『今日の一冊』by 大人のための児童文学案内人☆詩乃

大人だって児童文学を楽しみたい、いや、大人こそ読みたい。
ハッとする気づきのある絵本や児童文学をご紹介♪

夏始動!&『水の子トム』

2016-07-19 21:18:48 | ファンタジー:イギリス
 

盛りだくさんの週末!気分はすでに夏休み~

近所でAirbnbを始めた方がいて、そこに台湾人のご家族が滞在しているのですが、うちの長男とそちらの長男さんの年が近いということで紹介されたら、言葉が通じないのに仲良しに。長男は言葉が通じないジャンルの人に強いのよね~。赤ちゃん、幼児にモテる(笑)。その台湾の子は毎日毎日うちに遊びに来ていて、あれ?うちにホームステイしてるんだっけ?という錯覚にすら陥る日々ですメニム一家のアップルビーのような万年反抗期の長男ですが、こういうのを見るとほっとします

そんな子どもたちが繰り出したのは海~。お隣さまがパドルボードを出してくれたので、子どもたちはきゃあきゃあ順番にボードで沖へ繰り出します。漕いでくれるのはお隣さま。え?私・・・?ええ、海まで徒歩10分のところに住みながら、かたくなにインドア派をつらぬくワタクシ。相変わらず水着持たずで遠目に見学です(笑)。そして、パドル待ちの男子たちはひたすらダムを作ったり、穴掘ったり(笑)、波が来たらジャ~ンプ!で大盛り上がりしたり。勉強時には見られない(← )、ものすごい集中力を発揮して熱中してましたヨ。単純ってスバラシイ

さらに、夕方からはお隣さんちで餃子パーティー。大量の餃子を作りました~。皮から作る本格派!台湾ファミリーに本場のを教えてもらおうとしたら・・・あちらでもいまや皮は買うのが普通なんですって。子どもたちが作るので、これは肉まんか!?というくらい分厚い皮に中身が小指の先程度という笑える餃子も盛りだくさんでした

これね、作る過程、みんなでワイワイやるからいいんです。結果じゃないの。『モモ』でもあったように過程を楽しみ味わうから、みんなで食べるときも美味しいと感じて大満足の子どもたち。一方、過程を知らず結果だけを食べた夫の感想は、「・・・・・・」でしたとさ。そして、仕上げは花火!キラキラした夏の一ページとなりました。あ~、楽しかった。いつも楽しい企画をしてくれているお隣さまには感謝感謝です

ところで、海での子どもたちはまさに水を得た魚のようで、水の子たちだな~と毎回思うのですが、私が小さい頃好きで、子どもたちも好きだった物語がコチラ↓



『水の子トム』チャールズ・キングスレイ作 宮脇紀雄編 安井こうじ絵 小学館

岩波少年文庫では『水の子』(絶版?)というタイトルで、偕成社からは『水の子どもたち』で出てる物語。我が家の蔵書にあったのは、昭和40年発行(四版)でまたワタクシ生まれておりませぬ。時代を感じるな~と思うお値段はナント280円。あの村岡花子さんや川端康成が監修なんですよ~!

≪『水の子トム』あらすじ≫
トムは教会にいったこともないしいつもススでまっ黒げの煙突掃除の少年。いつも親方のグライムズに殴られる日々。ある日仕事にいったお屋敷でぬすみのうたがいをかけられたトムは不思議な女の人に導かれ、遠くへ遠くへ逃げるうちに水の国へと迷い込む。水の国でも悪さを繰り返すトムだったが、さまざまな経験を経て次第に改心していく。イギリスの古典ファンタジー。


小学館のは抄訳なのかもしれません。字もかなり大きいので低学年向け。偕成社のは高学年向けになってますね。
作者のキングスレイは牧師であったため、キリスト教的な道徳観が強く出ていたり、当時の時代的なことから差別的な事柄も盛り込まれているとのことでしたが、ぜ~んぜん気づかず(感じず)ただただ楽しんで読んでいました。完訳版だとまた印象が違うのかもしれませんねこちらのサイトでなんて、現在子どもに読ませる必要はない、なんてこてんぱあに言われてますが、うちの子たちは好きでしたよ♪イラストもかわいらしいし、自分もいい子になりたいな、と分かりやすく伝えてくれる本だと個人的には思います。小学館バージョンだったら読み聞かせにもぴったりです♪

