『北岸通りの骨董屋』『丘の上の牧師館』シルヴィア・ウォー作 こだまともこ訳 佐竹美保絵 講談社
昨日は招待券をいただいたのでサッカー観戦。オーレ~オレオレオレ~

。湘南ベルマーレ、ホームでの試合でした♪負けましたが

。
スポーツ観戦は興味がないを通り越し、苦痛!くらいに感じる運動音痴の私でしたが、子どもたちも一緒に行った友だちもノリノリだったので楽しかった

。試合よりもサポーター席が盛り上がっていて楽しそうで、年齢関係なく夢中になれるものがあるっていいな~、って

。
ところで、英国のポート・ヴェールというなかなか勝てないチームのサポーターをしているのが、メニム一家の寡黙なお父さんジョシュア。ポート・ヴェールのマグカップでココアを飲む(ふり)ことが何よりの幸せ、ささやかな日常に何よりの幸せを見出しているお父さん。そのメニム一家の物語をついに読み終わってしまいました

。
あ~、ついに完結。終わっちゃったあ・・・。終わってほしくなくて、最後のほうは読む手が止まりがちに・・・

。『床下の小人』同様、もうすっかりメニム一家は私の中で忘れることのできない存在です。
こういう物語でも絶版か・・・出版社が講談社だからかなあ?福音館だったら続いてそう、なんてちらっと思ったり

。“売れる本”じゃなくて“残したい本”に残ってほしいとしみじみ思う。こういう物語はね、読み手と登場人物(人形だけど

)が友だちになれると思うんです。児童文学には友だちになれる存在の本が残ってほしい。
メニム一家の4巻と5巻、話が続いているので、これは一緒に借りることをおすすめします!
≪『北岸通りの骨董屋』あらすじ≫
アルバートとローナの結婚により、今まで気にも留めていなかったブロックルハースト・グローブの不思議な住人たちに疑いの眼をかけはじめる相続人たち周辺。40年間も住み続けているメニム一家であるが、マグナス卿は相当な歳になっているはず。本当にまだ生きているのだろうか?メニム一家には何かあやしいところがある・・・。
その疑いが起こると同時期にマグナス卿は創造主ケイト・ペンショウの亡霊の声を聞き、自分たちに死期が迫っていることを知る。刻々と迫る死に対して準備をしていくメニム一家。その日が来たら果たしてどうなるのか。一家の願いむなしく、創造主ケイトの霊はメニム一家を置き去りにして行ってしまう・・・。
注)ネタバレ含みますので、内容を知りたくない方は以下読まないように。
自分の頭の中に聞こえたケイト・ペンショウによる死の予告が一体本当なのかどうか悩むマグナス卿。人形にも果たして死が訪れるのかどうか。でもねー、これって人間でも同じ。みな誰しも死が訪れると分かっているのに、自分も死ぬことを日々意識して過ごしている人は少ない。死ぬ日が分かっているのって残酷です。死ぬ日が分からないのってありがたいことなんだなあ、って今回これを読んでしみじみ思いました。
死が迫っているという事実を淡々と受け入れるのもいいし、チューリップおばあちゃんのように頑として受け入れず、現実的にテキパキ動く存在がいるのもなんか気持ち的には救われる

。それぞれの死への向き合い方、どれが正しいとかではなくて、どれもいい。そして、実際に彼らが「死んで」しまったときは自分でも思っていた以上にショックでした。魂が抜けたただの人形。ものすごくショックです。
なぜケイト・ペンショウは彼女の「人たち」を置き去りにして行ってしまったのか。なんだか突然裏切られたような寒々しい気持ちにもなります

。が、アルバート周辺の本物の人間たちから疑いの目をかけられたのだから仕方ない。一度人形に戻ってもらって、疑惑を払しょくするしかなかったんだと思います。一見冷たいように思えるけれど、私はメニム一家を救いたいというケイトの愛だと感じました

。説明しないから冷たく感じるけど、そこまでしたらいけない領域だったようにも感じます。いろんなこと、メニム一家は
自分たちで答えを見つけなければいけないんですよね。人の人生も同じ。実によく考えられている!
そして、ただの人形に戻ることを覚悟したメニム一家が、アルバートたちのケイト・ペンショウの遺言と偽装して残した手紙・・・ここに書かれている言葉がシンプルでぐっと来ます。
「この人たちを愛してください」
その遺言に誠実にこたえようと、メニム一家を愛してくれる人を探すアルバートとローナの誠実さがとてもいい。そして、出会った骨董屋の女主人デイジー。この老婦人の人柄がまたねえ、いいんです。救われた気持ちになれます

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≪『丘の上の牧師館』あらすじ≫
新しく主人となった骨董屋のデイジーの愛に包まれ、メニム一家の新しい生活が始まる。連れてこられた当初は命がなかったただの人形のメニム一家たちだったが、突然息を吹き返す。メニム一家の正体にうすうす気づきながらも、彼らに最大限の敬意を示しながら接してくれるデイジー。そして、以前スービーとの接触があり、彼らが「生きている」ことを確信している甥っ子のビリーが現れ、年の近いプーピーと友情を結ぶが、メニム一家は新しい生活へと旅立って行く。
ビリーとプーピーの友情はね、もうホント微笑ましくて

。もしかしたら、人形たちは「生きている」のかもしれないと気づくけれど、気づきたくない、そして最大限にメニム一家に敬意を示しながら接してくれるデイジーの態度が素晴らしい

。最終巻では、一人だけ青い人形のスービーが大活躍でした。真実を知りたい、真実に気づいてしまうスービー。いつだって、真実を見出すのは異端者だったり、境にいる者だったりするのかも、とスービーを見ていて改めて思いました。ほかの家族とまったく釣り合いの取れていない青い人形のスービー。
もしかしたら、そのせいでケイト・ペンショウはほかの人形以上にスービーに愛着を感じ、どうしても離れることができなかったのかも、とありますが、神様から愛されてるなって思う人は凡人から見たら理解されないような困り者だったり異端児だったりする。スービーの存在もなかなか深いです。
そして、ふとスービーの口から飛び出してしまった言葉、メニム一家全員を凍りつかせ、神を汚す言葉と思わせてしまった言葉がこれ
「・・・僕たちがケイト・ペンショウなんだから。」
創造主と自分たちが一体であるということ。内なる神ってやつ!?神、創造主と自分は実は一つであるということ。心のどこかで知っていたような気はするけれど、口に出してはいけなかった暗黙のルール。これまた、深いです。
メニム一家は今もどこかで生きているのかもしれない、そんな希望を残してくれる最終巻でした

。
メニム一家に幸あれ