四国をお遍路していると、巡礼は奥が深いとつくづく感じます。
四国巡礼88か所と思われがちですが、お寺によって「奥の院」と呼ばれるお寺さんがあったり、四国別格霊場もあるし、四国36不動霊場もあるし、もうキリがないんですよね。
4年前歩きで四国の徳島を遍路して、2番さんから3番さんに向かっていた途中で立ち寄った「愛染院」さんですが、その時は3番さんの奥の院とはその時は知らなかったんです。
その時、境内で可愛い猫ちゃんがお迎えしてくれました。
私は、お遍路の場所じゃないんだ、と思って納経場にも立ち寄らず、でも納札箱があるので納めただけで、今思えば大変失礼なことしたなぁ~、って思ってます。
それで猫ちゃんのために「チャオチュール」を買って、お参りしました。
本当に逆遍路って、道の印象が全く変わるんですよね。
わらじの仁王門。
仁王門では、右でも左でもどちらからでも良いのですが、おのおのに合掌します。
お参りさせていただきます、の心で。
愛染院は、高野山真言宗。
本尊は不動明王で、別名「那東のお不動さん」とよばれているそうです。
伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師がこの地に霊気を感じ、みずから不動明王を刻み、ここに本尊として安置したのが始まりと言われています。
明治・大正時代までは「阿弥陀寺」と呼ばれていましたが、大正10年に四国21番札所太龍寺の境内にあった「愛染院」と合併し、現在の寺名となったそうです。
天正10年(1582年)長宗我部元親の阿波進攻に際し、中富川の戦いにおいて討ち死にしたと伝えられている、この地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟が祀られているそうです。
そしていつのころからか、この廟に参詣すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになります。
信濃守が履いていた草鞋の紐が切れたために戦に負けてしまったという言い伝えのためか、治癒した信者は当院に草鞋を奉納する習わしがあり、赤澤信濃守廟と仁王門の前にはそれぞれ大わらじが奉納されています。
全国的にも珍しく、四国ではここだけの「刷毛書き」の納経を頂くことができます。
ご住職が不在の場合は書き置きの納経を頂けます。
ご住職様がおられたので、貴重な刷毛書きを頂くことができました。
本当にありがたいと思いました。
書くのは相当難しいものと推測します。
頂く前に「四国3番じゃないけど」と念を押されました。
お四国の納経帳には、最後のほうに白紙の紙がありますから、私はそこにいただきました。
大きい納経帳のほうが迫力がありますよ。
まるで梵字が飛び出て見えるような凄さです。
でも刷毛書きは繊細なため、紙質によって変わってくるそうです。
4年前に私が会った猫ちゃんは、残念ながらもう、身を消してしまい、数年前から姿を見せなくなったとのことでした。
そうでしたか・・・。
でも、こうして君のために会いに来れてよかった。
猫ちゃん、本当にありがとうね。
合掌