旧訳『チョコレート工場の秘密』

2016-07-04 20:47:34 | ファンタジー:イギリス

『チョコレート工場の秘密』ロアルド・ダール作 田村隆一訳 評論社

やっとやっと長男次男への読み聞かせが終わったのが『チョコレート工場の秘密』。

小さい頃大好きだったんですよねえ。なんてったって食いしん坊だったもので
ちょうど長男を妊娠中にジョニー・デップ主演の映画版も見に行きましたっけ。そして、この上なくガッカリしたのを覚えています。やっぱり好きな本の映画化は見に行くもんじゃないなあ。色彩がね、ケバケバしくて、THE☆着色料満載って感じで全然美味しそうに見えなかったんです(←そこかいっ)。小学生のときに見た白黒の古いバージョンの映画のほうがまだよかった記憶が。

絵本ではなく、この手の長めの本を読み聞かせるときって、ある程度まとまって聞いてくれる時間が必要だなあ、って痛感してます。細切れだと面白いと思えるところまでなかなかたどり着けない

今回読み始めたきっかけは、長男が学校行きたくないあまり心身症で寝込んだとき。とにかく美味しそうなものが出てくるもの読んでほしいというので、ほいきたっ!チャンス!とね。実はそれ以前も何回かこの本読むのを試みたいのですが、「絵本のほうがいい~」って。今回は寝込んでいて絵を見るのもつらい、けど聞くのなら・・・ということでチャンス到来です。この物語は元々ダールが自分の子どもたちに聞かせていたものだというので、読み聞かせには合っていたのかもしれません

≪『チョコレート工場の秘密』あらすじ≫

貧しい少年チャーリーが住んでいる町に、世界一有名で世界一大きなチョコレート工場がある。天才ウィリー・ワンカの作り出す魔法のようなお菓子の数々。ところがそこは、働く人たちの姿をだれも見たことがないというナゾに満ちた工場なのだ。ある日、そんな工場に招待状の入ったチョコレートを手にした子どもが招待されると発表され、世界中が大騒ぎに!なにしろ招待状の入ったチョコレートは、世界にたったの五枚なのだから。もちろんチャーリーも招待状入りチョコレートを当てたいが、貧しいチャーリーがチョコレートを買えるの一年に一度、誕生日にたったの一枚。一体誰が招待状を当てるのか。夢のような工場の中はどうなっているのか。ドキドキワクワクの物語。



読み始めてみれば夢中になってくれる。・・・しかし、私のほうは・・・あれ???こんな感じだったっけ???
旧訳のほうなので差別用語も気になってしまうし、結構ひどい言葉が出てくる~。うん、これは当時の大人から批判出てくるの分かるわ、今なら。

でも、読んでいた当時(小3)はそんな言葉ひとつも気になりませんでした。ひたすら美味しそう(←重要!)で、そこばかりが印象的でね。大人が読むのと子どもが読むのは違うんだなあ、とひしひし。最初は長男だけに読んでいたのですが、途中から横で別作業をしていた次男が実は聞いていて夢中になり、二人に読み聞かせるようになりました。最後のほうにねテレビ中毒の男の子が出てきて、ウンパ・ルンパ族に「テレビほど無駄なものはない!本読め!」みたいなこと歌われるのですが、そこでは我が家の息子たち、カチンときたようですよ。「そんなことないよ!テレビだって想像力奪わないよねえ、お母さん!!!」と力強く言われてしまいましただ。ま、ま、ま、あんまり強く否定されると反論したくなるよねえ、確かに

大人になってから読むと気になるところは多々あるものの、やっぱりあのチョコレートに金券が入っていないか袋を破くときのドキドキ、工場に入ってからのワクワク感はたまりません。特におじいちゃんのへそくりで買うとき、「当たれぇ~!当たれぇ~!」と心の中で叫んだのは私だけじゃないハズ。板チョコ見るとやっぱり今でも金色の券が入ってないかしら?と思っている自分がどこかにいます。

