ある魔女が死ぬまで 第12話 私の愛した人たち とまとめ △+
希望の魔女
ソフィが言うように「幸福になるぐらいなら魔法は非効率」
っちゅうことね、「科学」が万人にとってはよい方便で
してみると「魔法」は「ちょっとした幸福」の為にあるもの
のような体裁ではある。ただ、このセカイでは明らかに
「魔法」は個人には過ぎた「物理現象」が起こせるのね
そうなるとこの「現実っぽい」セカイは何かが意図的に歪められたか
隠匿されている世界観で、そうでなければ別作品のように
対立とか科学と魔法のキメラみたいな世界になるはずではある
と、そうなると我我が混乱を避け納得いくところとなると
「小さな幸福」か「死の恐怖」という価値観に落ち着くわけだ
それはたしかに忘却しがちなものではるけど「魔法」が必要であろうか
あるいはなんにも考えずに視聴するか、それは「賢人」といえるだろうか
ここで我我は「魔女(魔法)」が「賢さ」と=で無い
ことにようやく気がつくのね「七賢人」とかすごい人に
助けてもらわないとどうにもならない歪んだセカイ
あるいはそれぐらいしないと「魔女教」への信仰はとりもどせない
ものなのかもしれんね、あるいは科学教への反発心とでもいうか。
ボールパークでつかまえて!
第12話 昇華試合/ラストメッセージ/開幕ったら開幕! △++
「消化試合」ってな嫌な言葉ですよね「真剣勝負」と真逆のイメージ
しかし長いペナントレースではそういう弛緩した瞬間が
たしかにある、まあ「人生」って言っていいかもしれん
「ボールパーク」はその「緊張」と「弛緩」が
いい具合に集まった場所になっている「よい場所」なわけだ
「売り子」はその間の給仕ってわけ。
当たり前の感謝のコトバが不思議とココロにひびくね
あの密閉空間はそういう「場」のおもしろさがあることを
教えてくれる、それは「人生」っちゅう大きな場とも
繋がっているわけだね、失敗が多くて、偶にあるよろこび
出会いと別れ、それが年とともに更新される
そういう「ゆっくりとした動き」のここちよさではある
それとビールのスッキリ快感との対比よなあ。
履いてください、鷹峰さん 第12話 私だけをみなさい とまとめ △+
男共を独占する為に女性陣は「美」を求めているわけだけど
(個人の感想です)
このおはなしは最初からオトコノコを魅了する要素は
すでにおなかいっぱいなわけで、じゃあ「時戻し」の能力
まで身につけるといういきすぎた魅了がまあけなげというか
もはやギャグの領域だったかとおもう。
そう考えるとあの唐変木のオトコノコのほうがよっぽど異常なのかもな
宦官なんじゃないかとw しかしこれだけ痴態をさらして
ようやく「ふつうのラブコメ」が逆に価値を持つかもしれんね
これってツンデレなのか?
謎解きはディナーのあとで
第12話 奪われたのは何でございますか とまとめ △++
犯行の動機はおおむね「家庭の幸福」で、ここまでベタだと
もう逆になんもいえねえなw もちろんつまらないわけではない
僕たちの「現実」はこの「動機」が大半なのだから
ちょっとした間違い、行き違い、悪のこころ
それを明晰な頭脳で裁断していく率直さがここちよいのよな
ただし、この作品はそののどごしに至るまでの
「酒のつまみ」が極上なのよな、麗子ちゃんと風祭のコントが
とにかく面白いのがずるい、そりゃ「阿呆でございますか」とか
いいたくなるわなあw
しかしこの「笑いながら悲惨な事件を解く」とか贅沢なハナシよな
「隠し味」ってレベルじゃなくて甘しょっぱいうまみ
そして「現実」のドラマではもう描けなくなった
「悲しみ」と「笑い」の混交が明晰な頭脳のもとに描き出されていたかと。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます