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意志のなかにいる

コメントあるようでしたらお気兼ねなく、記事に関連があるのが望ましいですね。

薔薇の処女(とこのめ) アニメ感想

2015-10-18 12:57:46 | アニメの感想2015年Season4







機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
第1話 鉄と血と と 第2話  バルバトス △++









最近の「ガンダム」は「富める」ガンダムがデフォだったね
恵まれた環境、恵まれた才能、そして恵まれた「ガンダム」という
エゴイッシュな戦闘ロボット・・・
当作品はまあそれに180度異をとなえているかのようね
才能はともかく「うち捨てられた子供達」という後のない出自
エネルギーすらまともに供給されないガンダム
それらの「ウムのいわせなさ」が目の前で展開している時
僕等は久しく無かった「物語」によってモニタの前にくぎづけに
なる経験を得るであろう、この「飢餓」のものがたりはそういう基調かと。
時代性としてはここ50年間「富める国」としていちおうの繁栄を謳歌してきた当邦も
資本主義のきびしい競争の中でいよいよ「相対的な貧しさ」ってのが
顕わになってきた中でのこの「貧しいガンダム」を視聴しているとでもいっておこう
「ビームなんちゃら」的な光学兵器ではなく無骨な斧でいわすのが
「そういうはなし」をすることへの「鏡開き」の杵のようにもみえる。
あと「ガンダム」らしく「お嬢様」に対して異様にきびしいってのが
「富める者」への露骨な嫌悪となっているのもわかりがいい。












ヘヴィーオブジェクト 第1話 ガリバーを縛る雑兵たち アラスカ極寒環境雪上戦 I
と 第2話 ガリバーを縛る雑兵たち アラスカ極寒環境雪上戦 II △+










「圧倒的高火力」による「抑止的な安定と平和」と
それによる戦闘中における「気まぐれな」残虐性の発露がリアルに描けているとおもう
また現代のアニメーションはそういう「高火力によるスナックな奪命」ってのが
デフォルトで描くことが容易になっていて「Gのレコンギスタ」はそれが最も如実に顕れていた。
ミリンダちゃんがクウェンサーら弱いものを「守ってやってる」って
思っていたのを告白するのが正直で、ひいてはこの物語を信用できるなあとおもえた。
ロケーションがいいね、雪山。あんまし馴染みのある環境じゃないし
金髪の映えるところだ、そこでの雪の踏みしめるおと、爆ぜる音が
この「冷たい戦争」っていうのに説得力を与えている
こういう感じでキャラクターと設定に浮ついたところが少なくて
ハナシにだまされてやろうって気がむくむくおきてくる。











蒼穹のファフナー EXODUS 第15話  交戦規定アルファ △+







「巡礼の旅」ですねしかしまあ、ヨーロッパで今シリアなどからの大量の「難民」が
押し寄せていててんやわやになっているのを見るにつけ
この旅がどれだけしんどいか、ちょっと想像にあまるものではあるね
そしてその「想像に余る」ものこそ本来創造しなければならないものである。
金ピカの苛烈さは相変わらずでこれは終局をむかえるまでは(あるいはそこまでいっても)
止まないものであるとおもう、彼等は「試練」を与えて「人間」の果てを知ろうとしているね
でもそれによって「悲劇」が起きるのではなくて、同じ「人間」の側からの
「狙撃」によるものなのが今回のおはなし、それもこれも「交戦規定アルファ」
っちゅう「味方以外は皆殺し」っちゅう無茶苦茶な設定をこれでもかって
ぐらい説得力を持たせるハナシをしてきたからねえ、まホント先が読めないね
いやそういう安全面して愉しませるってのが嫌だったのか。










アクエリオンロゴス 第15話  嗚呼!青春の日々 △(+)









「死語」と一緒にオトナ達が通り過ぎていったモノがたまさか甦って
いるのを見るときの、なんというか気恥ずかしさよなあ
それを愉しんでいる時はそれが何なのか、よくわからなくて
それを愉しんだ後に忙しいオトナになるとそのくだらなさが判るという皮肉
花嵐ちゃんが「私たちには懐かしむべき過去すらないんだよ!」というのが
まさしく若人の主張、オトナがそれを邪魔する無粋は、ないわな
ぶっちゃけありえな~い。







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猫なんて飼ってないだろ (アニメ感想)

2015-10-15 02:33:09 | アニメの感想2015年Season4






進撃!巨人中学校 第1話 
入学!巨人中学校 と 第2話 追跡!巨人中学校 △+








いきなりセルフパロディのOPの質の高さが笑いを誘うw
と、同時に「紅蓮の弓矢」がどんだけ凄かったのかを再認識
こうやってディフォルメのキャラクターを経済的に動かすのも
当邦の得意とするところで、悪く言うとこの「絞りかす」を
別の味を付けて2番目の茶をうまいうまいと飲んでいる、ということだ。
しかしまあアレですよね「食糧事情」です
人間「の」食料を食う「巨人中学校」と人間「が」食料の本編の「進撃の巨人」と
ちょっとした字面の違いなのにえらい差になることよな
サシャがおにぎりを食っている時点で何となく安心感があるよね
逆に食料とか飲み物に「限り」があるゲームがどれだけしんどいか
やったことのある人はわかるとおもう。