そうそう、旧訳では“金色の券”ですが、新訳では“黄金切符”になっているんですって。う~ん、私にとってはやっぱり金色の券。他にも新旧訳の比較を書いてる方がたくさんいますが、私は旧訳の表現のほうが好きでした。挿絵も。

ちなみに続編に『ガラスのエレベーター宇宙にとびだす』(新訳では『ガラスの大エレベーター』)というのがありますが、こちらは私的にはかなりイマイチでした
『チョコレート工場の秘密』、子どものときに出会っておきたい一冊です。

メニム一家 完結!

2016-05-22 21:55:21 | ファンタジー:イギリス
 

『北岸通りの骨董屋』『丘の上の牧師館』シルヴィア・ウォー作 こだまともこ訳 佐竹美保絵 講談社


昨日は招待券をいただいたのでサッカー観戦。オーレ~オレオレオレ~。湘南ベルマーレ、ホームでの試合でした♪負けましたが
スポーツ観戦は興味がないを通り越し、苦痛!くらいに感じる運動音痴の私でしたが、子どもたちも一緒に行った友だちもノリノリだったので楽しかった。試合よりもサポーター席が盛り上がっていて楽しそうで、年齢関係なく夢中になれるものがあるっていいな~、って

ところで、英国のポート・ヴェールというなかなか勝てないチームのサポーターをしているのが、メニム一家の寡黙なお父さんジョシュア。ポート・ヴェールのマグカップでココアを飲む(ふり)ことが何よりの幸せ、ささやかな日常に何よりの幸せを見出しているお父さん。そのメニム一家の物語をついに読み終わってしまいました
あ~、ついに完結。終わっちゃったあ・・・。終わってほしくなくて、最後のほうは読む手が止まりがちに・・・。『床下の小人』同様、もうすっかりメニム一家は私の中で忘れることのできない存在です。
こういう物語でも絶版か・・・出版社が講談社だからかなあ?福音館だったら続いてそう、なんてちらっと思ったり。“売れる本”じゃなくて“残したい本”に残ってほしいとしみじみ思う。こういう物語はね、読み手と登場人物(人形だけど)が友だちになれると思うんです。児童文学には友だちになれる存在の本が残ってほしい。

メニム一家の4巻と5巻、話が続いているので、これは一緒に借りることをおすすめします!

≪『北岸通りの骨董屋』あらすじ≫
アルバートとローナの結婚により、今まで気にも留めていなかったブロックルハースト・グローブの不思議な住人たちに疑いの眼をかけはじめる相続人たち周辺。40年間も住み続けているメニム一家であるが、マグナス卿は相当な歳になっているはず。本当にまだ生きているのだろうか?メニム一家には何かあやしいところがある・・・。
その疑いが起こると同時期にマグナス卿は創造主ケイト・ペンショウの亡霊の声を聞き、自分たちに死期が迫っていることを知る。刻々と迫る死に対して準備をしていくメニム一家。その日が来たら果たしてどうなるのか。一家の願いむなしく、創造主ケイトの霊はメニム一家を置き去りにして行ってしまう・・・。

注)ネタバレ含みますので、内容を知りたくない方は以下読まないように。

自分の頭の中に聞こえたケイト・ペンショウによる死の予告が一体本当なのかどうか悩むマグナス卿。人形にも果たして死が訪れるのかどうか。でもねー、これって人間でも同じ。みな誰しも死が訪れると分かっているのに、自分も死ぬことを日々意識して過ごしている人は少ない。死ぬ日が分かっているのって残酷です。死ぬ日が分からないのってありがたいことなんだなあ、って今回これを読んでしみじみ思いました。
死が迫っているという事実を淡々と受け入れるのもいいし、チューリップおばあちゃんのように頑として受け入れず、現実的にテキパキ動く存在がいるのもなんか気持ち的には救われる。それぞれの死への向き合い方、どれが正しいとかではなくて、どれもいい。そして、実際に彼らが「死んで」しまったときは自分でも思っていた以上にショックでした。魂が抜けたただの人形。ものすごくショックです。

