山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

慈眼寺 護摩祈祷

2018年06月02日 | 神社・仏閣

仙台市太白区秋保にある「慈願寺」では、毎月2回(第1・第3日曜日)に護摩祈祷の修法に参加できます(無料)。


毎回午前9時から札所にて、一人様一枚の整理券を配布。(予約不可)

午後12時45分までに護摩堂前に集まり、番号順に入堂となります。

駐車場も広く、トイレもあります。

憩いのスペースもあり。

「慈眼寺」の住職さんは、塩沼亮潤大阿闍梨。

昭和43年に仙台に生まれ、昭和62年に吉野山金峯山寺で出家得度。

平成3年に「大峯千日回峰行」入行し、平成11年に「大峯千日回峰行」を満行。

平成12年に「四無行」を満行され、平成18年に「八千枚大護摩供」を満行されます。

と、さらりと書くとよく解らないですよね。

では、それらはどんな「行」なのか?

「大峯千日回峰行」とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂(354m)から24㎞先にある山上ヶ岳(1719m)頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355mある山道を往復48㎞、1000日間歩き続ける修行。

年間4ヵ月を行の期間と定めるので、9年の歳月がかかります。

行に入ると毎日19時に就寝、23時30分の起床と共に滝行で身を清め、装束を整えて午前0時30分に出発。
道中にある118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けます。

持参するものはおにぎり2つと500mlの水。これを食べ繋ぎながら山頂到着8時30分で、帰山するのは15時30分です。
1日16時間歩き続け下山してから掃除洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行者自身がするため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続くそうです。

「大峯千日回峰行」を満行された方は、奈良県大峯山1300年の歴史のなかで、塩沼亮潤大阿闍梨で2人目。

「四無行」とは、断食、断水、不眠、不臥を九日間続ける修行です。 これは、食べず、飲まず、寝ず、横にならずこの4つがないということで四無行といいます。
四無行は大変危険な行で、無事生きて行を終える確率が50%といわれています。

行に入ると、食べない、飲まない、寝ない、横にならないだけでなく、毎日午前2時に仏さまにお供えするお水を片道200メートルほど先の閼伽井戸まで汲みに行きます。

そして一日3回、本尊様の前で密教を修法し読経します。

その他の時間は、不動明王のご真言を10万遍、さらに蔵王権現のご真言を10万遍、計20万遍のご真言を数珠と石を使い数えながら唱え続けるそうです。

「八千枚大護供」とは、100日間五穀(米、大麦、小麦、小豆、大豆)と塩を断つ前行の後、24時間一昼夜飲まず、食べず、寝ず、横にならずで八千枚の護摩を焚き続ける行なのだそうです。

すごいなぁ~と思います。

想像さえできませんよね。

 

さて、本堂には、蔵王大権現、不動明王、大日如来が奉られています。

本堂に入れましたので、座って般若心境を唱えました。

写経の納箱もありました。

札所にて納経帳も受け付けして下さいます。

護摩祈祷の参加のための整理券を頂きました。

座って護摩木を書くスペースがあります。(護摩木300円)

願意一つに1本です。

私は1つのお願い事を納めました。

護摩祈祷の申し込みは、当日の午後12時40分までで、その後の申し込みは、次回の護摩修法日に祈祷頂けるそうです。

千手観音堂。

さて整理券を頂いてからは、秋保周辺でぶらぶらと時間を過ごしました。

 

護摩祈祷の時間が近くなり、お寺に戻ると護摩堂の前にたくさんの人たちが集まっていました。

十番単位で呼ばれ、中に入れます。

始めの番号の方たちは、塩沼亮潤大阿闍梨のすぐそばの席に座ることができます。

護摩祈祷が始まると、時々、木がパチンとはじけて火の粉を出す時があります。

火の前の塩沼亮潤大阿闍梨の後ろ姿を見ると、首筋に一滴も汗が流されないので、ビックリしました。

ひたすらお経を唱え、ひたすら不動明王のご真言を唱えるという、とても摩訶不思議な体験でした。

心がすごく高揚して、行が終わるととてもスッキリした気分になりました。

皆様どういう思いでこの護摩祈祷の修法に参加されているかはわかりませんが、毎回参加されている方もおられるようです。

護摩木等が終わると、塩沼亮潤大阿闍梨の講話があります。

 

お堂から出ると、塩沼亮潤大阿闍梨が見送ってくれますので、皆さん握手されて感謝の気持ちを述べていました。

私も握手させて頂いたのですが、過酷な行に命をかけ満行されたというイメージとはかけ離れた、柔らかくしなやかなお手をされていました。

お傍で見る、塩沼亮潤大阿闍梨の笑顔が、あまりにも穏やかで、印象に残りました。