂しくないのが不思議。
滅茶無理しても、大丈夫という不思議な感覚に守られていた気がします。
 
*四国の空気
私の住んでいる土地と比べると、湿度はほぼ気になりませんでした。
清らかで、時々青い海が見える場所があるので癒されます。
 
*幸せ感
結局最後に自分に残ったのは「幸せ=生かされている」と感じたことです。
普段の生活の中で「生かされている=幸せ」と逆にしても同じ結論のはずですが、実際の日常生活ではそういう考えにはなかなかならなくて、「もっと〇〇が欲しい」という欲望が付いてくるのが本音というもの。
〇〇とは、休日がもっと欲しいとか、もっと高い給与が欲しいとか、もっと楽になりたいとか・・・もうキリがないくらい。
お遍路の時はシンプルに「幸せ=生かされている」という感覚しかなかったです。
本当はご当地グルメとか楽しみたいものですが、車遍路ではほとんど非常食を食べながらの運転でした。
 
 
ざっとまとめましたが、必ず個人差がありますので、鵜呑みにはしないで下さいね。
 
四国遍路したことがないと、本日の話題はなかなか理解に苦しいと思います。
「宗教にのめり込んでるんじゃない?」とか、「遍路に行く時間があるなら、ロフト片付ければ?」などなどと家族から非難されることもあります。
だから「お四国病」なんですよね。
それに罹ったひとじゃないと、なかなか理解し難いと思います。
 
「今年の夏は海に行ってキャンプしようか?」と言っていた私がいきなりこう(四国遍路)ですから、家族にそう言われても当然だと思います(笑)。。。
 
 


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