なぜケイト・ペンショウは彼女の「人たち」を置き去りにして行ってしまったのか。なんだか突然裏切られたような寒々しい気持ちにもなります。が、アルバート周辺の本物の人間たちから疑いの目をかけられたのだから仕方ない。一度人形に戻ってもらって、疑惑を払しょくするしかなかったんだと思います。一見冷たいように思えるけれど、私はメニム一家を救いたいというケイトの愛だと感じました。説明しないから冷たく感じるけど、そこまでしたらいけない領域だったようにも感じます。いろんなこと、メニム一家は自分たちで答えを見つけなければいけないんですよね。人の人生も同じ。実によく考えられている!

そして、ただの人形に戻ることを覚悟したメニム一家が、アルバートたちのケイト・ペンショウの遺言と偽装して残した手紙・・・ここに書かれている言葉がシンプルでぐっと来ます。
「この人たちを愛してください」
その遺言に誠実にこたえようと、メニム一家を愛してくれる人を探すアルバートとローナの誠実さがとてもいい。そして、出会った骨董屋の女主人デイジー。この老婦人の人柄がまたねえ、いいんです。救われた気持ちになれます

≪『丘の上の牧師館』あらすじ≫
新しく主人となった骨董屋のデイジーの愛に包まれ、メニム一家の新しい生活が始まる。連れてこられた当初は命がなかったただの人形のメニム一家たちだったが、突然息を吹き返す。メニム一家の正体にうすうす気づきながらも、彼らに最大限の敬意を示しながら接してくれるデイジー。そして、以前スービーとの接触があり、彼らが「生きている」ことを確信している甥っ子のビリーが現れ、年の近いプーピーと友情を結ぶが、メニム一家は新しい生活へと旅立って行く。


ビリーとプーピーの友情はね、もうホント微笑ましくて。もしかしたら、人形たちは「生きている」のかもしれないと気づくけれど、気づきたくない、そして最大限にメニム一家に敬意を示しながら接してくれるデイジーの態度が素晴らしい。最終巻では、一人だけ青い人形のスービーが大活躍でした。真実を知りたい、真実に気づいてしまうスービー。いつだって、真実を見出すのは異端者だったり、境にいる者だったりするのかも、とスービーを見ていて改めて思いました。ほかの家族とまったく釣り合いの取れていない青い人形のスービー。もしかしたら、そのせいでケイト・ペンショウはほかの人形以上にスービーに愛着を感じ、どうしても離れることができなかったのかも、とありますが、神様から愛されてるなって思う人は凡人から見たら理解されないような困り者だったり異端児だったりする。スービーの存在もなかなか深いです。

そして、ふとスービーの口から飛び出してしまった言葉、メニム一家全員を凍りつかせ、神を汚す言葉と思わせてしまった言葉がこれ
「・・・僕たちがケイト・ペンショウなんだから。」
創造主と自分たちが一体であるということ。内なる神ってやつ!?神、創造主と自分は実は一つであるということ。心のどこかで知っていたような気はするけれど、口に出してはいけなかった暗黙のルール。これまた、深いです。

メニム一家は今もどこかで生きているのかもしれない、そんな希望を残してくれる最終巻でした
メニム一家に幸あれ

『屋敷の中のとらわれびと』

2016-04-10 06:45:11 | ファンタジー:イギリス
 
『屋敷の中のとらわれびと』シルヴィア・ウォー作 こだまともこ訳 佐竹美保 絵

だからっ!!!こわいんだってば~、海外版の表紙
メニム一家の物語シリーズ第3弾です。読む前は長いな~、と少し躊躇するこのシリーズですが、読み始めるとあっという間。ますますメニム一家の世界観にハマっていってます。
人形の話なのにやっぱりリアリスティツクで、う~んとうならされる。小学校高学年から読めますが、この家族間の微妙な軋轢に共感できるのは中学生以上かなあとも思います。高圧的なおじいちゃんとおばあちゃんにはイラッとくるし、家族のもめごとには関わりたくない無口なお父さんも、反抗期の娘たちも、これがイギリスの物語ってことをついつい忘れてしまうほど日本の家庭にも当てはまりそうな感じ。

≪あらすじ≫
やっとブロックルハースト・グローブに戻り平和な暮らしが戻ってきたと思っていたメニム一家だったが、一難去ってまた一難。どうしても劇場へ行ってみたかったピルビームがご近所のアンシアと劇場できわどい接近をしてしまうところから、アンシアに怪しいと疑いをかけられてしまう。当然おじいちゃんは家族を招集し、屋敷から一歩も出ないよう命令。買い物は気配を消す才能があるミス・クィグリー一人に全て任されたが、ミス・クィグリーもほかの家族もみなストレスが溜まりに溜まってしまう。そこで、アップルビーが取った行動がまたさらなる災難を引き寄せ・・・


40年間も同じ年齢のままでいる人形たちだけれど、命あるもの、やはり成長したいんだなあ、それが命あるものたることなんだなあとしみじみ感じさせられた今回。色んなことにチャレンジしたい、でも見つかってはいけない。ドキドキハラハラが続きます。

そして、今回も淡く切ない恋が・・・。今回はアップルビーと普段は寄宿学校に入っている近所のトニーの恋。秘密の手紙のやりとりをしたり、ディスコ(そう設定は現代なのだった!)に行ったり・・・。

アップルビーは嘘つきで癇癪持ちで本当に家族に迷惑ばかりかける。家族会議でも後ろめたさよりもばれることばかりを心配していて、なかなか読者としては同情できないんですよねー。ところが、とんでもないことをしでかす妹のアップルビーに対する姉のピルビームの言葉が素晴らしい。トニーとの恋が人形であるがゆえにうまくいかないことに対して、

「・・・あなたは魔法よ。・・・わたしはあなたを愛するようになっただけじゃなくって、あなたの生きていくことにかける情熱とか気迫を尊敬するようになったのよ。あなたは家族の中で、とっても大事な存在なの。もしあなたがいなくなったら、どんなにわたしたち、みじめになることか。ありのままの自分を受け入れなさい、アップルビー。ありのままに生きていくのよ。」

と。ありのぉ~、ままのぉ~♪
アップルビーと同じく癇癪持ちのうちの長男に果たして同じことが私に言えるかどうか・・・。自分自身が落ち着いてるときは思ってますよ、素晴らしい存在だって。でも、問題を起こされた直後にそう言えるかというと・・・正直自信ナイ。ついつい忘れてしまうけれど、癇癪ってつまりはエネルギーに満ち溢れてるってことなんですよね。

その後はまさかの展開。ネタバレになるので書きませんが、私は衝撃を受けすぎてしまって、翌日まで引きずってしまいました。なぜ?なぜ?そこまでしなくてはいけない!?と思ったけれど、作者のキリスト教的な裁きの考えが反映されてるのかもしれません。(どなたかー、読んだ方この辺のご意見伺いたいです!)

帯にも書かれていた最後のスービーと母ヴィネッタの会話が心にしみいります。

「けど、生きるってどういうこと?」スービーが尋ねた。
「生きるってね、とっても美しくて、愛しいことよ」ヴィネッタは答えた。
「わたしたちはそれだけを知ってればいいの」
"Life is sweet," said Vinetta. "That's all we need to know."




『荒野のコーマス屋敷』

2016-03-17 06:47:20 | ファンタジー:イギリス
  

『荒野のコーマス屋敷』シルヴィア・ウォー作 佐竹美保絵 講談社


メニム一家の物語第二弾です。
はい、前回と同様今回も海外版と表紙を見比べてみました
左が日本、右がどこだか知らんが海外版。日本優秀~。海外版も素敵な表紙です。でもね、ぜんっぜん内容と合ってないのですよ。だって見渡す限り荒野の設定なのに、これではファンタジックな森の中です。メニム一家は人形が主人公ですが、内容はファンタジックというより人間でもこういうのあるなあというリアリティに近いのです。素敵な表紙ではあるけれど、内容から考えるとちょいとツッコミを入れたくなる海外版の表紙の紹介でした~(何のこっちゃ)。

さて、今回もまたまた郵便ポストに一通の手紙が届くことから騒動が始まります。
しかも、前回架空の人物と分かったはずのアルバート・ポンドが実在するというのだからメニム一家は大混乱!アルバート・ポンドの手紙が語るところによると、今回高速道路建設計画が持ち上がり、メニム一家が愛してやまないブロックル・ハースト・グローブが壊されるというのです。そこで、アルバート・ポンドはメニム一家を作ったケイト伯母さんの幽霊に命令されてメニム一家を救う手助けをしたいといってくるのですが・・・。

紛れもなく人形たちの物語なのに、一人ひとりの個性が際立っていて、とってもリアリティがある。
やっぱりこの作者のシルヴィア・ウォーさんの人間に対する洞察力ってすごいなあ。

今回、高速道路建設計画に反対する住民運動をアルバートが起こすにあたって、人々から注目を浴びないようメニム一家はアルバートの持つもう一つの古い古い屋敷、コーマス屋敷へと一時的に避難します。

見渡す限りの荒野。

アルバートが無償で彼らのために行ったり来たり尽力してくれているのに、不平不満ばかり言うメニム一家にもうびっくり(笑)。やってもらって当たり前、こういう感覚、日本人には分かりづらいなあ
でもね、家に帰りたくて帰りたくてたまらないメニム一家の気持ちは分かります(でも、文句は言うなとは言いたいだって、言い過ぎ)。いくら安全なところにお連れしますよ、と言われたって自分の居場所にしかいれない類の人たちっているんです。それはもう感情の問題であって、頭でいくら理解しても感情がついていかないもの。私自身は根無し草でそういう感覚がないタイプなので、本を読むことによってそういう類の人たちもいると知れたのはとても大切なことでした

荒野のコーマス屋敷に置いていかれたメニム一家はホームシックのあまり、それぞれが極限状態までになっていきます。

中でも印象的だったのはスービーの悲しみ。
たった一度だけバイクで馬小屋のまわりをかけぬけた経験が、魂の奥底に眠っていた冒険心を呼び起こしてしまうのです。いつも同じでいたいという変化を嫌う心と、冒険にあこがれる心のはざまで苦しむスービー。この相反する二つの心の共通点は、どちらもスービ-を「このうえなくみじめな気持ち」におとしいれるということ。・・・なんて希望のない!ああ、でも思春期の男の子ってこんな感じなのかも。
そして、いてもたってもいられず夜中にバイクに飛び乗るスービーでしたが、みじめな結果に終わり、チューリップおばあちゃんとけんかをしてしまいます。さらに、チューリップおばあちゃんが嫁のヴィネッタにスービーのことをなじっているのを聞いてしまったスービーは死んでしまいたくなる。ああ、スービー!姑に立ち向かってくれる自分のことを理解してくれる母親のヴィネッタがいても、こういうときは救いにならないのよねえ。スービーの姿がわが子と重なって泣きそうになりました

スービーとは違うタイプで常に反抗的な態度を取ってるアップルビーのもがいてる様子もまたねえ。反抗的になりたくなくても、反抗的な口調でしか話せないアップルビー。いつもやりきれない一抹の悲しみがあります。シルヴィア・ウォーさんはこの辺のやりきれなさを描くのがとてもお上手。

融通のきかないチューリップおばあちゃんや、いつも眉間に皺が寄っていそうなマグナス卿にはうんざりするけれど、それでも作者のあたたかい目線があって、どんな人も根は悪くないんだよなあって思わされる。口数の少ない内気なジョシュアですらも。それぞれがそれぞれのままで、いい

アルバート・ポンドのピルビームへの淡い恋にはキュンとしました。まだ恋という形にすらなっていなくても、その芽を摘まれてしまうのが切ない。だって、人形と人間だものね。
そして、最後にアルバートの中からメニム一家の記憶が書き換えられていくところはお見事
人の記憶って本当にこんな感じなのかもと思わされてしまうほどでした。

悲しいけれど、寂しいけれど、これでいい。ちょっとしんみりともする第二巻でした。