いま次男は学校で自分史を作っているらしく、1,2歳のころの写真を現像してくれーって毎日せっつかれています
。
ところが、あれ?データどこにあるんだっけ・・・???途中でカメラを変えたりだなんだで、どこかにあるハズなんだけど~、と時間がかかっているダメ親です
。
そんなところに、とっても興味深いお話が(こどもの予防医学より)。
ある小児科医さんの体験談で、家族写真が飾っているうちの子はのびのびと育っているというもの。逆にないうちの子は内気でひねくれてる子が多いんですって
(ひょえ!うち!?)。
以下その小児科医さんのお話です。
「子どもって無意識のうちにとってもたくさんの事を見ているんですよ。部屋にある家族写真なんか特に。意識して見てないかもしれないけど、毎日その空間で生活していると自然と家族写真が視界に入っていますよ。そんなお父さん、お母さんが自分を抱っこして笑顔でいる家族の写真をみて、子どもは“自分は愛されているんだ”、“大事にされているんだ”と感じるんだと思いますよ。
しかも、この家族写真の効果ってすごくて、子どもが成長して思春期になっても絶大な効果を発揮するんですよ。思春期の子って親の言う事を聞かないでしょ?でもね、家族写真の言う事はちゃんと聞くんですよ(笑)。
子どもが何か悪いことをした時、ふと子どもは家族写真に目がいくんです。そこで子どもは自分のやった悪いことに罪悪感を感じるんですよ。それは、自分のやったことで“親に悪いことをした”、“親を裏切ってしまった”ってね。だから親は子どもに何も言わなくても勝手に反省してくれます。私がまさにそうでしたしね。親が直接子どもを叱るより、家族写真の方がよっぽど効果があるんです。」
!!!
思い当たる節あり!私はシンプルライフが好きなので、壁に何かを飾ったりとかあまりしないんですよね(ただ単にセンスがないからしない、という説もありますが
)。
ところが、実家に帰ると亡き母がコラージュした孫や家族の写真だらけ。実家では子どもたちがのびのびしているし、確かによく写真眺めてる
。写真の表情が幸せそうだったら、その情報受け取りますもんね
。そりゃ、そうだ。
そんなわけで、今日の一冊は
『おじいちゃんのカメラ』。
『おじいちゃんのカメラ』パトリシア・マクラクラン作 掛川恭子訳
偕成社 142頁 1993年(原書初版)1994年(翻訳初版)小学高学年から
『ふたつめのほんと』のパトリシア・マクラクランによるもので、主人公のジャーニーは多感な11歳。このジャーニーの母親というのがちょっと飛んでてですね、子どもを祖父の家に置いていってしまって、自分を生きるためにどっかに行っちゃうんです
。たまに電話はかかってくるけれど、あまり子どもに興味があるとは思えない。ジャーニーは愛情を求めているのに。
そんなジャーニーとおじいちゃんは、おじいちゃんもジャーニーもよく写真を撮ります。おじいちゃんは無骨だし、似た者同士の二人はぶつかることも多いのですが、あるとき姉のキャットがたずねます。
「おじいちゃんは、なぜ家族の記念写真をとるんだと思う?」
「・・・・おじいちゃんはね、ママがとりあげてしまったものを、おまえにかえしてあげたいと思ってる。家族をあげたいって。」
あとになってジャーニーが写真を見返して懐かしいと思えるように、おじいちゃんは写真を撮り続ける。そして、自分の中の記憶違いの思い出(自分の希望を投影した思い出)にすがることから、ジャーニーは一歩成長していくのです。
これ、子どもがいない夫婦でも同じかもしれませんね。仲良かったときの写真を眺めれば、ケンカのあとにも「でも優しいところもあったじゃない」って思い出せるのかも
。
さ、写真現像するために、まずはデータ探そう(笑)。