あ、例によって「実写パート」は評価の対象外です








おそ松さん 第1話 ふっかつ おそ松くん と 第2話  就職しよう/おそ松の憂鬱 △+







ねえ、SOXしてよ






あれっすよねもう半ば「神話」と化した「記号」をどういじるかのとまどいと
正面から向き合ったらどうしてこうなってしまったのかw という「笑い」
50年も前のデフォルメのまんが画と現代の等身のあがったアニメ的リアル志向の
接点の無さがいっそ笑いにまで昇華しているといえんくもないね。
・・・というふうに1話目でトンパチやっておいて2話目からは
シニカルな笑いで攻めてきて、おそらくはこちらが「本筋」だろうし
元の「赤塚不二夫」的「ジョーシキ知らず」的なそれに近いかもしらん
「6つ子の入れ替わりネタ」とか、ベタだけど(たぶん50年前にもやってるはず)
「1人10分しか働けない」っていう駄目人間ぶりもわかるし
現代ってのは「個性」ってのを「労働力」に換算して全て均等に押しつぶしていく
っていうメッセージが籠められていると勘ぐることもできなくもない
でも、給料も6等分なんだが、そんな薄給で大丈夫か?











ゆるゆり さん☆ハイ!
第1話 それは、すなわち、娯楽の始まり と 第2話 さぁおびえるがいい △++









「なちゅやすみ」もあったためか、もう息をするように普通に始まった印象
「ゆるゆり」は原作も面白いけどアニメーションではさらに活き活きとしてるねえ
ちなつちゃんがはっちゃけたり、腕相撲したり、花子が高いところのボタンを押そうとしたり
ホットケーキを焼いてたり、質が高い、もちろん「ゆる百合」なとこも。
これは作り手側が原作に愛着があって「漫画」で割愛される「間」も
ありありと動いて見えるから、なんだとおもう
私たちはこの愛すべきじょしちゅーがくせい達の詳細な観察動画を
拝見させてもらっているというそんなところやね。









ワンパンマン 第1話  最強の男 △+








オトコノコなら誰しも「最強の男」に一度は憧れるもので
そして一度は挫折するものなのね、その後は「そう思っていた頃がありました」
って苦笑いしながらオトナになっていくものなのだけど、オトナになっても
時折、ふっと「最強の男」になりたい欲求がもたげる時があって
さりとて明日の平凡な毎日も捨てるわけにもいかず、といった悩み。
この「サイタマ」という最強の男はそういうボク達もうオトナになってしまった
元オトコノコがそのままに漫画になってしまっているというそういう
「等身大」の「偶像」なのよね。
ところで初っぱな3分で殺されたワクチンマンの中の人ってフリーザ様だよねえ
笑いを誘うのはもちろんのこと、「フリーザ様」は「最強」を扱うモノにとっては
避けては通れない「敵」であることを考えると、なかなか意味深ではあろう
当然だけど「最強」を証明するには「敵」を力を入れて描かなければならず
(もちろん味方も)、ワクチンマンの後の「地底人」も「蚊」も
非常に力を籠めて描かれていて、作り手側もよく理解しているとおもう。










ご注文はうさぎですか?? 第1話 笑顔とフラッシュがやかましいこれが私の自称姉です △++








笑顔、です







「妹の笑顔を見る」為に30分費やすとは、なんとも贅沢なおはなしよな
でもそれに耐える細部と極大ぴょんぴょんキャラクター陣だ
「雑誌の紹介」っていう「2期」を始めるにはうってつけの回だけど
半年から1年の休みをはさんで2期をやるってのが恒常化したアニメ界隈だと
こういう「つなぎ」によいハナシをもってきてやるのが年々上手くなっているね。
「笑顔」をつくろうと苦労しているチノちゃんがかわいいそして
ココアをはじめとして全力で協力してくれる周りのみんなも優しく、かわいい
そういう「やさしいせかい」をにっこにっこにーしながら視聴する時間が
オアシスのようにボク達の乾いたココロをうるおしてくれるのだ。











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底辺からはじめよう (アニメ感想)

2015-10-11 22:26:39 | アニメの感想2015年Season4







ランス・アンド・マスクス 
第1話 本物の騎士なのだ と 第2話 その覚悟があるのか △(+)









「騎士道」って神経が当邦においてどれぐらい真に受けられるかってのは
まあ当作品を見ればある程度推測がつく、とか言ったら言い過ぎか
まあ「なんちゃら道」とか言ったらもうそれだけでうさんくさいやね
ま、そういう「うさんくさいハナシ」を処理するのも当邦のアニメも
ずいぶんやってきたからこういう所に落ち着いたというとこか
こっから幼女が非道い目にあったり、人道に反した展開になったりは
しないんだろうねえ、最近はそういう「やり方」もあるから
結構不安だったけど、こいつは安心二重丸です。
エモノを振り回したり、高いところから人が落ちたときの物理処理とか
当邦のアニメイションらしく「軽い」ね。これで「~道」を語るのは
ハードルがかえって高いとおもう、かといって幼女の家族関係のことで
うんぬんするのもなあ、それも真に受けるのもちょっと、ね。











落第騎士の英雄譚 第1話  落第騎士 I △(+)








のっけから「ラッキースケベ」ですね、そのせっかちさが凄い
「テンプレ」ではあるけれどそれをいきなり皿に乗せるのは一手早いかもな
こういう「とりあえずは見るけれども飽き飽きしている展開」ってのは
かえってその人のセンスを問われるってとこかも
「オレも脱ぐ」とか言ったのがこの作品のあり方を拘束しそうやね
「強い」けれども「セカイが自分を認めない」といったうらみつらみ
ってのを架空の物語ではらしているってのが古くてそれゆえに
「単純な動機」としてのつよさが「ライトノベル」っちゅう
「何でもアリ」のフォームにおいて実現しているというそんなかんじ
そこは「模擬戦」で3000度ちゅう鉄が溶けるような温度が発生しても無傷とか
物理学とかへったくれもないのが容認される場でもあろう。










学戦都市アスタリスク 第1話 華焔の魔女 と 第2話 セル=ベレスタ △+









10階近い場所にジャンプして覗きをするという
「世界観の紹介と同時にラッキースケベ」とか、こなれておるw
しかしまあこうまで「女の娘脱がしておけばいい」ってなると
そこでは過当競争が発生しているよね「画」とか「中の人」とか
意識的に無意識的に男共は評価しているわけで、たのしみでもある
しかもそれを気分もあるけれど飽きもせず繰り返すから
作り手側と受け手側のニーズが一致している結果なんだろう
あと「物語」とか「設定」とかにはいくらでも矛盾とか弱点に文句が言えるけど
「画」ってのはかなり訓練された人間でもないと説得力をもって
人に長所・弱点を語り得ないってのもあるかもね、普通に見てる分には
「萌える・萌えない」「好み」ぐらいしか語り得ないから。
あともうひとつのおたのしみ「戦闘シーン」もこなれてるね
現代のアニメーションが提示する無駄が無くて見栄えのする
経済的な戦闘シーンが提示されていたとおもう。












対魔導学園35試験小隊 第1話 「出撃!雑魚小隊!」 △(+)









こうやって見ていると「雑魚」ではなくて「問題児」だけど「無能ではない」なんですよね。
求められてるのは「実行力」ではなくて「連携力」あるいは「他者の理解」という
じゃなきゃ「未熟者」は「戦闘」といういちばん身も蓋もない(そして楽しい)試練の場で
辛酸をなめつくす羽目になるわけで、そういう本当に「底辺」からスタートする
ハナシは書き手側にも受け手側にも大きなストレスになるからまあ有為の人しか
やろうとしないですよね、こういうのは本当にやりたいことを言葉っちゅう
誤魔化しやすい媒介でリーダブルにしているという「いいかっこしい」を
やっているようにも見える。このうさんくさいセカイなら「剣は銃よりも強し」とか
おそらくは当邦のみにおいて通用する「ファンタジー」もある程度は受け入れられる
ものになりうるかもしれないねえ、とまあラノベ的な「約束事」を提示しながら
ヒロインが「殺人者(魔女だが)」であることの理由という「重いとこ」を
提示してきましたね、それが説得力を持ハナシを「雑魚」が出来るかどうか
期待半分、不安半分といったところ。











新妹魔王の契約者BURST 第1話  あなたの為にできる事を △(+)








「2期」なんだから前期よりもーっと過激に・・・っておもうけど
そうなるといよいよ「おくさま劇場」的なことになって
お楽しみは円盤でっていう商法が目に見えているので
ムスコもしょんぼりってハナシなんですよねw
別に「遮光」だろうが「KEEP OUT」だろうが「見せられないよ!」
だろうが何でもいいのだけど、どうだろう「アニメーション」として
その「画」を「オトナの約束事だから」で隠していいやって神経は
心血を注いだ何かに対する侮辱なんじゃないのか、ともおもえる
そういう「ゲージツ家」ぜんとした生き方なんてとうていできないのはわかるけど
まあナメられるのは確かだよね、見る側もナメてるし見られる側も見る側をナメてる。














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