ヴァイオレット・エヴァーガーデン
第13話 自動手記人形と「愛してる」 とまとめ ○
「感情表現の乏しい娘を無理矢理1作品かけて笑わせる」とか
すっかりやらなくなったよねえ、で視聴している側は号泣、という筋。
オッサンはそういうのが流行っていた時期もすごしていたから
それほど涙腺も緩まなかったが、ポプテピピックがクールに映るような
ヤングメンたちにはこいつは刺激が強すぎたかもしれん。
「人形(ドール)」とか「義手」とか「取り替え可能」をにおわせながら
全くもって取り替え不可能なおはなしをしているのだから
こいつはとんでもない嘘吐きといえるかもしれん、それを言うなら
手間暇かけてこさえた「異国感」、仕事に対する執拗な義務感
そして「戦争」と「愛」という概念そのものももはや当邦では
全く「流行らない」ものになってしまったものの総体で当作品は成り立っていて
そしてそういう「こわれもの」を視聴者のゲスな視線から護るために
宝石のように堅固な外装で護られている、というのが当作品のつくり
ということなんだろうとおもう、「宝石」は綺麗なのでそれでよいということだ
しかしここまで「希少性」を主張して胸ぐらをつかまれたら
「アニメなんて適当に無料で視聴してりゃいいや」というボクみたいな輩には
いささかの居心地の悪さを感じぬでもないね、そしてそういった自虐をも
たまさかに愉しんでいる、ということだ。
印象に残ったとこ
おそ松さん 19話 「バレンタインデー」 より
去年の「クリスマス」回の時におとらぬ御乱行ぶりw
いや、むしろそれを越えていたかもね、なにせ「兄弟」で
チョコを渡しあっていたのだから、クリスマスもそうだけど
実物の「贈呈」が発生する時にいろいろと「やりやすく」なるのだけど
そういう時にもっとも自分が「社会」から「ハブられてる」
とわかるわけで、それを「6つ子」として傷をぺろぺろお互いに
ナメあっているのが心底「みじめ」なんだよなあ。
オーバーロードII 第3話 集う、蜥蜴人 より
というかトカゲ族との戦い全般かねえアインズ側も魅せるけど
それに「弱者」なりに果敢に立ち向かう姿が「滅びの美学」を
感じさせるぐらいにしあがっているかとおもう
「戦争を弄ぶ」とかヒデーはなしだけど、いいんです
「ヒデーはなし」なのだから。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第10話
「愛する人は ずっと見守っている」 より
「50年分の手紙をしたためる」とかまさしく「愛」のみによって
為せる業といえよう、そしてそのチカラによってひとりの女の娘が
恋をして、結ばれて、そして子供を持つまでになるというのを
説得力をもって提示できるわけでその「時を越える」という
偉業を成し遂げているわけで、まあ敬服するしかないね。
声優部門
男性の部
平田広明さん
(近藤正己《恋は雨上がりのように》
ツブヤッキー《タイムボカン 逆襲の三悪人》)
「いい大人」ですよね、オツムがそこそこよい人が
社会にでてそれなりに苦労してそれなりに人格が陶冶された、という
けして希少ではないけれどみんながそう、というわけではないそういう人
ただしそれを「演じる」ことができる人はさらに希少ではあろうけど。
女性の部
高橋李依さん
(高木さん《からかい上手の高木さん》・斉藤恵那《ゆるキャン》
ゼナ《デスマーチからはじまる異世界狂想曲》)
もう「からかい上手の高橋さん」でいいじゃないか、というw
冗談じゃなくてある個人をプロデュースするやり方として
最も成功する例なんだろうねえ。「あたり役」を通して
しぜんとそれを演じる人に興味をおぼえる、ということだからね
でもまありえりーさんはその割合がとても高いかもしれん。
OP・ED部門
「SHINY DAYS」
ゆるキャン△ OP
これぞアニソンぽっ(以下略)
やわらかいピクトグラムの列挙がそのまま作品の「やわさ」だ
そこに登場するキャラクターもそのままに「やわい」しな
でも「山」はそのままに「かたい」のでキリッとしてる、その対比と
いいとこどりのおいしさ。
Flashback
刻刻 OP
「フラッシュバック」っちゅうタイトルそのままにドラッギーな映像。
ここでは内容の「説明」ではなく「視覚」に訴えかけることが重視される
それもまあ一瞬なら耐えられるっていうケバいシロモノだ
でも大人ならそういうのも嗜んでええんちゃう。
Harvest Moon Night
「ハクメイとミコチ」ED
こういう作品は普通にしれっと朝のキッズが視聴できる時間に放送して
将来の同好の士の為の栄養にしていただきたいw
「収穫祭のうた」が異国風味たっぷりに
2人の歌姫によって豊にうたいあげられている。
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